さみしげなさざなみ ◆Sick/MS5Jw
「こども銀行、って……」
そう呟いて僕、坂上鷹文は盛大に溜息を漏らしてしまう。
がらんとしたビルの一室だった。
呟きは広い室内に反響して妙なエコーがかかる。
溜息をつくと幸せが逃げる、なんていうけど、逃げていった幸せも反響して戻ってきたりはしないだろうか。
もっとも逃げていくだけの幸福が僕に残されてるかどうかは大いに疑問だけど。
そんな益体もないことを考えながら、もう一度、手の中のそれをまじまじと眺める。
「やっぱり、変わらないよなあ……」
何かの見間違いだと思いたかったけど、そうはいかないみたいだった。
そこには数枚の紙幣と、じゃらじゃらとかさばる金色のコイン。
高そうな革の財布から出したそれは、ただし日本円ではない。
そこには燦然と輝く「こども銀行券」の文字が(可愛らしく丸みを帯びた文体で!)記されている。
コインに至っては、金色にメッキされただけのプラスチックだ。
それは要するに、小さな子どもがおままごとに使う玩具のお金だった。
せめて普通のお金だったらなあ、と一瞬だけ考えて、自分の間抜けさ加減に苦笑いする。
「どこで使うんだよ、そんなの」
そう。
僕たちは強制された殺し合いの真っ最中だ(実感はわかないけど)。
凶器を持って襲いかかってくる連中相手に、財布を出して命乞いでもしてみる?
バカバカしい。カツアゲされてるんじゃないんだから。
それともそこら辺に武器屋や道具屋があって、剣や鎧や薬草を売ってくれるとか?
そういう無意味な現実逃避をゲーム脳っていうんだよね。脳波がどうこうじゃなくて。
「はあ……」
もう一度溜息をついて、僕は周りを見回す。
元はオフィスビルだったんだろうか、大きな窓にはボロけたブラインドがかかっていて中は薄暗い。
デスクや機器の類は一切合切持ち出されていて、ユニット式の毛足の短いカーペットにだけ空しく埃が積もっていた。
市街地に放り出されて、とりあえず駆け込んだのがここだった。
いや、だって道の真ん中に立ってるのって怖いじゃない。
どこから襲われるか分かんないし。
そんなわけで手近なビルに入って、階段をいくつか登ってこのフロアに陣取った。
誰もいない、と、思う。
ねぇちゃんと違って僕にはサバイバルの知識も、修羅場を潜った経験もない。
だからとりあえず耳を澄ませて、何も聞こえなければそれで誰もいないと判断するしかない。
巧妙に隠れた何者かがいきなり襲ってきたら……とりあえず逃げてみて、それでダメならまあ、
そのときはそのときで、仕方ないかなあ。
「ああいや、弱気禁止」
パン、と両手で頬を叩いて、気合を入れる。
こんな僕でも無駄に可能性を捨てていいわけじゃないよね。
それじゃねぇちゃんに申し訳が立たない。
けど、まあそれにしたってこども銀行はないでしょ。
紙幣を革の財布に戻し、コインはポケットに突っ込みながら、僕は肩をすくめる。
この財布だけ無駄にブランド物なのが、また余計に腹がたつんだよなあ。
用意したやつの神経質な底意地の悪さが透けて見えるよ、まったく。
いや、まあ実際に武器なんか渡されたって使えないけどさ。
銃やナイフでばったばったと悪人どもをなぎ倒す?
そういうのはねぇちゃんの役目だ。僕はハリウッドスターじゃない。
けど、それにしたってこう、もっとインテリジェンスというか、アーバンシティライフ的というか。
そういうものを引き当てていたら、自分の役回りだって思えるんだけど。
具体的にはネットに繋がったノートPCとか。
「そんなの、あるわけないか」
当たり前だった。
ネット接続なんて外部に助けを呼べるようなツール、常識的に考えて用意するわけがない。
まあ、あの羽の生えた男に常識が通用するかどうかはともかく。
だけどこれだけバカバカしいことをこれだけ見事にやってのける(名簿によれば同時に百人以上の誘拐と拉致監禁だ!)、
その行動力と偏執狂的な神経質さだけは間違いなく本物だった。
「……待てよ」
いくらなんでも、こども銀行はないだろう。
そんな風に考えていたけど、逆かもしれない。
これを僕に配った相手はどうしようもないパラノイアで、人の神経を逆撫でするのが大好きで、
だったらあまりにも無意味に思えるものにこそ、何かの意味を持たせているかもしれない。
僕が自分の持ち物を見て絶望するのをどこかから覗いて楽しんで、無意味だとそれを投げ捨てるのを
なんて勿体無いことを、と指さして爆笑しているかもしれない。
うん、分かってる。
これ、ただの願望。というか妄想ね。
可能性の欠片みたいなものがあると思わなきゃやってられない、それだけのこと。
何の意味もないと分かったら、そのときは海に向かって泣こう。
「……とにかく、出ようか」
尻のポケットに入れた財布をぽんと叩いて、立ち上がる。
これの意味を確かめるためにも、情報収集のためにも。
街から離れて山に入ろう、なんていう気は起こらないし、周辺の位置関係も掴んでおきたい。
実際、重い荷物背負って山林を歩くのってキツいんだよね。
僕、こう見えて都会っ子だから。
ごめんなさい嘘をつきました。うちは結構田舎です。
◆◆◆
ビルの入り口、正確にはその陰に立って大きく深呼吸。
ここから先は戦場だ。
どこから敵が襲ってくるかも分からない。
気配を感じろ、慎重に行動しろ、迂闊に物音を立てるなんてもってのほかだ。
さあ、覚悟を決めて第一歩を―――
ガンガンガン!
