アランは驚いてハスハを落としかけた。ちょっとした茂みを乗り越えようと大股に踏み出した途端、むにゅっとして、ごろっとする何かを踏んだのである。
同時に足元から「むぎゃっ」という声が聞こえた。
「ひどいな君。痛いじゃないか」
声の主が、腕を押さえながら身を起こした。顔じゅう泥だらけの成人男性である。
アランはコーディネイターを見つけて安心し、つい謝った。
「すみません」
「気をつけてくれよ」
男は袖の足跡を擦って伸ばすと、また横になった。
「いや、何してんです」
男がけだるそうに目を開けた。
「うん? 君たちこそ、何なんだい。ほっつき回ったりしちゃいけないぞ」
〈おいおいおいおい〉
上には上があると、アランはハスハを背負い直して思った。
姿勢に余裕が出来るとアランの肩から、ハスハがちょこんと顔を乗り出した。
「どうしてこんなところで寝ているの」
「だってあのモロンどもに襲われるだろう」
「そうしていれば、襲われないの?」
「そうさ。君たち、知らないのかい」
アランはハスハに耳打ちした。
「こんなのにかかり合うのは止そう」
「待って」
ハスハがアランの肩を掴んだ。
「どうして、寝ていると襲われないの」
男は本式で教えてやろうというふうに、ため息を吐いて胡坐をかいた。
「いいかい、モロンたちは死人を襲わない。だから、こっちも死人のふりをすれば襲われない。服を汚して、寝転がってればいいわけだ」
眉唾どころではない。恐慌の延長であろう。いくらモロンでも生死の判別くらいは出来るであろうし、加えるに彼らは騙されまいと、ちゃんと死体の頭を撃ち抜いている。
ハスハはアランを制しつつ男に尋ねた。
「なぜそんなことがわかるの」
「みんなそうやってる」
「みんなですって?」
空想上の同類に違いあるまい。アランはほとんど馬鹿にするように言って辺りを見渡し、「え……」と声を漏らした。
「ああもう、注目されてる。君たち、早いところどこか行ってくれよ」
暗がりのため一見でわからなかったが、木陰や茂みのそこかしこに大人たちが寝ころんでいた。
色とりどりの優しい光をたたえた無数の目玉は、アランたちに向けられてあった。
〈おかしいよ、みんなおかしいよ!〉
ハスハがきゃっと声を上げた。
「いけない、アラン。無闇に動くと危ないわ」
「馬鹿どものが危ないよ!」
アランは目を剥いて駆け抜けた。足元に気をつけてなどいられなかった。
「おい、痛いじゃないか」
「ちょっと、踏まないでよ」
三人目を踏んだときには声が上がらず、ぬかるみに足を突っ込む感触があった。アランは靴底のぬめりを拭うように地面を蹴った。
〈誰かが運んだんだ!〉
擬態に真実味を出すために違いなかった。
アランは咄嗟に、人々がぐずぐずの人体を運ぶ光景を想像してしまった。
一人が足を持ち、一人が腕を持つ。重みで真ん中から千切れてしまわぬように、もう一人が背骨を支えて固定する。
人々が段差を乗り越えるたびに、頭部はぐるんぐるんと左右に回る。開いた腹からこぼれたものを、誰かが慌てて元に戻す。
なるべく出来たての形状を保たないと駄目なので、人々は厳粛な顔つきで壊れ物を扱う。
しかし慣れぬ作業であるから、ついつい失敗することもある。手を滑らして落としてしまい、びっちゃんと音がする。
腐ったトマトである。出し損なったプリンである。人々は肩を落すが、新しいのを取りに道を戻る。
死体には事欠かぬから何度失敗したっていい。諦めずに挑戦を続ければ、いつかきっと成功する。
少女は息も絶え絶えであった。
「駄目……止まって……アラン」
「モロンも大人たちも、どうかしてしまったんだ」
「でも……駄目……私もう……」
「無茶言うな! 汚物で遊ぶ連中なんかといっしょにいたら正気じゃいられない。僕らまで変になる」
「おねがい……」
激しく揺り動かしたために、ハスハはひどく青ざめていた。
「あ、その、ごめん」
アランはハスハを下ろして傷の具合を見た。出血量は左程増えていないけれども、ハスハ自身の体力が、彼女本人に告知できかねるような状態に至っていた。
〈いっそ捨てて行こうかしらん〉
アランはそんなことを思った。自分たちはアーミー・モロンから逃げ回っている間に、森の奥深くに踏み込んでしまっている。
アーミー・モロンから逃げ切るにしろ助けを待つにしろ、どうせ彼女の容態は手遅れとなるに違いない。
そうなれば死にかけた少女にこれ以上付き合うのは無益である。どのみちハスハは助からない。
ここで彼女を見捨てて身軽になれば、せめて自分ひとりだけでも助かる可能性が高くなる。
つまりこの場合自分の命のみを優先することは、自分にとってもコーディネイター全体にとっても利益であるということになる。
〈いや、こんなことを考える僕こそが馬鹿だ。そういえるんだ〉
だいたい自分は、初めからハスハを助けようとしなければ良かったのである。
展望台広場の有様に愕然としハスハの姿を探し回ったという時点で、自分の行為は論理的でないどころか、倫理的でない。
万人は万人の利益とならねばならぬ。そしてここでいう万人には己自身も含まれる。
結局助からない人間を救おうとして、自分の命を危険にさらした。いつもの自分なら、今の結果は簡単に予想できたはずである。
要するに自分は気が動転して、無分別にも不道徳な行いをしてしまったのである。
「……もう、いいわ。いいのよ」
ハスハが搾り出すように言った。
「アラン。私はもういいの。いいから、一人で行って」
「馬鹿、いいわけないだろ」
せっかく反省した甲斐も無く、アランは発作的に心にもないことを言ってしまった。
〈僕の馬鹿!〉
「いいの。私ね、アランが助けに来てくれて、嬉しかった。本当に嬉しかった。幸せだった。
私たち、ちょっとした行き違いで疎遠になって、アランが他の女たちに気を取られて、もう私を愛していないんじゃないかって、ずっと不安だったの。
でもアランは、最後に私を気遣って、私を抱いてくれて、私だけを見てくれて、それで私、安心した。
もう、迷わない。私はアランが好きで、アランも私が好き。だからアランは、生きて。
私はアランが好きなまま死ぬから、アランも私を好きなまま、生き続けて」
〈ちょっと待て〉
はいそうですかと答えるには、あまりにも具合の悪い告白である。
アランはまず自分の記憶力を疑った。もし不明瞭なところがあれば、ハスハの言葉も辻褄が合わなくもない。
しかしアランの記憶には、ハスハに別れ話を切り出し、しぶしぶ承服させたくだりが克明に刻み込まれていた。
別れた後に他の娘とのデートを邪魔したハスハを諭す場面も、しっかりと覚えている。
〈自分の意思を伝えるのって、こんなにも難しいことだったの?〉
「それに、私だって」
ハスハは立ち上がって、頼りない足取りで二三歩歩いて見せた。
「アランが逃げるまで、囮くらい出来るわ」
あからさまな苦痛の表情は見せないが、それはいかにもやせ我慢であった。挫いた足の添え木を外そうとする仕草はいかにも痛ましかった。
「強がりは止めろよ」
ハスハの手を払いのけて、アランは添え木の布を縛り直した。
「けれど……」
当然、少女の前に跪くような恰好になり、アランはその恰好のまま言った。
「君をこのまま死なせるなんて、出来るもんか」
アランは顔を上げた。
「僕は、自分の気持ちに嘘は付けない。このまま君が死んでしまったら、僕は君にも僕自身にも誠実でなくなる。だからさ――」
先ほどの告白を撤回してもらいたい、と続けようとしたところ、少女は感極まったような声を上げてアランを押し倒した。
勘違いでないと願いたかった。ハスハがアランの胸ですすり泣いているのも、ちょっとした傷心によるものであり、現実を空想にすりかえた感動によるものでは決してない。
どうかすればその証拠がきっと見つかるに違いないとアランは自分に言い聞かせ、途方にくれて森の奥に目をやった。
低いところに目があれば、いつもと違ったものが見えてくる。如何な美人であっても真下から見上げると豚鼻である。
物乞いにしてみれば金持ちは破廉恥きわまる高等詐欺師であり、金持ちにしてみれば物乞いは与えても与えなくても不愉快なならず者であるということにならなくもない。
アランの目に映ったのは価値転倒の表徴などでは無論なく、枝の配置の具合から見えなかったものである。
自然公園の木々の枝ぶりは自然の計り知れなさを演出すべく、立っているときの視点で見ると奥行きを覆い隠すように作られている。
それはいわば騙し絵の類であり、黒子モロンや改造小動物がその義務を着実に果たすために、別の視点では結構な範囲を見渡せるようにもなっている。
「顔?」
遠い暗がりの中に浮かんでいるのは、人間の顔ではない。
もしアーミー・モロンやコーディネイターの顔であったら、アランはハスハを蹴り飛ばして逃げ出したであろう。
「MS、なのか――ハスハ!」
アランはハスハの肩を掴んで引き離した。
「MSだよ! あっちにMSがある!」
ハスハがうなじを見せた拍子に髪が顔にかかったが、アランは払いのけないで続けた。
「顔なんだから、やつらのMSじゃない。きっと助けが来たんだ」
見たことも無いタイプの頭部である。人間がヘルメットを被り、への字の溝が二本あるマスクをつけているような形である。
額の部分にはダイヤ形の飾りが付いていて、その両脇から左右不対称に棒きれが生えている。
アランはハスハを抱き起こした。
「ハスハにも見えたろ。行ってみよう。僕ら、助かるかもしれない」
ハスハは返事をしなかった。
「ハスハ?」
アランは寒気を感じた。思えば少女の体は前よりぐったりしている気がした。
辛うじて体重を分担できる力は残っていても、彼女の体力が取り返しの付かない段階に立ち入っていても不思議でない。
「駄目……いけないわ」
アランは少しほっとしたが、ハスハの返事の意味が分かると腹立たしい気持ちになった。
〈この期に及んでまだ馬鹿なことを〉
「救助じゃなくて、あのMSは誰かが乗り捨てたものかもしれないから? それならそれで、僕らはあれに乗って逃げられるよ」
出回っているMSは、余程の故障がないかぎり野ざらしでも百年持つと宣伝されている。
そもそも自然公園などにMSが捨てられているのは左程珍しいことではない。放置MSなんて、どの区画でも幾体か必ずある。
それに故障したから捨てられたということも考えにくい。故障すれば保障が利き、故障品と引き換えに新しいMSを貰えるからである。
「それでも……ううん、そうじゃないの。あのMSは、いけない。あれは、あれだけは、駄目なのよ」
ハスハは歯を鳴らしていた。どうも妙な様子である。
「なんでだよ」
「わからない」
「はぁ?」
「ただ、嫌な予感がするの。あのMSのところへ行ってしまえば、何か、そう――」
「馬鹿らし、だったら僕一人で行くさ」
根拠の無い直感にこちらまで付き合う必要はない。アランがハスハに背を向けて歩き出そうとすると、
「駄目!」
とハスハにしがみ付かれた。
「放せったら」
「アランだけは、駄目なの! アランが、アランがあれと出会ってしまってはいけないの! あれに乗れば、アランはきっと不幸になる。アランはきっと辛い思いをする」
〈とっくに不幸なんだけどな〉
スメッグの効果がぶり返したとは思いにくい。ハスハは失血のためにとうとう気をやったのかもしれなかった。
「アランはあれに魅入られてしまう。アランはあれに取り込まれてしまう。アランは壊れてしまう。行けばアランはきっと、ガン……私、何を言ってるの?」
ハスハはきょとんとしてアランに尋ねた。
「いいかい。君は大怪我をして血を沢山流した。そのせいで血の巡りが悪くなっている。
そしてここに来るまでにショッキングなものを沢山見た。変なことを思いついたり言ってしまったりするのは何も恥ずかしいことじゃない。
君と同じ状況におかれれば誰だってどこか変になる。だからさ、今は僕のことを信じて、僕の言うとおりに行動して欲しい。わかったね、ハスハ」
少女はこっくり頷いた。
「じゃ、行こう」
「でも駄目」
〈駄目だこいつ。早くなんとかしないと〉
アランはハスハの手を引いた。しかし彼女はどうしても歩こうとしなかった。この押し問答は長丁場になりそうであったが、
『でっでっでっでっ……』
「いわんこっちゃない!」
アランはハスハを担いだ。荷物のような扱いであるが、足手まといのままでいられるよりましである。
アーミー・モロンの声に追い立てられるのは三度目である。いい加減慣れっこになっていた。
バッシュとウーティスの判断は素早かった。
コンティの手がコンソールに触れるより一瞬先にバッシュが「ウーティス!」と叫びながら自分のキルケニーを突進させ、向かいにあるコンティのキルケニーを押し倒した。
同型機故に臂力(ひりょく)は同等である。バッシュのキルケニーがコンティのキルケニーを組み伏せている間に、ウーティスが機体の制御を乗っ取った。
コンティは無茶をするどころか回線を切断する暇も持てなかった。
『この、動け! ウーティス、ロウ、バッシュ! ナギが……畜生! これが仲間のすることか!』
「ナギは無事さ。たった今通信があった」
『なら話させろ!』
「親切は受け取るもんだぜ」
『この――』
