昔話
これは、遠い昔の話です。
「われわれに似るように、われわれの形に、これを創ろう」
天と地を造った神様は、天には天使たちを、地には人間たちを住まわせました。
天使たちは大空の上で光り輝き、地上を照らしました。
地上の人間たちは、神様の用意した食物を食べて暮らしました。神様は人間たちに告げました。
「お前たちは土から生まれたのだから、いつかは土に帰らなければならない。だが私は、お前たちが居なくなるのを望まない。
私はお前たちを、男と女に分けて造った。男と女が結び合い、一体となれば、お前たちは新しく生まれることが出来る。
だが、お前たちは無限にあってはならない。なぜなら、私だけが無限だからだ」
そうして、神様は人間と食物の数を定めて、人間たちを戒めました。
人間たちは、生み、増え、地を満たしました。ですがいつしか、人間たちは神様の戒めたことを忘れてしまいました。
神様の定めた数を越えても、人間たちは増え続けました。
食物が足りなくなり、人間たちは餓えました。そうして、やせ細った腕を大空に掲げると、神様に頼みました。
「神様。私たちを救ってください」
神様は答えました。
「お前たちは私の命じたことを守らなかった。だが、私はお前たちが苦しむのを望まない。
なぜなら、お前たちを愛しているからだ。我が子らよ、煉瓦を作れ。それで、頂が天に届く塔を建てよ」
人間たちは神様に言われた通りにしました。
天使たちの光を土に照らして、煉瓦を作り、その煉瓦を積み上げて、塔を建てました。
塔の頂が天に届くと、神様は言いました。
「この塔は柱となり、天と地を支える。この塔は道となり、天と地を結ぶ」
すると、食物を持った天使たちが、塔を伝って降りて来ました。
食物が全ての人間に行き渡ると、神様は人間たちに告げました。
「お前たちは満腹した。お前たちは餓えなくなった。お前たちは救われた。だが、もはやお前たちは増えてはならない。
お前たちの数は、私の定めた通りでなくてはならない」
ですが、人間たちは神様の言葉を守りませんでした。男たちも女たちも満腹すると、結び合うことを楽しみました。
人間たちは地に溢れました。天使たちが食物を運んでも足りなくて、再び餓えました。
大きな人間が小さな人間を手に抱えながら、神様に頼みました。
「神様。私とこの子を、救ってください」
神様は答えました。
「我が子らよ、私の命じたことを守れ」
食物を得られなかった人間が、神様に言いました。
「神様。私はこのままでは、飢え死にしてしまいます」
神様は答えました。
「我が子らよ、私の命じたことを守れ」
あるとき、一人の人間が、別の人間に囁きました。
「空の上、天使たちのところには、食物がたくさんあるに違いない」
人間たちは互いに相談すると、天を渡る船を作り、それを担いで塔を登りました。
塔の頂に来ると、空に船を浮かべて、光り輝く天使たちのところに向けて漕ぎ出しました。
果たして人間たちの思った通り、天使たちのところには無数の食物がありました。
人間たちは次々と船を作り、空に浮かべました。そして、天使たちのところに行って食物を食べ、満腹しました。
あるとき、一人の人間が天使の体を齧りました。はしゃぐあまり、食物と間違えたのです。
「これはうまい」
人間たちは天使の味を覚えました。体を食べられた天使たちは、地上に落ちました。
それ以来、人間たちはこうした天使たちを動物と呼び、ものを作るのを手伝わせたり、食物にしたりするようになりました。
翼を無くした天使は獣と呼ばれ、手を無くした天使は鳥と呼ばれ、足を無くした天使は魚と呼ばれました。
一番多いのは頭を無くした天使たちで、小さい天使は草と、大きい天使は木と呼ばれました。
そして、この天使たちは人間の噛み痕が付いたことで、人間と同じように、生み、増え、地を満たそうとし、土に帰らなければならなくなりました。
まだ人間たちの手に触れられず、大空に浮かんでいる天使たちは、星と呼ばれました。人間たちは星に憧れました。
なぜなら、美しく輝く星たちこそ、まだ食べていない、食べるべきものなのです。
またあるとき、人間たちは人間の味を知りました。
これは天使たちのときのように知らずに食べたというのではなく、一つためして見ようという気がしたからです。
あまりの美味しさに、人間たちは互いを食べ合うようになりました。
そして、人間たちは多くの味を知るとともに、いっそう簡単に、いっそう沢山の別の人間を食べる術も知りました。
この術を行うことは、争いと呼ばれました。
天は争いで満ちました。
大空に浮かぶ船は、もはや天を翔るばかりの乗り物ではなく、天使や他の人間を食べるための道具になっていました。
人間たちは星々の間で、互いに争い、嘘を付き、そして、天使たちを弄びました。
ですが、そう気侭にしていながら、人間たちはいっこうに満足できなかったのです。
人間たちは絶えず不満で、誰しも、自分こそが一番不幸な者だと感じていました。
神様は、人間を創ったことを悔やみました。そして、全ての人間たちを地上に集めると、告げました。
「お前たちは堕落した。天は暴虐で満ちている。お前たちの心はみな、いつも悪いことだけに傾いた。
私はお前たちの心が良くなるまで、天を鉄の蓋で覆い、地に縛り付けよう。
それまでは、我が子らよ、お前たちは、お前たちの損なった天使たちとともに、苦しんで生きなければならない。
汗を流して、自ら糧を得なければならない」
こうして、灰色の壁が空を覆い隠し、人間の世界は閉ざされてしまいました。
今でも人々は、かつて無限に広がっていた空や、星々の輝きを想って悲しみます。
そして、壁の向こうには天使たちが暮らしていて、そこでは人間や動物たちの暮らす地上と違い、何の苦しみもなく、幸せに生きて行けると伝えられています。
機動新世界ガンダムDoll-DA
プロローグ 人形の家
偶像はしろがねとこがねでかざられた人の手のわざである。
口があっても語れず、目があっても見えず、耳が合っても聞こえず、その口には息がない。
これを造る者もこれを信ずる者もまたこれに等しい。
――詩篇一三五
鐘の音が響いている。舗装の上を労働者らしき人々が列を作って歩いている。
どれもやせこけ、機械労働で酷使された人間に見られる不均等な体つきをしている。
彼らは皆一様な顔立ちをしている。皆が皆一卵性の兄弟とも思えるくらいに似通っている。
彼らの表情に憔悴は見られない。労働の喜びや衆を頼む高揚感も浮かんでいない。
別な労働者の群がすれ違った。こちらは先の労働者とは顔立ちが違っている。歩みはやや遅く、動作の中に疲労が見え隠れしている。
おそらく退勤の組であろうが、家路を急ぐというでもなく、出勤組と同じ能面顔で、ただ鐘の音にあわせて手足を動かしているに過ぎない。
代わり映えのしない人々の観察を続けたところで得るものは少ないであろう。
しかし別な印象を期待して町並みに目を転じても、全く同一の建造物が碁盤縞に並んでいるばかりである。
同じ幅の路面が敷かれ、同じ高さの建物に同じ数の窓が並び、歩行者の群も遠目では別のそれと見分けが付かない。
路面には紙くず一つ落ちていない。よくよく訓練されたように一糸乱れない人々の様子を見るに、清掃人が勤勉というばかりでもなさそうである。
こうなると町のどこに立っても均一の景観に出会いそうに思えたが、この合理的な都市計画を練った者が親切心を利かせたのか、町の中央に一風変わった区画が作られている。
ひときわ大きな二本のビルが突き出ていて、灰色の壁がそのぐるりを囲んでいる。
二本のビルの屋上にはちょっとした意匠が凝らしてあった。この摩天楼は町の顔というような役割を担っているのかもしれない。
壁の内側では身長にして労働者十人分ほどのロボットが幾体も立ち並び、その周りには小銃をもった人間がうろついている。
彼らは先の労働者たちとは異なり骨格ががっしりとして、背丈も二回りほど大きく出来ている。
容姿はやはり瓜二つで、どれも愚鈍そうな顔立ちをしている。彼らは摩天楼の警備を勤めているのであろうが、どういうわけか物々しさはあまり感じられない。
鳴り渡っていた鐘の音が止み、塀の外では人影が消えた。その代わり町中から獣の唸り声に似た機械音が聞こえ始める。
おそらくこの町は一個の工場なのであろう。鐘の音は交代の合図で、機械に潤滑油を差す如く労働者を取り替える。
その労働者というのも工場で大量生産される製品と同じく、一様の外見をして一様の行動をする。
めいめい異なった人々を使うより能率が良いに違いない。生産的でないのは塀の中の中央区画ばかりである。
その不経済を産業主義の神が憂えたのかもしれない。
産業革命時代のプロレタリアートの切なる祈りが高等詐欺的金儲け主義への呪詛と化し、お役所仕事さながら幾時代も経た今となって報いられたのかもわからない。
このとき突如として灰色の空が割れ、真紅の光が摩天楼を貫いた。
光の帯は標的と思わしき二本の摩天楼ばかりでなく、射線上にあったいくつかの工場をも巻き込んでようやく消失した。
光は閃くようなものであったが、爆煙は大掛かりなものである。
それほどの威力でありながら、ビルがすぐさま倒壊する気配はなかった。そうなるよう威力を加減したのかは定かでない。
轟音と殆ど同時に、ロボットと兵士たちは一斉に銃口を空に向けていた。
落ちて来た瓦礫の下敷きになる者も少なからずあったが意に介さず、施設の被害の規模すら確かめる様子がない。
思うに彼らの動作は状況を判断してのことではなく、訓練によって高度に条件付けられた反射行動であろうけれども、襲撃の前後で顔色に変わりがないというのも妙である。
先ほどまで何も見られなかった上空には巨大な飛行艦が浮かんでいた。その飛行艦は一見したところ飛魚のような輪郭をしている。
胴体から延びた大小一対ずつの翼が淡い緑色の微光を放ち、その船体の大きさにもかかわらず空中で制止していた。
魚でいう腹は開かれていて、砲塔らしきものが地表に向けて突き出ている。赤い光はそこから放たれたに違いない。
高度は倒壊しかけたビルの中ほどで、対空砲火を行う側にしてみれば具合のいい的であるが、地上から放たれた弾丸は直進せずに船体を避ける弾道を描くばかりで命中することはなかった。
飛行艦の姿が逃げ水のように揺らいで、そのたびに弾丸が逸れるのである。
飛行艦から妙な音楽が流れ始めた。音楽といっても、楽器によって演奏される類のものとは思われない。
肉声とも雑音とも付かぬ音の組み合わさった音楽で、その調子は先だって町に響いていた鐘の音に通じるものがある。
銃声が止んだ。弾切れを起こしたのではなかった。自ら攻撃を中止したのである。
それから間もなく飛行艦の下部ハッチが開いて、数体のロボットが身を投げた。
赤い水面に波紋が広がる。波紋は一つではなく八方から広がって来て、それらが互いを打ち消しあう。
水音はほとんどない。波が絶えず一定の間隔で生じ、一切乱れないからである。
水面から目を上げるとそこがすり鉢型をした広壮な施設であるのがわかる。
すり鉢の底は赤い液体のプールで、傾斜した壁面を、その地肌を隠すまでに膨大な本数のパイプが覆っている。
パイプは水面から延びていて、水面から離れるにつれて先細りになって行く。
一本一本のパイプは一見して木の根に似ているが、自然の木の根のように手探りで枝先を這わしているのではなくて、規則立った仕方でめいめい気を遣いながら身を伸ばしている。
そうした結果、白亜の彫刻のような観を呈している。
一定の間隔を置いてパイプの避けて通る窪みが幾つもあり、その窪みにはそれぞれ子供の背丈ほどの大きさのカプセルが据え付けてある。
カプセルは赤い液体で満たされていて、その中に、四肢の無い人間らしき輪郭が微光で透いて見える。
起伏のなだらかさを見るに第二次性徴を終えてさほど経っていない少女と思われた。
赤い液体に浸った彼女たちは時折、首と腰とで身動ぎする。
もし四肢があったなら、狭いカプセルの中では寝返りも満足に打てなかったろう。相当な窮屈を感じるに違いない。
子宮に合わせて手足を切り詰めたことが彼女たちにいかなる影響を及ぼしているかはわからない。
赤い液体の透明度では、体の線は捉えられてもその表情までは読み取れない。
しかし幸福そうな顔をして幸福な夢を見続けていると想像するほうが、能面のような顔を思い浮べるより穏便といえよう。
静寂が破られる。カプセルを固定するとともに赤い液体を供給する補助アームが外れたのである。
微かで短い機械音であったが、耳の痛くなるほどの静寂を常態とするこの空間では、それは山彦のように響き渡った。
水面の波紋が乱れる。僅かな間を置いて天井から三本のクレーンが下りて来る。
クレーンたちは無数のカプセルから三つのカプセルを選び取り、それらを慎重な手つきで持ち上げて行く。
天井に空いた大穴の暗闇にカプセルが消えた。機械音が途切れる。
波紋の乱れで水面が波打つ音も、じきに補正されて消えてしまう。
残る無数のカプセルは以前と何ら変わりなくそこにあり続け、少女たちも眠り続ける。
ベンセレム第七管理局局長ポスト・フェストゥムが指令部に入って来たとき、真っ先に直立不動の姿勢をとったのは指揮官を務める男性型イェニチェリー・モロンであった。
「お疲れさまであります! ポスト・フェストゥム局長閣下!」
きんきんと響く声色で彼がお決まりの文句を発し終えるのと同時に、管制に当っていた数十体のモロンも立ち上がって気を付けをし、同様の文句を朗誦した。
ポストは整然と配置された端末と見やすく工夫された大型モニター、それから彼の目を凝視するモロンたちの姿をざっと見渡すと、
右腕を上げて握り拳を作り、人差し指と中指の隙間から親指を突き出して見せた。仕事に戻れという合図である。
先のイェニチェリー・モロンも含めた全てのモロンたちが即座に向き直り、主人であるコーディネイターから下された至上命令に従い何事もなかったように各々の作業を再開する。
実際にモロンたちの意識からしてみれば、ポスト・フェストゥムというコーディネイターが顔を出したことなどあって無かったようなものである。
ポストは手近なところにいる一体の女性型モロンに目をやった。彼女はオペレート用に製造されたモロンである。
