「ぐうう~~~~~っ……」

悔しそうな唸り声が、閑静な校舎裏に響く。
聖グロリアーナの敷地に相応しくない下品に類する呻きであったが、しかし幸いなことに、誰にも聞かれてはいなかった。

淑やかさが求められる聖グロリアーナにおいて、言動が粗野な彼女――ルクリリの存在は、少々異彩を放っている。
勿論『聖グロリアーナに通う生徒は全員漏れなく淑女』などということはなく、一般家庭の出であり淑女とは程遠い生徒も決して少なくない。
それでも大半の少女達はダージリンに――もしくは、その先代など、幹部の地位に就く少女に――強い憧れを持っている。
そして、少しでも憧れの隊長に近付こうと、必死に“淑やかなお嬢様”を演じているのだ。

ルクリリも、ご多分に漏れずダージリンに憧れを抱いている。
戦車の乗り方だけでなく、言葉遣いや礼儀作法も、ダージリンの一挙一動から学んでいた。
聖グロリアーナに入らなければ一生知る機会がなかったであろう紅茶の淹れ方も覚えた。
“養殖”故に“天然モノ”には勝てない所がいくつもあったし、言葉遣いも周囲と比べてボロを出しやすい部類だったが、しかしながら“養殖”ゆえの強みだって持っている。
お嬢様でないがために下品なことへの知識はあるし、下品な連中の思考を見抜くことにかけてはお嬢様共に一歩リードしているとすら思っていた。
その強みを活かしながら苦手を伸ばし続けていけば、いつかは憧れのあの背中に追いつけるのだと、そう思っていた。

だが、現実はとても残酷であり、ルクリリに対して冷たかった。
もう少し暖かくほんわかとした現実でも良さそうなのに、それはもう大層冷たく出来ていた。
その冷たさときたら、アイスティーを通り越して、紅茶で作ったかき氷が出来上がるのではないかという程だ。
まったく勘弁してほしい。やっぱり紅茶はHOTに限るぜ!

「くっそ……ちくしょお~!」

最初の挫折は何時だったか。
小さな挫折なら幼い頃から何度もしたが、大きな挫折は、紅茶の名前を手にしたあの日が初めてだったかもしれない。

コツコツと実績を上げ、ついに幹部候補として紅茶の名前を賜ったあの日、憧れのダージリンの横にはオレンジペコが控えていた。
自分が一年以上かかった紅茶の名前を初夏には賜り、自分より先にダージリンの横に立ち、常に一番近い所でダージリンの指導を受けている、一学年下の後輩。
その佇まいは何よりも美しく、他の誰よりダージリンの横が似合っているように思えた。
心のどこかで「ああ、そうだよな」と納得してしまったあの日が、きっと初めて大きな挫折というのを味わった日だ。

有望そうな一年生だと上から目線で評してから、見上げなければいけない立場になってしまうまで、さほど時間はかからなかった。
早々に達観する周囲を内心少し侮蔑していたし、自分は違うと思っていたのに。
努力の末に得た称号は、オレンジペコとの越えられない差を思い知らせてくれる要素の一つにしかならなかった。

それでも投げ出さなかったのは、聖グロリアーナ戦車道への憧れ故か。
はたまた、あの日焦がれて瞳に焼き付いた上級生達の背中が、逃げることを許してくれなかったからか。
もしかすると、ダージリン達に対する個人的な敬意や好意からかもしれないし、ひょっとしたら、単なる意地や世間体なのかもしれない。

「ルクリリ様」

守るような世間体なんてほとんど持ち合わせていなかったが、しかし――それでも、ルクリリにだって最低限守りたいものくらいはある。
ちっぽけな自信もそうであるし、紅茶の名を賜ったことへの誇りもある。
下品な言葉の平民出だの散々な評価を陰で囁く者の存在を知っているが、しかし同時に、そんな自分に憧がれてくれる者の存在も知っている。
せめて、格好くらいつけねばなるまい。

「……何だ、ニルギリか」

抜けきれない“育ちの悪さ”に謎の魅力を感じてくれているのだろうか。
少なからず存在する『ルクリリを慕う下級生』の大半は、不釣り合いな紅茶の園で戦う姿を遠巻きに見ているだけだった。
たまに耳にする褒め言葉も、庶民やらの枕詞がつくことが多い。
ルクリリそのものに惹かれているというわけでなく、その経歴やカタログスペックに惹かれているだけなのだろう。
しかしニルギリは、それらの少女とは一線を画していた。

「何だ、なんて言い方をされては、さすがの私も少々傷ついてしまいます」

そう言うニルギリの表情は、どこか楽しげに見える。
それでも、遠巻きにきゃあきゃあと騒ぐファンの少女達とは違い、どこか凛とした雰囲気を纏っていた。
オレンジペコからは大きく遅れたとはいえ、さすがは一年坊にして紅茶の名前を賜る未来の幹部候補と言った所か。

お上品極まりないお嬢様にとって細やかな楽しみが幹部の追っかけなのか、試合を応援し、その時だけは目一杯はしゃぐ生徒は多い。
ちやほやされるのは悪い気はしないし、紅茶の名を賜る前から応援してくれた生徒には感謝もしている。
本当にルクリリを慕っている生徒は勿論、単にルクリリの経歴を見て映画でも眺める気分で応援しているような生徒も、変わらず感謝の対象であった。
そんな存在に苛立ったこともなくはないが、今では素直に感謝出来ている。

そんな追っかけ連中に、ニルギリも含まれていたのだが――しかしながら、彼女は異質な存在であった。

紅茶の名を関する少女を追っかける者の大半は、一般生徒か或いは戦車道を半ば諦めている二軍以下の連中だった。
自分には出来ないことをする姿に憧れているのか、自分自身では見ることすら叶わぬ夢を託しているのかは分からない。
だがとにかく、追っかけから幹部になれる者なんて、早々存在していない。
居るとすれば、それこそオレンジペコのように、憧れの背中を冷静に着実に追いかけられる者くらいだ。
ただ騒いでいるだけの少女にソレは出来ない。
ニルギリも、オレンジペコと同じタイプなのだろう。
その憧れの対象が、よりにもよってルクリリであるせいで、かなり異質な存在となってしまってはいるが。

「あー悪い悪い。でもほら、他の娘だったら、言葉遣いとか態度とか気をつけなきゃいけないしさ」

言葉遣いが未だに完璧ではないような平民丸出しの身ながら、紅茶の名前を冠した。
再三言っているように、ファンの大半はそこに惚れ込んでくれたのだろう。
少なくともルクリリはそう思っている。

しかしながら、大股を開いて空を仰ぐ姿を見せられるかと言うのは別問題だ。
物には限度というものがあるし、コレがファンの許容範囲を越えているであろうことくらい自覚している。
それに、「じゃあやるなよ」と言われると「この姿勢が楽だし、醜態晒した直後に姿勢まで気を使えるかよ」と思ってしまうルクリリだって、出来ることなら優雅にやりたいとは思ってるのだ。
今でもダージリンの姿には憧れるし、聖グロリアーナらしからぬ態度も改めたいとも考えている。
こういう姿は、隠すべきものであり、決して自ら見せていくものではないのだ。

「今ちょっと気分的に取り繕うのしんどくって」

それでもニルギリの前でだけならいいかと思えるようになったのは、ニルギリの前で醜態を晒し慣れたからか。
同じ小隊で無様な姿を見られたことだってあるし、偉そうに先輩風を吹かせていた相手が瞬く間に追いついてきた焦りでおかしな態度を取ってしまったこともある。
言葉遣いだって、先輩相手なら敬語を使わざるを得ないのでどうとでもなるが、後輩相手だとどうしても砕けてしまう。
にも関わらず同じ紅茶の名前を関する者であるせいでやりとりする機会が多く、淑やかさに関してもニルギリの前ではボロを出しまくっていた。
それどころかフォローされてしまうことが度々あり、自分のプライドを保つためにも、何時しか「ニルギリなら、まあいいか」になっていたのだ。

「何かあったのですか?」

あー、などと、意味をなさない言葉が口から発せられた。
大体のことは、「ニルギリなら、まあいいか」となっているが、さすがにこれを言うのはどうかという気持ちもある。
プライドの問題もあるし、ニルギリにまで失望されたくないという気持ちもあった。

「さっきの演習で、ちょっとさ」

だが、しかし――言うことにした。
誰にも言いたくないという気持ちに嘘はないはずなのだが、しかし本当は誰かに聞いてもらいたかったのだろう、きっと。

「先程の演習というと、ルクリリ様が隊長を務め、他の者では成そうともしないであろう勇猛果敢で斬新な指揮を取った試合でしょうか」
「秒でそれだけのオブラートを生み出すスキル、素直に凄いと思うわ」

オブラートに包むプロかよ。
オブラートに包む早さと正確性を競う世界大会があったら表彰台に登れるよ、多分。
下手をすると、その天辺に立っているかもしれない。

「いや、これでもさ、まだ隊長の座、狙ってたんだよね。なんだかんだでオレンジペコは一年生だし」

もっとも、年功序列で隊長になれるほど甘いわけがないと思ってはいるし、
万が一なれたらなれたでダージリンとオレンジペコの谷間の世代扱いされるのは目に見えている。
それでも、隊長になれるものならなりたいと思っていた。
例え最初は陰口を叩かれようと、実力を持って覆す、そんな歴代隊長に勝るとも劣らない格好いい隊長に。

「でもまあ……全力で隊長やって、采配ミスで敗北して、痛感したわ」

薄々自覚していたが、自分はどうやら調子に乗りやすいらしい。
少しは頭が回る方だと自覚していたが、アッサムほどではないうえに、アッサムと違い多少頭が回ることが裏目に出やすい。
かといって、調子に乗って勢いでいく方向にシフトしようにも、完全上位互換のローズヒップがいる。
当然、下級生ながら紅茶の名前を関しているだけあって、ルクリリよりも早い出世をしているし、何なら将来を約束されているかのように可愛がられていた。

「私には、隊長をやるだけの器だとか才能だとか、そういうものが無いんだなあ――って」
「そんなことは……」

ニルギリの言葉を、掌で制す。
ニルギリは、珍しくルクリリの“戦車長としての技量”に惚れ込んでくれていた。
聖グロリアーナらしからぬ言動でも、感情移入しやすい努力と成り上がりのストーリーでもなく、戦車乗りとしての技量に。
だから、本当だったらこんな弱音、見せたくはなかったのだけれど。