格納庫の整備員たちがあっけにとられた。ハンガーはぐちゃぐちゃで、人的被害の無いのは僥倖に他ならない。
コンティ・ネイブリットの声が途絶えたのはマイクを切られたために相違ないが、
ロックされたコックピットハッチに近寄って打撲音に耳をそばだてる物見高さは、誰一人として持たなかった。
キルケニーが二機とも強制停止させられ、バッシュはにがり顔をした。
「保険のつもりか」
『そうせざるを得ません』
「鼻に付くんだよ悪代官」
ウーティスは気を遣いすぎるほど遣っている。しかしけちをつけてもいられない。
「ロウの一存は」
『静観です。ナギさんとガンダムの状態がわからない以上、そうする他ありません』
「コーディネイターって人種は、もうちょいしおらしゅう出来んものかね」
『すみません』
「ケツまくるにしろ油売るにしろ、選挙は望むところじゃない。今揉めるべきじゃないのはコンティもわかってるだろうよ。
どんな結果になったって、誰も恨めはしないんだ」
バッシュはロウの決断力を見透かした気でいた。その上でウーティスに、いざというときの対処をにおわせたつもりであった。
ここでナギとガンダムを失ったとしても、ひとまずヴェスタと乗組員は逃げられる。その後は対抗手段の無いまま、新たな追っ手になぶり殺しにされるであろう。
管理局は徹底している。情報源となるのがヴェスタのみでないことは知っているに違いなく、生け捕りにして拷問などしない。
しかし殺されると決まった命をほんの少し永らえさせたに過ぎないにしろ、生きていられたということにはなり、乗組員はそれなりに納得しなくもない。
ナギの道連れになったところで文句を云わないのは、自分とロウとコンティの三人のみである。
その三人にしたって、死を前にした病人や老人と同様に、遺恨が全く無いといわれなくなるかもしれないのである。
『ともあれ杞憂であることを祈りましょう』
「無宗教の癖に調子のいい爺さんだ」
『ナチュラルとはそういうものなのでしょう?』
「さてさて、そうと限らんかもわからんよ」
バッシュは軽口を叩いた。
アランの見つけたMSは野ざらしのMSではなさそうであった。ついさっき墜落したような感じである。
倒れた木々が景気良く燃え上がっていないので、全身の焦げ付きは墜落前からのものであろう。
MSのそばには女性らしきものが倒れ、少し離れたところにはアーミー・モロンが倒れている。
アーミー・モロンは口から赤いあぶくを噴き出していた。アランが駆け跨ぎながらちらと見遣ると、その目が動いてアランを見返した。
振り返って見直すと、赤いあぶくが激しく湧いた。
アランは注意しながらMSに近寄った。女性らしき人の胴体は、血でぐっしょりになっていた。そして微動だにしなかった。
先ほどのアーミー・モロンと違って、生死すらわからなかった。アランはハスハを下ろして、黒焦げのMSをあらためて注視した。
「人型のMSなんて」
いかにも曰くありげに思われた。血塗れの女性を見てハスハが言った。
「この人が乗っていたのね」
「大昔のスポーツタイプというのかな。コックピットは――」
前に乗っていた人は随分と無茶な降り方をしたらしい。
MSに満足な降着姿勢も取らせず、コックピットの横から緊急乗降用のワイヤーを垂らしてある。
「まだ息があるかもしれないわ」
振向くと、ハスハが血塗れの女の前にしゃがんで、女の顔にそろそろと手を伸ばしていた。
「止しなったら」
アランは駆け寄ってハスハの腕を掴み、その途端に「うわっ」と声を上げた。
いきなり女の手が動いて、アランの足首を掴んだのである。女の頭が上がった。
泥と血とが相まって、何ともものすごい形相であった。
「しね……るか……」
アランはぞっとして、
「何これ、気持ち悪い」と思わず女を足蹴にした。ハスハが何か言いかけたが、
『デストローイ!』
の声に一拍置いて、MSの装甲が陶器をかち合わすような音を鳴らした。跳弾である。
「つかまって!」
アランはハスハを抱き寄せた。先だって調べたところ、ワイヤーの昇降スイッチらしきものは見当たらなかった。
ちょっとしたアスレチックである。大人二三人分の高さであるが、片手にハスハを抱えながらでは上られない。
けれどもハスハは、
「でもこの人が……」と愚図ついた。知ったことではないのである。アランはハスハの腰から手を放してワイヤーを手繰った。
「早く!」
『デストローイ!』
再び銃声が響いた。装甲の欠片がアランの頬を掠めた。ハスハがアランの体にしがみ付いた。
『デストローイ!』
間一髪、アランとハスハはコックピットに転がり込んだ。標準的なMSに比べて狭苦しいコックピットである。
シートも一つだけで、純然たる一人乗りである。
「奥、行って」
アランはハスハをシート裏へ押しやり、難儀して操縦席に腰掛けると、袖で頬を拭った。しばらく傷跡が残るかもしれない。
耳の真横でハスハが言った。
「動かせるの?」
「仮免なら、持ってる」
そうは言ったものの、どうにかシミュレーターの基礎動作をこなしたばかりで、現実では路上教習すら経験が無い。しかもこのMSの操作系は初見のものである。
音声入力なのか、コンソールでのワンタッチ操作なのか、或いはモビルトレース方式なのかどうも判別しかねた。
ずいぶん旧式のアームレイカーはあるにはあるが、教習所で習ったところによればこういうものは大概、緊急用乃至玄人用で手動操作にしか用いられない飾りである。
モニターを見た限り起動自体はしているらしい。が、メインウインドウばかりでなく、機体パラメータと思わしき数値もエラーの文字で埋まっている。スタンバイ状態というのでもない。
銃弾がコックピットハッチで跳ね返り、その音がコックピットに反響する。
アランはなぜこのMSが乗り捨てられたのか分かった気がした。けれどもそれ以上考えたくなくて、捨て鉢で叫んだ。
「ハッチ閉じろ! 閉じろったら!」
コックピットハッチは閉じる代わりに、二度三度と連続で音を鳴らした。ハスハが一切を諦めたようにアランの耳元で呟いた。
「アラン……」
「うるさい! 集中できないだろ!」
八つ当たりである。もはや涙声であった。
「なぜだよ!」
アランはコンソールを殴った。
「どうして僕がこんな目にあわなきゃいけない!」
銃声と反響音が伴奏のようになって行く。コックピットハッチは開いたままで、そこから銃弾が飛び出るのも時間の問題であった。
「僕はコーディネイターだぞ! 汚くて臭くて怖くて、そんな目に遭っちゃ駄目なんだよ!
充実した人生を送るはずだったのに! モロンなんかに襲われて……このっ!」
アランは既に少し錯乱していた。手の皮が剥けて血が滲み、赤い肉が顔を出した。コンソールは頑丈でびくともしない。
こんな羽目になったのはみんなハスハのせいである。
彼女が自身の立場を弁えて、アランの気持ちを察して、下らぬお喋りに付き合わせようとせずかまわないでいてくれたら、
アランは自然公園に足を踏み入れることも、命の危険に晒されることも死体の間で彷徨うことも、得体の知れぬMSの中で進退惟谷まることも絶対に無かったのである。
今ごろきっとベッドで安眠していたことであろう。ハスハのおかげで散々である。
「動けよ!」
アランは血まみれの手でアームレイカーを掴んだ。
「僕が動けって言ってるんだ! どうして動かないんだよ! 動けよ! 動いて! うごあつっ――」
じゅっと聞こえたと思うと刺すような熱を手のひらに感じた。アランはびくびくしながら手をアームレイカーから離した。
離す瞬間、ぴりりと剥がれるような感触があった。人間の皮膚が焼き鏝で熱せられればどうなるか、知識としては知っている。
アランは恐る恐る手を裏返した。
「なんとも、ない?」
火傷したはずの手のひらは、皮を張り替えたかのようにきれいであった。
「アラン?」
「今、確かに……」
コックピットハッチが閉じた。
「動い、た」
「そう……みたい」
消え入りそうな声で少女が言った。
「やった! こいつ動くぞ!」
「おかしいわ……なぜなの……」
エラーの表示は次々に閉じられて行き、外の景色が映るようになる。
このMSの前には無数のアーミー・モロンが立ち並び、飽きもせず口をぱくぱくさせて、小銃を撃ち続けている。
コックピットハッチの着弾音は無くならないが、このMSに乗った今、それは豆鉄砲のようなものである。
アランはMSの思いがけない起動ですっかり余裕を取り戻した。
〈やっぱり、モロンはモロンでしかなかったんだ〉
ところがその増上満は、目の前の木々と一緒に傾いた。
「彼らのMSだわ」
丸ごと機銃となっている両腕で木々をかき分けて、首なしのMSがのっそり足を踏み出した。
その肩にはMOS-Hと書いてあり、その足元では小柄なコマンダー・モロンが、言いがかりをつけるような身振りをしてこちらを指差した。
「MSなんて反則だ!」
こちらはコックピットハッチを閉じられただけで、首振りすら出来ないのである。
アランはコンソールを操作してマニュアルを見つけようとしたが、OSの勝手がわからず、というよりOS自体が無茶苦茶で、妙なプログラムを起動させてしまった。
画面の真ん中に『PROCRUSTES-SYSTEM』という文字が表示された。
「ぷろく、るすてす……プロクルステスの鉄床……」と少女が抑揚なく呟いた。
「は?」
アランが怪訝顔をすると、
『パイロットの搭乗を確認』という合成音声が聞こえた。
「音声ナビ? 再起動したというの?」
アランは耳を澄ました。
『Doll-DA、パイロット認証シークエンス開始』
ここまで来てコックピットが突然揺れた。MOS-Hが、砲撃を始めたのである。
着弾音は小銃の比ではなく、耳元で太鼓を叩かれるような大音量であった。
それも一発では済まされず、特殊な音楽性を持つ演奏者集団が頭を風船みたいに振り回しながら弦楽器や打楽器をいじめて悦に浸る如く、
最初の二回でもう勘弁と願いたくなる騒音が益々勢いづいて延々と続くのである。
弾丸の衝突で生じた振動もコックピットに伝わった。
『ロットコード……イディット……№07……アラン・イディット……』
被弾の都度、画面全体にノイズが走る。揺れで焦点が定まらぬのに加え、そこに起動処理と機体異常のウインドウが忙しく割り込み合い、いよいよ目が回って来る。
『メインカメラ破損』
瞬時に蜘蛛の巣状のひび割れが広がったと思えば画面が真っ暗になる。コンソールパネルの蛍光だけが、ぼんやりと手元を照らす。
『初期DNA適合……0.72……現……0.41……エランバイタル……』
ブザーが喚き出して、耳も利かなくなった。
音声ナビがどのような意味のことを言って、起動シークエンスがどこまで進んでいるのかもはっきりわからない。
『第一外殻、耐久限界。第二外殻、損傷』
ただ雑音の中から、物騒な報告ばかりが耳聡く聞き分けられた。
『バランサーに異常発生』
コックピット全体がゆっくりと傾いて足腰がおぼつかなく思われた数瞬後、激しい衝撃が体じゅうに響き渡った。機体が横転したのである。
MSは大きい。緩和措置抜きの転倒はややもすれば建物の屋上から飛び降りるのと同等で、内臓ごとひっくり返しかねない。
アランは危うく頭を打ちかけた。壁が床で、床が壁となっている。
「ハスハ」
寝返りを打つように振向いた。コックピットはすっかり静かになっていた。
ハスハは暗がりのなか目を瞑って、側面モニターの上に力なく横たわっていた。
「ハスハ、ハスハったら」
少女はうわ言を言うようにアランの名前を口にした。脳震盪かもしれないが、ともかく彼女は生きている。
アランは少し安心した。しかしすぐにまた眉を曇らした。
被弾音はなくなったが、入れ代わりに、何やら硬い物の割れる音が連続して鳴ったのである。
次第に大きくなる軋りもコックピットまで伝わって来た。散々にいたぶられて機体が限界を迎えたのかもしれない。
「圧し潰される? まださ、まだメインカメラがやられただけ――」
アランはハスハを膝に乗せると聊か無謀な姿勢でコンソールに手を伸ばした。
「なのにどうして反応がないんだよ!」
外の映像が無くなるのはいいが、機体パラメータなどのサブウインドウまで消えるのは納得行かない。
残っているのは『PROCRUSTES-SYSTEM』という文字だけである。
MSは人間とは違う。手足をもぎ取られても頭を潰されても、コックピットブロックさえ無事なら何かしらの反応があるはずである。
〈待てよ。このなんとかシステムというのは消えちゃいない〉
軋りはとうとううるさくなって、春先の猫の如き趣を呈した。
〈スピーカーの故障か何かで認証シークエンス自体は続いている? なら他のプログラムは? 処理落ち? いや、それも違う〉
騒音が遠ざかり、頭がぼうっとして来た。
〈これは正常……アップデートのタイムラグ……Doll-Device Archive……ああもう、喧しいな〉
アランは得体の知れない想念を振り払って文字列を睨んだ。
「こいつがなんだってかまわない。このままなぶり殺しに殺されるなんて……僕は嫌だ」
そうぼやいたときである。『PROCRUSTES-SYSTEM』の文字がぶれて一対の可視光線と化し、瞼が灼熱した。
「目が! 目がぁ!」
