「気合入ってるねぇ」

ひゅう、と口笛を吹いて、ロングヘアーの少女がショートカットの少女に声をかける。
彼女達の名前は、この際省略させて頂こう。
黒森峰女学園の大勢いる強者の一人として埋もれてしまった彼女の名など、記載しても仕方があるまい。
そもそも諸君は名前を聞いても彼女が誰か分からぬだろうし、大半の戦車道ファンですら、きっとすぐにはピンと来ないだろう。

「まあ、このままだと、一度も優勝できずに引退することになっちゃうからねえ、今の二年は」

彼女達は、伝統ある黒森峰女学園で戦車道をする三年生だ。
周囲のレベルが高く、また個人プレーに出ることもないため目立たないが、それでも国内最高レベルの女子高生戦車乗り達である。
しかしながら、受験勉強の兼ね合いもあり、全国大会終了後は戦車道にほとんど参加していなかった。
中には推薦で進路が決まっており、未だに顔を出して後輩に技術を残している者もいるようではあるのだが。

「西住隊長を欠いたとしても、来年こそ捲土重来してもらわなきゃならないし」

西住まほは、今の三年生から見ても、圧倒的カリスマを持っている。
それはOGも認める所であり、長い栄光の歴史の中でも有数の力を持っているだろう。

しかしながら、まほは勝利に恵まれなかった。
入学直後こそ圧倒的強さでチームを九連覇に導いたが、翌年は妹のせいで連覇を絶たれ、責任を押し付けられた。
それでも潰れることなく冷静にチームをまとめあげ、士気を高め、再度挑んだ先の大会は、その妹の手でやはり優勝を阻まれた。

来年、そのカリスマはもういない。
そのカリスマの優勝を阻んだ好敵手は健在なのに。
このままでは、黒森峰女学園の暗黒期を招いてしまう。
それだけは、絶対に避けねばならない。

特に今の二年生――来年の隊長・逸見エリカ世代は、三年連続準優勝の不名誉にリーチがかかっている。
来年に賭ける情熱は人一倍だった。

「あ、お疲れ様です!」

後輩達に練習を指示していた二人の少女が、上級生の姿を見つけ駆け足に寄ってくる。
そして頭を下げてから、言った。

「どうです、前の大会の反省を活かして、集団に敵が紛れ込んだ際の対処法を学んでいるんですよ」
「勿論、役に立たない可能性は高いですけど、やらずに来年後悔したんじゃ辛すぎますからね」

二人共、二年生ながら全国大会でレギュラーの座についた優秀な戦車乗りである。
厳しい黒森峰の練習にも耐えてきたし、まともにやればどんなチームにも負けない自信があった。
だというのに、先の全国大会では大洗のたった数輌にしてやられた。
予想外の動きに頭が追いつかず、「脇にヘッツァーがいるぞ!」と叫ぶくらいしかできなかった。

「西住流の、黒森峰の強さは、あんなものじゃありませんからね」

黒森峰は、邪道には走らない。走ることは許されない。
しかし、邪道を知ることは、その理念に反さない。
邪道を学び、その弱点を知り、西住流の教えに乗っ取り叩き潰す。
そのための特訓を、黒森峰は開始していた。

西住まほの指示では決してない。
逸見エリカの指示でもない。
ただ、メンバーの一人一人がそうしたいと思ったのだ。

「まあ、中には、ここでいいとこ見せておこう、なんて下心持った子もいそうですけどね」

西住まほ。逸見エリカ。そして赤星小梅。
現隊長と副隊長、そして将来の副隊長候補。
その三人が、昨日から休んでいる。
隊長と副隊長が揃って視察で不在ということは珍しくないのだが、そこに小梅もとなると初めてのことだった。

「直下とか、めちゃくちゃ張り切ってるよね」
「へえ。まあ全国だけじゃなくて、大学選抜相手の時も活躍できなかったもんねぇ」

黒森峰は大所帯であるため、ある程度の班に分けられ練習する。
そこで指示を出せるくらい信頼されたいというのは、黒森峰の生徒なら当然思うことである。
そして、小梅まで不在の今は、自分の指揮能力をアピールする絶好の機会なのだ。
普段とは別の意味で、練習場は緊張に満ち溢れていた。

「ああ、ほら、あそこにいますよ。呼んできましょうか?」
「いや、いいよ、練習頑張ってるようだし――――」

ブチブチブチブチィッ!

