兼岡行男

かねおか ゆきお

最初期の任天堂ゲーム作品において活躍していた技術者(電気設計者、プログラマー)。
主に1980年代初頭においてアーケードやファミコン黎明期の作品のサウンド製作を手掛けたほか、ファミコンのAPUであるRP2A03の音源設計にも関わっていた事で知られる。

兼岡氏は、ゲームに音楽が無かった時代から、プロの作曲家が豊かな音楽を付ける時代への過渡期に足跡を残した人物であった。

もともとゲーム業界黎明期においては、プロの作曲家がおらず、プログラマーなどがついでに音楽や効果音を手掛けることが大半であった。
たとえば故・岩田聡社長もプログラマー時代に効果音を製作していたことがあった。
当時は仕事の分業化が進んでおらず、またゲームにおけるサウンドの役割も乏しく、単純な効果音以外には曲らしい曲すら持たない作品が多かったためである。

任天堂においても、サウンド専門のスタッフとして最初に雇われた近藤浩治氏や中塚章人氏が入社したのが1984年であり、それ以前は主に兼岡氏、それから1980年に入社した田中宏和氏がプログラミングなどと同時にサウンドも手掛けていたものと推定される。
しかし、作曲の技術が高く、その後はエンジニアと言うよりは作曲家として活躍を続けていった田中宏和氏とは対照的に、氏は作曲家というよりは、エンジニアとしての活躍がメインだったと思われる。

兼岡氏の担当した作品は、単純ながらも初めてメロディがついた任天堂製のゲームであった。
そのため今でも任天堂サウンドの出発点として楽曲の存在感はある。
たとえば『ドンキーコング』におけるハンマーを取った時の軽快なテーマなどは誰もが耳にした事があるだろう。

新人の近藤浩治氏にサウンドデザインとプログラミングについて教えたのは兼岡氏であったとのこと。
近藤氏によれば、兼岡氏は電気工学を専攻しており音楽教育を受けた訳では無かったが、非常に音楽に興味を持った技術者であったという(出典:外部リンク[2])。

作曲作品の一例



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最終更新:2023年05月28日 23:31