影。影がある。
息は白く立ち上り、身は凍えるような暗がりだ。
暖かい光に包まれた場所、饐えて生臭い闇に抱かれた場所。
表裏一体の理である。
この世界は二面性からは決して逃げられないのだと、誰も彼もが知っていた。

平和がなにより怖い。
その裏では腐った骸に蛆が湧いていて、銃弾は地を舐め血潮は流れ、そして透き通った水が湧く地上の遥か底には、泥色の澱が溢れている事を、人は理解しているから。
陰と陽、光と影。
矛盾している。矛盾しているのだ。相反する二本の柱は、同じ場所に建つ事が出来ない。
けれどもそこに身を寄せた住民達は、そうではなかった。
地に根を張った大樹は動かないが、しかし人の手は踠く為に在り、頭は悩む為に在り、そして二本の立派な足は、いつだって目的地に向かって歩む為に在ったのだ。

これは、とある“影”の物語。
けれどなればこそ、彼女達にもスポットライトを浴びる物語を。
彼女達の躰もまた、何処かへ辿り着く為にそこにあるのだから。



―――赤い光に満ちた狭い廊下を歩くと、やがて一つの穴が見える。
覗き込むと深淵に飲まれてしまいそうな、先の見えない縦穴だ。底からは冷たく湿った風が僅かに吹き上げている。
穴は1.5m角ほどの大きさで、鈍いステンレスのヘアラインのパイプが下まで通っていた。
直径80φほどの、黒く燻したように所々が手垢で汚れたパイプだった。
その穴を降りきると、小さな部屋があった。湿ったダンボール箱が中央に積み上げられた、長方形の部屋だった。
居心地は良いとはとても言えなかった。土とカビの匂いが鼻腔を突き、湿度も高く空気の循環も悪い。
ダンボールの周りには、まばらに大砲の砲弾や、カトラスソードのレプリカが散らばっている。
倉庫というには狭過ぎて、独房というには大き過ぎる。そんな違和感のある広さだった。
勘の鋭い人間であれば、ここが本当に隠したい部屋を消す為のフェイクだと直ぐに気付くだろう。
床と壁は几帳面に石組されていた。壁を手で撫でながら歩くと、やがて“マカロニ作戦”に気付く。
一部は石組が精巧に印刷された壁紙で、縦回転式の隠し扉になっていたのだ。
その向こう側に、鰻の寝床の様な狭く長い廊下が見える。くたびれた紅色のカーペットの敷かれた廊下だ。
その一番奥から、キール・ロワイヤル色の光が漏れていた。よくよく見れば、果たしてそれは深いピンク色の硝子が嵌った木扉である。
扉へ近付くと、向こう側から微かに歌が漏れていた。
やや低く、小節が所々に利いている、昭和の匂いのするような声。どこか懐かしい潮の匂いを思い出す様な、そんな唄い声。

“大洗のヨハネスブルグ”。
陽光を拒んだこの地下を、地上の学生達は恐れながらもそう揶揄する。
地上に出れない荒くれ者達の巣窟。どうしようもない連中の、どうしようもない吹き溜まり。
そこに地上のものが近付けば、命は無いのだと。

そんなヨハネスブルグの奥の奥、最深部。
立て付けの悪い軋む扉を開くと、鼻腔には桜チップを燻した煙の匂いと混ざり合う、甘ったるいノンアルコールカクテルの匂い。
ダーツボードに刺さったダーツ、埃の被った向日葵の造花、メープルシロップ色の長い木製カウンター。
スワロフスキーのシャンデリア、リベットだらけの緑色の鉄扉、巨大船舶の絵画に、古びたギター。
バーカウンターの後ろには、飴色の酒瓶が所狭しとずらりと並ぶ。特製カクテルを一杯飲めば、たちまち大海原に出た海賊気分。

とびきりのろくでなし達が集うその店――――――――――――――――――BAR『どん底』へ、ようこそ。



【AM11:45/県立大洗女子学園】



「……なあ、お前ら知ってるか? こんな噂」

シェーカーのボディに砕いた氷を入れるバーテンダーへ、カウンター越しに座る女が、退屈そうに話し掛ける。
体つきは屈強で、腕っ節には自信がある……そんな吊り眉黒髪長身の女だった。
大きな掌の中に収まったバカラのレプリカグラスは、空っぽだ。

「なんの噂?」

ボディを軽くステアしながら、ホワイトブリムとエプロンドレスを付けた、一風変わったバーテンダーが言う。
目線はシェーカーに落ちたまま、女に一瞥すら投げない。
そうして慣れた手つきで、そのままボディの水を切った。
天井から吊り下がるシャンデリアから漏れる飴色の光が、流れ出る水に反射してきらきらと瞬いている。

