これは、最初から閉じられた物語なのだ。
始まりから結末まで定められた運命とでも言うのだろうか。
嗚呼、ならば。こんな物語の線路上に乗せられた自分達は――どうしようもなく道化だ。
放送はつつがなく進行した。死者も呼ばれた。殲滅戦は続くことも証明された。
全て、現実だ。自分達に突きつけられたモノは、全て正しい。

(…………クラーラ殿)

 それは、目の前の死体もまた、正しいのだと証明している。
自分達が殺した彼女も正しい結果として此処に在る。
では、秋山優花里の正しさとはどう重なるのだろう。
その正しさは他者に投げかけられるものなのか、と。
誓って、はっきりと言える。こんなあやふやで、霧のような正しさあってないようなものだ。
西住みほなら、と思考停止した正義に何の価値もありやしない。
肯定をしたければ肯定すればいい。誇らしげに持ち歩いて、掲げればいい。
されど、この戦場においては邪魔な荷物だ。
眉を顰められ、遠回しに否定されるのが目に見えている。
この戦いは戦車道に基づいて行われているものではない。
殲滅戦――生き残りを懸けた殺し合い。身一つで暴に立ち向かい、打ち倒す生存闘争。
人並みの善意はあると自負している者ならば、誰もが憤慨するだろう。
今はもう、その気力すらないけれど。

 ――何を信じて、何を正しいと叫びたかったのか。

 殲滅戦は終わらない。綺麗なままではいられない。
かつて語った理想はもう潰えてしまった。
誰も犠牲を出したくない。その言葉のなんと軽いことか。
許してはいけないといった行為をやったのは――自身である。
クラーラを殺したのは、秋山優花里だ。まずはその事実を受け入れ無くてはならない。
殺すつもりはない、そんな甘ったるい言葉は胸へと染み渡らなかった。
横にいるホシノは茫然自失といった表情で下を向いて座り込んでいる。
心此処にあらず。今なら、銃口を向けて引き金を引くだけで死者が一人増える。
きっと、そうされても抵抗はしない。否、できないだろう。

 責任転嫁はできない。西住みほは、此処にいない。

 ぎゅっと掌を開いては握り締めて。思うように力の入らないこの手は血で汚れてしまった。
ぶるりと震えた身体は何か――目に見えない恐怖に怯えるように。
からからに渇いた口の中は唾液すら思うように出てくれない。舌でべろりと口内を舐めても、全く濡れてくれやしない。
目を細め、重い溜息を吐き捨てた。流れた放送はそれだけのダメージを優花里へとぶつけてくる。

いないものに縋り、支えてくださいと求めることの何と醜いことか。

 色々と大層なお題目を並べておきながら、結局は死にたくないという思いが強かっただけだ。
自分とホシノ。どちらが殺したかなんてさして重要な問題ではない。
どちらにせよ、自分はクラーラを切り捨てることを心の何処かで許容していた。
殺したのは自分達だ。今度は倒せないかもしれないという弱さが、クラーラを殺すことに決断を傾けた。
明確な殺意がなかったとはいえ、彼女を殺した以上、これは他でもない秋山優花里が背負わなくてはならない“責任”だ。
みほがいたら殺さなかった? 確かにその通りだろう。
西住みほの言葉はは綺麗で、愛情に満ちている。
彼女なら、こんな乱暴なやり方をせずにスマートなやり方で無力化したはずである。
彼女なら、殲滅戦に積極的なクラーラを説得して仲間に引き込むことができたはずである。

 ――西住みほなら、もっとうまくやれた。

 自らの判断で動いたからこのような結末になってしまった。
これまでの道程を振り返って、自分に何ができた?
ただ状況を悪化させているだけじゃないか。
仲間を救えず、敵を殺す。これでは、殲滅戦に積極的な参加者そのものである。

(に、西住殿なら、きっと、許して)

 根拠のない甘えを勝手に生み出してしまう程、今の優花里は弱りきっていた。
会って、どうする。慰められて、そこから先が思い浮かばない。
みほはきっと許してくれるだろう。自分がどれだけ悪手を打とうと、決して見捨てない。
そういった彼女だからこそ、皆付いてきた。
優しくて、強くて、諦めなくて。太陽のように眩しい彼女にずっと憧れているからこそ、会いたい。
もう、限界だった。
虚勢を張り、平常を保ったふりをするのも、自らが最前に立ち、行動することも、嫌だ。
みほの指示に身を委ね、その型通りに行動する。それが最良なのだから。

(そうですよ、許してくれる。西住殿ならきっと、仕方ないなって!)

 ただ、みほに会いたかった。彼女の顔を見るだけで世界は変わる。
背負わされている重みも軽くなるはずだ。
思い詰めていた表情がほんの少し和らいだ気がした。
彼女なら優花里と共に歩いてくれる。また、一緒に戦車道を――――。





 ――――チームのメンバーは既に欠けてしまったのに?