すごい音がした。
「えええー」
思わず声を漏らしてしまう。
慌てて口を噤んだけど、聞こえてきたのはそんな僕の声を問題にしないくらいの音だった。
何かの金属を思いきり叩くような、おそろしく響く音。
発生源はビルの外。それも、すぐ近くのようだった。
戦闘か。早速この殺し合いを楽しんでいる人間がいるのか。
思い出したように早鐘の如く鳴り始めた鼓動を感じながら、そっと外の様子を窺おうとする。
なるべく外から見えないように壁面にぴったりと張り付いて、視線だけで辺りを見回すと、そこには。
「ああもうっ!! どうして出てこないんですの! お金はちゃんと入れたでしょう!」
大声で喚く女の子が、いた。
両手で思いきり何かを叩いている。
自販機のようだった。
「えええー」
思わずもう一度声を漏らしてしまう。
豊かで長い髪を後ろで二つに結わえた女の子が、物音一つしないゴーストタウンのど真ん中で、
思いっきり大音量をまき散らしている。
ものすごい考えなしなのか、それとも逆におそろしく余裕があるのか。
たぶん前者だと思うけど、見た目で判断してはいけない。
僕にはねぇちゃんというサンプルがあった。
「どうしてもわたくしに甘いものを飲ませない気ですのね……!
ええい、こうなったら……!」
と、女の子は何かを決意したように言うと、しなやかな足を振り上げて……あ、スカートの裾から見える太股が
ちょっと色っぽい……じゃなくて。
そのまま躊躇なく自販機に蹴りを入れた!
「~~~~っ!!」
そしてめちゃくちゃ痛がってる!
間違いない、あの子は単なる考えなしだ!
近づいちゃいけない、と本能が告げていた。
ああいうタイプの子も、僕は一応知っている。
関わったが最後、嵐のようなトラブルだけが待っているに違いない。
退避のベルが頭の中を鳴り響く中、僕はじりじりと後ずさる。
が。
「……あ」
そんな僕をじっと見る視線が、あった。
ちょっと吊り上がった、大きな瞳。
女の子と、ばっちり目が合ってしまっていた。
「……」
「……」
行き交う人もいない街並みの、本来の静けさが痛い。
状況を整理しよう。
僕はビルの中、へっぴり腰で後ずさり。
尻のポケットには(玩具のお札でいっぱいの!)高そうな財布。
そして目の前には、
「―――飢えた獣」
「誰がケモノですって!?」
しまった、思わず口に出していた!
ぶわ、と女の子の背中から炎が上がるのが見えた気がした。
かつかつかつ、と逃げる間もなく目の前まで迫られる。
「わたくしをケモノ呼ばわりとはいい度胸ですわね!」
「あ、いやその」
「わたくしにはきちんとした名前がありますのよ! よくお聞きなさい!」
「はい」
え、この状況で名前って、こだわるのそこ? ……と思いながらも素直に頷いてしまう。
すごい迫力だった。
肉食系だこの子。
「わたくしの名前は!」
「うん」
ためるなあ。
こういう性格なんだろうなあ。
わりとあっさり現実逃避を始めた僕のゲーム脳がぼんやりとそんなことを考えている前で、
彼女は胸を張って、うわ、両腕を腰に当ててるよ。
そんな、ものすごく偉そうなポーズで、すう、と息を吸って。
「―――さざぜ、がっ、ざざっ!」
沈黙が、降りた。
「……」
「……」
ほんの一瞬だけ目を逸らして、見上げたコンクリートの天井に小さな欠けがあるなあ、と思って、
目の前の女の子の顔がぷるぷると震えながら赤く染まっていくのに視線を戻して、
「えーと……」
「……」
「個性的な、名前……だね?」
そう口にするのが、精一杯だった。
うん、墓穴を掘っていることは充分わかってるつもり。
すっかり真っ赤になった女の子が、震える手で僕の襟首をがっしり掴んだ。
掴んで、口を開こうとする。
「し、し……」
「し?」
ああ、怒りのゲージがMAXを超えるのが見える気がする……。
だけど先を促さずにはいられない、この悲しい習性。
「―――舌を噛んだだけですわっ!!」
こうして、びりびりとガラスの震えるような怒号が、閑静なビル街と
僕の鼓膜の奥に響き渡ってしまった、のだった。
【時間:1日目午後2時ごろ】
【場所:G-3】
笹瀬川佐々美
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
最終更新:2011年09月03日 10:10