やはり端末の前に整列して順調に機能し続けている。両隣で作業をしているモロンと同型であるから、肌の染みなどの後天的で瑣末な相違点を除けば一様な外見をしている。
顔立ちは彫りが浅すぎ、背丈もコーディネイターでいえば幼年期ほどである。
辛うじて人の形をしているが、その一般的な価値をいうならば、彼女ら自身が操作している端末の部品の中でも最下等の部品に過ぎないといえる。
『アメタペイスト各機、固定完了。起動作業開始』
見目の良いアナウンス用モロンがよく通るがこしらえ物めいた音声を発すると、ポストは観察の目を大型モニターに転じた。
モニターには黒いロボットが三体映っている。
人間を十倍したほどの大きさのそれらは、MS(モビルスーツ)と呼ばれる乗り物の一種である。
MSとは移動手段やスポーツなど、屋外での娯楽に用いる乗り物で、成人コーディネイター一人あたり最低一機は所有している生活必需品である。
しかしモニターに映っているMSは日ごろ町で見かける民生品とは毛並みが違い、コックピットのある胴体が小さく、人間に近い体つきをしていた。
まず目を引くのは足首まで届くほど大型のスカートユニットである。
前後左右の四つに分かれ、足の可動を邪魔しないためか前方の一つは他の三つに比べて小ぶりに出来ている。
その体は、甲冑じみた黒いカウルで覆われているが、二の腕と太腿のところでは細いフレーム部分がむき出しになっているために、ひどく華奢な印象がある。
スカートユニットの縁、手首、首周り、胸元、肩の上部といったところはひだの付いた白色の特殊装甲になっていて、黒ずくめのなかでは際立って見える。
蓋しこのMSの設計者はビスク・ドールの類を意識したのであろう。
事実三機のMSの肩にはそれぞれDoll-Aという文字と二桁の機体番号が書いてある。
全体として実用性よりか見栄えを重視したのではあるまいかと思われる外貌であった。
一昔前なら商品価値が生じたかもしれないが、ゴルフクラブやフットボールシューズなどのスポーツ用品すらなく、
アイスクリームメーカーといった最低限のオプションさえ付いているかも疑わしいこの手の代物は、もはや流行おくれも甚だしい。
各々の部品の精度や仕上げの細やかさは一驚に値するとはいえ、現代大衆の好みに合うかと問い詰められれば、設計者はシャッポを脱がねばならないであろう。
『コックピットハッチ展開』
というアナウンスとともにその胸部装甲が割れて、人ひとり入れるかもわからない広さのコックピットが外気に晒される。
胴体の大きさからしてオーディオ機器やバスタブがあるのは期待できないけれども、リクライニングシートすら見当たらなかった。
卵形の小部屋のあちこちから端子らしきものが突き出ているばかりである。
『CPUセミ・モロン、挿入』
天井にぶら下がっていた三本の運搬レールが降りてきて、コックピット内部から延びた補助レールと連結する。
異常の無いのを無数の作業用モロンたちが確かめると、格納庫に三つのカプセルが運ばれて来る。
カプセルは結構な速度でレールを走っていたが、コックピットに近づくにつれて減速し、最後は作業用モロンたちの手作業で静かにコックピット内部に滑り落ちて行く。
コックピットの底にたどり着いて各部の接続が済むとハッチが閉まり、サブウインドウが開いて内部の様子が映し出される。
『高濃度流体スメッグ、排出』
スメッグと呼ばれた赤い液体が排出されて、中のものがはっきり見えるようになる。艶のない白色の髪をした少女たちである。
顔の作りや胴体の起伏の具合は、成人する一歩手前ほどの年頃のものである。
肌の色合いは、静脈が目立つくらいに希薄である。これは先天性のものではなく成育の環境によるものであろう。
四肢の付け根であったところには黒い円盤が嵌め込まれているに過ぎないが、
本来起こるべき筋肉の退化は見られなくて、手足の無いことに目を瞑ればそれなりに均整の取れた体つきであるともいえる。
三人の少女たちは覚めているのか眠っているのか分からない琥珀色の目を虚空にさまよわせながら、だらしなく口を半開いていた。
『体内スメッグ、中和』
少女たちの目が見開かれた。脳の働きを麻痺させていた薬品を中和されたことで、少女たちは全身を激しく痙攣させた。
四肢がないため小刻みに揺れるばかりである。拘束の必要もない。
白痴の顔から一転して少女たちの表情が理性動物らしく整うと、他のモロングループとは違って、それぞれの顔や体の作りにそれなりの差異があることが目に付き始める。
Doll-A69の少女は僅かながら胸部の発育が別の二人より進んでいるし、Doll-A27の少女はやや鼻が高く額が広い。
Doll-A07の少女はといえば、胸部、腹部ともに肉付きがいささか心もとないが、顔立ちは最もコーディネイター好みであるといえた。
四肢の付け根の円盤が端子に接続され、生理状態に合わせた調整が始まったとき、ポストは司令部のモロンたちの様子を観察し始めた。
セミ・モロンの少女たちがモニターに映ったあたりから、なにやらいつもと違った気配を感じたのである。
ありふれた大量生産モロンたちに異変は見られない。皆が皆真剣な顔つきでせわしげに働いている。
アナウンス用モロン、情報処理用モロンといった割合高価なモロンたちも正常に機能している。
最も値の張るセミ・モロンの少女たちも同様である。ポストは半ば確信を持ってイェニチェリー・モロンへ歩み寄った。
前に回って顔を見ると、やはり異常が見つかった。彼は唇の端を少し開いて、モニターのDoll-A07の少女を凝視していたのである。
ポストはイェニチェリー・モロンの名札に書いてある文字を読み上げた。
「ザリー・マッカティン君」
「御用でありますか、閣下」
イェニチェリー・モロンの特権として与えられた固有名詞を呼ばれて、ザリー・マッカティンは規定された通りの条件反射を示した。
「君は今、何を考えていたのだね」
ザリーは即座に答えた。
「申し訳ございません。E37564ザリー・マッカティンには、そのように高度な思考をする能力が備わっておりません」
これも規定通りの条件反射である。
「Doll-A07のセミ・モロンに、何か思うところがあるのかね」
「申し訳ございません――」
言葉を変えて質問してみても、ザリーは先ほどと同じ答えを返すだけであった。
〈自覚症状は無いか。優秀過ぎるのも考えものだ〉
ポストは拳から親指を出す例の仕草をしてザリーを仕事に戻らせた。
『アメタペイスト全機、エランバイタル安定。神経電位接続完了』
モニターを見れば、三機のアメタペイストは既に発進準備を済ませてポストからの命令を待つばかりとなっていた。
キロプティーランスと呼ばれる細長い円錐型をした武器を両手で構え、いくぶん前かがみの姿勢をして、スカートユニットを後に向けて広げている。
「アメタペイスト、出撃」
ポストは大仰な動作でもって右腕を右斜め上方へ払った。
アメタペイストが完全に起動し、全身に張り巡らされた溝がエメラルド色に発光する。
スカートユニットの後方の空間が微かに歪んだ。けれども空間に生じた波紋を監視カメラが捉えた一瞬後にはアメタペイストの姿は無い。
立て続けに広がった波紋の痕跡が発進口方向へ伸びているばかりで、その蛇腹にしても数瞬間で消えて行く残像に過ぎなかった。
夕凪が終わった。
大気はいよいよ澄み渡り、空の色付きが薄らいで行く。夜の到来を前に虫は慌てて喋り散らし、犬は焦れて遠吠えする。
微風に撫でられて、葦たちですらものを言い始める。
草むらに打ち捨ててある割れ瓶は、自分だけ声を出せないせいか、中に溜まった雨水を揺らして不服そうにその割れ目を光らしている。
草の上に寝ころんでいる青年も周囲の興奮に中てられたのであろう。
彼は隣の女性の注意を惹くべく、独り言のような口ぶりをして言った。
「君に、本当の空を見せてやりたいんだ」
彼は空に手をかざした。もはや青空は無かった。千切れ雲の後ろには、灰色の天蓋がむき出されていた。
天蓋は表面にある無数の電飾を瞬かせながら、その日の勤めを果たし終えようとしていた。
真昼ではどこまでも続いて行くように思わせた空は、今になって機械部品の壁という本来の姿を取り戻し、開放感を閉塞感にすり代える。
夜が訪れると、人々は家の中へ逃げ込む。小なる不自由でもって大なる不自由を忘れんがためでないとは言い切れない。
青年は舞台装置の向こう側にある光景を思い浮かべながら、伸ばした手で空を掴んだ。
「自由を、外の世界を」
彼がどのように空想を弄んでいたのか定かではない。
虹色の空間や目を開けていられないほどの眩さといった未知の視覚を想像したのか、
いかがわしいパンフレットに書いてあるような物質的幸福に満ち満ちた天上の楽園という類のものか、
さもなければ当人が語りかけている女性に関連した空想であろう。
青年客気の特質を鑑みて、おそらく最後のものが有力と思われる。
彼は微かな衣擦れの音が聞こえた気がして、彼女のほうを覗き見た。彼女は俯いていた。
天蓋から発せられる人工光は途絶えつつあり、彼女の顔は暗がりで見えなかった。けれども彼は彼女の無言の抗議を感じたらしい。
彼は自分の決意の正しさを確信していたが、信念が固まるほど良心の咬む力も弱まるとは限らない。彼は視線を逸らした。
間もなく夜になった。山の向こうには天蓋へと繋がる長大な柱が見え、そこの電灯から発せられる淡い光と家々の灯りとが暗闇を和らげていた。
彼は彼女との別れ際に言った。
「無事に帰って来られたら、そのときは――」
彼の申し出は早急に過ぎたと言う人があるかもしれない。
しかし、人生の半分にかかわる決定となると若気のあやまちからでなくしては絶対に出来かねぬものではない。
男女の情においては殊にそうである。
感じやすい青年にとって色事の思い出は餓えて口にした生米のようなもので、噛めば噛むほどいい味がする。
彼は戦い前の不安を紛らわすために、かつての恋人であり現在の婚約者である女性のことを心に思い描いていたのであった。
「――シヴォーフ、おい、シヴォーフ。同志シヴォーフ・ラーグ」
青年の夢想は彼の名を呼ぶ野太い声で中断させられた。
引き戻された現実では、彼自身はMSの窮屈なコックピットに座していて、彼の真正面では通信用サブウインドウが最大で開かれ、その額縁の中は男の顔面で占められていた。
むさくるしいことこの上ない。男の顔には不均等な長さの無精ひげが散在し、長らく手入れされていないであろう眉毛は眉尻で乱れている。
近年後退を開始した生え際の付近には、生気を失いつつある軟弱な縮れ毛が幾本か肌に張り付いている。
ものの哀れを思わせるより聊か不潔な感じがあった。
『我が同志君、お昼寝中たいへん申し訳ないがそろそろ到着時間だ。ついでそちらの機体も起こしてくれると助かる』
嘲るような調子の声色である。シヴォーフは膝に置いてあったインカムを付けると少し強い語調で言った。
「わかってますよ。同志、バッシュ・ビッシュさん」
バッシュは黄ばんだ目をわざとらしく細めた。
『誰が同志だ。一丁前に党派心出しやがる』
「あなたから仕掛けた嫌味でしょうが」
この与太者じみた先輩とのやり取りで真っ当な受け答えを期待してはいけない。
シヴォーフはバッシュ・ビッシュという男について、知能が中学生のまま成育してしまった中年男性という印象を持っていた。
それでいてシヴォーフと十も年が違わないのであるから、人間の個体差というものは恐ろしい。
シヴォーフはバッシュをあまり好いていなかった。
それは単なる毛嫌いという他に、シヴォーフ自身にも気付けない程度に根の深い嫉妬が遠因である。
MS操縦に関する教師と教え子という関係や、組織内でのバッシュの権威が無かったなら、
或いは彼自身がバッシュと同程度に廉恥心が欠如していたならば、彼は公然とバッシュに食ってかかったかもしれない。
シヴォーフは実戦の経験は皆無であったが、単純な操縦技量ではとっくにバッシュを上回っていると自負していた。
シミュレーターでも八割方勝利できる。シヴォーフにしてみれば、そのことだけでもバッシュを口先だけの役立たずと侮り、軽蔑するには充分であった。
シヴォーフの乗るMS、NAS-97ティハターンの起動作業が完了し、モニターに格納庫の光景が映し出される。バッシュのMSが動き出すのが見えた。
バッシュの乗る機体はCOS-Kキルケニーといって、ティハターンとは違い、コーディネイターの廃棄したレジャー用MSを改修した機体である。
粗大ゴミを弄ったものというと聞こえは悪いが、その性能は侮れるものでは到底ない。
貧弱な技術力で開発されたティハターンなどのNASタイプに比べれば、COSタイプのMSはオーバーテクノロジーの塊ともいえるのである。
この貴重なCOSタイプを搭乗機にしているのが自分ではなくてバッシュであるという事実も、シヴォーフが彼を厭う根拠の一つであった。
キルケニーは熊と猫とをかけ合わせたような躯体を起き上がらせた。
丸っこい二つのメインカメラと三角形の二基のアンテナ、それからぬいぐるみめいた体型とが相まって、猫をモチーフにしたマスコットを連想させる。
しかしその左腕のパイルバンカーユニットはティハターンの胴体を容易に貫き、右腕の火炎放射機は死体を片付ける手間を省かせる。
元は居住ユニットであった大型バックパックはガトリングガンユニットに換装され、機動性が増すとともに移動砲台の役割を果たせるようになっている。
勿論、ずんぐりした体型に見合って装甲も頑強である。コストパフォーマンス以外でティハターンの勝っているところといえば、人型MS特有の汎用性くらいなものである。
その汎用性にしたって器用貧乏の域を出るものではない。頼りない五指が握れる銃火器の威力はたかが知れている。
シヴォーフたちの機体を含めて八機のMSが荷物搬入用の大型ハッチの前に整列した。
八機のうち五機がティハターンで、二機がキルケニー、そして一機だけCOS-DディズンというMSである。
キルケニーと同様、このCOSタイプのMSも純粋な人型をしていない。瓜の実が手足を生やしたような体つきをしている。
その四肢は柔軟性と頑強さを併せ持つ多重関節となっていて、いかにも子供が落書き中にとって付けたという印象がある。