 絶対に、元には戻らない。戻れないのに、願ってしまった。
五十鈴華が呼ばれた。他の大洗のチームメンバーも当然の如く名を連ねている。
眼の前で死んだ磯辺典子も、優花里達が殺したクラーラもだ。
最初から気づいておくべきだった。
もう一度戦車に乗るとしても、元通りにはならない。
誰もが笑えるハッピーエンドは失われてしまった。
問いかける。自らの奥底へと、世界へと、日常へと。
大切な仲間が死んだ上で、あの全国大会の時のように、自分は戦車に乗れるのだろうか。
口から空虚な溜息が勝手に漏れ出した。その溜息が答えとして現れている。
例え、西住みほに出会おうとも、背負った重りは外されない。
ずっと、ずっと。何があろうとも、延々と背負わなくてはならない枷として優花里を縛り付ける。
戦うことも、殺すことも、優花里は何の覚悟も誓えていなかった。

 屈した膝は立ち上がらず。

 逸見エリカに見せていた余裕なんてとうにない。
そもそもあれは余裕ではなく、虚勢だ。あんな紛い物が余裕であってたまるものか。
優花里は、俯瞰してわかったような言動を心底恥じる。
湧き上がる恥と後悔の残響が、胸に反響しながら疼いているのを自覚する。
自らは絶対に死なないと思っていた傲慢では、誰かを導き、救えるはずがないのに。

 ――贖いは、何処にある?

 罪には罰を。栄光には報酬を。
どんな事象であっても、返ってくるものがある。
例えば、善行。綺麗事を振るえば必ず誰かが感謝を述べ立てる。
例えば、悪行。当たり前と言わんばかりに非難が投げつけられ、骨の髄まで叩かれる。
さて、自らの行いはどっちだ。
考えても、仕方がないことだというのに。断罪してくれる者なんて此処にはないのに。
結局の所、お手軽な救済を求めているだけだ。
どれだけ思考を重ねても、正しさを脳内で論議しても、結局の所は心底変えられない。


 “このせかいがつらいから、たすけてください”。

 みっともなく、泣きついて、縋って。そうした方が軽いから。
投げ捨てた責任が“西住みほ”を殺す。背負ってしまったみほが死んだら、また次の誰かへと。
そうして責任が最終的に返って来た時、優花里はどうする。
悪意の芽はとっくに咲いている。茎が伸びて、枝が生まれ、花を生む。
その果てで、枯れて、地面へと堕落する。
堕落するのは自身の全て。これまで地道に積み重ねてきた思い出とほんの少しの夢と希望。

(――――ああ、そうなんだ。そうだったんだ)

 ここまで並べ立てると、もはや、わかりきっていることだった。
けれど、それを言ってしまえばどうしようもない。
これまで維持していた傲慢は脆く崩れ去る。
嗚呼、でも。でも、と。もうどうだっていい。
たった数時間で全部、折れてしまった。後生大事にと抱えていたものさえも、今は見失っている。






(私は、とっくに汚れていたんだ)






 生き残ってしまって、ごめんなさい。
生きてしまって、ごめんなさい。
残ったものは懺悔だけ。潰えた理想は蘇らず、ただ朽ちていく。
確固とした自己は泡沫のように消えていった。
ごぼりと這い出る泡は懇願。
都合のいい、現況の困難から救ってくれるヒーローがどうか来てくれますように。
思考停止だ、ここまで来ると自らの甘さに笑いが出てくる。
綺麗だとか、爽やかだとか、瑞々しいだとか。
そんな風評文句を箱に挙げ連ねておきながら、表に出してみれば、ただの腐った果物だ。

 ――確固たるカリスマがない弱者は、どうしたらいい。

 ただ、夢を追い求めていられたらよかったのに。
悪いことをした自分はそんな些細なことすらも許されないのでしょうか、と。
虚空に問いかけた問いかけは、窓から入ってくる風に乗って揺蕩った。
回答はない。そもそもの話、正解がないのだから何も言えない。
空っぽだ。あれだけ必死だったのに、何をするにも適当という言葉が拭えなくなってしまった。
だから、この行動は本当に何となくといった衝動からくるものだ。
取り出したのは仲間の遺品――典子のスマートフォンである。
もしかすると彼女は何かを遺しているかもしれない。
恨み言を言うような性格には到底思えないし、さっぱりした典子のことだ。
そんな後悔に塗れたものなんて――。