「……あ、履帯が壊れた」

派手な音を立て、ヤークトパンターの履帯が千切れる(※擬音はイメージです)
如何に頑丈な金属だって、時と場合によっては砲撃で千切れることもあるわい。

「おーおー、キレてるキレてる。履帯も直下も」
「気持ちは分かるなあ、あれ直すのめちゃくちゃ面倒臭いし」

三年生がうんうんと頷いてるように、ヤークトパンターの履帯の修理はすこぶる面倒臭い。
総重量が一枚で三十キロを越え、片足分をトータルすればその重量は三トンにも及ぶ。
はっきり言って鬼のような重労働であり、一年生が最初に筋トレをひたすらさせられる所以でもあった。

「それにしても、何か不吉だよね」

もしもヤークトパンターに搭乗しているのがテリーマンだったら、この現象で何かを感じ取ったかもしれない。
不在のまほ達がどこかで危険な目にあっていると悟ることが出来たかもしれない。

「黒猫が横切って、それを避けようとした挙句に履帯が切れるなんて」

しかし彼女達は、悲しいかなテリーマンではないし、なんならブロッケンJrにすらなれない。
いくら軍服を身に纏っても、仮に髑髏の徽章を身に付けたとしても、彼女達は超人にはなれないのだ。
当然ながら妙な勘は働かないし、今日は三人欠席すると教師に言われたら疑問を抱かずそれを受け入れる。
ましてや不吉な知らせというのが『まほ達の置かれた現状』を指しているなんて、思い到れるはずがなかった。

「何か悪いことが起こるのかも」

神妙な面持ちで、二年生の少女が言う。
虫の知らせを信じていれば脇にヘッツァーが付く前に迎撃できたというのに、ふんぞり返っていてテンパるはめになった少女だ。
おかげで最近は不吉の予兆や虫の知らせに敏感になっていた。

「いや、不吉なイベントならもう起きてるでしょ。壊れた履帯を直さなくちゃいけないんだから」

しかし、すぐに「なるほどな」と納得し、考えるのをやめた。
それから、手伝ってあげるにはあまりに面倒臭いので、巻き込まれないよう、皆で自販機まで移動する。

些細なやりとりで笑え、どうでもいい裏切りを気軽に出来る少女達は、きっと思いもしないだろう。
まさに今、彼女達の敬愛する隊長達に危機が迫っていることなど。
彼女達が、今黒森峰で練習しているソレとは異なる“殲滅戦”に放り込まれ、命懸けの信頼や命懸けの裏切りが行われているなど。
そして――彼女達に、死がそこまで迫っているなど。
きっと、冗談でも、頭の片隅すら掠めない。






 ☆  ★  ☆  ★  ☆






ふぅ、と溜め息をついて、男は眼鏡をクイと押し上げた。
疲れからくる溜め息というよりは、安堵や達成感からくる溜め息に近かった。

「ここまでは順調、ですかね」

落とした目線の先には、参加者の名がずらりと並んだパソコン画面。
その内幾つかは灰色の文字で書かれ、残りの大半は白い文字で書かれていた。
背景が黒色なので、白い文字の方が見やすくなっている。
普通の白背景に黒文字でもいい気はしたのだが、しかしながらこのレイアウトが“伝統”であるとのことだった。

「このペースだと、10人くらい最初の放送までに死ぬかもしれないですねぇ~」

銃を下げた迷彩服の男が眼鏡の男に声をかける。
彼はこの殲滅戦のスタッフの一人であり、首輪の監視を担当していた。
禁止エリアに入った際に首輪に信号を送るという大役なのだが、しかしまだその機能を使うことはないし、ほとんどの場合使う機会もなく終わるらしい。
それでもGPSで把握した現在地や盗聴で得た情報を記録する仕事があるのだが、しかしながら迷彩服の男は己の担当するパソコンから離れている。
勿論気の緩みを多少は隠そうとしているようだが、数多の人間を見てきた眼鏡の男には、退屈のあまり気を抜いているのがバレバレだった。