頭部には二基の大型レドームを搭載し、キルケニーが猫ならばこちらは鼠といった按配であるが、性能に関してその比喩は当てはまらない。
換装機能を持たず、武装が両腕のアイアンネイルと腹部機関砲二門という固定武装に限られている代償に、白兵戦闘力は他の二機種を大幅に上回っている。
それだけに扱いにくくもあった。
『ぬぁにちんたらしてんのよアンタたち! 遊びでやってんじゃないんだからね!』
一番遅れてやってきたシヴォーフとバッシュを叱責したのがディズンのパイロットである。
『んだよナギ、青い日か』
『死ね老け顔。それとそこな新人、もっとシャキっとなさい! シャキシャキっと!』
「は、はい。すみません」
シヴォーフは怯んだ。通信用サブウインドウに映るナギという女性は、黙ってさえいれば繊細そうな器量よしなのであるが、その人格についてはシヴォーフの婚約者とは比ぶべくもない。
『止さないか、ナギ』
「ケレンさん」
シヴォーフがケレンと呼んだ青年の温和な声が響くと、ナギは決まり悪げに口ごもった。
いくら胆汁質の彼女とはいえ、今は大事な作戦の前である。MS隊の隊長を務めるケレンに噛み付くのは控えたのであろう。
ケレンに続いて、サブウインドウが新たに四つ開かれた。四人ともパイロットたちである。
『みんな揃ったね。わざわざ言うまでも無いだろうけれど、これで最後だから、一応役割分担を確認しておくよ。
まずはナギとコンティ、君たちは突入役だ。ナギのディズンが先行、コンティのキルケニーはナギを援護しつつ進んでくれ』
『いちいち言わなくてもそんなのわかってるわよ』
『了解だ』
と、コンティと呼ばれた黒髪の青年がナギのぼやきを聞き流して応答した。
『夫婦仲良う頑張っていらっしゃいな』
バッシュが茶々を入れた。共有回線で全員分のウインドウを映すとなると、それぞれの目線の区別が付かなくなる。
それ故、ナギが誰かを睨みつけるたびにシヴォーフはどきっとさせられる。色気の有無は言うまでも無い。
元の顔立ちが小奇麗にまとまっているので、それだけに凄みがあった。
『バッシュおじさん、そのしまりの悪くて薄汚いお口ね、針金できれいに縫い付けてあげましょうか』
『だってよ、コンティ。今夜のお楽しみが増えてよかったな』
コンティが嫌な顔をした。無論、バッシュに対してである。シヴォーフは指でこめかみを揉みたくなった。
バッシュ・ビッシュ、ナギ・ヴァニミィ、コンティ・ネイブリットの最古参メンバー三人が揃うといつもこうである。
常に気を張っていろとまでは言わないが、時と場をわきまえてもらいたい。
新入りらしくない不遜ではあるけれども、こう目の前でちゃらけてばかりいられてはシヴォーフの決意の立つ瀬が無いのである。
『さて、ナギとコンティはこれでよしとして』
ケレンが言うと、ナギとコンティの通信回線が閉じられた。隊長権限で強制遮断したに違いない。
『残る僕たちは外で敵機の一掃に当たることになる。二機ずつのペアでだ。
バッシュとシヴォーフ君は北側、デッドとカマッセは南、僕とジョウはヴェスタの周辺が担当だ。
あくまで保険だからといって気を抜かないように。もしナギたちが手間取ったなら、その分だけ危険が増すことになる』
ケレンがインカムに触れた。ブリッジからであろう。
『あと十分ほどでヴェスタが目標地点に到達するそうだ。各自、いつでも降下できるよう準備をしてくれ』
いよいよ実戦となると不安な気持ちが否応無くぶり返して来た。
つい先ほどまで賑やかであったコックピットの中はいやにしんと静まり返って、しだいに、自分の息遣いの音がはっきりして行った。
心臓が激しく鼓動するのまで聞こえる気がする。聴覚の鋭敏さを減ずるべく誰かと話したいという欲求が自負心に勝った。
シヴォーフがコンソールに手を伸ばしたとき、
『オムツ要るか、シヴォーフ。今なら安くしとくぜ』
「結構です」
よりにもよってバッシュである。シヴォーフはケレンあたりに通信を繋ごうと思っていたのである。
八人のパイロットのなかで真っ当な人間といえば、ケレンとコンティくらいしか心当たりがなかった。
生憎コンティにはナギがいる。デッドとカマッセとは親しく話したことがない。残った二人、バッシュとジョウは論外であった。
シヴォーフは不安を煽るようなことを言うことにした。
「本当に、大丈夫なんですよね」
『MOSタイプの火気じゃヴェスタのSEフィールドは抜けられんさ』
「定言命令もですよ。本当にモロンに効くんですか」
『どうだかしらん。ひとまず向こうさんの自己管理能力を信用しておけよ』
「それに、Dollタイプが現れたら」
『そんときゃそんときだ。腹ァくくるしかない』
「無責任ですね」
『そもそもハナっから綱渡りなんだよ。下界で地道にやらずに、天国で楽して儲けようって腹なんだ。
だがそんな虫のいい話はない。現実じゃ俺たちは、一たす一でなしにゼロに百万をかけるのを選んじまったっつうことさ』
「ゼロは何をかけたってゼロですよ」
『そこはまあ、神さまあたりにご期待してだな』
「目茶なことを言いますね」
『自発的革命は総じて目茶なものさ』
バッシュが真面目な顔をした。
『なあ、どうして今日はそんなに突っかかる。俺のふやけ言葉なんぞ世辞か中指であしらっときゃいいだろうが』
シヴォーフは不意を衝かれた気がした。バッシュの口元がいやらしく歪んだ。シヴォーフはやり返さねば気が済まなくなった。
「僕は、僕は死にたくないんです。無駄死には嫌です。殉教もまっぴらです。モロンみたいになるのはなおさら嫌だ。
何かしら自分の納得の出来る確証が欲しい。僕は、どうしても生きて帰らなきゃいけないんです」
『女だな』
図星である。
「いけませんか」
『いいや、はっきりしてるだけ上等だろうよ』
「バッシュさんは」
『ん』
「なぜ解放戦線に入ったんです」
『そういうことは出撃前に尋ねるものじゃない。生き残りたきゃあな、ルーキー。心残りは敢えて残しておくもんだ』
「この山師、はめやがった」とシヴォーフは思った。自分はまんまと乗じられて、彼に揶揄の種を提供してしまったのである。
作戦が終わったら、彼はシヴォーフに色気のあることを吹聴するに違いない。
ブリッジから通信が入った。作戦の第一段階は終了し、定言命令も予定通りの効験を見せたらしい。
通信画面のバッシュが手でインカムの位置を直しながら言った。
『いけるな』
「いけます」
『いい返事だ、尻を貸そう』
「了解しました。ジョウさんに伝えます」
『止せ。やつは本物だ』
小銃の紐を肩にかけたまま棒立ちになっているアーミー・モロンを、巨大な足が踏み潰す。
一切の手抜かり無く舗装された路面に水分が擦り込まれ、骨屑と鉄屑とが硬い音をたてた。
巨大な足のすぐ横には、たまたま踏まれるのを免れたもう一体のアーミー・モロンがだらしない顔で立ち呆けている。彼の小銃は足元に転がっていた。
彼はすぐさまそれを拾い上げて目の前のティハターンに発砲しなければならないのであったが、その過剰な闘争心すら発揮できず、相変わらず幸福な健忘状態にある。
ティハターンのもう一方の足が迫って来て彼を蹴り飛ばした。彼はいやに軽い音を鳴らして水平方向に飛んで行き、縁石の段差に足を引っかけて倒れた。
彼の体は、正面から見てわき腹を支点としたくの字に折れ曲がっている。
ティハターンが体勢を崩して転びかけた。先だって踏んだアーミー・モロンの残骸で足を滑らせたのである。
その姿を見たバッシュから通信が発せられる。
『シヴォーフ、アーミーに構うなよ』
「それくらい承知してます」
シヴォーフは苦々しげに舌打ちをしてティハターンの足を路面で拭った。
シミュレーターでは再現され得なかった鮮やかな赤色が、いちいち彼をためらわせた。
進路には相当な数のアーミー・モロンが見える。シヴォーフは陸路では埒が明かぬと考えて、テールノズルを起動した。
ティハターンが跳躍して瓦礫の上に着地する。
「最初からこうすればよかったんだ」
数機の敵MSの姿が視界に入った。どれも頭が無く、モロン用であることを示すMOSという文字が肩に書いてある。
そして生身のアーミー・モロンと同様、狙いをつけても回避行動をとる気配を見せない。
ティハターンは足裏のスパイクで足場を固定し、両腕でアサルトライフルを構えた。
「ビアーはこっちで落とします。ヒューブリスは任せましたよ」
ビアーはコックピットのある胴体をあっけなく撃ち抜かれて膝を突いた。
装甲がめくれて内部が露出しているのを見れば、弾丸の威力よりその装甲の厚さに驚嘆するであろう。戸板を割るようなものである。
ビアーの残骸を飛び越えて行くMSがあった。バッシュのキルケニーである。
ティハターンの砲撃で生み出された幾つもの残骸を、全身のスラスターと四つん這いの四足歩行とで避けつつ進んで行く。
その先にはヒューブリスと呼ばれたMSが立ち、キルケニーが来るのをじっと待っている。
ビアーと同じモロン用MSであるが、ビアーより横にも縦にも大きくて装甲もそれなりの厚みがある。
おそらくビアーが機動性を優先したのに対し、ヒューブリスの設計は耐久力を重視したのであろう。
キルケニーがヒューブリスに肉迫して左腕のパイルバンカーユニットを起動した。
左腕と足元から炸裂音が二重に響き、二機のMSの振動で塵が舞い上がる。それから思い出したように薬莢が排出された。
『硬ぇな』
バッシュはそう呟いてパイルバンカーユニットを構え直した。
反動で路面にひびが入り、それを踏みしめるキルケニーの関節が軋んだ。杭は二度目の衝撃でようやく中枢に達してヒューブリスを機能停止に陥らせた。
同胞の死骸の前に棒立ちでいるアーミー・モロンを見て、シヴォーフは独白した。声がやや上擦っているのは高揚のためであろう。
「コーディネイターはこんな連中をはべらせてよく正気でいられる」
キルケニーが別のヒューブリスに突進してパイルバンカーユニットを突き立てた。排莢が二度続けざまに行われ、ヒューブリスが転倒する。
ヒューブリスの周囲に立っていたアーミー・モロン数体が下敷きになった。
『向こうもビジネスマンを見りゃ同じ台詞を吐くだろうさ。いつでもどこでも、人間は人間を家畜にしている』
「何も哲学しようというんじゃないんです。ただ気味が悪いんです。
……どれもこれもが同じ顔、動いていれば機械と同じ、動いてなければ――人形ですよ」
シヴォーフはわざとらしい韻を踏みながらアーミー・モロンの死骸を見た。
モロンはヒューブリスの残骸で下半身を潰され、生命機能を停止しようとしていた。
シヴォーフは胃の中の昼食を心配しただけで、アサルトライフルでビアーを撃つ手は止めなかった。
彼は務めを果たしていた。彼は立派にやっていた。これは必要なことであり、好きでなくともやらねばならなかった。
「こいつらモロンは人じゃない。ゲームみたいなものなんだ」
シヴォーフはためしに口の中でそう呟いてみた。明確な殺人の意識を感ずることはなかった。
どうにか言葉通りの意味で受け入れることが出来た。
飛行艦ヴェスタのブリッジから通信があるころには、シヴォーフとバッシュは十以上の敵機を破壊していた。
動かない敵機をただもう撃って行くというだけであったが、シヴォーフの経験とバッシュの技量を考えれば割合上々な戦果といえた。
『ロウから伝言だ。ナギとコンティが例のものを確保したそうだ』
「リーダーから? 新型のDollタイプ、本当に実在したんですか」
『おうさ。ウーティスの読みが当たったらしい。でだ、シヴォーフ』
通信画面のバッシュが愉快そうに口の端を釣り上げた。
『そのDollタイプな、ガンダムにそっくりなんだと』
「ガンダム? 絵本とか昔話の、あのガンダムですよね」
『そしてガンダミズムの、ガノテア機関の偶像様でもある』
バッシュの不穏な付け足しをよそに、シヴォーフには幼少時の記憶が思い出された。
物心付いて間もない時期、即ち充分にものを判断する能力を持たず、殆ど動物同然に振舞っても許され得た時期の記憶というのは、
青年から老年にかけたどの年齢で思い描くにしても、婦人の顔面と同様で巧妙な偽装を施されるものである。
思い出は人相に似ていて、距離を置けば荒が隠れるが、近寄って見ればあまり愉快でない思いをする。
毛穴をじっくり吟味して満足を覚える者はごく少数であると思われる。
相手をやり込めようという魂胆のない限り、旧友同士の談話の要点は近況より思い出に傾き易い。
僅かな間、シヴォーフは戦いの中で戦いを忘れた。
敵が棒立ちの的に過ぎず、彼自身は作戦前の気張りのためにかえって拍子抜けのした状況である。
彼は幼き日の自分が紙工作の武具を纏い、ガンダムごっこに興じていた場面を描くことに脳の働きの一部を割いてしまった。
けれどもここで逞しゅうされた空想力を糾弾するのは公正でない。当人がそれを咎めても、思惟とは半ば自動の作用である。
それどころか弾性までも備わっている。懐かしいにせよ忌々しいにせよ、全き任意の忘却や集中の機能がこの動物に備わっていたならば、教師も体刑に頼るまい。
加うるに彼の見逃した異変は、普段の状態でも気付けるか疑わしいほどに些細なものであった。
ビアーの残骸が微かに動いていた。既に沈黙したと思われた敵機にティハターンは、注意ではなく無防備な背中を向けていた。
このビアーはティハターンのアサルトライフルで胴体を撃たれていたが、弾丸は胸部機関砲の機構とその周辺を破壊するにとどまっていた。
中枢機能そのものは無事なままで、転倒したのは衝撃のためである。
パイロットのアーミー・モロンはコックピットの変形で腿から下が拉げていたけれども、残存武装の掘削破砕マニピュレータを起動しつつ、脚部のスラスターでティハターンへ突進するのに支障は無かった。
首無しのMOSタイプのメインカメラは、人間でいう鎖骨の窪みのあたりに付いている。その単眼が、ぼんやりと明滅した。
螺旋状に溝の彫られた円錐が高速回転する。唸りは瓦礫とスラスターの音を掻き消し、警笛のように鳴り渡った。
ティハターンの情報処理能力が鈍重なりに敵機の再起動を示すよりも、シヴォーフが異音を訝り、バッシュの声の届くのが早かった。
『伏せろ!』
バッシュの真剣な声色にシヴォーフの体は即座に反応した。
ティハターンが足を縮めるや否や、連続した発砲音と炸裂音が響いて、すぐに止んだ。
それでも異音は続き、なにかを削るような断続的な雑音も混じっている。