「いいんだ。これは、何ていうか、資質の問題に近いし、どうにかなるもんじゃないってことくらい、分かってる」

まあ、そもそも、ファンが多少ついてはいるが、それでも他の幹部と比べたら微々たるものだ。
聖グロリアーナらしくないという点で同系統であるローズヒップの方が、下手したらファンが多のではないだろうか。
別にファンを作るスキルが隊長に求められるとは思っていないが、しかし――人を惹き付ける能力というのは、間違いなく求められる。

「皆の動きが悪かったとかじゃないんだ。命令はちゃんと聞いてくれるし、技量はさすがの聖グロリアーナだよ。
 でもさ、きっとそれじゃあダメなんだ。私の首をすげ替えても、皆同じように命令に従って動いてくれて、そんで同じように負ける」

戦略の方向性は大きく変わるかもしれないが、その程度だ。
従う命令が変わるだけで、兵隊達の質は変わらない。
そうなると必要とされるのは、同じ質の兵隊達でも効率的に運用し勝利に導けるだけの頭脳か、もしくは兵士の能力を引き出すモチベーターとしてのスキルということになる。

「私じゃあ、皆のポテンシャルを引き出せない。そのうえ、作戦考える頭の方も突出してない。
 これならスーパーコンピューターでも隊長に据えて作戦考えさせた方が、多分よっぽどいい結果になる」

先の模擬戦。
隊長を務め、モチベーターになろうとしながら勝利に向けた戦略を練るも、いずれもハマらずこうして敗残の将となった。
ダージリンもオレンジペコもローズヒップもいないこの場で、いいところを見せたかったのに。
(ちなみにアッサムもいないが、彼女はジャンルが違いすぎてそこまで意識をしたことがない。あそこまで頭脳極振りに出来るだなんて思っちゃいなかった)

指揮能力も凡人並、考える策は一流どころか一流半にも通じない。
ちょっとお喋りで口やかましくて美人なだけの案山子だ、これじゃあ。あと胸もでかい。実は結構たわわなんだ、これが。

「さすがにスーパーコンピューターが相手なら、ダージリン様だって勝てないのでは」
「普通に考えたらそうなんだけど、でも勝てるかもって思わせるのが、あの人の凄いところだし、きっと隊長に必要な資質なんだよ」

例えスーパーコンピューターが理詰めで最高の作戦を打ち出したとしても、ダージリンの指揮には及ばないだろう。
ダージリンが指揮を取れば、皆が実力以上の結果を叩き出す。
それは機械には出来ないことだし、ルクリリにも出来ないことだ。
信頼を築き、カリスマを纏い、そして高度な作戦を練られる頭脳があって、初めて可能なことである。

「そりゃ素質のある人間を一年生から育てるわけだよ。こんなもん、一朝一夕で身につくスキルじゃないし、即興の信頼じゃどうにもならないわ」

どこの学校も隊長格の育成に苦労し、力を入れている理由がよく分かる。
才能のある者を見出し、隊長としてのノウハウを叩き込む。
決して簡単なことではないだろう。
それに、周りから認められ信頼されるということも、言葉にするほど簡単ではない。
西住みほみたいに急造チームでチームワークを発揮させまくれる隊長の方が珍しいし異常なのだ。

「ああ、でも、言っておくけど、別に戦車道で心が折れたとかじゃないから。あくまで隊長は無理だなと思ったってだけの話」

戦車に乗る者として、少なからず隊長という存在への憧れはあった。
憧れ続けたダージリンが隊長を務めているというのもあるだろう。
とにかく、なってみたかったが――しかし、それが全てでは決してない。
隊長になりたいという気持ちだけで戦車に乗っていたわけじゃないし、隊長になるための練習をしてきたわけでも当然ない。
だから隊長に向かないままだったのだろう、なんてことも思ってしまうが、それはとにかく。

「車長としてはこれからも頑張るつもりだし、学校の誰にも負けないつもり。負けたくないし」

例えそれは、憧れのダージリンであってもだ。
戦車長というポジションには、自信も誇りもあるから。

「ま、最強の手足の最強の頭脳ってあたりを目指すということで」
「頭をやめて手足の頭を目指す、ということなんでしょうけど、言葉にすると何だか混乱しますね……」

言葉にすると確かによく分からないな、とルクリリは唸り声をあげた。
ダージリンならば、こういう時でも分かりやすい例え話や格言を持ち出すのだろう。
しかしながらルクリリの脳味噌では、呻けど悩めど分かりやす例文なんて出てこなかった。

「うう~ん……まあ、あれだ、同じ考えて指示出すポジションでも、車長と隊長は全然違うっつーのかな」

概ね車長が隊長に就く傾向にあるが、しかしながら必ずしもそうではない。
それこそオレンジペコなんかは、装填手としてダージリンの隊長業務を傍で見続け、装填手として隊長に就くのだろう。

「確かに、車長と隊長では、考える策の規模などが違いますね」
「ほらアレだ、戦略レベルと戦術レベルと作戦レベルだっけ、そういうやつ」

どれがミクロでどれがマクロだったかまでは覚えていなかったが、どこかで聞き齧った知識を披露してみせる。
この女、平気で聞き齧った情報を信じて人に話してしまうあたり、インターネット掲示板でも騙されやすそうである。

「あとは、まあ――責任のでかさ、かなあ。大きな違いとしては」
「責任、ですか」
「ああ。負けた時の責任は全部隊長のせいになる、ってだけでなくな」

戦車道の全国大会。
その場において学校が優秀な成績を収めると、比例するように隊長の評価が上昇していく。
よほど目立つ活躍をしない限り、兵隊個人が褒められることなど早々ない。
世間的にもまず学校を褒め称え、次に隊長、それから活躍した車輌単位で褒められるものだ。

そしてそれは、勝った時に限った話ではない。
敗退し、無様を晒そうものならば、世間の侮蔑の視線は学校へと向かい、その学校やOGからは隊長へと非難がいく。
噂では、今年も決勝戦まで残れなかったことで、数名のOGが苦言を呈したとのことだ。
もっとも、ダージリンが得意の格言と話術でサラリとかわしていたようだが(勿論それも、ルクリリには出来ないことの一つだ)

「何って言うのかな。隊長ってさ、言葉一つ一つ、指示一つ一つに、ものすごく沢山のモノが乗ってるんだよな。重みが違うっていうの?
 車長はさ、自分がコレだって思う指示を気楽に出来るっていうか、後ろの隊長がいるから、思う存分指示が出来るんだよ」

自信満々に出した作戦が外れても、頓珍漢な読みをしても、車長ならば「しまった!」で済んでしまう。
申し訳ないとは思うし、ごめんなさいとは思うのだが、しかしそれだけだ。
退場したら何も出来ないし、精々自分のミスが原因でチームが敗退した時に批判を受けるくらいしか、終わったあとに出来ることがない。

だが、隊長となれば話は違ってくる。
一つのミスが、チーム全体に影響を及ぼす。
例え采配が完璧でも、車長の油断や相手のファインプレーで平気で綻びが生じる。
それらを冷静に受け止め、即座に次の対策を立て、被害を最小限に留め、チームを諦めず勝利に導く。
その肩には全ての隊員を背負っていると言っても過言ではない。

隊長は、全ての命を預かっているのだ。
当然信頼されていなくては成り立たない。

信じてついていけば、その先には勝利がある――その圧倒的な信頼があるからこそ、隊長のために身を投げ出し囮や犠牲になることが出来るのだ。
その実力や人柄を認められているからこそ、他の面々を手足のように使えるのだ。

「私には、隊長様になる器はなかったってことだよ。悔しいけどね」

そう言いながらも、ルクリリの顔には悔しさの色が見て取れない。
普段は顔にすぐ出るのに。
本当に欠片も悔しくないなんてこと、あるはずないのに。

「現実があまりに厳しすぎて、逆に清々しいんだけどな」
「それはきっと、現実が厳しすぎるからでなく、そんな厳しい現実にも全力で挑んだからですよ」

大真面目に、なんだか擽ったくなるようなことを言う。
ひょっとすると、ニルギリには太鼓持ちの才能もあるのかもしれなかった。

「……そうなると、やはり来年の隊長は、オレンジペコになるのでしょうか」
「んー、そうだと思う。見た感じ、ダージリン様が手塩にかけて育ててるし、他に対抗馬もいないし」

隊長には、カリスマ性やモチベーターとしての技能、作戦指揮能力など、様々なものが求められる。
車長を欠いた戦車の生存率は車長が健在の戦車を大幅に下回るというデーターがあるように、指揮者というのは生存率や勝率に大きく左右する。
それは隊単位でも変わりなく、優秀な隊長がいるか否かというのは勝敗に直結していた。

それ故に、ある程度次の隊長というものは予想がつきやすい。
隊長というのは、奇を衒って任命するような役職じゃないのだ。
才能がある人間が手塩にかけられようやくなれる、非常に難しいものなのである。

「まあ、一年だから不安な所もあるけど、現状では一番いい選択肢だし、あの西住姉妹だって二年生で隊長を経験してるわけだしさ。何とかなるでしょ」
「あまり参考にならないくらい良血で才能の塊ですけど、そうですね、彼女を信じることにします」

三年生の隊長と比べ、先代の背を見て学ぶ期間が一年短い分だけ、二年生隊長は不利と言える。
幼い頃から西住流の総本山で様々なものを見て学んでいた西住姉妹は特例だ。
どうかしてる、と言い換えてもいい。

「そう考えると、来年も隊長が健在で、後継者を二年かけて付きっきりで育てられてる大洗は、これから伸びてくるかもねぇ」
「そうですね。西住さんのことを慕っている様子が見て取れましたし、付きっきりで教えられたら伸びるでしょうしね」

来年の、ルクリリにとっては高校最後の年を思う。
概ねどの強豪校も、この時期はまだ『来年は今年より弱体化するな』という印象だ。
実際に隊長業務を始めたあとで、現隊長候補がどこまで伸びるかにかかっている。
勿論それは、聖グロリアーナとて例外ではない。
例外があるとすれば、それは隊長が変わらない大洗女子学園であり、二年生隊長がハマれば強い理由の一つであった。