「…………えっ」

 その驚きの声は自然と口から漏れ出していた。
動画が一つ。メモ帳に一つ。動画の方は、フォルダ分けもされず無造作に押し込まれている。
動画についてはクラーラから逃亡をしている間、そんなことをする余裕もなかったことからあの校門での宣誓を行う前に遺したものだろう。
テキストについてはわからない。典子を助けるべく、家探しをしている最中にでも文章を打ったのか。
ともかく、だ。見つけてしまったのだから見るしかない。
それが、彼女を看取った自分達にできる贖いだ。
その程度のことしかできない、選べない、決められない。
嗚呼、なんて情けないのか。
ふとスマートフォンから視界を戻し、見上げると、ホシノも顔を上げてこちらを見ている。
驚きが伝わったのだろう、怪訝な表情を浮かべていた。

「磯辺殿が撮った、動画が残っていました」

 改めて自分で口にしても、やはりまだ現実味がない。
ほんの数時間前までは生きていたのに、今はもう死んでいる。
部屋の片隅で冷たくなった彼女と自分。そこには絶対的な隔絶が存在する。

「私達が、見るべきであると思います」

 再び、その隔絶と向き合う覚悟は在るのか。
ある訳がない、と。殲滅戦に巻き込まれる前ならば、迷いなく言えた言葉は口からは出なかった。
このまま放置していてもいい。きっと、誰かに渡せばその意を汲んでくれるだろうし、自分達よりもよっぽどうまくやれる。
それでも、すべきであるという意からすると、やはり自分達が最初だ。
優花里とホシノを生かした理由もあるし、典子の死を間近で見ていたからこそ、受け止めなければならない。
これでバレー部の誰かが生き残っていたらともかく、唯一呼ばれていた近藤妙子は既に死んでしまった。

「…………ああ」

 か細い声でホシノが肯定する。
握り締められた拳は震え、表情は煤けている。
その胸中には今もまだ、この大洗の何処かで生きている大切な後輩のことが頭にあるのだろう。
彼女にはまだ残っている。戦車道に関わる前から、ずっと一緒だったツチヤが戦っている。
自分にだってそうだ。西住みほが、武部沙織が、冷泉麻子が、残っている。
五十鈴華が欠けてしまっても、まだ大切な人達はこの大洗にいるのだから。

 もしも、自分以外に知り合いがいなかったら。

 そんな考えても仕方がないイフに、手を伸ばしたがっている。
安易な決断に浸っても待っているのは破滅だけだ。
此処で踏み留まって典子の死を糧にするのが、一番である。
けれど、そんな論理――どうだっていい。
二人は怖くて怖くてたまらないのだ。
彼女の真っ直ぐさと自分達の矮小さを直視してしまうから。

(見るべき、なんて嘘。本当はその逆だ)

“磯辺典子”という輝きがあっけなく散った事実も怖い。
数時間前まで元気で五体満足だった仲間の映像を見るのだって怖い。
それが、どれだけ恐怖心を煽ることか。
銃で撃てば、人は死ぬ。刃物で刺せば、人は殺せる。
この閉じられた箱庭では、命など塵のように軽く吹き飛ぶのだから。

(私もホシノ殿もわかっている。見た所で、何も変わらない。
 磯辺殿は強い。真っ直ぐで直向きな抱負を映したエールは、毒になる)

 そんな鬱屈した世界で、磯辺典子は輝いていた。
太陽のように眩しく、周りを照らしていた。
だからこそ、その熱さに自分達は焼かれたのだ。
正しすぎて、綺麗すぎて、純真なその想いを受け止めきれなかった。
死の間際まで仲間を信じ、戦い続けた彼女を、怖いと感じてしまうなんて。

(――――情けないですね。私達は強く、在れない)

 仲間の想いを裏切らなかった。
仲間の死を穢すことをしなかった。
自分達とは大違いの彼女は、きっと――――。






「そういえば、さっきの話には続きがあるのよ」
「へっ、そうなんです?」
「そうなの。まあ、あれでいて、キャプテンは繊細な所もあってね」

 バレーの休憩中、河西忍が大野あやに突然声をかけてくる。
数時間前の雑談の続きであろう、あやも顔を忍に向けた。
同じ戦車道を履修してはいるが、こうして話すのはほとんど初めてのようなものだ。
自らのチーム、隊長である西住みほが率いるチームならともかく忍のチームとは交友らしい交友もない。

「私からするといつも真っ直ぐで根性~ってイメージだから、繊細とは結びつかないけど」
「そうね。傍から見るとキャプテンはあまりそういう所を見せないから」

 外部から見る磯辺典子とはひたすらに強い少女だ。
真っ直ぐに進み、転んでも立ち上がることができる。
自分達のように、怯えながら戦車に乗っていた時も、彼女は最初から強かった。
されど、忍が言うには全然そんなことはなく彼女もまた、繊細な所がある、と。