「陸の、さ」

カウンターに肘をつき、空になったグラスを顔の前まで持ち上げて、女は応える。
からん、と丸くなった氷が分厚いガラスの檻の中で回った。

「うほっ! 陸の話題らんてまた酔狂らね〜ムラカミぃ」

女―――もとい、ムラカミの隣、椅子の上に胡座をかいたパンチパーマの女生徒が、呂律の回っていない声でけたけたと笑った。
手にはルートビアの瓶が握られている。勿論、彼女達は未成年だ。

「ラム、まーたそんなので酔ってんのか」

ムラカミは呆れたように嗤った。雰囲気に酔うという言葉はあれど、ソフトドリンクで酔えるのは一種の才能と言ってもいい。

「でも、酔狂はほんと」バーテンダーが肩を竦めながら眉を顰める。「陸の話なんて、私もあんまり興味ないな」
「おいおい」同じように肩を竦めたのはムラカミだ。「話し相手のバーテンがその言い草かあ、カトラス?」

ムラカミはグラスを顔の前で揺らす。透き通ったグラスを通した琥珀色の瞳は、バーテンダー―――カトラスには、婉曲して見えた。

「バーテン“ダー”」

カトラスは生クリームと紫色のシロップをボディに入れながら、むっとした表情でムラカミを睨む。
ただでさえ目付きの悪い病的な双眸が、更に影を深くしてムラカミへ向いた。

「バーテンって言い方は、なんか下に見られてる気がして好きじゃないな」

ムラカミは思わず生唾を飲む。彼女を怒らせると怖いことは、この場にいる全員が知っていた。
なにせ、カクテルやおつまみを作る腕があるのは彼女だけなのだ。
家庭的とは言い難い面子ばかりが集うこの部屋の住民の中での彼女のポジションは、言うなれば母である。
胃袋を掴まれた男が女に弱いように、胃袋を掴まれた海賊だって、コックには弱いのだ。

「わーったわーった。バーテンダーね」
「わかればよろしい」

やれやれと掌を泳がせるムラカミへの前へ、いつの間に作ったのか、すっとグラスが置かれる。
水面に反射した黄昏色のノンアルコールカクテル。
ジンジャーの辛さとグレナデンシロップの甘さに、すっきりとしたレモンの風味、炭酸の爽快感。
グラスと縁には、向こう側が透けて見えるくらいに薄い、レモン・スライス。ムラカミの好きなシャーリー・テンプルだった。

「……で、どんな噂ぁ?」

しびれを切らしたのか、ムラカミの隣の女がムラカミの横腹をつつく。
ああそうだったそうだった、と思い出したうようにムラカミは笑うと、隣の女の肩を抱き寄せた。

「ムラカミの話すことなんだから、どうせ眉唾でしょぉ〜?」
「そうとは限らないし、ラムもなんだかんだ食いついてんじゃん?」
「ま〜ね」
「眉唾はどうかは置いといて、あたいも気になるねぇ」

ムラカミとラムの背後から声がかかる。二人が振り向くと、マイクを片手に銀色の髪を搔き上げる女生徒が立っている。
長い白スカートには、自分で切ったのだろうかスリットが入っていて、隙間から細く白い足が見えていた。

「フリント、歌はもういいの?」

カトラスがシェイカーを振りながら皮肉げに言う。

「いかした歌にも限度があるもんさ、今日は店じまい。喉も渇いたし。……チェリーフィズ」

フリントはマイクをカウンターに置くと、ムラカミの左隣に座りながら注文する。
カトラスは頷くと、ピカピカに磨かれたグラスをカウンターに置いた。



「噂ってのは――――――――――――――――――神隠しの噂、だ」



シャーリー・テンプルを一口飲むと、ムラカミは独り言のようにそう零す。
一秒か、それとも十秒だったか……フリントもラムもカトラスも、口を開くのを忘れてムラカミを見た。
“神隠し”。
頭の決して良くない彼女達でも、聞いた事ぐらいはある単語だった。詰まるところが、原因不明の失踪である。
ごお、とカウンターの上の空調が風に唸った。その瞬間に部屋を照らす電球がかちかちと点滅する。
ムラカミの口からそんな単語が出ることは予想外だったというよりも、そんな噂だとは、この場に居る全員が露ほども思っていなかったのだ。

「……なに、ソレって怖い話?」

最初に口を開いたのは、カトラスだった。ラムの目の前に新しいルートビアの瓶を置くと、様子を伺うようにそう切り出す。

「まあ聞きなって。船舶科のツレから聞いただけだから、本当かどうかは知らないけど……。
 なんでも、八年くらいに一回、全国の学園艦の生徒が数十人単位で“海外留学”に行くらしい」
「かいがいりゅうがく」

フリントが歌うように繰り返した。海外、留学?

