オトナになんてなるもんか――――それはいけないことですか?






 ☆  ★  ☆  ★  ☆






<フェイズケイ>


記憶に間違いがなければ、初めて「すごい」と褒められたのは、小学二年生のときだったと思う。

歩こうが食事をしようが何をやっても「すごいねえ」と猫なで声で褒めてもらえた幼少期のそれとは違う、純然たる賛美の声。
感心と驚愕を滲ませる大人達の顔と、憧れと尊敬に瞳を輝かせる周囲の子供達の顔。

嬉しい気持ちは間違いなく存在したし、向けられた言葉への感謝の気持ちもあった。
しかし、その言葉を素直に受け入れ増長したことは一度もない。

――好きなことを好きにやっているだけなのだ、一体何がすごいものか。

そんな気持ちが、心のどこかにあったのだと思う。

小学2年生にして戦車の知識が豊富だったのも、戦車というものに早い内から興味があったというだけのこと。
作戦指揮能力だって、隊長をやるのが楽しいから自然と身についただけのことだ。
天賦の才などではないし、ましてや苦しい特訓の成果でもない。
好きなことを好きにやっていた結果、人よりたくさん数をこなし、当然の帰結として結果が伴っただけである。

そう、本当にすごいヤツというのは、天賦の才で常人には出来ないことをやってのけるような者のことを言う。
嫌なことを歯を食いしばって何度もやっている者や、常人が躊躇うことを躊躇なくやってのける者こそ、すごいヤツと称されるに相応しい。

(アンジー、貴女……)

ケイにとっては、角谷杏がその『すごいヤツ』の代名詞だった。

『様々なトラブルの末、名門校から転校してきた西住みほに再び戦車道をやらせる』

普通、なかなか出来ることではない。
難しいというのは勿論のこと、みほの事情を思うと、普通はやりたいとも思わないだろう。
優勝を逃せば廃校なんて状況に陥っているとすれば尚更だ。
そんな重責をあの状態のみほに背負わせるなんてこと、常人ならばやろうとも思わない。

だが、杏には、出来る。
その目で見てきたわけではないので、どれだけ悩み苦しんだのかは知る由もない。
だがしかし、良心の呵責や心理的抵抗を全て捨て去り、みほを再び戦車道に引っ張り込んだことは事実。

それは、ケイでは出来なかったことだ。
みほがサンダースに来ていたとしても、嫌がっている人間相手に戦車道の話を振ることすらしようと思わなかっただろう。

“いいヤツ”なのではない。それが“普通”なのだ。

ケイだけではない。
カチューシャだってそうだろう。
ダージリンだってきっとそうだ。
大学選抜相手に大車輪の活躍を見せたミカだって、勿論アンチョビだってそう。

彼女達は選んだ道こそ違えど、選び方は皆同じ。

『自分の信ずる、自分の歩みたい道を征く』

そんな、悪く言えば簡単で楽な選び方をしているのだ。
非凡な道に見えるのは、人より少しばかりやりたいことを実現するだけの力があったというだけのこと。
道を歩く姿に、おかしな点などどこにもない。

(そう、なのね……)

目的のために非情とも取れる判断を下し、己の心を殺し続ける。
杏以外では、そんなことが出来るのはかの西住まほくらいなものだろう。

しかしその『非情さ』は、幼少期から西住流後継者としてゆっくりじっくり教育されて作り上げられたものにすぎない。

時間をかけ、段階を踏めば、誰だって嫌なことを出来るようになっていく。
つまらなく、外道で、胸糞悪くて、最低で、腹立たしいことだって、心を殺してやれるようになる。
大義名分を掲げ、飲み込み難い現実をゆっくりゆっくり噛み砕いて飲み込んでいく。
まったく腹立たしい話だが、そんなクソのような行為を、やがてはしなくてはならない。

きっとそれが、『オトナになる』ということなのだろう。

よく校内で耳にしていた、爆音で流れるロックンロール。
その中で否定されるオトナは、概ねそういうものだった。
そのくらい、あの姿は、よくあるオトナのソレなのだろう。

「…………」

だが、そうだとしても、だ。
今の状況でソレをやるのは、オトナでも難しいのではないだろうか。
飲み込み難い現実は、喉を通らず吐き出される。
そして、益がないと理解しつつも、泣き喚いて不平不満をのたまうことしかできない。
きっとオトナでもそうなるのではないだろうか。

そのくらい今の状況は過酷であり、平然と理不尽を飲み込みきった目の前の少女は異常だった。

「お前……お前、何やってるんだよォ!」

人を一人、それも見知った顔を殺しておいて、平然と笑顔を作れる。
そんな化物を前にした“普通の人間”が取れる行動など、決まっている。
自分のように恐れ慄き口を閉ざすか、混乱する思考に舌を乗っ取られ損得勘定も出来ずに口を開いてしまうかだ。

「必要だった。だから殺した」

淡々と、そう、淡々と告げられる。
多少声が震えているのが分かったが、しかしそれは杏の『正常さ』には決して繋がらない。
むしろ、杏の『異常さ』が際立つだけだ。

「分かってないなら教えとくけどさ、もう、犠牲ゼロなんて無理な所に来ちゃったんだよ」

残酷な正論を導き出し、無慈悲な未来を選択する。
いっそ心が壊れています、と言われた方が納得だ。
なのに杏は、摩耗しながらも心を壊さず、躊躇なく選び取った。

――私とは、違う。

頬を一筋の汗が伝う。
違う? 違うって、一体何が?
格か? 覚悟か? それとももっと根本的に、生物としての何かか?

「確……かに、もう、そうかもしれないけど! でも、何も殺すことないじゃないか!」

二人の会話に割って入ることが出来ない。
使える人間に取り入って、手段を選ばず立ち回ろうと決めたのに。
どちらかに肩入れし、信頼を得る絶好の機会だと言うのに、何も言葉が出てこない。

「……あのさ、じゃあ逆に聞くんだけど」

喉が貼り付く。呼吸をするのも忘れそうだ。
小さく聞こえるカチカチという音は、自分の顎が小さく震えているからだろう。

「生かしておく理由、あった?」

ぶわり、と全身の穴という穴から汗が吹き上がる。
総毛立つというのは、こういうことを言うのかもしれない。
杏の目を見るのが恐ろしくて、思わずそらした視線の先、胸に穴を開けたカチューシャと目が合った。

「………………っ!」

ごぼごぼと口から溢れた血液と、どろりと濁り虚空を見つめている眼。
ひと目見て分かる、もうカチューシャは助からないという事実。
いや、多分、あの痙攣も単なる生体反応で、とっくに死んでいるのだろう。

「相手はあのブリザードのノンナ。伝え聞く話だけでも、かなり強いってことが分かる」

カチューシャの骸から目が離せない。
眼前で繰り広げられている二人の口論なんて、鼓膜を震わせるだけで、ちっとも頭に入らなかった。

「倒すなら、不意をつくしかないだろうね。不死身のバケモンってわけではないだろうし、それなら勝ち目がある」

少なくとも、杏と同じことを、自分もしたはずだった。
冷静に計算し、やらねばらなぬと判断し、そして見知った顔をその手にかけた。
杏とは、何も変わらないはずだ。

「そうなると、こちらから先手を取ることになるわけだけど、そんなこと、カチューシャが許すと思う?」

なのに何故、こんなにも恐ろしいのだろう。
自分の行いを客観視させられたからだろうか。
それとも、異様に安らかだった赤星小梅の死に顔と違う、“志半ばで殺された顔”を初めて見てしまったからだろうか。

「大体さ、ちょびだって、カチューシャとは意見が合わなかったじゃん。酷いことだって言われたよね」

まぁ、いずれにせよ、要するに――ケイには向いてなかったのだ、本質的に。
杏のようにならねば生き残れないと分かりつつも、杏にはなれなかった。
ジョークのセンスは似通っていても、もっと根っこにある部分が、決定的に違ったのだ。