「……大洗、隊長候補の一年生が伸び悩んでも、隊長業務を出来そうなヤツが他にいるのもズルいんだよなあ」

大体どこの強豪校も、絶対的な隊長がいて、他の面々は隊長を全面的に信じて命令に従うという形を取っている。
だが大洗は、絶対的な力とカリスマを有した隊長にも関わらず、西住みほの権力はさほど大きなものではない。
みほが一声命令すれば皆それに従うとはいえ、兵隊が自らの意思で動いたり意見具申してきたりと、凡そ縦社会とは言えない組織をしている。
更にはみほの立案する作戦が柔軟な対処や動きを求めるものが多いため、車長に求められるレベルが非常に高く、それぞれがかなり高いレベルの思考をさせられていた。
少なくとも、命令に従うためにどう戦車を動かすか、というシンプルな行動方針で済むなんてことはほとんどない。
生半可な鍛え方の車長では、求められる水準の動きが出来ずに、作戦を破綻させてしまう恐れすらあった。

「新設校なのに、よくあれだけの逸材が集まりましたよね」
「……新設校だから、っぽいんだよねえ、それが」

そんな高いハードルを飛び越えるようなレベルの車長が、大洗にはゴロゴロしている。
しかし別に、みほのカリスマ性に当てられて集ってきた戦車エリートの集まりというわけではない。
むしろその逆、大洗は素人だらけの集団だった。

「例えば、二度も騙してくれた骨董品の八九式に乗ってた連中とか、どうやら本来バレー部らしくてさ。戦車の知識とか、惨憺たるものなんだって」

合同練習試合の後、八九式の搭乗員と、話をする機会があった。
勿論ルクリリは二度も騙されたことに腹を立て自ら話しかけにいったりはしなかったのだが、八九式の連中の方がにこやかに歩み寄ってきたのだ。

「その代わり――バレー部で、キャプテンをやってた実績を持ってたんだよ」

所詮は素人、まともな作戦なんて思いつけるはずがない。
しかしそこを根性でカバーし、むしろ戦車道に明るい者では考えつかないような突飛な作戦を思い付くに至っていた。

それだけでも十分驚異的だというのに、八九式の車長――磯辺典子は、バレー部でキャプテンを務めたという。
戦車道ではないため知識は無いが、先述の通り無くても大した問題にはならなかった。
一方で、“キャプテンである”ということは、とても大きなプラス要素となってくる。

「どんな競技でもそうだけど、やっぱり全員をまとめて代表としてあれこれしたことがあるっていうのは、かなり強いと思う。
 芯の部分なんかは、どの競技でも共通だしねえ」

そもそも戦車道は、立派な乙女を形成する華道・茶道に並ぶ武芸の一種。
その場しのぎの競技時限定精神ではなく、心に根付いた精神性を求められている。
他のスポーツだってそうだ。
一流のアスリートでなくとも、真剣にスポーツに打ち込んだ者は、何かしら芯の通ったものを持っている。
そしてその芯が通った精神性は、そのスポーツの外でだって役に立つのだ。
面接とかでわざわざアピールに使われるのは伊達ではない。

当然、そういった“芯”は、戦車道においてもプラスに働く。
磯辺典子の場合、それに『根性』という名前を付けていた。
プラウダ高校戦といい、黒森峰戦といい、その『根性』はアヒルさんチームを――ひいては大洗女子学園を、何度も窮地から救っている。

「しかも、バレー部のチームメイトもそっくりそのままついてきてるから、連携も取れているうえに信頼もされている」

隊長も車長も、まずメンバーの信奉を集めるところからスタートする。
ルクリリの場合、これに大層苦戦したものだ。
その点、大洗の面々は、最初から満場一致で車長を選んでいる点が強い。
全員素人なのも、下手な軋轢の回避に一役買っている。

「不思議ですよね、バレーって、身長が高い方が有利というイメージなのに」
「実際そのはずなんだよなあ。それなのに、あの背丈で満場一致でキャプテンとして認められている」

そんな大洗の面々においても、典子は少々異質だ。
仲良しグループから何となくで選ばれた澤梓やねこにゃーとは違う。
経験者だから車長になった西住みほや、軍事に詳しいから車長になったエルヴィン、しっかりしているからと選ばれた園みどり子とも違う。
同じ“グループの長”だから車長になった存在だが、それでも角谷杏とも少しだけ違う。

杏は、昔馴染みの二人が、最初から友好的に杏を見ており会長として認めてくれていた。
だが典子はそうではない。
見ず知らずの一年生三人を相手に、短時間で“キャプテン”であると認めさせて、車長になるに至っている。
ゴリゴリの体育会系世界において、圧倒的に不利な体躯であるというのに、半年足らずであれだけの信頼を勝ち得ている。
カリスマ性という点だけを見れば、バレーボールにおける典子のソレは、西住姉妹に匹敵しているのかもしれない。

「隊長レベルのカリスマを持つ人間が複数いる……確かに、強力ですよね」
「実際大学選抜相手に大洗連合で勝てたの、そこが大きいだろうしなあ」

大規模な戦いともなると、大隊長のみならず、中隊長も必要になる。
中隊と言えど十輌規模。高校の大会では序盤の一チーム分だ。
当然相応の指揮能力が求められるし、案山子には務まらない。
大学選抜チームは、隊長クラスの三隊長が中隊を纏めている点が、非常に優秀だったと言える。

そして、その“隊長クラスのコマ”という点が、あの試合で大洗女子連合軍が大学選抜チームを上回ってた唯一の点と言えよう。
各校で隊長をきっちり務めるレベルの人間がゴロゴロ居る。
それだけで自由に中隊が組めるし、小隊を組んでも上手に運用することが出来る。
誰かが落とされたとしても、浮足立つことがなく、すぐさま別の指揮官が立て直してくれる。
カール自走臼砲の護衛小隊にまともな隊長が居なかったため崩壊した大学選抜チームと、どんぐり小隊レベルの規模でも隊長格が指揮を取れた大洗女子連合の差が、その優位性を如実に表していると言えよう。
一線級の隊長なんてそう簡単には現れないが、しかしそんな隊長格が複数揃えば、それだけで戦力は大幅に増強されるのだ。

「まあ、来年は多分、大洗が一番“ヤバい”敵になるだろうし、オレンジペコのヤツは大変だと思うよ」

それどころでなく進行形で大変なことになっているのだが、ルクリリには知る由もない。

「カリスマの強い隊長がいるチームは強いけど、その分そのカリスマが抜けた反動はデカいし」

ニルギリは知らないことだが、かつて先代のアールグレイが抜けた後の聖グロリアーナは大変だった。
ただでさえ世代交代は難しいのに、ましてや後継者はダージリン。
カリスマはあるが、変わり者のダージリンだ。
それも、決勝戦まで勝ち上がる事も出来ず、黒森峰の連覇を止める夢もプラウダに奪われた直後だというのに。
それはもう、思い出したくもない程のゴタゴタが待ち構えていたものだ。

「絶対的に頼れる存在が居なくなった直後、ということになりますもんね」
「それなー。大変なんだよあれ。頑張れとは思っていても、どうしても比較しちゃうしなあ」

仮に、聖グロの生徒全員が、次期隊長はオレンジペコだと思っているとしよう。
だとしても、今すぐ隊長がダージリンからオレンジペコに変わった時に、納得できる人間がどれだけ居るというのか。
あくまでも『現隊長の引退という不可避の出来事の後、残った世代で最も隊長に相応しい人間』と思ってもらえているだけだ。
現時点のスペックで単純比較してしまえば、オレンジペコではダージリンには及べない。

隊長と次期隊長には、それほどまでに開きがある。
故に、その差を埋めるまでが、最も大変なのだ。

「私らの世代で最も隊長に相応しいって満場一致だったとしても大変なのに、そうじゃなかったら更にだしね」
「信用していいのかどうか半信半疑では、実力も出しきれませんからね……」

世代交代は難しい。
カリスマ性を持つ指導者が絶対的であればあるほど、だ。
後継者にもそのレベルが求められ、常に比較されることになる。
総合力で匹敵し、なおかつ自身の色を打ち出せないようでは、パッとしないまま自身もチームも高校生活最後の年を終えてしまうだろう。

「……本当なら、今年はソレでガタガタの黒森峰を叩いて聖グロ復権聖グロ最強ってなるはずだったんだけどなあ」

そして、当たり前の話ではあるが、突然であればあるほどに、世代交代は大変である。
交代させられる方は勿論、その周りだって、心の準備が出来ていなかったのだから。

「副隊長が抜けた後とは思えないほど、いい動きをしていましたよね」
「まあ、西住妹、あんまり西住流っぽくなかったし、そもそもあんまり信奉されてなかったってことなのかねえ。
 今の副隊長も、ずっと西住妹を意識していて、実力伯仲だったみたいだし」

隊長レベルが複数居ることが脅威に繋がるように、副隊長クラスが複数居ることも脅威だったというわけだ。
一人欠けても他の者がすかさず取って代われる環境、というのは強い。
試合中でも、試合外でもだ。

「むしろ、黒森峰だけなら、去年の方が弱かったのかもしれませんね」
「確かに。船頭多くして船ピクニックって感じだったもんなあ去年」

敗退した後の試合を全てチェックするくらい、ルクリリだってやっている。
去年と今年、西住みほが仲間の救助に行ったシーンも全てモニター越しに見ていた。

去年は、仲間と意思疎通が取れず、単身救助に向かい、結果としてチームを敗北に追いやっていた。
今年は、仲間と『水没した仲間を助ける』という方向で一致団結し、チームを勝利に導いた。

同じ方向を皆が向けるかどうかで、結果は大きく変わる。
西住みほは仲間を助けに行く行動を譲らなかったし、西住まほはその方針では動こうとしなかった。
結果として生じた隙を突かれたため、黒森峰は負けたのだ。
もしどちらかに意思を統一できていれば、きっと生じていなかっただろう隙を突かれて。

「黒森峰、勝利至上主義ですもんね」
「そういう意味じゃあ、基本方針を違えていて、でも強い権力を持つポジションで、そのくせカリスマ性のある有能な妹が転校したのは、双方にとってプラスだったのかもしれないなあ」