ティハターンが頭を上げた。頭を抱え、臀部を突き出す形で縮こまっていたのである。
MSでいえば数歩ほどのところには、半壊したビアーがあった。
ビアーは作動したままの掘削破砕マニピュレータを頑是無い子供の如く振り回しては、瓦礫や路面を徒に傷つけていた。
千切れた足がすぐ傍に転がり、当の主人はうつ伏せのまま起き上がれないでいる。
その有様は、頭をもがれ羽を毟られ、ついでに尾を切られた蜻蛉を思わせた。
シヴォーフも子供の頃は虫けらを玩具にして遊んだことがある。
哀れな虫が踊ったりひっくり返ったりして足掻く姿は見応えがした。無茶な解剖を道楽にする点で幼児はあらさがし屋と共通している。
片輪の虫がとうとう息絶えたとき、幼いシヴォーフたちは残酷な、そして勝ち誇った歓声を上げたものである。
けれどもビアーというMSは虫や人よりいくらか単純で頑丈に出来ているだけに、何かしらわかり良い致命傷を与えないかぎり、不具のそれの末路は決定され得そうになかった。
ガトリングガンの発射態勢で屈んでいたキルケニーが身を起こした。シヴォーフのティハターンを押し退け、ビアーの背中に足を置く。
体の重心を押さえつけられたビアーはいっそう激しく両腕を振り回した。
キルケニーは無造作にパイルバンカーをビアーの肩関節に当てて作動させ、続けてもう一方の肩も同様に打ち抜いた。
風穴の直径は腕を千切り取るには足りないが、内部の回路を切断するにはそれで充分であった。
掘削破砕マニピュレータの回転が止み、だらりと重力に身を委ねた。ビアーはもはや動かなかった。
「何を」
キルケニーがビアーを蹴り転がして仰向けにし、装甲の裂け目にパイルバンカーの先端を引っ掛けた。装甲は腕力で容易く剥ぎ取られる。
『見てみろ』
バッシュに促されてむき出しのコックピットを覗き込むと半死半生のアーミー・モロンがあった。
アーミー・モロンはその丸く盛り上がった眼球をせわしく蠢かし、両手で操縦桿をがちゃがちゃ鳴らしていた。
顎肉の弛緩を見るに、褐色に濡れそぼつ腰部から苦痛の信号が発せられるかは疑わしい。
『キの字なツラして、握った棒を離しゃしない。このごろの管理局は不祥事が多くて困る』
「というと」
『不具合だよ。不良品が混じっていやがった。役所の怠慢だ』
「定言命令が、効果しなかったというんですか」
『半々ってところかね』
そう言うとバッシュはいきなり、キルケニーのパイルバンカーの先端をアーミー・モロンに近づけた。アーミー・モロンは目をぱちくりさせた。
『さらば苦悩の友よ』
あまりに出し抜けで顔を背ける暇の無かったシヴォーフは初め目の前の出来事の意味が飲み込めないでいた。
杭が引き抜かれて内装の残骸が崩れ落ちる間際、人体の分離した断面が一瞬目に映った。意表外の色合いをしていた。
モロンといえども情ない仕打ちに思われた。このような情緒を生ぜしめられたのに一拍置いて激しい感情が沸き上がった。
彼は義憤に駆られて激昂しかけた。それを押し留めたのは、別働隊から発せられた緊急の通信である。
『Dollタイプだ!』
カマッセの映る通信画面は僅かの時間シヴォーフの目を眩ませてその役目を終えた。
シヴォーフはティハターンのカメラを別働隊のいた方角へ向けた。
味方機の姿は瓦礫に遮られて確認できないが、布切れを引き裂いたような形の青白い光の塊が幾つもそこに降り注いでいるのが見えた。
通信はカマッセもそうであるがデッドにも繋がらない。ティハターンのセンサーは連続した爆発音と辺りを照らす白光ばかりを捉えていた。
「バッシュさん!」
遠い灰色の空が霞んで空間そのものが波打つように歪むのを望遠カメラが捉えた。
『わかってらぁ!』
キルケニーのバックパックユニットで、ガトリングガンとは別の大筒が立ち上がった。筒の表面には金釘流の書体で『SANSHAKU-SHELL』と書いてある。
『汚ねぇ花火も気休め程度には!』
子供の身長ほどの直径の大玉が、笛を鳴らすのに似た音を伴って打ち上がった。
ティハターンは胴体から煙を上げていた。生体反応は絶無であるが、アメタペイストのキロプティーランスはその先端から光を放つのを止めなかった。
もはや鉄屑と変わりないティハターンを、白光で塗りつぶすように丹念に削って行く。胴体、肩、足、頭部、それからまた胴体という按配である。
腕が千切れ飛んで壁に叩き付いた。無論、コックピットブロックなどは跡形も残らない。
『Doll-A07、NAS-97撃破』
『Doll-A69、全目標補足完了。アンノウン一、SEジェネレータ搭載艦一、COS-D一、COS-K二、NAS-97三』
『Doll-A27、Tセンタービル区画、損害状況把握完了』
全天周囲モニターに幾つもウインドウが開いて、コックピットに合成音声が入り乱れる。
『Doll-A07、エランバイタル規定範囲内。SEフィールド出力正常――戦闘続行』
エネルギーラインが発光してアメタペイストが加速した。
パラメータがせわしなく変動し、灰色の空やMSの残骸が過ぎ去って行く。
そんなモニターの光景とは裏腹に、四肢を繋がれた少女は瞬き一つせず、その表情は人形めいていた。
地上のキルケニーから放たれた大玉が空中で弾けた。銀色の液体が膜状に広がって瞬時に硬化し、遅ればせの爆風でばらばらに砕け散った。
無数の破片が万華鏡のように光を乱反射してアメタペイストの感官機能と推進力を減退させる。
『周辺に光学式攪乱膜。SEフィールド減退率上昇』
アメタペイストのバイザーに光の線が走った。側頭部のブレードから花弁に似た形の光の雫が散った。
『圧縮SEフィールド、解放』
不可視の斥力場がキロプティーランスを媒介に拡張する。
スカートユニットが重力の戒めから解き放たれて、ふんわりと浮き上がった。その隙間からは太腿が覗いて見える。
足の付け根が見えるか見えないかの間際、アメタペイストは舞うように全身を回転させ、空をなぎ払った。
金属片の雲は突風によって切り裂かれ、地を駆けるキルケニーとティハターンが露わになった。
少女の神経に伝わる信号は腕の断面で電子回路のそれに変換され、MSの仕草でもって直接に報いられる。
アメタペイストがキロプティーランスを構え直した。ロックオンカーソルが敵機に重なり、少女が引き金を引くべく自身の指を動かさんとしたとき、
『リグ・ヴェーダより緊急指令、現場保存を優先。各機、ガータースティレット装備』
少女は目を瞬いた。長い睫毛が微かに揺れた。キロプティーランスを片手に持ち替え、空いた片手でスカートの中をまさぐった。
スカートの隙間から取り出されたのは、ガータースティレットと呼ばれる十字架型の短剣である。
『Doll-A07、敵機捕捉。白兵戦闘開始』
柄の刺すような冷たさを手のひらに感じながら、少女は空を蹴った。
対Dollタイプ用の新案兵装は確かな効験があったが、それもほんの短時間しかもたなかった。
今回のように一発きりでなかったらまた違っていたかもしれない。
メカニックたちは喜ぶに違いないけれども、パイロットは生きて逃げ延びねばどうにもならないのである。
ティハターンの背が風に煽られたとき、シヴォーフは観念しかけた。
後部カメラはアメタペイストがキロプティーランスを突きつける光景を捉えていた。
シヴォーフは肩を窄めて目を瞑ったが、一秒過ぎた後も自分はまだ生きていた。
どういうわけか、アメタペイストはビームを放って来ない。銃を使うのを止して、短剣を取り出したのである。
あちらにも何やら思惑があるらしい。
『飛ぶぞ!』
バッシュの判断は妥当であった。空中で狙い撃ちに遭うのを恐れる必要がなくなった今なら、最短距離でヴェスタに辿り着ける。
アメタペイストと競争する結果を算出している余裕はない。シヴォーフはテールノズルを全開にした。
滅多に味わうことのない急加速の慣性に体が軋んだ。
シヴォーフのフライトユニット抜きでの飛行経験が数えるほどであったのに加えて、SEフィールドによる大気の不可思議な変質はティハターンのセンサーでは捉えられない。
幾重にも重なった密度の異なる空気の層が、彼の操縦に誤差を生じさせていた。
シヴォーフはなるべく真っ直ぐティハターンを飛ばすよう心がけた。障害物の瓦礫を大回りして避けようなどとは思いもよらなかった。
ここで彼の操縦技量とその驕りとが災いした。彼は紙一重でも充分に避けられると思い込んだ。
ティハターンの足先が瓦礫の山に衝突した。
突如として天地が逆転して体が前のめる。
重力は逆さまのティハターンを地面に吸い寄せ、頭部を中心に全身を九十度回転させる。惰性に引き回されてティハターンの背が削られる。
そうして目に入るのが灰色の空ばかりとなると、シヴォーフの首に鈍痛が走った。
足を引っ掛けたティハターンがつんのめり、でんぐり返しをするように前方に一回転したのである。
今は地面に仰向けで寝そべっていた。人間でも大怪我しかねない事故である。
シヴォーフははっとして首を持ち上げた。キルケニーの背中がかなり遠くなっていた。
僥倖にも打ち所は悪くなかったようで、ティハターンはすぐに立ち上がった。
シヴォーフはペダルを全力で踏んだ。テールノズルがちょぼちょぼと光を漏らした。
踏み直した。それでも煙草を吸うように鷹揚であった。踏み続けた。ようやっと体が持ち上がった。
しかし宙に浮くや否や再び安閑として重力の負担を放擲した。安全装置が働いたまま戻らないのである。
粗製濫造にありがちな不具合であった。エラーの表記が今更ながらに表示される。シヴォーフはコンソールを殴り付けた。
「この、ポンコツがっ!」
開発者はナチュラルのパイロットの荒っぽさを想定したのであろう。いらんところに気を利かしてある。シヴォーフは拳を痛めた。
情けなさやら恨めしさやら忌々しさやらを存分に味わう間も無く、接近する敵機の姿を索敵プログラムが拡大して表示する。
アメタペイストは飛び石伝いに空を蹴って、順々に波紋を生み出していた。
あたかも目に見えない水面があるかの如く、その上を飛び跳ねて渡るのである。
この仕草がひどく可憐であるのがまたいやらしい。
猛獣が全力を尽くして獲物を追うというのではなしに、小娘が手ごろな遊び相手を見つけて駆け寄って来るという感じであった。
シヴォーフは叫んだ。
「バッシュさん!」
『かまうな。ヴェスタはこれよりアサルトフィールドを使う』と、ヴェスタのブリッジからの緊急回線が割り込んだ。
ナチュラル解放戦線のリーダー、ロウ・ブレーンの声であった。
MS全機に向けた種類のものであるから、シヴォーフの耳にも届いている。
バッシュのキルケニーは名残惜しげに振向きかけたが、やはりシヴォーフを見捨てた。
ここでシヴォーフの腹が決まったかは定かではない。いかな考えが心中で渦巻いたにしろ、彼の場合は結果として感傷より生存衝動が優先したのである。
このような状況に置かれた人々の中には、あのとき額の奥で何かが弾けたと後述する者もいるであろう。
ティハターンがアメタペイストに振り返った。メインスラスターは機能しないが、サブスラスターは健在である。
ティハターンは射程距離に入らぬうちからアメタペイストを正面にして横滑りを始めた。
アメタペイストが鋭角に旋回するのに合わせて腰のパイプグレネードを一斉発射する。
棒状のそれらはSEフィールドの作用で螺旋軌道を描いて逸れた。
アメタペイストが螺旋の中心を突っ切り、ガータースティレットの先端が鈍く光った。
グレネードを発射する間にティハターンはアサルトライフルのセレクターをフルオートに切り替えている。
片腕で乱射された弾丸でアメタペイストの姿が霞む。SEフィールドの空間干渉は無数の蜃気楼を生み出した。その効果は視覚ばかりではない。
もはや両者とも回避不能の距離になる間際、ほんの僅かながらアメタペイストとティハターンの相対座標にぶれが生じ、Doll-A07の少女をしてその悟性を誤らしめた。
ガータースティレットがアサルトライフルごと右腕を抉り取る。
切っ先を包む目に見えぬ力が、ティハターンの右腕を切り裂いた端から押し広げて、粉砕して行った。しかし破壊は右腕のみに留まった。
ティハターンは大きくよろめいてアメタペイストとすれ違い、無理な回避の反動を生かして全身を回転させた。
左腕には格闘兵器のフォールディングスコップが握られている。
アメタペイストの慣性を無視した減速と旋回は確かに凄まじいものであったが、方向転換を終えるのはティハターンが一瞬早い。
スコップの先では、無防備なスカートの中が惜しげもなく晒されている。
報いた、と確信する余裕が与えられたなら、彼は眼前の光景から婚約者の痴態を連想したかもわからない。
無我夢中であったが故に、これはあくまで仮定に過ぎないのである。
「あつっ――」
シヴォーフ・ラーグの意識は途絶えて二度と戻らず、それきりであった。
ねじ上げられた左腕が付け根からもぎ取れた。どうやら強くひねりすぎたらしい。
少女はティハターンの左腕を持ったままガータースティレットを引き抜いた。
両腕とパイロットを失ったティハターンが、コックピット深くにまで達していたつっかいを取り払われて膝を折る。
倒れる間際、頭部がアメタペイストに触れそうになり、少女は大げさな身振りで身をかわした。
それから慌てたように左腕を放り投げ、手の平をひらひらと振った。まるで汚物を扱うかのようである。
『Doll-A07、NAS-97撃破』
少女はガータースティレットの先端を見つめた。べとべとの液体がこびり付いていた。
SEフィールドを小さく展開すると、汚れは空中に拡散して刃がぴかぴかになった。
つい先ほど咄嗟に投げ捨てたキロプティーランスを拾い上げて、少女は飛翔した。
『敵艦撤退を開始。作戦変更。作戦内容、SEジェネレータ搭載艦の破壊。各機、キロプティーランス高出力モード起動。チャージ開始』
MSの収容を終えた飛行艦が離陸する。三機のアメタペイストは空中に制止し、その船体に向けてキロプティーランスを構えた。
円錐形の砲身の先端が割れて付け根を中心に円形に開き、キロプティーランスが傘のような形に変形する。
『敵SE反応増大。チャージ中止。SEフィールド出力全開』
突然、辺り一面が光に包まれ、ドンと鈍器で殴るような音が鳴った。衝撃波で体が軋み、少女は眩さに目を細めた。