「下手をすれば片手に満たない死者かとも思ってましたが、杞憂でしたね」

迷彩服の男が担当していた少女は、すでにこの世にはいない。
万全を期して一人の監視に一人をつけているため、参加者が死ぬと暇を持て余したスタッフが一人増えるという仕様なのだ。
迷彩服の男も、他の仕事が回されない限り、パソコン画面を見る意味などない。
故に、眼鏡の男も、迷彩服の男を咎めはしなかった。

今はまだ迷彩服の男をはじめ数人が暇をしている程度だが、その内大半が暇をするようになってくるだろう。
勿論ただサボらせるのではなく、そのうち何かしら手伝わせる予定なのだが。

「……果たして、彼女達はまたも反抗してくるのか……」

今はまだ、少女達も理想論を口にする余裕がある。
皆で脱出したいなどとのたまう程度のゆとりがある。

しかしながら、理想論は力を持たない。
殺し合いが行われているという現実を前にすれば、容易く砕けてしまうだろう。

(もう、ハッピーエンドなど、ありえないというのに)

それでも、理想論が砕けたあとに、確固たる信念として皆で生きて帰ろうと声高に叫ぶ者が、現れないとも限らない。
実際、過去にはそういう者が現れたケースがあったと伝え聞く。
空虚な理想論であると自覚してなお貫かれる信念は、人を動かす力を持つのだ。
そして殺し合いが進めば進むほど参加者の装備は充実し、主催陣営への反撃を実現可能と思わせる。
反抗の芽は、こうして育てられるのだという。

だからこそ、主催側も人員にはゆとりを持たせているのだ。
人が減れば減るほど戦う準備が整っていくのは、何も参加者だけではない。
監視や対応に回す人員が増えるという点では、殺し合いが進むほど、主催側も鎮圧の準備が整っていくのだ。

(……ま、そこに関しては、人のことは言えませんがね)

彼――文科省役人には、名前なんてない。
勿論日本国で生を受けた以上苗字はあるし、親に名前も付けられたのだが、そういうことが言いたいわけでは決してない。

役人は、名前のない、ただの“歯車奴隷”であった。
国のため、政府のため、戦車道のため――あらゆるもののため、己を殺し回り続ける歯車の一つ。
特別な名前なんてなく、壊れた時には同じような制品と交換されてハイおしまいであろう、ただの歯車の一つに過ぎなかった。

一度は出世コースに乗り、“その他大勢の役人”から“名前の知られた名誉ある役職の者”になろうかとしていたが――
しかし、大洗女子の手によって、彼はそのレールから引きずり下ろされた。
歯車の替えはいくらでもある。
大きな機械を一度でも動かし損ねれば、もう二度と、名前のある存在に成ることは出来ない。
彼がいたはずのレールの上には、もう、他の名もない役人が居座っていた。

(これは――我々と貴女がたとの殲滅戦でもあるんですよ)

失態によりヒビが入り、挽回しようとした結果、他の歯車とズレも生じてしまった。
勿論、惨めな気持ちを抱きながらも歯車をして生きられる程度の人生が保証はされている。
大洗女子にしてやられたことを一生悔み、黙って片田舎でそこそこの給与を貰って退屈な業務をこなしていれば、それで生きてはいけたのだ。

だが、しかし――野心を持った歯車奴隷には、止まり方など分からなかった。

ずうっと上を目指して、ひたすら回り続けてきたのだ。
今更ゆっくり回れだなんて言われても、今までの生き方を否定して速度を緩めることなど出来ない。
そうなってしまっては、名もない歯車奴隷から、本当にただの歯車に成り下がってしまう。
奴隷は惨めの極みではあるが、それでも人間だからこそ、奴隷と呼んでもらえるのだ。

(今度は、負けない。絶対に……)