アランは絶叫した。強烈な閃光に焼かれた目から、涙とともに鮮血が溢れ出た。アランは頭を振り回した。
目は閉じられなかった。瞼が焼け落ちたのかもしれなかった。どこを向いても視界いっぱいに、赤と青が交互に激しく点滅していた。腕がアームレイカーに貼り付いて、目を庇うことは出来なかった。
胸が引きつって息を吸えなかった。声も掠れて途切れて行った。心臓を鷲づかみされたみたいあった。
そうして、はらわたそのものが異物に変じたような吐き気が生じた。
それは喉を上り、鼻を詰らせ、耳を塞ぎ、脳髄の中心で一挙に膨れ上がり、目玉の裏側を這いずり回った。
手足も無事ではすまなかった。延髄を伝い下りた異物感が一本一本の骨の髄に染み渡った。
腕はもちろん、あばら骨ですら自分のものとは思えなかった。
全身の皮は邪魔っけなずた袋のようであり、強張った男根の脈動は、もはや己は独立の存在であって何者かの付属物ではないと、がなりたてているようであった。
初めに、射精があった。次に言葉があった。言葉は彼とともにあった。
「どるだ」
言葉は彼であった。
すべてのものは、彼のために造られた。造られたもので、彼のためによらずにできたものは一つもなかった。
彼はアラン・イディットの口でこう言った。
「イディット07、脳量子更新。諸表象、統合完了。Doll-DA……システム再始動」
光が闇のなかに輝いていた。彼は手を伸ばして光を掴み、握り潰した。闇が光に打ち勝った。
「活動電位パターン復元。自律性を譲渡」
彼は再び、永い眠りについた。
風が吹いた。定時の空調である。森じゅうに立ち込めた生臭い臭いは追い払われ、森の香りと銘打たれた爽やかな香りがどこからか渡って来る。
甘すぎず青臭すぎず、気を引き締めるようでありながらほのかに優しい感じもする。
夜気にのぼせた来園者たちもこの時間になると、なんとなく寝床が恋しくなり、鷹揚に身繕いを始める。
翌朝の心配ではない。睡眠時間はスメッグで補える。
ただこのときばかりは、夜遊びで楽しく過ごすよりも枕を抱えて布団にくるまる方が、ずっとずっと素晴らしく思われるのである。
何も見ず、何も聞かず、何も考えないでいられる。日ごとに訪れる死とも呼ばれるこの慰みは、肉の愛と同様に不変であった。
神や涅槃や天や社会といった形而上の概念やそれに似たものの一切が迷妄として捨て去られるか、あるいは過剰に祭り上げられるかしても、
この二つは相も変わらずアルキメデスの所望した足場として働き続ける。
自分たちこそありとあらゆるものの究極の目的因であると確信していた存在の作用因であり続けるのである。
二本の棒状のものがあり、その一方がもう一方を枕にすれば人の字になるという事実もそれを肯定している。
自然公園がそのようにして帰宅を奨励しているというのに、来園者たちは帰り支度をしないどころか、声一つ上げなかった。
汚れてぱさぱさの髪が微風で震える。幹に立てかけてあった背が何かの拍子でずり下がる。葉先の赤い滴りが止む。
ベンチに置き去りの紙コップが、波打つ中身にあわせて揺れる。
顔の無い青年が大の字で芝生に寝ころび、背中じゅう無数の赤い斑点をつけた女性が藪に頭を突っ込んでいる。
操作盤の割れた携帯端末を掴む小さな手が、大人たちの体の下からはみ出ている。
ほんの十二三と思われる可憐な少女は、可憐な顔はそのままで、くぱりとお腹を裂かれてあった。
アーミー・モロンたちもまた沈黙していた。自然公園の制圧はある程度済ましてあった。
彼らはナチュラルの兵隊と違って直接に肉体的な快楽を追い求めない。したがって、非戦闘員が相手でもその作業は迅速である。
数羽の小鳥が囀りながら飛んで来て、ヒューブリスにとまった。
小鳥たちはモノアイのまわりをせかせかと首を振って跳ね回りながら、隙を見るように木屑を啄ばんだ。
栗鼠も来た。コマンダー・モロンの足元に寄って来た。
栗鼠は地べたの木の実を大事そうに抱えると、そのままコマンダー・モロンの帽子によじのぼって、ちょこなんと腰を据えた。
早回しのように木の実を齧り、頬を膨らました。
Doll-DAは全身の関節が外れたように、ちぐはぐな格好で転がっていた。
ヒューブリスの銃撃を受けた装甲は、ぼろきれみたいにずたずたであった。
それは弾痕というよりも、切れ味のよくない刃物で遊ばれた風に見えた。
あちこち抉れ、左肩などは反対側に比べて明らかに小さかった。頭部も激しい有様で、右の眼窩から後頭部にかけて、まるまる潰したようになっていた。
右目のあったところから滾々と湧き出る真っ黒い液体が、地面に零れ落ちて真っ黒い水溜りを作った。
コマンダー・モロンが自身の胸を叩いた。
「ジーンW0!」
栗鼠がびっくりして逃げ出した。コマンダー・モロンは叩いた反動を生かして腕をぴんと伸ばし、
空気をかき混ぜるように手首だけで手のひらを回すと、勢い良くDoll-DAに向かって中指を立てた。
ヒューブリスのモノアイがうごめき、小鳥が飛び立った。
ジーンW0と呼ばれたヒューブリスのパイロットは「ジーンW0、鼠怪(そけい)部ビームテンタクル起動」と呟き、両手の操縦桿を横に倒した。
ヒューブリスのテールスタビライザーがくるんと股を潜って前方に突き出された。
装甲が分割して幹を伸ばし、尖端を左右に拡張させ、全体として茸に似た輪郭に変形する。
装甲の展開されたところには、ビーム発振器である無数の疣が並んでいる。
ヒューブリスが前進する。Doll-DAに一歩一歩と近づくごとに、疣は発光を強めて行く。最早肉迫といえる距離にまで来ると、
「デス――」
『――トローイ!』
コマンダー・モロンとジーンW0が一斉にそう叫び、堰を切ったように光の束があふれ出た。
それはその名の通り、軟体動物の腕のようであった。
無数の疣から延びた無数の光の糸は、膨張しつつDoll-DAを絡め取った。Doll-DAの体は瞬く間に金色の腕に覆い隠された。
光の腕はぐねぐねと絶えずのたうち、制御の不安定なビーム粒子が粘液のように飛び散って木々や地面を焼いた。
間の悪いときに居合わせた栗鼠がそれを浴びて頭を無くした。こてんと倒れたのも束の間、光の腕がしなって体の残りを焼き消した。
Doll-DAの近くにあった女の体は、先だって銃撃の際に掘り起こされた土に埋まっていたので、直接にビーム粒子を浴びずに済んだ。
Doll-DAの装甲は奇妙であった。銃創の具合を見るに、材質自体の強度はCOSタイプとそう変わりないようであるが、なかなか貫通させてくれないのである。
粘りがあるといってもいい。同じ装甲でも幾倍もの厚みがあるようで、体を覆う鎧を壊すというより、塊を削るのに似た手応えである。
ビームへの耐性も、不自然なほど高い。普通なら消し炭になっていてもおかしくない時間を経ても、Doll-DAは依然人型を留めている。
「ででんっでっでデストローイ!」ジーンW0は武器の出力を上げた。
金色の腕がいっそう激しく脈打ち、濃密なビーム粒子が糸を引いて滴った。
腕の先が先細り、Doll-DAの装甲に開いた穴という穴の全てに押し入ろうと這い回った。
腕たちは挿入されるとなかを貫通して別の穴から顔を出した。幹を太くして穴自体を押し広げたり、先端を膨らまして内側から溶かしたりもした。
なかで激しく動かれるたびに、Doll-DAの体も痙攣した。ヒューブリスの近接兵装は、ゆっくりと、しかし確実にDoll-DAを蝕んで行った。
Doll-DAの腹の装甲が、糊を溶かされたように剥がれ落ちた。剥がれた装甲は頼りなかった。ビームの腹に撫でられたと思うとあっけなく焼失した。
次に頭が弾けた。眼窩の名残を蹂躙する腕が十本二十本と数を増やした結果、その拡張が限界に達したのである。
腕は間隙を求めて先細り、頭蓋のなかで滅茶苦茶に暴れまわって、かつて角飾りのあったところをその基部ごと内側から押し弾いた。
額に開いた不恰好な穴から金色の糸が幾本もこぼれ出て、ゆらりゆらりと舞い踊った。磯巾着のようであった。
角飾りの残骸が無数の腕に飲み込まれて、糸が額の穴を裂こうとしたときである。金色の光の中に、オレンジ色の点がほのめいた。
「でっでいう!」
背から突き出たビームの腕が短くなる。わき腹に絡まる腕の尖端が慌しくのたうちながら離れて行く。
ビームの光の中に染みのような暗がりが生じる。暗がりは光を引き裂き、その闇を深めて行く。
Doll-DAの左腕である。装甲が焼け落ち、ところどころ抉り取られて骨だけのようになった黒い腕が、無数のビームの腕を押し返していた。
「デスデストローイ!」
ジーンW0の叫びとともにビームの腕は光の奔流と化し、Doll-DAの指の間から雪崩れかかる。
しかしDoll-DAの左腕は、何ら抵抗を受けていないかのように、金色のビームを裂きながら無造作に持ち上がった。
「デストローイ! デストローイ! デストローイ!」
Doll-DAが手を伸ばしながら上体を起こす。既にその頭部からは、ビームの腕の半分以上が引き抜かれている。
ひび割れ、熔解しかけた隻眼が赤々と輝いた。
Doll-DAがビームテンタクルの付け根を掴み、足を組み替えて立ち上がった。落ち着いた動作であった。
Doll-DAは直立せず、ヒューブリスの股間を押さえたまま中腰の姿勢でヒューブリスと睨み合った。
すると次の瞬間、親指で抉るように握り潰した。
「デス――」
ヒューブリスの下半身が弛緩する。茸形をしたビームテンタクルもしょんぼりとうなだれて、疣状のビーム発振器から光が失せる。
ビームの腕たちは突然に結合力を失い、粒子と化して溶け落ちた。Doll-DAの頭蓋で頑張っていた金糸はその大元を断たれ、塵になって四散した。
Doll-DAが手を離した。それにより、ヒューブリスは己の体重を支えきれずにくずおれる。が、跪く寸前で踏み止まった。
「ででっでっででん!」
ジーンW0が両手の操縦桿を立ち上げる。悠然と見下ろすDoll-DAの隻眼に向けてヒューブリスの両腕が伸ばされる。
「デストローイ!」
至近距離での火砲がDoll-DAの顔面に直撃した。しかしそれは頭を仰け反らしたに過ぎなかった。
Doll-DAの首から下は直立して、不動であった。Doll-DAは正面に向き直ると、頭を左右に揺らした。
「デスデスデスデスデストローイ!」
ジーンW0は連射した。けれども今度は首が完全に据わっているのか、Doll-DAの顔は銃弾を弾きながら、微かに震えるばかりであった。
もはや銃弾など意に介しないように、Doll-DAは左手を動かした。その左手はヒューブリスの循環液を滴らせながら、そっとヒューブリスのモノアイに乗せられた。
「ででっ!」
ヒューブリスの足の関節で火花が散った。上方にとてつもない荷重のあることをセンサーが示した。
画面はDoll-DAの手のひらを大写しに映し、いつしか罅割れて消えて行った。
ヒューブリスの足腰は押すも引くも出来なかった。もし力の均衡が少しでも崩れれば、途端にぽっきりへし折れる。じたばたしていた両腕がそれを察して硬直したが、荷重の増えるのは止まなかった。
初めに股が裂けた。ビームテンタクルの基部が壊れたせいで、脆くなっていたのである。
こうして胴体が荷重を全て引き受けることになり、次にモノアイ付近が大きく陥没した。
その陥没は間もなくコックピットに伝わった。コックピットの内装が拉げるとともに天井が膨らんで、ジーンW0の頭上に伸し掛かった。
ジーンW0はその職務に忠実であった。両手は操縦桿を握り、シートには最期までかしこまっていた。
全身の腱と意識が切れた後、割れかかった頭が骨を砕きながら胴体の中に押し込まれて行った。
車に轢かれた蛙のように、ジーンW0は骨ごとぺしゃんこになった。
Doll-DAの動作はつまるところ、我が子に謝罪を強いる母親が、勢い余って潰してしまったような感じであった。
報復めいた折檻においてやられる側はやる側より苦痛の多いのが必定である。疚しからざる情愛による行為は必然的にある種の幸福感を伴う。
生理不順の金切り声と大人の腕力をあびせられる相手の方は、異性愛的な悦楽を見出さない限り心の涙なるものを察したって、惨めが増すばかりである。
己の罪深さを思い知り、すっかり反省してしょげている。人間未満の動物のそういう姿を見て全く微笑ましく思わないと言うのは謙遜であろう。
伝道者は改心者の名をさも得意げに挙げるし、躾の厳しさを誇らない親は滅多にない。
毛に覆われた人間でも反省することは出来ると一般に云われるが、それは、させることが出来るという意味でもある。
さてヒューブリスの有様はというに、そのようにして打ちのめされた子供の心という比喩が妥当する。
いわば死をもった土下座である。切腹したように体の中身を地面にぶちまけ、もはや二度と立つまいと拗ねるように潰れている。
介錯は必要でない。MOSタイプにはもとより首が無く、首を据え付けるに都合の良い箇所にもDoll-DAの手形がくっきりついている。
ここで突然、Doll-DAが涙を流した。緑色に発光する涙であった。
物質的にもいじけているヒューブリスを見下ろして、自分の怪力がしでかしたことを悔い始めたのか、相手の改心を確信して感動しているのかは定かでない。
Doll-DAは腕を広げて天を仰いだ。胸の装甲が人間の深呼吸のように上下した。
