無口な歌声 ◆Ok1sMSayUQ
「くそ、悪夢のクルージングから今度は絶海の孤島か……」
香月恭介は毒づきながら、学校にある理科室に篭って作業をしていた。
目的は勿論身を守るための武器の作成であり、恐らく自分達と一緒にここに連れてこられているであろう、
殺人鬼に対抗するための手立てを増やすためでもあった。
ブリッジの船員を殺し尽くした人間。岸田洋一がもっとも疑わしい、と恭介は睨んでいた。
断言できないのは証拠が不十分であり、かつ自身の記憶が曖昧であるためだった。
いつ連れてこられたのか? 周囲には船影もなかったのに、どのようにして連れ去ってきたのか?
潜んでいた誰かの仕業なのか? 殺人鬼とは共謀していたのか? だとしたらどうやって全員を眠らせた? 疑問は尽きなかったが、ひとつの事実がある。
ここに連れてきたのは、人に殺人をさせて楽しむようなクズ野郎だということだ。
とにかく友達を……バジリスク号に乗船していた人間達を救出する必要があった。
折原明乃。片桐恵。早間友則。綾之部姉妹。自身の妹であるちはや。
以上が合流すべき人間のリストだ。
折原志乃を除いたのは、既に志乃ならば同じ行動を取っているであろうと想像できたし、心配する必要はないだろうと思ったからだった。
岸田洋一を省いたのは……疑いをかけているからだった。
確実に、奴がブリッジの船員を殺したと決まったわけではない。全ては恭介自身の憶測に過ぎない。
ただ、まるで図っていたかのようにバジリスク号に救助された岸田と、
大学の研究員をしているにしては乗っていた船の設備が研究用とは思えなかったこと、
そして何より、長髪に隠された瞳の奥の、獰猛な肉食獣のような色が忘れられないせいもあった。
綾之部珠美も本能的に忌避をしていた。馬鹿で珍発明ばかりしている珠美だが、そのセンスと勘は確かだ。
彼女が嫌な予感を覚えていたことも事実だった。
そうして恭介はまず、学校へと足を運んだ。闇雲に島を走り回っても見つけられるはずがない。
地図に縮尺はなく、一マスあたりの広ささえ分からないのだ。この島は大きいのか、小さいのか。
まずはそこを調べないことには話にならない。
季候は温暖で、日本に良く似ていたが、それだけで日本近海とは限らない。
この島がどこにあるのかということも調べておきたかった。
そこでまず、手近にあり、かつ様々な情報がありそうな学校に潜入することにしたのだ。
廃校ではないらしく、つい先日までそこに人がいたかのような風景だった。
人が一人としていないことを除いては。
誰もいないだけでこうも物寂しい風景になるのかと感想を抱きながら、恭介は学校の受付に入った。
そこで地図を漁ったり、電話帳を調べようとしてみたのだが、どちらも見つからず仕舞い。
入校管理の書類であるとか、島内にある施設への連絡先は見つかったものの、島の外となると一切の情報がなくなっていたのだ。
あの翼の男の仕業だろうか、と恭介は思った。電話は当然使えないか試してみたのだが、当然の如くつながらない。
部屋の電気はついていることから、電波を送れないようにしているか、或いは回線を切られていると見て間違いない。
当然だった。外に関する情報を持たれれば、俄然脱出の可能性は高くなるからだ。
地図も同様なのだろう。結局のところ、情報は手持ちの地図に頼るしかない。
そこで今度は武器の作成に奔走することにしたのだ。
備えあれば憂いなし。この島に、バジリスク号にいた殺人鬼がいることは間違いない。
それに対抗するためには、武器はいくらあっても足りないのだ。
奪われてしまえばそれまで。それに殺人鬼は船員を多数殺害してのける実力者だ。
人に凶器を向けられるのかという不安はあったが、不安に押されるがまま、手ぶらでいるほど恭介は愚かではなかった。
(……それに、手持ちがこれじゃあな)
恭介の支給品はハリセンだった。パーティグッズで見られるような代物。しかも鼻眼鏡つきだった。
捨ててしまおうかとも思ったが、やめた。単に勿体無いからだと思ったからだった。
貧乏性なのかなと自嘲もしたが、紙製のハリセンはいざとなったら燃やせるだろうし、ものは使いようだ。