もう、止まらない。止まることなどできない。
夢を捨てれぬ歯車奴隷は、多くの名のある少女を巻き込んだ殲滅戦へと身を投じた。

生き残った少女達に報復されるかもしれない。
途中で逃げ出すことなんて許されない。
命の保証なんて、ない。

それでも歯車奴隷は、クルクルキリキリ回り続ける。
例えその先が奈落に続くと知っていても。
歯車奴隷は、ただひたすらに大きな機械を動かすために、回り続けるしか出来ないのだ。
止まることはない。ましてや、逆回転など、絶対にない。






 ☆  ★  ☆  ★  ☆






ブチブチブチブチブチィ!!!

「ゲエーーーーッ、直したばかりのうちの履帯が!!」

名門でもある黒森峰は、授業以外でも朝練を敢行している。
それでも授業免除というわけではなく、一時間目が始まる前に撤収しないいけないのだが――

「うわあ、これ、朝練時間潰るね……」

まるで不吉を象徴するかのように、ヤークトパンターの履帯が見事に壊れていた。
頑張って修理をしていた少女達も、さすがに疲労の色を浮かべる。

「両方とも壊れたと思ったら、予備のやつまで、かぁ……」

先程壊れた履帯を、新しいものに取り替えた。
そして練習を再開しようと矢先に逆の履帯が壊れ、そちらも何とか直したと思ったところでのコレである。
これでテンションを下げるなという方が無茶であるし、これでテンションが上がるような奴がいたら精神科医をオススメする。
いや、まあ、三年生の先輩のように、見ているだけなら面白いのかもしれないが、やる方としてはたまったものではないのだ。

「しかしほんと、こうも立て続けになると、何か不吉なことが起こるんじゃないかって思えてきますよね」
「なーに馬鹿なこと言ってるの」

ヤークトパンターに同乗する後輩の言葉を、ばっさりと切って捨てる。
履帯が駄目になって一々気にしているようでは、ヤークトパンターには乗れない。
ましてやこいつは激しい戦闘を何度も経験する黒森峰女学園のヤークトパンター。
並のヤークトパンターよりもダメージは溜まっているし、限界を迎えるタイミングがたまたま被ることくらいあろう。

「大体、不吉なことならとっくに起きてるじゃない。
 履帯が駄目になって直さなきゃいけないって時点でもうとっくに不幸なんだから、馬鹿なこと気にしてないで手を動かす!」

指示を出しながら、ヤークトパンター車長がポケットを探る。
履帯が立て続けに壊れたせいで、通常より遥かに長い修理時間がかかってしまっている。
他の練習チームにも連絡を入れねばならないだろう。

「はぁ……きっちり指揮取って、ちょっとは隊長に認められたかったのになぁ」

自分が指揮を取った練習は驚くほど成果をあげていなかった。
勿論時間の大半を履帯の修理に取られているからなのだが、そんな事情は当事者にしか分からない。
結果しか見ることがないであろうまほは勿論、今から連絡を入れる他班のリーダー達も、きっと指揮官が無能なのだと考えるだろう。

それを思うとなるほど確かに不幸であるし、不吉な予兆というのもあながち間違ってないのかもしれない。
もっとも、不吉に対する予兆もなにも、こいつ自身が不吉の原因ではあるのだが。

「……あれ?」

もぞもぞとポケットを漁っていたが、次第に探索範囲が拡張されていく。
いつしか表情に焦りの色が宿っていた。

ケータイ落とした。

ざっくり言うと、そういうことである。
なるほどこいつぁ不吉オブ不吉だぜ。

「ど、どこに……」

嫌な予感を感じながら、地面を見る。
どうやら先程履帯を修理した際に落としていたらしく、車体の傍に落ちていた。

そして、初期不良なのか、即効で外れた新しい履帯。
それの下に、落ちていた。

地図上でとかでなく、何かの比喩でもなく、そのままの読んで字のごとく「下に」落ちていた。
外れた履帯が重しとなり、ケータイがバキバキに割れている。
もはや“画面割れ”なんてレベルでなく、もう全体が壊れきっていた。

