甘さの記憶 ◆Ok1sMSayUQ
「うう、なんかこわい……」
棗鈴は廃墟の街をひたひたと歩いていた。しきりにきょろきょろしつつ周囲を窺う。
普段の鈴ならこんな顔にはならない。事態が異常過ぎた。
寮長が、殺された。
鈴自身はさほど接点があったわけではない。しかしよく世話にはなっていたので顔は覚えている。
軽くウェーブのかかった長髪がはためき、喉から血を迸らせる寮長――
「……うぅ」
思い出すのも嫌だった。気持ち悪いという感触。
絵の具のような鮮やかな赤ではなく、腐りかけの林檎のような黒ずんだ赤が。
失礼だという認識はあったものの、イメージを拭い去りきることができなかった。
やめよう。鈴はぶんぶんと頭を振った。嫌なことは考えないようにするのが一番だ。
ちりんちりん、とポニーテールと一緒に鈴が揺れた。
髪留めに使っている紐につけている鈴だった。兄が小さなころプレゼントしてくれたものだった。
バカだけど、頭も要領もよく、ピンチのときは決まって兄が助けに来てくれた。
バカというのが気に入らなかったので冷たい態度を取ってきてしまったが、根底にある兄への尊敬は変わらなかった。
兄もそんな自分の機微を察してくれているらしく、少し肩を竦めるくらいだった。
それがまた気障ったらしくて、気に入らなかったのだけれど。
「きょーすけぇ……」
気に入らなかったけど、無性に恋しかった。
廃墟の街は昭和時代の街並みといった風情で、瓦葺きの家が立ち並び、切れた電線が木製の電柱から垂れ下がっている。
少し歩けば商店街も見えてきたが、ところどころさび付いた街灯に割れてしまったネオンの看板、
ガタガタと不気味に揺れるシャッターが並ぶばかりで、入れそうなところは少なかった。
恐る恐る、鈴はアーケードを歩いてゆく。どこにも電気がついてない商店街は寂しいというより怖さが先立ち、
幽霊でも出てくるのではないかという予感すら覚える。いやそれならまだいい。
ころしあい。未だ実感を伴わないその言葉を反芻する。
寮長を殺されたように、今も誰かが死んでいるのだろうか。
悲鳴どころか人気すらない商店街を見ていると、これは悪い夢なのかと思いたくもなる。
夢であってほしい。こんなのが現実なんてまっぴらだ。
こまりちゃんが苛められるのも、はるかやクドが痛いと言っているのも、くるがやがみおが苦しんでるのも、みんな嫌だ。
恭介なら。なんだってやってきて、どんな奇跡だって起こしてみせた無敵の兄貴なら。
驚いたな! すげぇだろ今回のドッキリは! と言ってくれるはずなのに。
ガシャン!
「ひっ!」
沈思しかけた思考は、ガラスが割れる音で引き戻された。
誰かがやってきたのかと思い、わたわたしながら逃げ出そうとしたが、足音は聞こえなかった。
戦々恐々としながら振り向くと、割れたガラスのビンがころころと転がっていた。
何かの拍子に倒れ、割れてしまったのだろう。
いつもなら「驚かせるな、ばーか」と言えるはずだったのに、そんな強がりを言う余裕すら今の鈴にはなかった。
しかも一度マックスにまで達してしまった緊張の糸が解けた反動で、鈴の目からは涙が出てしまっていた。
それを切欠にして、次々と弱音が飛び出してくる。
もうやだ。こんなところから帰りたい。
誰か迎えに来て欲しい。普段生意気にしてたからいけなかったのか。
だったら少しは大人しくする。文句も抑えられるよう努力するし、兄もバカになんてしない。
弱音が形を成し、嗚咽を作った。
へたりこそしなかったが、ぐすぐすと鼻をすすりながら歩く鈴の姿は、さながら迷子になった子供だった。
寂しいのに。反省してるのに。
結局、誰も来てはくれなかった。
怒る気力さえ持てなかった。元々鈴は孤独に強いほうではない。
一人でいることが多いものの、それは単に人見知りの裏返しでしかなかったし、好きなわけではなかった。
口下手なだけで、お喋りすることも好きだった。
本当に人付き合いが下手なだけで、棗鈴は至って普通の女の子でしかなかった。
「……んぅ?」
鼻をすすり、目頭をごしごしと擦っていると、商店街の一角に一軒だけシャッターの開いた店があった。
