CHILDHOOD'S END ◆Sick/MS5Jw
「そうか、アルルゥのおとーさんはおうさまなのか。なんかすごいな」
背中から射すうららかな陽に照らされて、ふたつの影が行く手を指し示すように並んでいる。
廃屋もまばらになってきた道をてくてくと歩きながら、棗鈴は傍らの少女に話しかけていた。
「なら、アルルゥはお姫さまだな」
「おひめさま?」
「お姫さまだ。耳とかしっぽとかついてるけどな」
「みんなそう」
「あたしにはないぞ。けどかわいいからいいな。もふもふだ」
「ひゃあ」
ふさふさと毛の生えた耳を撫でられて、少女が妙な声と共に飛び上がる。
慌ててごめんと謝った鈴が、それでもおずおずと手を伸ばすのへ少女が頭を差し出して、
細い髪をそっと梳く鈴の指に目を細めた。
「トリミングだ」
「とりみんぐ?」
静かな道のりだった。
涸れた水田と手入れのされていない竹林に挟まれた長閑な道には、猫の子一匹いない。
村の中ではそこら中から聞こえていた、トタンの風に吹かれてカタカタと鳴る音も、次第に小さくなっている。
代わりにどこからか、水のせせらぎの音が聞こえてきていた。
近くに川があるようだった。
しばらく歩くと、果たして橋が見えてくる。
小川にかかる、小さな木製の橋だった。
下を見ればきらきらと輝く水面は浅く、膝丈ほどもないようで、ほんの少しだけ、足を浸したら
気持ち良さそうだと考えかけて、鈴はすぐに首を振る。
―――だめだ、だめだ。遊んでる場合じゃない。アルルゥをおとーさんのところに連れていかなきゃいけないんだ。
そんな風に考えて澄んだ水の流れから目を引き剥がした鈴が歩き出そうとする。
と、動く影はひとつ。
いつの間にか、傍らにいたはずの少女の影がなくなっている。
振り返って二歩、そこにある襟首を掴んで止めた。
「こら、どこいく」
「川、ある」
襟首を掴まれたまま、少女が器用に振り向いて鈴に告げる。
小さな丸い指が、小川のせせらぎを指している。
「ああ、あるな」
「さらさら」
「それは、気持ちよさそうだけどな」
「りんおねーちゃん、あそぼ」
やっぱり子供だな、と笑った鈴が、ことさらに渋い顔を作って少女に告げる。
「だめだぞ。おとーさんをさがすんだろ」
「うー」
「めっ」
小さく叱ると、少女がしゅんとした顔をする。
「わかったら、いくぞ」
「うー……」
「こら」
なおも不満そうに川を見ている少女に、鈴が少し強い調子で言いかけたときだった。
「―――あらあら、いいお姉さんね」
橋の先、行く手の方から声がした。
大人の女の、声だった。
「……!」
「か、かくれろ!」
目の前の少女がびくりと肩を震わせるのを見た鈴が、その小さな体を引きずるようにして背後に寄せる。
いつからそこにいたのか。
声の主は鈴たちの立つ橋から伸びる道、すぐ目と鼻の先に立っていた。
「ふーっ!」
「……そんな、怖がらないでよ」
少女を背中に庇いながら威嚇するように息を吐いた鈴に、女が苦笑する。
長い髪を後ろでまとめた、活発な印象を与える女だった。
「なんだおまえ、やるのかっ」
「やるって、何をよ……」
困ったように眉根を寄せた女が、しかしすぐに人懐っこい笑みを浮かべて言う。
「ねえあなたたち、いま時間ある?」
「……」
世間話でもするような、軽い口調だった。
肩透かしを受けて、鈴が僅かに脱力する。
「よかったら、ちょっとだけ手伝ってくれないかしら」
「手伝う……?」
敵意のない言葉が淀みなく続く。
警戒と緊張の矛先をどこへやっていいか分からずに戸惑う鈴が鸚鵡返しに聞き返すと、
女の顔がぱあ、と明るくなった。
「そう! あなたたちに手伝ってほしいのよ」
意思の疎通ができた喜びか、満面の笑みを浮かべた女が言葉を継ぐ。
今にも鈴の手をとって、ぶんぶんと振り回しそうな勢いだった。
「あたしたちに……?」
「そうよ、あなたたちに!」
太陽のように笑う女だった。
どこまでも明るく、暖かく、燦々と晴れやかで、いつの間にか手の届くような距離にまで近づいているのに、
それを不審に思うことは、鈴にはできなかった。
「実はね、あっちの方に、」
と、女が切り出す。
指さしたのは、だらだらと続く畦道の、涸れた田とは反対側。
土手状になった竹林の、茂みの向こう側だった。
「ちょっと大事な荷物があるんだけど、あたしひとりじゃ運べなくて……」
「それを、手伝うのか」
「そう、お願いできないかしら」
両手を合わせて頼み込む女に、鈴が首を傾げて難しい顔をする。
「うーん……」
しばらくの黙考の後、
「やっぱり、だめだ」
口を開いた鈴の返答は、明快だった。
「……どうしてかって、聞いてもいい?」
「アルルゥはおとーさんのところに行くんだ。だから、そんな暇ない」
肩越しに自分の目線より低い少女の頭を見やって、鈴が腕組みをしながら答える。
「お礼もするわよ」
「いらない」
きっぱりとした否定。
「荷物の中にはおいしいご飯もあるのよ。パンと水だけなんて、味気ないし」
「お腹空いてない」
「今はよくても、すぐに食べたくなるでしょう」