「コード49MO! ジーンW0! 49MOジーンW0! ででっでデストローイ!」
ジーンW0の反応が途絶えたことによりアーミー・モロンたちが銃撃を再開したが、彼らは対人用の武器しか携帯していない。Doll-DAは億劫そうに首を回したきりであった。
Doll-DAは深呼吸を終えると、いきなり頭を抱え出した。世界に対するMS的な苦悩を表現しようというのではなく、ヘルメットが窮屈で苦しんでいるといったような様子であろう。
兜頭はガンダムの主だった象徴である。Doll-DAは半壊のそれに手をかけて、どうにか外そうと身を捩じっていた。
ふけを取るように頭を掻き回っていた指が頭頂部に取っ掛かりを見つける。腕が一瞬引きつると、真ん中からぐぱっと裂けた。
裂けた断面で、緑色に光る筋繊維に似たものが千切れて行く。裂け目の奥には、粘膜を思わせるぬらぬらした光沢が覗いて見えた。
「グレネード!」
粘膜部位なら脆弱に違いない。そうコマンダー・モロンがひらめいたかもわからない。
前方のアーミー・モロンたちがDoll-DAに駆け寄って手榴弾を投げた。大半が弾かれたが、二三個は上手く中に転がり込んだ。
数秒後、「デストローイ!」の掛け声に合わせて、Doll-DAの足元に散らばった手榴弾とDoll-DAの頭が爆発した。
爆煙が晴れた。真っ二つに割れた頭蓋が地面に落ちて音を立てた。Doll-DAの手が、落としたのである。
Doll-DAの肩の上には真新しい頭部が乗っていた。
その頭は、見るからに小さかった。その小顔と体の対比は、丈の合わない肉襦袢を思わせた。
それは半ば透明で、虹色の艶を帯び、無数の血管めいた蛍光色の毛管が、真っ黒い芯を包み込んでいるのが透けて見えた。
額にはダイヤ形の飾りがあり、その左右から細長い二本の角が生えている。嘴の上には鼻をそげ落としたと思わせる二本のへの字の溝がある。
双眼の下に泣きはらしたような隈取があり、そこから頤にかけて細い線が引かれてある。
それは正しくガンダムであった。
顔の横では、尖った耳か羽飾りを連想させる板切れが額の角と平行に突き出ていて、そこが獅子めいた、或いは少年じみた余分な印象を与えるが、
角と目と兜を具えているのであるからやはりガンダムといえた。
への字の溝から燐光が零れ、ガンダムドルダの体が膨張する。装甲が盛り上がり、亀裂が走った。
胸の装甲が飛ぶ。内圧で弾かれたのである。装甲は樹木を倒し、その細かい破片は弾丸のように森の奥へ消えて行った。
暫くするとすね当てが割れ始めた。小さな破片が飛び、それを受けたアーミー・モロンたちがあうあうと声を上げる。
破片を頭部に受けた者がばたんと倒れる。折り悪く臍の下に受け、情けないうめき声を漏らしながら崩れ落ちた者もある。
コマンダー・モロンが防御の指示を出すより早く、大きな破片が飛来してアーミー・モロンの首を跳ねたり、胴体を貫いて木々に張り付けにしたりする。
ガンダムドルダの装甲は弾け出すと止まらなかった。それは連鎖した。
コマンダー・モロンを含めた数体のアーミー・モロンは倒れた木の陰に身を隠し、それをやりすごそうとした。
しかし破片の飛来が静まりかけたかと思えば、今度は凄まじい衝撃波に襲われた。
衝撃波は木々を薙ぎ倒し、土砂をひっくり返し、ヒューブリスの残骸や、生きているアーミー・モロンと死んでいるアーミー・モロン、森を駆け回る改造小動物たちなど、
要するに自然公園の小区画にあるものの一切を吹き飛ばした。その中にはナギ・ヴァニミィと呼ばれた女の体もあった。そうして、人間の形をしていたものはみな、ドルダを除いて埋まってしまったのである。
樹木は規則正しく傾いでいる。上空から見るとそれらの列はきれいに円を描いて、押し寄せた瓦礫の高波を支えているようにも見える。
瓦礫の盛り上がりもまた、円を描いている。そこには木と土の香りが散っていて、土砂の隙間から、枝や根や人間の手足が覗いていた。
円の内側へ進むと切り株や穴ぼこが続き、更に進むと窪地である。すり鉢状に抉れた地面から、断線したケーブルがはみ出ている。
その中心に、ガンダムドルダは立っていた。
膝の裏や脇の下、奥まったところにある装甲の残骸が瞬時に色褪せて風化する。
ガンダムドルダの体は一回り小柄になっていた。
全身の装甲は頭部のそれと同様に半透明であったが、
羽化した蝶の羽のように、外気に触れた装甲はしだいに曇りガラスのように曇って行き、そうしていつしか、光を遮る純白と化した。
ツインアイの輝きも、赤から緑に変色する。
「Doll-DA、アップデート完了」
少年はDoll-DAのコックピットでそう告げた。
何が起きて、何をしたのかもわからなかった。さっきまでの自分はただもう無我夢中で、寝ぼけたように手を動かしていた。
いつの間にか目の前に首なしのMSがある。それが両腕を上げて銃撃を浴びせて来る。自分はそれに手を乗せる。
首なしMSは簡単にぺしゃんこになる。そうしてから今度はひどく動き辛いことに気が付いて、コンソールを滅茶苦茶に操作する。
すると余計なものがみんな外れて行き、すこし思い切りアームレイカーを握ると、あたり一面が吹き飛んだ。
今はもはや邪魔なものはなにもない。自分の頭も、恐ろしいくらいすっきりしている。
「そうだ」
アランはアームレイカーを動かした。磨いたように真白く、新品のように擦り傷一つ無いMSの手の平が持ち上がった。
「僕には、わかる」
MSの指を順々に折り曲げる。
「こいつの、ドルダの動かし方がわかるんだ」
ドルダは薬指だけを立てて、それをくるくると回したり、それで宙に文字を描いたりした。
アラン自身より器用である。「ははっ」という笑い声が漏れた。
「凄い。このドルダ凄いよ」
とにかく素晴らしい気分であった。ものすごく巧みな相手との交合を終えたときのように、大げさに笑うのもはしゃぐのもなんだか勿体無いことのように思われ、
ましてや感想を口述するなど危なげでしたくなく、ただ余韻を味わっていたい、そんな晴れがましい気分であった。
顔の濡れているのは気にならない。下着の内側に溜まったひんやりと硬い液体でさえ、心地良く感触される。
寧ろその部分の衰えない体温で、暖めてやりたいくらいである。膝の上にハスハという少女の腰を乗せているせいで、そこを強張らせようと力むとむず痒い鈍痛を感じた。
今の自分は何だって出来る。アーミー・モロンであろうが首なしMSであろうが、超常現象であろうがどんと来いという感じである。
この全能感はスメッグを使ったときとも少し違う。スメッグを使えばあらゆる筋肉と神経が活発になるが、こうも落ち着いてはいられない。
今は全然そわそわしないのである。ありきたりな喩えであるが、今まさに自分はこのMSとともに生まれ変わったと、そういう風にも思われた。
アランは笑った。それは喜悦を堪えられずに出るような意地汚い笑いではなく、自然な、明朗な笑いであった。
ドルダも笑った。アランの息に合わせてへの字の溝が燐光を吐いた。
「アラン?」
ハスハが目を覚ましていた。
「や、おはよ」
「貴方……なの?」
ハスハは目が会うと、何か恐ろしいものでも見たような顔をした。
「血が、血が出てる」
「それは君、怪我してるんだから」
「違う。私ではなくて、貴方が」
ハスハの手がアランの頬にそうっと触れて、離れた。指には滓混じりの赤いものが付いていた。
「うえ、なにこれ」感じからして、それは目のあたりから涙のように垂れている。アランは目を擦った。
「触っては駄目」
「別に何ともないよ。全然痛くないし。君のが付いたのかもしれない」
「ほんとうに、痛くないの」
「ほんとにほんとう、痛くないってば。ったく、信じてよ」
「でもやっぱり、触れるのはよくないわ」
「しつこいね。今はそんな――センサーに感?」
警告音に続いて突き飛ばされるような衝撃と、遅ればせの風切音が来た。出し抜けに飛来した弾丸がドルダに直撃したのである。
ドルダが仰け反りつつ退いて、地面に足すべりの跡が着く。が、直ちに踏みとどまって背筋を伸ばした。
粉塵の晴れて現れたドルダの胸には、ほんのちょっとの黒ずみと、ほんのちょっとの凹みがあった。
暗がりの奥に黄色い光点が見えた。モノアイである。
「首なしの同類!」
自動で索敵が始められ、画面が暗視モードに切り替わる。
「一、二、三機。いや、奥にまだ」
今や五機のMSがドルダを取り囲んでいた。直接ドルダに狙いを定めているのは正面の一機である。
砲撃の威力は大きかった。先のMOS-Hとは武装の種類が違うのであろう。両腕の砲身がやや大振りで、腰にぴたりと肘を据えてどっしりした押し出しである。
「……何が、起きているの」
枯れそうな声であった。アランが膝に乗せているとはいえ、被弾の負担はハスハの生命に関わる。けれどもアランは得意げに、
「僕はこいつを使えるということさ」と、アームレイカーを掴み直した。
首なしMSの銃口が光るのとアランのこめかみからざらりとした感覚が突き抜けるのとは、全く同時のことであった。
「SE――」
少年の口が少年の知覚に先立って声を出す。発射された弾丸は一直線に向かって来る。
それは大気を裂き、穿ち、そして思春の自己濫費の如く一切を振り捨て、後に残したものを省みることなく、唸り声を上げながら進んで来る。
「――フィールド!」
ドルダの前方の空間が変質した。粉塵の残滓も遠い夜景の瞬きも、一切の動作を止めた。
そこだけ一旦静止画を撮って画面に切り貼りしたみたいになった。
そこに弾丸が押し入った。他のあらゆるものが静止したなかで弾丸は運動し、己が作用を空間に及ぼした。
裂かれた大気が波紋を形作る。塵が弾丸に押し退けられる。弾丸の尻の痕跡は蛇腹として残される。
大気そのものを水飴に挿げ替えたようにも見え、コーヒーに垂らしたミルクのように、弾丸の軌跡は大気に輪郭をつけたと思えばしだいに溶けてぼやけて行く。
そしてぼやけた大気が弾丸を追って逆流する。蛇腹の外を通って弾丸の正面に回り込み、再び裂かれて波紋と化しながらも、絶えずしつこく纏わりつく。
不意に弾丸が減速した。弾丸は抵抗を受けていた。数知れぬ循環の末に、大気が弾丸の横暴にうんざりしたのかもしれない。
大気は結束して弾丸を止めにかかった。
弾丸から受けた抵抗をそのままこちらの抵抗力に転じ続け、もはや空気抵抗と称されるようなてんでんに摩擦しつつ逃げるしか出来ないものではなく、むしろこちらから押し返してやろうと、気体らしからぬ反作用を発揮していた。
硬い大気が真正面から弾丸の運動を否定する。薄く幅広の大気が横合いからなだめにかかる。
下では散り散りの大気がひそひそ交わし、後ろの希薄な大気はというと、為せばなる、全ては気の持ちようだと断言して弾丸を煽っている。
しかし物質の魂は公共的に承認されていないので、この弾丸が物質である以上、気は体の持ちようとならざるを得ない。それに気体は気体にしか直覚できないから、固体である弾丸が忠告を聞き入れられるはずもない。
減速を始めたが最後であった。弾丸の運動量はその質量とともに一挙に減少した。SEフィールドへの侵入から前進の停止に至るまで、それは殆ど瞬間であった。
色恋の秘事に立ち入られた青少年の心の働きと同様、まるで瞬間の出来事であった。相手の有無や保存測に関わりなく、盲目的な激情が盲目的な平静に一転する。
弾丸はドルダの手前で停止した。空間を波打たせ、自身も蜃気楼のようにゆらめきながら空中に囚われていた。
SEフィールドは引力さえも遮断した。空間的にも時間的にもこの弾丸という存在の重みは消失しかけていた。人道的比喩を用いるなら、借金の見込みの外れた親友である。
「あっちで――」
アランがドルダの右腕を振りかぶり、
「――爆ぜろよ!」の声とともに真横に払うと、弾丸が撃ち出されたときと遜色ない勢いで真横に飛んで行き、通りがかりにいたMOS-Hの胸を貫通した。
膨れ上がった廉恥心と同じく、弾丸は破裂しないではいられなかった。MOS-Hは体はそのまま、コックピットにはぐちゃぐちゃになられて、動かなくなった。
「そうだ。僕にはこれが、SEフィールドが使える。もう銃なんて怖く無い」
アランは口の端を釣り上げた。ハスハが息を呑んだ。ドルダの二つの目が光る。
首なしMSはアランたちを追いかけたアーミー・モロンの仲間である。なかにはきっと、同じアーミー・モロンどもが入っているに違いない。
「よくも僕を怖い目にあわせたな!」
穏やかな怒気と、言い知れぬ喜悦を孕んだ声が、即席の荒野に響き渡った。
Doll-DAはアラン・イディットという新たなパイロットを得た。
彼は彼の主であり、彼は彼の僕であった。彼は地を踏みしめ、彼の敵を見据えていた。
彼らの目は爛々と輝いていた。彼らの敵意は重なった。彼らはもはや、一心同体であった。
そこは墓場であった。門には『COLONY BENSALEM』と刻まれてあった。
星空の下には海も緑もなく、砂だけが広がっていた。
『――こうしてガンダムドルダの新生は始まった』
墓守の声が響いた。それを聞いた者は死者を除いて一人もなかった。
墓地には墓石が立っていた。
『HUMAN
B.C.……00‐….C……』