そう無理矢理納得させ、恭介は理科室――今現在恭介がいる場所――へとやってきたのだった。
(これをこうして……よし)
作成したのは火炎瓶。
正確には火炎ビーカーとも呼ぶべき代物だった。
構造は至って簡単。実験用のアルコールをビーカーに入れ、さらに燃えやすい天然繊維の布を差し入れ、着火点とする。
後はコルクを詰めて蓋をするだけ。火をつけて投げればあら不思議。ぶわっと燃える火炎瓶だ。
効果のほどは定かではないが、牽制球くらいにはなる。本当なら爆発物級のものを作成したかったのだが、素材が足りないのだ。
ガソリンや軽油があれば光明は見えたが、見つかるはずもなく。
とりあえずはこれで済ますことにしたのだった。
さらにお守りとして硫酸の詰まったビンを持ってゆく。
ご存知、硫酸はその強力な酸性で人の皮膚くらいなら焼け爛れさせることができる。
当てられるとは思えなかったが、何かしらの発射装置でもあれば期待が持てる。
そう、水鉄砲でも何でもいい。ホース状のものでもいいのだ。
随分危険な発想をしているな、と苦笑しながら、最後にマッチをポケットに。
ライターが理想だったが、生憎持っていなかったのだ。まあそれは後で補充すればいいだろう。
武器の調達はここまでだった。火炎瓶を三本。硫酸ビンを二本。詰めたのを確認して理科室から出る。
まずは友達と合流しなければならなかった。
男手は欲しい。少々恩着せがましいのが玉に瑕であるが、友則は必要だろう。
何かと察しがよく、気が利く恵とも早期に会っておきたいところだ。
いや、心配という意味だと明乃やちはやも優先度は高い。特に明乃はトロいから心配だった。
跳ね返りの強い可憐も別の意味で心配である。珠美も珠美で無鉄砲な部分があるから……
「あーもう、結局全員なんじゃねえか」
頭を掻く。優先順位などつけられようはずもなかった。
全員無事に助けたい。それが恭介の願いだった。
損な性分だな、と思ったものの、それでいいと思う自分もいた。
優先順位をつけるような人間は、冷たい人間でしかないだろうから。
階段まで移動し、いざ降りようと思ったところで、ふと恭介は風が吹き込んでいることに気付いた。
来たときには感じなかったものだった。見上げる。屋上への扉が、開いていた。
キィキィと小さな音を立てながら、少し錆び付いた扉が小さく開閉していたのだった。
誰かがいる。確信した恭介の喉がゴクリと鳴った。
けれども迂闊に飛び出すのは躊躇われた。そこにいるのは普通の人間ではないかもしれない。
見ず知らずの誰かならまだマシだ。あの殺人鬼かもしれないし、或いは、考えたくもないが、このゲームに『乗ってしまった』人間かもしれない。
出て行って、刺されでもしたらどうするのか。自分が死んでしまったら、誰が友人達を守るのか。
疑念が恭介の中を支配する。これは罠なのではないか。明らかな人の気配は、そういうことではないのか。
そうだ。本当に身を隠すならこんな無防備なことはしない。ならば狙いがある。気付いた人間を釣り上げるための餌なのではないのか。
武器を持たなくてはならない。殺されるわけにはいかない。ここで死んでしまったら、誰が――
火炎瓶を取り出そうとして、ふと恭介は自分が悪意でしか物事を見ていないことに気付いた。
洋上の殺人鬼という存在が、隔離された孤島という存在が、視野を狭めてしまっていた。
自分達以外は悪党。何か怪しいこと、不自然なことをしていれば、絶対に襲ってくるに違いない。そう決め付けて。
確かに、慎重にならなくてはならない。けれどもそれ以上に疑ってはならない。
不安は不安を呼び、疑念は疑念を招く。そうして伝播した疑心が自分のように視野を圧搾し、人を殺すのだ。
他人には冷たいけど、心を許した相手にとっては誰よりも頼りになる。
妹のちはやがかつて自分を評して言った言葉だった。
今の自分はしかし、冷たい目でしか物事を見ていない人間でしかなかった。
結局のところ、それは自分が嫌っていたような冷たい人間でしかない。
そうなってはならない。線引きははっきりとしてはいても、見捨ててはならない。