これは、遠い昔の話です。
「われわれに似るように、われわれの形に、これを創ろう」
天と地を造った神様は、天には天使たちを、地には人間たちを住まわせました。
天使たちは大空の上で光り輝き、地上を照らしました。
地上の人間たちは、神様の用意した食物を食べて暮らしました。神様は人間たちに告げました。
「お前たちは土から生まれたのだから、いつかは土に帰らなければならない。だが私は、お前たちが居なくなるのを望まない。
私はお前たちを、男と女に分けて造った。男と女が結び合い、一体となれば、お前たちは新しく生まれることが出来る。
だが、お前たちは無限にあってはならない。なぜなら、私だけが無限だからだ」
そうして、神様は人間と食物の数を定めて、人間たちを戒めました。
人間たちは、生み、増え、地を満たしました。ですがいつしか、人間たちは神様の戒めたことを忘れてしまいました。
神様の定めた数を越えても、人間たちは増え続けました。
食物が足りなくなり、人間たちは餓えました。そうして、やせ細った腕を大空に掲げると、神様に頼みました。
「神様。私たちを救ってください」
神様は答えました。
「お前たちは私の命じたことを守らなかった。だが、私はお前たちが苦しむのを望まない。
なぜなら、お前たちを愛しているからだ。我が子らよ、煉瓦を作れ。それで、頂が天に届く塔を建てよ」
人間たちは神様に言われた通りにしました。
天使たちの光を土に照らして、煉瓦を作り、その煉瓦を積み上げて、塔を建てました。
塔の頂が天に届くと、神様は言いました。
「この塔は柱となり、天と地を支える。この塔は道となり、天と地を結ぶ」
すると、食物を持った天使たちが、塔を伝って降りて来ました。
食物が全ての人間に行き渡ると、神様は人間たちに告げました。
「お前たちは満腹した。お前たちは餓えなくなった。お前たちは救われた。だが、もはやお前たちは増えてはならない。
お前たちの数は、私の定めた通りでなくてはならない」
ですが、人間たちは神様の言葉を守りませんでした。男たちも女たちも満腹すると、結び合うことを楽しみました。
人間たちは地に溢れました。天使たちが食物を運んでも足りなくて、再び餓えました。
大きな人間が小さな人間を手に抱えながら、神様に頼みました。
「神様。私とこの子を、救ってください」
神様は答えました。
「我が子らよ、私の命じたことを守れ」
食物を得られなかった人間が、神様に言いました。
「神様。私はこのままでは、飢え死にしてしまいます」
神様は答えました。
「我が子らよ、私の命じたことを守れ」
あるとき、一人の人間が、別の人間に囁きました。
「空の上、天使たちのところには、食物がたくさんあるに違いない」
人間たちは互いに相談すると、天を渡る船を作り、それを担いで塔を登りました。
塔の頂に来ると、空に船を浮かべて、光り輝く天使たちのところに向けて漕ぎ出しました。
果たして人間たちの思った通り、天使たちのところには無数の食物がありました。
人間たちは次々と船を作り、空に浮かべました。そして、天使たちのところに行って食物を食べ、満腹しました。
あるとき、一人の人間が天使の体を齧りました。はしゃぐあまり、食物と間違えたのです。
「これはうまい」
人間たちは天使の味を覚えました。体を食べられた天使たちは、地上に落ちました。
それ以来、人間たちはこうした天使たちを動物と呼び、ものを作るのを手伝わせたり、食物にしたりするようになりました。
翼を無くした天使は獣と呼ばれ、手を無くした天使は鳥と呼ばれ、足を無くした天使は魚と呼ばれました。
一番多いのは頭を無くした天使たちで、小さい天使は草と、大きい天使は木と呼ばれました。
そして、この天使たちは人間の噛み痕が付いたことで、人間と同じように、生み、増え、地を満たそうとし、土に帰らなければならなくなりました。
まだ人間たちの手に触れられず、大空に浮かんでいる天使たちは、星と呼ばれました。人間たちは星に憧れました。
なぜなら、美しく輝く星たちこそ、まだ食べていない、食べるべきものなのです。
またあるとき、人間たちは人間の味を知りました。
これは天使たちのときのように知らずに食べたというのではなく、一つためして見ようという気がしたからです。
あまりの美味しさに、人間たちは互いを食べ合うようになりました。
そして、人間たちは多くの味を知るとともに、いっそう簡単に、いっそう沢山の別の人間を食べる術も知りました。
この術を行うことは、争いと呼ばれました。
天は争いで満ちました。
大空に浮かぶ船は、もはや天を翔るばかりの乗り物ではなく、天使や他の人間を食べるための道具になっていました。
人間たちは星々の間で、互いに争い、嘘を付き、そして、天使たちを弄びました。
ですが、そう気侭にしていながら、人間たちはいっこうに満足できなかったのです。
人間たちは絶えず不満で、誰しも、自分こそが一番不幸な者だと感じていました。
神様は、人間を創ったことを悔やみました。そして、全ての人間たちを地上に集めると、告げました。
「お前たちは堕落した。天は暴虐で満ちている。お前たちの心はみな、いつも悪いことだけに傾いた。
私はお前たちの心が良くなるまで、天を鉄の蓋で覆い、地に縛り付けよう。
それまでは、我が子らよ、お前たちは、お前たちの損なった天使たちとともに、苦しんで生きなければならない。
汗を流して、自ら糧を得なければならない」
こうして、灰色の壁が空を覆い隠し、人間の世界は閉ざされてしまいました。
今でも人々は、かつて無限に広がっていた空や、星々の輝きを想って悲しみます。
そして、壁の向こうには天使たちが暮らしていて、そこでは人間や動物たちの暮らす地上と違い、何の苦しみもなく、幸せに生きて行けると伝えられています。
機動新世界ガンダムDoll-DA
プロローグ 人形の家
偶像はしろがねとこがねでかざられた人の手のわざである。
口があっても語れず、目があっても見えず、耳が合っても聞こえず、その口には息がない。
これを造る者もこれを信ずる者もまたこれに等しい。
――詩篇一三五
鐘の音が響いている。舗装の上を労働者らしき人々が列を作って歩いている。
どれもやせこけ、機械労働で酷使された人間に見られる不均等な体つきをしている。
彼らは皆一様な顔立ちをしている。皆が皆一卵性の兄弟とも思えるくらいに似通っている。
彼らの表情に憔悴は見られない。労働の喜びや衆を頼む高揚感も浮かんでいない。
別な労働者の群がすれ違った。こちらは先の労働者とは顔立ちが違っている。歩みはやや遅く、動作の中に疲労が見え隠れしている。
おそらく退勤の組であろうが、家路を急ぐというでもなく、出勤組と同じ能面顔で、ただ鐘の音にあわせて手足を動かしているに過ぎない。
代わり映えのしない人々の観察を続けたところで得るものは少ないであろう。
しかし別な印象を期待して町並みに目を転じても、全く同一の建造物が碁盤縞に並んでいるばかりである。
同じ幅の路面が敷かれ、同じ高さの建物に同じ数の窓が並び、歩行者の群も遠目では別のそれと見分けが付かない。
路面には紙くず一つ落ちていない。よくよく訓練されたように一糸乱れない人々の様子を見るに、清掃人が勤勉というばかりでもなさそうである。
こうなると町のどこに立っても均一の景観に出会いそうに思えたが、この合理的な都市計画を練った者が親切心を利かせたのか、町の中央に一風変わった区画が作られている。
ひときわ大きな二本のビルが突き出ていて、灰色の壁がそのぐるりを囲んでいる。
二本のビルの屋上にはちょっとした意匠が凝らしてあった。この摩天楼は町の顔というような役割を担っているのかもしれない。
壁の内側では身長にして労働者十人分ほどのロボットが幾体も立ち並び、その周りには小銃をもった人間がうろついている。
彼らは先の労働者たちとは異なり骨格ががっしりとして、背丈も二回りほど大きく出来ている。
容姿はやはり瓜二つで、どれも愚鈍そうな顔立ちをしている。彼らは摩天楼の警備を勤めているのであろうが、どういうわけか物々しさはあまり感じられない。
鳴り渡っていた鐘の音が止み、塀の外では人影が消えた。その代わり町中から獣の唸り声に似た機械音が聞こえ始める。
おそらくこの町は一個の工場なのであろう。鐘の音は交代の合図で、機械に潤滑油を差す如く労働者を取り替える。
その労働者というのも工場で大量生産される製品と同じく、一様の外見をして一様の行動をする。
めいめい異なった人々を使うより能率が良いに違いない。生産的でないのは塀の中の中央区画ばかりである。
その不経済を産業主義の神が憂えたのかもしれない。
産業革命時代のプロレタリアートの切なる祈りが高等詐欺的金儲け主義への呪詛と化し、お役所仕事さながら幾時代も経た今となって報いられたのかもわからない。
このとき突如として灰色の空が割れ、真紅の光が摩天楼を貫いた。
光の帯は標的と思わしき二本の摩天楼ばかりでなく、射線上にあったいくつかの工場をも巻き込んでようやく消失した。
光は閃くようなものであったが、爆煙は大掛かりなものである。
それほどの威力でありながら、ビルがすぐさま倒壊する気配はなかった。そうなるよう威力を加減したのかは定かでない。
轟音と殆ど同時に、ロボットと兵士たちは一斉に銃口を空に向けていた。
落ちて来た瓦礫の下敷きになる者も少なからずあったが意に介さず、施設の被害の規模すら確かめる様子がない。
思うに彼らの動作は状況を判断してのことではなく、訓練によって高度に条件付けられた反射行動であろうけれども、襲撃の前後で顔色に変わりがないというのも妙である。
先ほどまで何も見られなかった上空には巨大な飛行艦が浮かんでいた。その飛行艦は一見したところ飛魚のような輪郭をしている。
胴体から延びた大小一対ずつの翼が淡い緑色の微光を放ち、その船体の大きさにもかかわらず空中で制止していた。
魚でいう腹は開かれていて、砲塔らしきものが地表に向けて突き出ている。赤い光はそこから放たれたに違いない。
高度は倒壊しかけたビルの中ほどで、対空砲火を行う側にしてみれば具合のいい的であるが、地上から放たれた弾丸は直進せずに船体を避ける弾道を描くばかりで命中することはなかった。
飛行艦の姿が逃げ水のように揺らいで、そのたびに弾丸が逸れるのである。
飛行艦から妙な音楽が流れ始めた。音楽といっても、楽器によって演奏される類のものとは思われない。
肉声とも雑音とも付かぬ音の組み合わさった音楽で、その調子は先だって町に響いていた鐘の音に通じるものがある。
銃声が止んだ。弾切れを起こしたのではなかった。自ら攻撃を中止したのである。
それから間もなく飛行艦の下部ハッチが開いて、数体のロボットが身を投げた。
赤い水面に波紋が広がる。波紋は一つではなく八方から広がって来て、それらが互いを打ち消しあう。
水音はほとんどない。波が絶えず一定の間隔で生じ、一切乱れないからである。
水面から目を上げるとそこがすり鉢型をした広壮な施設であるのがわかる。
すり鉢の底は赤い液体のプールで、傾斜した壁面を、その地肌を隠すまでに膨大な本数のパイプが覆っている。
パイプは水面から延びていて、水面から離れるにつれて先細りになって行く。
一本一本のパイプは一見して木の根に似ているが、自然の木の根のように手探りで枝先を這わしているのではなくて、規則立った仕方でめいめい気を遣いながら身を伸ばしている。
そうした結果、白亜の彫刻のような観を呈している。
一定の間隔を置いてパイプの避けて通る窪みが幾つもあり、その窪みにはそれぞれ子供の背丈ほどの大きさのカプセルが据え付けてある。
カプセルは赤い液体で満たされていて、その中に、四肢の無い人間らしき輪郭が微光で透いて見える。
起伏のなだらかさを見るに第二次性徴を終えてさほど経っていない少女と思われた。
赤い液体に浸った彼女たちは時折、首と腰とで身動ぎする。
もし四肢があったなら、狭いカプセルの中では寝返りも満足に打てなかったろう。相当な窮屈を感じるに違いない。
子宮に合わせて手足を切り詰めたことが彼女たちにいかなる影響を及ぼしているかはわからない。
赤い液体の透明度では、体の線は捉えられてもその表情までは読み取れない。
しかし幸福そうな顔をして幸福な夢を見続けていると想像するほうが、能面のような顔を思い浮べるより穏便といえよう。
静寂が破られる。カプセルを固定するとともに赤い液体を供給する補助アームが外れたのである。
微かで短い機械音であったが、耳の痛くなるほどの静寂を常態とするこの空間では、それは山彦のように響き渡った。
水面の波紋が乱れる。僅かな間を置いて天井から三本のクレーンが下りて来る。
クレーンたちは無数のカプセルから三つのカプセルを選び取り、それらを慎重な手つきで持ち上げて行く。
天井に空いた大穴の暗闇にカプセルが消えた。機械音が途切れる。
波紋の乱れで水面が波打つ音も、じきに補正されて消えてしまう。
残る無数のカプセルは以前と何ら変わりなくそこにあり続け、少女たちも眠り続ける。
ベンセレム第七管理局局長ポスト・フェストゥムが指令部に入って来たとき、真っ先に直立不動の姿勢をとったのは指揮官を務める男性型イェニチェリー・モロンであった。
「お疲れさまであります! ポスト・フェストゥム局長閣下!」
きんきんと響く声色で彼がお決まりの文句を発し終えるのと同時に、管制に当っていた数十体のモロンも立ち上がって気を付けをし、同様の文句を朗誦した。
ポストは整然と配置された端末と見やすく工夫された大型モニター、それから彼の目を凝視するモロンたちの姿をざっと見渡すと、
右腕を上げて握り拳を作り、人差し指と中指の隙間から親指を突き出して見せた。仕事に戻れという合図である。
先のイェニチェリー・モロンも含めた全てのモロンたちが即座に向き直り、主人であるコーディネイターから下された至上命令に従い何事もなかったように各々の作業を再開する。
実際にモロンたちの意識からしてみれば、ポスト・フェストゥムというコーディネイターが顔を出したことなどあって無かったようなものである。
ポストは手近なところにいる一体の女性型モロンに目をやった。彼女はオペレート用に製造されたモロンである。