「それ、でも……生きててほしいだろっ……」

勢いで人を殺し、うだうだと考えて、ここに来てようやく決意を固められそうだった。
それを一瞬でやってのけた怪物を前に、自分はどうすべきなのか。
迫り上がってくる胃液を無理矢理押さえ込み、停止していた脳みそを強制的に再起動する。

「私はっ……お前にも、カチューシャにも、生きててほしかったんだよ! 友達だろォ!」

己の弱さから目をそらせたら、幸せだったかもしれない。
しかし、そうもいかないだろう。
戦うと決めたのだ。そのことだけは、もう引っくり返しようがない。
敵うはずのない怪物を見たからと、今更膝をついてコドモのように泣きじゃくるだけでいいはずないのだ。

「生かす理由!? 殺さない理由!? 友達だからだ! それだけでいいじゃないかよォ!」

正直に言って、角谷杏は強い。強すぎる。
この場であの選択を出来る者なんて、数えるほどしかいないだろう。
取り入る価値のある、有数の猛者だ。

「……お前はいいヤツだよ、ちょび」

だからこそ――彼女の手を取るわけにはいかない。

「だけど悪いね、私はその信念に、殉じてやることができない」

カチューシャと比べれば、自分の好感度は杏の中で高いだろうと思う。
だがそれでも、大洗の面々やアンチョビとは比べるまでもないだろう。

『杏にとって、ケイは、それほど優先すべき存在ではない』

最善手のために冷酷な判断を下し、手を汚せる人間の中で、優先度が低いという事実。
他者に向かえば頼りになる矛先が、こちらに向く可能性は高いだろう。

ましてや自分は、人殺しだ。
心底脱出を目指していたって切り捨てられかねないのに、優勝を目指す身で取り入るにはリスキーすぎる。

それこそ、西住みほと遭遇し、真実を話されようものなら、問答無用で撃たれるだろう。
推定無罪なんてものはない。ここはそういう場所だ。

「消えてくれ、ちょび。悪いけど、もうここは戦場になる」

ノンナが殺し合いに乗った。
確固たる証拠すらないその事実により、カチューシャは殺されたのだ。
出来ることなら円満に、この場を抜け出さねばならない。

「殺したくはないんだよね。私、ちょびのこと好きだし」

そう言いながらも、杏は銃口をアンチョビに向ける。
言葉を続けようとしたアンチョビが、ビクリと震えるのが分かった。

「優勝目指すわけでもないし、チームを解散するつもりもないんだけどさ」

銃口を前に、アンチョビの瞳に恐怖が宿る。
何かを言おうとしていたらしく半開きの唇から、カチカチと歯が打ち付けられる音が聞こえてきた。

「だけどノンナはここで殺す。これは規定事項なんだよね」

冗談めかした口調から一点、底冷えするほど冷たい口ぶり。
この状況で冗談めかしていたときも不気味ではあったが、今はそんな比ではない。

「だから――邪魔になるなら、カチューシャみたいに黙ってもらうことになるよ」

銃口を向け、それを“やれる”という確かな実績を携え、冷たい口調で脅しているのだ。
怯えるなという方が無茶だろう。

「今の私のやり方に文句があるなら、後でで聞くよ。終わってからね」

終わってから、というのは、ノンナを殺害してからということだろう。
要するに、責められてもいいが、しかしカチューシャノンナを殺す方針を変える気などないということだ。

「こっちとしても、そろそろ襲撃に備えないといけないし」

もう止めるのは無理だろう。
それを理解させるには銃口だけで十分だが、杏は更にダメ押しを加えた。

「それとも、一緒に戦ってくれるのかな?」

優しく、しかしながらモノでも扱うように、足を使ってカチューシャの亡骸を小突く。
胸に乗っていた腕が、力なく地面へと落ちた。
完全に、事切れている。

「う、うう……」

顔をしわくちゃに歪め、アンチョビが俯く。
まるで廊下で叱られている小学生のように、声を押し殺して泣いていた。
悲しいのと、怖いのと――それと、悔しいのとが、ないまぜになっているのだろう。

「……アンジー」

アンチョビに対し、杏は言葉を続けなかった。
分かっているのだろう、アンチョビが共にノンナを殺すなんて道、選ばないということを。
だから、二人の会話はこれで終わりだ。自分が割り込むならば、今をおいて他にない。

「悪いんだけど、私も……」

もう、多少強引であろうと、ここを離れるしかない。
いつ切り捨ててくるか分からぬメンタルモンスターと、ノンナというフィジカルモンスター。
それに挟まれて戦うだなんて、絶対に御免だ。
開戦前に、さっさとずらからなくてはならない。

「……ま、いいけど」

身震い。
向けられた瞳に宿る色は、アンチョビに向けられていたときと異なっている。
手に入らない綺麗なものを見つめるときのそれとは違う、興味のない路傍の石でも眺めるような冷たい視線。
やはり離脱こそが正解だ、と思わせるには十分だった。

もう杏と手を取り合うことは無理だろう。
少なくとも、ケイの方が、杏を信じることができない。

「行きましょう、アンチョビ」

余計な言葉は言わない。
アンチョビの手を取り、早足に歩く。
杏との射線に、アンチョビが入るように心がけながら。

(アンジーは危険。ノンナと潰し合ってくれる方が助かる)

こちらが抱いた不信感も、とうに見抜かれただろう。
当然だ、隠すことを放棄したのだから。

殺し合いに乗っていなくとも、あの場面なら大半の者が杏に忌避感を抱く。
それはアンチョビを見ても明らかだ。

ならば、無理に演技して取り繕う必要はない。
ボロが出る危険を犯して迎合するより、素直に嫌悪感を出し立ち去る方がいいだろう。
どう転んでも撃たれるリスクがあるのだから、反対することで即射殺される可能性には目を瞑った

結果として、アンチョビと二人戦列を離れられたのだ。
選んだ方針は正解だったと言えるだろう。

「……グッドラック、アンジー」

黙って去ることが出来なかったのは、やましい気持ちをひた隠すためか。
兎に角、杏と関わり合いになりたくないケイとしては、杏にある言葉を言わせるのだけは避けたかった。

それはズバリ、集合場所。

杏は、アンチョビと後ほど合流するつもりかもしれない。
その合流場所を聞いてしまったが最後、そこに行くか、知っていたのに行かなかった者となるかの二択である。
出来ればこのまま『敵ではないが、ついていけなかった』程度の距離感を維持していたい。

そして幸いにもその願いは叶った。
杏も、動揺していたのかもしれない。
或いは、もう、アンチョビとは共にいられないと思ったのかもしれなかった。

とにかく――ケイは、命をチップにした杏の仕切る鉄火場から逃げ遂せた。
病院から離れるべく、アンチョビの手を取り、早足に移動する。

(問題は、今後アンチョビをどうするかね……)

握った手から、未だ震えが伝わってくる。
顔色も悪い。表情は今にも泣きそうだ。

(心が折れてるのかしら。無理もないわね)

目の前で起きた出来事への衝撃と混乱。
ぐるぐると迷走していた思考は、勢いを伴い口から飛び出た。
その勢いに無意識で乗っかり、先程は杏に言葉を投げ続けていた。

だが、その杏に銃口を向けられたことで、勢いは死んでしまった。
むしろ、今度は恐怖が津波のように押し寄せてきている。

頭で考えず、心で考える。
そんなアンチョビだからこそ、一度恐怖を覚えたら、なかなか抜けられないかもしれない。

(折れたままなら、それで良し。主導権を握って、利用し尽くす)

芯の折れたアンチョビは、はっきり言って怖くない。
自信も喪失してくれていれば、それなりの理を用意するだけで素直に従ってくれそうだ。

弾除けには申し分ないし、お人好しのアンチョビと居れば、殺し合いに乗っていないと信用してもらいやすいだろう。
もっとも、すでに二人となっていた場合、既存チームに取り入るのは難しいかもしれないが、そこは放送によるチーム情報を聞いてから判断しても遅くはない。