部下をコントロールできなかった隊長のカリスマ不足というより、高い地位の人間がまるで違う行動方針を持っていたことが問題のように思えた。
少なくとも、ルクリリにとってはそうだ。

例えばダージリンの信用度が下がったとして、ヴァニラがダージリンの命令を無視したところで、それほどまでに甚大な被害は出ない。
勿論全く影響がないなんてことじゃないが、しかしただの雑兵の単独反乱程度では、盤石のチームは揺るがない。

だがしかし、これがローズヒップとなれば話は変わってくる。
クルセイダー巡航戦車隊を纏める立場の人間が、例えばダージリンと方針を違えてしまったら。
ローズヒップについていこうとする者もいるかもしれないし、困惑しながらも留まる者もいるかもしれない。
いずれにせよ、ローズヒップが離反した時点で、クルセイダー巡航戦車隊は半壊だ。
それに、そこまでの能力とカリスマを有する者は、大体作戦の要を担っている。
作戦まで破綻して、あとはもう敗北まで一直線だ。

それを示す最たる例が、BC自由学園ではないだろうか。
見事に方針を違えたカリスマが複数いるせいで、見事に常時内輪揉め。
個人個人の実力はあるのに、かつての強豪具合と比べると見るも無残な戦績となっている。

「大学選抜戦の時みたいに、船頭をやれるほどの腕を持つ人間が、誰か一人に船頭を任せてその方針に従えるのなら、上手くいきますもんね」
「まあ、上手くいかれて負けた私達にとっては、マイナス以外の何者でもないんだけどさ……」

確かに黒森峰は、去年が最も暗黒であったように思える。
結果として西住姉妹が行動方針を違え、勝手に自滅していった。
それを思えば、西住まほに全てを委ねた逸見エリカが副隊長を務める今年は、去年よりマシと言って間違いないだろう。

だがしかし、今年だって、決していいわけではなかった。
西住まほが一年生の時は、黒森峰の黄金時代が始まるとすら言われていたのに、蓋をあければに年連続準優勝。
決して『強い黒森峰の完全復活なんて呼べなかった。

確かに逸見エリカは、意識し続けた西住みほに何とか取って代わることが出来たと言えよう。
実力が劣る分、忠誠心と足並みを揃えることで、多少のカバーが出来ていた。
だが、しかし――“エリカの代わり”は終ぞ現れなかった。
確かに下手な奴が台頭し足並みが乱れるのは最悪だが、しかしエリカの穴を誰かが埋めていたら、黒森峰は優勝出来ていたかもしれない。
まほを支える忠実なる二本柱の構図さえ維持出来ていれば。

「まあ、んなこと言っててもどうしようもないわけだし、そろそろ練習戻るかなあ」
「そうですね。隊長は諦めたとしても、隊長を支える、中隊長レベルの存在にはなられるのでしょう?」

練習に戻ろうと腰を上げたルクリリが語っていた程、黒森峰の世代交代は成功してない。
事前に分かっている引退の後ですら難しい“代替わり”が、突然行われて、上手くいくはずがない。

「まあ、一応は、そのつもり。せめて来年の“次期隊長候補”と並べるくらいにはなりたいしさ」

そしてそれは、戦車道の場に限った話ではない。
職場においてもそう。
部活においてもそう。
殺し合いの場においても、勿論そうなのである。

「なれますよ。そもそも私の中では、もうなっていますし」

穏やかな笑みを浮かべるルクリリも、ちょっと返事に困りながら照れ笑いを浮かべるルクリリも、世代交代はまだ先だと思っている。
だがしかし、今現在の大洗は、突然の世代交代を強いられる環境にある。
ダージリンが生きて帰るとは限らない。オレンジペコが生きて帰るとも限らない。

船頭が突然命を落とす過酷な海で、果たして誰が生きて学園艦に戻って来られるのか、まだ誰にも分からない。






 ☆  ★  ☆  ★  ☆






ここに三人の少女がいる。
秋山優花里。ホシノ。クラーラ。
彼女達は皆、首に鈍色の首輪をつけて、殺し合いという檻の中に閉じ込められていた。

三人の間に、会話はない。
クラーラは四肢を投げ出して地面に倒れ、優花里は黙ってその姿を見下ろしており、ホシノはやや離れた位置に座り込んでいた。
そんなホシノの傍らには、もう一つの陰がある。

彼女の名は、磯辺典子。
人数にカウントされていないのは、とうに“人”ではなくなったからだ。
未だ新鮮な体液をトロトロと溢れさせている典子の身体は、噎せ返るような血の臭いを発している。
腐敗こそしていないが、まともに傍に居られるような状態では決してなかった。

それでもホシノは、典子の傍を離れることが出来ないでいる。
その凄惨な典子の姿に胸を痛めることこそすれど、その姿を見て吐き気を催すことはない。

典子は、仲間のことを最後まで守り抜いたのだ。
感謝こそすれど、嫌悪していいはずがなかった。

「…………」

一方で優花里は、典子の姿を直視することが出来なかった。
結果的に背嚢に入ることを認めたホシノと違い、優花里にとって典子の登場は青天の霹靂だ。
故に、優花里はホシノより“典子が命を落とす”事への覚悟が出来ていなかった。
全滅の想定を冷静にすることは出来ても、このような形で終わりを迎えるなんてこと、想像もしていなかった。

何故、そんな予想外の結末になってしまったのか。
優花里は自問自答せずにはいられなかった。

分かっている。それは、自分が弱かったからだ。

もし、クラーラが攻め込んでくる方向を見誤っていなければ。
もし、塀を乗り越えてきたクラーラを素早く迎撃できていれば。
もし、典子が飛び出す必要がないまま決着できていれば。
もし、ホシノが転倒することもなく、引いては典子がその身に衝撃を受けることがないまま終わっていれば。

意味のない仮定であることくらいは分かっている。
しかし、分かっていても、止めようがない。
救えなかったという事実は、優花里の心をどこまでも蝕んでいた。

「……どう、しようか」

長い沈黙を破ったのは、ホシノであった。
言葉は優花里に投げかけられてるが、しかし視線は別の所へ向いている。
優花里の視線の先にある、だらしなく四肢を擲ったクラーラ。
そこへ視線を移動させ、喉の奥から声を絞り出す。

「このまま、ってわけには……いかないよね……」

“何を”という部分については、敢えて明言しなかった。
そんなことをしなくても、優花里には伝わるだろう。
それに――それを言葉にするのは、未だに少し憚られた。

「……そう、ですね……」

憚られたが、しかし――話題にしないわけにもいかない。
今でこそ無防備な醜態を晒しているクラーラだが、的確な射撃能力と冷静な思考で残酷極まりない作戦を実行し、
最終的に典子を死に至らしめた危険極まりない存在である。
取り落とした武器こそ回収してあるが、しかしそれだけで『全て終わった』とは言えまい。
むしろここからだ、大変なのは。

「クラーラ殿をどうするのか、決めなくてはなりません……」

優花里とホシノは、戦いに勝利した。
勝利を呼んだのは今は亡き典子であるし、勝利と呼ぶには失ったものが多すぎるが、しかしそれでも生殺与奪権を手に入れた。

生殺与奪権を、手に入れてしまったのだ。

あの決着を勝利と呼ぶにしろ敗北と呼ぶにしろ、とにかく二人は、クラーラの命を握れてしまっている。
典子を殺め、放っておけば数多の死者を出したであろう、とても危険な人物の命を。

「…………」

しばし、沈黙。
言葉が喉を通らない。思考が上手く纏まらない。
ホシノも優花里も、その表情は疲れ切っていた。

「何もしない、なんてわけには……」

一言一言を、何とか喉奥から絞り出す。
時間にすればほんの数分のことなのに、もう何年も口を開いていないかのようだ。
喋り方を忘れてしまったかのように動かぬ喉を何とか震わせて、口から出ようとしない言葉を無理矢理に送り出す。

「……いかないでしょうね」

戦闘に勝ってハッピーエンド、なんて単純な風には、この世の中は出来ていない。
これでクラーラが目を覚ましても、改心しているなんてことは無いだろう。
仮に突如憑き物が落ちたように大人しくなったとしても、優花里とホシノはそれを受け入れられはしない。
間違いなく警戒をするし、よほどのことがない限り信用できなだろう。
二人にとって、目の前で横たわるのは、どこまでいっても『“友釣り”を敢行し、超人的な身体能力で三人相手に大立ち回りし、典子の犠牲でようやく止められた程の超危険人物』でしかないのだ。

そんな危険人物に対して、唯一先手を打てるのが今この瞬間である。
拘束して動きを封じるも良し。
身ぐるみを剥ぐも良し。
毒入りのペットボトルや暴発するよう詰まらせた銃など、トラップを仕掛けるも良し。
脱がしてイタズラするも良し。
額に肉と落書きするも良し、髪の毛をバリカンで剃るも良し。
煮て良し、焼いて良し、食って良し、そして――――

今この隙に、殺すも良し。

何でも出来る。どんな選択肢だって選べる。
しかしそれが、優花里とホシノを苦しめる。

今、二人は選べてしまう。
必死に戦い、“倒す”以外の選択肢がなかった時とは違う。
今はもう、何でも選べてしまうのだ。
一番酷い選択肢も、一番生生温い選択肢も。
全て選べてしまうのだ。選ばなくてはいけないのだ。

「…………」

再び、沈黙。
時間をかければかけるほど、クラーラの覚醒が近付いていく。
当然、こんな所で呑気に二人して黙りこくっている場合ではないし、二人ともそれは重々承知だ。

だが、それでも、二人共、言葉を発せずにした。
自分の意思で、選択肢を選べずにいた。

「…………」

いっそ戦闘中ならば、余裕もなく恐怖に突き動かされるままにクラーラを殺せたかもしれない。
しかし今は、我に返ってしまっている。
極々冷静な思考で、『クラーラを殺そう』と決意し、しかもそれを口に出して、初めて命を奪うに到れる。

いくら今が異常な状況下とはいえ、それを何の抵抗もなくやれてしまう程、この環境に染まれていない。
自分達の生存のため、危険人物であるクラーラの命を奪うという選択肢を取れる程、冷血になりきれていない。
かといって、なんとかなると楽観視してこのまま放って置けるほど、幸せな脳味噌もしてなかった。

