Show time ◆Ok1sMSayUQ
風が吹いていた。
ざぁっ、とアイリスの花が揺れ、香りを乗せて夕暮れの紅に流れてゆく。
合わせて女性の長いスカートと短く揃えられた髪も揺れる。
足元には死体。老人の死体。
視線の先には人。血塗られた少女。
さらにその背後には男。腕組みをして悠然と佇んでいる男。
ああ、と女性は思った。
これから殺し合いが始まるのだと。
「いやあ、待ってて正解だったよ」
開幕の音頭を取るのは男。仰々しい口調だった。それでいて朗らかで、楽しそうだった。
途中、何者かの声が聞こえてきた。人が死んだ。名前が読み上げられている。
全て蚊帳の外の出来事だった。
「あの爺さん、何をこんなところでボサッとしてるかと思いきゃ」
女性――伊吹公子――は見据える。男の前に立ち、
サバイバルナイフを握り締める少女を。
明らかに尋常の様子ではなかった。生気がない。半笑いの表情のようにさえ見える。
この年頃の女の子が浮かべるようなものではない。当たり前か、とも思う。おおよその察しはついていた。
「待ち合わせだったんだな。なるほど、花畑はそれなりに分かりやすい。悪くない。だが、運がなかった」
つかつかと男は歩き、少女の肩に手を置く。少女の体が跳ね上がるのが見て取れた。
殆ど馴れ馴れしいとさえ思えるくらいに、男はねっとりとした手つきで少女の体をさすり、そして、押し出した。
たたらを踏みながら、しかし少女はすぐに中腰の姿勢となる。テニスラケットを構えるかのように。
距離はそれほどもない。数秒も走れば公子の胸にナイフを突き立てられるだろう。
「この女に見つかった」
空を仰ぎ、腕を広げ、さながら悲劇を語る語り部というように男は嘆息しながら言葉を口ずさむ。
「仕方がないことだった。少女は脅されていたんだ。殺さなきゃ俺に殺されるんだ。誰だって自分の命は惜しい。
たとえ非力な老人相手だったとしてもやらなきゃいけなかった。こんな状況じゃなきゃ手に掛けるどころか仲良くお喋りだってできただろうさ」
待ち合わせをしていたわけではない。むしろその段階はとうに過ぎている。出会って、別れた。
公子は銃声を聞きつけて戻ってきたに過ぎない。そこで老人の……、恩師である、幸村俊夫が倒れているのを見つけた。
呆然としているうちに、この二人組がやってきたのだ。待ち伏せだったのだろうということは男の言動から分かった。
実際に手を掛けたのは眼前に居るこの少女だということも。ただ、いきさつを訂正したところで聞き入れられないだろうと公子は思った。
この男は酔っている。自らが演出した劇場に。多少の違いなどどうだって良いに違いないのだ。
「ま、結局はサクッと殺してしまったわけだがな。手慣れたもんだったよ。何せ二人目だったからな。すごいだろ? 生粋の悪党のこの俺と同じキルスコアだ」
今度はけらけらと哄笑しながら、男は実に嬉しそうに言う。
子供みたいだな、と公子は場違いな感想を抱く。彼が喋っている様子だけ見るなら、とても自分と同年代のようには見えない。
置き去りにしたのだな、と思った。悪党になったその瞬間、未来という名の全てを。
いや、元からそういう人間しかここには集まっていないのかもしれないとさえ感じていた。
公子でさえそうだった。未来を保留にして、現在にだけ居続けている。現在を保つことしか選べなかった。
妹を見捨てることが出来ない、その一事のために。
「こんな可愛い面をしているというのに。なのにこいつは平気で殺しやがった。なあ、どう思う?」
気安く。世間話をするように。男は公子に話を振った。自分が仕向けたとは欠片も自覚していなさそうな口調だった。
否、自覚したうえでこの男は喜劇の仮面を取り繕っている。ステージの上で踊る公子達を笑うために。
「――」
公子は口を開いた。だが、一旦閉じた。
それを言ってしまえば、己の進む先が決まりかねないと怯懦したがゆえというのがひとつ。
そして、止めていた時間が進んでしまうだろうという確信にも似た恐怖を感じたというのがひとつだった。
それでも尚。彼女は愚かしいほどに優しかった。
アイリスの花が風に揺れる。
「その女の子は、かわいそうな子だと思います」
「可哀想? はっはっは、そうだな。そりゃそうだ、何故なら――」
「貴方に全てを奪われたから。人の全てを奪うだけの貴方に」
続く言葉を邪魔されたがゆえか、核心を突かれたからか。男は笑みを吹き消し、敵意を伴った険しい顔となる。
この男に対して、公子の言いたいことはそれが全てだった。もはや見る価値もないと断じ、公子は少女に微笑みかけた。