いずれにせよ、アンチョビの心が折れているのなら、一旦手の内に置いておきたかった。

(でも、もし、まだ折れていないようなら……)

仮に、アンチョビが立ち直るとしたら。
その時は、リスクがリターンを大幅に上回ってくる。

何せ、立ち上がれたアンチョビなら、杏と真っ向からぶつかって止めようとしかねない。
それは最も避けたいところだ。

杏には極力関わらず、淡々と邪魔になる者を処理してもらうのがベスト。
そして最後はキャパシティをオーバーし、どこかで命を落としておいてもらいたい。
あの感じだと、杏は己の身の安全は二の次と考えている。
放っておけば、いずれ死んではくれるだろう。

(ここから立ち上がるようなら)

そもそも、先程のイベントを踏まえた上で立ち上がれたアンチョビは、杏のことを抜きにしても厄介がすぎる。
というのも、その圧倒的なカリスマ性と人の良さは、この場においてかなりのアドバンテージとなるのだ。

勿論ケイとて他人に好かれるタイプではあるが、それでも裏表があり、多少恐れられていることを知っている。

だがアンチョビにはそれがない。
とにかく裏表がなく、故にこの場面ではとにかく信用しやすいのだ。
その点では、最も西住みほに近い存在と言えるだろう。

(そうなったら――――)

それだけは、不味い。
みほ相手だろうと手段を選ばず取り入るべきだったというのは間違いではない。

だがそれは、“すべきだった”という過去形だ。
殲滅戦開始直後のフラットな状況ならば、それも通用しただろう。

だが今は、事情が違う。
すでに自分が殺し合いに乗ったことを、知っている者が居る。


あれほどのことがあったのだ、心が折れていてもおかしくない。
先程声が聞こえてきたが、無警戒に声を上げて襲われていておおかしくない。
そして亡骸となっており、間もなく始まるであろう放送で呼ばれたっておかしくない。

だが同時に、あそこから立ち上がって希望に向かって進んでいてもおかしくない。

そうなると、状況は最悪だ。
何せ、取り立てて狂信者というわけでもない普通の少女が、命を捨ててでも守ろうとした人徳の持ち主だ。
彼女を慕う後輩や同じ戦車の仲間も入れると、彼女のために死ねる者は大勢いるだろう。
瞬く間に大集団を結成していたとしても、何らおかしなことはない。

だが、その大集団に、ケイが入り込む余地はない。
そのチャンスを、自ら捨ててしまったのだ。

みほ一人なら、反省したと厚顔無恥にも取り入れたかもしれないが、今はもう事情が違う。
杏はみほを名指ししていた。
あの言葉にみほが乗るとは思わないが、杏がみほを探す可能性はあるだろう。

厚顔無恥に取り入った状態で、あの杏に会うことだけは、絶対に避けねばならない。
その場で殺されてもおかしくない。
声が聞こえたが、みほに取り入るのは無しだ。

そうなるともう全てを知るみほを殺すしかないのだが、大集団を結成されてしまうとそれも難しい。
数多の肉の盾により、誰より死から遠い場所で守られるのは目に見えている。

みほが健在ならば、ある程度利用できる集団に潜り込み、力を蓄えておく必要がある。
そして、ある程度信頼ができる殺し合いに乗った者とのチームに乗り換え、みほとの闘いに備える。
オトナになれなかった序盤の自分の甘さが、そうするより他ない事態を招いてしまった。

(貴女を殺すわ、アンチョビ)

なので、そうなると、立ち直ったアンチョビはとにかく邪魔な存在となる。
アンチョビに大集団を作られては、こちらとしても困るのだ。

優勝狙いの集団に乗り換えるのに支障をきたすし、人が増えれば増えるほど、みほから情報を聞いた者が混ざる可能性が上がる。

兎に角、まあ――いずれにせよ、殺さなくてはならないのだ。
みほが放送で呼ばれれば、利用し尽くし、適切なタイミングで。
みほが呼ばれていないとしても、アンチョビの心が折れていれば、やはり利用した後、適切なタイミングで。
みほが呼ばれず、アンチョビの心も折れていなければ、今すぐ、この場で。

「……ストップ、アンチョビ。放送が始まるわ」

ぷぅ、と一つ息を吐き、メモを取る準備をする。
みほの生死のみならず、聞くべき情報は沢山ある。
死者や禁止エリアは反映されるとのことだが、メモの準備をしておくに越したことはないだろう。

冷静に、手順を誤らず、勝ちに向かわねばならないほど、心理的には追い込まれている。
後味だの気持ちのいい勝利だのコドモじみたことを言った結果がこのザマだ。

ここからは――切り替える。
切り替えて、冷静なオトナの判断をくださねばならないのだ。
殺した命を無駄にせず、生きて帰るためにも。






 ☆  ★  ☆  ★  ☆






――――オトナになんか、ならなくていいのに。






 ☆  ★  ☆  ★  ☆






<フェイズみほ>


赤星小梅は、学園艦が好きだった。
黒森峰女学園そのものも愛していたし、戦車道にも愛着を持っていた。

だから、小梅の亡骸は、海が見える場所に埋葬することにした。
少々距離があることを思うと、逸見エリカは反対するのではないかと少し思ったが、
しかしながら、「そう」とだけ言うと、黙って小梅を担いでくれた。

「貴女と違って、逃げなかったのよね」

穴を掘りながら、エリカがぽつりと呟いた。
西住みほの心がチクリと痛んだが、しかし必要以上に落ち込むことはやめた。
エリカが唐突にそんなことを口にした意味を、理解することができたから。

「……あれだけの水難事故に遭えば、水がトラウマになってもよさそうなのに」
「……うん」

本当なら、あの事故が理由で転校していてもおかしくない。
周囲からの叱責や重圧が原因であったみほなんかよりも、よっぽど。

「赤星さん、戦車道、大好きだったから……」
「……黒森峰の戦車道が、よ」

ひょっとすると本人は、自分のことを弱いと思っているかもしれないけれど。
黒森峰の栄光に土をつけ、みほを救えなかったと、悔いているかもしれないけれど。

あんなことがあったのに、まだ戦車道に向き合い続けている小梅のことを、二人は強いと思っていた。
黒森峰女学園で、レギュラーの座にしがみつくことができていることを、二人は評価していた。

「……本当なら、こんな所じゃなくて、黒森峰の近くか、実家に埋めてやりたかったけど」

だから、エリカは、小梅が傍に居たとしても、きつく当たることはなかった。
黒森峰敗退の原因とはいえ、逃げなかった小梅のことを、必要以上には責めなかった。
きっちりと今年も戦力になるくらい己を鍛え上げていたことに、敬意だって抱いていた。

「……ごめんね、赤星さん」

だから、みほは、小梅のことを、とても尊敬していた。
自分は逃げ出した重圧に、ずっと立ち向かい続けたことを。
そして、彼女なりのペースでとはいえ、着実に成長し、前に進んでいることを。
決して歩みを止めなかった、その強さを。