墓標は掠れて読めなかった。墓石の傍らには、壊れた人形が散らばっている。
つづく
同時に足元から「むぎゃっ」という声が聞こえた。
「ひどいな君。痛いじゃないか」
声の主が、腕を押さえながら身を起こした。顔じゅう泥だらけの成人男性である。
アランはコーディネイターを見つけて安心し、つい謝った。
「すみません」
「気をつけてくれよ」
男は袖の足跡を擦って伸ばすと、また横になった。
「いや、何してんです」
男がけだるそうに目を開けた。
「うん? 君たちこそ、何なんだい。ほっつき回ったりしちゃいけないぞ」
〈おいおいおいおい〉
上には上があると、アランはハスハを背負い直して思った。
姿勢に余裕が出来るとアランの肩から、ハスハがちょこんと顔を乗り出した。
「どうしてこんなところで寝ているの」
「だってあのモロンどもに襲われるだろう」
「そうしていれば、襲われないの?」
「そうさ。君たち、知らないのかい」
アランはハスハに耳打ちした。
「こんなのにかかり合うのは止そう」
「待って」
ハスハがアランの肩を掴んだ。
「どうして、寝ていると襲われないの」
男は本式で教えてやろうというふうに、ため息を吐いて胡坐をかいた。
「いいかい、モロンたちは死人を襲わない。だから、こっちも死人のふりをすれば襲われない。服を汚して、寝転がってればいいわけだ」
眉唾どころではない。恐慌の延長であろう。いくらモロンでも生死の判別くらいは出来るであろうし、加えるに彼らは騙されまいと、ちゃんと死体の頭を撃ち抜いている。
ハスハはアランを制しつつ男に尋ねた。
「なぜそんなことがわかるの」
「みんなそうやってる」
「みんなですって?」
空想上の同類に違いあるまい。アランはほとんど馬鹿にするように言って辺りを見渡し、「え……」と声を漏らした。
「ああもう、注目されてる。君たち、早いところどこか行ってくれよ」
暗がりのため一見でわからなかったが、木陰や茂みのそこかしこに大人たちが寝ころんでいた。
色とりどりの優しい光をたたえた無数の目玉は、アランたちに向けられてあった。
〈おかしいよ、みんなおかしいよ!〉
ハスハがきゃっと声を上げた。
「いけない、アラン。無闇に動くと危ないわ」
「馬鹿どものが危ないよ!」
アランは目を剥いて駆け抜けた。足元に気をつけてなどいられなかった。
「おい、痛いじゃないか」
「ちょっと、踏まないでよ」
三人目を踏んだときには声が上がらず、ぬかるみに足を突っ込む感触があった。アランは靴底のぬめりを拭うように地面を蹴った。
〈誰かが運んだんだ!〉
擬態に真実味を出すために違いなかった。
アランは咄嗟に、人々がぐずぐずの人体を運ぶ光景を想像してしまった。
一人が足を持ち、一人が腕を持つ。重みで真ん中から千切れてしまわぬように、もう一人が背骨を支えて固定する。
人々が段差を乗り越えるたびに、頭部はぐるんぐるんと左右に回る。開いた腹からこぼれたものを、誰かが慌てて元に戻す。
なるべく出来たての形状を保たないと駄目なので、人々は厳粛な顔つきで壊れ物を扱う。
しかし慣れぬ作業であるから、ついつい失敗することもある。手を滑らして落としてしまい、びっちゃんと音がする。
腐ったトマトである。出し損なったプリンである。人々は肩を落すが、新しいのを取りに道を戻る。
死体には事欠かぬから何度失敗したっていい。諦めずに挑戦を続ければ、いつかきっと成功する。
少女は息も絶え絶えであった。
「駄目……止まって……アラン」
「モロンも大人たちも、どうかしてしまったんだ」
「でも……駄目……私もう……」
「無茶言うな! 汚物で遊ぶ連中なんかといっしょにいたら正気じゃいられない。僕らまで変になる」
「おねがい……」
激しく揺り動かしたために、ハスハはひどく青ざめていた。
「あ、その、ごめん」
アランはハスハを下ろして傷の具合を見た。出血量は左程増えていないけれども、ハスハ自身の体力が、彼女本人に告知できかねるような状態に至っていた。
〈いっそ捨てて行こうかしらん〉
アランはそんなことを思った。自分たちはアーミー・モロンから逃げ回っている間に、森の奥深くに踏み込んでしまっている。
アーミー・モロンから逃げ切るにしろ助けを待つにしろ、どうせ彼女の容態は手遅れとなるに違いない。
そうなれば死にかけた少女にこれ以上付き合うのは無益である。どのみちハスハは助からない。
ここで彼女を見捨てて身軽になれば、せめて自分ひとりだけでも助かる可能性が高くなる。
つまりこの場合自分の命のみを優先することは、自分にとってもコーディネイター全体にとっても利益であるということになる。
〈いや、こんなことを考える僕こそが馬鹿だ。そういえるんだ〉
だいたい自分は、初めからハスハを助けようとしなければ良かったのである。
展望台広場の有様に愕然としハスハの姿を探し回ったという時点で、自分の行為は論理的でないどころか、倫理的でない。
万人は万人の利益とならねばならぬ。そしてここでいう万人には己自身も含まれる。
結局助からない人間を救おうとして、自分の命を危険にさらした。いつもの自分なら、今の結果は簡単に予想できたはずである。
要するに自分は気が動転して、無分別にも不道徳な行いをしてしまったのである。
「……もう、いいわ。いいのよ」
ハスハが搾り出すように言った。
「アラン。私はもういいの。いいから、一人で行って」
「馬鹿、いいわけないだろ」
せっかく反省した甲斐も無く、アランは発作的に心にもないことを言ってしまった。
〈僕の馬鹿!〉
「いいの。私ね、アランが助けに来てくれて、嬉しかった。本当に嬉しかった。幸せだった。
私たち、ちょっとした行き違いで疎遠になって、アランが他の女たちに気を取られて、もう私を愛していないんじゃないかって、ずっと不安だったの。
でもアランは、最後に私を気遣って、私を抱いてくれて、私だけを見てくれて、それで私、安心した。
もう、迷わない。私はアランが好きで、アランも私が好き。だからアランは、生きて。
私はアランが好きなまま死ぬから、アランも私を好きなまま、生き続けて」
〈ちょっと待て〉
はいそうですかと答えるには、あまりにも具合の悪い告白である。
アランはまず自分の記憶力を疑った。もし不明瞭なところがあれば、ハスハの言葉も辻褄が合わなくもない。
しかしアランの記憶には、ハスハに別れ話を切り出し、しぶしぶ承服させたくだりが克明に刻み込まれていた。
別れた後に他の娘とのデートを邪魔したハスハを諭す場面も、しっかりと覚えている。
〈自分の意思を伝えるのって、こんなにも難しいことだったの?〉
「それに、私だって」
ハスハは立ち上がって、頼りない足取りで二三歩歩いて見せた。
「アランが逃げるまで、囮くらい出来るわ」
あからさまな苦痛の表情は見せないが、それはいかにもやせ我慢であった。挫いた足の添え木を外そうとする仕草はいかにも痛ましかった。
「強がりは止めろよ」
ハスハの手を払いのけて、アランは添え木の布を縛り直した。
「けれど……」
当然、少女の前に跪くような恰好になり、アランはその恰好のまま言った。
「君をこのまま死なせるなんて、出来るもんか」
アランは顔を上げた。
「僕は、自分の気持ちに嘘は付けない。このまま君が死んでしまったら、僕は君にも僕自身にも誠実でなくなる。だからさ――」
先ほどの告白を撤回してもらいたい、と続けようとしたところ、少女は感極まったような声を上げてアランを押し倒した。
勘違いでないと願いたかった。ハスハがアランの胸ですすり泣いているのも、ちょっとした傷心によるものであり、現実を空想にすりかえた感動によるものでは決してない。
どうかすればその証拠がきっと見つかるに違いないとアランは自分に言い聞かせ、途方にくれて森の奥に目をやった。
低いところに目があれば、いつもと違ったものが見えてくる。如何な美人であっても真下から見上げると豚鼻である。
物乞いにしてみれば金持ちは破廉恥きわまる高等詐欺師であり、金持ちにしてみれば物乞いは与えても与えなくても不愉快なならず者であるということにならなくもない。
アランの目に映ったのは価値転倒の表徴などでは無論なく、枝の配置の具合から見えなかったものである。
自然公園の木々の枝ぶりは自然の計り知れなさを演出すべく、立っているときの視点で見ると奥行きを覆い隠すように作られている。
それはいわば騙し絵の類であり、黒子モロンや改造小動物がその義務を着実に果たすために、別の視点では結構な範囲を見渡せるようにもなっている。
「顔?」
遠い暗がりの中に浮かんでいるのは、人間の顔ではない。
もしアーミー・モロンやコーディネイターの顔であったら、アランはハスハを蹴り飛ばして逃げ出したであろう。
「MS、なのか――ハスハ!」
アランはハスハの肩を掴んで引き離した。
「MSだよ! あっちにMSがある!」
ハスハがうなじを見せた拍子に髪が顔にかかったが、アランは払いのけないで続けた。
「顔なんだから、やつらのMSじゃない。きっと助けが来たんだ」
見たことも無いタイプの頭部である。人間がヘルメットを被り、への字の溝が二本あるマスクをつけているような形である。
額の部分にはダイヤ形の飾りが付いていて、その両脇から左右不対称に棒きれが生えている。
アランはハスハを抱き起こした。
「ハスハにも見えたろ。行ってみよう。僕ら、助かるかもしれない」
ハスハは返事をしなかった。
「ハスハ?」
アランは寒気を感じた。思えば少女の体は前よりぐったりしている気がした。
辛うじて体重を分担できる力は残っていても、彼女の体力が取り返しの付かない段階に立ち入っていても不思議でない。
「駄目……いけないわ」
アランは少しほっとしたが、ハスハの返事の意味が分かると腹立たしい気持ちになった。
〈この期に及んでまだ馬鹿なことを〉
「救助じゃなくて、あのMSは誰かが乗り捨てたものかもしれないから? それならそれで、僕らはあれに乗って逃げられるよ」
出回っているMSは、余程の故障がないかぎり野ざらしでも百年持つと宣伝されている。
そもそも自然公園などにMSが捨てられているのは左程珍しいことではない。放置MSなんて、どの区画でも幾体か必ずある。
それに故障したから捨てられたということも考えにくい。故障すれば保障が利き、故障品と引き換えに新しいMSを貰えるからである。
「それでも……ううん、そうじゃないの。あのMSは、いけない。あれは、あれだけは、駄目なのよ」
ハスハは歯を鳴らしていた。どうも妙な様子である。
「なんでだよ」
「わからない」
「はぁ?」
「ただ、嫌な予感がするの。あのMSのところへ行ってしまえば、何か、そう――」
「馬鹿らし、だったら僕一人で行くさ」
根拠の無い直感にこちらまで付き合う必要はない。アランがハスハに背を向けて歩き出そうとすると、
「駄目!」
とハスハにしがみ付かれた。
「放せったら」
「アランだけは、駄目なの! アランが、アランがあれと出会ってしまってはいけないの! あれに乗れば、アランはきっと不幸になる。アランはきっと辛い思いをする」
〈とっくに不幸なんだけどな〉
スメッグの効果がぶり返したとは思いにくい。ハスハは失血のためにとうとう気をやったのかもしれなかった。
「アランはあれに魅入られてしまう。アランはあれに取り込まれてしまう。アランは壊れてしまう。行けばアランはきっと、ガン……私、何を言ってるの?」
ハスハはきょとんとしてアランに尋ねた。
「いいかい。君は大怪我をして血を沢山流した。そのせいで血の巡りが悪くなっている。
そしてここに来るまでにショッキングなものを沢山見た。変なことを思いついたり言ってしまったりするのは何も恥ずかしいことじゃない。
君と同じ状況におかれれば誰だってどこか変になる。だからさ、今は僕のことを信じて、僕の言うとおりに行動して欲しい。わかったね、ハスハ」
少女はこっくり頷いた。
「じゃ、行こう」
「でも駄目」
〈駄目だこいつ。早くなんとかしないと〉
アランはハスハの手を引いた。しかし彼女はどうしても歩こうとしなかった。この押し問答は長丁場になりそうであったが、
『でっでっでっでっ……』
「いわんこっちゃない!」
アランはハスハを担いだ。荷物のような扱いであるが、足手まといのままでいられるよりましである。
アーミー・モロンの声に追い立てられるのは三度目である。いい加減慣れっこになっていた。
バッシュとウーティスの判断は素早かった。
コンティの手がコンソールに触れるより一瞬先にバッシュが「ウーティス!」と叫びながら自分のキルケニーを突進させ、向かいにあるコンティのキルケニーを押し倒した。
同型機故に臂力(ひりょく)は同等である。バッシュのキルケニーがコンティのキルケニーを組み伏せている間に、ウーティスが機体の制御を乗っ取った。
コンティは無茶をするどころか回線を切断する暇も持てなかった。
『この、動け! ウーティス、ロウ、バッシュ! ナギが……畜生! これが仲間のすることか!』
「ナギは無事さ。たった今通信があった」
『なら話させろ!』
「親切は受け取るもんだぜ」
『この――』
格納庫の整備員たちがあっけにとられた。ハンガーはぐちゃぐちゃで、人的被害の無いのは僥倖に他ならない。