寄ってみると、それは駄菓子屋だった。並ぶプラスチックの箱の中には無数のお菓子があり、
軒先には今ではとても見られないような、裸のままのソースせんべいや裂きイカなどがあった。
こまりちゃんが喜びそうだ、などと思いながら、鈴は色とりどりのお菓子を眺めていた。
そういえば、小さなころは兄に連れられ、井ノ原真人や宮沢謙吾、直枝理樹と一緒によく来ていたものだった。
手に各々百円玉を持ち、何を買うか悩んでいた。
兄は大抵くじやおまけのついたお菓子を、真人はとにかく量のあるお菓子を、謙吾は主にせんべいなどの和風。理樹は比較的色々と買っていた。
自分は。自分はどうだっただろうか。
店先に並ぶお菓子を見回しながら、鈴は記憶の桶をかき回す。
よく思い出せない。みんなでどこに行っていたのかは思い出せても、その中で自分がなにをしていたのかは、曖昧だった。
兄に連れられて行動するばかりで、主体性がなかったのかもしれなかった。
何がしたいというのは二の次で、とにかくみんなに置いていかれるのが嫌でついていっただけだった。
「あたし、何もやってこなかったんだ……」
ぽつりと漏らした。
思い出の中でも、そして今でも、自分は何もできずにいる。
兄が駆けつけてくれるのを待つばかりで、一人じゃ何一つできていない自分。
文句を言いながら、不平を漏らしながら、不満だけを抱えていた自分。
日常のぬるま湯の中で気付けなかったことに、鈴は今更ながらに気付いたのだった。
悲しい、と思うより、悔しかった。
こんな誰でも分かるような当たり前のことにさえ気付けなかった己に腹を立てていた。
自分からゆりかごに留まっていたくせに、居心地が悪いと不平を重ねる、棗鈴はそういう女だった。
何よりも恥ずかしかったのは……そんな自分を、友達に見られていたことだった。
「やだな、それ」
恥を恥と認められたのは、初めてだったかもしれない。
カッコ悪い。素直にそう思った。
なにかやらなくちゃ。次に考えたことはそれだったが、思いつくことがなかった。
兄を探しに行く。友達を探しに行く。そんなのは誰もが考えることで、自分を助けるための行為でしかなかった。
そうじゃない。逃げるんじゃない。立ち向かわなくちゃ。
何に? という疑問はあったが、はっきりとした言葉にすることが出来ずに、鈴はもやもやとした気持ちを抱えるだけだった。
「……とりあえず、これ持っていこ」
駄菓子をデイパックに詰めようとして、鈴はひとつの事実に気付いた。
「しまった……あたしお金持ってない」
ポケットを漁ってみるが、百円玉しか出てこなかった。手には余るほどの駄菓子。
残念だが、諦めるしかなかった。こんなときでも盗みはよくないと思っていたからだった。
「すまん、ゆるせ」
いくつか戻し、百円分のお菓子を持っていこうとしたところで、鈴はふと新しい気配が現れているのに気付いた。
今度は気のせいなんかじゃない。はっきりとした、人の気配だった。
店の立て看板の陰に、誰かが隠れている。本人は完璧に姿を隠したつもりなのかもしれなかったが、ぴょこぴょこと尻尾らしきものが左右に揺れている。
ついでに、ふさふさの毛がついた耳らしきものも。
かわいい。ついそんなことを思ってしまった鈴だったが、すぐに気を引き締め直す。
隠れられているということは、警戒されているということだった。無闇に敵対心を持たれるといいことがない……というのは、
鈴が猫を手懐けるときに覚えた教訓だった。
もっとも、相手は人間……のようなものか? 微妙に自信がない。
人間に動物の耳がついているという話は流石の鈴でも聞いたことがなかった。
むむ、と僅かに唸った挙句、どうにでもなれ、という半ばヤケクソな気持ちで接することにした。行き当たりばったりだ。
「おい、そこのおまえ」
ビクッ、と耳が逆立った。やばい。怖がられている。言葉を選ぶべきだった。
頭の中で言葉を組み立て直し、鈴はなるたけ丁寧に呼びかけてみることにした。
「そこのおまえ! 出てきてくださいませ!」
ビシッ、と看板を指差す。言ってしまった直後、間違えたかもしれないと鈴は思っていた。
お出になってくださいましまし……だったか?
