彼女たちの日常 ◆Sick/MS5Jw
それは、この殺戮の島には不似合いな、朗らかで和やかな空間だった。
市街地の一角にある児童公園。
うららかな午後の日差しに包まれたベンチに腰掛ける影は二つ。
普段なら子連れの主婦が噂話に花を咲かせていそうなベンチで談笑するのは、どちらも少女であった。
「―――なら、あんたもお仲間捜しとるっちゅうわけやね」
「ああ。早いとこGldemoの連中集めて安心させてやんないとな。ま、この際『戦線』の男連中でも
猫の手よりは役に立つだろうし」
「わかるわ。ウチらもこみパ仲間で守ったらなアカン子ら、おるしな。……子猿みたいなんも混じっとるけど」
うんうん、と頷く関西弁の少女は猪名川由宇。
子猿か、と相槌を打って笑った少女を、ひさ子という。
少年のような口調の似合う、さっぱりとした印象の少女であった。
「……にしてもなー。どないせえっちゅうねん、これ」
ひとしきり談笑を終えた頃。
由宇が苦笑混じりに懐から出したものを見て、ひさ子が眉を寄せる。
「……何かの、薬?」
幾重にも折り畳まれた、白い油紙。
中に何かを包んでいるようなそれは、確かに薬局での処方を連想させる。
「せや。何や聞いたことないけど、漢方みたいなん。スリテン……何やらいう解毒薬やって」
ひさ子の印象を肯定するように、由宇が頷いてみせる。
「万能らしいで、説明書によったら」
「へえ、すごいじゃないか」
感心したようなひさ子に、由宇が薬包をひらひらと振る。
しかし次の瞬間には、けどなー、と大袈裟に溜息をついていた。
「そんなんなー、毒飲んだー死ぬーいうとき、悠長にこんなん開けてられるかいな。
水ー水どこやー言うてるうちにくたばってまうわホンマ。何の役に立つねん」
「……そうかもしれないな」
身振り手振りを交えた由宇の言葉に、今度はひさ子が苦笑する番だった。
「もう少しわかりやすい、ドンパチやれるもんやったら助かっててんけどな。
それに比べて……」
薬包を持ったままお手上げ、のポーズをしてみせた由宇が、視線を落とす。
「あんたのそれは何や、ゴッツいなあ……」
目線の先にあるのは、ひどく禍々しい印象を見る者に与える代物だった。
それは、木製のバットである。
否、かつてバットであったと称するべきだろうか。
それが元来持つ、打撃力を追求した機能的なフォルムを嘲弄するように突き立った、無数の金属片。
規則的という言葉に唾するような、幅も、向きも、長さも太さもバラバラの、それは釘である。
あるものは折れ曲がり、あるものは捻くれたそれらには、しかし金槌で打ち付けるための頭が存在しない。
或いは打ち付けた後に頭だけを削り落としたものであろうか、突き出したその先端はどれも鋭く尖っている。
ひどく適当で、えらく手軽であるように見せかけた、悪意の塊。
人の肉を穿ち抉り、癒えぬ傷を与えるためだけに存在する、凶器。
釘バットという、それがひさ子に与えられた、支給品である。
「これな……」
自らの手に持った凶器を軽く握ると、ひさ子が重い溜息をつく。
「見た目より重いし、そのくせバッグに穴が空いちまうから仕舞うに仕舞えないし……。
結構扱いに困ってんだよ、あたしも」
「頼むで、そいつでツッコミなんか入れんといてや」
苦笑したひさ子に、由宇が軽口を叩く。
「そんなんですぱーんといかれたら、いっくら有馬の銀狐と呼ばれるウチでもひとたまりもないからなあ」
「ははは……」
「いや、はははーやのうて」
「……へ?」
「……今の、ツッコむところやで。ガルデモの血塗られたピック伝説はん」
「……」
「……」
沈黙が降りる。
そのまま、一秒、二秒。
三秒が過ぎる頃、ひさ子がぽんと膝を叩いて、