アンクル・パピィはどだい無理な話だが、それでも、今、存在が見えている人間から目を逸らしてはならない。
俺は、お前とは違う。お前なんかに支配されてたまるか。
自分を支配しかけていた、正体も分からない洋上の殺人鬼の姿を振り払い、恭介はメロディを口ずさみながら階段を上がった。
甲板で恵に聞かせた曲だった。歌詞も分からなければ、どこで聞いたのかすら覚えていない、拙いメロディ。
儚くて消え入りそうな存在。それでも大切に覚えている。
慈しみ、愛でるように、手のひらに包むように。
この気持ちを忘れないと誓うように、恭介は口ずさむ声を強くしながら、屋上の扉を開けた。
風が吹き込む。まだ日は高く、頭上で輝く太陽の光が恭介の目を灼いた。
眩しさに目を細める。今まで薄暗いところで作業をしていたからなのだろう。
腕をかざして日光を防ぎながら周囲を見回すと、人影はすぐに見つかった。
否、既にこちらを発見し、じっと視線を注いでいたのだった。
クリーム色の長袖ベストに、白いリボンのついたスカート。学校の制服だろう。
人影は女の子だった。長い黒髪を結い、所謂ツーテールにしている。ともすればぶりっ子とも見られがちな髪形であったのだが、
目の前の彼女は不思議とそんな気にはさせられなかった。逆に不安感を覚えさせるくらい、ゆらゆらと、たゆたうように、
彼女の背後でツーテールが風に吹かれて揺らめいていた。
注がれる視線は茫漠としていて、どこか覇気が感じられない。いや、生気がないと言った方が正しいのか。
今すぐにでもここから消えてしまいそうな、儚く、曖昧な存在感が彼女にはあった。
「……どなた?」
第一声は彼女の方からだった。見とれてしまっていたのか「あ、いや」と恭介は返す言葉を失ってしまっていた。
印象の方が先立っていたが、容姿も美人の部類に入る。細い顔立ちとスレンダーな体のバランスが均整で、美しく見えるのだ。
小首を傾げる彼女にたっぷり数秒考えこんでから、恭介は「屋上の扉が開いてた」と当たり障りのない返答をした。
「そう。閉め忘れたのね」
淡白に言葉を返す。まるでそれが些細なことであるかのように、彼女は言った。
風は強く吹いている。屋上だからなのか、この島の気候なのか。
とにかく、強風にでも煽られたりしては危ない。恭介自身はともかく、彼女は手すり付近にいるから尚更だった。
「でも、歌が聞こえた」
声をかけようとしたところに、彼女が重ねた。歌。先程のあのメロディだろう。聞こえていても何も不思議ではない。
風が吹き荒ぶ中で聞き取っていたのなら大したものだが。
「どんな曲なの?」
「いや、俺も詳しくは知らない。ただ体が覚えていただけで」
「そうなんだ……残念ね」
今度は本当に残念そうに、顔が俯いた。初めて感情を見せた瞬間だった。
音楽が好きなのだろうか。そんなことを考える。
「本当に綺麗なものに出会えたと思ったのに」
くるりと反転して、彼女の目が手すりの向こう側に向く。
大抵の学校には自殺防止用のネットが張られているものだが、ここにはそれがなかった。
単に設計の不備なのか、それともこれも翼の男の仕業なのか。
どちらにしてもいいものではないと考えた恭介に、女の子が言葉を続けた。
「綺麗な世界で、死ねると思ったのに」
思考が、止まった。
今、彼女は、何と言ったのだろう?
当たり前のように、何気ない挨拶を交わすように紡がれた言葉は何だったのだろう?
死ねる。確かにそう聞こえた。つまり、彼女は。
「……自殺する気か」
「否定はしないわ」
即答だった。その気にさえなれれば、いつだって彼女はここから飛び降りるだろう。
不完全なメロディーが彼女を留まらせた一方、不完全だからこそ自殺にまで至らなかった。
なんて、危うい存在なんだ。
儚いという印象は、脆いという印象に変わった。
茫漠としたあの視線は、この世に留まることを躊躇わない人間の目。
世界に絶望し、いつだって見捨てられる意識を持った人間の目だった。
近づいてはならない。瞬間的に怖気を感じた体が警告を発したが、だがここで背中を向ければ彼女はどうなる?
