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からっぽのはこ ◆Sick/MS5Jw



大丈夫かと、その熊のような大男は問うている。
怪我はないか。何もされなかったか。
矢継ぎ早の問いに、能美クドリャフカはただぼんやりと頷いていた。
何を聞かれているのか、わからなかった。
視界の端には大きな樹に縋りつくように斃れた少女の骸が映っている。
その命を終わらせたのは男の放った銃弾で、殺したのは能美クドリャフカだった。
大丈夫かという問いは目に映る現実からあまりにも遠くて、だからクドリャフカは、
求められるままに頷くしかなかった。
それをどう捉えたか、男が安心したように口の端を上げて、言う。

「ふむ、見ない顔だが……ようこそ我々の世界へ、というところかな」

何事かを納得したように一人で首肯する大男。

「おっと、そういえば自己紹介が遅れたな。松下だ。五段だのと大仰に言ってくれる仲間もいるが、
 まあ好きに呼んでくれ。よろしく」

そう言って、松下と名乗った男が、クドリャフカに向けて右手を差し出す。
握手のつもりらしかった。
その左手に、いまだ銃口から湯気すら上げている凶器を下げたままの、友好の申し出。
悪い冗談のような光景だった。

「……しかし、まあ、なんだ」

いつまでも握手に応じないクドリャフカの様子に、ばつが悪そうに手を引いた松下が、
誤魔化すようにひとつ咳払いをしてから口を開く。

「仲間同士での殺し合いとはまったく、新人歓迎にしては悪趣味な催しだな。
 ゆりっぺに言わせれば、これも神とやらの仕業ということなんだろうが」

殺し合い、と。
松下はあっけらかんとその単語を口にする。
何の感慨も、衝撃もないように。
たった今、終わらせた命のことを、目の前に倒れ伏す骸のことを、まるで忘れてしまったように。

「どう、して……」

知らず、声が出た。
松下の言葉は、あまりにも軽かった。
それはつまり松下という男にとっての命の価値の重さで、それが信じられずに、クドリャフカは言葉を発していた。

「どうして、あの、あの人を……」
「ん……?」
「こ、ころし、殺したん、ですか……!」
「ああ」

詰問するようなクドリャフカの口調にも動じた風を見せず、松下があっさりと頭を下げて答える。

「そうだな、すまん。新人にはあまり気分のいいものではないよな」
「……!?」

一瞬、息が止まる。
男が何を言っているのか、クドリャフカには理解できなかった。
あまり、気分のいいものでは、ない。

「―――!」

おかしいと、喉が切れるくらいに大声を上げたかった。
あるいは、耳を塞いで地面に蹲りたかった。
正しいとか、間違っているとか、そういう次元の問題ではなかった。
能美クドリャフカの世界に、男の回答は存在しない。
そういう答えが返ってきてはいけない。
そういう答えを返すものが存在しては、いけない。
それは明確な、異物だ。
だが松下という男は、そんなクドリャフカの、形にならない憤りを無視するように、更に言葉を続ける。

「何せ俺たちはすっかり慣れちまってるからな、どうもその辺りが麻痺していかん」

そう言って、もう一度頭を下げる。
謝罪のつもりだろうか。
だが、この男は一体何を謝っているのだろう。
何のことについて、誰に、どうして謝っている。
謝る事項が違う。謝る相手が違う。謝る理由が違う。
何もかもがおかしいのだと証明するような、それは仕草だった。
そして男はこうも言う。

「慣れ、て……?」

慣れている。殺人に。
人の命が終わることに。
人の命を終わらせることに。
感覚が、麻痺するほどに。

「ずっと戦っているからな。
 ……まあ、この子も格好からしてNPCではないようだし、すぐに生き返るさ」

ああ、この松下という男は、と。
クドリャフカは思わず乾いた笑いを漏らしそうになりながら思う。
まるで悪意の皮に悪い冗談をつめて膨らませた風船のようだ。
つついて噴き出す言葉のことごとくが、どうしようもなく、違う。

「い、い、生き返、る……って、なに、何を、言ってるんですか……」
「……?」

しかし、震えるクドリャフカの言葉に、松下は怪訝な表情を浮かべる。

「……死んだ記憶がないのか?」
「……」

死んだ記憶。
死んだ、記憶。
理解の外。
認識の向こう側。
常識の内側に、日常の範疇に存在してはいけない、言葉。
否定する気力すら、湧き上がらない。

「安心しろ、君は少し混乱しているだけだ。そういうことはよくあるんだ」

黙り込んだクドリャフカの様子をどう解釈したのか、松下が眉根を寄せながら頷く。
聞き返す気にならないだけだった。
問い質す気になれないだけだった。
拒絶だけが、クドリャフカの回答だった。