「その割には、あんまり頼ってくれないのよ。キャプテン、大抵のことは一人で抱え込んじゃうし」
「一人だけ先輩ですしねぇ」
「それも踏まえて、あの姿勢なのよ。ほんと、背負いたがりな所は本当に治して欲しいわ」

 ちょっとだけ寂しそうに笑う忍に、あやは何も言えなかった。
バレー部は典子以外全員一年生だ。一人だけ高学年であり、背負わなくてはならないものもある。
気丈に振る舞い、前だけを見るその姿勢を維持することだって並大抵のものではないはずだ。
一人で走って先導する彼女のことをあやは遠い世界の住人とさえ感じてしまう。

「もっとも、私達も深く知るまではキャプテンは強い人だって思っていたわ」
「というと、気づく一件があったと?」
「そうね。私達が用事があって部活を休む時も、キャプテンは一人で毎日練習しているんだけどさ」
「ほぇー……」
「私達も最初は、キャプテンは一人でも立てる。私達がいなくても、バレー部を続けられるって思ってたの」

 実際、彼女の熱意はすごい。
背中で語り、プレーで魅せる。典子をキャプテンと慕うのも無理はない。
それだけ、彼女はバレー部の太陽であり、欠けてはならない存在なのだろう。
こうして強化合宿で外れているだけでもバレー部の二人は心細そうにバレーの練習をしていたのだから。

「けれどね。偶々、私達の用事がキャンセルになって急遽練習に行こうってなった時さ、見ちゃったのよ」

 その心細さは典子も当然のように持ち合わせているのだ。
そんな当たり前に気づくまで――否、気付かされるまで。
忍達は無邪気が過ぎたのだろう。
典子が、必死に、虚勢を張って騙して、目を逸らして――彼女が隠してきた顔。
体育館で一人、ぼんやりと宙を見上げる姿を、見てしまった。
寂しそうにバレーボールを抱える背中は、普段の典子とは比べ物にならないくらい小さかった。
横顔はいつもみたいに輝いてなくて、何処か不安に満ちていて.

「バカだったわ。私達、何も気づけなかった。一人でバレー部を引っ張って、部員を集めて。
 たった一人の年長者で、先輩も同級生もいない中で何も感じないはずがないのに。不安になるのは当然のことね。
 キャプテンを完璧超人だって思っていた自分が恥ずかしいわ」

 いつも典子の周りには自分達がいた。
一緒に走ってくれる仲間がいたから、慕ってくれる後輩がいたから、頑張れた。
典子は口癖のようにそう言っていた。

「私達がキャプテンを支えにしているように、キャプテンも私達を支えにしているの」

 もしも、自分達がいなかったらどうなっていただろう。
誰も入部希望がおらずバレーの練習なんてまともにできない。
そんな環境で、明るく立ち振る舞えたのだろうか。
今のバレー部はそんな奇跡を幾つも重ねた上で存在しているのだ。
だからこそ、この一瞬を大切にしたい。そう、思って自分達はバレーをやっている。

「キャプテンだって一人の人間で、人並みに苦しむし辛かったりする時もある。
 まあ、そういう弱みを見せてくれない所は本当にもう……ってなっちゃうけれど。
 でも、私はそれでも、付いていこうと思えた。やっぱり、キャプテンが好きだから」

 典子は自分達がいたからあんなにも頑張っているのだし、前を向けるのだろう。
気恥ずかしいが、典子の原動力はきっと後輩だ。
忍達がいるから、真っ直ぐ走れるし、根性を振り絞れる。

「まあ、そういう訳で、カリスマだけじゃなくて、全部ひっくるめてキャプテンなの」
「愛だねぇ」
「そんな大層なものじゃないの。他の皆はどう思ってるかはともかく、私は――」

 ――ああなりたい、と。

 いつか自分達が先輩になった時、典子のように後輩を導けるように。
そして、一緒の歩幅で寄り添って歩けるように。
仲間と一緒に強くなれる人間として、強く尊敬しているのだ。






『この動画を誰かが見ているってことはきっと、私は死んでいると思います』

 その動画の始まりはネガティブな独白から始まった。
一瞬だけではあるが、呆然とした。それは優花里の想定とは違った弱音である。
磯辺典子ならば、明るく元気な映像を残していると思ったので意外だ。
とはいえ、こんな閉塞的でいつ誰かが狂ってもおかしくはない状況で明るく、というのも無理な話だ。
自分達の前では普段の典子をできる限り装っていたが、中身は脆く儚い。

『ああ、もう、悔しいなあ。こんならしくないメッセージ、見られたくないのに。
 それでも、残してしまうのはきっと……心細さがあったのかもしれません。
 あー、すいません。最初から弱音ばっかりって見たくもなくなりますね』