「―――って誰が血塗られとるねん!」
ぶうん、と。
『それ』を、振るった。
そこに、悪意はない。
無論、殺意もなかった。
ただ、彼女の日常には凶器が身近に過ぎ、
そしてまた、彼女の日常には、死に至らぬ致命傷が、多すぎた。
だから、それは。
彼女を、ひさ子を取り巻く日常が、再現された。
それはただ、それだけのことである。
軽い音がした。
軽い衝撃だった。
放物線を描いた眼鏡が地面に落ちて、歪んだフレームからレンズの欠片が砕けて散らばった。
「どつくでホンマ……ってもうどついてるけどね! あはは」
こめかみから上の皮膚と肉と髪と頭蓋と脳とをざっくりと喪失し、ゆっくりと傾いだ猪名川由宇の骸が
ベンチから崩れ落ちてべしゃりと濡れたような音を立てても、ひさ子は笑っている。
笑って立ち上がり、血糊と脂肪のまとわりついたバットを勢い良く振るって飛沫を散らし、
そうしてベンチに座りなおして空を見上げている。
「……」
緩やかに流れる雲を眺めるのに飽きて、支給されたバッグの中身を漁り、ペットボトルのキャップを開けて
水を一口ふくみ、口の中をゆすいだ水を、何となくそのまま吐き出して、ひさ子が隣をぼんやりと見やる。
倒れた由宇は、動かない。
ぴくりとも、動かない。
「おかしいな……」
時間は、過ぎていく。
過ぎていく時間は、傷を癒していく。
否。『なかったことにしてくれる』。
そうである、はずだった。
そうであらねばならぬ、はずだった。
それが、ひさ子を取り巻く日常であった、はずだった。
「お、おかしい、な……」
きっと。たぶん。でも。そんな。まさか。
そんな、断片的な単語が、浮かぶともなしに浮かんでは、消えていく。
ひさ子という人間は、つまるところ、何も理解していなかった。
世界は既に彼女を取り巻いていたものではなくなっているということを。
殺し合いをしろという、言葉の意味を。
彼女にとっての不幸は、その言葉の意味するところが、彼女の日常に、
形だけは似通っていたという、そのことだった。
「あれ、ちょっと、だって」
そうしてそれは、同時に猪名川由宇という少女の不幸でもあった。
じわりと、いつの間にか地面に拡がっていた赤いものが、ひさ子のスニーカーを濡らしていた。
由宇から流れ出た粘つく血の色が、じわり、じわりと、染みるように、ひさ子を蝕んでいるようだった。
そしてまた、一人。
伝染する不幸に、罹患するように。
少女が、がたがたと震えながら蹲っている。
公園の、すぐ外である。
茂みの裏の金網にしがみつくようにへたり込んだ少女は、目に涙をいっぱいに溜めながら、
両手で口を押さえて必死に悲鳴をこらえていた。
(あ、あ、あ、あの人……し、し、死んで……)
少女は、目撃していた。
(こ、殺した……今まで、楽しそうに話をしてた人を……)
猪名川由宇の死に至る、一部始終を。
(おかしいよ……ぜ、絶対、頭、おかしいよ……!)
何一つとして真相を理解することなく。
(あ、あの人の仲間……『死んだ世界戦線』って……! あんなのが、いっぱい、いるの……?)
表層だけをなぞるように。
(助けて……助けて、しーちゃん……!)
合わぬ歯の根の奥で親友の名を呼んだ少女を、栗原透子という。
【時間:1日目午後2時ごろ】
【場所:G-2】
ひさ子
【持ち物:血塗れの釘バット、水・食料一日分】
【状況:健康?】
猪名川由宇
【持ち物:
スリテンユシリ(解毒薬)、水・食料一日分】
【状況:死亡】
栗原透子
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:恐慌】
最終更新:2011年09月03日 10:06