やはり端末の前に整列して順調に機能し続けている。両隣で作業をしているモロンと同型であるから、肌の染みなどの後天的で瑣末な相違点を除けば一様な外見をしている。
顔立ちは彫りが浅すぎ、背丈もコーディネイターでいえば幼年期ほどである。
辛うじて人の形をしているが、その一般的な価値をいうならば、彼女ら自身が操作している端末の部品の中でも最下等の部品に過ぎないといえる。
『アメタペイスト各機、固定完了。起動作業開始』
見目の良いアナウンス用モロンがよく通るがこしらえ物めいた音声を発すると、ポストは観察の目を大型モニターに転じた。
モニターには黒いロボットが三体映っている。
人間を十倍したほどの大きさのそれらは、MS(モビルスーツ)と呼ばれる乗り物の一種である。
MSとは移動手段やスポーツなど、屋外での娯楽に用いる乗り物で、成人コーディネイター一人あたり最低一機は所有している生活必需品である。
しかしモニターに映っているMSは日ごろ町で見かける民生品とは毛並みが違い、コックピットのある胴体が小さく、人間に近い体つきをしていた。
まず目を引くのは足首まで届くほど大型のスカートユニットである。
前後左右の四つに分かれ、足の可動を邪魔しないためか前方の一つは他の三つに比べて小ぶりに出来ている。
その体は、甲冑じみた黒いカウルで覆われているが、二の腕と太腿のところでは細いフレーム部分がむき出しになっているために、ひどく華奢な印象がある。
スカートユニットの縁、手首、首周り、胸元、肩の上部といったところはひだの付いた白色の特殊装甲になっていて、黒ずくめのなかでは際立って見える。
蓋しこのMSの設計者はビスク・ドールの類を意識したのであろう。
事実三機のMSの肩にはそれぞれDoll-Aという文字と二桁の機体番号が書いてある。
全体として実用性よりか見栄えを重視したのではあるまいかと思われる外貌であった。
一昔前なら商品価値が生じたかもしれないが、ゴルフクラブやフットボールシューズなどのスポーツ用品すらなく、
アイスクリームメーカーといった最低限のオプションさえ付いているかも疑わしいこの手の代物は、もはや流行おくれも甚だしい。
各々の部品の精度や仕上げの細やかさは一驚に値するとはいえ、現代大衆の好みに合うかと問い詰められれば、設計者はシャッポを脱がねばならないであろう。
『コックピットハッチ展開』
というアナウンスとともにその胸部装甲が割れて、人ひとり入れるかもわからない広さのコックピットが外気に晒される。
胴体の大きさからしてオーディオ機器やバスタブがあるのは期待できないけれども、リクライニングシートすら見当たらなかった。
卵形の小部屋のあちこちから端子らしきものが突き出ているばかりである。
『CPUセミ・モロン、挿入』
天井にぶら下がっていた三本の運搬レールが降りてきて、コックピット内部から延びた補助レールと連結する。
異常の無いのを無数の作業用モロンたちが確かめると、格納庫に三つのカプセルが運ばれて来る。
カプセルは結構な速度でレールを走っていたが、コックピットに近づくにつれて減速し、最後は作業用モロンたちの手作業で静かにコックピット内部に滑り落ちて行く。
コックピットの底にたどり着いて各部の接続が済むとハッチが閉まり、サブウインドウが開いて内部の様子が映し出される。
『高濃度流体スメッグ、排出』
スメッグと呼ばれた赤い液体が排出されて、中のものがはっきり見えるようになる。艶のない白色の髪をした少女たちである。
顔の作りや胴体の起伏の具合は、成人する一歩手前ほどの年頃のものである。
肌の色合いは、静脈が目立つくらいに希薄である。これは先天性のものではなく成育の環境によるものであろう。
四肢の付け根であったところには黒い円盤が嵌め込まれているに過ぎないが、
本来起こるべき筋肉の退化は見られなくて、手足の無いことに目を瞑ればそれなりに均整の取れた体つきであるともいえる。
三人の少女たちは覚めているのか眠っているのか分からない琥珀色の目を虚空にさまよわせながら、だらしなく口を半開いていた。
『体内スメッグ、中和』
少女たちの目が見開かれた。脳の働きを麻痺させていた薬品を中和されたことで、少女たちは全身を激しく痙攣させた。
四肢がないため小刻みに揺れるばかりである。拘束の必要もない。
白痴の顔から一転して少女たちの表情が理性動物らしく整うと、他のモロングループとは違って、それぞれの顔や体の作りにそれなりの差異があることが目に付き始める。
Doll-A69の少女は僅かながら胸部の発育が別の二人より進んでいるし、Doll-A27の少女はやや鼻が高く額が広い。
Doll-A07の少女はといえば、胸部、腹部ともに肉付きがいささか心もとないが、顔立ちは最もコーディネイター好みであるといえた。
四肢の付け根の円盤が端子に接続され、生理状態に合わせた調整が始まったとき、ポストは司令部のモロンたちの様子を観察し始めた。
セミ・モロンの少女たちがモニターに映ったあたりから、なにやらいつもと違った気配を感じたのである。
ありふれた大量生産モロンたちに異変は見られない。皆が皆真剣な顔つきでせわしげに働いている。
アナウンス用モロン、情報処理用モロンといった割合高価なモロンたちも正常に機能している。
最も値の張るセミ・モロンの少女たちも同様である。ポストは半ば確信を持ってイェニチェリー・モロンへ歩み寄った。
前に回って顔を見ると、やはり異常が見つかった。彼は唇の端を少し開いて、モニターのDoll-A07の少女を凝視していたのである。
ポストはイェニチェリー・モロンの名札に書いてある文字を読み上げた。
「ザリー・マッカティン君」
「御用でありますか、閣下」
イェニチェリー・モロンの特権として与えられた固有名詞を呼ばれて、ザリー・マッカティンは規定された通りの条件反射を示した。
「君は今、何を考えていたのだね」
ザリーは即座に答えた。
「申し訳ございません。E37564ザリー・マッカティンには、そのように高度な思考をする能力が備わっておりません」
これも規定通りの条件反射である。
「Doll-A07のセミ・モロンに、何か思うところがあるのかね」
「申し訳ございません――」
言葉を変えて質問してみても、ザリーは先ほどと同じ答えを返すだけであった。
〈自覚症状は無いか。優秀過ぎるのも考えものだ〉
ポストは拳から親指を出す例の仕草をしてザリーを仕事に戻らせた。
『アメタペイスト全機、エランバイタル安定。神経電位接続完了』
モニターを見れば、三機のアメタペイストは既に発進準備を済ませてポストからの命令を待つばかりとなっていた。
キロプティーランスと呼ばれる細長い円錐型をした武器を両手で構え、いくぶん前かがみの姿勢をして、スカートユニットを後に向けて広げている。
「アメタペイスト、出撃」
ポストは大仰な動作でもって右腕を右斜め上方へ払った。
アメタペイストが完全に起動し、全身に張り巡らされた溝がエメラルド色に発光する。
スカートユニットの後方の空間が微かに歪んだ。けれども空間に生じた波紋を監視カメラが捉えた一瞬後にはアメタペイストの姿は無い。
立て続けに広がった波紋の痕跡が発進口方向へ伸びているばかりで、その蛇腹にしても数瞬間で消えて行く残像に過ぎなかった。
夕凪が終わった。
大気はいよいよ澄み渡り、空の色付きが薄らいで行く。夜の到来を前に虫は慌てて喋り散らし、犬は焦れて遠吠えする。
微風に撫でられて、葦たちですらものを言い始める。
草むらに打ち捨ててある割れ瓶は、自分だけ声を出せないせいか、中に溜まった雨水を揺らして不服そうにその割れ目を光らしている。
草の上に寝ころんでいる青年も周囲の興奮に中てられたのであろう。
彼は隣の女性の注意を惹くべく、独り言のような口ぶりをして言った。
「君に、本当の空を見せてやりたいんだ」
彼は空に手をかざした。もはや青空は無かった。千切れ雲の後ろには、灰色の天蓋がむき出されていた。
天蓋は表面にある無数の電飾を瞬かせながら、その日の勤めを果たし終えようとしていた。
真昼ではどこまでも続いて行くように思わせた空は、今になって機械部品の壁という本来の姿を取り戻し、開放感を閉塞感にすり代える。
夜が訪れると、人々は家の中へ逃げ込む。小なる不自由でもって大なる不自由を忘れんがためでないとは言い切れない。
青年は舞台装置の向こう側にある光景を思い浮かべながら、伸ばした手で空を掴んだ。
「自由を、外の世界を」
彼がどのように空想を弄んでいたのか定かではない。
虹色の空間や目を開けていられないほどの眩さといった未知の視覚を想像したのか、
いかがわしいパンフレットに書いてあるような物質的幸福に満ち満ちた天上の楽園という類のものか、
さもなければ当人が語りかけている女性に関連した空想であろう。
青年客気の特質を鑑みて、おそらく最後のものが有力と思われる。
彼は微かな衣擦れの音が聞こえた気がして、彼女のほうを覗き見た。彼女は俯いていた。
天蓋から発せられる人工光は途絶えつつあり、彼女の顔は暗がりで見えなかった。けれども彼は彼女の無言の抗議を感じたらしい。
彼は自分の決意の正しさを確信していたが、信念が固まるほど良心の咬む力も弱まるとは限らない。彼は視線を逸らした。
間もなく夜になった。山の向こうには天蓋へと繋がる長大な柱が見え、そこの電灯から発せられる淡い光と家々の灯りとが暗闇を和らげていた。
彼は彼女との別れ際に言った。
「無事に帰って来られたら、そのときは――」
彼の申し出は早急に過ぎたと言う人があるかもしれない。
しかし、人生の半分にかかわる決定となると若気のあやまちからでなくしては絶対に出来かねぬものではない。
男女の情においては殊にそうである。
感じやすい青年にとって色事の思い出は餓えて口にした生米のようなもので、噛めば噛むほどいい味がする。
彼は戦い前の不安を紛らわすために、かつての恋人であり現在の婚約者である女性のことを心に思い描いていたのであった。
「――シヴォーフ、おい、シヴォーフ。同志シヴォーフ・ラーグ」
青年の夢想は彼の名を呼ぶ野太い声で中断させられた。
引き戻された現実では、彼自身はMSの窮屈なコックピットに座していて、彼の真正面では通信用サブウインドウが最大で開かれ、その額縁の中は男の顔面で占められていた。
むさくるしいことこの上ない。男の顔には不均等な長さの無精ひげが散在し、長らく手入れされていないであろう眉毛は眉尻で乱れている。
近年後退を開始した生え際の付近には、生気を失いつつある軟弱な縮れ毛が幾本か肌に張り付いている。
ものの哀れを思わせるより聊か不潔な感じがあった。
『我が同志君、お昼寝中たいへん申し訳ないがそろそろ到着時間だ。ついでそちらの機体も起こしてくれると助かる』
嘲るような調子の声色である。シヴォーフは膝に置いてあったインカムを付けると少し強い語調で言った。
「わかってますよ。同志、バッシュ・ビッシュさん」
バッシュは黄ばんだ目をわざとらしく細めた。
『誰が同志だ。一丁前に党派心出しやがる』
「あなたから仕掛けた嫌味でしょうが」
この与太者じみた先輩とのやり取りで真っ当な受け答えを期待してはいけない。
シヴォーフはバッシュ・ビッシュという男について、知能が中学生のまま成育してしまった中年男性という印象を持っていた。
それでいてシヴォーフと十も年が違わないのであるから、人間の個体差というものは恐ろしい。
シヴォーフはバッシュをあまり好いていなかった。
それは単なる毛嫌いという他に、シヴォーフ自身にも気付けない程度に根の深い嫉妬が遠因である。
MS操縦に関する教師と教え子という関係や、組織内でのバッシュの権威が無かったなら、
或いは彼自身がバッシュと同程度に廉恥心が欠如していたならば、彼は公然とバッシュに食ってかかったかもしれない。
シヴォーフは実戦の経験は皆無であったが、単純な操縦技量ではとっくにバッシュを上回っていると自負していた。
シミュレーターでも八割方勝利できる。シヴォーフにしてみれば、そのことだけでもバッシュを口先だけの役立たずと侮り、軽蔑するには充分であった。
シヴォーフの乗るMS、NAS-97ティハターンの起動作業が完了し、モニターに格納庫の光景が映し出される。バッシュのMSが動き出すのが見えた。
バッシュの乗る機体はCOS-Kキルケニーといって、ティハターンとは違い、コーディネイターの廃棄したレジャー用MSを改修した機体である。
粗大ゴミを弄ったものというと聞こえは悪いが、その性能は侮れるものでは到底ない。
貧弱な技術力で開発されたティハターンなどのNASタイプに比べれば、COSタイプのMSはオーバーテクノロジーの塊ともいえるのである。
この貴重なCOSタイプを搭乗機にしているのが自分ではなくてバッシュであるという事実も、シヴォーフが彼を厭う根拠の一つであった。
キルケニーは熊と猫とをかけ合わせたような躯体を起き上がらせた。
丸っこい二つのメインカメラと三角形の二基のアンテナ、それからぬいぐるみめいた体型とが相まって、猫をモチーフにしたマスコットを連想させる。
しかしその左腕のパイルバンカーユニットはティハターンの胴体を容易に貫き、右腕の火炎放射機は死体を片付ける手間を省かせる。
元は居住ユニットであった大型バックパックはガトリングガンユニットに換装され、機動性が増すとともに移動砲台の役割を果たせるようになっている。
勿論、ずんぐりした体型に見合って装甲も頑強である。コストパフォーマンス以外でティハターンの勝っているところといえば、人型MS特有の汎用性くらいなものである。
その汎用性にしたって器用貧乏の域を出るものではない。頼りない五指が握れる銃火器の威力はたかが知れている。
シヴォーフたちの機体を含めて八機のMSが荷物搬入用の大型ハッチの前に整列した。
八機のうち五機がティハターンで、二機がキルケニー、そして一機だけCOS-DディズンというMSである。
キルケニーと同様、このCOSタイプのMSも純粋な人型をしていない。瓜の実が手足を生やしたような体つきをしている。
その四肢は柔軟性と頑強さを併せ持つ多重関節となっていて、いかにも子供が落書き中にとって付けたという印象がある。