「その上着はあげるわ。だから、まあ……化けて出てこないでよ」

土の中に横たえた小梅に、土をかけていく。
友人の体を埋める行為には、些か抵抗があった。

「……私は、ちょっとくらい、お化けとして会いに来てくれても、いいかな」

すっかり体が埋まり、残すところ顔だけとなった。
狙ってそうしたわけではない。
ただ、顔に土をかける行為を無意識に避け、こうなっただけにすぎない。

「……安らかに、眠らせてやりなさいよ」

すう、と大きく深呼吸して、それから意を決したように、エリカが顔へと土をかける。
それを見て、少し遅れて、みほも土をかけはじめた。

「……じゃあね」
「……ありがとう……」

最後は二人で、さらさらとゆっくり土をかけていった。
徐々に徐々に小梅の肌が隠れていき、そして完全に土へと埋まる。

赤星小梅の体は――こうして、故郷からも愛する学園艦からも遠い地で埋葬された。

野ざらしの亡骸と比べると、彼女は恵まれているかもしれない。
埋葬されただけでなく、二人の友人に見送ってもらえたのだから。

「…………」

埋葬が終わった後は、もう一度しっかりと話し合う。
その予定だった。

埋葬で少なからず体力を消費するであろうことを考慮し、
小休止を兼ねながら放送を聞き、そしてそれを踏まえて行動方針を固める。
そのつもりだった。

だが、しかし――そう簡単に切り替えられるほど、人の心は単純ではない。

何も言わず小梅の埋まった地面を見つめるみほは勿論、
エリカだって、今のみほの尻を叩こうなんてことは思えなかった。

きっと、放送になれば動かざるを得なくなるし、そのまま流れるように作戦会議になるだろう。

そんなことを考えながら、エリカもまた、小梅の埋まった地面をぼんやりと眺めていた。
しかし――――

『――聞こえる? カチューシャよ!』

“それ”は、放送が来るよりも早く、あまりにも唐突に始まった。

『偉大なるカチューシャが命じるわ! 全員、争いを止めて中央の病院に集まりなさい!』

反応が早かったのは、エリカ。
まだ少々呆け気味のみほと違い、顔つきが戦場でのソレになる。

『これは、命令よ! 無視したら許さない――』

取り出した地図で、現在地との距離を確認。
駆けつけられない距離ではない。

「許さないって、無視したらナニするってーのよ」

ハン、とわざとらしく鼻を鳴らす。
どう見ても、ここから先待っているのは“異常事態”の世界だ。
過剰なくらいに“いつも通り”に振る舞わねば、飛び込むことから逃げ出してしまいそうになる。

「それで、どうするのよ」

エリカがみほの目を見つめる。
みほの顔つきも、少々遅れて、キューポラの上と違わぬものへと切り替わった。

「……いきましょう」

それもこれも、カチューシャの演説のおかげだ。
カチューシャが、“いつも通り”で居てくれる。
だから二人も、“いつも通り”を演じようと奮い立てたのだ。

「走るわよ、ちゃんと着いてきなさいよ」

物陰目掛け、エリカが駆ける。
それから不格好なクリアリングをおこない、再び全力疾走。

身の安全を考えるなら、もっと慎重に移動するべきなのだろう。
だが、そんな冷静な判断を下せるほど、今の二人は心中穏やかじゃなかった。

――殲滅戦開始直後、慎重に考えようとし、思考の袋小路に迷い込み、そして手遅れになってしまった。

そんな思いが胸の内にあるからだろうか。
特にエリカは、みほと違い道を誤りすらしてしまった。
エリカは足に怒りを込めて地面を蹴り、訓練中でも見ない速度で駆け抜けていく。
その後ろを、みほが必死でついていく。

カチューシャさん?!」

普段の運動量の差もあり、エリカよりやや遅れてだが、みほが病院へと辿り着く。
それと同時に、大事な友人の名前を叫ぶ。

声を張り上げるのは、冷静に見て下策も下策。
だがそれでも、叫ばずに居られなかった。
もう、何もしないで諦めて、大切な友達が命を落とすのは御免であった。

『ミッ――』

ぱあん、と乾いた音が鳴った。
思わず足が止まる。

『えーノンナさんへノンナさんへ!カチューシャは預かった!さっさと来ないとどうなっても知らないよー!』

一体何が起きているのか、脳の処理が追いつかない。
ただ、ひとつ、わかること。

角谷杏が、カチューシャを、撃った。

それだけは、ほぼほぼ間違いないだろう。
勿論それが演技であり、名指しされたノンナに対する何らかの策である可能性は僅かながらある。

だが、何故だろう。
頭と心の奥底で、得体のしれない何かが、これは演技の類ではないと告げている。

「さあ、西住ちゃん!」

確かめねば。
そう思い一歩踏み出そうとした足が、再び止まる。

ノンナに続いての名指し。
一体、何を、言われるのだろう。

「戦車道、やろうか!」

それは、“いつも通り”の口調であった。
先程のエリカが、努めてそうしていたように。
呼びかけをしたカチューシャが、大丈夫だと言わんばかりにそうしていたように。

その言葉は、あまりにも“いつも通り”であり、それ故に得体の知れない不気味さがあった。

ぐん、と腕を引かれる。
どうやら思考と一緒に体も停止していたらしい。
エリカが手を引き、走り出した。

銃声の方向は、今しがた入ってきた入り口とは反対方向から聞こえてきた。
確認せざるを得ないと、エリカも思っているのだろう。
声を出さないよう目配せし、姿勢を低くしながらも、足早に別の出入り口を目指す。
どうやらみほが立ち尽くしている間に、院内の地図を確認するなど、行動をおこしてくれていたらしい。

やっぱり、エリカさんは、頼りになるな。

そう思った時だった。
エリカが急に立ち止まり、その背中にぶつかったのは。

「…………声、出さないでよ」

えっ、と思わず声が漏れる。
危険な人物が傍に居るのなら、声に出して警告などしないだろう。
では、一体、何があって、口から出てきた言葉だろうか。
立ち止まったエリカの背中越しに見える、開け放たれた扉の向こうに答えがあるのだろうか。

「あっちは私が見てくるから……」

エリカの声は、震えていた。
ゆっくりと、その背が動く。
その向こう、開け放たれた扉の奥に、横たわっている、もの――

「……アンタは、ここに居てあげなさい」

そう言って、エリカが駆け出す。
みほが悲鳴のような叫び声をあげたが、振り返ることも、咎めることもしなかった。

「沙織さん! 華さんっ!」

開け放たれていた扉の奥。
そこに、みほの大事な友人が、二人も転がっていたのだから。

「う、あ……」

鼻を突く、血とアンモニアと吐瀉物の臭い。
その発生源は明白。
大量の血を流している友人と、同じく胃液と尿を大量に撒き散らし倒れ伏した友人だ。

「どうして……」

胃液が迫り上がってくる。
奥歯を食いしばり、喉に再び流し込んだ。
ようやく再会出来た友人に、そんなものをぶちまけるわけにはいくまい。

『―――――――――――生徒諸君』

そして、唐突に、音声が流れる。
三方向から聞こえるそれが放送であると理解するのに、少々時間がかかった。
何せ、別段、それに意識を割かなかったから。

『次に、死者の発表をします。死者は計13名』

友人の亡骸を前に、脳内を思い出が駆け巡る。
聞こえてくる音声に割く脳のリソースなど、どこにもなかった。

『五十鈴華』

それでも、これには、嫌でも体が反応する。
ビクリ、と肩が跳ねる。
じわり、と視界が滲む。

分かっていた。
目の前に横たわる五十鈴華の状態を見るに、生きているわけがない。

分かっていたのに――それでもなお、涙を止められなかった。

『磯辺典子、近藤妙子』

次々と、よく知る名前が挙げられていく。
それぞれの顔がまず頭をよぎり、そして声と思い出と、次々に浮かんでくる。

あまりに辛くて、もう起きてこない友人の手を、ぎゅっと握る。
まだ温かい。
死んだなんて冗談だと、驚かせてごめんなさいと、起き上がって言ってほしかった。

『カエサル、山郷あゆみ』

――――握った手は、まだ暖かかった。

『園みどり子、後藤モヨ子』

もっと早くに駆けつけていれば、間に合ったかもしれない。
自分を責め、そして――

『カルパッチョ』

――稲妻が、落っこちた。

「沙織さんっ!」

カルパッチョには申し訳ないが、追悼ムービー上映会IN脳内は一時中断。
あの放送は、学校順に名前を呼んでいたようだった。
華の体がまだ温かいことを見るに、死んだ順番ではないだろう。
つまり、あの放送で呼ばれなかった沙織は――