(西住殿……私は……どうすれば……)

優花里にとっての最大の不幸は、西住みほが善良すぎることにある。
優花里自身は客観的に事態を受け止めることが出来るし、頭でっかちの知識でとは言え“戦車道”でなく“戦争”における戦略にだって明るい。
残酷だがやむを得ない“戦闘中の最適解”を他者より導き出しやすいし、それを実行するための技術だってそれなりにある。

事実、逸見エリカに対して、役者の違いを見せつけた。
何かしなくてはいけないという気持ちと、しかしどこか現実味のない気持ちとが、プラスに働いてくれたというのも大きい。
そういった精神性も含め、この特殊殲滅戦において、優花里はかなり“優秀”な部類であると言えよう。

しかし、みほと出会う前の優花里ならば、今よりもっと“優秀”だったに違いない。
エリカを罠にかけたのも自衛としては間違っていないことであるし、エリカが逃げた件についてもエリカの心の弱さにも責任がある。
命を奪わなかったことを感謝されることはあっても、恨まれるような謂れはないし、後ろめたさを感じる必要だってない。
今後も淡々と行動できれば、エリカのようにただ動転するだけの者には圧勝できていただろう。

だが現実は、エリカのことがずっと心に“しこり”として残っている。
だって、敬愛する西住みほなら、あの状態のエリカを放ってはおくはずがないから。

一人教室の隅でミリタリーの雑誌を読んでいた頃なら、こんなことにはなっていなかっただろう。
だが優花里は、出会ってしまった。心から尊敬できる戦車乗りに。西住みほに。
結果として、秋山優花里は“戦争知識が豊富なだけの孤立したオタク”ではなくなった。
敬愛する者の後ろを付いて回り、そしてその理想に感銘を受けた狂信者になってしまった。

秋山優花里の戦車道は、西住みほの戦車道だ。
目指す姿は西住みほだし、判断基準にも大きく影響している。

その結果がこのザマだ。
みほなら救えたかもしれない。エリカも、典子も、クラーラすらも。
けれども優花里はみほではない。
優花里の力では、救えそうにない。エリカも、典子も、クラーラも。
それでも割り切ることができない。それでも認めることが出来ない。
心のどこかで思ってしまうのだ、「西住殿なら見捨てない」と。
自分は“西住殿”ではないというのに。

(くそっ……何をやっているんだ私は……)

そんな優花里から目を背け、ホシノもまた奥歯を折れんばかりに食いしばっていた。
押し切られた形とはいえ、結局典子の死を止められなかったのはホシノだ。
ゆっくり反論している時間はなかったし、クラーラに転倒させられたことも含めて、全ては「仕方がない」の範疇だろう。
だがそれでも、ホシノは自分を責めずにはいられなかった。
責めていないと、どうにかなってしまいそうだった。

――自分は、周りの人間に順位付けをして、取捨選択をしてしまうのではないか?

クラーラの凶行を目にするまで、そんなことが、ずっと頭の中をぐるぐると回っていた。
そんな考えを捨てたくて、頭を振って打ち消し続けた。
ずうっと自分がどうしたいのかも分からなくて、でも歩みを止めるわけにもいかなくて。
少なくとも典子のことは信じられたから、信じていたかったから、彼女に賛同することにしたのに。
肝心要の典子が、無残な骸になってしまった。
ただただ典子を信じて踏めば良かったアクセルには、もう足を付けることすら難しくなった。

(誰も死なせないんじゃなかったのか……!?)

典子なら、それが出来たのではないか。
そんな甘い考えに、支配されてしまっていた。
優花里の吐く“正論”よりも、典子の口にする“甘っちょろい理想論”は、あまりに耳当たりが良くて。
嫌な人間になってしまうことから逃げるように、只々典子に追従した。

典子の持つ謎のカリスマ性が、全員生還なんて無理だと囁いてくるどす黒い理性を押さえ込んでいた。
典子の力強い言葉が、典子ならば何とかしてくれるかもしれないなんていう、甘い夢を見せてきた。
なのに、典子の死により無理矢理夢から引きずり出されて、辛く過酷な現実へと放り出された。

全員生還を声高に叫ぶ旗印を失った。どんな時でもそれを信じてくれている少女を失ってしまった。
更には典子という犠牲者が出たことで、もう絶対に“全員生還”は出来ないことが決まってしまった。
引っ張ってくれる少女も居なければ、叶えたい目標ももう無い。
典子の死は、一瞬にして、“全員生還”を目指す気力を奪い去っていた。

(……どうすれば……)

もう、“全員生還”はただの夢物語である。
ならば、そこに拘る必要なんてない。
夢の語り部であった典子に倣い危険な襲撃者まで“全員”に含めようとする必要などない。
銃口を向けてくる者にまで、手を差し伸べる必要はない。

長い目で見れば、冷静に考えれば、クラーラは命をここで奪っておいた方がいい。

分かっている。分かっているんだ、そんなことは。
それでも。それでも――ー

(私は……)

最後まで“全員生還”を願い、クラーラを殺さずに無力化し、そしてホシノ達に全てを託した典子の意思を、無駄にしたくはなかった。
典子の死により“全員生還”が叶うことはなくなったし、その無謀さも思い知らされた。

それでもなお、典子の意思を継いでやりたかった。

それが、典子に命を救われた形のホシノに出来る唯一の弔い。
未だ結論を出せぬ中で、唯一信じられる道標。

ああ、そうだ。
自分は、きっと、磯辺典子のようになりたかったんだ。
小賢しく、嫌なことを考えてしまう女でなく、信じたいものを何の躊躇いもなく信じられるような女に。

「……こう、しましょう」

沈黙を先に破ったのは、今度は優花里の方だった。
ホシノが視線を向けると、疲れきった顔の優花里が、ゆっくりと手を持ち上げていた。
ほんの小一時間前と比べて、随分老け込んで見える。
玉手箱でも開けたかのようだ。

「私とて、犠牲を生みたくはありません。西住殿も、磯辺殿も、きっと同じ気持ちでしょう」

疲労という名の煙で満ちた玉手箱。
そこにはたっぷりの絶望があったし、パンドラのソレと違って希望なんてなかった。
こんなお宝、欲しくなんてなかった。
それに、敵の首だってそうだ。
野蛮な海賊じゃないんだ。そんなもの、ただの一度も、欲しいと思ったことはない。

「ですので――」

ぎゅう、と優花里の眉間に皺が寄る。
歯を食いしばり、そして優花里は、引き金を引いた。
驚きのあまりか、反射的にか。ホシノが弾かれたように立つ。
それよりも遥かに速く、優花里の手にしたテーザー銃から飛び出した電極が、クラーラの右腕へと突き刺さった。

「……殺さずに、無効化したいと思います」

優花里の言っていることが、ホシノには理解できてしまう。
言葉足らずではあるし、狂っているとも思っているのに、理解できてしまうのだ。
ほんの数時間前ならば、そんな優花里に苛立つことが出来ていたのに、今では何の感情も湧いてこない。
どうやら自分も、優花里に負けず劣らず疲弊しているようだ。

「……そうだね」

高圧の電流を更に流され、クラーラの体がビクンと跳ねる。
口の端からぶくぶくと泡が溢れ出る光景には、さすがに胸がチクリと傷んだ。

しかしながら、やはり優花里を非難する気にはなれない。
これからクラーラに何をするにしても、目覚められたら不味いことに違いはないのだ。
いや、ひょっとすると、すでに目覚めて機を窺っていたのかもしれない。
いずれにせよ、念には念を入れて、もう一度撃つことに異論はなかった。
人道的に考えて、異を唱えるべきはずなのに。何も言うことが出来なかった。言う気にもなれなかった。

「……思ったより、狙い通りに撃ててますし、私はこれを構えておくのがいいでしょう」

ワイヤーを巻きとり、再度テーザー銃を撃てる状態にする。
そして、その銃口を、クラーラの首元へと突きつけた。

この位置に銃口を持ってくる途中で、意識を取り戻しテーザー銃を捕まれ奪われたら不味かった。
だから、相手が狸寝入りしている場合でも大丈夫なように、不意打ちで攻撃した。
外してしまうと不味かったが、その場合でも最悪自分が襲われるだけであろうという打算があった。
今襲われても奪われて困る武器はない。
連射出来ないテーザー銃を奪われても、ホシノがヴォルカニックで何とかしてくれる方が早いと踏んだのだ。

そうして先手を打った結果、こうしてゼロ距離でテーザー銃を突きつけることに成功している。
これならば、途中で意識を覚醒して攻撃してきても、反射で引き金を引くほうが早いだろう。
そしてこの距離ならば、電極は外さない。
途中でクラーラが目覚めても大丈夫だ。

「ですので――――作業は、ホシノ殿にお願いしたいと思います」

そう、“途中”で目覚めても、大丈夫なようになっている。
それは、つまり、何らかの行為を始めるということを意味していた。

「……何を、すれば」

口の中が粘ついている。上顎と下顎がくっついてしまったかのようだ。
それでも無理矢理口を開き、疑問を優花里へと投げかける。
何を言われるか、ある程度予想は出来ていたのに。

返事が何であれ、嫌だとは言えないだろう。
最上級生としての責任から逃げ出して、優花里に委ねたのはホシノだ。
それに、『起きているか分からぬクラーラに追撃を加える』という嫌な仕事を、すでに優花里は成し遂げている。
逃げられる道理はない。

「……とりあえず、服を脱がせましょう」

服ぅ?
なんてマヌケな言葉は、なんとか喉で押し留めた。
それでも顔には出ていたらしく、優花里が慌てて補足をする。

「ああ、ほら、他にも何か持ってる可能性ってありましたし……
 一個一個調べていくより、手っ取り早く裸にした方がいいんじゃないかと」

ああ、なるほど。
そんなことをホシノは思った。
意識のない年頃の娘を全裸にひん剥く行為に対して、「なるほど」なんて言葉は、本来使うものではないのに。

「わかった、やるよ」

何も隠し持てない状況にするというのは、確かに有効だ。
それに、こんな状況でとはいえ、全裸で街中を闊歩することに抵抗感は覚えるだろう。
動きも鈍くなるのなら、ひん剥かない理由はない。
これは正しい行為だという大義名分を何度も心で呟きながら、ホシノは一つ深呼吸する。
それからクラーラへと歩み寄ると、腰を下ろし、ベルトへと手をかけた。

