揺れる少女の天秤 ◆R34CFZRESM
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」
「はい?」
「今何時だと思う?」
「さあ……正確にはわかりませんけど……」
沙耶の唐突な問いに優季は空を見上げる。うっそうと繁った木々の間からは赤紫の空が見えていた。
もうすぐ日没が近づいているはずなのだが、時計を持っていないため正確な時間は分からなかった。
優季は思う、そもそも今は一体何月なのだろうか?
着ている服は学校の冬服。そして沙耶の服装もおそらく冬服だろう。
それでいて暑くもなく寒くもないといった気温。おそらく春か秋……なのだろう。
植物に詳しければ周囲の植生からおおまかな月を推測できるかもしれないが、優季にそこまで専門的な知識は持ち合わせていなかった。
「もうすぐ日没みたいですから……たぶん五時か六時ぐらいじゃないでしょうか?」
「でしょうね。つまり、これってどういうことかわかるかしら?」
優季は「はぁ……?」と小首をかしげる。
いまいち沙耶の言ってることがよく分からない。
「あたしたち日の高い時間からずっと森で迷いっぱなしなのよっ!」
「えっ? 朱鷺戸さんは街までの道を知っていたんじゃあ……」
優季はずっと沙耶の後ろをついて歩くだけでそんなことまでは考えてもいなかった。
単に沙耶の「こっちよ」「この道は危険だわ。あちらを通りましょう」という声に導かれるまま歩いていたのだから、現在進行形で道に迷い続けているとは思いもしなかったのである。
「ああそうよ、NASTY BOYほどじゃなくても凄腕のスパイが森の中で迷ったのよ! さも森の全てを把握してるように道案内していてその実、
あれっ道に迷っちゃった。この木さっき通ったときに見たわよ? やべっもう夕方じゃんと内心ヒヤヒヤしながら歩いていたのよ!
森で迷子になったスパイの惨めな姿をあざ笑うがいいわ! 滑稽でしょっ、哀れでしょっ、自称凄腕スパイ(笑)でしょっ!
ほら笑うがいいわ、笑いなさいよ、笑えばいいじゃない。ほらあーっはっはっは!って笑えよベジータぁぁっ!」
涙目になって本日二回目の自虐パフォーマンスを披露する沙耶。
どうもこの少女、頼りに見えそうでいて肝心なところが抜けているようだ。
「おっ落ち着いて朱鷺戸さん。そ、そこまで思っていませんから……」
「ボドドドゥドオー」
「ひっ」
突然奇声を発する沙耶。涙目になりたいのは優季のほうだった。
ただでさえ色々と抜けているうえに躁病的な気質なため、大人しい性格の優季にとって相手をするのは非常に疲れるのである。
唯一救いなのは、悪人ではなさそうなことぐらいだった。
「ど、どうかしたんです――」
「ボドドドゥドオー」
「ひっ」
「ああ、ボドドドゥドオーというのはね。思春期の女の子が後悔と悲哀の意味を込めたラブリーワードのことよ。ボドドドゥドオー」
「…………」
「えぇっ嘘よ。嘘に決まっているわ! 思わず可愛い女の子がボドドドゥドオーなんて千年の恋も冷めるような意味不明ワードを呟いてしまったことを、
誤魔化すためにとっさに吐いた嘘に決まってるじゃない! バカみたよいね、アホの極みよね、可愛い女の子(笑)よね! 笑いなさいよ。笑えばいいじゃない
ほらボドドドゥドオー!――ってボドドドゥドオーちゃうわっ!」
本日三回目の自虐パフォーマンス。
今度は一人ツッコミの中にボケを混ぜ、さらに一人ツッコミを入れるという高度な技だった。
もうやだこの人。会って数時間にして優季は一緒に行動することを後悔し始めていた。
「ちょっとあんた! 今あたしのこと変な女って思ったでしょ」
「い、いえ決してそんなことは……」
「いーえ、その目は確かにあたしのこと『やだ……なんて電波ゆんゆんな人……』と思ってるでしょっ。そうよあたしはエキセントリックな女よ!