「そう、海外留学。それ自体がよくある話なのは、お前らも知ってるだろ?」

ムラカミがグラスに唇をつける。結露した雫が傷ひとつないグラスをするすると滑り落ちて、カウンターに小さな染みを作った。

「留学の話は耳が痛くなるほど聞かされたしね。学園艦って海外と姉妹学校提携してるとこ多いし」

カトラスがアイスペールに氷を入れながら呟く。
彼女達も知っているが、学園艦計画は、そもそも国際化社会に向けての政策だった。
今では陸の学校は小学校を残すのみとなったが、昔は小学校から大学までどの学校も、陸の上にあったのだ。
それを広い視野を持ち、大きく世界に羽ばたく人材の育成するため、そして生徒の自主独立心を養い高度な学生自治を行うために、これからの教育は海上で行うべし、と唱えた人物がいた。
最初の学園艦造船は、提唱者の自費であった。
教育の効果は良好で、災害にも強いという結果が出たことにより、次々と学園艦は造られることになる。
産業育成の側面もあり、重厚長大産業時代を救うためにも教育と連携したのだ。
400年の伝統がある学園艦もあり、その歴史は極めて長く、謎の部分も少なくはない。
海外との姉妹学校提携も、大洗こそその歴史はないが、進んで行なっている校も多いという。
黒森峰女学園などは特に積極的だ。想像よりもずっと、日本と海外の繋がり――或いは、政治的繋がりのための布石なのか――は深いのだ。

「けど、数十人単位で抜かれるのは珍しいんだってさ。
 何はともあれ、全国各艦から優秀な生徒が数名ずつ、留学候補になって合宿に行くらしい。
 何をする合宿かは、全然知らねぇし興味ねぇけど」
「ちょっと待ちなよ。それと神隠しのどこが関係あんのさ?」

話に割り込んだのはフリントだった。海外留学なんて当たり前の事ではなく、神隠しについての話をしていたのに、と。
そんなフリントを諌めるように肩を叩くと、ムラカミは口角を僅かに上げた。

「話はこっからだ。
 ま、合宿や留学ってのは、どうやら違和感をなくすための名目上、ってコトらしいんだよな。
 さぁて……参加者の共通点は、何だと思う?」

人差し指を立てて、ムラカミは三人の顔を見る。
ラムは腕を組んで唸った。共通点。……共通点? 

「そりゃ〜、優秀だから?」
「さっきそれは言っただろ?」
「歌が上手いからじゃない?」
「かすりもしてねぇんだよなぁフリント。ヒントは“乙女の嗜み”」
「げはは! いっちばんムラカミから遠い単語〜!」
「歌も乙女の嗜みさ、そうだろう!!?」
「んぁーーーー、うるせえ!!」

いつもの漫才を尻目に、カトラスがグラスに入れたカクテルをマドラーで掻き混ぜる。
チェリーにはちみつ、レモンにソーダ。いつも間にかチェリーフィズが出来ていた。

「……あ。わかった。陸のドンガメだ」

フリントの目の前へグラスを置くと、カトラスは涼しい顔で呟く。

「お、カトラス正解。よくわかったな……?」
「乙女の嗜みっていったら一応、花道、茶道、戦車道でしょ?
 一番人気あるの、ドンガメらしいし。その中で合宿って言ったら、ね」

せんしゃどう、とラムは反芻するように呟く。自分達のような船舶科とは最も遠い乗り物だ。
同じ乗り物ではあるが、海に憧れて学園艦を選んだ自分達にとっては、全く関係のない世界の話だった。

「そ。私らは興味ないだろうけど、陸のドンガメって人気競技らしいよな?
 海外留学生はそれを履修していた選手ばかりらしい」
「……話が見えないねぇ?」フリントがをチェリーフィズを片手に小首を傾げる。「ソレ、普通の話なんじゃないのかい?」
「馬鹿正直に捉えりゃ、の話だけどな」ムラカミが帽子の唾を下げながら言った。「でも、そうじゃないんだ」
「そうじゃない?」ラムがルートビアの蓋を弄りながら訝しげに訊く。「じゃあ、どうなの?」

「要するに結論から言えば―――“消える”んだよ」

まるで、このスモークチーズみたいにな。そう続けると、ムラカミは小皿に盛られたチーズを口に放り込んだ。

「ある日、いきなり消えちまう。合宿に連れていかれたっきり、海外に留学して。
 国から補助金出て、親も海外に行かされるらしいんだけど。
 それから、数人合宿から帰って来る生徒もいるらしい。
 ……一見違和感はないけどさ、合宿から直で帰ってきた生徒以外、その後どの生徒も海外から日本に帰ってきたことないんだと。
 それが“神隠し”って言われてる所以なわけだ」