死に場所を探していたらしい彼女。綺麗な世界で死ねると語った彼女。
たまたま自分の歌が不完全だったから思い留まっただけで、きっかけ一つあれば何の躊躇もなく死へと踏み出すだろう。
幸いにして、ここには死が溢れているのだから。
なら放っておけばいいじゃないか、と線引きをはっきりさせてきた自分が言っていた。
自殺志願者なら、そのままにしておけばいい。死にたがっているのなら好きにさせておけばいい。
守るべき相手は他にいるじゃないか。そうだろ香月恭介。
そうなのかもしれない。所詮偶然で出会ったのに過ぎない、赤の他人だ。
多少の良心が痛むくらいで、別に何とも思わない。ああ、彼女は死んだのだな、そう思うくらいなのだろう。
「こんな島に、綺麗な場所なんてない」
冗談じゃない。
無責任になろうとしている自分に向かって、恭介は毒づいた。
死を追い求める彼女を嫌悪するばかりで、何もせず、怖気づいてしまっている自分が気に入らなかった。
救ってやろう、というわけではない。そんなおこがましい気分にはなれない。
ただ、面白半分に他者をあげつらい、その一方で都合の悪いことから目を逸らす人間になりたくなかった。
世界がそんな人間で溢れ、それが当たり前なのだと教えられたとしても、受け入れたくない。
それはあらゆることを鵜呑みにしてこなかった、自分の性分がそうさせているのか。
何でもいい。とにかく『分かったつもり』になっていい気になりたくもないだけだった。
「いや、こんな世界に綺麗な場所なんてない」
これこそ勝手な言い分を、恭介は彼女に突きつけた。
ケンカと言ってもいいかもしれない。自分を押し通そうとしている。
それでもこうでもしなければ、自分に収まりがつきそうもなかった。
曖昧な言葉で場を濁せるほど、今の恭介は冷静ではなかった。
洋上の殺人鬼に対して。世の中に無責任に対して。自分に対して。反発するには冷静ではいられなかった。
らしくもないと分かってはいても、間違えかけていた自分への不甲斐なさが熱情となっていたのだった。
恭介の機微を敏感に読み取ったらしい彼女が、こちらを向き、不快そうに眉根をひそめた。
そうだ、それでいい。俺に反発してみろ。
受け入れるなんて、クソ食らえだ。
「俺達の生きてるところは、そういうところだ」
「……まるで分かってるような口ぶりね」
今度は微かな怒りさえ含んだ口調だった。
だが言い切った後、彼女はばつが悪そうに視線を逸らした。
しまった、とでもいうように。
それは何に対してなのか。
恭介が考える必要はなかった。考えるのは彼女でいい。
今なすべきことは、手すりから引き剥がすことだ。
死へと続く片道切符の売り場から。
「そう思うか」
「……そう思うわ」
ここまで来てしまったら引くに引けないのだろう。
小声で、無駄だと分かりきっていながらもそう発していた。
「なら、俺と賭けをしないか」
「賭け?」
「お前の言う、綺麗な世界を見つけられたら俺の負け。そうじゃなかったらお前の勝ち。簡単なゲームさ」
「……」
「勝負の判定は、そうだな。分かるまで俺と一緒にいればいい」
挑戦的に、言葉を投げつける。
まさに仕上げの一言。
負けたわ、と彼女が溜息を吐き出した。
しばらくは死ねそうにもない。そう観念した顔だった。
けれども、僅かな微笑をも浮かべていた。なんて口の上手い男、と感心しているようだった。
なんだ、人間なんじゃないか。
その表情を眺めて、恭介はひとつ安堵の息をついていた。
危うい存在ではあったが、彼女は化け物や怪物などではない。
どこにでもいる、普通の女の子だった。
「分かったわ。あなたと一緒にいるようにする」
もう彼女からは、消え入りそうな雰囲気は感じられなかった。
それとも一時的にしろ、死を諦めてしまったからなのか。
どちらが彼女の本質なのだろう。ふとそんなことを思った。
「香月恭介。俺の名前だ」
「須磨寺雪緒。わたしの名前よ」
須磨寺雪緒と名乗った彼女は、既に手すりから手を離してこちらに握手を求めていた。
挨拶に握手を求めるなんて珍しい人間だ、と苦笑しながら、恭介はそれに応じた。
純粋なのかもしれない。そんな感慨を結んでいた。
「早速だけど移動させてもらうぞ。大丈夫か、須磨寺」
「待って。荷物があるから」
そういえば雪緒はデイパックを持っていない。
どこに置いていたのだろうと思っていると、
小走りに駆けて行った彼女が恭介の入ってきた扉の裏側にある手すりの付近からデイパックを持ってきていた。
なるほど、一応持ってきたというわけね。
「なにか可笑しい?」
「別に」
「……さっさと行きましょう、香月くん」
無表情に返したつもりだろうが、少しだけ機嫌を悪くした雰囲気があった。
頬も少々膨れていたかもしれない。流石にこれは気のせいだろうが。
くくっ、と忍び笑いを漏らしながら、恭介は雪緒に続いて屋上の扉をくぐった。
綺麗な世界との、別れだった。
【時間:1日目午後2時ごろ】
【場所:E-6 学校屋上】
香月恭介
【持ち物:
ハリセン+鼻メガネ、火炎瓶×3、硫酸ビン×2、マッチ、水・食料一日分】
【状況:健康】
須磨寺雪緒
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
最終更新:2011年09月03日 10:07