Green Paradise 【母家】
是非010
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匿名ユーザー
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せいご
私は、客の立場から見れば、必要だと思う。 人間社会において、馴れ合い、妥協、畏れ、自分が傷つかない為の相手との距離、そんな物のためだけに自分が生きているわけではないと思うからだ。 だからといって常に武士でいられるほど強くもない。 強く在り続けられる人は存在しないと私は思っています。 人が人として生きていく為には、人同士共に成長、進歩、進化しなくてはいけないと思う。 だからこそ、時には息抜き(他愛もない会話)、他の人の共感できる考え、そしてそこから自分としての考えは何か、とゆうこと(時間)も必要なことだと思う。 そうゆう意味でもG.P.は必要とされる存在なんだと思う。 G.P.は常に禅問答をし続けて欲しい。 答えのかたちはその人それぞれ違うと思うし、ひとつである必要もないし・・・。 共に成長していくためにも楽しいし、あり続けて欲しい!(いまさらこっちが願うまでもないとは思いますが)
因(原因)、縁(良縁、悪縁)、果(結果)、そしてその結果生まれる因、そうしてこれらすべてを重ねながら生きて、人は成長してゆくものだと私は思っています。 ちなみに私の家は、禅宗のお寺の坊主の家系です。 そのせいではないのですが、私は葬儀屋で働いたこともあります。 人の死とゆうものに毎日のように触れてきました。 幼い子供を亡くした母親、最愛の妻を亡くしただんな様、電車に飛び込み自殺した高校生、いろんな悲しみがありました。 仕事として割り切ればよかったのですが、私にはどうしても割り切れないことが多すぎました。
故人を弔うのは坊主の役目、葬儀屋の役目は残された遺族の心のケジメのための形をとりおこなうことだっ!と、理解していても、混乱している遺族、久しぶりに会う人と楽しそうな会話をしている人たち、人の心理、その時の人の行動を知る、勉強するために葬儀屋をやっている役者。 それらを見て、感じながらやってきたのですが、しまいには、笑いながら仕事をやれる自分に気がついた時、辞めようと思いました。 私は人の痛みをわからない、感じない人間にはなりたくない!これが理由です。 ただ、みんな人間、人なんだっ!とも思いました。 人が皆、同じ価値観を持っているわけではないし、その人それぞれの立場、生い立ち、環境をすべてわかる事はできない。 だから自分の考えを押し付けることも出来ない。 そうゆう意味でも人生は楽しいと思う。 分かり合うために時間はかかるし、相手のことも考えなくては進まないし。
だからやっぱりG.P.は必要だと思いま~す!他人を気にしないで、自分で考え、自分の感じたことを出せる場所、互いに言い合える場所、それがインターネット上でのG.P.だと思うからです。 長々と拙い文章で申し訳ないです。
最後に提案、お互いの為にまえおきを書いたらどうでしょう? 商売をする店はお約束だとおもうのですが、店側はお客様えの礼儀、客も店に対する礼儀。 客の方に礼儀がないのであれば、守ってもらえるように張り紙をする、教育する。 これはお互いいいことだと思います。 馴れ合いにならず、お互いに気持ちに一線を引く。 いかがですか? 強引ですいません。