「機種変したばっかりなのに!」

しかもよりにもよって高額なiPhoneである。
分割ローンはまだしこたま残っているし、基盤から何まで見事に大破したこの状況じゃおそらく修理も出来ないだろう。
彼女のiPhoneは、こうして若くして息を引き取ったのである。


「あ、マジ泣き」
「写メっておこう」
「あ、じゃあ私ムービーにしよ。こっちこっち目線頂戴ー」

しかしながら、周囲の人間はそれなりに冷たかった。
己の不注意が招いたことに対しては、黒森峰は比較的厳しい風潮がある。
あと単純に、他人の不幸はちょっと美味しい。

まほが居たら同情しつつもさっさと練習に戻っていただろうが、当分まほは戻らない。
強化指定選手になったのだと、学校に連絡があった。
そして、強化指定選手のみの強化合宿を、今行っているのだと。

まほのみならず、とても厳しい副隊長様や何だかんだで真面目な赤星小梅までもが選ばれたらしい。
どうやら大学選抜の時の活躍が認められたらしい。
ちなみに黒森峰からはヤークトパンターの車長のみが、車長なのに選ばれなかった。
その話を聞いて一番へこんだのは間違いなく彼女であったし、こうして練習に熱を入れていたのも仕方のないことだろう。

閑話休題。

まあ、そんなこんなで、空気は緩み切っていた。
勿論練習は真面目にしているが、それを差し引いても普段のピリピリした雰囲気とは程遠い。
少なくとも、落ち込み倒す友人をムービーで撮るくらいの余裕がある。
それが良いのか悪いのかは、優勝した大洗女子の緩い空気を見る限り、なんとも言えないのだけれど。

「ラインで送っといてよ」
「オッケ。折角だし、皆に回そっか」

ヤークトパンターの操縦士や砲手の少女が、和気藹々とラインをいじる。
厳しい隊長副隊長が居ないことで、完全に緩みきっていた。

意味の分からないラインスタンプをまず押して、それからムービーを添付する。
ヤークトパンター車長の醜態は、あっという間に黒森峰の生徒が知るところとなった。

「おっ、マウスの車長、生で落ち込み具合見るためにマウス部隊の練習に休憩入れたって」
「こっち来るんだ。結構距離あると思うんだけど」

少女達が見ているのは、ラインの雑談用グループの会話。
黒森峰のメンバーの内、洒落が通じて話しやすいメンバーを押し込めたものだ。

ちなみにスマホを持っていない隊長のまほや、何か怖いし気軽に口にした冗談にマジギレしてきそうな副隊長のエリカは、このグループに入っていない。
エリカは最低限の連絡事項を行うためのグループにはいるのだが、スタンプ一つ送ってこないお硬い口調なのもあって、ちっとも距離は縮まらないでいた。

「聖グロの娘達とのとこにも流しておこ」
「あ、前の大学選抜の時の娘達? 私ID知らない。グループ入れてよ」

画像や動画はこうしてどんどん拡散されていく。
恐るべしソーシャルネットジェネレーション。

「あ、ルクリリさんのお漏らし画像」
「え、なにそれ見せて見せて」

誰かがポツリと漏らした声に、人が更に群がってくる。
ライングループに送られてきた画像の中で、聖グロリアーナのルクリリが股間をぐっしょりと濡らしていた。
その表情や、背後で笑っている少女の存在を思うに、まあ本当に漏らしたわけではないのだろう。
実際、その手には、ティーカップの取っ手が握られていた。取っ手だけが。

「いやー、ツイてないけど、美味しいよね、こういうの。羨ましいなあ」
「じゃあ直下と変わってあげたら?」
「それは嫌かなあ」

聖グロリアーナの生徒は、如何なる時でも紅茶をこぼしたりしないが、それはそれとしてマグカップを割ってしまうことはある。
その結果としてなら、聖グロリアーナ生徒といえど、紅茶をこぼすことくらいあるわい。
ましてやティーカップの取っ手の接合部分がパキンと割れたのだ。
ティーカップが落下して、彼女の股間を紅茶が濡らしたことを、一体誰が責められようか。