「ね、貴女の名前、教えてもらえる?」
「え……」
おおよそこの場に相応しくない質問であった。
少女が虚を突かれたようにぽかんと口を開けるのも無理はない。
だが公子には必要なことだった。必要なのは理由や同情などではない。繋がりだ。
「私は伊吹公子。学校で教師をやってたんだけど……、まあ、今はちょっと休職中かな。それでもまだ心は先生のつもりよ」
「あ、あ……」
少女は怯える。差し伸べられた言葉に。公子にそんなつもりはなかったが、そのように捉えられているとは想像がついた。
それほどまでに、彼女は奪われている。あの男から――。
紛れも無くそれは、公子にとっての敵だった。
「真帆。その女を殺せ」
低く威圧感のある声が少女を男に振り向かせる前に差し向けられた。
「分かっているはずだ。お前はもう戻れないとな。この期に及んでまだ救ってもらうつもりか」
その言葉で少女の顔が硬くなる。言葉尻から察するに、いくらか説得はあったということらしかった。
恐らくは、きっと、足元に横たわるこの老教師からも……。
「戻れなければ進むしかないわ。決めるのは貴女よ。慣れてしまったら……、その先にあるのは、死ぬより辛い地獄よ」
消失を、喪失を。そればかりが待っているものが、地獄でなくて何だ。
それを公子は知っているから……、自らの命が脅かされようとも、背中を向けるわけにはいかなかった。
因果なものだと思う。あれこれ悩んだ挙句、見ず知らずの他人のために危険な橋を渡っている。
家族のためでもなく、目の前に絶対に許せない敵がいるからという理由であるのが何とも愚かしい。
けれども後悔はなかった。あの男だけは、自分でも殺せるからだ。
「……わたし、は……」
「真帆ッ!」
男が苛立ちを隠しもしない様子で怒鳴る。それでも手出しをする様子はない。
傍観者を気取り、思いのままに他人を操ることに固執している。
それが命取りだ。公子はゆっくりと、気取られないようにしてスカートのポケットに手を入れる。
「……葉月……真帆……」
泣き笑いのような、そんな表情で。
しかし彼女は確かにそう言った。
「――うん。ありがとう」
頷くと同時、公子は走り出す。
真帆の横を通り過ぎる。
駆けて、その先。
「っ、クソが!」
狼狽する男。元より真帆に殺させるつもりだったためか、丸腰の状態である。
やるなら今しかなかった。スカートのポケットの中で握りしめた、銃に装填されている弾丸の数が全てだ。
何発あるかは分からない。狙いも正確につけられない。それでも、全部は外さない。
決意を込めて、拳銃を取り出そうとして――。瞬間、男の顔が豹変する。
「ばぁか」
悪鬼の顔に。
「っ、あ、か……」
男の手には拳銃が握られていた。
公子は胸元からじくじくとなにかが溢れ出るのを感じていた。
銃口からたなびく硝煙。撃たれたのだと分かった。
力が入らない。前のめりに崩れ落ちる。土か花か分からない味が口腔に広がり、ごほっと咳き込んだ。
「丸腰だとでも思ったのか? そんな馬鹿ならもうとっくに死んでるよ。もっとも、俺の場合銃がなくとも女なぞに負けるわけがないが」
せせら笑う声が聴こえる。ならば、自分はまだ生きているということだ。
公子は手のひらにまだある拳銃の感触を確かめる。手放していない。まだやれる。まだ一太刀を浴びせることくらいは可能だ。
死にそうになっているというのに、驚くほど思考は冷静に回っていた。土壇場では女の方が肝が据わるらしいが、どうやら本当のことのようだった。
「手間かけさせやがって……。台無しだ。これはきついお仕置きが必要なようだな、なあ真帆」
注意はとっくに公子から逸れている。あの一発で即死させたと思っているようだった。
全ての力を上半身に集める。数秒、いや一秒で十分だ。それだけの時間身を起こしさせすれば、やれる。
口腔の中に溜まっていたものを静かに吐き出して、公子は息を整えた。
花をかき分ける音が大きくなってくる。隣を通りすぎようとするそのタイミングで――、
「ま、だっ……!」
「なに……!?」
体を起こし、両手に銃を持つ。目の前には驚いた様子の男。明らかに動転している。
ドンピシャ。この至近距離なら避けようがない。それを男も分かっているのか、急いで拳銃の狙いをつけようとしているが間に合わさせない。
既に引き金に指はかかっている。後はほんの少し力を入れさえすれば、誰も彼もから全てを奪おうとするこの男を殺せる。
「……ぁ」
はずだった。
