スラップスティック ◆Ok1sMSayUQ
会いたい、と思って会えたのは。
きっとそれは運命的なことで、本当は素敵なことなんだろう。
再会を喜んで、ひょっとしたらハグなんかもしちゃったりして。
そんなこと、あるわけがなかったのに。あたしはここに生まれ落ちた瞬間から、
楽園を追放されていたんだってことに、気付いていたはずなのに……。
* * *
「……理樹くん?」
朱鷺戸沙耶は、聡明である。
だから、彼が浮かべるその表情の意味も、向けられたショットガンの銃口の意味も、直後に放たれた言葉の意図も一瞬で察してしまった。
「……君は、誰だ」
出会えたのは、紛れも無い幸運だったと言ってよかった。
森を抜け、さあこれから街を探索しようかというところの道で、沙耶と草壁優季は見つけたのだ。
とりあえず方向だけは間違えないようにと、川べりに沿って歩いたことが要因だったのかもしれない。水場は色々と役に立つ。
ともあれ、彼を――、直枝理樹を発見した沙耶は狂喜乱舞(心の中で)した。ついボドドドゥドオーと口走ってしまったような気がするが、
そんなことは沙耶にとっては瑣末なことだった。沙耶にとって理樹とは殆ど唯一の心の拠り所であり、朱鷺戸沙耶の記憶の大部分を占めており、
彼なくしては、とさえ言えてしまうほどの存在だった。だから優季に見せたスパイらしくもなく、大声を上げ、手を振りながら近づいていった。
優季の戸惑う声にも、彼は大丈夫と言うだけだった。説明など後回しだった。ともかく……話がしたかった。
隣で歩いている女の子は、きっと同行者なのだろう。優しい彼のことだ、困っているのを見捨てられずというところだろうと、思ってしまった。
「もう一度言う。君は、誰だ。なんで僕の名前を知ってる」
警戒心――。そんなものではない。明らかに敵を見る目であり、必要とあれば沙耶を、あるいは不安そうに沙耶を窺う優季を撃つだろう。
恐怖や不安からではなく、冷静に下した判断によって。ああ、と沙耶は思う。
ある程度は想定はしていた。自身が『何度目』かを経験していても、理樹がそうだとは限らない。いや、毎回そうだったではないか。
彼は覚えていない。いつでも、いつだって……。
理樹の隣に立つ女の子は、ぎゅっと力強く理樹の腕を掴んでいた。彼女はこちらを敵視している様子ではなかったが、
視線の先は、理樹だけに向かっている。彼を案じる瞳。心配する瞳。理樹は頼られていた。自分が守るまでもなく、守るものを見つけていた。
入り込む隙間なんてない。そのように理解できてしまい、言いようのない喪失感、敗北感がない交ぜとなり、沙耶は泣き出したくなった。
けど、それでも……。すんでのところで堪え、ならばと沙耶は会話を試みる。せめて、彼の最後の優しさを焼き付けようと思った。
好意が自分に向けられなくとも、彼は自分が覚えているあの直枝理樹だと確認したかった。
それからどうするのだ、ということは考えなかった。言葉が欲しかった。自分の中にある理樹と、目の前にいる理樹は繋がっているところがあるのだと、信じたかった。
「そっか、ごめんねいきなり。フェアじゃないことをしたわ。あたしは朱鷺戸沙耶。きみのことを知ってるのは……そうね、あたしがスパイだから」
「誰から聞き出した。言って欲しい。僕の知り合いか?」
「スパイってとこガン無視しないでくれる?」
「知らない人に冗談言われても面白くないよ。僕はもう……身内しか信じない」
身内なんだけどなあ。口に出したかったが、そうしたところで信じてもらえる道理はないし、刺激しかねない。
身内しか信じない――。明確に放たれた、弓矢だった。何があったのかは察することもできないが、相当に辛いことがあったのだろう。
力になってあげたい、と沙耶は思う。望めば理樹のために刃を振るい、引き金だって引ける。許されるならば抱きすくめることだって。
ズキリ、と心が痛む。いや心は既に傷んでいて、やっとの思いで我慢しているのに過ぎないのだ。
距離はこんなにも近いのに。手を伸ばして届かせるには、あまりにも遠い距離がそこにある。
「きみが、きみらが有名だから、ってことにしといて。ほらあたしの服。きみの学校の制服でしょ? 生徒なのよね。リトルバスターズも知ってる」
「……ああ」
ひらひらと袖を振ってみせると、理樹はようやく得心したという風に銃口を少し下げた。
教えてもらったことだ。リトルバスターズの活躍。武勇伝。日々のどんちゃん騒ぎ。楽しそうに語っていた彼の姿も。
「僕を知ってることには納得した。じゃあ僕に近づいてきた理由は何?」
「同じ学校の人間同士、話ができるかなって。草壁さんもそう思うでしょ?」