 死ぬのは怖い。あの演説でも言ってた言葉だが、実際の所、それでも動いた彼女は強い。
だから、この動画でネガティブな思いをぶちまけるとは思っていなかった。
認識の剥離だ。根性、と。頑張って生きてくれといった類のエールを見せられると思っていた二人は口を間抜けにも開けたまま、目を見開いている。
画面の中にいる典子の笑顔は少し引きつっていて、日常で見せていた笑顔とは程遠い。
これは断じて生者へのエールではない。悔恨と恐怖と絶望が入り混じった不安の吐露だ。

『自分でもおかしいと思っているんです、こんな動画。この動画を撮っている時点では、私は生きているのに。
 死ぬつもりはないのに、遺言のような動画を撮るなんて、間違っている。
 けれど、たぶんですけど、わかるんです。私は長く生き残れない。今からやることを思えば、その考えがどうしても離れてくれない』

 強く抗うと、楽に死ねない。そんなこと、誰もがわかっている。
わかっているからこそ、見知らぬ誰かは自殺を選んだのだし、他の誰かは生き残る為に人を殺すことを選んだ。
そして、典子は拡声器を用いて、反抗を叫ぶことを決めた。それを快く思わない参加者に殺される可能性をわかっていながら、選んだのだ。
最初から、典子は殲滅戦はそう簡単には終わらないと理解していた。
言葉の語気の弱さがその証拠だ。

『何かあったら、後輩が危険な目に晒されていたら、私は耐えられないし、じっとしていられない。
 客観的視点とかリスクとかそんなもの、全部放り投げちゃうんです』

 それは、悔恨と恐怖と絶望を、鍋の中で煮詰めたような表情だった。

『例えば、もしもバレー部の皆が殺されようとしていたら――私は後先なんて考えずに飛び出しますしね』

 ああ、その通りだ。この動画の数時間後、典子は誰もが予測できたありふれた結末を迎えることになる。
拡声器で正しさを説き、潰されて、その果てに仲間を庇って死んでいった。
蛮勇と無謀を重ねて、当然のように殲滅戦から退場した。

『怖いのに、辛いのに、死にたくないのに』

 芯に本質的な強さがあったから。苦悩を封じ込めて動けてしまうだけの意志があったから。
磯辺典子は足を踏み出せてしまった。普通なら踏み出さず躊躇するような一歩を、真っ先に。
そうでもなきゃ、拡声器で殲滅戦を否定するなんてできやしない。

『…………拭えないものを込めたくなったから動画を遺したんです。例え、間違っていたとしても、遺したいと思ったから。
 今からやることを思うと、怖くてたまらない。けれど、誰かがやらなくちゃいけない。見てください、手も足も震えてみっともない』

 その一歩を鈍らせた鬱屈を何とか吐き出す為に用いたのが、この動画だったのだろう。
物語に描かれる英雄のように、迷いなく進めない。そうした苦悩を払拭すべく、一人の少女が本気になるべく置き去りにした弱さが画面には鮮明に映っている。
こんな弱気な表情、自分達には決して見せなかった。
銃で撃ち抜かれた時も、手当を受けている時も、死の間際の時も。
典子は優花里達を鼓舞するべく、気丈な姿勢を崩さなかった。

『忘れられたくないから。ずっと、誰かに覚えていてほしいから。置いていかれるのが嫌だから。
 もしかしたら、この動画が何かのきっかけになるかもしれない。そんな理由もあってこの動画を撮っているんです』

 そんな彼女が弱音を吐き捨てている。独りよがりな理由で傷を残そうとしている。
申し訳なさそうに、あるいは、恥ずかしそうに目を伏せる典子を見て、優花里は顔を顰め、一粒、涙を零す。
口から漏れた言葉にならない声は、ある一つの事実に辿り着くことを意味していた。
同じだった。磯辺典子も、秋山優花里と同じだ。死にたくなくて、怖くて、恐怖に震えて悔やんでいた。
強くて、弱い。武器を持って戦うことなんてしたくなかった。
それでも、戦った。己に克ち、確固たる意志を以って、最後の最後まで貫き切った。

『元気と根性が取り柄だとは思っていますが、弱音もたまには吐いてしまうということで許してくださいっ』

 目を細め、指で頬を掻きながら、典子は笑う。
これは、本来は辿るはずもなかった道だ。彼女は廃校を覆した大洗で、バレー部復活を掲げて青春に汗を流すはずだった。
自分だってこの先、みほと共に戦車道を極めるべく鍛錬を重ねるはずである。
全部、全部、殲滅戦が奪っていったのだ。

『……私、逃げたいです。諦めたいです。殲滅戦なんて聞きたくないし、知りたくもない。
 きっと、巻き込まれた時点で手遅れだって、わかっている。ここから先は辛いことばかりで、根性なんて言葉はきっと通用しない』