テーブルの上の落花生の殻を潰すと、ムラカミはシャーリー・テンプルを飲み干した。
グラスの中では角が取れた氷の上に、ミントの葉が張り付いている。

「噂は噂だけどな。
 ツレは、それ本当のところとっくに殺されちまってるんじゃねえかとか言ってたなぁ。
 今のご時世馬鹿みたいな話でありえねーって感じだし、優秀な学生を消しちまう理由もよくわからんけど」

ムラカミは少しだけ笑うと、裸になったピーナッツをバーカウンターの上で指で弾いた。
ピーナッツはくるくると、スクリューのように忙しなく回っている。

「―――――――――ムラカミ。その話題、なにやら穏やかじゃないね」

不意に、背後から声。
四人が振り向くと、開いたバーのドアの入り口に、体をもたげる女が、一人。
パイプをふかしながらロングコートを翻すと、女はニヒルに笑った。

「あっ、親分!」

ラムに親分と呼ばれた女―――竜巻のお銀は、カウンターのハイチェアにどかりと腰を下ろす。
いつものでいいの? カトラスが声をかけると、お銀は頷いて咥えていたパイプを胸ポケットへ突っ込んだ。

「理由もなく皆殺しとは、まるでエドワード・ティーチの侵略じゃないか。
 ここがティーチに侵略された事は、ないけどね」

お銀はロングコートを椅子にかけながら言う。
彼女はこの小学生からの腐れ縁の四人の、リーダーのような存在だった。
背が高いのを虐められていつも泣いていたフリント、両親の帰りが遅くいつも一人で寂しく夜を過ごしたラム、
乱暴だと怖がられて友達がいなかったムラカミ、転校してきてクラスに馴染めずにずっと独りだったカトラス。
そんな四人を救ってくれたのは、お銀だった。
彼女達はそうしてお銀を親分として仲良くなり、テレビの中の海賊に憧れて、いつか船出をするためにこの学園艦に来たのだ。
ごっこ遊びと彼女達を揶揄する輩も居る。荒くれ者が集うこの地下でも、特に彼女達は特殊だった。
―――は? 海賊に憧れて、船舶科に?
将来の夢は、海賊。教員も生徒も、碌な成績ではない上にそんな阿呆な夢物語を宣う彼女達を嘲笑した。
時代逆行も甚だしい。学園艦成立の歴史からはかけ離れた、野蛮で低俗で、どうしようもない莫迦の思考。
彼女達がグレて地下に引き篭もったのは、それらの外様からの声も理由の一つだった。
BARどん底は夢見る少女の理想の箱庭である。日は当たらないけれど、彼女達を邪魔する者は誰一人居ない。
此処なら誰にも邪魔されずに終わらない夢を見続けることが出来る。
BARどん底は、そういう世界だった。
けれど、彼女達にとってはそれが全てで、何にも代えられない財宝だった。
それしかない。世間から弾かれるような碌でもない生き方しかできなかった彼女達には、それだけしか、縋り付くモノがないのだ。

「でも……もしそんな事に一番大切な人が巻き込まれたら、お前達ならどうする?」

だから、その質問に、四人は顔を曇らせる。自分にとって一番大切な人なんて決まりきっているじゃないかと。
お銀だ。
一番と言うと、それ以外に何が想像出来ようものか。

「……そんなの、あり得ないんじゃない? 所詮、噂は噂。でしょ?」

カトラスがハバネロクラブの瓶を持ったまま、弱々しく言う。

「あり得たとして、だよ」

お銀は間髪入れずに応えた。

「そういう親分ならどうします?」

ラムが小難しい顔をしたまま、お銀に尋ねた。
質問に質問で返すのは卑怯だとは分かっていたが、ラムには答えがとんと出せなかったのだ。
それは他の船員も同じなのだろう。お銀以外の四人は、海の底の深海魚のように静かに口を閉じたまま、船長の目を見ていた。

「お前達」しかし、そんな四人をお銀は鼻で笑う。「私を誰だと思ってるんだい?」

「―――勿論、助けに行くさ!」

お銀は続けた。簡単に言い放ったが、しかしそう簡単な問題ではない。
神隠しとは、何時何処に消えたか誰にも解らないから、神の所為にしているのだから。

「助けにって、どうやってさ?」

諸手を挙げて首を振りそう言ったのは、フリントだった。
他の三人も頷く。お銀以外のこの場の全員が思っていた台詞だった。

「船で、さ。世界中を航海して、探し当てる。水底からダイオウイカを生け捕りにするよりかは簡単なもんさ。
 ダイオウイカを見たことは、ないけどね」
「親分〜ボケちまったんですかぁ? 船だなんてそんなもんあたいらもっちゃいやせんぜ〜」
「船があったらとっくにこの面子で出航してるしな」