頭部には二基の大型レドームを搭載し、キルケニーが猫ならばこちらは鼠といった按配であるが、性能に関してその比喩は当てはまらない。
換装機能を持たず、武装が両腕のアイアンネイルと腹部機関砲二門という固定武装に限られている代償に、白兵戦闘力は他の二機種を大幅に上回っている。
それだけに扱いにくくもあった。
『ぬぁにちんたらしてんのよアンタたち! 遊びでやってんじゃないんだからね!』
一番遅れてやってきたシヴォーフとバッシュを叱責したのがディズンのパイロットである。
『んだよナギ、青い日か』
『死ね老け顔。それとそこな新人、もっとシャキっとなさい! シャキシャキっと!』
「は、はい。すみません」
シヴォーフは怯んだ。通信用サブウインドウに映るナギという女性は、黙ってさえいれば繊細そうな器量よしなのであるが、その人格についてはシヴォーフの婚約者とは比ぶべくもない。
『止さないか、ナギ』
「ケレンさん」
シヴォーフがケレンと呼んだ青年の温和な声が響くと、ナギは決まり悪げに口ごもった。
いくら胆汁質の彼女とはいえ、今は大事な作戦の前である。MS隊の隊長を務めるケレンに噛み付くのは控えたのであろう。
ケレンに続いて、サブウインドウが新たに四つ開かれた。四人ともパイロットたちである。
『みんな揃ったね。わざわざ言うまでも無いだろうけれど、これで最後だから、一応役割分担を確認しておくよ。
まずはナギとコンティ、君たちは突入役だ。ナギのディズンが先行、コンティのキルケニーはナギを援護しつつ進んでくれ』
『いちいち言わなくてもそんなのわかってるわよ』
『了解だ』
と、コンティと呼ばれた黒髪の青年がナギのぼやきを聞き流して応答した。
『夫婦仲良う頑張っていらっしゃいな』
バッシュが茶々を入れた。共有回線で全員分のウインドウを映すとなると、それぞれの目線の区別が付かなくなる。
それ故、ナギが誰かを睨みつけるたびにシヴォーフはどきっとさせられる。色気の有無は言うまでも無い。
元の顔立ちが小奇麗にまとまっているので、それだけに凄みがあった。
『バッシュおじさん、そのしまりの悪くて薄汚いお口ね、針金できれいに縫い付けてあげましょうか』
『だってよ、コンティ。今夜のお楽しみが増えてよかったな』
コンティが嫌な顔をした。無論、バッシュに対してである。シヴォーフは指でこめかみを揉みたくなった。
バッシュ・ビッシュ、ナギ・ヴァニミィ、コンティ・ネイブリットの最古参メンバー三人が揃うといつもこうである。
常に気を張っていろとまでは言わないが、時と場をわきまえてもらいたい。
新入りらしくない不遜ではあるけれども、こう目の前でちゃらけてばかりいられてはシヴォーフの決意の立つ瀬が無いのである。
『さて、ナギとコンティはこれでよしとして』
ケレンが言うと、ナギとコンティの通信回線が閉じられた。隊長権限で強制遮断したに違いない。
『残る僕たちは外で敵機の一掃に当たることになる。二機ずつのペアでだ。
バッシュとシヴォーフ君は北側、デッドとカマッセは南、僕とジョウはヴェスタの周辺が担当だ。
あくまで保険だからといって気を抜かないように。もしナギたちが手間取ったなら、その分だけ危険が増すことになる』
ケレンがインカムに触れた。ブリッジからであろう。
『あと十分ほどでヴェスタが目標地点に到達するそうだ。各自、いつでも降下できるよう準備をしてくれ』
いよいよ実戦となると不安な気持ちが否応無くぶり返して来た。
つい先ほどまで賑やかであったコックピットの中はいやにしんと静まり返って、しだいに、自分の息遣いの音がはっきりして行った。
心臓が激しく鼓動するのまで聞こえる気がする。聴覚の鋭敏さを減ずるべく誰かと話したいという欲求が自負心に勝った。
シヴォーフがコンソールに手を伸ばしたとき、
『オムツ要るか、シヴォーフ。今なら安くしとくぜ』
「結構です」
よりにもよってバッシュである。シヴォーフはケレンあたりに通信を繋ごうと思っていたのである。
八人のパイロットのなかで真っ当な人間といえば、ケレンとコンティくらいしか心当たりがなかった。
生憎コンティにはナギがいる。デッドとカマッセとは親しく話したことがない。残った二人、バッシュとジョウは論外であった。
シヴォーフは不安を煽るようなことを言うことにした。
「本当に、大丈夫なんですよね」
『MOSタイプの火気じゃヴェスタのSEフィールドは抜けられんさ』
「定言命令もですよ。本当にモロンに効くんですか」
『どうだかしらん。ひとまず向こうさんの自己管理能力を信用しておけよ』
「それに、Dollタイプが現れたら」
『そんときゃそんときだ。腹ァくくるしかない』
「無責任ですね」
『そもそもハナっから綱渡りなんだよ。下界で地道にやらずに、天国で楽して儲けようって腹なんだ。
だがそんな虫のいい話はない。現実じゃ俺たちは、一たす一でなしにゼロに百万をかけるのを選んじまったっつうことさ』
「ゼロは何をかけたってゼロですよ」
『そこはまあ、神さまあたりにご期待してだな』
「目茶なことを言いますね」
『自発的革命は総じて目茶なものさ』
バッシュが真面目な顔をした。
『なあ、どうして今日はそんなに突っかかる。俺のふやけ言葉なんぞ世辞か中指であしらっときゃいいだろうが』
シヴォーフは不意を衝かれた気がした。バッシュの口元がいやらしく歪んだ。シヴォーフはやり返さねば気が済まなくなった。
「僕は、僕は死にたくないんです。無駄死には嫌です。殉教もまっぴらです。モロンみたいになるのはなおさら嫌だ。
何かしら自分の納得の出来る確証が欲しい。僕は、どうしても生きて帰らなきゃいけないんです」
『女だな』
図星である。
「いけませんか」
『いいや、はっきりしてるだけ上等だろうよ』
「バッシュさんは」
『ん』
「なぜ解放戦線に入ったんです」
『そういうことは出撃前に尋ねるものじゃない。生き残りたきゃあな、ルーキー。心残りは敢えて残しておくもんだ』
「この山師、はめやがった」とシヴォーフは思った。自分はまんまと乗じられて、彼に揶揄の種を提供してしまったのである。
作戦が終わったら、彼はシヴォーフに色気のあることを吹聴するに違いない。
ブリッジから通信が入った。作戦の第一段階は終了し、定言命令も予定通りの効験を見せたらしい。
通信画面のバッシュが手でインカムの位置を直しながら言った。
『いけるな』
「いけます」
『いい返事だ、尻を貸そう』
「了解しました。ジョウさんに伝えます」
『止せ。やつは本物だ』
小銃の紐を肩にかけたまま棒立ちになっているアーミー・モロンを、巨大な足が踏み潰す。
一切の手抜かり無く舗装された路面に水分が擦り込まれ、骨屑と鉄屑とが硬い音をたてた。
巨大な足のすぐ横には、たまたま踏まれるのを免れたもう一体のアーミー・モロンがだらしない顔で立ち呆けている。彼の小銃は足元に転がっていた。
彼はすぐさまそれを拾い上げて目の前のティハターンに発砲しなければならないのであったが、その過剰な闘争心すら発揮できず、相変わらず幸福な健忘状態にある。
ティハターンのもう一方の足が迫って来て彼を蹴り飛ばした。彼はいやに軽い音を鳴らして水平方向に飛んで行き、縁石の段差に足を引っかけて倒れた。
彼の体は、正面から見てわき腹を支点としたくの字に折れ曲がっている。
ティハターンが体勢を崩して転びかけた。先だって踏んだアーミー・モロンの残骸で足を滑らせたのである。
その姿を見たバッシュから通信が発せられる。
『シヴォーフ、アーミーに構うなよ』
「それくらい承知してます」
シヴォーフは苦々しげに舌打ちをしてティハターンの足を路面で拭った。
シミュレーターでは再現され得なかった鮮やかな赤色が、いちいち彼をためらわせた。
進路には相当な数のアーミー・モロンが見える。シヴォーフは陸路では埒が明かぬと考えて、テールノズルを起動した。
ティハターンが跳躍して瓦礫の上に着地する。
「最初からこうすればよかったんだ」
数機の敵MSの姿が視界に入った。どれも頭が無く、モロン用であることを示すMOSという文字が肩に書いてある。
そして生身のアーミー・モロンと同様、狙いをつけても回避行動をとる気配を見せない。
ティハターンは足裏のスパイクで足場を固定し、両腕でアサルトライフルを構えた。
「ビアーはこっちで落とします。ヒューブリスは任せましたよ」
ビアーはコックピットのある胴体をあっけなく撃ち抜かれて膝を突いた。
装甲がめくれて内部が露出しているのを見れば、弾丸の威力よりその装甲の厚さに驚嘆するであろう。戸板を割るようなものである。
ビアーの残骸を飛び越えて行くMSがあった。バッシュのキルケニーである。
ティハターンの砲撃で生み出された幾つもの残骸を、全身のスラスターと四つん這いの四足歩行とで避けつつ進んで行く。
その先にはヒューブリスと呼ばれたMSが立ち、キルケニーが来るのをじっと待っている。
ビアーと同じモロン用MSであるが、ビアーより横にも縦にも大きくて装甲もそれなりの厚みがある。
おそらくビアーが機動性を優先したのに対し、ヒューブリスの設計は耐久力を重視したのであろう。
キルケニーがヒューブリスに肉迫して左腕のパイルバンカーユニットを起動した。
左腕と足元から炸裂音が二重に響き、二機のMSの振動で塵が舞い上がる。それから思い出したように薬莢が排出された。
『硬ぇな』
バッシュはそう呟いてパイルバンカーユニットを構え直した。
反動で路面にひびが入り、それを踏みしめるキルケニーの関節が軋んだ。杭は二度目の衝撃でようやく中枢に達してヒューブリスを機能停止に陥らせた。
同胞の死骸の前に棒立ちでいるアーミー・モロンを見て、シヴォーフは独白した。声がやや上擦っているのは高揚のためであろう。
「コーディネイターはこんな連中をはべらせてよく正気でいられる」
キルケニーが別のヒューブリスに突進してパイルバンカーユニットを突き立てた。排莢が二度続けざまに行われ、ヒューブリスが転倒する。
ヒューブリスの周囲に立っていたアーミー・モロン数体が下敷きになった。
『向こうもビジネスマンを見りゃ同じ台詞を吐くだろうさ。いつでもどこでも、人間は人間を家畜にしている』
「何も哲学しようというんじゃないんです。ただ気味が悪いんです。
……どれもこれもが同じ顔、動いていれば機械と同じ、動いてなければ――人形ですよ」
シヴォーフはわざとらしい韻を踏みながらアーミー・モロンの死骸を見た。
モロンはヒューブリスの残骸で下半身を潰され、生命機能を停止しようとしていた。
シヴォーフは胃の中の昼食を心配しただけで、アサルトライフルでビアーを撃つ手は止めなかった。
彼は務めを果たしていた。彼は立派にやっていた。これは必要なことであり、好きでなくともやらねばならなかった。
「こいつらモロンは人じゃない。ゲームみたいなものなんだ」
シヴォーフはためしに口の中でそう呟いてみた。明確な殺人の意識を感ずることはなかった。
どうにか言葉通りの意味で受け入れることが出来た。
飛行艦ヴェスタのブリッジから通信があるころには、シヴォーフとバッシュは十以上の敵機を破壊していた。
動かない敵機をただもう撃って行くというだけであったが、シヴォーフの経験とバッシュの技量を考えれば割合上々な戦果といえた。
『ロウから伝言だ。ナギとコンティが例のものを確保したそうだ』
「リーダーから? 新型のDollタイプ、本当に実在したんですか」
『おうさ。ウーティスの読みが当たったらしい。でだ、シヴォーフ』
通信画面のバッシュが愉快そうに口の端を釣り上げた。
『そのDollタイプな、ガンダムにそっくりなんだと』
「ガンダム? 絵本とか昔話の、あのガンダムですよね」
『そしてガンダミズムの、ガノテア機関の偶像様でもある』
バッシュの不穏な付け足しをよそに、シヴォーフには幼少時の記憶が思い出された。
物心付いて間もない時期、即ち充分にものを判断する能力を持たず、殆ど動物同然に振舞っても許され得た時期の記憶というのは、
青年から老年にかけたどの年齢で思い描くにしても、婦人の顔面と同様で巧妙な偽装を施されるものである。
思い出は人相に似ていて、距離を置けば荒が隠れるが、近寄って見ればあまり愉快でない思いをする。
毛穴をじっくり吟味して満足を覚える者はごく少数であると思われる。
相手をやり込めようという魂胆のない限り、旧友同士の談話の要点は近況より思い出に傾き易い。
僅かな間、シヴォーフは戦いの中で戦いを忘れた。
敵が棒立ちの的に過ぎず、彼自身は作戦前の気張りのためにかえって拍子抜けのした状況である。
彼は幼き日の自分が紙工作の武具を纏い、ガンダムごっこに興じていた場面を描くことに脳の働きの一部を割いてしまった。
けれどもここで逞しゅうされた空想力を糾弾するのは公正でない。当人がそれを咎めても、思惟とは半ば自動の作用である。
それどころか弾性までも備わっている。懐かしいにせよ忌々しいにせよ、全き任意の忘却や集中の機能がこの動物に備わっていたならば、教師も体刑に頼るまい。
加うるに彼の見逃した異変は、普段の状態でも気付けるか疑わしいほどに些細なものであった。
ビアーの残骸が微かに動いていた。既に沈黙したと思われた敵機にティハターンは、注意ではなく無防備な背中を向けていた。
このビアーはティハターンのアサルトライフルで胴体を撃たれていたが、弾丸は胸部機関砲の機構とその周辺を破壊するにとどまっていた。
中枢機能そのものは無事なままで、転倒したのは衝撃のためである。
パイロットのアーミー・モロンはコックピットの変形で腿から下が拉げていたけれども、残存武装の掘削破砕マニピュレータを起動しつつ、脚部のスラスターでティハターンへ突進するのに支障は無かった。
首無しのMOSタイプのメインカメラは、人間でいう鎖骨の窪みのあたりに付いている。その単眼が、ぼんやりと明滅した。
螺旋状に溝の彫られた円錐が高速回転する。唸りは瓦礫とスラスターの音を掻き消し、警笛のように鳴り渡った。
ティハターンの情報処理能力が鈍重なりに敵機の再起動を示すよりも、シヴォーフが異音を訝り、バッシュの声の届くのが早かった。
『伏せろ!』
バッシュの真剣な声色にシヴォーフの体は即座に反応した。
ティハターンが足を縮めるや否や、連続した発砲音と炸裂音が響いて、すぐに止んだ。
それでも異音は続き、なにかを削るような断続的な雑音も混じっている。