「沙織さん、沙織さん! ああ、どうしよう……」

沙織を揺り起こそうとして――その手を引っ込めた。
全身酷く炎症している。
触ると不味いかもしれない。
とはいえ、放っておくのも不味いだろう。

「え、ええと、炎症の時は……!」

ある程度応急手当の知識はあるが、しかしこれはカバー範囲を大幅に越えている。
普通に戦車道をしていては決して負わないような傷だ。

だから、みほを責めることなど出来ないだろう。
みほの知る炎症は、冷やして対処するものだったのだから。
炎症を冷やそうとし、そして意識を取り戻させようとし、嘔吐に汚れた顔を綺麗にしてやろうとし、

――比較的冷えているペットボトルの水を、かけてしまったとしても。

沙織の全身を激痛が襲う。
濡れている方が危ないなどと分からぬみほの善意により、折角手放していた意識を取り戻してしまう。

「……っ!」

びくん、と痙攣。
のたうち回る元気など、とうに残されていない。
痛さと辛さに脱力しても、もはや漏れ出る液体すら無い。

そんな沙織の有様は、みほに動揺をもたらす。
どうしよう、どうしよう、どうすればいいの、助けて、教えて、お姉ちゃん――――

「み……り…………」

幸か不幸か、沙織の対処に終われ、敬愛する姉の名前が呼ばれたことは耳に入ってこなかった。
しかし、どれだけ耳を傾けても、沙織のボロボロの唇から漏れ出る言葉も、耳に入ってはくれない。

「どうしたの、沙織さん、沙織さん!」

変に触ると痛いかもしれない。
そう思って、沙織の手を握ってやることも出来ない。
一人ぼっちでいた自分の手を、あの日、沙織は取ってくれたというのに。

――そして、銃声が響いた。

「そうだ、エリカさん……」

あまりのショックに、頭から抜け落ちていた。
エリカなら、自分よりも応急手当の知識があるかもしれない。
西住まほに並び立とうと、あらゆる科目に真剣だったエリカなら。

とはいえ、沙織を置いていくわけにもいくまい。
問題なく場が収まり、怪我したカチューシャの手当を兼ねて来てくれれば――

そんな甘い考えを胸に抱きながら、窓辺に向かい、そっと外を覗いた。
何も見えない。誰も見えない。一体外は、どうなっているのだろう。

その時、スマートフォンのブザーが鳴った。
放送を途中からまるで聞いていなかったみほには知る由もない。

そして、ブザーが、もう一度鳴る。
それは、二つの命が奪われたことを知らせる通知音だった。







 ☆  ★  ☆  ★  ☆







――――オトナになんてなりたくない。






 ☆  ★  ☆  ★  ☆






<フェイズ・アンチョビ>


一体何処で間違えたのだろう。
一体、何処で。

『皆さんはやはりとても優秀だ。今、新たに一人の死亡を確認しました』

いや、それより、何を間違えたのだろう。
何も間違っていなかったはずだ。
私達は普通の女子高生で、皆友達で、誰も殺し合いだなんて望んでいない。
それは、疑いようのないことだ。そのはずなのだ。

『新たな死亡者はクラーラ……』

だというのに、何なんだ、これは。

『訂正しましょう、死者は計14名です』

十四。14。じゅう、よん。
なんだ、それは。それだけの命が奪われたというのか。
これだけの人数が同じ事件で命を落としたとなれば、全国紙がこぞって一面に取り上げる程の数だ。
それを、そんなことを、よく見知った、あいつらが?

『なお、うち、自殺者は1名。その他は全て他殺です』

不幸な事故でも天災でもない。
明確な殺意を持って、人が、人を、殺したのだ。
見知ったヤツが、見知ったヤツを、殺したのだ。


「なんで……」

思わず、声が漏れる。
狂っていた。何もかも。
みんな、友達だったじゃないか。
付き合いの深さに差はあれど、一緒に戦い同じ釜の飯を食った、仲間だったじゃないか。

――――あのさ、じゃあ逆に聞くんだけど。

耳元で、誰かが囁く。
心を砕くような言葉。
それを、とびきりの悪意を込めた声色で、実物よりも遥かにいやらしい顔で、脳みそに直接刻みつけてくる。

――――生かしておく理由、あった?

怖かった。恐ろしかった。涙が出た。
さも当然のように語られた、その言葉が。
それならいっそ、ずっとカチューシャを恨んでいたとか、恐怖にかられてやってしまっただとか言ってほしかった。
過剰に悪意を込められた幻聴の方が、納得などできなくても、まだ理解することが出来た。

「……予想よりも多いわね」

銃声が聞こえた時点で、多少の犠牲は覚悟をしていた。
それは、ケイだけではなく、アンチョビもだ。

そりゃあ勿論、上っ面だけの覚悟だったかもしれない。
言葉のうえでは「分かっている」と口にしても、心の底から覚悟が出来ていたわけではない。
同じ学校の友人が呼ばれることだって、あり得ると分かってはいても、真剣にその可能性とは向き合わなかった。
向き合うことが、できていなかった。

だけど――それでも、一応は、覚悟のようなものをしていたはずなのに。
そんな脆い防波堤など粉々に砕いて、感情の渦は荒れ狂いながら飛び出してしまう。



「……貴女の所の参謀は、残念だったわね」

おい、そんな言い方をするな。
アイツは、参謀なんて名前じゃない。カルパッチョだ。
本名は違うが、アイツは、アンツィオ高校の一員として、カルパッチョって名乗ることにしていたんだ。
大体、残念ってなんだよ。お前、畜生、そんな、簡単な一言で――――

「けど、あんまり悠長に追悼してもいられないわ」

言いたいことはよく分かるし、正しいと思う。
けれど、右耳から入った言葉は、ただ鼓膜を震わせるだけで、脳に刻まれることなく左の耳から抜けていく。
「もう、しっかりしてくださいドゥーチェ」なんて言葉が聞こえてくるようだった。

「結論から言うわね。私は病院に戻りたいと思う」

ケイの話を咀嚼しようとしているのに、頭の中をカルパッチョが埋め尽くいている。
その合間合間に、放送で呼ばれた他の者の笑顔も浮かんだ。
カルパッチョがサーブしたパスタを、皆が食べてた、あの、大学選抜戦のあとの、あの日の思い出が――――

「さっきの放送、華は残念だったけど、沙織はまだ生きてるわ」

ああ、クソ、まただ。
残念の一言に、胸がチリチリと痛む。

確かに残念だ。ああ、残念だよ。
あんないいヤツらが、こんな若さで死んじまったんだ、残念に決まってる。
だけど、だけどだ。そんな一言で、片付けるなよ。
人が、仲間が、友達が、死んだんだぞ。なのに、お前、なんだよ、それ。

「そしてアンジーもノンナもまだ生きている。交戦はこれから」

分かっている。分かっているんだ。
正しいのはケイ。理屈の上では、正しいのはケイ。
杏だってそうだ。納得できるかはともかく、筋は通っていた。

ノンナの性格上、さっきの呼びかけを無視するとは考えにくいし、多分沙織はトドメをさされず放置されている」

分かっている。間違っているのは、私だ。
コドモのように、ただ駄々をこねているのは、全部、私の方だ。

「沙織がすぐ動けるとも思えないし、今なら安全に合流できるわ」

だけど、どうしても受け入れられない。
だって、人が、死んでいるんだぞ。
なのになんで、そんな、盤面を眺める棋士のような感覚で、正しい理屈をこねられるんだ。
どうして、机の上に並べただけの理屈で、最適な道を選んで動けるんだよ、お前達は。

「あまりもたついてると、またノンナが現れるかもしれないし」

本当に、どうしちゃったんだよ。
お前は、もっと、あたたかみのある人間だったじゃないか。
理屈で塗り固めた正しいだけの冷たい言葉を、どうしてそんな淡々と口に出来るんだ。

「……聞いてるの、アンチョビ」

その声色に、心配するような素振りはない。
むしろ逆。冷たさが滲み出ている。
その言葉は、まるで品定めでもするかのようだ。

「……なんでだよ……」
「What?」

もう何度目になるだろう。
飲み込みきれない理不尽が、喉を通って吐き出されるのは。
そんなことをしたところで、なんにもならないってことくらい、散々痛感させられたのに。