「ならない」
埒もない返答に、女がなおも何かを言いかけたとき。
ぐぅ、と音がした。
「……」
「……」
「……お腹すいた」
鈴の背後、少女の方から、音は聞こえた。
「さっき飴あげただろ!」
「もうない」
「食べるの、早いな……」
呆れたように呟いた鈴に、女が小さく笑うように口元に手を当てながら言う。
「ほら、その子だって言ってるじゃない」
「……」
「お腹空かせたままじゃ、可哀想よ」
「う……」
「お菓子やジュースもあるのよ、私はいらないから、全部あげてもいい」
「うぅ……」
眉尻を下げて言葉を失う鈴に代わるように、少女が脇から顔を出して口を挟む。
「……あまいの、ある?」
「あるわよ、沢山あるわ。どれでも好きなのを食べていいのよ。だから、ね?」
「いく」
「こら!」
ひょい、と歩き出そうとする少女を、鈴が慌てて押しとどめる。
「知らない人についてっちゃだめだ!」
「あまいの、たべたい」
「だめだ!」
隙を見て手を振り解こうとする少女と揉みあうように、鈴が女に背を向ける。
背を向けていた鈴は、だから、
「どうしても、駄目?」
「だめだったら、だめだ!」
「……そう」
すう、と。
女の声が冷たくなったのに、気づけなかった。
「人目につきそうな場所では、やりたくなかったんだけど……」
「―――!」
ぼそりと呟かれた、女の言葉を理解するより早く。
視界が、ぐるりと横倒しに、揺れた。
「……!?」
突き飛ばされたのだと悟ったのは、反射的に立ち上がった後だった。
そしてそのときには、すべてが遅かった。
目に映る光景は、一瞬前とはひどく様変わりをしていた。
「……ッ!」
恐ろしい形相で舌打ちをする女。
何かを持った手。光るもの。赤いもの。
「―――」
倒れている小さな体。
うつ伏せの身体の下から広がる、染み。
「お、おまえ……」
搾り出す声は、どこか他人のもののようだった。
弾かれたように顔を上げた女が、鈴を睨む。
目を合わせた瞬間、女が鈴の方へ駆け出していた。
ぎらりと光る刃が、その手に握られていた。
「ひとごろしか……!」
敏捷が自慢だったはずの全身は凍りついたように動かない。
それはただ、事態の推移に追いつかない脳の、極めて短絡的に状況をまとめた
何の役にも立たない認識が、言葉として口から零れ出ただけだった。
しかし、その一言が、硬直したまま刃を突き立てられる運命だった鈴を、救った。
「―――!」
ひとごろし、と。
それが鈴の口から発された瞬間、ぎくりと、女の動きが止まった。
夜叉のような形相が、見る見るうちに強張っていく。
小さな刃を握って振り上げた手が、ぶるぶると震え出す。
「わ……私、は……」
小さく首を振った女が、じり、と後ずさる。
その足が、何かに当たった。
倒れ伏す、少女の体だった。
「……ッ!」
悲鳴のような声が、女の口から漏れた。
あとは言葉にならなかった。
両手で大気を掻き分けるように、見えない何かに追われるように、女は何事かを叫びながら走り去り、
鈴が恐る恐る辺りを見渡した頃にはもう、その姿はどこにもなかった。
*
何故逃げた。
何故逃げている。
相楽美佐枝は自問する。
答えは出ない。
覚悟はしていたはずだ。
決意はしていたはずだ。
相楽美佐枝は自責する。
弁解は、ない。
肺は焼けつくように熱い。
目尻から溢れる涙がぬるぬると冷たくて、拭おうとした手に握ったナイフには
真っ赤な血がこびりついていて、
―――ひとごろし!
少女の声が耳元に谺して、もう酸素なんか残ってないはずの肺から、
喘鳴みたいな悲鳴が湧き上がる。
冷静になれと命じる声を、全身の筋肉と神経とが、拒絶する。
契約は結ばれている。履行の義務を果たせ。
そんな理性を乗せた血が体の隅々を駆け巡って、それでもなお皮膚という皮膚を掻き毟りたくなるような
衝動は収まらない。
火がついたように熱い肌と滲み出すぬるぬるした汗とが下着に貼りついて気持ち悪い。
こんなことじゃ。
こんなことじゃいけない。
足が、止まる。
呼吸が苦しくて、目が霞んで、遠くなっていく願いに、消えていきそうな思い出の中の笑顔に
必死に手を伸ばすように、荷物の中にしまい込んだ『それ』を、バッグごと掻き抱く。
神を名乗る男。
天使のような姿をした、悪夢みたいな瞳の、あの男から契約の証に授けられた、
ナイフとは別の、特別な『支給品』。
こんなことじゃあ。
こんな風に、一人を殺しただけで、怯えているようじゃあ、『これ』だって、使えない。
「……やるんだ。それでも。私は」
縋るように拳を握り、嗄れた声で何度も呟く。
荒い呼吸が静まって、やがてもう一度歩き出せるようになるまで、
相楽美佐枝はずっと、そうしていた。
*
「お……おい、おまえ……」
次第に傾きつつある西陽に伸びる影は、ひとつきりだった。
棗鈴が震える声で呼びかけても、伏した少女はぴくりとも動かない。
「あ、ぅ……」
じわじわと広がる血が草を伝って川に落ち、さらさらと赤く流れていく。
早く。早く。そんな言葉だけが、鈴の中をぐるぐると巡る。
早くしなければ。何を?