スモークサーモンを咀嚼しながらラムが言うと、ムラカミもそれに同調するように呆れたように言う。
グラスに口をつけているフリントも、ハバネロクラブをショットグラスに注ぐカトラスだって同じような表情をしていた。
しかし、お銀はしたり顔をしながらショットグラスの真っ赤な危険飲料を一気に飲み干すと、

「ふん。お前たちの目は節穴か!?」

椅子から立ち上がり、胸を張ってそう言い放つ。
握り拳をどんと胸板に当てると、お銀はロングコートを羽織ってツカツカと店の奥へ歩み寄った。

「あるだろう? 最強の船が一隻」

そうして、店内の壁の前まで来ると、くるりと身を翻し、仁王立ちして言うのだ。

「ここに、ね」

カンカン、と拳が壁を、鉄板を叩く。
その意味が理解出来ずに目を白黒させたのは一瞬。けれども、直ぐに四人はお銀の発言の意図を理解した。
彼女達は県立大洗女子学園の船舶科。詰まるところが、そういうことである。

「おいおい……船って、学園艦のことかよ……」

ムラカミはその真意を理解するとやれやれと首を振り、帽子を深く被り直して苦笑いを浮かべる他なかった。
ラムは赤い頬をさらに真っ赤にして、腹を抱えてゲラゲラと笑っている。
全くもってクレイジーである。呆れを通り越して、こいつは傑作だ。けれどやっぱり、親分はそうじゃなくっちゃ。

「いざとなったら、これをかっぱらってお前達を助けに行く。どこへだって迎えに行く!
 それに、盗みは海賊のロマンだろう? 海賊になるのは、これから先の未来だけどね!!」
「うほっ!」
「ヒュウ。痺れるねぇ」
「あたいらの親分はやっぱり考えるスケールが違うね」
「それが、いいんだけどね」

だから、彼女達は夢を追いかけ続けて居られるのだ。
例えそれがこの箱庭だけの一時の夢でも、それが彼女達の救いであり、支えであった。

「かっこいいじゃないか。そうなりゃこいつは無敵のバーソロミュー・ロバーツの船さ。
 ロバーツの船に乗ったことは、ないけどね」

地下深くに太陽はないけれど。
それでも、いつだって彼女達の心の大海原には、お銀という全てを照らし熱く輝く、どこまでも真っ直ぐな陽光があったのだ。





「――――――――――――――――――――――――あのぉ〜、ここに戦車、ありませんかあ?」





地上からの来訪者は、けれどもそんな空気なんて呼んでくれず、突然に。
ドアをノックして入ってきたのは、どん底とは似ても似つかぬ光の住民。
栗色の髪、ポニーテール、豊満なおもちに、下がり眉―――大洗生徒会副会長、小山柚子は、その闇へと終ぞ足を踏み入れる。
その手には船底へは届かぬ、号外新聞が握られている。
本日の大切な大切な補習テストに出席しなかったとある女生徒の、留年決定疑惑が一面だ。
生徒の名前は、河嶋桃。馬鹿で泣き虫で自分勝手でどうしようもない、けれど誰よりも優しくあろう、誰よりも強くあろうとする生徒。

小山柚子は知っている。
ずっと近くで見てきた親友は、きっといつだって、そんなひとだったと。




【AM11:59/県立大洗女子学園】




小山柚子は知っている。
知らないことは知らないことだけで、知っていることは何もかも知っている。

小山柚子、三年生。茨城県水戸市出身、身長157cm。11人家族、6人兄弟の長女。戦車内での担当は操縦手。
誕生日は11月3日、O型18才。趣味は園芸、日課は花の水やりで、好きな戦車は九七式中戦車チハ。好きな花は白水仙。
好物はあんこう鍋、好きな教科は国語。おっとりしていて特に集団の中心に居たがるような性格ではない、どこにでもいる普通の少女。
彼女は特別目立ちこそしないが、非常に優秀な生徒である。
決して学年で一番ではない。一番になろうとも思っていない。けれど毎回、校内成績は10番以内に入っている。
小山柚子は、生徒会では雑用から書類整理までほぼ一人で行っている。
会長は仕事をあまりしないし、もう一人はやろうとはしてくれるが、正直に言って効率も良くないし、仕事の精度も悪いからだ。
故に、二人が居なくなってからの彼女の生活は、そう大きな変化はなかった。
一つ増えたことといえば、全国大会が終わってから、こそこそとやっていた親友のバレバレな日課を、しかたなく引き継いだこと。