「何でみんな……そんな風に割り切れるんだよ……」

ケイも、杏も、それに、カチューシャも。
どうして、そんな風に割り切れるんだ。
どうして、正しい理屈のために、優しい気持ちを捨てられるんだ。

「……割り切れてる人間なんていないわよ」

ケイの表情を見ることが出来ない。顔を上げることが出来ない。
情けなさと悔しさと悲しさと――様々な感情が混ざり合い、視界をじわりと滲ませる。

「それでも、『割り切れませんでした、おしまい』なんてわけにはいかないから、皆折り合いをつけてるだけ」

分かっている。分かっているよ。
正しい、正しいことだよそれは。
だけど、そんなの、納得なんて出来るわけがない。
どうして皆、折り合いなんてつけられるんだよ。

「……いいよな、お前は」

口から飛び出していた感情。
そこに混じって、ソレは出てきた。
決して口にしてはいけない、思うことすら許されないような言葉。

――いいよな、お前は。お前の所の連中は、誰も死んでいないもんな。

口にしかけた言葉のドス黒さに気付き、慌てて口元を抑える。
ぶわりと、全身から気持ちの悪い汗が吹き出した。
言葉の代わり胃液が飛び出してきそうだ。

「……何が言いたいの」

その声は、より一層冷たかった。
先程までの冷淡なそれとは違う、怒気を孕んだ言葉。

当然だ。今悪いのは、どう考えても自分だ。

謝らねばと、思う。
だけど言葉が出ない。
カタカタ震えることしか出来ない。
今の自分に、謝罪や言い訳をする権利なんてものはない。

「あ、わ、私……」

本心だったわけでも、そんなことが言いたかったわけでもない。
だが――それは口から出てしまった。
ほんの僅かな一欠片でも、そういう気持ちがあったからこそ、出てしまったのだ。

「う、ぁ……」

違う、の一言が、喉を通っていかない。
心のどこかに眠っていた自分の醜い想いを予期せず突きつけられ、ただでさえ崩れかけていた足元は完全に崩壊した。
人は空など飛べない。地面が崩れれば真っ逆さまに転げ落ちていくだけだ。

「……まあいいわ。率直に言うと腹は立ったけど、それを理由に手を切るつもりはないし」

どうやら今の失言で切り捨てられるということはなさそうだ。
だがしかし、本音を言えば、もういっそ打ち捨てていってほしかった。

「安心していいわよ。私はアンジーと違って貴女を見捨てたりしないから」

ボロボロに砕かれた自尊心に染み渡る、甘い言葉。
負い目もあって、疑うことなどできない。
嬉しいし、期待に答えないといけないとも思う。
それでも、沈んだ心は浮かび上がらない。

「……別に今すぐ前を向けとは言わないわ。ただ、一つだけ約束して頂戴」

か細い声で、うん、と呟く。
内容を聞いてはいないけど、肯定以外、出来るはずがない。
今の自分は、見捨てられないだけ御の字な存在であると、自覚してしまっている。

「私を裏切ることだけは、しないでね」
「…………ああ」

力の籠もらぬ弱々しい返事。
それでも、この肯定は本心だ。
心は砕けたし、酷いことも言ってしまったが、それでもやっぱり、友達を裏切りたくはない。
ケイのことだって、大事な友達だと思っている。

「それじゃあまずは沙織と合流して、それから貴女の所の副隊長と合流しましょう」
「ペパロニと……?」

予期せぬ言葉が飛び出して、思わず目を丸くした。
そんなアンチョビの間抜け面を見て、ケイも少し目を丸くした。
それから、ああ、なるほど、と呆れたように溜息を吐いた。

「さっきの放送、死者の発表の後で、チーム名を読み上げてたのよ。聞いてなかったの?」
「ご、ごめん……」

自然に謝罪の言葉が漏れた。
先程は謝ることすら出来なかったので、それを思うと幾分かマシな精神状態になったのだと思う。

「そこでペパロニを名乗る人物――まあ多分本人なんだけど。
 まあとにかく、メッセージと取れるチーム名が読み上げられたの。
 一緒にイギリス人がいるって言ってたけど、ダージリンか、アッサムあたりかしら。
 メッセージは暗号になっていて、合流を促すもの。
 おそらく聖グロの面々かアンチョビ、貴女にしか分からない暗号になってるわ」

死者のあまりの多さに、大切なもう一人の腹心からのメッセージを聞き漏らしていたらしい。
チーム名の読み上げでメッセージを伝えるなんて発想はなかったので、それも仕方のないことだろう。
というか、チーム名の読み上げがあることなど、正直とうに忘れていた。
何なら今でも「そんなのあったっけ」というような具合である。

多分ペパロニもそうだろう。
細かいルールを覚えていられるタチではないし、自力でこんな作戦を思いつくとも思えない。
本当に聖グロの誰か(申し訳ないが、ローズヒップである可能性だけは無いと思う)がそばにいて、指示をしてくれているのだろう。

「だからまずは沙織と合流して、それから会いにいこうと思うわ。
 聖グロの生徒じゃないのにイギリス人と言わせているケースの場合、そういうことしそうなの、うちのアリサくらいだし」

それはまあ、確かにそうかもしれない。
裏表のないケイに代わって、作戦を立てているのがアリサだ。
彼女ならば、自分の正体を誤魔化すくらい平気でするだろう。

「だからアンチョビ、向こうの居場所の解明はお願いするわ。
 まあ、謎解きが得意とは思ってないから急かしはしないけど、向こうが時間も指定してきてるからそれまでにはお願い」

そう言って、乱暴に殴り書きされたメモ紙を渡される。
決して綺麗ではないが、第三者でもギリギリ解読が出来る文字。
あの速度で長尺を喋られたにしては、きちんとしている方だろう。

渡されたメモ紙には、読み上げられたのであろうチーム名と人数、そしてソロの人間の名前が記されていた。
その中で、一文だけ、異質な長さのものがある。当然、自然とそこに目が行った。

『姐さん!ペパロニっスよ!15時にDのT型定規作戦っス!って言えって一緒にいるイギリスの偉い人が言ってましたよ! 2』

放送でチーム名を呼ばれることを見越して暗号を仕込むという、とてもペパロニが考えたとは思えない優れた作戦。
だが、何の躊躇いもなく名前を出してしまっているところは、アンチョビのよく知るペパロニだ。
それに何より、見覚えがある『T型定規作戦』の文字列。

間違いなくペパロニだ。
そして、これが暗号であるならば、これが指し示している集合場所は――――


「ああ、ああ……なるほど、これは……」
「もう分かったの?」

意外そうに、ケイが目を丸くする。
解読にはもっと時間がかかると思っていたのだろう。
これが普通の暗号クイズの類なら、きっともっと時間がかかったと思う。
いや、ひょっとすると、解けないままだったかもしれない。
だが、これは。

「ああ。分かる。分かるよ」

だがこれは、アンチョビのレベルに合わせて作られた暗号だ。
いや、ひょっとすると、暗号なんて上等なものじゃないかもしれない。
アンツィオで過ごしたあの日々を覚えていたら、すぐに分かる。

「……T型定規作戦は、水切りの作戦だ」

ある日ふと思いつきで言った無茶な作戦。
当然最初は水に沈んで。危ないから白紙に戻そうとして。
でもペパロニは、実現できたら強いからと事あるごとに挑戦して。
それを見たカルパッチョが、大分無茶だけど理論上イケるって根拠を引っ張ってきて。
その熱量に当てられて、なんだかイケそうだと思わされて。
それでも分厚い現実の壁と重力の壁を打ち破れずに何度も何度も水没して。
大学選抜チームと戦ったあの日、勢いで実行させてみたら、ようやく初めて成功して。