ティハターンが頭を上げた。頭を抱え、臀部を突き出す形で縮こまっていたのである。
MSでいえば数歩ほどのところには、半壊したビアーがあった。
ビアーは作動したままの掘削破砕マニピュレータを頑是無い子供の如く振り回しては、瓦礫や路面を徒に傷つけていた。
千切れた足がすぐ傍に転がり、当の主人はうつ伏せのまま起き上がれないでいる。
その有様は、頭をもがれ羽を毟られ、ついでに尾を切られた蜻蛉を思わせた。
シヴォーフも子供の頃は虫けらを玩具にして遊んだことがある。
哀れな虫が踊ったりひっくり返ったりして足掻く姿は見応えがした。無茶な解剖を道楽にする点で幼児はあらさがし屋と共通している。
片輪の虫がとうとう息絶えたとき、幼いシヴォーフたちは残酷な、そして勝ち誇った歓声を上げたものである。
けれどもビアーというMSは虫や人よりいくらか単純で頑丈に出来ているだけに、何かしらわかり良い致命傷を与えないかぎり、不具のそれの末路は決定され得そうになかった。
ガトリングガンの発射態勢で屈んでいたキルケニーが身を起こした。シヴォーフのティハターンを押し退け、ビアーの背中に足を置く。
体の重心を押さえつけられたビアーはいっそう激しく両腕を振り回した。
キルケニーは無造作にパイルバンカーをビアーの肩関節に当てて作動させ、続けてもう一方の肩も同様に打ち抜いた。
風穴の直径は腕を千切り取るには足りないが、内部の回路を切断するにはそれで充分であった。
掘削破砕マニピュレータの回転が止み、だらりと重力に身を委ねた。ビアーはもはや動かなかった。
「何を」
キルケニーがビアーを蹴り転がして仰向けにし、装甲の裂け目にパイルバンカーの先端を引っ掛けた。装甲は腕力で容易く剥ぎ取られる。
『見てみろ』
バッシュに促されてむき出しのコックピットを覗き込むと半死半生のアーミー・モロンがあった。
アーミー・モロンはその丸く盛り上がった眼球をせわしく蠢かし、両手で操縦桿をがちゃがちゃ鳴らしていた。
顎肉の弛緩を見るに、褐色に濡れそぼつ腰部から苦痛の信号が発せられるかは疑わしい。
『キの字なツラして、握った棒を離しゃしない。このごろの管理局は不祥事が多くて困る』
「というと」
『不具合だよ。不良品が混じっていやがった。役所の怠慢だ』
「定言命令が、効果しなかったというんですか」
『半々ってところかね』
そう言うとバッシュはいきなり、キルケニーのパイルバンカーの先端をアーミー・モロンに近づけた。アーミー・モロンは目をぱちくりさせた。
『さらば苦悩の友よ』
あまりに出し抜けで顔を背ける暇の無かったシヴォーフは初め目の前の出来事の意味が飲み込めないでいた。
杭が引き抜かれて内装の残骸が崩れ落ちる間際、人体の分離した断面が一瞬目に映った。意表外の色合いをしていた。
モロンといえども情ない仕打ちに思われた。このような情緒を生ぜしめられたのに一拍置いて激しい感情が沸き上がった。
彼は義憤に駆られて激昂しかけた。それを押し留めたのは、別働隊から発せられた緊急の通信である。
『Dollタイプだ!』
カマッセの映る通信画面は僅かの時間シヴォーフの目を眩ませてその役目を終えた。
シヴォーフはティハターンのカメラを別働隊のいた方角へ向けた。
味方機の姿は瓦礫に遮られて確認できないが、布切れを引き裂いたような形の青白い光の塊が幾つもそこに降り注いでいるのが見えた。
通信はカマッセもそうであるがデッドにも繋がらない。ティハターンのセンサーは連続した爆発音と辺りを照らす白光ばかりを捉えていた。
「バッシュさん!」
遠い灰色の空が霞んで空間そのものが波打つように歪むのを望遠カメラが捉えた。
『わかってらぁ!』
キルケニーのバックパックユニットで、ガトリングガンとは別の大筒が立ち上がった。筒の表面には金釘流の書体で『SANSHAKU-SHELL』と書いてある。
『汚ねぇ花火も気休め程度には!』
子供の身長ほどの直径の大玉が、笛を鳴らすのに似た音を伴って打ち上がった。
ティハターンは胴体から煙を上げていた。生体反応は絶無であるが、アメタペイストのキロプティーランスはその先端から光を放つのを止めなかった。
もはや鉄屑と変わりないティハターンを、白光で塗りつぶすように丹念に削って行く。胴体、肩、足、頭部、それからまた胴体という按配である。
腕が千切れ飛んで壁に叩き付いた。無論、コックピットブロックなどは跡形も残らない。
『Doll-A07、NAS-97撃破』
『Doll-A69、全目標補足完了。アンノウン一、SEジェネレータ搭載艦一、COS-D一、COS-K二、NAS-97三』
『Doll-A27、Tセンタービル区画、損害状況把握完了』
全天周囲モニターに幾つもウインドウが開いて、コックピットに合成音声が入り乱れる。
『Doll-A07、エランバイタル規定範囲内。SEフィールド出力正常――戦闘続行』
エネルギーラインが発光してアメタペイストが加速した。
パラメータがせわしなく変動し、灰色の空やMSの残骸が過ぎ去って行く。
そんなモニターの光景とは裏腹に、四肢を繋がれた少女は瞬き一つせず、その表情は人形めいていた。
地上のキルケニーから放たれた大玉が空中で弾けた。銀色の液体が膜状に広がって瞬時に硬化し、遅ればせの爆風でばらばらに砕け散った。
無数の破片が万華鏡のように光を乱反射してアメタペイストの感官機能と推進力を減退させる。
『周辺に光学式攪乱膜。SEフィールド減退率上昇』
アメタペイストのバイザーに光の線が走った。側頭部のブレードから花弁に似た形の光の雫が散った。
『圧縮SEフィールド、解放』
不可視の斥力場がキロプティーランスを媒介に拡張する。
スカートユニットが重力の戒めから解き放たれて、ふんわりと浮き上がった。その隙間からは太腿が覗いて見える。
足の付け根が見えるか見えないかの間際、アメタペイストは舞うように全身を回転させ、空をなぎ払った。
金属片の雲は突風によって切り裂かれ、地を駆けるキルケニーとティハターンが露わになった。
少女の神経に伝わる信号は腕の断面で電子回路のそれに変換され、MSの仕草でもって直接に報いられる。
アメタペイストがキロプティーランスを構え直した。ロックオンカーソルが敵機に重なり、少女が引き金を引くべく自身の指を動かさんとしたとき、
『リグ・ヴェーダより緊急指令、現場保存を優先。各機、ガータースティレット装備』
少女は目を瞬いた。長い睫毛が微かに揺れた。キロプティーランスを片手に持ち替え、空いた片手でスカートの中をまさぐった。
スカートの隙間から取り出されたのは、ガータースティレットと呼ばれる十字架型の短剣である。
『Doll-A07、敵機捕捉。白兵戦闘開始』
柄の刺すような冷たさを手のひらに感じながら、少女は空を蹴った。
対Dollタイプ用の新案兵装は確かな効験があったが、それもほんの短時間しかもたなかった。
今回のように一発きりでなかったらまた違っていたかもしれない。
メカニックたちは喜ぶに違いないけれども、パイロットは生きて逃げ延びねばどうにもならないのである。
ティハターンの背が風に煽られたとき、シヴォーフは観念しかけた。
後部カメラはアメタペイストがキロプティーランスを突きつける光景を捉えていた。
シヴォーフは肩を窄めて目を瞑ったが、一秒過ぎた後も自分はまだ生きていた。
どういうわけか、アメタペイストはビームを放って来ない。銃を使うのを止して、短剣を取り出したのである。
あちらにも何やら思惑があるらしい。
『飛ぶぞ!』
バッシュの判断は妥当であった。空中で狙い撃ちに遭うのを恐れる必要がなくなった今なら、最短距離でヴェスタに辿り着ける。
アメタペイストと競争する結果を算出している余裕はない。シヴォーフはテールノズルを全開にした。
滅多に味わうことのない急加速の慣性に体が軋んだ。
シヴォーフのフライトユニット抜きでの飛行経験が数えるほどであったのに加えて、SEフィールドによる大気の不可思議な変質はティハターンのセンサーでは捉えられない。
幾重にも重なった密度の異なる空気の層が、彼の操縦に誤差を生じさせていた。
シヴォーフはなるべく真っ直ぐティハターンを飛ばすよう心がけた。障害物の瓦礫を大回りして避けようなどとは思いもよらなかった。
ここで彼の操縦技量とその驕りとが災いした。彼は紙一重でも充分に避けられると思い込んだ。
ティハターンの足先が瓦礫の山に衝突した。
突如として天地が逆転して体が前のめる。
重力は逆さまのティハターンを地面に吸い寄せ、頭部を中心に全身を九十度回転させる。惰性に引き回されてティハターンの背が削られる。
そうして目に入るのが灰色の空ばかりとなると、シヴォーフの首に鈍痛が走った。
足を引っ掛けたティハターンがつんのめり、でんぐり返しをするように前方に一回転したのである。
今は地面に仰向けで寝そべっていた。人間でも大怪我しかねない事故である。
シヴォーフははっとして首を持ち上げた。キルケニーの背中がかなり遠くなっていた。
僥倖にも打ち所は悪くなかったようで、ティハターンはすぐに立ち上がった。
シヴォーフはペダルを全力で踏んだ。テールノズルがちょぼちょぼと光を漏らした。
踏み直した。それでも煙草を吸うように鷹揚であった。踏み続けた。ようやっと体が持ち上がった。
しかし宙に浮くや否や再び安閑として重力の負担を放擲した。安全装置が働いたまま戻らないのである。
粗製濫造にありがちな不具合であった。エラーの表記が今更ながらに表示される。シヴォーフはコンソールを殴り付けた。
「この、ポンコツがっ!」
開発者はナチュラルのパイロットの荒っぽさを想定したのであろう。いらんところに気を利かしてある。シヴォーフは拳を痛めた。
情けなさやら恨めしさやら忌々しさやらを存分に味わう間も無く、接近する敵機の姿を索敵プログラムが拡大して表示する。
アメタペイストは飛び石伝いに空を蹴って、順々に波紋を生み出していた。
あたかも目に見えない水面があるかの如く、その上を飛び跳ねて渡るのである。
この仕草がひどく可憐であるのがまたいやらしい。
猛獣が全力を尽くして獲物を追うというのではなしに、小娘が手ごろな遊び相手を見つけて駆け寄って来るという感じであった。
シヴォーフは叫んだ。
「バッシュさん!」
『かまうな。ヴェスタはこれよりアサルトフィールドを使う』と、ヴェスタのブリッジからの緊急回線が割り込んだ。
ナチュラル解放戦線のリーダー、ロウ・ブレーンの声であった。
MS全機に向けた種類のものであるから、シヴォーフの耳にも届いている。
バッシュのキルケニーは名残惜しげに振向きかけたが、やはりシヴォーフを見捨てた。
ここでシヴォーフの腹が決まったかは定かではない。いかな考えが心中で渦巻いたにしろ、彼の場合は結果として感傷より生存衝動が優先したのである。
このような状況に置かれた人々の中には、あのとき額の奥で何かが弾けたと後述する者もいるであろう。
ティハターンがアメタペイストに振り返った。メインスラスターは機能しないが、サブスラスターは健在である。
ティハターンは射程距離に入らぬうちからアメタペイストを正面にして横滑りを始めた。
アメタペイストが鋭角に旋回するのに合わせて腰のパイプグレネードを一斉発射する。
棒状のそれらはSEフィールドの作用で螺旋軌道を描いて逸れた。
アメタペイストが螺旋の中心を突っ切り、ガータースティレットの先端が鈍く光った。
グレネードを発射する間にティハターンはアサルトライフルのセレクターをフルオートに切り替えている。
片腕で乱射された弾丸でアメタペイストの姿が霞む。SEフィールドの空間干渉は無数の蜃気楼を生み出した。その効果は視覚ばかりではない。
もはや両者とも回避不能の距離になる間際、ほんの僅かながらアメタペイストとティハターンの相対座標にぶれが生じ、Doll-A07の少女をしてその悟性を誤らしめた。
ガータースティレットがアサルトライフルごと右腕を抉り取る。
切っ先を包む目に見えぬ力が、ティハターンの右腕を切り裂いた端から押し広げて、粉砕して行った。しかし破壊は右腕のみに留まった。
ティハターンは大きくよろめいてアメタペイストとすれ違い、無理な回避の反動を生かして全身を回転させた。
左腕には格闘兵器のフォールディングスコップが握られている。
アメタペイストの慣性を無視した減速と旋回は確かに凄まじいものであったが、方向転換を終えるのはティハターンが一瞬早い。
スコップの先では、無防備なスカートの中が惜しげもなく晒されている。
報いた、と確信する余裕が与えられたなら、彼は眼前の光景から婚約者の痴態を連想したかもわからない。
無我夢中であったが故に、これはあくまで仮定に過ぎないのである。
「あつっ――」
シヴォーフ・ラーグの意識は途絶えて二度と戻らず、それきりであった。
ねじ上げられた左腕が付け根からもぎ取れた。どうやら強くひねりすぎたらしい。
少女はティハターンの左腕を持ったままガータースティレットを引き抜いた。
両腕とパイロットを失ったティハターンが、コックピット深くにまで達していたつっかいを取り払われて膝を折る。
倒れる間際、頭部がアメタペイストに触れそうになり、少女は大げさな身振りで身をかわした。
それから慌てたように左腕を放り投げ、手の平をひらひらと振った。まるで汚物を扱うかのようである。
『Doll-A07、NAS-97撃破』
少女はガータースティレットの先端を見つめた。べとべとの液体がこびり付いていた。
SEフィールドを小さく展開すると、汚れは空中に拡散して刃がぴかぴかになった。
つい先ほど咄嗟に投げ捨てたキロプティーランスを拾い上げて、少女は飛翔した。
『敵艦撤退を開始。作戦変更。作戦内容、SEジェネレータ搭載艦の破壊。各機、キロプティーランス高出力モード起動。チャージ開始』
MSの収容を終えた飛行艦が離陸する。三機のアメタペイストは空中に制止し、その船体に向けてキロプティーランスを構えた。
円錐形の砲身の先端が割れて付け根を中心に円形に開き、キロプティーランスが傘のような形に変形する。
『敵SE反応増大。チャージ中止。SEフィールド出力全開』
突然、辺り一面が光に包まれ、ドンと鈍器で殴るような音が鳴った。衝撃波で体が軋み、少女は眩さに目を細めた。