エ~キセントリック、エ~キセントリック、エ~キセントリック少年ボウイ~♪って少年ちゃうわっ! あたしは少女だっつーの」
ツッコむところはそこかよと頭を抱える優季。
この沙耶という少女、スパイよりもピン芸人としてやっていくほうがよほど大成しそうだった。
このままだと延々と一人漫才を聞かされる羽目になる。
何か話題を変えるものはないだろうか……薄暗くなり始めた森を見渡してみると――
(あっ、あれって……)
木々の切れ目から灰色の地面が見えていた。間違いないアスファルトで舗装された道路だ。
なんだかんだ言って優季たちはほぼ森を抜けかけていたのである。
「あの、朱鷺戸さん」
「なによ」
「ほら、あれ……道路ですよっ」
「ええっ? どれどれ……うおっマジで道路じゃん! イヤッッホォォォオオォオウ草壁最高ー!!」
まるで子どものように大はしゃぎする沙耶だった。
最高潮のテンションに達した沙耶は「さあ! 完全に夜になる前にこの斜面を下るわよっ」と勇み足で坂を駆け下りようとして――
ずるっ。
「え゛っ!?」
「朱鷺戸さん!?」
「びゃぁぁぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!」
当然足場の悪い斜面を無理に駆け下りようとした沙耶は足を滑らせて一気に転がり落ちていった。
■
「あの~……生きてますか」
「…………」
坂を転がり落ちて行った沙耶はそのまま森を抜けアスファルトの道路の上でうつ伏せで倒れていた。
その姿はまるで車に轢かれたヒキガエルのようで、年頃の少女がとってあまりにも恥ずかしい姿だった。
ときおりぴくぴくと痙攣してるので一応生きてはいるらしい。
そんな彼女を優季はつんつんと指で突いていた。
「大、丈夫……よ、この程度でこの、あたしが……死ぬもんか」
沙耶はゾンビのようにむくりと起き上がる。
黒い制服は転んだ時に木の枝に引っかけてあちこちがボロボロで、擦り傷を負った手足も痛々しいが命に別状は無さそうだった。
「つーかあたし何回も死んだことあるし」
「えぇっ?」
「トラップに引っかかって溺死したり、毒ガスで死んだこともあるし……ああ、首を刎ねられたこともあったわ。個人的に一番グロい死に方したのは
網目状のレーザーにサイコロステーキにされた時ね。痛いと感じる間もなく全身をバラバラにされるのは快感……いえ恐怖だったわ。ヘイ、トラップカモーーーン!」
「冗談……ですよね?」
「ま、信じてもらおうとも思ってないし」
沙耶はそっけない口調で言うと服に付いた埃を払い落とした。
「怪我、大丈夫ですか?」
「大丈夫よこんなの。唾つけときゃ勝手に治るわ。それよりやっと森を抜けられたんだから街を探索しましょ」
すたすたと歩き出す沙耶。その後ろに慌てて優季はついてくる。
赤紫色の空はさらに日が落ちて青紫色に変わろうとしている。
その時だった。静寂に包まれた街に男の声が響き渡った。
厳かな雰囲気を持った男の声は淡々と誰かの名前を読み上げていく。
それはこの島で命を落とした者の名。
かつて平凡で平和な日常を過ごしてした者達の名。
優季は静かにその名前に耳を傾ける。
その中には見知った名前があった。
同じ学校の生徒の名。
特別親しい間柄でもなかったが、それでも自分の日常の中にいる人間の死というものを信じたくはなかった。
一方沙耶は「ちっ」と忌々しげに舌打ちして優季を見た。
「その様子、誰か知ってる人でも死んだかしら?」
「いえ……私の直接の知り合いは――」
「そう」
黙りこくる二人。さっきまでずっとハイテンションだった沙耶も今は静かだった。
二人は無言のまま幅広い川に架けられた橋を渡ろうとした時、前を歩いていた沙耶が唐突に足を止めた。
「わっ、なんですか」
危うく沙耶の背中にぶつかりそうになる優季。
沙耶は橋の袂に広がる河原の一点を凝視していた。
「誰か倒れているわ……!」
「えっ」
夜の帳が訪れた河原にわずかに倒れている人らしきシルエットが見える。
性別までは分からないが確かに人が倒れているようだった。
優季がそれを見つけたのを確認した沙耶は「行くわよ、もしかしたらまだ生きてるかもしれない。可能性は薄そうだけど」と言って河原に下りて行った。
「うっ……」
河原へ下りた優季はそれの惨状に思わず嘔吐感を覚え口を押さえた。
それぐらい初めて見た死体の状態が酷かったからだった。
手足が千切れられた半裸の男の死体。
手足が無いというだけでも常軌を逸した惨状なのに、それに加えて男の死体の顔面は原形を全くとどめないほど無残に叩きつぶされていた。
優季にとってはまさに死者への冒涜といった状態だった。
「ま、どう見ても死んでるわ。脈を取るまでもない」
「こ、この人に何があったんですか……! 手とか足とかまるで猛獣に襲われたみたい……!」
「そうねぇ……相手が猛獣だったらどれだけ良かったか。優季、殺ったのは人間よ」
殺したのは人間――単純明快な答えに優季は頭を殴られたような感覚を覚えた。
いや、ようやく現実を見てしまったと言うべきだろうか。
今まで優季はどこかこの島で行われいることに現実感を抱かず、夢の中にいるような気分だった。
