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第九話 ゼロシーム

「う~ん、打てないね~はこみん」
「バットに当たっても前に飛ばせてないよ~」

 打席に立つ俺の後方からは由姫ちゃんの言葉が飛んでくる、
黙ってろよ、この球がどれだけ打ちづらいか分かんないくせして。
マウンドに立つ千晴ちゃんの球は対して早くも無いのに……いや俺からしてみれば遅いと言ってもいいだろう。
それなのに俺はこの球を全く前に飛ばす事が出来なかった。
 当てる事は出来る、粘る事もできる……けれどどうしても打ち上げてしまう。
球持ちの良さやタイミングが取りづらいフォーム、そして振った瞬間に芯を外すかのように浮かび上がる感覚。
どうしても打ち上げてしまう――こんな球を武藤さんは一打席目で?……ハハハ、やっぱあの人凄いなあ。
 ――あら?今度はカーブだった?緩急までつけて来ると本当にタイミング取りづらいなぁ。
ったく、集中できやしねぇ……もう五打席目が終わっちまったぜ。

「やった~、私の投球感が戻ってきた~」
「……ってこたあまだまだ本調子ってな訳じゃないと?」

 ありえない位ギリギリの所を突いてくる制球力も的確に投げ分けるカーブもまだ本調子じゃないと、
ハハ……、たっちゃんが目をつけるのも無理ないか――由姫ちゃんの何倍も上手だぜ。
俺は少し悔しながらもお辞儀をして打席を去った、あの場所にこれ以上立ってても満足いく結果は出ないと判断したからだ。

 あの子の球で確認した球は2つ、ひとつはタイミングが取りづらいムービングファストみたいな球、通称“ゼロシーム”彼女の得意球らしい。
もうひとつは緩急を狙ってくるカーブ系の球、この2つをありえない程のコントロールで上下左右に投げ分けているのである。

「ははは、俺はあいつの球打てたもんね~」

 武藤さんが自慢げに話す、まああの球を初見で打てるのは確かにかなりの才能だとは思う、
けどそんな武藤さんも凡退にする球をあの子はまだ隠し持っている――
その球がどんな球なのかは武藤さんも吉川さんも誰も教えてくれない。
分かることは今の俺では太刀打ちできる相手ではないと言う事であった。

「……」

 その後、俺は打撃練習をチームの人から誘われたが断ることにした、
人に見られながら先ほど惨めに負けたばかりの打撃練習を行いたくなかったのだ。
俺はただ……隅っこで一人で投球練習、こっちなら負ける気は全然しないのに――
そんなことを考えているとふとたっちゃんと千晴ちゃんが声を掛けにきた。

「うわぁ~、すごいですねっ」
「気合入ってるな! はこみん」

 ……ったく、何なんだよ、負けたんだから一人にしてくれよ、集中させてくれよ。
そんな事お構いなしに千晴ちゃんとたっちゃんは話しかけてくる。

「私、あの球打てる気しないですよ~」
「へっへーん!高校時代俺はアイツから二本もヒットを打ったのさ~」
「打ったのは全部抜け球だったけどな!」

 高校時代の事を言われ少しムキになって返す俺、
そういえばたっちゃんは高校時代打撃でも有名だったなあ。
あの頃は俺も長距離砲として言われていたけど、ここ一年以上バットは握ってなかったからなあ……
 なんで俺はこんな生活をしているんだろうか、自分の為の野球を捨ててまで必要な事だったろうか。

 ――そういえば由姫ちゃんはどうしてるのかな?
俺はふと、俺の投球を眺めていた二人に質問する。

「ああ、由姫ちゃんなら梓さんと一緒に練習してるよ
 千晴の投球が刺激になったのかものすごく張り切ってるみたいだよ、熱心だよね~」

 たっちゃんが千晴ちゃんを見ながらニヤニヤして言うと千晴ちゃんは少しプイっと頬を膨らませて返す。

「私だって忙しくなければもっと練習できますもん!」
「どうかな? でも今のままじゃあ由姫ちゃんが高校生になったときには追い抜かされるんじゃないかな?」
「そ、そんなわけないじゃないですか! 私箱壬さんに勝ちましたよもん!」
「バーロー、ピッチングじゃあはこみんよかずっと下だろ?
 体力不足のお前はとにかく走ってこい!」
「はうあう……も、もっと練習しなくちゃ」

 千晴ちゃんはたっちゃんの話を聞き少し悔しそうな表情を浮かべながら練習に戻って行った、
たっちゃんは貫禄があるなあ――俺も指導力が欲しいよ、全く。


 とはいえ、あの才能……指導の面はともかくとして素晴らしい才能だと俺は思った。
何せ球が予測できないのだから――それも変化量ではなく、変化の仕方がこの魔球を生み出しているである。

『俺も――負けてらんねぇな……』


 こうして、俺は久しぶりに帽子を深くかぶり武藤さんの所へ向かう、
俺だってこれでも伝説の投手と呼ばれていた男なのだ、死んでも馬鹿にはされたくないね!

「武藤さん、俺と勝負してみます?」
「おお!?俺とか!? いいぜ!」
「はい、投球の感を取り戻したいので……」

 俺が笑みを浮かべながらそういうと武藤さんはそれを挑発しているかのように捕らえたのか少し顔がマジになった。
無論、俺も最初から本気、つまりは最初からクライマックス!ってな感じで投げるけどな!


「いつでもいいぜ!?俺は何でも打つからなァ」
「望む所だ!」


 こうして、弾は放たれた。

 この一球は、俺の意識を大きく変えた大きな一歩、たった一歩に過ぎないけれどとても重要な一歩であった。




 ――そして武藤さんの振った木製バットは俺の放った150を超えたストレートに合わせられる。
 武藤さんの打った打球が地味な音だけを残して俺の差し出したグローブに突き刺さる、
 その瞬間、俺は久しぶりにマウンドに立っているという気分を味わった。



最終更新:2010年02月10日 03:16