コンティ・ネイブリットの声が途絶えたのはマイクを切られたために相違ないが、
ロックされたコックピットハッチに近寄って打撲音に耳をそばだてる物見高さは、誰一人として持たなかった。
キルケニーが二機とも強制停止させられ、バッシュはにがり顔をした。
「保険のつもりか」
『そうせざるを得ません』
「鼻に付くんだよ悪代官」
ウーティスは気を遣いすぎるほど遣っている。しかしけちをつけてもいられない。
「ロウの一存は」
『静観です。ナギさんとガンダムの状態がわからない以上、そうする他ありません』
「コーディネイターって人種は、もうちょいしおらしゅう出来んものかね」
『すみません』
「ケツまくるにしろ油売るにしろ、選挙は望むところじゃない。今揉めるべきじゃないのはコンティもわかってるだろうよ。
どんな結果になったって、誰も恨めはしないんだ」
バッシュはロウの決断力を見透かした気でいた。その上でウーティスに、いざというときの対処をにおわせたつもりであった。
ここでナギとガンダムを失ったとしても、ひとまずヴェスタと乗組員は逃げられる。その後は対抗手段の無いまま、新たな追っ手になぶり殺しにされるであろう。
管理局は徹底している。情報源となるのがヴェスタのみでないことは知っているに違いなく、生け捕りにして拷問などしない。
しかし殺されると決まった命をほんの少し永らえさせたに過ぎないにしろ、生きていられたということにはなり、乗組員はそれなりに納得しなくもない。
ナギの道連れになったところで文句を云わないのは、自分とロウとコンティの三人のみである。
その三人にしたって、死を前にした病人や老人と同様に、遺恨が全く無いといわれなくなるかもしれないのである。
『ともあれ杞憂であることを祈りましょう』
「無宗教の癖に調子のいい爺さんだ」
『ナチュラルとはそういうものなのでしょう?』
「さてさて、そうと限らんかもわからんよ」
バッシュは軽口を叩いた。
アランの見つけたMSは野ざらしのMSではなさそうであった。ついさっき墜落したような感じである。
倒れた木々が景気良く燃え上がっていないので、全身の焦げ付きは墜落前からのものであろう。
MSのそばには女性らしきものが倒れ、少し離れたところにはアーミー・モロンが倒れている。
アーミー・モロンは口から赤いあぶくを噴き出していた。アランが駆け跨ぎながらちらと見遣ると、その目が動いてアランを見返した。
振り返って見直すと、赤いあぶくが激しく湧いた。
アランは注意しながらMSに近寄った。女性らしき人の胴体は、血でぐっしょりになっていた。そして微動だにしなかった。
先ほどのアーミー・モロンと違って、生死すらわからなかった。アランはハスハを下ろして、黒焦げのMSをあらためて注視した。
「人型のMSなんて」
いかにも曰くありげに思われた。血塗れの女性を見てハスハが言った。
「この人が乗っていたのね」
「大昔のスポーツタイプというのかな。コックピットは――」
前に乗っていた人は随分と無茶な降り方をしたらしい。
MSに満足な降着姿勢も取らせず、コックピットの横から緊急乗降用のワイヤーを垂らしてある。
「まだ息があるかもしれないわ」
振向くと、ハスハが血塗れの女の前にしゃがんで、女の顔にそろそろと手を伸ばしていた。
「止しなったら」
アランは駆け寄ってハスハの腕を掴み、その途端に「うわっ」と声を上げた。
いきなり女の手が動いて、アランの足首を掴んだのである。女の頭が上がった。
泥と血とが相まって、何ともものすごい形相であった。
「しね……るか……」
アランはぞっとして、
「何これ、気持ち悪い」と思わず女を足蹴にした。ハスハが何か言いかけたが、
『デストローイ!』
の声に一拍置いて、MSの装甲が陶器をかち合わすような音を鳴らした。跳弾である。
「つかまって!」
アランはハスハを抱き寄せた。先だって調べたところ、ワイヤーの昇降スイッチらしきものは見当たらなかった。
ちょっとしたアスレチックである。大人二三人分の高さであるが、片手にハスハを抱えながらでは上られない。
けれどもハスハは、
「でもこの人が……」と愚図ついた。知ったことではないのである。アランはハスハの腰から手を放してワイヤーを手繰った。
「早く!」
『デストローイ!』
再び銃声が響いた。装甲の欠片がアランの頬を掠めた。ハスハがアランの体にしがみ付いた。
『デストローイ!』
間一髪、アランとハスハはコックピットに転がり込んだ。標準的なMSに比べて狭苦しいコックピットである。
シートも一つだけで、純然たる一人乗りである。
「奥、行って」
アランはハスハをシート裏へ押しやり、難儀して操縦席に腰掛けると、袖で頬を拭った。しばらく傷跡が残るかもしれない。
耳の真横でハスハが言った。
「動かせるの?」
「仮免なら、持ってる」
そうは言ったものの、どうにかシミュレーターの基礎動作をこなしたばかりで、現実では路上教習すら経験が無い。しかもこのMSの操作系は初見のものである。
音声入力なのか、コンソールでのワンタッチ操作なのか、或いはモビルトレース方式なのかどうも判別しかねた。
ずいぶん旧式のアームレイカーはあるにはあるが、教習所で習ったところによればこういうものは大概、緊急用乃至玄人用で手動操作にしか用いられない飾りである。
モニターを見た限り起動自体はしているらしい。が、メインウインドウばかりでなく、機体パラメータと思わしき数値もエラーの文字で埋まっている。スタンバイ状態というのでもない。
銃弾がコックピットハッチで跳ね返り、その音がコックピットに反響する。
アランはなぜこのMSが乗り捨てられたのか分かった気がした。けれどもそれ以上考えたくなくて、捨て鉢で叫んだ。
「ハッチ閉じろ! 閉じろったら!」
コックピットハッチは閉じる代わりに、二度三度と連続で音を鳴らした。ハスハが一切を諦めたようにアランの耳元で呟いた。
「アラン……」
「うるさい! 集中できないだろ!」
八つ当たりである。もはや涙声であった。
「なぜだよ!」
アランはコンソールを殴った。
「どうして僕がこんな目にあわなきゃいけない!」
銃声と反響音が伴奏のようになって行く。コックピットハッチは開いたままで、そこから銃弾が飛び出るのも時間の問題であった。
「僕はコーディネイターだぞ! 汚くて臭くて怖くて、そんな目に遭っちゃ駄目なんだよ!
充実した人生を送るはずだったのに! モロンなんかに襲われて……このっ!」
アランは既に少し錯乱していた。手の皮が剥けて血が滲み、赤い肉が顔を出した。コンソールは頑丈でびくともしない。
こんな羽目になったのはみんなハスハのせいである。
彼女が自身の立場を弁えて、アランの気持ちを察して、下らぬお喋りに付き合わせようとせずかまわないでいてくれたら、
アランは自然公園に足を踏み入れることも、命の危険に晒されることも死体の間で彷徨うことも、得体の知れぬMSの中で進退惟谷まることも絶対に無かったのである。
今ごろきっとベッドで安眠していたことであろう。ハスハのおかげで散々である。
「動けよ!」
アランは血まみれの手でアームレイカーを掴んだ。
「僕が動けって言ってるんだ! どうして動かないんだよ! 動けよ! 動いて! うごあつっ――」
じゅっと聞こえたと思うと刺すような熱を手のひらに感じた。アランはびくびくしながら手をアームレイカーから離した。
離す瞬間、ぴりりと剥がれるような感触があった。人間の皮膚が焼き鏝で熱せられればどうなるか、知識としては知っている。
アランは恐る恐る手を裏返した。
「なんとも、ない?」
火傷したはずの手のひらは、皮を張り替えたかのようにきれいであった。
「アラン?」
「今、確かに……」
コックピットハッチが閉じた。
「動い、た」
「そう……みたい」
消え入りそうな声で少女が言った。
「やった! こいつ動くぞ!」
「おかしいわ……なぜなの……」
エラーの表示は次々に閉じられて行き、外の景色が映るようになる。
このMSの前には無数のアーミー・モロンが立ち並び、飽きもせず口をぱくぱくさせて、小銃を撃ち続けている。
コックピットハッチの着弾音は無くならないが、このMSに乗った今、それは豆鉄砲のようなものである。
アランはMSの思いがけない起動ですっかり余裕を取り戻した。
〈やっぱり、モロンはモロンでしかなかったんだ〉
ところがその増上満は、目の前の木々と一緒に傾いた。
「彼らのMSだわ」
丸ごと機銃となっている両腕で木々をかき分けて、首なしのMSがのっそり足を踏み出した。
その肩にはMOS-Hと書いてあり、その足元では小柄なコマンダー・モロンが、言いがかりをつけるような身振りをしてこちらを指差した。
「MSなんて反則だ!」
こちらはコックピットハッチを閉じられただけで、首振りすら出来ないのである。
アランはコンソールを操作してマニュアルを見つけようとしたが、OSの勝手がわからず、というよりOS自体が無茶苦茶で、妙なプログラムを起動させてしまった。
画面の真ん中に『PROCRUSTES-SYSTEM』という文字が表示された。
「ぷろく、るすてす……プロクルステスの鉄床……」と少女が抑揚なく呟いた。
「は?」
アランが怪訝顔をすると、
『パイロットの搭乗を確認』という合成音声が聞こえた。
「音声ナビ? 再起動したというの?」
アランは耳を澄ました。
『Doll-DA、パイロット認証シークエンス開始』
ここまで来てコックピットが突然揺れた。MOS-Hが、砲撃を始めたのである。
着弾音は小銃の比ではなく、耳元で太鼓を叩かれるような大音量であった。
それも一発では済まされず、特殊な音楽性を持つ演奏者集団が頭を風船みたいに振り回しながら弦楽器や打楽器をいじめて悦に浸る如く、
最初の二回でもう勘弁と願いたくなる騒音が益々勢いづいて延々と続くのである。
弾丸の衝突で生じた振動もコックピットに伝わった。
『ロットコード……イディット……№07……アラン・イディット……』
被弾の都度、画面全体にノイズが走る。揺れで焦点が定まらぬのに加え、そこに起動処理と機体異常のウインドウが忙しく割り込み合い、いよいよ目が回って来る。
『メインカメラ破損』
瞬時に蜘蛛の巣状のひび割れが広がったと思えば画面が真っ暗になる。コンソールパネルの蛍光だけが、ぼんやりと手元を照らす。
『初期DNA適合……0.72……現……0.41……エランバイタル……』
ブザーが喚き出して、耳も利かなくなった。
音声ナビがどのような意味のことを言って、起動シークエンスがどこまで進んでいるのかもはっきりわからない。
『第一外殻、耐久限界。第二外殻、損傷』
ただ雑音の中から、物騒な報告ばかりが耳聡く聞き分けられた。
『バランサーに異常発生』
コックピット全体がゆっくりと傾いて足腰がおぼつかなく思われた数瞬後、激しい衝撃が体じゅうに響き渡った。機体が横転したのである。
MSは大きい。緩和措置抜きの転倒はややもすれば建物の屋上から飛び降りるのと同等で、内臓ごとひっくり返しかねない。
アランは危うく頭を打ちかけた。壁が床で、床が壁となっている。
「ハスハ」
寝返りを打つように振向いた。コックピットはすっかり静かになっていた。
ハスハは暗がりのなか目を瞑って、側面モニターの上に力なく横たわっていた。
「ハスハ、ハスハったら」
少女はうわ言を言うようにアランの名前を口にした。脳震盪かもしれないが、ともかく彼女は生きている。
アランは少し安心した。しかしすぐにまた眉を曇らした。
被弾音はなくなったが、入れ代わりに、何やら硬い物の割れる音が連続して鳴ったのである。
次第に大きくなる軋りもコックピットまで伝わって来た。散々にいたぶられて機体が限界を迎えたのかもしれない。
「圧し潰される? まださ、まだメインカメラがやられただけ――」
アランはハスハを膝に乗せると聊か無謀な姿勢でコンソールに手を伸ばした。
「なのにどうして反応がないんだよ!」
外の映像が無くなるのはいいが、機体パラメータなどのサブウインドウまで消えるのは納得行かない。
残っているのは『PROCRUSTES-SYSTEM』という文字だけである。
MSは人間とは違う。手足をもぎ取られても頭を潰されても、コックピットブロックさえ無事なら何かしらの反応があるはずである。
〈待てよ。このなんとかシステムというのは消えちゃいない〉
軋りはとうとううるさくなって、春先の猫の如き趣を呈した。
〈スピーカーの故障か何かで認証シークエンス自体は続いている? なら他のプログラムは? 処理落ち? いや、それも違う〉
騒音が遠ざかり、頭がぼうっとして来た。
〈これは正常……アップデートのタイムラグ……Doll-Device Archive……ああもう、喧しいな〉
アランは得体の知れない想念を振り払って文字列を睨んだ。
「こいつがなんだってかまわない。このままなぶり殺しに殺されるなんて……僕は嫌だ」
そうぼやいたときである。『PROCRUSTES-SYSTEM』の文字がぶれて一対の可視光線と化し、瞼が灼熱した。
「目が! 目がぁ!」
アランは絶叫した。強烈な閃光に焼かれた目から、涙とともに鮮血が溢れ出た。アランは頭を振り回した。