「…………」

さすがに一瞬躊躇いが生じたが、それでもホシノはクラーラのベルトを外していく。
カチャカチャという金属音が、非常に耳障りだった。

「ホシノ殿」
「分かってる」

あまり長く音を響かせるわけにもいかない。
ベルトを緩め、ジッパーを下ろすと、そのまま乱暴にスカートを引きずり下ろす。
……誰かのベルトを外すのって、もっとこう、淫靡で素敵なシチュエーションになるものだと思っていた。
相手もいないし、欲しいわけでもないけれど、それでも初めて他者の衣服を脱がすのがこんな状況でだなんて……

「…………」

小さく溜息を漏らし、衣服を剥ぎ取り指先へ意識を集中させる。
慣れない手付きのせいで、スカートと共に下着までずり下ろしてしまった。
この失敗も、日常だったら、思わず吹き出してしまうようなほのぼの失敗談になったのかもしれない。

「…………」

人様の下半身を見て顔を顰めるのは、大変失礼だとは思う。
それでもホシノの表情は、優花里が苦笑を浮かべるほどに歪んでいた。

濡れそぼつ黄金色の草原からは、鼻をつくアンモニア臭が立ち込めている。
未だ痙攣の止まぬ体と、目を覆いたくなるような醜態。
演技ではなく、本当に電撃が効いていると確信するには、十分すぎる様だった。

「……上も、脱がすよ」

首元に優花里が居ては、少々脱がしにくい。
立ち上がったホシノが優花里の傍に行き、入れ替わるように優花里はクラーラの下半身の側へと移動した。
テーザー銃を突きつけながら位置を入れ替えていたら、多少は時間がかかっただろう。
だが、凡そ年頃の女子が出来る演技の範疇を超える醜態を目の当たりにしたことで、一旦テーザー銃を下ろすことができた。
スムーズに立ち位置を入れ替えることを優先し、入れ替わった下半身側で再度テーザー銃を突きつける。
幸いにも本当に演技ではないらしく、銃口が逸れた千載一遇のチャンスにも、クラーラは目を覚まさなかった。

「……さすがに脱がしにくいでしょうし、破いちゃってもいいんじゃないですか?」

二度の電撃により、クラーラの体は弛緩し切っている。
そんな状況で服を脱がすのは、至難の業だと言えよう。
少し考えて、ホシノは上着を脱がす手を止める。

ホシノは腕を怪我していて、クラーラはその下手人だ。
何も隠せないようにする意味も込めて、服を完全に駄目にしても許されるだろう。

そう考え、支給されていたスキナーナイフを取り出して、クラーラの制服を首元から切り裂いた。
腹の方から切り裂くと、いきおい余って顔を切り裂きかねないため、安全面でも襟元から切るべきである。
頭でそう分かっていても、喉元近くにナイフを持っていくというのは、多少なりとも抵抗感があった。
それでも決して手を止めず、淡々と衣服を剥いでいく自分の姿に、ホシノはどこか薄ら寒いものを感じる。
感じたところで、もう、どうしようもないのだが。

「……ごめんね」

脇から脇腹にかけても切断し、最終的にただの布切れと化した制服を、なんとか引っ張り奪い取る。
意外と筋肉がついているらしく、予想よりも重たくて、背中の部分の布地を取るのに苦労した。

無残にもズタズタにされた制服を見るのが辛くて、ホシノはすぐさまソレを丸めて視界の外へと追いやった。
それから、少し悩んで、ブラジャーの中央部とストラップも切断し、完全な全裸にした。
さすがにブラジャーに何かを仕込んでいるとは思えなかったが、ブラジャーのみという格好は見るも無残であったため、
それならばいっそ全裸の方がマシではないかと思ってのことだ。

もっとも、全裸にしてみたところ、それはそれで見るも無残な姿だったのだが。
おかげでクラーラの胸は開放されたのに、こちらの胸は締め付けられる一方である。

「……本当なら、こんなところにしておきたいところです」

だが、まあ、しかし――こんなものでは終わらないだろう。
薄々だが、ホシノにだって分かっていた。
全裸にひん剥いてみたところで、何の根本的解決にもなっていない。

確かに、武器を隠し持たれる心配はなくなった。
肌が傷だらけになることを考えると、森の中への侵入も難しくなるし、移動経路も制限させたと言っていい。
羞恥心で動きが鈍る可能性だってある。

弱体化には、確かに成功している。
だがしかし、それはあくまでも“弱体化”なのだ。
決して“無力化”ではない。

「ですが……」

確かにクラーラの支給品は強力だったし、それによって凶悪な存在だったことは否めない。
だがしかし、それよりもクラーラ本人の能力の方が問題であった。

強力な支給品を見事に使いこなす身体能力。
友釣りを行う等、有効な戦略を打ち出す頭脳。
そして常人ならば躊躇って実行できない策を、完遂する程の度胸と冷酷さ。
これらが揃っていたからこそ、ドラグノフは大いに猛威を振るったのだ。

「……わかってるよ」

そう、支給品を奪った所で、これらの能力をどうにかせねば、何の意味もない。
何せクラーラは、先の戦いで塀を飛び越えてのアクロバティックなアクションを見せている。
徒手空拳での戦闘力は、恐らくトップクラスだろう。
更に対空中のほんの数秒でどう動き誰からどう倒すべきか考えられるほど、頭の回転だって早い。

率直に言って、素手のクラーラと戦っても、あまり勝てる気はしなかった。
今でこそ相手が気絶しているうえにテーザー銃を突き付けているため好き放題やれているが、
もし街中でばったり遭遇しようものなら、テーザー銃を突きつけるより速くこちらの意識が刈り取られるのではないだろうか。

「このままじゃ、皆も……」

ホシノや優花里は、クラーラの身体能力を見ているし、彼女が殺し合いに乗ったことも知っている。
情報という大きな切り札を持っているため、他の者よりは、クラーラと戦いやすいと言えよう。
そんな二人ですら、仕切り直してクラーラと戦うとなった場合、いまいち勝てる気がしないのだ。
クラーラが殺し合いに乗ったことも知らず、またクラーラの超人めいた身体能力も知らない者では、あっさり殺られてしまうのではないだろうか。

それだけはダメだ。
あんこうチームやレオポンさんチーム、他の皆が何も知らずに蹂躙されることだけはダメだ。
命に優劣をつけたくはないが、しかし――

典子を殺めホシノの腕を破壊した者と、典子のように殺し合いを止めたいと願っている者達。
どちらの身の安全を優先すべきかなんて、分かっている。
分かっていても、納得出来ないはずだったのに。
腕がズキズキと痛む度に、視界に典子が映る度に、その“巫山戯た正論”に心が屈していくようだった。

「腕を……その、使えなくさせましょう」

ほんの僅かに、ホシノが表情を歪める。
予想はしていた。こうするしかないのだということもわかった。
それでもまだ僅かに残った良心が、そんなことを平然という優花里に、そして優花里に言わせてしまう環境に、嫌悪感を抱かせている。

「…………」

だからであろうか。
ホシノは、返事をしなかった。
ただ黙って、ポケットに入れていたヴォルカニックを取り出し構える。
狙いをつけようとしてから、どうやら自分が小刻みに震えているらしいことに気が付いた。

(……ああ、そうか。そりゃあ、そうだ)

ホシノの口が、皮肉めいた笑みを浮かべた。
震えるなんて当然だ。
さっきまで、絶対に認めちゃいけないとすら思っていた非道な行いを、今からしようというのだ。
どれだけ自分に言い訳してみても、嫌悪感や恐怖からは逃れられない。
嫌悪感や恐怖というものは、本来『乗り越えるもの』であって、『逃げ切るもの』ではないのだ。

(私は、今から――――)

自動車だって、レースだって、事故を起こして死ぬ可能性とは切っても切れないものだった。
クラッシュしたらどうなるのか考えただけで怖くなるし、嫌な気持ちになることだってゼロではなかった。
いつまで経とうが怖いものはずっと怖いし、嫌なものはずっと嫌である。
目を背けることなんて出来ないし、ましてや逃げ切るなんて不可能だ。

出来るのは、乗り越えることだけだ。

嫌なことを忘れるくらい、素敵なことをたくさん見つけた。
怖さの先にある楽しさを知った。
そうやって、今までずっと、恐怖や嫌悪を乗り越えてきたのだ。

「…………」

でも、今は。でも、これは。
乗り越えられそうにもない。
乗り越えたいとも思わない。
だけれど無様に逃げ回ることすら出来ないから。
ぐちゃぐちゃの気持ちを抱いたまま、引き金を、一気に引いた。

炸裂音が辺りに響く。
同時に、鮮血が辺りに飛び散った。
よく見ると、指であった部分の肉も飛び散っているようである。

「うっ……」

たった一発撃っただけ。
だと言うのに、胃袋の中身が迫り上がってくるのを感じた。
起きてからまともに胃袋を満たしていなかったおかげで口から飛び出すことはなかったが、
しかしそのことは己がしたことの非道さを、ホシノに改めて突き付けてくるようだった。

狂っている。

目覚めてから、もう何度も思ったことだ。
狂ってしまった大洗が辛くて、狂った世界に適応しそうな自分を嫌悪し、迷い苦しんでいたはずだった。
なのに、気付けば、言い訳を並べながら、狂った世界の一部になってしまっている。
行動の面では、引き金を引いた瞬間から。
精神の面では、きっともっとずっと前から。

「……ホシノ殿」

それはきっと、優花里とて同じであろう。
当事者意識が欠けたまま、気が付けば狂った世界に首まで浸かっていた。
磯辺典子はその善性と狙撃をされた衝撃を持って優花里を狂った世界から引っ張り上げようとしてくれたが、その手は無情にもほどけてしまった。
残されたのは、已然変わらず浮足立った無能の少女。
死は他人事ではなくなったが、しかし地に足をつけられたとは言い難い。

「……分かってる」

ロケットボールは弾丸をベースとしているため薬量が少なく威力が低いと、取扱説明書には記載があった。
そのことは、引き金を僅かばかり軽くしてくれる。
「殺してしまう心配がなく、最低限のダメージだけを与える威力」という大義名分は、ホシノにとってかなり有難いものだった。