きっと、三人が揃っていて、皆の想いが乗っかったから成功した、そんな作戦だ。

忘れるわけがない。
それはきっと、あの忘れっぽいペパロニだって同じだ。
共に過ごしたあの日々は、忘れっぽい頭にだけではなく、きっと心にも刻み込まれている。

「Dエリアの水がある辺りだと思う」
「なるほど……回答者側のレベルに合わせた暗号なら、同行者はダージリンかしら。
 アッサムだと第三者にわからないよう、もっと難しくしてきそうだし。
 ペコは相手の意見を尊重しすぎてペパロニ主導になって、作戦自体がもっと雑になってそうだもの」

アンチョビはダージリンとはそこまで親しいわけではない(P40の一件を恨んでいるわけではない。ないのだが、うむ)
故にそこまで頭が回るイメージもなかったが、どうやら相手に合わせた柔軟な対応が出来るらしい。
やはり腐っても名門の隊長ということか。

「ま、行けば分かるわ。それよりまずは沙織ね。早く行きましょう」
「ああ……」

ペパロニは、聖グロの誰かと見事に手を取り合っている。
ちょっとヤンチャで短慮な所があるので心配していたが、どうやらこの残酷な舞台で上手くやれているようだ。
ましてや聖グロ生徒など、お高く止まっているとして苦手だっただろうに。
そんな相手と手を取り合っていることが、先輩として、とても嬉しい。

暗号を決めてくれたと思われる聖グロの誰かだってそうだ。
ペパロニとは大して交流もなかっただろう。
聖グロのお嬢様は、アンツィオのヤンチャ共と相性が決して良くはない。
まあ、浅い付き合いながら、ダージリンは結構ヤンチャでアホなところもあると思うが、それはそれとして、だ。
それでもペパロニと組んで、知恵を授けてくれた。感謝してもしきれない。

「……なぁ、ケイ」
「なぁに」

二人と比べると、自分はなんて情けないのだろう。
元々友人であるはずの杏とすら手を取り合うことができず、ケイにも酷いことを言ってしまった。
そして今、ケイにくっついているだけで、自分は何も出来ていない。
あの暗号は、チーム名を使うアイデアこそ聖グロの誰かのものだとしても、ペパロニが頭を捻って考えたものに違いないのに。
ペパロニはどこかで普段使わない頭を使い、苦手な相手と手を取り合っているというのに、自分は一体、何をやっているのだ。

「沙織と合流した後だけど――」

病院に向かい、移動を再開する。
急な傾斜の茂みの中を通り、少しでも安全性を確保して近づくルートを、ケイが先導していた。
だがしかし、すぐに足を止めることになる。

「――ペパロニと合流する前に、もう一度、杏の所に行きたい」

その言葉に、思わずケイは足を止めた。
それから、アンチョビへと向き直る。
表情を直視するのが怖くて、アンチョビは思わずケイの太腿へと視線を落としてしまった。

「何を言っているか分かっているの」
「…………ああ」

ぎゅう、と瞼を閉じる。
脳裏に映るのは、こんなことになる前の、楽しかった日々。
自分が不甲斐ないせいで、もう二度と会うことの出来ない聡明な片腕。
そして、自分と違い、きちんと前に向かって進めている、憎めない片腕。
その二人に挟まれて、苦労しながらも、笑顔が絶えなかった日々。

「多分――ノンナと、戦うことにもなるとは思う。だけど。だけどさ。戻らなくちゃいけないんだよ」

帰りたかった。あの日々に。
もう二度と帰れなくなってしまった、あの楽しかった日々に、帰りたかったのだ。

カルパッチョを欠いた以上、もう二度と、あの日々は戻ってこない。
そんなことは分かっている。だけど、それでも。

「私は――――ドゥーチェだから」

今ここで完全に折れてしまえば、あの毎日を汚してしまうような気がして。
完全には戻らないと分かっていても、それでも、あの毎日に戻りたいから。
完全には戻れなくても、あの日々の先に続いている未来に戻りたいから。
そのためには――行かなくちゃ、いけない。

「それに、それにさ」

意を決し、目を開く。
しっかりと、ケイの顔を見る。
予想通り、侮蔑の眼差しを向けられていた。

「杏は、友達なんだ」

甘っちょろい戯言を何度も叩きのめされた。
カチューシャもケイも、現実を見ている。
ただただ薄っぺらい夢を口にするだけの自分とは違う。
彼女達には、アンチョビを批判し、叩きのめす権利がある。

それでももう、目をそらさない。
しっかりと目を見つめ、震えそうな足が勝手に逃げ出さないように、ぐっと体に力を入れる。
歯がカチカチとなりそうになるが、それでも震える唇を動かして、
上手く言葉にできない想いを、伝えたい相手に真っ直ぐぶつける。

「このままノンナと殺し合いをさせるなんて、嫌だ」

ごちゃごちゃした頭の中身を乱雑に口にしても、好転することなんてなかった。
押し寄せる現実に、自分程度が思いつくことなんて、容易く流されてしまう。
それでも必死に抗おうとして、どんどん言葉は薄っぺらくなり、意志はすり減り、頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。

――バカだなぁ、姐さん。

頭の中でペパロニが笑う。
ペパロニらしからぬまともな行動をしているが、彼女は、こんな場所でもいつも通りシンプルに行動しているのだろうか。

――ドゥーチェのやりたいようにしたらいいんですよ。

頭の中でカルパッチョも笑う。
優しく聡明で、それでもアンツィオに染まっていた彼女は、どのように生き、そして亡くなったのだろうか。
分からない。分からないが、知りたいし、知らねばならない。
だから――立派なドゥーチェとして、会いにいってやらなくては。

――お前は、どーしたいんだ、ちょび?

今と同じく、ごちゃごちゃと考え込み、一歩も動けなくなったときに、声をかけてくれたヤツがいた。
そいつはどこか不敵で、格好良くて、でもちょっと何考えてるか分からなくて。
それでも、とても優しい、いいヤツだ。大切な、友達なんだ。

「ずっと悩んでたけどさ。やっぱり、答えなんて、一つなんだ」

あの時、杏と出会って、口にしたシンプルな解。
あれから色々あったけど、心の底にあった願いは、何も変わってはいない。

「皆一緒に、帰りたい」

その“皆”には、カルパッチョも、カチューシャも、西絹代も、他にも沢山の人が含まれていた。
だからとっくに願いは打ち砕かれていて、叶わないと思い知らされた。

でもだからって、その願いを捨てなきゃいけない理由にはならない。
その“皆”には、ペパロニも、杏も、ケイも、沙織も、それにノンナだって含まれている。
百点満点で願いが叶うことはもうないが、それでも、全て諦めてしまうには早すぎるだろう。
どう足掻いても七十点の終わりしか迎えられないとしても、それは三十点の終わりで妥協する理由にはならない。

「だから、ケイ、頼む。一緒に戻ってくれないか」

頭を下げるべきだろう。
それでも、今のケイから目をそむけてはいけない気がして、真っ直ぐに見上げたまま懇願する。

情けないと笑いたくば笑え。
自分一人でどうにか出来るわけがないと、とっくに理解しているのだ。
そして、頼ることは悪ではないと、教えてくれたヤツがいるのだ。

――私に出来ないことは、ソレが出来る人に任せる。頼る。丸投げする。

飄々としているくせに、水面下では誰よりも苦労をして、必要な時に必要な仲間に背中を預けることが出来る。
そんな女だと、知っていたはずなのに。
理解の及ばぬ殺人を前に動揺し、対話することを放棄してしまった。
殲滅戦の開始直後、どうしたらいいか分からず苦しんでいた時に、手を差し伸べてもらったのに。

――割り切れてる人間なんていないわよ。

ケイがそう言っていたように、杏だって、完全に割り切れているはずがないのだ。
誤った方法を選ぶべきだと判断してしまい、それでもソレを誰かにやらせることが出来なかった、優しいヤツなんだ。
自分なら出来ると、自分が手を汚すべきだと、きっと自分を追い込んでしまっていたのだ。
そんな思考の迷路に迷い込み、間違った答えに行き着いてしまった友達に、手を差し伸べてやることができなかった。

――それとも、一緒に戦ってくれるのかな?

