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パンドラ・といぼっくす ◆Ok1sMSayUQ



 顔面を蒼白にし、奇妙に口元を引き攣らせたまま、森の中を小柄が走り続ける。
 能美クドリャフカはつい先程目撃してしまった光景が嘘だと信じたかった。
 自分の通う学校の寮長が、殺された。
 あまりにもあっけなく、無残で、残酷に。
 殺し合いという言葉の実感は湧かないのに、目の前で人が殺された恐怖が強く残っている。
 本能的な忌避に駆られ、クドリャフカは小部屋を飛び出してからわき目も振らずここまで走ってきたのだった。

「あうっ!」

 森の中は大小の植物が生い茂っており、縦横無尽に木の根も張っている。
 疲れて足がもつれたところに引っ掛けていた。
 素早く動き回ることには多少の自信があったが、受け身も取れず顔から地面に突っ込んでしまう。あまりにも余裕がなかった。
 いや、そんなものがあるはずがない。殺される。ぐずぐずしていたら殺されるのだ。
 誰に? どうやって? どうして? 自分でもわけのわからない質問の羅列が駆け巡り、
 最後に、もういやだ、という感想を結んだ瞬間、両目からぽろぽろと涙が溢れ出した。
 夢ではない。この痛さは現実だった。寮長の死は、現実だった。
 転んで膝が汚れているのにも、お気に入りの白いマントに泥がついたこともどうでもよかった。

 怖い。怖い。誰か助けて。

 声に出すことも出来ず、小さな嗚咽のみが森に響く。
 たった一人で寂しい、つらいという感覚。誰かに見つかれば、殺されるかもしれないという感覚。
 恐怖と孤独のシーソーの中で、クドリャフカは揺られ続けるしかなかった。
 せめて。せめて、自分の隣に友達がいてくれたら。
 ぐすぐすと俯き加減に鼻をすするクドリャフカの前に、綺麗で色艶のある、新品の筆のようなプラチナブロンドの長髪がはらりと落ちる。

 クドリャフカは純粋な日本人ではない。ロシアの血を四分の一受け継ぐクォーターだ。
 容姿はロシア系の血筋がよく出ていて、銀髪に西洋人種特有のブルーの瞳。真珠のように白い肌という特徴を備えている。
 その一方で日本人特有の童顔もあり、身長の低さも相まって、見た目としては外国人の子供と表現するのがもっともらしい姿だった。
 しかも名前や見た目の割に、外国語は苦手であり、逆に日本語は堪能であるということから、クドリャフカは好奇の視線に晒され続けるのが常だった。
 日本語が得意なのは、単に日本びいきの祖父の下で育ったからに過ぎないし、クォーターというのが珍しいだけでこのくらいの容姿ならロシアにいくらでもいる。
 けれども、差別とまではいかないまでも『普通ではない』クドリャフカに友達ができることは少なかった。
 自身にも日本語が堪能過ぎる反面外国語が苦手であることはコンプレックスであり、『外国人』として見られることが嫌いだったのもあった。
 どうして自分に『外国人』を求めようとするのか、分からなかった。
 自分は自分。生まれや育ちがどうであろうとも、それを受け入れて欲しかったのに……

 結局、友達はできなかった。友達と遊ぶための時間を勉学に費やした。
 結果として飛び級で進学していた。クドリャフカ自身も既に将来の進路は決めていたため、勉学に励むことに異存はなかった。
 ただ、これからも寂しいのだろうと思っていた。『日本人』でも『外国人』でもない自分には居場所はない。
 クドリャフカがこれまでの人生で思い知った事実だった。
 マントや帽子で身を隠すように自分の姿を覆ったのは、そのためかもしれなかった。
 ならば、自分を世界から隠してしまえばいい。そうすれば孤独を感じずに済む。そう断じて。

 だがそんな価値観をくだらないと切り捨ててくれたのが、今の仲間だった。
 切欠は今でも覚えている。一年生のとき。声をかけてくれたあの人がいなければ、既存の価値観に囚われたままだったのだろう。
 直枝理樹。自分を引っ張り上げ、リトルバスターズという仲間を紹介してくれたのはその人だった。
 あれ以来、色々と遊ぶようになった。
 友達と出かけるようになったし、他愛もない話で盛り上がるようにもなった。
 テストの点数で競い合う。つまらない授業への愚痴。趣味の話題に花を咲かせる。
 どうせ手に入らないと思っていたものがあっけなく手に入った。拍子抜けするほどに。
 リトルバスターズの面々が大らかで、自分を珍しがりはしても『外国人』を求めなかったというのはある。
 しかしそれ以上に対話をする機会が多かった。自分を知ってもらい、また他人を知る機会。
 どんな人間なのか、どんなことが好きなのか。何が嫌いで、何をしていきたいのか――
 続けていくうちに、珍しささえ消えた。『日本人』でも『外国人』でもないけれど、『友達』になれたのだった。
 クドリャフカは初めて知った。自分は今まで、対話することさえ怠っていただけなのだった、と。
 ようやく友達ができた。欲しくて欲しくてたまらなかったものが手に入った。
 それなのに、今、どうして……