「しかし、そうか、彼女もそうだとすると、後できちんと説明しなければならないな」

言って、松下が少女の骸を見やる。
後で。説明。
拒絶。

「困った、俺はあまり口の達者な方ではないからな……すぐに分かってもらえるかどうか」

腕組みをしながら頭を捻る松下が、少女の骸とクドリャフカを交互に見て、やがてクドリャフカに目を留めた。

「なあ、君」
「……」
「君は既に死んでいる。ここは死後の世界だ。だから俺たちは何度でも生き返れる。
 俺たちはそうやって神に挑んでいる。……どう思う?」
「……どうか、してます」

率直にそれだけを答えた。
普段ならとても口にできないような刺々しい言葉ばかりが飛び出してくるのは、
きっと自分がもう人殺しの範疇にいるからだと、クドリャフカはぼんやりと思う。

「信じてはもらえない、か」
「信じる……?」

そう言った自分がどんな表情を浮かべているのか、クドリャフカには分からなかった。
ただ、それを目にした松下の、一瞬ひどく傷ついたような顔を見たとき、クドリャフカの中で
何かがざわりと蠢いて、もしかして自分は何か、おそろしい過ちを犯しているのではないかと、
そんな思考が脳裏をよぎりかけた、そのとき。

「……分かった。仕方ないな、こういうことはあまりしたくないんだが……」

すぐに表情を険しくした松下が、クドリャフカに向かって、その大きく分厚い手を伸ばしていた。

「何を―――」

抵抗する間も余裕も、与えられなかった。
無骨な松下の手が、クドリャフカの手を掴んで引き寄せていた。
一息に骨ごと握り潰されてしまいそうなその力に目を白黒させるクドリャフカを半ば抱き寄せるようにした松下が、
掴んだその手に、そっと何かを握らせる。

「え……?」

重く、冷たい感触。
鉄の、塊。

「これが一番、手っ取り早い」

クドリャフカの手が握らされていたのは、拳銃だった。
少女を撃ち抜いて、その命を終わらせた凶器。
それが、クドリャフカの手の中にあった。

「や……!」

思わず振り払おうとして、できない。
松下の、ごつごつと分厚くて熱っぽい掌が、クドリャフカの手を上から押さえていた。
苦痛を与えぬように慎重な、しかし抵抗の一切を許さない無情の力が、クドリャフカの指をトリガーへと導いていく。

「自殺はゆりっぺが嫌うからな。少し辛いだろうが手伝ってほしい」

言って跪いた松下の視線は、ちょうどクドリャフカの正面にあった。
クドリャフカを至近に映すその瞳には、冗談の色も、何もない。
真剣で、真摯で、それでいてどこか空っぽな、目。

「終わったらしばらくここで待っていてくれ。
 ……俺が生き返ったら、じっくり話を聞いてもらうぞ」

自らの額に銃口を押し当てさせた松下の顔は、クドリャフカを飲み込むように、微かに笑んでいた。
ただ真っ直ぐに間違っているその表情からクドリャフカは目を逸らせないまま、

「やめ―――」

指の上から、静かに力がかかり、引き金が、引かれた。


ぱあん、と。
軽くて大きな、耳を劈くような破裂音。
薄い煙。
嫌な臭い。
小さな穴。
ほんの少しの、血。
大きな、大きな身体が、ゆっくりと傾いで。
それから、ずうん、と音を立てて、倒れた。


それを、能美クドリャフカは、最後まで、目に焼き付けていた。
焼き付けて、しまっていた。


深い森の中で、冗談のような悪夢が終わる。
悪夢が終わって、悪夢のような現実が、戻ってくる。
そこに幻想はない。
湿った落ち葉の上に倒れる、骸は二つ。

いくら時計の針が回っても、いくら骸を揺すっても、死んだ人間が生き返ったりは、しない。
能美クドリャフカの前に、死体が、二つ。
そうして白いマントを泥で汚した殺人者のクドリャフカは、森の中に、独りだった。




 【時間:1日目15:00ごろ】
 【場所:C-2】

 能美クドリャフカ
 【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:健康。精神に極めて重大なダメージ】

 松下
 【持ち物:CZ75(11/15)、予備マガジン×8、水・食料一日分】
 【状況:死亡】


068:CHILDHOOD'S END 時系列順 074:イキカエル
068:CHILDHOOD'S END 投下順 070:ただ、幸せな、笑顔
003:パンドラ・といぼっくす 能美クドリャフカ 098:でぃす・いず・じえんど
松下 死亡


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最終更新:2011年09月06日 17:47