「分かってるよ……」

だがしかし、威力が低いからといって、必ずしも怪我の度合いが少なくて済むわけではない。
ヴォルカニックのロケットボール弾丸は、あまりに威力が低すぎた。
震える銃口が正確に手の甲を捕らえられなかったこともあり、薬指を中心に指を吹き飛ばしただけに終わっている。
小指も中指も千切れてすらいないし、痛みを押せば発砲くらい容易いだろう。

実際は、指が千切れれば想像を絶する痛みに襲われ、まともに発砲など出来ないと思われるが、
しかしホシノと優花里にとって、そんなことは関係なかった。
先程までのクラーラの動きは、ホシノと優花里にとってかなりの恐怖を植え付けている。
それこそ、クラーラが典子に魔女を見たように、ホシノや優花里はクラーラにキリングマシーンの姿を見ている。
少なくとも二人の中のクラーラならばこの程度の怪我どうということはないし、万が一にもその可能性があるなら潰さぬわけにはいかなかった。
半端なことをして、無意味に発砲しただけなんてことになったら最悪である。
今この一瞬だけでも毒を食らうと決めたなら、皿までぺろりと行かねばならない。

「――――ひっ!」

再度の炸裂音の後、ホシノの耳に、小さな悲鳴が飛び込んできた。
反射的に優花里へと顔を向けたホシノの目に映るのは、電極の付いたワイヤーが飛び出す光景。
腰の引けたフォームで射出されたソレは、クラーラのくびれた腰へ突き刺さる。
上半身を脱がし終えたあと、狙いのつけやすい臍周りにテーザー銃を突き付けていたことが功を奏したのだろう。
フォームが崩れ狙いを大きく外していたのに、それでもしっかりと鍛え抜かれた白い肌へと突き刺さっていた。
もっともそれが幸運なのか不運なのかは分からないけれど。

とにかく再度の電流に、クラーラの体が大きく跳ねた。

そのまま起き上がってきそうな程の動きに、反射的にホシノも引き金を引いてしまう。
嫌なことは早く終わらせてしまおうと、レバーアクションを終えていたのがいけなかった。
引き金を引いたと同時に発射されたロケットボールは、クラーラの肩口へと吸い込まれる。
優花里の方を向こうしていた体の動きに引きずられ、銃口が大きく動いていたらしい。

二人で、大きく息をする。
肩の上下運動が落ち着いた頃、ようやく、優花里が口を開いた。

「……すみません。動いたような、気がしたので……」

それは、誰に対しての言葉なのか。
自分に言い聞かせているのか、はたまたここには居ない人間に取り繕おうというのか。
目の前に居るホシノに対して向けられているはずなのに、その目はどこか別の所を見ているように思えた。

「……うん」

ホシノの返事は、それだけだった。
本当に動いたのかどうかは分からない。
神経をすり減らしすぎて、着弾によって僅かに体が跳ねたのを、勘違いしただけかもしれない。
だが、もしかしたら、痛みで目を覚ましたクラーラを、優花里がなんとか止めたという可能性もある。

いずれにせよ、答えなんて出るはずがない。
だからこそ責めることだって出来たし、典子の元へ駆けつけようとし焦っていた頃のホシノならば、きっと厳しい言葉を投げてしまっていただろう。
でも今は、たった一言を返すことしか出来なかった。
優花里とホシノ、そこには大した差などないことを、自覚してしまっていたから。

「…………」

二人の間に、会話はなかった。
何をしないといけないのかは、二人とも分かっていた。
痙攣するクラーラを見て躊躇いが生じようと、今更やめることなど出来ないことも分かっていた。

淡々と、引き金が引かれていく。
肉の感触が直接伝わるであろうナイフと違って、ヴォルカニックは人の身体を壊す感触が引き金の重さ程度である。
それが、どこかホシノの現実感を麻痺させてくれた。
銃弾を消費すると分かってなお、ナイフではなくヴォルカニックを選んだ甲斐があるというものだ。

――なにが、選んだ甲斐だ。私は、私は――

そんな言葉も、僅かな苛立ちとともに浮かび、すぐに虚空へと消えていく。
擦り切れた神経では、もはや自身に腹を立てることすら困難となっていた。

「…………」

無抵抗の人間の掌に穴を開ける。
嫌悪の言葉は飲み込んで、引き返すための綺麗事は喉で通行止めをした。
それでもそれらは霧散することもなく、胃袋の中で鉛のように固まっていく。
実に不快で、最低の気分だ。

「…………」

ちらりと最初に視線を向けたのは、一体どちらが先であったか。
もう分からないし、どうだっていい。
ただ、二人ともが、まだ不安に思ったというだけのことだ。

両足が健在ならば、塀を飛び越え強襲してきた身体能力を披露されるおそれがある。

だから足の甲にも、一発だけぶち込んだ。
右足だけだ。
両足を撃つのは、さすがにやりすぎであると、そんなことを思った。
歩けなくなるまでやってしまったら、それはもう殺したも同然ではないか、なんてことを。
この期に及んでそんな半端な善意を――いや、善意ですら無い、偽善かどうかも怪しいことを考える自分に、吐き気を通り越し笑みでも浮かべてしまいそうだった。

「……ここまでにしましょう」

気が付くと、二人とも肩で息をしていた。
先程から、嫌悪感が拭えない。
気を抜けば嘔吐しそうな程だ。
口を閉じ、ぐっと吐き気を様々な感情と胃袋の中に飲み込み続けた。

それでも、言葉にせねば、その作業に終わりが来ないような気がして。
言葉と共に胃液が溢れでないように、ゆっくりとだが、優花里が口を開いた 。

「もう、十分かと……」

随分久しぶりに口を開いたように思えた。
貼り付いていた唇が、にちゃりとした不快感を伴って開かれる。
言葉を吐き出しながらも、なんとか胃液は押し留められた。
代わりに体の中の不快感は、脂汗となって流れ落ちる。

「そう、だね」

ちらりと横たわるクラーラを見た。
ぐったりとしたその顔は、血や汗で汚れきっている。
口からは泡とも涎ともつかないものが溢れ出ており、痙攣の振動で飛び散った尿と混ざりあっていた。
もしもこの場に男性がいたとしても、今のクラーラの裸体には欲情など出来ないだろう。

それほどまでに、クラーラの姿は、あまりに醜く凄惨だった。

幾度もの痙攣を経た体は、今やぐったりとしている。
弛緩した体から流れ出る尿は、ただただ顔をしかめる彩りにしかならない。
白かった肌は青白くなり、不細工な紅の化粧が施されていた。

「…………」

二人とも、何も言わない。
二人とも、何も言えない。

日本人離れした美しさを持つクラーラをこの酸鼻をきわめる姿にしたのは、他ならぬ優花里とホシノ自身だ。
それでも、仕方なかったと思っている。
仕方なかったと思い込もうとしている。
仕方なかったと思わなくては直視できぬ程、自分達のした行いが恐ろしかった。

「……もうすぐ、放送ですね」

中途半端では意味がないため、きちんと無力化出来たのかどうか、なんとか直視し確認した。
どう見ても、まともな活動が出来る体ではないだろう。
少なくとも、誰かに襲い掛かるなんて不可能なはずだ。

勿論それは、誰かに襲いかかられたら、成す術もないことを意味しているのだけれど。

優花里もホシノも、それを自覚しているのか分からない。
だが、いずれにせよ、そこからは目を背けていた。
考えても仕方がない。考えたくもない。

「……聞かないわけにはいかない、か」

放送を聞いて、情報を纏めたら、動かなくてはならない。
どう動くのか、今はまだ、決めきれていないけれども。
少なくとも、この凄惨な現場にこのまま居座りたくなどなかった。
放送が近くなければ、クラーラを置いてとうに移動していただろう。
クラーラを申し訳程度に隠し、胸の痛みを軽減させて、逃げ出していただろう。
もしも今後の放送で呼ばれても、自分達の関与してない所の話だと、直接手を下した“クラーラと同じく殺し合いに乗った者”が一番悪いと思えるようにして。
勿論、本当にそうなったときに、そこまで開き直れるのかは、誰にも分からないのだけれど。

「ええ……その腕じゃメモしづらいでしょうし、こちらでメモを取っておきましょうか……?」

ここに至るまで、優花里もホシノも、大きな間違いは犯さなかった。
よく言えばあまりに妥当に、悪く言えば強い意思もなく流されるままに、それなりに無難な道を選んできた。

故に、二人に大きな非などない。
何が悪かったのかで言えば、運が悪かっただけだ。
全ては結果論。
この時点では、座ってしっかり放送を聞くのが最も理にかなっていたのだから。

「いや、聞き間違いや聞き漏らしがあったら困るし、こっちでも一応メモするよ。
 手は痛いし、綺麗に書けないだろうから、結局ほとんど頼りきることになりそうだけど」

結果論で言ってしまえば、彼女達は、今すぐこの場を離れるべきだった。
離れてさえいれば、まだ、責任転嫁の余地が生まれていたというのに。

「わかりました……っと、始まったようですね」

放送に耳を傾ける二人の話は、これでおしまい。
あとは、放送を終えてから次のお話で語られる。

でも少しだけ、二人が知る由もないことを、ここに記しておこう。
どうせ間もなく、二人も知ることになる事実を。

【クラーラは、この放送で、名前を呼ばれる】

死因は一体どれだったのか。
それはもう、政府の者にも確かめる術はない。

非殺傷用のテーザー銃で容疑者が死亡してしまったというニュースが海外で度々流れるように、テーザー銃の当たりどころが悪かったのかもしれない。
そうでなくとも、度重なる電撃により、完全に鼓動が止まってしまったのかもしれない。

それに、手足に空けられた穴。
掌ばかりと言えど短時間に何度も刺されれば、ショック死することがある。
流した血だって、決して少なくはないのだ。

何が原因なのかは分からない。
ただ一つ確かなのは、クラーラは、既に命を落としたということだ。

“どこの誰かも分からない殺人鬼に”殺されたわけではない。
“知らないどこかで知らない間に”殺されたわけでもない。
クラーラが襲ってきてから放送が流れるまで、ずっとクラーラを監視してしまっていたからこそ分かる。