「……直枝さん」

 友達の中で一番信用している人の名前を呟く。
 物静かではあるけれど、少し押しが弱いと思っているけれど、優しい人だ。
 自分を自分として見てくれた人。初めての友達に、痛烈に会いたいと思った。
 どうすればいいのか分からない。何をしたらいいのかも分からなかった。
 それでも理樹と会えれば、この孤独と不安に苛まれる気持ちも少しは落ち着くかもしれないと、そう思ったからだった。
 無論会えたらいいと思うのは理樹だけではない。
 リトルバスターズのみんな。全員、クドリャフカの大切な友達だった。
 みんなと会いたい……その思いを刻み込んで目を上げようとしたクドリャフカの前に、ころころと帽子が転がってきた。
 大きなボタンがついたベレー帽。自分のものだ。転んだ拍子に落としてしまったのだろうか。
 拾い上げる。どうして戻ってきたのだろうと、不思議に思っていると――すぐにその理由は分かった。

「み、見つけた……あは、あはは」

 分かりたくもない現実と一緒に。

「こ、このあたしが、くいーんが、こんなこんなところでくたばるわけにはいかないのよ」

 短髪で活発そうな女だった。
 異様なのはその目の色で、どこか焦点の合わない視線をクドリャフカに向けている。
 ギリギリと食いしばった歯は硬く、まるで力仕事でもしているかのようだ。
 そして一番異常だったのが……手に持っていた、拳銃だった。
 引き金に手がかかり、銃口がこちらを捉えている。当たり前のように向けられた銃口に、クドリャフカは呆然とするしかなかった。
 どうして? 引かれれば間違いなく命を奪うそれに対して、声に出せずに問いかける。
 正確には認めたくなかったのかもしれなかった。死ぬかもしれないという、事実に。

「そうよ、こんなところで殺されるほうがわるいのよ、ね、ね、そうでしょ?」

 焦点が合わないまま、女は早口にまくしたてる。答えはクドリャフカに求めているのではなかった。
 これから行おうとしている殺人への禁忌を誤魔化すために、自分に正当性を求めているのに過ぎなかった。
 クドリャフカは答えられない。答えたところで意味がなかったし、それ以上に、ただ怖かった。
 暗い森の中でさえ異様な存在感を放ち、自分を死の暗闇に引きずり込む銃口に恐怖していた。
 思わず、尻餅をついたままであるのに後退してしまうくらいに。
 それを答えと受け取った女が安心したように笑った。
 これで自分は助かる。そう確信した笑いだった。

「逃げちゃだめよ。それに逃げるってことはこわいのよね、ころしてもいいのよね! だって逃げるんだもん!」

 全く繋がらない理屈を並べながら、女はクドリャフカに銃口をより近づけた。
 その中身でさえ見えるくらいの距離だった。螺旋状に回るライフリングの存在が、僅かに残された、玩具である、という希望さえ失わせる。
 ぐっと堅く、銃に吸い付くような手は、すぐにでも自分を殺すだろう。
 力を入れすぎているのか、骨の形や血管まで見えそうな女の手のひらを見ながら、クドリャフカは殺されることを実感して涙を流した。
 先程のような、寂しさゆえの涙ではない。純粋な恐怖から来る涙だった。
 それを見た女が一瞬ぎょっとした表情になったが、すぐに目の色を攻撃意志に戻し、荒く息を吐き出した。

「な、泣いたって通じないわよ……あたしあんな風に死ぬなんてイヤなんだから! 死んだらこみパだって行けなくなるの! したぼくにも会えないのよ!」

 鬼のような形相で女が吼える。何を言っているのかは分からなかったが、激しい生への渇望が見て取れた。
 ああでもしなければ、人は殺せないのだろう。血が上っているのか、それとも感情ゆえか、女の顔は真っ赤だった。
 顔も手足も震えているのに。殺さなければならないとは、そういうことだった。
 理解した瞬間、もう理樹や他の友達には会えないということが実感となり、クドリャフカは今度こそ絶望に呑まれた。
 イヤだ。友達にも会えないまま、死にたくなんてない!