だが、出来なかった。
引き金を引く前に、公子は背中から刃物を深く突き立てられていたからだ。
眼前にいる男の方に、そんな芸当ができる余地はない。
このタイミングで公子に刃物を突き刺せることのできる人物は、一人だけだった。
葉月真帆。彼女しかいなかった。
「……そ、う……」
花をかき分ける音は、二人分あったような気がした。
公子を撃った男は公子に驚いていたが、果たして驚きの対象はひとつだけだっただろうか。
ずるりと刃が引き抜かれる。糸が切れた人形のように公子は再び崩れ落ちた。
引きぬかれた際に背中に力が入ったからなのか、仰向けに倒れる。公子を見下ろす真帆の顔が写った。
歪んだ泣き笑いだった。そこには一言では到底表現することなど構わない、様々に交じり合った混沌とした感情が渦巻いているように公子には思えた。
「これで……これで、許してください……お願いします……」
それは公子に向けたものだったのか、窮地を救われた男に対するものだったのか。
公子には判別はつかなかった。代わりに頭の中にあったのは、かつて親しく過ごした家族の姿と、自分を愛してくれた男の姿だった。
ふぅちゃん……。ゆうくん……。ごめんなさい……、わたしは、また……。
手を伸ばそうとする。届くはずがなかった。遠い、大切な人たちの姿は、何故だか血に塗れているように見えた。
* * *
汚い。
私は、汚い。
葉月真帆を構成するものは、その一語が全てだった。
ひょっとしたら助けてもらえるかもしれないと一瞬思った。
無力な老人などではなく、力を持った人がやっつけてくれるかもしれないと期待した。
しかし無駄だった。女性の力などであの化け物を退けられはしなかった。
だからトドメを刺した。ダメだったのだから見捨てなきゃという打算が働いた。
ますます自分を汚いと思った。腐臭を放っていたものがさらに膿んで、どろりと溶け落ちてゆくのが感じられた。
戻れるかもとありもしない期待を抱いた自分が汚い。
簡単に人を見捨てられるようになった自分が汚い。
命が惜しい自分が汚い。媚びへつらって岸田洋一に懇願する自分が、とても汚い。
岸田洋一がやってくる。
真帆は怯えた羊の顔を作った。この男の前ではいつでも殺される家畜になっておかないといけない。
いつでも殺せるということは、好きなときに殺せるということで、優先順位が低くなるということだ。
殴られるかもしれない。ことによればまた刺されるくらいのことはあるかもしれない。
しかし、死ぬよりはマシだった。だから葉月真帆は服従する。
「やるじゃねえか」
だが、岸田洋一の反応は想像外のものだった。真帆はあっけに取られかける。
楽しそうだった。ただの家畜を見る目ではなかった。面白いオモチャを見つけた子供の目だった。
「俺はな、面白いものが好きだ」
真帆の髪を掴み、ぐいと上に持ち上げる。いぎっ、と思わず苦痛に塗れた声が出た。
そうだ。この男はそれを忘れない。恐怖を与えるということを忘れない。
被虐的な安心感があった。この男はこうでなくてはならないという感覚があった。
「サプライズは好きだ。まさかこの俺にビックリ箱とはな。いいぞ、もっと俺を楽しませろ」
そしてかなぐり捨てる。粘っこい手触りの土の上だった。鉄のような匂いが鼻腔に染み付いてくる。
「良かったな、お前。何もしてなきゃそのまま犯してやるとこだ」
「……はい」
「もっと嬉しそうにしろよ、真帆。お前は認められたんだ。凶悪な殺人鬼の俺に認められたんだぞ」
「……はい、嬉しいです」
「怖い笑顔だ」
見下ろす岸田洋一は、それで一時の満足を得たようだった。
このまま堕ちる。どこまでも堕ちる。岸田洋一の興味を引きながら。
二人で、どこまでも堕ちていきたかった。
それが真帆の唯一の願いだった。
一緒に、沈んで。
【時間:1日目午後18時半ごろ】
【場所:F-4】
岸田洋一
【持ち物:サバイバルナイフ、
グロック19(5/15)、予備マガジン×6、各
銃弾セット×300、
真帆の携帯(録画した殺人動画入り)、不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
葉月真帆
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:左腕刺傷】
伊吹公子
【持ち物:シグザウアー P226(16/15+1)、予備マガジン×4、9mmパラペラム弾×200、水・食料一日分】
【状況:死亡】
最終更新:2015年04月12日 11:07