小山柚子は知っている。
親友が隠していたことも、隠していることに気付いても知らないふりをして居た方が、良いことも。

河嶋桃が誰にも打ち明けずにやっていた、新しい戦車探し。どうすれば効率が良いのかは、勿論知っていた。
打ち明けてくれさえすれば、直ぐにでも手伝う事だって出来た。その準備だって、実は出来ていた。
やろうと思えば下手な隠し方を指摘して、自分が代わって作業しようか、と言う事も出来た。
しかし、知っていた。河嶋桃にとってそれがどれだけの意味を持った事なのか。どれだけの想いで、一人で悩んでいるのか。
少なくとも、小山柚子は彼女の事を親友だと思っている。だから、彼女のその想いを邪魔することはしなかった。
勉学を犠牲にしてでも完遂したい想いが、きっと親友にはあるのだと。
彼女はそういう後先考えないで行動するような、馬鹿でどうしようもない人間だ。
だからすぐに彼女は失言するし、すぐに泣くし、すぐに怒るし、すぐに喜ぶ。隠し事だって、些細なことですぐにバレる。
そんな少し間の抜けた彼女のことが、柚子は本当に好きだった。

小山柚子は知っている。
親友がこの学校をどれだけ愛しているのか。

小山柚子は賢い生徒だ。どのくらい賢いかと言うと、親友の手では本来、あと数ヶ月はかかるであろう作業を、その日に終わらせてしまうくらい。
結果として、彼女は戦車らしき反応を地下に見つけてしまう。
大洗のヨハネスブルグ。単身で乗り込むには危険な地域だと知っていたので、戦車道履修者の何人かには同行をお願いしたけれど。
河嶋桃は頭が悪い生徒だ。どのくらい頭が悪いかと言うと、毎回赤点を取って補習のテストを受けるくらい。
補習テストでの退学騒ぎ。柚子も噂には聞いていたし、親友の口から聞いた事もあった。こんな船舶科の生徒が居て、と。
ところで、地上では今、大騒ぎになっている。放送部の王大河が、河嶋桃、留年決定!! という碌でもない号外を配ったからだ。
午前中にあった補習の試験に出席しない側にも問題があるのだが、正直柚子だけでは収拾がつかない騒ぎになってしまっていたので、取り敢えず暫くは無視することにした。
彼女は他校の放送部とも繋がりがあると言うし、下手をすると他の学園艦にも渡っているのかもしれない。
柚子は溜息をついてその記事を読みながら、“そこ”の扉を開く。

小山柚子は知っている。
その荒くれもの達の風貌が、親友が言っていた船舶科の生徒達だと言う事も、ここが暗く深い夢の箱庭の中だと言う事も。

戦車道を復活させようと目論んでいたあの日、柚子は西住みほ達を脅した。生徒会の中では、そういう役は自分が合っていると思っている。
会長には考えがある。その考えはなんとなく柚子にはわかる。腐れ縁だし、彼女のことはよく知っている。
だから何も言わずについていけるし、何も相談しなくてもそういう言葉が言えてしまう。
廃校が決まったあの日、杏の姿を見て、柚子は皆に何を言うべきなのか、その瞬間に理解した。柚子は彼女という人間を知っていたから。
だからこそ、気付く。今日という日の、違和感に。

小山柚子は知っている。
郷に入ったら郷に従え。誰であろうが彼であろうが、ルールを守りさえすれば、BARどん底は皆を迎える酒場だということも。

そう、けれど、ここは県立大洗女子学園。もうすぐ生徒会選挙はあるけれど、まだ彼女は生徒会副会長である。
会長が不在の今、彼女は何者か。書記が不在の今、自分は何者か。
ああ、だから、“そうして振舞う”必要も確かにあった。会長として、今何が起きているのかを把握する必要もあった。
手元の携帯電話を、軽く一瞥する。新着メール一件、陸上自衛隊、蝶野亜美。
親友二人からの返信は、まだ、無い。

「あのぉ〜、ここに戦車、ありませんかあ?」

これは、とある“影”の物語。
欠員多数、主役ゼロ、足りない役者、逆境渦中。
海賊の試練に挑むはずだった面子は揃いも揃って皆戦場、殲滅戦絶賛真っ只中。
血と弾丸、炎に骸。殺人ゲームは知らない場所で止まらず進んでいく。
此処は海の真ん中、光の届かぬ夢の揺籠、箱船の下、闇のどん底。
けれどなればこそ、彼女達にもスポットライトを浴びる物語を。
彼女達の躰もまた、何処かへ辿り着く為にそこにあるのだから。





「……店に入ったら、まず注文しな」




さあ――――――――――――――――――――――――――――――ヒーロー不在の最終章<戦車道>を、始めよう。



【AM12:00/某所】



定刻である。

時に、秘密というものは、存外隠し通すにも限界があるものだ。
特殊殲滅戦が、まことしやかに学園艦七不思議の一つの噂として学生達の間で囁かれているように、情報を一方的に100%遮断することなど、できやしない。
それはこの大掛かりなイベントも同じで、それを彼は勿論知っていた。
即ち、噂をする側の動きを把握するのが、何より大切ということである。