早く助けなければ。どうやって?
早く、早く、早く!
一歩も、動けなかった。
遠巻きに声をかけて、それだけだった。
駆け寄ることができなかった。
抱き起こすこともできなかった。
手を伸ばすことさえ、怖かった。
流れ出す血が怖かった。
さらさらと流れる赤い川が怖かった。
動かない少女の、小さな体が怖かった。
見るのが怖い。近づくのが怖い。触るのが怖い。
終わりを確かめるのが、怖い。
見なければ、終わらない。
そんな訳がない。
抱き起こさなければ、少女はずっとこのままで、
確かめなければ、きっとずっと、生きている。
そんな訳がない。
わかっていた。
それでも、ただ、怖かった。
守らなくちゃいけないと、思っていた。
思っていた、だけだった。
それがどういうことなのか、何もわかっていなかった。
自分を庇って刃に倒れたのは、少女のほうだ。
守られていたのは、鈴だった。
棗鈴は守られていて、棗鈴はか弱く無力で、棗鈴は、だから少女の命にも向き合えず、
終わりゆくそれを確かめて、死を背負うのに耐えきれなくて、
ひくり、と。
それは、ほんの微かな、震えるような、動きだった。
「……! アル、ルゥ……?」
それはひどく微かなもので、しかし鈴の目には、確かにそれを映した。
広がっていく血溜まりの、その粘つく赤色に浸っていた、小さな丸い指が、ほんの少しだけ、
しかし確実に、揺れた。
思わず駆け出そうとして手を伸ばし、しかし少女の姿は、近づかない。
「……!」
足が、動かなかった。
大地から伸びる見えない鎖が、足に、膝に、腿にがっちりと絡み付いているようで、
鈴に一歩を踏み出すことを許さない。
その透き通る鎖の名を、怯懦という。
動け、と命じて動かない。
走れ、と念じて走れない。
心から伸びる鎖は堅く鈴を縛って、透き通るそれは結び目さえ見せない。
解けない鎖に声も出せず、ぽろぽろと涙だけがこぼれて、果てしなく遠い数歩の距離を、
しかし、風が、繋いだ。
届いたのは、声だ。
ほんの微かな、震えるような、消え入りそうな、小さな声。
それは、
「……おねー……、ちゃん」
それは、少女の声。
それは、少女の願い。
それは、見えない鎖を砕く、鉄槌の一撃だった。
棗鈴の、足が動いた。
一歩を踏み出しながら決意する。
―――立ち向かおう。
灯ったのは、小さな火だ。
僅かな熱と僅かな光で鈴の心にゆらゆら揺れる、まだほんの火種だ。
しかしその火はやがて怯懦を焼き尽くし、無力を灰にして煌々と燃え盛る炎となる。
血が流れている。怖い。
それがなんだ。
動かない。怖い。
それがなんだ。
目の前で、守ると決めたその命が終わってしまいそうで、
だから、背負うんだ。
立ち向かおう。
視界をぐしゃぐしゃに歪める涙を拭って。
勝手に震える手を、しゃくり上げる呼吸を抑えて。
「―――わああっっ!!」
ひとつ叫んで、頬を叩いて。
立ち向かおう。
何に? 目の前の、嫌なことの全部にだ!
流れる血が嫌だ。
下がっていく体温が嫌だ。
だらりと力の抜けた肉の感触が嫌だ。
たいせつな友達に迫る、死の気配の何もかもが嫌だ。
その全部が嫌で、だから、立ち向かうんだ!
駆け寄って、抱き起こして、ぬるぬる滑る血を拭いて、ざっくり切れた傷に脱いだ制服を
ぐるぐる巻いて、きつく縛って。担ぎ上げよう。歩き出そう。
「死ぬな、アルルゥ……! あたしが助けてやるからな……!」
重くても、つらくても。
この子を治せる、誰かのところまで!
【時間:1日目15:00ごろ】
【場所:C-4 廃村・外れ】
棗鈴
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
アルルゥ
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:重症(左胸部創傷)】
【場所:C-5】
相楽美佐枝
【持ち物:ナイフ、特殊支給品(詳細不明)、水・食料一日分】
【状況:健康 ディーと契約】
最終更新:2011年09月06日 17:45