きっと話し合えば分かってくれる。そんな程度の意識でしかなかったのだ。
「手足の欠損はおそらく大口径の銃でしょ。重機関銃か散弾銃か対物ライフルかまではわからないけど。
しっかしそんなものを参加者に景気よくバラ撒いてるとは太っ腹よねえ……あのコスプレ羽男はあたしたちに戦争をさせたいのかしら」
沙耶は目の前の死体に恐れることなく、死体の状態を確認している。
「でも妙よねこの死体」
「何が……ですか」
「なんでこの男パンツ一丁なのか意味がわかんないんだけど。それに手足を大口径の銃で撃たれてるのに直接の死因は顔面を潰されてることもよくわかんないわ」
沙耶は腕組みをして死体を凝視すると首を捻っていた。
その姿はとても一介の女子高生とは思えず、まるでドラマのように死体の検死をする検視官のようだった。
「あの……」
「ん? どうしたの」
「……朱鷺戸さんはこういうのに馴れているんですね」
「まあね」
「それもスパイをやっているから――ですか?」
「んー……そういうことにしておくわ。ま、そのへんの銃の値段よりも命の値段のほうが遥かに安い国じゃあよくある光景よ」
沙耶は答えをはぐらかしながら昔のことを――『朱鷺戸沙耶』ではなく『あや』だった時のことを思い出していた。
彼女は幼い時より国境なき医師団に所属していた父親に連れられて世界中を飛び回っていた。
一年のほとんどを海外で過ごし、日本に帰ってくることなんてほんの数日しかない。
そのおかげで物心つくまでは外国の言葉しか話せない状態だった。
そして滞在する外国は欧米のような先進国ではなく、そのほとんどが貧しい国であり紛争が絶えない地域ばかりだった。
「モガディシオにいたときはさすがに死ぬと思ったわ。なにせあたしたちを案内するために前を走る車にロケット弾が撃ち込まれたもの」
度重なる内戦で国は政治機能を失い、国連にすらも見捨てられた国ですらも医師である沙耶の父は医療を受けられない人々のため奔走した。
難民キャンプに向かう途中、案内のための現地スタッフを乗せた車にRPG-7が炸裂したこともある。
沙耶の目の前で爆発し、燃え上がる車両。中から飛び出す火だるまになって荒野でのたうち回る人間。
つい数時間前まで沙耶と世間話をしていた若い現地スタッフが嫌な臭いを周囲に漂わせ燃えている。
ガソリンと肉が焼けむせ返る臭いの中、どこからともなく武装した一団が車に乗って現れる。
彼らは何か必死に叫んでいるが、英語と片言の現地語しか話せない沙耶には何を言ってるかも分からない。
彼らの手に握られた自動小銃――見飽きるぐらい見た
AK-47が沙耶の乗った車に向かって火を吹く。
車体に響く着弾音。この狭い車内が自らの身を守る唯一の盾だった。
沙耶は耳を塞ぎながら車内で小さくなる。武装した一団が車に近づいてくる。
銃を構えた男が車のドアに手を掛ける――もうダメだと思った時、その男の頭が爆ぜた。
次々と血煙をまき散らし倒れてゆく武装勢力。後続の護衛の援護が間に合ったのだ。
銃声、悲鳴、怒号。阿鼻叫喚の光景が網膜に焼き付けられる。
十数分後、沙耶たちを襲った武装勢力は一人残らず全滅した。
沙耶は見ていた。護衛の傭兵は戦意を喪失し逃げだそうとした男にも平然と発砲していたことを。
戦闘が終わった後、沙耶は逃げだそうとして殺された武装勢力の男の顔を見た。
沙耶とそんなに年の変わらない少年だった。
後に聞いた話では沙耶たちを襲った一団は反政府ゲリラでも何でもなく、食い詰めた果てに略奪に手を染めた地元住民だったそうだ。
その話を聞いたときにはすでにその国を発った後だった。
常に世界中を駆け巡り、平凡な生活を送ることが出来なかった少女の結末はあまりにあっけない死だった。
久しぶりに戻ってきた日本の地。あの時の少年はどうしているだろう? 会えるなら会ってみたい。
そんなささやかな恋心も降り注ぐ雨と土が押し流していった。
(ようやく……ようやくあたしは手に入れたんだ。ささやかな幸せを)
二度目の生が夢でも幻想でもいい。
『あや』が求め手に入れられなかった幸せを『沙耶』は手に入れることができたのだ。
それだけは確かなことだった。
「朱鷺戸さん? どうしたんですか怖い顔して」
「ボドドドゥドオー」
「ひっ」
「え、いや何でもないわよ……そう……何でも……ね。それよりもうここに用はないわ。行くわよ」
「は、はい……」
沙耶は男の死体に軽く黙祷を捧げると河原を離れ橋を渡ることにした。
(ボドドドゥドオー……か。理樹くん……どこなの……あたしキミに早く会いたいよ……会って……会ってそれから――)
沙耶は恋心を寄せる少年の名を心の中で呟く。
少女の心は未だ揺れ続ける。それはまるで天秤のように――
【時間:1日目19:00ごろ】
【場所:E-6】
草壁優季
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
朱鷺戸沙耶
【持ち物:玩具の拳銃(モデルグロック26)、水・食料一日分】
【状況:手足に擦り傷】
最終更新:2015年04月03日 21:36