目は閉じられなかった。瞼が焼け落ちたのかもしれなかった。どこを向いても視界いっぱいに、赤と青が交互に激しく点滅していた。腕がアームレイカーに貼り付いて、目を庇うことは出来なかった。
胸が引きつって息を吸えなかった。声も掠れて途切れて行った。心臓を鷲づかみされたみたいあった。
そうして、はらわたそのものが異物に変じたような吐き気が生じた。
それは喉を上り、鼻を詰らせ、耳を塞ぎ、脳髄の中心で一挙に膨れ上がり、目玉の裏側を這いずり回った。
手足も無事ではすまなかった。延髄を伝い下りた異物感が一本一本の骨の髄に染み渡った。
腕はもちろん、あばら骨ですら自分のものとは思えなかった。
全身の皮は邪魔っけなずた袋のようであり、強張った男根の脈動は、もはや己は独立の存在であって何者かの付属物ではないと、がなりたてているようであった。
初めに、射精があった。次に言葉があった。言葉は彼とともにあった。
「どるだ」
言葉は彼であった。
すべてのものは、彼のために造られた。造られたもので、彼のためによらずにできたものは一つもなかった。
彼はアラン・イディットの口でこう言った。
「イディット07、脳量子更新。諸表象、統合完了。Doll-DA……システム再始動」
光が闇のなかに輝いていた。彼は手を伸ばして光を掴み、握り潰した。闇が光に打ち勝った。
「活動電位パターン復元。自律性を譲渡」
彼は再び、永い眠りについた。
風が吹いた。定時の空調である。森じゅうに立ち込めた生臭い臭いは追い払われ、森の香りと銘打たれた爽やかな香りがどこからか渡って来る。
甘すぎず青臭すぎず、気を引き締めるようでありながらほのかに優しい感じもする。
夜気にのぼせた来園者たちもこの時間になると、なんとなく寝床が恋しくなり、鷹揚に身繕いを始める。
翌朝の心配ではない。睡眠時間はスメッグで補える。
ただこのときばかりは、夜遊びで楽しく過ごすよりも枕を抱えて布団にくるまる方が、ずっとずっと素晴らしく思われるのである。
何も見ず、何も聞かず、何も考えないでいられる。日ごとに訪れる死とも呼ばれるこの慰みは、肉の愛と同様に不変であった。
神や涅槃や天や社会といった形而上の概念やそれに似たものの一切が迷妄として捨て去られるか、あるいは過剰に祭り上げられるかしても、
この二つは相も変わらずアルキメデスの所望した足場として働き続ける。
自分たちこそありとあらゆるものの究極の目的因であると確信していた存在の作用因であり続けるのである。
二本の棒状のものがあり、その一方がもう一方を枕にすれば人の字になるという事実もそれを肯定している。
自然公園がそのようにして帰宅を奨励しているというのに、来園者たちは帰り支度をしないどころか、声一つ上げなかった。
汚れてぱさぱさの髪が微風で震える。幹に立てかけてあった背が何かの拍子でずり下がる。葉先の赤い滴りが止む。
ベンチに置き去りの紙コップが、波打つ中身にあわせて揺れる。
顔の無い青年が大の字で芝生に寝ころび、背中じゅう無数の赤い斑点をつけた女性が藪に頭を突っ込んでいる。
操作盤の割れた携帯端末を掴む小さな手が、大人たちの体の下からはみ出ている。
ほんの十二三と思われる可憐な少女は、可憐な顔はそのままで、くぱりとお腹を裂かれてあった。
アーミー・モロンたちもまた沈黙していた。自然公園の制圧はある程度済ましてあった。
彼らはナチュラルの兵隊と違って直接に肉体的な快楽を追い求めない。したがって、非戦闘員が相手でもその作業は迅速である。
数羽の小鳥が囀りながら飛んで来て、ヒューブリスにとまった。
小鳥たちはモノアイのまわりをせかせかと首を振って跳ね回りながら、隙を見るように木屑を啄ばんだ。
栗鼠も来た。コマンダー・モロンの足元に寄って来た。
栗鼠は地べたの木の実を大事そうに抱えると、そのままコマンダー・モロンの帽子によじのぼって、ちょこなんと腰を据えた。
早回しのように木の実を齧り、頬を膨らました。
Doll-DAは全身の関節が外れたように、ちぐはぐな格好で転がっていた。
ヒューブリスの銃撃を受けた装甲は、ぼろきれみたいにずたずたであった。
それは弾痕というよりも、切れ味のよくない刃物で遊ばれた風に見えた。
あちこち抉れ、左肩などは反対側に比べて明らかに小さかった。頭部も激しい有様で、右の眼窩から後頭部にかけて、まるまる潰したようになっていた。
右目のあったところから滾々と湧き出る真っ黒い液体が、地面に零れ落ちて真っ黒い水溜りを作った。
コマンダー・モロンが自身の胸を叩いた。
「ジーンW0!」
栗鼠がびっくりして逃げ出した。コマンダー・モロンは叩いた反動を生かして腕をぴんと伸ばし、
空気をかき混ぜるように手首だけで手のひらを回すと、勢い良くDoll-DAに向かって中指を立てた。
ヒューブリスのモノアイがうごめき、小鳥が飛び立った。
ジーンW0と呼ばれたヒューブリスのパイロットは「ジーンW0、鼠怪(そけい)部ビームテンタクル起動」と呟き、両手の操縦桿を横に倒した。
ヒューブリスのテールスタビライザーがくるんと股を潜って前方に突き出された。
装甲が分割して幹を伸ばし、尖端を左右に拡張させ、全体として茸に似た輪郭に変形する。
装甲の展開されたところには、ビーム発振器である無数の疣が並んでいる。
ヒューブリスが前進する。Doll-DAに一歩一歩と近づくごとに、疣は発光を強めて行く。最早肉迫といえる距離にまで来ると、
「デス――」
『――トローイ!』
コマンダー・モロンとジーンW0が一斉にそう叫び、堰を切ったように光の束があふれ出た。
それはその名の通り、軟体動物の腕のようであった。
無数の疣から延びた無数の光の糸は、膨張しつつDoll-DAを絡め取った。Doll-DAの体は瞬く間に金色の腕に覆い隠された。
光の腕はぐねぐねと絶えずのたうち、制御の不安定なビーム粒子が粘液のように飛び散って木々や地面を焼いた。
間の悪いときに居合わせた栗鼠がそれを浴びて頭を無くした。こてんと倒れたのも束の間、光の腕がしなって体の残りを焼き消した。
Doll-DAの近くにあった女の体は、先だって銃撃の際に掘り起こされた土に埋まっていたので、直接にビーム粒子を浴びずに済んだ。
Doll-DAの装甲は奇妙であった。銃創の具合を見るに、材質自体の強度はCOSタイプとそう変わりないようであるが、なかなか貫通させてくれないのである。
粘りがあるといってもいい。同じ装甲でも幾倍もの厚みがあるようで、体を覆う鎧を壊すというより、塊を削るのに似た手応えである。
ビームへの耐性も、不自然なほど高い。普通なら消し炭になっていてもおかしくない時間を経ても、Doll-DAは依然人型を留めている。
「ででんっでっでデストローイ!」ジーンW0は武器の出力を上げた。
金色の腕がいっそう激しく脈打ち、濃密なビーム粒子が糸を引いて滴った。
腕の先が先細り、Doll-DAの装甲に開いた穴という穴の全てに押し入ろうと這い回った。
腕たちは挿入されるとなかを貫通して別の穴から顔を出した。幹を太くして穴自体を押し広げたり、先端を膨らまして内側から溶かしたりもした。
なかで激しく動かれるたびに、Doll-DAの体も痙攣した。ヒューブリスの近接兵装は、ゆっくりと、しかし確実にDoll-DAを蝕んで行った。
Doll-DAの腹の装甲が、糊を溶かされたように剥がれ落ちた。剥がれた装甲は頼りなかった。ビームの腹に撫でられたと思うとあっけなく焼失した。
次に頭が弾けた。眼窩の名残を蹂躙する腕が十本二十本と数を増やした結果、その拡張が限界に達したのである。
腕は間隙を求めて先細り、頭蓋のなかで滅茶苦茶に暴れまわって、かつて角飾りのあったところをその基部ごと内側から押し弾いた。
額に開いた不恰好な穴から金色の糸が幾本もこぼれ出て、ゆらりゆらりと舞い踊った。磯巾着のようであった。
角飾りの残骸が無数の腕に飲み込まれて、糸が額の穴を裂こうとしたときである。金色の光の中に、オレンジ色の点がほのめいた。
「でっでいう!」
背から突き出たビームの腕が短くなる。わき腹に絡まる腕の尖端が慌しくのたうちながら離れて行く。
ビームの光の中に染みのような暗がりが生じる。暗がりは光を引き裂き、その闇を深めて行く。
Doll-DAの左腕である。装甲が焼け落ち、ところどころ抉り取られて骨だけのようになった黒い腕が、無数のビームの腕を押し返していた。
「デスデストローイ!」
ジーンW0の叫びとともにビームの腕は光の奔流と化し、Doll-DAの指の間から雪崩れかかる。
しかしDoll-DAの左腕は、何ら抵抗を受けていないかのように、金色のビームを裂きながら無造作に持ち上がった。
「デストローイ! デストローイ! デストローイ!」
Doll-DAが手を伸ばしながら上体を起こす。既にその頭部からは、ビームの腕の半分以上が引き抜かれている。
ひび割れ、熔解しかけた隻眼が赤々と輝いた。
Doll-DAがビームテンタクルの付け根を掴み、足を組み替えて立ち上がった。落ち着いた動作であった。
Doll-DAは直立せず、ヒューブリスの股間を押さえたまま中腰の姿勢でヒューブリスと睨み合った。
すると次の瞬間、親指で抉るように握り潰した。
「デス――」
ヒューブリスの下半身が弛緩する。茸形をしたビームテンタクルもしょんぼりとうなだれて、疣状のビーム発振器から光が失せる。
ビームの腕たちは突然に結合力を失い、粒子と化して溶け落ちた。Doll-DAの頭蓋で頑張っていた金糸はその大元を断たれ、塵になって四散した。
Doll-DAが手を離した。それにより、ヒューブリスは己の体重を支えきれずにくずおれる。が、跪く寸前で踏み止まった。
「ででっでっででん!」
ジーンW0が両手の操縦桿を立ち上げる。悠然と見下ろすDoll-DAの隻眼に向けてヒューブリスの両腕が伸ばされる。
「デストローイ!」
至近距離での火砲がDoll-DAの顔面に直撃した。しかしそれは頭を仰け反らしたに過ぎなかった。
Doll-DAの首から下は直立して、不動であった。Doll-DAは正面に向き直ると、頭を左右に揺らした。
「デスデスデスデスデストローイ!」
ジーンW0は連射した。けれども今度は首が完全に据わっているのか、Doll-DAの顔は銃弾を弾きながら、微かに震えるばかりであった。
もはや銃弾など意に介しないように、Doll-DAは左手を動かした。その左手はヒューブリスの循環液を滴らせながら、そっとヒューブリスのモノアイに乗せられた。
「ででっ!」
ヒューブリスの足の関節で火花が散った。上方にとてつもない荷重のあることをセンサーが示した。
画面はDoll-DAの手のひらを大写しに映し、いつしか罅割れて消えて行った。
ヒューブリスの足腰は押すも引くも出来なかった。もし力の均衡が少しでも崩れれば、途端にぽっきりへし折れる。じたばたしていた両腕がそれを察して硬直したが、荷重の増えるのは止まなかった。
初めに股が裂けた。ビームテンタクルの基部が壊れたせいで、脆くなっていたのである。
こうして胴体が荷重を全て引き受けることになり、次にモノアイ付近が大きく陥没した。
その陥没は間もなくコックピットに伝わった。コックピットの内装が拉げるとともに天井が膨らんで、ジーンW0の頭上に伸し掛かった。
ジーンW0はその職務に忠実であった。両手は操縦桿を握り、シートには最期までかしこまっていた。
全身の腱と意識が切れた後、割れかかった頭が骨を砕きながら胴体の中に押し込まれて行った。
車に轢かれた蛙のように、ジーンW0は骨ごとぺしゃんこになった。
Doll-DAの動作はつまるところ、我が子に謝罪を強いる母親が、勢い余って潰してしまったような感じであった。
報復めいた折檻においてやられる側はやる側より苦痛の多いのが必定である。疚しからざる情愛による行為は必然的にある種の幸福感を伴う。
生理不順の金切り声と大人の腕力をあびせられる相手の方は、異性愛的な悦楽を見出さない限り心の涙なるものを察したって、惨めが増すばかりである。
己の罪深さを思い知り、すっかり反省してしょげている。人間未満の動物のそういう姿を見て全く微笑ましく思わないと言うのは謙遜であろう。
伝道者は改心者の名をさも得意げに挙げるし、躾の厳しさを誇らない親は滅多にない。
毛に覆われた人間でも反省することは出来ると一般に云われるが、それは、させることが出来るという意味でもある。
さてヒューブリスの有様はというに、そのようにして打ちのめされた子供の心という比喩が妥当する。
いわば死をもった土下座である。切腹したように体の中身を地面にぶちまけ、もはや二度と立つまいと拗ねるように潰れている。
介錯は必要でない。MOSタイプにはもとより首が無く、首を据え付けるに都合の良い箇所にもDoll-DAの手形がくっきりついている。
ここで突然、Doll-DAが涙を流した。緑色に発光する涙であった。
物質的にもいじけているヒューブリスを見下ろして、自分の怪力がしでかしたことを悔い始めたのか、相手の改心を確信して感動しているのかは定かでない。
Doll-DAは腕を広げて天を仰いだ。胸の装甲が人間の深呼吸のように上下した。
「コード49MO! ジーンW0! 49MOジーンW0! ででっでデストローイ!」