「だ、誰か……助けて、助けてくださいっ!」

 助けて、助けて!
 大声で叫び始めたクドリャフカに女がたじろいだが、それもすぐのことで、抵抗と見た女は逆上したようだった。
 今度はこめかみに銃を突きつけ、「うるさい! 黙りなさいよ!」と金切り声で叫ぶ。
 それでもクドリャフカは声を止めなかった。死ぬのが嫌だった。友達に会いたかった。ただそれだけの気持ちだった。

「こ、この……! この詠美ちゃん様に逆らおうなんて……ころす! あんたころすっ!」

 詠美。初めて聞いた女の声に感慨を感じる暇はなかった。
 全てを吹っ切った詠美が引き金に力を込めたからだった。
 クドリャフカは目を閉じて絶叫した。何と叫んだのかも分からないくらいの大声だった。

 殺される! 殺される! 殺される! 死にたく――

 そこまで思考したとき、クドリャフカは自分のこめかみから銃口が外されているのに気がついた。
 それだけではない。撃たれてもいなかった。どこも痛くない。苦しくもない。生きている。
 空白の間に生じた、なぜ殺されていないという疑問は、聞こえてきたすすり泣く嗚咽によって霧散した。
 恐る恐る目を開ける。嗚咽の正体は、すぐ目の前にあった。
 カタカタと震えたまま、銃を握ったままの体勢で、未だに銃を突きつけているのには変わらないままだったが、
 泣いていた。詠美は、泣いていた。
 鬼のような形相はそのままに、赤ん坊のような無力さを含ませた顔だった。

「だめ、だめ……」

 うわ言のように呟きながら、詠美がよろよろと後退する。それは先程まで自分を殺そうとしていた人間の姿ではなかった。
 自分と同じ。どこにでもいる、普通の女の子だった。
 下がっていることにも気付いていない詠美は、木に体をぶつけて、それでようやく止まっていた。

「ひとは、ひと、殺しちゃ、駄目、だめなの、だめ、あたし……」

 絶叫が彼女を正気に戻らせたのかもしれない。
 力なく呟いて、ひたすら駄目と呟き続ける彼女は、悲しいほどに正しい人間の姿だった。
 そうして、しかし、銃も下ろせない彼女は、クドリャフカと同様に死にたくない人間の姿でもあった。
 死と狂気の間で、クドリャフカは怖気を感じていた。
 人が人を殺すということ。あまりにも怖く、恐ろしい。そんな行為をこれからも続けていかなければならない自分達。
 殺人に手を染めて、果たして正気でいられるのか? 否。この島は、正気を、許さない。
 ここは、人間が人間でいられなくなる場所――
 それを理解してしまったクドリャフカの目の前で、今度は泣きはらしていた詠美の体が跳ねた。

「え」

 呆然と詠美が言葉を発する。
 体に穴が開いていた。正確には腹部から血が広がっていたのだ。
 クドリャフカにも何が起こったのか分からなかった。いや、認識する間さえ与えられなかった。
 ぱん、ぱん。
 乾いた音が木霊するたびに詠美の体が二度、三度と跳ねる。
 不自然に体を回転させながら、詠美は「どうして」と言っていた。

 殺してないのに。自分は、殺してないのに。

 色をなくした瞳を見た瞬間、取り返しのつかないことをしてしまったとクドリャフカは顔を青褪めさせた。
 銃を下ろさせれば良かった。対話をすればよかった。
 殺さなくてもいいと、一言言えばよかったのに。
 自分達は、人間でいなくてはならなかったはずなのに……
 地面に崩れ落ちた詠美の顔と、目が合った。

 どうして。

 助けてくれなかったクドリャフカに。
 自分を見捨てたクドリャフカに。

 どうして。

 理不尽な死をクドリャフカに突きつけて。
 詠美と名乗った女は、死んだ。
 自分が、殺したのだ。
 その感慨が浮かび上がった。
 どうしよう、どうしよう。
 殺してしまった。自分が、人を――
 友達の姿が遠のく。そこまであった日常が崩れ去る。
 瓦礫の中。日常の廃墟の中で、クドリャフカは野太い男の声を聞いた。

「大丈夫かっ!?」

 振り向く。そこには自分とは比べ物にならない体格の、ごつい男がいた。
 拳銃を片手に、大柄な体格に似合わず俊敏な動作でこちらに駆け寄ってくる。
 大丈夫か。その言葉は、つまり。
 誤解したのだ。今まさに、自分が詠美に襲われ、殺されようとしていると……
 立てない自分の側までやってきた男は「悲鳴が聞こえたもんでな」と理由を重ねる。

 ほら、やっぱり。

 怪我はないかと問いかける男の向こうで、詠美の虚ろな目がクドリャフカを嗤っていた。
 実感した。
 自分は、人殺しなのだと。
 悲鳴を上げてしまったから、詠美は殺されたのだと。

 能美クドリャフカは、日本人でも、外国人でも、友達でもなくなった。

 人殺しだった。


 【時間:1日目午後1時ごろ】
 【場所:C-2】

 能美クドリャフカ
 【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:健康。精神に重大なダメージ】

 松下
 【持ち物:CZ75(15/12)、予備マガジン×8、水・食料一日分】
 【状況:健康】

 大庭詠美
 【持ち物:スプリングフィールドXDサービス(15/15)、予備マガジン×8、水・食料一日分】
 【状況:死亡



001:ヘタレ少年とクール少女の生死を越えた出会い 時系列順 006:DISTANCE
002:少女が見ている ~ Pure Eyes 投下順 004:流星の双子
GAME START 能美クドリャフカ 069:からっぽのはこ
松下
大庭詠美 死亡


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最終更新:2011年08月26日 19:13