 だから、もういいや、と思っていた。
奪って、無くして、また奪って、無くして。その果てに何がある? 何もないじゃないか。
たった一度の略奪と喪失で摩耗しているのだ、それは先程の自問自答で自覚できた。
疲れ切った心は容易く、楽な道へと進もうとする。
これ以上、自分が自分でなくなる恐怖と戦うくらいならいっそ――。





『それでも、私は叫びたいし、貫きたい! 根性って!!!!!! 私と同じ思いを抱いた人達の居場所を作りたいって決めたから!』







 けれど。そう、けれど。








『怖くたって、痛くたって、前に進むのが、私だから! 自分の心に嘘をつかないで、胸を張って、誇れるように!!』

 画面の向こうにいる彼女は、その甘えを明確に否定した。
曇天の空に風穴を開けるように破顔一笑、力の限り声を上げる。
その愚かしくも尊い決意は白銀のように透き通るように光り輝いていた。
最高で最低な自分勝手。最善で最悪な自分の宣誓。
結局の所、典子はやりたいことを抑えられない子供だったのだ。

『ルール違反上等! でも、私が掴んだ選択は、きっと、きっと――! この動画を見てくれた誰かが認めてくれるものだ!
 いつか、どこかで、誰かもわからないけど、絶対そうだって信じてる!』

 その眩しい正しさを、典子は選び取った。
だから、拡声器で思いの丈を叫んだのだろう。不安も決意も、何もかもをぶちまけた。
そして、死んでいった。自分を偽ってまで掴む生を否定した。

『こそこそと隠れながらなんて私らしくない! 自分を曲げて、誤魔化して!
 そうやって、生きるのは、嫌だったから!』

 再び問う。今の自分は、どうだ?
秋山優花里は何かを曲げていないか? やりたいことを見失っていないか?
自らに問う、今も生きている仲間達に問う、殲滅戦という現実に問う、過去の思い出に問う、未来の夢に問う――――!






 クエスチョン。秋山優花里が、やりたいことは?
 アンサー。――――――――あぁ、思い出した。





『やりたいことを貫く! それが、私の生き方だ――っ!』



 そんなこと、問わずとも、最初から定まっていた。
西住みほに誇れる自分でいたい。彼女の後ろではなく、横で支え合える関係でいたい。
孤独たる無双など、彼女にさせてなるものか。
ああ、なんだ思い返せば、簡単だったじゃないか。
秋山優花里の戦車道はみほの横だ。重ならなくともいい、彼女と対等に歩けるなら、それでいい。
だって、西住みほは親友だから。大切だからこそ、彼女の背中に自らを預けっぱなしなんて許せない。
長い時間をかけたけれど、彼女と並走して走れる道だってようやく気づくことができた。
ここにきて、ようやく頭が落ち着いた。殲滅戦が始まってから、今に至るまで、優花里は酷く動揺し、自分を見失っていたのだろう。

『私は最後まで諦めない! だから、他の皆も頑張れ!! 無責任だけど、頑張れっ!
 自分を見失わないで、生きろぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!』

 これまで流すまいと耐えてきた涙は自然と瞳から零れ落ちる。
みっともなく、情けなく。優花里は嗚咽をあげながら泣き続けた。
人を殺したという事実は消えない。殲滅戦の恐怖に負けたことはこの先も優花里に纏わりつくだろう。
それでも、這いつくばってでも進まなくてはいけない理由ができた。
このまま顔を俯かせてはみほの顔だって見れない。
もう一度、零から。いや今の自分はマイナスだ。殲滅戦に一度は呑まれたメンタルは簡単には拭い去れないけれど。
一歩、進む。秋山優花里の、秋山優花里だけの戦車道を歩んでいく為にも、今この瞬間だけは恥も外聞もなく涙を流していよう。

『以上ッ! 磯辺典子ッ! 遺言というか、エールというか! とりあえず、メッセージ、残しますっ!!!
 できることなら、この動画を見ている人が、最後まで自分を貫けるように、私は願っています!』

 最後に典子は満面の笑みを浮かべ、動画は終わる。
胸を張って選んだ道なのであれば、どんな結果でも、胸を張って享受すればいい。
改めて考え直してみたら簡単なことだった。
ああ、本当に彼女はカリスマに溢れていた。こんなキャプテンがいるのだ、後輩の部員は愚直に付いていくだろう。
接点の薄い自分でさえ、こうも充てられるのだから尚更だ。

「――――いやぁ、気持ちのいい啖呵だ」

 されど、そのカリスマが万人に届くかと言えば、ノーである。






 これは、怠惰と呼ぶ感情である。ホシノは苦笑いを表情に貼り付け、絞り出すように言葉を吐き出した。
夏の茹だるような暑さに負けて、引き篭もった時を思い出す。今、抱いている想いは自分でも自覚している、嫌という程に。
ノー勉で挑むテストよりもタチが悪い。なにせ、どう足掻いても解決方法なんてないのだから。
たったひとつの冴えたやりかたは、存在しない。