「えっ、あ……はい」
突然話を振られ、しどろもどろになりながらも優季も頷く。
すぐに気付いたのだが、理樹に寄り添う女の子の制服は優季と同じデザインだ。よっぽどのことでもなければ同じ学校だと思っていい。
優季の様子からすると女の子のことは知っている風ではなかったが、共通項があれば十分。
とにかく、沙耶としては問答無用などという状況に追い込まれることだけは避けたかった。いや、あるいは――、単に、話を続けたいだけなのかもしれなかった。
未だに自分は、理樹のことを好いているらしいのだから。
「愛佳さん、どう思う?」
「あんまり……騙そうとしている風にも見えない、かな」
「そんなっ、騙そうとなんて」
「はいはい草壁さん。そこは察してあげるところよ」
「察するって……でも」
抗議の声をあげようとする優季を、沙耶は押し留める。それに対して、優季は睨めつけてくる。
あなた、さっきまで飛び上がらんばかりに再会を喜んでたじゃないですか。小声で言われるが、詳しくを説明するには時間がなさすぎた。
状況が変わったの、あたしがぬか喜びしてたってことで今は納得して、と言うと、優季は目の前にいる二人と、沙耶とを見比べて、不承不承ながらも頷いた。
誤魔化されたように写ったか、と少し思ったものの、直後に「私を殺さなかった朱鷺戸さんを信じます」と言われると、不覚にも少し心が緩んでしまった。
確かな事情がある、と思ってくれているだけの、なんとありがたいことか。
「もう一つ尋ねてもいいかな」
「ん、なに? スリーサイズ以外でなら何でも答えるけど?」
「君たちは何をしようとしてたの」
「少しはジョークに反応して欲しいわね……」
「その余裕さを含めて気になるんだよ」
どうにもこうにも笑いが起こるような雰囲気ではないらしい。痛むあたしの心も察しろとぼやきたくなったが、伝わるはずもなく。
はぁ、と少し肩を竦めつつ、沙耶は「みんなで脱出かな」と口にする。
正確には『みんな』の中に『理樹くん』が含まれていることが前提条件だが。そして脱出の手段は問わない。
つまるところ、理樹さえ生きていればというところなのだが、そんなことをバカ正直に話すほど沙耶は間抜けではない。アホだとは思われているかもしれないが。
「そう」
「何よ、そっけないな」
口を尖らせてみせたが、信じられてないのは分かるので、一緒に行動しようとか、今はそこまで踏み込むつもりはない。
常に側にいられなくとも、尾行して護衛するとかなどのやりようはいくらでもあるのだ。沙耶の能力をもってすれば。
優季が反対するかもしれないが、そこはどうにか上手い理由を思いついて納得させよう。ダメなら武力行使に訴えてでも――。
思考をそこまで走らせ、なるべく穏便に事を運ぶべく次の言葉を口にしようとした沙耶より前に、理樹が淡白な反応の理由を告げる。
「必要ないから」
「はい?」
「僕達は脱出なんてしない。ここに留まり続ける」
「……は?」
最初の反応は、言葉の意味を察しきれず。次の反応は、理解できた内容が常軌を逸していたからだった。
「思い違いであって欲しいんだけど。今きみが言ったの、ずっとこの島に居るつもりだ、という意味にしか聞こえなかったわ」
「その通りだよ。殺し合いに参加するつもりはないけど、脱出するつもりもない。ここを僕達の根城にして、居続ける」
「馬鹿じゃないの!?」
沙耶の冷静さを装った仮面が剥がれる。一体何を言っているのだ、としか思えなかった。
殺し合いに参加するつもりはない。ここまではいい。理樹らしいやさしい選択だ。そう言うだろうと思っていたからこそ、沙耶は理樹の敵を排除するつもりでいた。
ところが続きがあった。脱出するつもりはない。それは元の日常に帰るつもりがないということであり、捨てたということだ。
あり得ない。沙耶の頭がその一語で満たされる。
「殺し合いをしてるんだよ!? きみよりもっと凶悪なヤツがうじゃうじゃいる!」
「僕が護る。自衛くらいはさせてもらうつもりだから」
「放送聞いてた!? 一定時間ごとにこの首輪を強制的に爆発させるエリアが設定される! ずっと引きこもるのも不可能だって!」
「脱出はしないけど、生き延びるつもりで行動はするから。首輪は解除しないといけないかな」
そんなの無理だ。沙耶が反射的に口にしようとした言葉は、そのまま自らに跳ね返ってくる。
名目上脱出を掲げているならば首輪をどうにかしないといけないのは理樹たちと共通しているからだ。そこを否定すれば、自分たちも嘘をつくことになる。
反論できずに、沙耶は唇を噛んだ。言葉は飲み込むしかなかった。代わりに出来たのは、その真意を問いただすことだけだった。