ジーンW0の反応が途絶えたことによりアーミー・モロンたちが銃撃を再開したが、彼らは対人用の武器しか携帯していない。Doll-DAは億劫そうに首を回したきりであった。
Doll-DAは深呼吸を終えると、いきなり頭を抱え出した。世界に対するMS的な苦悩を表現しようというのではなく、ヘルメットが窮屈で苦しんでいるといったような様子であろう。
兜頭はガンダムの主だった象徴である。Doll-DAは半壊のそれに手をかけて、どうにか外そうと身を捩じっていた。
ふけを取るように頭を掻き回っていた指が頭頂部に取っ掛かりを見つける。腕が一瞬引きつると、真ん中からぐぱっと裂けた。
裂けた断面で、緑色に光る筋繊維に似たものが千切れて行く。裂け目の奥には、粘膜を思わせるぬらぬらした光沢が覗いて見えた。
「グレネード!」
粘膜部位なら脆弱に違いない。そうコマンダー・モロンがひらめいたかもわからない。
前方のアーミー・モロンたちがDoll-DAに駆け寄って手榴弾を投げた。大半が弾かれたが、二三個は上手く中に転がり込んだ。
数秒後、「デストローイ!」の掛け声に合わせて、Doll-DAの足元に散らばった手榴弾とDoll-DAの頭が爆発した。
爆煙が晴れた。真っ二つに割れた頭蓋が地面に落ちて音を立てた。Doll-DAの手が、落としたのである。
Doll-DAの肩の上には真新しい頭部が乗っていた。
その頭は、見るからに小さかった。その小顔と体の対比は、丈の合わない肉襦袢を思わせた。
それは半ば透明で、虹色の艶を帯び、無数の血管めいた蛍光色の毛管が、真っ黒い芯を包み込んでいるのが透けて見えた。
額にはダイヤ形の飾りがあり、その左右から細長い二本の角が生えている。嘴の上には鼻をそげ落としたと思わせる二本のへの字の溝がある。
双眼の下に泣きはらしたような隈取があり、そこから頤にかけて細い線が引かれてある。
それは正しくガンダムであった。
顔の横では、尖った耳か羽飾りを連想させる板切れが額の角と平行に突き出ていて、そこが獅子めいた、或いは少年じみた余分な印象を与えるが、
角と目と兜を具えているのであるからやはりガンダムといえた。
への字の溝から燐光が零れ、ガンダムドルダの体が膨張する。装甲が盛り上がり、亀裂が走った。
胸の装甲が飛ぶ。内圧で弾かれたのである。装甲は樹木を倒し、その細かい破片は弾丸のように森の奥へ消えて行った。
暫くするとすね当てが割れ始めた。小さな破片が飛び、それを受けたアーミー・モロンたちがあうあうと声を上げる。
破片を頭部に受けた者がばたんと倒れる。折り悪く臍の下に受け、情けないうめき声を漏らしながら崩れ落ちた者もある。
コマンダー・モロンが防御の指示を出すより早く、大きな破片が飛来してアーミー・モロンの首を跳ねたり、胴体を貫いて木々に張り付けにしたりする。
ガンダムドルダの装甲は弾け出すと止まらなかった。それは連鎖した。
コマンダー・モロンを含めた数体のアーミー・モロンは倒れた木の陰に身を隠し、それをやりすごそうとした。
しかし破片の飛来が静まりかけたかと思えば、今度は凄まじい衝撃波に襲われた。
衝撃波は木々を薙ぎ倒し、土砂をひっくり返し、ヒューブリスの残骸や、生きているアーミー・モロンと死んでいるアーミー・モロン、森を駆け回る改造小動物たちなど、
要するに自然公園の小区画にあるものの一切を吹き飛ばした。その中にはナギ・ヴァニミィと呼ばれた女の体もあった。そうして、人間の形をしていたものはみな、ドルダを除いて埋まってしまったのである。
樹木は規則正しく傾いでいる。上空から見るとそれらの列はきれいに円を描いて、押し寄せた瓦礫の高波を支えているようにも見える。
瓦礫の盛り上がりもまた、円を描いている。そこには木と土の香りが散っていて、土砂の隙間から、枝や根や人間の手足が覗いていた。
円の内側へ進むと切り株や穴ぼこが続き、更に進むと窪地である。すり鉢状に抉れた地面から、断線したケーブルがはみ出ている。
その中心に、ガンダムドルダは立っていた。
膝の裏や脇の下、奥まったところにある装甲の残骸が瞬時に色褪せて風化する。
ガンダムドルダの体は一回り小柄になっていた。
全身の装甲は頭部のそれと同様に半透明であったが、
羽化した蝶の羽のように、外気に触れた装甲はしだいに曇りガラスのように曇って行き、そうしていつしか、光を遮る純白と化した。
ツインアイの輝きも、赤から緑に変色する。
「Doll-DA、アップデート完了」
少年はDoll-DAのコックピットでそう告げた。
何が起きて、何をしたのかもわからなかった。さっきまでの自分はただもう無我夢中で、寝ぼけたように手を動かしていた。
いつの間にか目の前に首なしのMSがある。それが両腕を上げて銃撃を浴びせて来る。自分はそれに手を乗せる。
首なしMSは簡単にぺしゃんこになる。そうしてから今度はひどく動き辛いことに気が付いて、コンソールを滅茶苦茶に操作する。
すると余計なものがみんな外れて行き、すこし思い切りアームレイカーを握ると、あたり一面が吹き飛んだ。
今はもはや邪魔なものはなにもない。自分の頭も、恐ろしいくらいすっきりしている。
「そうだ」
アランはアームレイカーを動かした。磨いたように真白く、新品のように擦り傷一つ無いMSの手の平が持ち上がった。
「僕には、わかる」
MSの指を順々に折り曲げる。
「こいつの、ドルダの動かし方がわかるんだ」
ドルダは薬指だけを立てて、それをくるくると回したり、それで宙に文字を描いたりした。
アラン自身より器用である。「ははっ」という笑い声が漏れた。
「凄い。このドルダ凄いよ」
とにかく素晴らしい気分であった。ものすごく巧みな相手との交合を終えたときのように、大げさに笑うのもはしゃぐのもなんだか勿体無いことのように思われ、
ましてや感想を口述するなど危なげでしたくなく、ただ余韻を味わっていたい、そんな晴れがましい気分であった。
顔の濡れているのは気にならない。下着の内側に溜まったひんやりと硬い液体でさえ、心地良く感触される。
寧ろその部分の衰えない体温で、暖めてやりたいくらいである。膝の上にハスハという少女の腰を乗せているせいで、そこを強張らせようと力むとむず痒い鈍痛を感じた。
今の自分は何だって出来る。アーミー・モロンであろうが首なしMSであろうが、超常現象であろうがどんと来いという感じである。
この全能感はスメッグを使ったときとも少し違う。スメッグを使えばあらゆる筋肉と神経が活発になるが、こうも落ち着いてはいられない。
今は全然そわそわしないのである。ありきたりな喩えであるが、今まさに自分はこのMSとともに生まれ変わったと、そういう風にも思われた。
アランは笑った。それは喜悦を堪えられずに出るような意地汚い笑いではなく、自然な、明朗な笑いであった。
ドルダも笑った。アランの息に合わせてへの字の溝が燐光を吐いた。
「アラン?」
ハスハが目を覚ましていた。
「や、おはよ」
「貴方……なの?」
ハスハは目が会うと、何か恐ろしいものでも見たような顔をした。
「血が、血が出てる」
「それは君、怪我してるんだから」
「違う。私ではなくて、貴方が」
ハスハの手がアランの頬にそうっと触れて、離れた。指には滓混じりの赤いものが付いていた。
「うえ、なにこれ」感じからして、それは目のあたりから涙のように垂れている。アランは目を擦った。
「触っては駄目」
「別に何ともないよ。全然痛くないし。君のが付いたのかもしれない」
「ほんとうに、痛くないの」
「ほんとにほんとう、痛くないってば。ったく、信じてよ」
「でもやっぱり、触れるのはよくないわ」
「しつこいね。今はそんな――センサーに感?」
警告音に続いて突き飛ばされるような衝撃と、遅ればせの風切音が来た。出し抜けに飛来した弾丸がドルダに直撃したのである。
ドルダが仰け反りつつ退いて、地面に足すべりの跡が着く。が、直ちに踏みとどまって背筋を伸ばした。
粉塵の晴れて現れたドルダの胸には、ほんのちょっとの黒ずみと、ほんのちょっとの凹みがあった。
暗がりの奥に黄色い光点が見えた。モノアイである。
「首なしの同類!」
自動で索敵が始められ、画面が暗視モードに切り替わる。
「一、二、三機。いや、奥にまだ」
今や五機のMSがドルダを取り囲んでいた。直接ドルダに狙いを定めているのは正面の一機である。
砲撃の威力は大きかった。先のMOS-Hとは武装の種類が違うのであろう。両腕の砲身がやや大振りで、腰にぴたりと肘を据えてどっしりした押し出しである。
「……何が、起きているの」
枯れそうな声であった。アランが膝に乗せているとはいえ、被弾の負担はハスハの生命に関わる。けれどもアランは得意げに、
「僕はこいつを使えるということさ」と、アームレイカーを掴み直した。
首なしMSの銃口が光るのとアランのこめかみからざらりとした感覚が突き抜けるのとは、全く同時のことであった。
「SE――」
少年の口が少年の知覚に先立って声を出す。発射された弾丸は一直線に向かって来る。
それは大気を裂き、穿ち、そして思春の自己濫費の如く一切を振り捨て、後に残したものを省みることなく、唸り声を上げながら進んで来る。
「――フィールド!」
ドルダの前方の空間が変質した。粉塵の残滓も遠い夜景の瞬きも、一切の動作を止めた。
そこだけ一旦静止画を撮って画面に切り貼りしたみたいになった。
そこに弾丸が押し入った。他のあらゆるものが静止したなかで弾丸は運動し、己が作用を空間に及ぼした。
裂かれた大気が波紋を形作る。塵が弾丸に押し退けられる。弾丸の尻の痕跡は蛇腹として残される。
大気そのものを水飴に挿げ替えたようにも見え、コーヒーに垂らしたミルクのように、弾丸の軌跡は大気に輪郭をつけたと思えばしだいに溶けてぼやけて行く。
そしてぼやけた大気が弾丸を追って逆流する。蛇腹の外を通って弾丸の正面に回り込み、再び裂かれて波紋と化しながらも、絶えずしつこく纏わりつく。
不意に弾丸が減速した。弾丸は抵抗を受けていた。数知れぬ循環の末に、大気が弾丸の横暴にうんざりしたのかもしれない。
大気は結束して弾丸を止めにかかった。
弾丸から受けた抵抗をそのままこちらの抵抗力に転じ続け、もはや空気抵抗と称されるようなてんでんに摩擦しつつ逃げるしか出来ないものではなく、むしろこちらから押し返してやろうと、気体らしからぬ反作用を発揮していた。
硬い大気が真正面から弾丸の運動を否定する。薄く幅広の大気が横合いからなだめにかかる。
下では散り散りの大気がひそひそ交わし、後ろの希薄な大気はというと、為せばなる、全ては気の持ちようだと断言して弾丸を煽っている。
しかし物質の魂は公共的に承認されていないので、この弾丸が物質である以上、気は体の持ちようとならざるを得ない。それに気体は気体にしか直覚できないから、固体である弾丸が忠告を聞き入れられるはずもない。
減速を始めたが最後であった。弾丸の運動量はその質量とともに一挙に減少した。SEフィールドへの侵入から前進の停止に至るまで、それは殆ど瞬間であった。
色恋の秘事に立ち入られた青少年の心の働きと同様、まるで瞬間の出来事であった。相手の有無や保存測に関わりなく、盲目的な激情が盲目的な平静に一転する。
弾丸はドルダの手前で停止した。空間を波打たせ、自身も蜃気楼のようにゆらめきながら空中に囚われていた。
SEフィールドは引力さえも遮断した。空間的にも時間的にもこの弾丸という存在の重みは消失しかけていた。人道的比喩を用いるなら、借金の見込みの外れた親友である。
「あっちで――」
アランがドルダの右腕を振りかぶり、
「――爆ぜろよ!」の声とともに真横に払うと、弾丸が撃ち出されたときと遜色ない勢いで真横に飛んで行き、通りがかりにいたMOS-Hの胸を貫通した。
膨れ上がった廉恥心と同じく、弾丸は破裂しないではいられなかった。MOS-Hは体はそのまま、コックピットにはぐちゃぐちゃになられて、動かなくなった。
「そうだ。僕にはこれが、SEフィールドが使える。もう銃なんて怖く無い」
アランは口の端を釣り上げた。ハスハが息を呑んだ。ドルダの二つの目が光る。
首なしMSはアランたちを追いかけたアーミー・モロンの仲間である。なかにはきっと、同じアーミー・モロンどもが入っているに違いない。
「よくも僕を怖い目にあわせたな!」
穏やかな怒気と、言い知れぬ喜悦を孕んだ声が、即席の荒野に響き渡った。
Doll-DAはアラン・イディットという新たなパイロットを得た。
彼は彼の主であり、彼は彼の僕であった。彼は地を踏みしめ、彼の敵を見据えていた。
彼らの目は爛々と輝いていた。彼らの敵意は重なった。彼らはもはや、一心同体であった。
そこは墓場であった。門には『COLONY BENSALEM』と刻まれてあった。
星空の下には海も緑もなく、砂だけが広がっていた。
『――こうしてガンダムドルダの新生は始まった』
墓守の声が響いた。それを聞いた者は死者を除いて一人もなかった。
墓地には墓石が立っていた。
『HUMAN
B.C.……00‐….C……』
墓標は掠れて読めなかった。墓石の傍らには、壊れた人形が散らばっている。
つづく