「やっぱ、キャプテンっていうのは人を乗せるのがうまい。
 西住隊長もそうだけど、上に立つ人間の才覚ってやつはオンリーワンだね」

 深海に沈んでいくように、ホシノの表情は虚ろだ。
全ての希望を削り落とされた現状、それはどう足掻いても自分には無理なポジティブさだ。
本来なら、ホシノはのんべんだらりと自動車をいじっているだけの女子高校生である。
殲滅戦なんてものに耐えれる強いメンタルなんて持ってはいない。

「けれど、どう言い繕ったって人殺しは人殺しだ。気づきたくなかったのに、気づかないままでいられたのに。
 もう遅い、私は気づいてしまった。ああ、何をしたって、変えたって、意味なんてない」

 何度やり直しても、固定された――起こってしまった過去は変わらない。
絶望が止まらない。フルスロットルでかかったエンジンは既に動力として起動してしまった。

「……重いよ。重すぎて、辛すぎて、動けない。生きる為とはいえ、な。
 たった一度だけなのに、こんなにも私の体に纏わりつく!」

 要するに、後生大事に持っていた正しさなんて、殲滅戦に巻き込まれた時に、とっくに砕け散っていたのだ。
過去も、未来も、思い出も。何もかもが行方不明で足元すらおぼつかない。
積み上がった残骸がかろうじて息をしていただけ。自動車部の後輩がいなかったらとっくに自分は消えていた。

「そこからはもう簡単さ。気持ち悪くて、下らなくて、バカになる。
 ただ惨めったらしく息をしているだけの人間もどきさ。ああ、ったくもう。生き残るべきは私じゃなかった。
 口にしたら駄目な言葉だけどさ、吐き捨てなくちゃやってられないんだ」

 ひらひらと振って、ぽとりと地面に投げ出した手は傷だらけだ。
そして、腕には明確な害意から生まれた――悪意の象徴。
こんなはずじゃなかった世界を表しているかのように、吹き出た血とグロテスクな刺突痕が残っている。

「だから、私とお前は違う。同じ人殺しでも、明確に格差がある。もう戻れない私と違って、お前はまだ間に合うんだろうな」

 ホシノは口を軽く開いてくつくつと笑い声を上げた。
それは、疲れ切った――遠い昔のことを思い出すような、深く深く、痛ましげな笑みだった。
この腕じゃあ取り柄だった車の運転もできないしな、なんて。
投げやりに呟いたホシノに優花里は何も言い返せなかった。
声なき声が、無音の叫びが、優花里に刺さる。

「目を見りゃわかるよ。お前はまだ進めるんだろ。ああそうだ、だったら進むべきだ。
 やらないで後悔するより、やって後悔をした方がいい。そっちの方がずっといいってことはわかる。
 でも、私は――――」

 ――何もしたくない。
そんな汚い弱音は、末尾まで言い切れなかった。
弱音すら満足に言えない自分を騙すかのように、ホシノは目を細め、へにゃりと笑う。
ああ、けれど、鏡がないからわからない。今の自分は上手く笑えているだろうか。
膝の上に肘を乗せ、だらしがない姿勢で普段通りを演じてはみるものの自信がない。
顎を手で支え、くつり、と。いつもなら出さないような小さな笑い声を吐いて、吸いたくもない空気を吸って。

「ああ、そんな心配するような顔するなって。人を殺した、だからといって自殺なんてしない。
 ……そこまでする気力もないから。生きるのも死ぬのも、もうたくさんなんだ」

 ――そうして、ゆっくりと朽ちていく。

 この両手がハンドルを握ることはもうない。
夢から醒めて現実を知った自分。恐怖に負け、両手を汚した自分。
それを受け入れられる程、ホシノは強くなかった。

「そういうことだからさ、ここから先は一人で行け。おっと、説得はやめてくれよ。
 無理に希望を重ねたってどうにもならない。ガソリンの入ってない車と同じさ。
 動かないものは動かない、そうだろ?」
「……はい」

 優花里は食い下がらなかった。
瞳の中にある諦観を見抜いたのか、それとも他の誰かを想う余裕が無いのか。
おそらくは前者だろう。観察眼はある後輩だ、それは戦車道をやっていてわかる。
できることなら、自分にも手を伸ばしたいのだろう。
とはいえ、お荷物を背負って歩くには、今の彼女はまだ弱い。
もっと、強くなければ。典子のように迷いなく動けるくらい、強く在ったら、“もしかしたら”はあったかもしれない。