「……仮に、できたとしても。それ、元の生活に帰る気がないってことでしょ? なんで? だって、きみの日常は――」
「そんなもの、とうの昔に死んでる」
底暗い目。秘めた深淵から紡ぎ出されたと思える、深い決意の意思と全てを飲み込もうとする暗黒があった。
ちがう。理樹の目を見て、沙耶はそう思うことしか出来なかった。体も震えている。怯えてさえいる。
自分の知る理樹はもっと強くて、最後まで諦めない、自らが絶望の淵に立ってさえ手を伸ばそうとする、そんな人間だった。
だからこそ、あたしは彼に惚れて、全てを捧げようって……。
「真人が死んだ。きっともっと死ぬ、これから。失われ続けるだけなんだ。今まであったものなんて。取り戻せない」
「あ……」
「だから創る。ここで得たものだけを頼りに。僕の、そして愛佳さんとの楽園を」
朱鷺戸沙耶は、聡明である。
愛佳さんとの、という言葉と同時、強く彼女の体を抱きしめた理樹を見て、沙耶は全てを悟った。
理樹は、端から未来を受け入れるつもりがない。ここに居る限り、全ては現在に帰属する。失われてしまった先を考える必要なんてない。
井ノ原真人の死も、いやリトルバスターズの死でさえ、ここにいる限りは途上に過ぎない。まだ『受け入れなくて』いいのだ。
ここから離れてしまえば。ここであったことは全て靄のように消え、失われた結果だけが残る未来なのだと、理樹は断定してしまったのだ。
先に進もうとすれば行き止まりであると。未来なんて存在しないと、理解したのだ。
沙耶はよろめく。理樹の結論は同時に――、沙耶をも殺した。
沙耶も同様に、『現在』しかない。夢の中で生まれたような自分が、うたかたの夢でしか生きられない自分が、可能なことは奉公でしかない。
尽くして、その人のために死ぬ。沙耶が生まれた意味を全うするには、これしかないと思っていた。
消えてしまうことはまだ我慢できる。だが生まれてきた意味さえなく無為に消えることは、耐え難い苦痛だった。
だから残ろうとした。未来に生きる、心から愛したひとのために戦ったという思いがあれば、消えることは許容できた。
理樹の結論は……、自分なんていてもいなくてもいい存在だと断言したに等しかった。
それじゃ、あたしがここに居る意味って何?
あたしは『あや』じゃない。帰る場所なんてない。帰属できる集団なんてない。
だから結果しかなかった。理樹くんが生還したのは、朱鷺戸沙耶という存在があったからという、結果が。
その可能性が、なくなった。あたしはいようがいまいが変わらない。理樹くんにも入り込める隙間なんてない。
もう彼に、あたしが関われる余地なんてどこにもないんだ……。
「でも仲間はいる」
崩れ落ちかねなかった沙耶を支えたのは、皮肉なことに自らを殺した理樹本人の言葉だった。
「さっき言ったように、首輪は外さなきゃいけないし自衛のためにやることは山ほどある。そのために仲間は必要だ」
「……仲間」
「だから、その分だけ集めようと思う」
仲間に入らないか? 言外に理樹はそう言っている。それは地獄の淵で垂らされた蜘蛛の糸だった。
手は伸ばさなかった。嫌なら嫌でいいし、自分達に害を及ぼさないならどうだっていい。その程度の認識でしかないのだろう。
それでも……。彼のために仕えられる。代替の効く労力程度の扱いでしかなくても。関われる。側に居られる。
このまま無為に消えてなくなってしまうよりは――。沙耶は掴もうとした。絶望よりはマシだと判じて。
「ちょっと、待ってください」
その間に割って入ったのは、草壁優季だった。
沙耶の前に躍り出るようにして、彼女は理樹の前に立ちはだかった。
意図が分からなかった。自分はともかく、彼女は何も分かっていないはずだ。分かっていることと言えば、
理樹たちが脱出しないと宣言したということ、そして協力者は募るということだ。
優季の視点からすれば、とりあえず協力はできるはずだ。殺し合いをする気がないという時点で、理樹と組むことにデメリットもないはずだ。
なのに何故……彼女は、怒っているかのような顔をしているのだろう。沙耶は分からない問題を出された小学生のように呆然と優季を見つめていた。
「朱鷺戸さんが黙っててって言うから我慢してましたけど……もう我慢できません! 理樹さんでしたっけ? 朱鷺戸さんはあなたのことが好きなんですよ!」
ビシイッ! と。クラスの学級委員長がこらーそこの男子ー! とでも言うように指を指した。
理樹が固まる。隣の愛佳も固まる。沙耶は固まれなかった。
「ほあああああああーーーーーーーーーー!? ななな何いってんですかオノレはぁーーーーーーー!?」
なんでなんでなんで!?