一切の言い訳の余地もない。クラーラは、確実に、ホシノと優花里の目の前で死んだのだ。

自分達は無関係などと、もう言い張れない。
無関係を主張するなら、“自分”の分だけしか出来ない。
致命傷は自分でなく相手の方だと主張することしか出来ない。
或いは、死者の冒涜を自覚しながら、典子に責任を転嫁することしか出来ない。

勿論、受け入れるという道もある。
素直に罪を認めるという道もある。
そのうえで心が壊れてしまわないか、道を踏み外さないか、それは定かではないが。

(西住殿……無事、ですよね……)

秋山優花里は、己の意思で道を選んでいるようで、すっかり西住みほに依存してしまっていた。
強すぎるカリスマに当てられて、異常な事態に心をやられ、みほの幻影に縋り付いていた。

それは、必ずしも悪ではない。
最初は皆、憧れの背中を真似ることからスタートする。
現に先程も、みほの背中を思い出し、自分に檄を飛ばすことで、作戦を練って伝えることが出来ていた。

問題があるとすれば、大切な仲間の一人を、自分が指揮した戦闘で失ったことだ。
更にその作戦が、結果として何の役にも立てなかったことだ。

命を背負う覚悟はなかった。
典子の死をまともに背負う強さはなかった。
自分のにわか知識は何の役にも立ってくれなかった。

それは優花里の心の奥底で楔となり、優花里の足を止めさせた。
秋山優花里を、特殊殲滅戦における作戦指揮を取る“隊長”や指示を出す“車長”の座から引きずり下ろした。

そうしてポッキリと折れた心は、支えである“西住みほ”を求めた。

情けなく、弱く、犠牲を出した、誤っていた自分の考え。
いつも格好良く、強く、勝利に導いてくれた、尊敬するみほの考え。
信頼できるのは後者の方だ。
困った時、迷った時は、“西住殿”に従う方が正しいのだ――

優花里の中の歯車は、静かに狂ってきている。
変わらず無難に意思決定をしているようで、典子の死後は、常に“西住殿ならこうするのではないか”という考えの元で結論を出してしまっている。
心の中の“西住殿”と意見を違えても、“西住殿でもこうするのではないか”などと考えてしまっている。
本当にみほから指示されていたこれまでと違い、“西住殿ならこうするはず”なんてものは、優花里の思い込みでしかないのに。
それでも優花里は、それを“西住殿”の考えに限りなく近いと思ってしまっているし、それが正しいものと思い込んでしまっている。

そこには当然、“秋山優花里の責任”は発生しない。
仮に間違えたとしても、それは全て隊長である“西住殿”の責任である。
優花里に責められる点が発生するとすれば、“西住殿”の正しいはずの理念を完全に実行できなかった弱さくらいだ。

ここにはいない幻想に全ての責任を押し付けて、自覚のないまま、優花里は責任から逃げ出した。

(……どうか、皆……)

ホシノもまた、己の意思で道を選んでいるようで、足を止めてしまっていた。
自分が序盤の頃と比べ変わってしまった自覚がある分優花里よりはマシなのかもしれないが、しかし歯車は確実に狂ってきている。

弱さを自覚したホシノは、典子の意思を極力継ごうとしている。
彼女の意思を無駄にしたくない。助けられた恩に報いたい。
そうしなくてはいけないと、そうしたいと思っている。

だがそれもまた、責任の放棄に過ぎない。
ここには居ない“西住殿”の出す、架空の指令に従うのと同じ。
死んでしまった磯辺典子に方針を委ねた先にあるのは、責任の伴わない行動だけ。

彼女が存命であれば、支えることで正しい在り方が出来ていたかもしれない。
だがしかし、死者に全てを委ねる様は、あまりにも空虚で呪われているようにも見えた。

とはいえホシノは、典子の理想論を盲信しているわけではない。
そうであれば、クラーラに対してあんな行動は取らなかったろう。

ホシノは、未だに悩んでいる。結論を出せず、汚い自分に憤っている。
悩みの中心部に据えられる“甘っちょろい理想論”が自分のものから典子のものへと差し替わっている程度だ。
そのことの狂気も、ホシノはうっすら自覚していた。

その点では、確かに優花里よりはマシだと言える。
自覚し、悩み、苦しめるだけ、まだ改善の余地はあるのかもしれない。
だがしかし、ホシノは悩んでいることを理由に、結論を先延ばしにしている。
みほという幻影に縋りながらとはいえ、どう動くかを自ら決めて言葉に出した優花里とは違い、ホシノはその“意思決定”から逃げ続けている。
これまではただ、誰かのした意思決定に対し、ひたすら乗っかっていただけ。

『船頭多くして船山に登る』

チーム活動に慣れているため、そのことはよく分かっていた。
それを理由に、ホシノは下手な口出しをしなかった。
船頭になることから、誰よりも遠い場所に居続けた。

優花里は、手にした操舵輪を手放し、船頭になることから逃げ出した。
だがホシノは、ただの一度も、操舵輪を握りすらしていない。
操舵輪を握らないことの卑怯さを自覚しているのに、自覚しているからこそ、悩み、苦しみ、結局一度も握らなかった。
典子が舵を取る所を見たあとも、優花里に舵を任せた。
典子に影響を受けていながらも、自分自身では一度も舵を取ろうとはしなかった。
いつだって流されるだけで、綺麗事を吐き捨てるだけで、何も行動をしてこなかった。

小賢しさに、思わず自嘲しそうになる。
その行為すらも、自分を少しでもマシに見せようとする最低の行為に思えた。

資質で言えば、ホシノも優花里も、決して船頭ではない。
多少思考を働かせることはできても、船員達を引っ張ることも、船員達の命を預かり責任を取ることも出来なかった。
典子が圧倒的カリスマの船頭であったため、一時まとまりを見せかけていたが、それももう過去のことである。
船頭を失った船は、山の上には登らない。登る力すら持たない。

では、船頭を欠いた船は、一体どうなるのだろうか?
船頭が多ければ山に登ってしまうというが、誰も船頭にならなかったら、果たしてどこに行くのであろうか。

山ではない。そんな力はないのだから。
ゴールに類するどこかの島かもしれない。それはあり得る。波に攫われて、辿り着ける可能性はある。
だがそれでも、最後には誰かが舵を握らねば、島の入江に追突するだけ。
見事に砕けて船員は全員投げ出される。

生還というゴールに辿り着くためには、誰かが操舵輪を握らねばならない。

そしてそれは、生きて船に乗っている者でなくてはならない。
ここにはいない西住みほの幻想でもなく。
骸となった磯辺典子の亡霊でもなく。
二人の内のどちらかが、覚悟を決めて舵を取らねばならないのだ。

今はまだ、ちゃぷちゃぷと海を漂えている。
クラーラという強風を、今は亡き典子船長が切り抜けてくれたから。
だがしかし、新たな嵐はすぐに来る。
舵を取るにしろ、押し付けるにしろ、船から逃げ出し新たな船を探すにしろ、決断の時は迫っている。

『――――クラーラ』

たった四文字の名前が、嵐となって襲いくる。
日常という港はすでに遥か遠く。
骸と幻想を乗せたオンボロ骸骨船が、風に煽られ波に流され荒れ狂う海をのたうち回る。

行き当たりばったりで帆を張るだけか?
理想論という無力な言葉のオールを使うか?
それともきちんと操舵輪を握りしめるか?
仮にどれかを選んだとして、全力を傾けられるか?

分からない。分からないが、答えは嫌でも出ることになる。
賽は投げられ、嵐は目前。
さあ始めよう、残酷な世界の航海を。

絶望の海へ、地獄の骸骨船、出港――――――




【クラーラ 死亡確認】

【残り 28人】




【C-3・塀のある民家/一日目・昼から日中へ切り替わった瞬間】

【秋山優花里@フリー】
[状態]精神的疲労大、頭部から出血
[装備]軍服 迷彩服 TaserM-18銃(1/5回 予備電力無し)
[道具]基本支給品一式 迷彩服(穴が空いている) 不明支給品(ナイフ)
[思考・状況]
基本行動方針:誰も犠牲を出したくないです。でも、襲われたら戦うしかないですよね……仕方がないんです……仕方が……
0:放送を聞く
1:西住殿なら……きっと……
2:西住殿と会いたいのであります……
[備考]
足元に、クラーラの背嚢(基本支給品一式、ドラグノフ狙撃銃(3/10)、カラテル、折り畳みシャベル、マキシムM1884の布製弾薬帯(250/250)が入っている)が落ちています

【ホシノ@フリー】
[状態]精神的疲労大、心に大きな迷い、右上腕部に大きな刺し傷(申し訳程度にタオルで止血)
[装備]ツナギ姿 S&W ヴォルカニック連発銃(装弾数3/8) 予備ロケットボール弾薬×8
[道具]基本支給品一式、スキナーナイフ、RQ-11 レイヴン管制用ノートパソコン、布切れとかしたプラウダの制服
[思考・状況]
基本行動方針:みんなで学園艦に帰りたい
0:放送を聞く
1:殺し合いには乗りたくない。けれど最悪の状況下で、命を奪わずにいられるだろうか……
2:典子の意思を継ぎたい気持ちはある。だけど、それが出来るのだろうか……
3:レオポンさんチームの仲間にはいてほしくない。彼女らの存在を言い訳に、誰かを殺すことはしたくない……したくないけど……
[備考]
※磯辺典子が拡声器で発した言葉を聞きました




[装備説明]
  • スキナーナイフ
 狩猟の際、獲物の皮を剥ぐのに使われるナイフ。
 皮剥ぎに特化しているため刀身は薄く、形状は反り返り先端は鋭く作られている。
 とはいえ脆いというわけではなく、骨に当たっても壊れないよう頑丈に作られている。
 また、血を被っても滑りにくいよう、握り易く壊れない丈夫な木製の柄をしている。
 『スキナー』や『スキニングナイフ』等、様々な呼ばれ方があるようなので、おスキナー呼び方で地の文ではご表記下さい。






登場順
Back Name Next
037:THE HIGH-KNOWS ホシノ 047:友と少女とパンツァーフォー
037:THE HIGH-KNOWS 秋山優花里 047:友と少女とパンツァーフォー
037:THE HIGH-KNOWS クラーラ GAME OVER

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最終更新:2018年11月04日 12:42