「今は無理でも、いつかは連れ出しますから」

 ひとまず、諦めないと言外に言えるだけ、上出来だ。
そのいつかはもう来ないのに。人を殺してしまった時点で未来は真っ黒だというのに。

「ああ、いつかな」

 口から出たのは、地の底から蠢くような、低い掠れ声だった。
それでも、否定をする気にはなれなかった。
胸の内にある希望とやらは完全に死んではいないのか。ホシノは自然と言葉を返すことができた。

「そんじゃあ、行ってこい。こいつらの埋葬は任せておけ。それぐらいは役立たずの私でもできる。
 お前は早く誰かと合流して、やりたいことを貫いてみな」

 口から出た言葉は本心からくるものだ。
足を引っ張って後輩の重みになるようなことはしたくない。
どうやら、こんな状態になっても、そのような嫉妬は生まれないのは性分か。
いいや、乾き切った感情が何かを生み出すなんてないのだろう。

「できたらでいい。そうやって貫いた結果を、私に見せてくれよ。人を殺してしまっても、まだ貫けるものを――戦車道を。
 それが見れたら万々歳さ。お前を送り出したかいがある」
「必ず見せます。だから、死なないでください。どれだけ疲れていても、それだけは選ばないでください」
「ははっ、死なないさ。自棄になってはいるが、そこまでじゃないよ」

 そうして、二人は別れることになった。
さよならは言わない。言ってしまえば、もう会えなくなってしまうと思ったから。
ホシノと優花里は別々の道を進む。

「……さて、と。ああは言ったけど、やっぱ死にたいわな」

 別れて数分後、ホシノは浮かべていた苦笑いを潰し、芒洋と宙を見上げた。
前に進めた者と進めない者。その差は顕著であり、埋められない溝はそのまま二人の距離感として現れている。

「ここで軽々と死ねたら楽なんだろうけど、そんな都合よくはいかないか」

 疲弊した精神は楽を求めている。手元にある拳銃にそっと触れ、トリガーに指をかけた。
そのまま銃口を頭に向けて指先に力を込める。
ただそれだけで、人は死ぬ。あっけなく、無様に、人は死ねるのだ。
優花里にこそ死なないとは言ってるが、内心ではもうどうしようもなく“駄目”だった。
人を殺した重みが、常に身体へと纏わりつく。

「はーっ、ままならないなぁ」

 トリガーは引けなかった。
どっちつかずの宙ぶらりんな心の天秤は傾かず。
言葉の通り、ままならない。八方塞がりの現実だけが確かでそれ以外は全部不確かだ。
今のホシノは、可能性という可能性を奪われた――出来損ないだった。
そうやって卑下しても何の情動も湧かない自分が、生きていてもいいのだろうか。



 ――どれだけ考え抜いても、答えは出なかった。




【C-3・塀のある民家/一日目・日中】

【秋山優花里@フリー】
[状態]決意、頭部から出血(治療済)
[装備]軍服 迷彩服 TaserM-18銃(1/5回 予備電力無し)
[道具]基本支給品一式 迷彩服(穴が空いている) 不明支給品(ナイフ)
[思考・状況]
基本行動方針:西住みほの後ろではなく横に並び立てる自分で在り続ける。
1:自分自身が納得できる戦車道を見つける。その過程でみほと違う道であっても、“根性”で進んでみせる。
2:誇れる己を貫く。誰かに依存することを諦める。
3:クラーラを殺したことも、背負う。人殺しであっても、戦車道を貫く。
クラーラの背嚢(基本支給品一式(典子の遺言動画が入ったスマホ)、ドラグノフ狙撃銃(3/10)、カラテル、折り畳みシャベル、マキシムM1884の布製弾薬帯(250/250))はホシノと分割しました。
分割内容は次の書き手におまかせします。

【ホシノ@フリー】
[状態]精神的疲労極大、心に大きな諦観、右上腕部に大きな刺し傷(申し訳程度にタオルで止血)
[装備]ツナギ姿 S&W ヴォルカニック連発銃(装弾数3/8) 予備ロケットボール弾薬×8
[道具]基本支給品一式、スキナーナイフ、RQ-11 レイヴン管制用ノートパソコン、布切れとかしたプラウダの制服
[思考・状況]
基本行動方針:みんなで学園艦に帰りたかった。
1:疲れた。どうせ死ぬなら、楽に死にたい。
2:何もしたくない。けれど、典子達の埋葬くらいはしないといけない。
3:ツチヤについては――考えたくない。
[備考]
※磯辺典子が拡声器で発した言葉を聞きました




時系列順
Back:永別
Next:わたしたちの戦車道

投下順
Back:永別
Next:わたしたちの戦車道

登場順
Back Name Next
043:地獄の骸骨船 ホシノ -:-
043:地獄の骸骨船 秋山優花里 -:-

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2019年04月29日 02:32