あたし一言も理樹くんが好きだなんて話してない! コイバナNGで来たっつーの!
何だコイツエスパー!? はっまさか闇の生徒会の一員!? そうかコイツ無力なふりをしてあたしを探りに来たスパイね!
ってなんでやねーん! そんな都合のいい設定があるかーいっ! ってあたしも設定デタラメだっつーの!
沙耶は優季に掴みかかろうとした。しかし顔面を片手で抑えられる。抑えられるもんですかという謎の力強さだった。
「そりゃあなたにとっては赤の他人かもしれませんけどね! 朱鷺戸さんはすっごく心配してたんですよ!
名簿を見た時だって仰天してましたし、あなたを見つけたときはとても嬉しそうな顔をしてて!
あなたがどんな目にあったのか私には分かりませんし、きっとどうこう言う資格だってないって分かってます!
でも朱鷺戸さんはあなたのことを想って言ってるんです! 今すぐ考えなおせとは言いませんが、少しは話を聞いてやったらどうなんですか!」
一息にまくし立てると、優季は沙耶の頭を突き飛ばした。沙耶は地面に倒れ込む。話を聞いてやれと言った相手に対してするものじゃないだろうという言葉が浮かんできたが、
それよりも沙耶の心には、じんわりとした感情が生まれてきていることの方が大きく、むしろゲラゲラと子供のように馬鹿笑いしたい気持ちがあった。
察されていたところもあり、勘違いされていた部分もある。名簿を見て驚いたのは『長谷部彩』に対してだし、そこは違う。
でも大筋は間違っていない。どうやらバレバレだったようだ。少なくとも、朱鷺戸沙耶は誰かを好いているという推測まではあったのだろう。
自分の不手際もあるとはいえ、こうも短い時間で見透かされていると恥ずかしさよりも優季の洞察力はいいものがあると賞賛したい気持ちの方が勝り、
沙耶は何かしら救われたようにもなった。そこまで考えられるということは、優季はそれだけ沙耶という人間を見ていたということなのだから。
思えば、そうだ。騙そうとしていないと強く抗議していたのは、この推察があったからだと思えば容易に納得がいく話である。
馬鹿みたいな人だ。フリとはいえ殺そうとした自分のために、理樹のためにしか行動しようとしていなかった自分のために。
きっと彼女は、沙耶と出会っていなければ騙され、裏切られ、無残に殺されていたのだろう。
でもその馬鹿にあたしは救われた。
あたしはいつだって、馬鹿に救われる。
仰向けに倒れたので、空が見える。星が輝いている。月がある。
世界は、こんなにも広いのに……。
「関係ない」
沙耶の思惟を遮ったのは、理樹の声。
あれほど恋焦がれていた少年の声は、今となっては別人の声のようにしか聞こえない。
いや、と沙耶は思う。きっとこれが、真に失恋したということなのだろう。
己の傲慢さにほとほと呆れる。朱鷺戸沙耶という女は、今までずっとフラれた男に尽くせるだけの甲斐性があると思っていたらしいのだから。
「僕は既に愛佳さんを選んでるんだ。だから、朱鷺戸さんの事情は関係ない。僕達はここに残るために。君たちは脱出するために協力する。それでいい」
「なっ、あなた……」
「はいはいはーい! 草壁さんもういいストーップ!」
「ひゃあっ!?」
食って掛かろうとしかねかったので、復活した沙耶は優季を羽交い締めにした。
「あたし、これ以上惚気見せつけられると死んじゃう」
「で、でも!」
なおも抗議しようとする優季だったが、沙耶が耳元で「理解したから。フラれちゃったって」と囁くと、
優季は一転して青褪めたような表情とともに済まなさそうに「ごめんなさい……」と返してくれた。
余計なお節介で機会を潰してしまったと思ったのかもしれない。殺し合いの場で浮かべる思考ではなく、沙耶はかえって愉快な気分になった。
いいじゃないの。殺し合いで人の恋路にうつつを抜かしたって。それが青春ってやつでしょ。
「オーケーオーケー。そんじゃ協定を結びましょうか。あたしは『アンタ』の敵じゃないしアンタもあたしの敵じゃない」
「うん、それなら」
「しばらくはここに留まるんなら、ひとつお願いがあるわね。爆弾か何か作ってくれると嬉しいかなーって」