「―――――――――――生徒諸君。
 約束通り、放送の時間です。各自スマートフォンは故障していないですか?
 それは皆さんの生命線です。この放送も、そのスピーカーを通して行われるのですから。
 そして今回は“プレゼント”も幾つか用意しました。ゆめゆめ、肌身離さないようお願い致します。
 ……さて、状況にはそろそろ慣れましたか? このゲームが夢では無いことを理解しましたか?
 私の声を耳に注ぎ、理解する程度に頭の回転は保たれていますか?」

果たして、彼女達はまたも反抗してくるのか。彼は数時間前にそう言った。
答えは是。してくるのだ。そういう人間の集まりだというくらい、彼とて知っている。
但し、彼女達とは、“生徒全員”を指している。参加外からの反抗―――考えられる。
現に、大学選抜と大洗とをぶつけた彼の思惑は、標的外の聖グロリアーナの暗躍により破綻したのだから。

「1回目ですから、再説明をいたしましょう。
 皆さんも知っての通り、この放送では、脱落した者達の名前と、これから三時間おきに設置される禁止エリアについての発表を行います。
 さて、皆さんは友人の安否が気になっているところでしょう。
 しかし、禁止エリアから放送するのが伝統のようなので、まずはそちらから発表します。
 無論一度しか発表しませんから、命が惜しい生徒諸君は発砲をやめ、よく聞いておくように」

だから、念には念を。今回の経緯は過去の催しとは異なり、少しイレギュラーな要素もある。
であれば、伝統もあるだろうが、反抗の芽を摘むためには“新しいシステム”を導入する必要もあるというものだ。

「それでは、禁止エリアを発表します。
 午後1時よりD-4、午後2時よりE-4、午後3時よりE-5、午後4時よりE-7、午後5時よりC-3、午後6時にD-3。
 60分おきに追加、計6エリアとなります。D-4に居る生徒は、急いだ方が身の為ですねえ……。
 なお、地図アプリでは、時間が来て禁止エリアとなった部分は赤くなります」

いくつかの監視用スピーカーから、ノイズが走る。そう、地図を見ながら聞いていれば馬鹿でも分かる。
分断―――大洗を真ん中から、二分しているのだ。つまり、“どちらか”に集まる必要があるのだ。
北東か、南西か……。選ばなければならない。

「次に、死者の発表をします。死者は計13名。
 過去と比べてとても優秀ですよ、皆さんは! 素晴らしいペースです! よほど、他校の人間が憎いと見える……。
 死者の名前は、五十鈴華、磯辺典子、近藤妙子、カエサル、山郷あゆみ、園みどり子、後藤モヨ子、
 カルパッチョ、カチューシャ、西住まほ、赤星小梅、西絹代、アキ――――おや?」

役人は目線を落とし、そのディスプレイを見ると思わず口角を上げた。
アラーム音と、灰色の文字が、新たに一つ。この放送をしている最中に、新たな脱落者が出るとは、さしもの役人も思ってはいなかった。
本当に、と役人は肩を震わせる。このゲームは本当に、醜い人間の本質が見える……!

「皆さんはやはりとても優秀だ。今、新たに一人の死亡を確認しました。新たな死亡者はクラーラ……。
 訂正しましょう、死者は計14名です。
 なお、うち、自殺者は1名。その他は全て他殺です。
 ああ……今、いいことを思いつきました。この放送が終わったら、死体の名前と場所を皆さんのスマートフォンへメッセージとして送りましょう。
 さよならを言いたい人も居ることでしょうしね。まあ、死体が消し飛んでいるものなんかもあるようですから、
 体が綺麗に残っているだなんて保証は、どこにもありませんがね。ははは」

役人はわざとらしく笑うと、一拍置いて小さく息を吸った。
見え透いた罠でもあるが、しかし心優しい何人かの生徒達はこれで撃ち抜かれた死体の元へと向かうだろう。
彼女達はそういう人間だと、ある意味で役人は信じていた。
だからこそ、大学選抜戦であそこまで集い、チームの力を発揮したのだから。
敗北を認めず敗因を分析出来ないほど、役人とて愚かではない。ならばその想いと力を逆手に取り、次こそは確実に勝利する。
それが大人の戦い方だ。幾ら汚くとも結構、勝ちさえすれば良いのだから。
このメッセージ配信により、場合によってはチームの分裂や別行動も有り得るだろう。
ありもしない死者の幻影に縋り、絶望を覚えさせるもよし、殺人者にそれを狩らせるもよしだ。こちらにとっては利しかない。