「パンツァージャケットが濡れるとかならともかく、iPhone壊れたらお金かかるし」
「でも聖グロだと、濡らすとめちゃくちゃ怒られるんじゃない? そう考えると、ルクリリさん、ちょっと可哀想かも」
「でも今は聖グロも主要な選手も強化合宿だろうし、今のタイミングならまだラッキーな方だったんじゃない」

ダージリンもマグカップを割ったことがあるので、カップの破損でお咎めがあるのかは不明だが、しかし黒森峰の生徒達はそんなことは知らない。
そして、ダージリン達もまた、まほ達と同じく“殲滅戦”をしていることも、少女達は知らなかった。
ルクリリのマグカップが壊れたのも、“虫の知らせ”や“不吉の予兆”の類であったということも、勿論知る由なんてない。

「小梅にも、ラインで送ってあげようかな」

大洗では大野あやの眼鏡が突如割れていたし、各地でちょっとずつ不吉の予兆は現れていた。
しかしそれでも、勿論誰一人、現在不在のメンバーに不幸が訪れているなんて思わない。

だって、彼女達は、みんな聞いていたのだから。
今学校にいないメンバーは、戦車道に力を入れる政府によって強化指定選手に選ばれ、今は強化合宿の真っ最中だと。
それを、政府の人間に、言われたのだ。
疑いなんて持とうはずがない。
少なくとも今の時点では、疑いを持つ理由もない。

「副隊長に見られたら、サボって遊んでるって思われかねないし、帰ってきてから見せた方がいいんじゃない?」

だから、彼女達は、誰一人として、疑っていない。
まほもエリカも小梅も揃って笑顔で黒森峰に戻ると、当然のように思っている。

「それもそうか」
「とりあえず、始業までに戻しておかないと怒られるし、面倒だけど履帯の修理手伝ってあげよっか」
「お昼くらい奢って貰わないとね」

彼女達は、冗談でも思わないだろう。
三度千切れた履帯、一度目は“殲滅戦”という不吉を知らせるもので、そして二度目と三度目は、仲間の死を告げるものであっただなんて。

「んじゃ、面倒だけど、頑張りますか」

彼女達は、名前のない、その他大勢の少女だ。
勿論実際には名前はあるが、しかしながら、戦車道においても“主役”になれず“その他大勢”として埋もれてしまっている。
幸か不幸か能力が足りず“殲滅戦”に呼ばれなかった少女達だが――勿論それでも、彼女達は普通に生きている。
普通に笑い、普通に打ち込み、普通に努力し、そして時折普通ではない勝利を掴む。

しかしだからこそ、彼女達は決して“殲滅戦”という『舞台』の上には上がらない。
上がれたとしても、決して主役にはなれない。
彼女は『普通の人生』という自分の演目の中でしか、名のある存在にはなれない。
非日常極まる舞台に上がってくることなどできない。

名無しの少女を舞台に引っ張りあげられるのは、カリスマを持つ女優のみ。
かつて西住みほというカリスマが、戦車道という舞台に、ありふれた少女達を導いたように。
多くのカリスマ隊長によって、名もなき少女達が戦車道という舞台にあがれたように。

誰かが導くその時まで、名のない少女が舞台に上がることはない。
誰かがコンタクトを取るまで――――――舞台のうえに、助けは、こない。




【?????/一日目・午前】

【☆辻康太(文部科学省学園艦教育局長) @ 殲滅戦運営チーム】
[状態]健康
[装備]???
[道具]???
[思考・状況]
基本行動方針:殲滅戦を完遂させる
1:今度こそ、自分の思い描いたプランは狂わせない。狂わせてなるものか。
[備考]
殲滅戦参加者は『強化指定選手に選ばれ、現在強化合宿に参加している』という扱いになっています。
上記内容は、政府の手によって各学校に伝達されています。






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000:オープニング 辻廉太(文部科学省学園艦教育局長) 045:第一回放送 ~ヒーロー不在の最終章~

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最終更新:2018年07月29日 16:36