「簡単に言うね……」
「簡単よ。そこらへんの本屋にでも行って科学の本でも読めばひとつやふたつどうとでもなるって。あっこれあくまでもお願いね、お願い」
「……じゃあ、こちらからも。なつめ――」
「恭介ね。確かにあいつならって気はする。探しとくわ。そっちの愛佳さんはなにかリクエストは?」
話を振ってみたが、ふるふると首を振られた。なるほど、探す人もない、か。
そういえば名簿には小牧という苗字は二人いて、一人は死んだ。つまりは、そういうことだと類推して、沙耶は最後の恋慕の残滓を手繰り寄せた。
探す人も帰る場所もないのは、自分も同じ。もし彼女の位置に自分がいれば……。
暗い情念。人の不幸さえ羨む、恋という名の闇。そこには幸せはない。幸せと恋とは、同一ではない。
それでも焦がれてしまう。たとえそれが己を死に至らしめようとも……。
「それじゃお別れね。草壁さん、先に行ってくれる?」
「え、どうして……」
「後ろから撃たれたらたまんないでしょ? あたし、たった今振られたコワーイ女だし。怖いから殺しとこってあるかもだし? あたしが警戒して――」
「……泣き言、私で良ければ聞きますよ」
「泣かないって」
「失恋って凄く痛いと思います。一人じゃ……辛いですよ」
「……っ」
一人じゃ辛い。その言葉を聞いてしまった。だから。抑えていた涙が出てしまった。決壊してしまった。限界だった。
見られたくない。優季にではなく、理樹に。涙を見せてなお、無関心でいられる恥辱に耐えられなかったのかもしれない。
踵を返した。動じる気配もなかった。沙耶の中にあった最後の大義名分が、崩壊した。
「……ちくしょう……」
優季の手をとって、走った。悔しさを孕んで走った。無念を吐き出して走った。
救われてなお、全部なくなった、朱鷺戸沙耶として生きなくてはならない現実は絶望的だった。
誰かのためにではなく、自分のために生きなくてはならない現実が。
あたしは、なんで生まれてきたんだろう。
あたしの幸せは、どこにあるのだろう……。
* * *
嵐のように、朱鷺戸沙耶は去っていった。
気配が遠ざかるのを待ってから、ショットガンを下ろす。
草壁という少女の言葉から発せられた、朱鷺戸沙耶は直枝理樹を好いていたという内容は、しかし理樹の心には何の波紋も残さなかった。
聞いた瞬間は驚いたのに。今は平常となっている己の心の中を見つめて、それだけ愛佳が大切となったのだろうと結論付ける。
「……あの、理樹くん」
「ん?」
「さっきの」
「気にしてないよ。僕の大切な人はまな……」
「そ、そうじゃなくてっ! ずっとここにいるって事の方……!」
「あ……あー」
顔を真っ赤にした愛佳にそう言われると、こちらの心拍数も急に跳ね上がってきてしまう。
考えてみれば、他人の前で自分は彼女が好きだコールを繰り返していたことも思い出してしまい、乾いた笑いが出てくる。
「いや……うん、それ自体は本気だったけど……もしかして」
「だ、ダメじゃないよ! むしろ驚いたっていうか、理樹君、いつの間にあたしが考えていたことをって……」
「ん……まあ、それは、なんて言うか」
興奮した様子の愛佳に、理樹は微笑む。
言ってしまおうか、少し悩む。なかなか恥ずかしい理論だったからだ。
だが人前で惚気まがいのことをしたのだから今更かという気分にもなったので、言葉を続ける。
「帰る場所なんてないから。ここが僕達の居場所でしかないから。帰る必要なんてないんだ」
理樹にとっては愛佳と一緒に居られる現在こそが、唯一の希望の在処だった。
「うん。やっぱり、あたしと一緒」
愛佳は笑ってくれた。
想いを重ねていられる、幸せがあった。
【時間:1日目20:00ごろ】
【場所:E-6】
草壁優季
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
朱鷺戸沙耶
【持ち物:玩具の拳銃(モデルグロック26)、水・食料一日分】
【状況:手足に擦り傷】
最終更新:2015年04月12日 10:57