「さて、次にチーム名と所属人数を発表します。
 “青い鳥チーム”、3名
 “イングリッシュブレックファースト”、2名
 “チーム杏ちょび”、2名
 “チーム・ボコられグマのボコ”、2名
 “姐さん!ペパロニっスよ!15時にDのT型定規作戦っス!って言えって一緒にいるイギリスの偉い人が言ってましたよ!”、2名
 “†ボコさんチーム†”、2名
 現在、残存チームは以上6チーム。計13名が所属となります」

それにしても、と役人は隣のディスプレイに視線を落とす。
アンツィオ副隊長と聖グロリアーナ隊長が組んだチームの奇策“チーム名を使っての暗号”。
よくもまあ考えたものである。さすがは聖グロリアーナ隊長といったところだ。
大学選抜戦で苦渋を飲まされた件の、直接の原因が彼女であることの調べは、勿論ついていた。
特殊殲滅戦のジョーカーとして運営側へスカウトするシナリオも、一度は浮上したくらいだ。
何かの手違いがあったのか上からの指示でその案は消えたものの、暗躍を見越して、彼女については今後も注視しなければならない。

「続けて、チームに入っていない人物の名前の発表を行います。
 武部沙織、秋山優花里、澤梓、阪口桂利奈、丸山紗希、ホシノ、
 ローズヒップ、ケイ、アリサナオミノンナ、福田、ミカ
 計13名です。皆さんもお分かりでしょうが……この13名は“乗っている”可能性が高いと言えます。
 出会い頭に殺してしまった方が、チーム所属者の身のためかもしれませんねぇ」

勿論、乗っていない人物の方が多い。聡明な人間が多い戦車道の生徒達のことだ、それも理解しているだろう。
それでも煽るだけでも効果はある。思春期の女生徒の心は、彼女達が自分で思っているよりも遥かに脆く儚いものなのだ。
役人はマイクを握り直す。ここからは、追い討ちのプレゼント・タイム。
サービスも些か過ぎるくらいが丁度良い。なにせ敵はあの大学選抜に勝利する高校生集団なのだから。

「……さて、最後は“プレゼント”の発表です。君たちのスマートフォンに、一つアプリを配信しました。
 緑色の本のアイコンをホームに追加しました。“学生名簿”というアプリです。
  “学生名簿”では、顔写真入りの名前や、簡単なプロフィールが表示されています。
 死亡者は写真は白黒になり、名前が赤色になりますが、死者表示は放送のたびにしか更新しないことにしました。
 しかしこの放送以降は、死者が出た瞬間、ホーム画面にその情報をポップアップ表示されるようにします。
 通知音も強制的に鳴らしますので、スマホのスピーカーには十分に注意して頂きたい。
 また、チームに属していない人間は名前が青色になり、チームリーダーは、名前が黄色になります。
 この表示も、放送毎にしか更新しません。
 しかしこの放送以降は、チームが解散した瞬間、ホーム画面にその情報をポップアップ表示されるようにします。
 死者発表時と同様の通知音も通知音も強制的に鳴らします。なお、通知音はマナーモードにすれば鳴りません。
 ……ああそれと、今日は16時頃より雷雨となるようです。各自、対策はしておくように」

幾重にも張られた予防線。
カラフルな箱の中身は、絶望を徹底的に与えて、決して反抗を許さないための死のクレイモアだった。

「それでは、6時間後まで、さようなら」

マイクの電源を切ると、役人は椅子に腰を下ろし、溜息を吐く。
役人は表情筋の裏側で静かに嗤う。今回こそは、決して負けられないのだ。
さあ、舞台は整った。存分に殺し合いたまえ。




君達に――――――――――――――――ハッピーエンドは、用意しない。




【?????/一日目・正午】

【☆辻康太(文部科学省学園艦教育局長) @殲滅戦運営チーム】
[状態]健康
[装備]???
[道具]???
[思考・状況]
基本行動方針:殲滅戦を完遂させる
1:今度こそ、自分の思い描いたプランは狂わせない。狂わせてなるものか。
2:状況報告を“上”へ行う。




Tips:殲滅戦参加者は『強化指定選手に選ばれ、現在強化合宿に参加している』という扱いになっています。
   上記内容は、政府の手によって各学校に伝達されています。
   王大河の手により、追試をガン無視した河嶋桃を話題にした“河嶋桃 留年決定”の号外が配られました。
   最終章のように他校へも発信されている可能性があります。
   殲滅戦参加後、死亡者は“海外留学生”として処理されます。




時系列順
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Next:永別


登場順
Back Name Next
021:名前のない少女達/名無しになった男達 辻廉太(文部科学省学園艦教育局長) [-:[-]]

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最終更新:2018年08月02日 02:15