どうしてあの時、嫌だと言えなかったのだろう。
お前を止めると、言ってやれなかったのだろう。
どうして、殺し合いではなく、止めるための戦いを共にすると言えなかったのだろう。
一緒に謝ってあげることも、一緒に罪の呵責を背負ってあげることも、自分には出来たはずなのに。

どうして、友達である杏を、あの時ひとりぼっちにしてしまったのだろう。
「……嫌だって言ったら?」
「……無理強いは出来ない」

嫌がる相手を無理矢理自分の道に巻き込む。
杏には出来て、自分には出来ないことの一つだ。

そう、杏には、出来ることだ。
だけどさっきは、銃で脅すことも出来たのに、ソレをしなかった。消えてくれと言うだけだった。
一人で背負いこみ、一人で堕ちていこうとしていたのだ。
どうしてそれに、あの場で気付いてあげることができなかったのか。

――うーわ何、そんなこと悩んでたの。真面目だねー。

杏なら、そう言って笑うかもしれない。
悔やんでも悔やみきれないが、取り戻せないわけではないのだ。
ならば、うだうだと考え込まないで、自分にできることをする。
ノリと勢いと、そして分け隔てない友好が、アンツィオの売りだ。

「その場合、私はもう引き返すから、沙織を頼む。沙織だって、このまま放っておくことはできない」

沙織を死なせるわけにもいかない。死なせたくない。
きっとそれは、杏も願っていることだろうから。

それに、ケイだって、死なせたくない。
裏切らないと誓ったし、何よりケイはいいヤツだ。
思わず酷いことを言ってしまったのに、心を救ってくれた。
感謝してもしきれないし、危険な目にあわせたいわけではない。
もちろん、頼りになるので、一緒に来てくれればこれほど嬉しいことはないが。

「勝手でごめん。でも、私は戻りたいんだ」

だから、無理強いをするのでなく、お願いをする。
嫌なことをしてくれなんて言わないから。
自分の道を行く途中で、少しでもいい、力を貸してくれないか、と。

それが、杏とは違う、アンチョビのやり方だ。

「分かっていると思うけど、あの二人、確実に相手を殺すつもりでいるわよ
 本当に、あの二人の戦いを止められると思うの?」

ケイに投げられた言葉は、言われずとも頭に浮かび続けていた。
そして、何度考えても導き出される答えが『NO』で、足を止めてしまっていたのだ。
けれど。

「わからない。だけど――出来る出来ないじゃなくて、やりたいんだ」

出来る出来ないで迷って足を止めてた時に、杏が教えてくれたから。
だから、心に素直に従う。

――大事なのは自分に出来ることにベストを尽くし、あとは仲間を信じることってね。

今のアンチョビにとって、その“仲間”には、杏とノンナも含まれる。
二人共、杏がかつて口にした、『汚れ仕事を引き受けたりケツを拭いてあげること』をしているだけに過ぎない。
理解の出来ないクリーチャーになったわけじゃない。
行き過ぎた友達を止めてあげられるのは、きっと、友達だけなんだ。

杏やノンナに、自分程度の想いが届くか分からないけど。
それでも、「無理かもしれない」程度で諦めてしまうなんて、らしくない。

「……オトナになった方がいいわ」

大きく溜息をついて、ケイが見下ろしてくる。
だが、怯まない。怯んでたまるか。
今から自分は、認めたくない歪んだ正論を理由に人を殺めた友達を止めにいくのだ。
こんな所で、仲間を相手に屈している暇なんてない。

「アンジーも言ってたでしょ。もうとっくに、全員で帰るなんて夢からは覚める時間が来てるのよ」

分かっている。現実として、皆で手を取り合うなんてこと、最早夢のまた夢だろう。
たまたまケイに許されはしたが、自分だって、思わずケイに酷いことを言ってしまった。
心を摩耗し、狂ってしまってもおかしくないのがこの殲滅戦だ。
だが――それがどうした。

「その目……さっきまで心が折れちゃってたのに、突然ヒーローにでもなったつもり?」

現実だとか正論だとか、そんなこと関係ない。
私が嫌だと言っている。

「なったつもりじゃない。なりたいだけだ」

もし、完全無欠のハッピーエンドを諦めるのがオトナになることならば。
もし、心を殺して現実とやらに屈して流され続けるのがオトナだというならば。
もし、自分の安全のために、友達を見殺しにすることがオトナになるのに必要だと言うのならば。

「私はドゥーチェ・アンチョビだ!
 皆で一緒に生きて帰って、絶対に干し芋パスタを食べるんだ!」


――――オトナになんて、なるもんか。


「……その結果、死ぬことになっても?」

嫌に決まっている。死んでしまっては全てが終わりだ。
今だって怖くて震えそうだし、死ににいくつもりは無い。

だから、これは、勢いで口にしてしまっただけかもしれない。
だが、本当は、ずっと口にしなくちゃいけなかった言葉だ。

「死ぬつもりはないけど、でも――皆で生きて帰るためなら、命だって張ってやるッ」

それは、一種の決意表明。
自分にだって出来る、でも怖くて出来ることとして勘定しなかったこと。
夢のために、命を賭ける覚悟。
杏やノンナが他者の命を賭けてでもやるというのなら、私は自分の命を賭けてやる。

「危ないことは嫌いだし怖いよ。だけど、自分が危ない目に遭うより、友達が危ない方が、もっと嫌だ」

現実も、保証も、安全も、何もいらない。
胸の奥でピカピカ光り続けている、幼く拙い輝き。
それを手放してしまえば、きっともう、あの大好きだった日々に戻る資格がなくなってしまう。
綺麗事で溢れたネバーランドのような日々に戻りたいし、あの日々を嘘にしたくはない。
押し付けられた醜い現実なんかに、あの日々を塗りつぶされてたまるか。


「そう――ちょっとの間で、完全に立ち直ったのね」

ふう、と溜息を吐いて、やれやれと言わんばかりにケイが肩を竦めた。
分かってくれたのかと、思わず頬が緩んでしまう。

「やっぱりいいヤツだし強いのね。少し憧れるわ」

そ、そうかな――なんて言おうとして、しかし言葉は飲み込まれた。
どこか残念そうな顔を浮かべ、ケイがS&W M500の銃口を、こちらに向けていたので。

「だから、とても残念」

そして引き金に指がかかる。

「さようなら、アンチョビ」

銃声が、響いた。






 ☆  ★  ☆  ★  ☆






オトナになんてなるもんか――――それはおかしなことですか?






【残り 23人】




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044:取り戻せ――(日常を友人を尊厳を隊長を命を大切さを大洗を誇りを、戦車道を) 福田 050:アイワナビー
044:取り戻せ――(日常を友人を尊厳を隊長を命を大切さを大洗を誇りを、戦車道を) 角谷杏 050:アイワナビー
044:取り戻せ――(日常を友人を尊厳を隊長を命を大切さを大洗を誇りを、戦車道を) アンチョビ 050:アイワナビー
044:取り戻せ――(日常を友人を尊厳を隊長を命を大切さを大洗を誇りを、戦車道を) 武部沙織 050:アイワナビー
044:取り戻せ――(日常を友人を尊厳を隊長を命を大切さを大洗を誇りを、戦車道を) ケイ 050:アイワナビー
044:取り戻せ――(日常を友人を尊厳を隊長を命を大切さを大洗を誇りを、戦車道を) ノンナ 050:アイワナビー
044:取り戻せ――(日常を友人を尊厳を隊長を命を大切さを大洗を誇りを、戦車道を) 逸見エリカ 050:アイワナビー
044:取り戻せ――(日常を友人を尊厳を隊長を命を大切さを大洗を誇りを、戦車道を) 西住みほ 050:アイワナビー

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最終更新:2023年06月03日 17:10