こんなことならもっと真面目に現代国語の授業を受けておくんだったと思いつつも、既に賽は投げられた。後は、どんな反応が返ってくるか。
「……」
そろそろ、といった調子で看板から顔が現れた。まだ警戒しているのか、眉根を寄せ、じーっと鈴の方を窺っている。
本当に猫みたいだ。そんな感想を抱く。年のころは鈴よりもずっと年下で、小学生くらいの幼い顔立ちだ。柔らかそうなほっぺたが少し羨ましい。
自分には最近ぷにぷに感が欠けてきたから……などと、詮無いことを思いつつ、鈴は少し余裕を取り戻していることに気付いた。
猫のようなものが相手だからだろうか。うん、大丈夫だと自分に言い聞かせて、鈴は手招きしてみる。
「おいで」
少し笑う。これくらいの感情の方が、寄ってきてくれるものだと経験上で分かっていた。……猫の話だったが。
とはいえ警戒心を抱かせたくないのは人でも猫でも同じだ。自分の気持ちが伝わるかが大事なことなのだ。
栗色の瞳と、左右に分けたお下げが揺れる。どうも迷っているようだった。興味はあるようだが、決め手に欠ける、といったところか。
鈴はもう一度「おいで」と言った。今度は幾分微笑みを深めて。
「甘いもの、あるぞ」
「……甘いもの?」
「そうだぞ、お菓子だ」
先程買ったお菓子を手のひらで弄ぶ。選んだのはなるべく長持ちする飴玉だった。
色鮮やかな包装を剥がし、薄い赤色の飴玉を取り出す。多分苺味だろう。
綺麗な色に興味を惹かれたらしい相手が、飴玉に目を釘付けにしていた。
「美味しいぞ、お菓子」
「……おかし、欲しい」
決め手になったようだった。とてとてと、小走りににじり寄ってきた。
民族風……というのだろうか? 複雑な模様のついた着物に、革の足袋らしきものを履いている。
何より目を引くのはまるで動物そのものの耳や尻尾だ。隠れていたときにも見えていたが、人間の胴体にくっついているのを見ると不思議な気分にさせられる。
動き方からして本物の耳と尻尾に違いなかったが、どういう原理なのかさっぱり分からなかった。
分かったのは、彼女は人の言葉を話し、理解もできるということだった。
鈴も身長は低い方だったが、やってきた彼女はさらに低い。クドよりも低いんじゃないかとある意味クドに対して失礼な感想を抱きつつ、
ほれ、と飴玉を渡してやる。いいの? と首を傾げたが、どうせ手慰みに買ったものだ。あげてしまうほうが寧ろすっきりするというものだ。
「やる。ほら、食べろ。美味しいぞ」
手に飴玉を握らせた。しばらく飴玉の感触を確かめた彼女は、最後に確認するようにくんくんと匂いを嗅ぎ、安全と判断したらしくぽいっと口に放り込む。
飴だというのは食感ですぐに分かったようで、ころころと口の中で転がすのが見て取れた。
「美味いか?」
「おいしい」
それほど表情は変わっていなかったが、甘いものが好きなようだ。僅かに目を細め、味を堪能している。
その姿が、昔の自分と重なる。兄に連れられ、仲間と一緒に、駄菓子屋で買ったお菓子は何だったか。
思い出した。いっぱいの飴玉だったんだ。
色鮮やかな飴玉はビー玉やおはじきみたいで、無性に憧れていたのだった。
その上美味しい。いいことずくめだと思いながら、口の中で転がしていた。
ちゃんと覚えていたんじゃないか。手のひらにまだある、飴玉の群れを眺めながら、鈴は苦笑していた。
忘れたわけじゃない。あたしは、ちゃんとここにいたんだ。
やるべきことの姿が少しずつ見えてきていた。昔は、いや今までは、兄が自分を守っていてくれた。
自分もそれに甘えてきていた。保護する兄と、される妹。
でも、いつまでもそういうわけにはいかない。人はいつか旅立つ。卒業する。
守るものを自分で決め、守っていかなければならなかった。
己という存在を自覚し、己が己でいるために。
「な、おまえ」
「ん?」
「どこか、行きたいところあるか? あたしが連れてってやるぞ」
「ん……」
少女が少し考える素振りを見せた。
飴玉をくれた鈴を信じるかどうか、まだ少しだけ迷っていたようだった。
けれども優しく微笑む鈴を大丈夫だと思ってくれたようで、少女は小さく口にしていた。
「……おとーさんのとこ」
「おとーさん? お父さんか」
口に出して、自分には縁遠いものだ、という感慨を抱く。
祖父に育てられてきた鈴には、父母の思い出というものがない。
でも、だからこそ、そういう存在を持っているこの少女とその親とを合わせてやりたかった。
「よし、任せろ! あたしが絶対連れてってやるからな!」
胸を張って、鈴は宣言した。
そう、今度は。
あたしが守る番だ。
「……」
少しの信頼が、そこにあった。
「りん。あたしの名前だ」
「りんおねーちゃん」
「よし。じゃ次だ。おまえの名前は?」
「アルルゥ」
「アルルゥ? よし、覚えたぞ、アルルゥだな」
「うん」
守られる妹は。
守る姉へと、変わった。
小さな手を引いて、少女は、歩き出す。
【時間:1日目午後1時00分ごろ】
【場所:B-4 廃村】
棗鈴
【持ち物:飴玉数個、不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
アルルゥ
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
最終更新:2011年08月28日 03:39