江尻慎太郎


江尻 慎太郎【えじり しんたろう】

【役職】選手
【生年月日】1977年4月30日【投/打】右/ 右【ポジション】投手【プロ入り】2001年 自由枠【在籍期間】2010 - 2012
【経歴】仙台第二高 - 早稲田大 - 北海道日本ハム - 横浜DeNA - ソフトバンク

速球派サイドハンドリリーバー

最速153k/hの速球派サイドハンド。
二浪した末に早稲田を一般入試で合格している秀才で、同じ経緯でプロ入りしている事から「小宮山悟二世」とも呼ばれた。ダンディズム溢れるイケメンである。
普段の温和そうな雰囲気からは想像出来ない程勝負事に対しては負けん気が強く、本塁打を打たれた瞬間打球の行方を追う事もなくグラブを地面に叩きつけたり、インサイド攻めに対して激昂したアレックス・カブレラに逆に怒鳴り返すなど感情面でもヒートアップし易い。

日本ハム時代

2004年頃から序々に頭角を現し、先発ローテーションにも加わるなどしているが勝負所で打ちこまれる詰めの甘さもあり、1軍定着する事は出来ずにいた。
2007年には中継ぎ転向。これが見事に成功し驚異的な勝ち運もあり自己最多の7勝をマーク、初めてシーズンを通した活躍を見せた。ところが
シーズン途中に故障した右肘が思っていた以上に重傷でトミー・ジョン手術を受ける。復帰まで1年以上掛かり翌シーズンを棒に振る事になる。

肘も完治し、再起をかけた2009年だが開幕前から調子の上がらずにいた江尻に小林繁コーチからのサイドスロー転向案。これがまた見事に成功し、45試合登板とリーグ優勝にも貢献する見事な復活劇となった。このサイドスローは翌年心不全で亡くなった小林コーチの置き土産となった。

そして2010年開幕直後に石井裕也との交換トレードで横浜に移籍する事になる。

横浜時代

2010年も投壊状態にあった横浜では、便利屋ポジションで54試合に登板しフル回転の働きを見せる。
2011年には抜群の安定感を誇り中継ぎエースとして酷使に耐えながら自己最多の65試合に登板し22Hをマーク。オールスターにも出場するなど名実共にチームの柱となる。
そのあまりの登板過多による疲労を心配されていた翌2012年には春季キャンプで右肩を痛め開幕前に早々離脱。復帰後もスピードは出ているもののキレが今一つな状態が続き、結局オールスター前に2試合投げただけで再び登録抹消となった。

来季こそはと復活を期待されたが2012年オフ、今度は吉村裕基山本省吾と共に多村仁志吉川輝昭神内靖との交換トレードでソフトバンクへ移籍。
ブログでは「福岡で男になってきます」と言い残し横浜の地を後にする・・・


その他エピソード

  • 娘にみーちゃんがいる。江尻ブログでは江尻の登板過多で自転車の練習が出来ない事を嘆いていた、父親想い(?)の良い子。
  • 肩の消耗を嫌う投手の多いオールスターの場では、被災地である地元仙台のために進んで長いイニングを投げる事を志願したぐう聖。2イニング目には三者三振で切る好投でKスタを盛り上げた。
  • 一方で茶目っ気もあり日本ハム時代のリーグ優勝時にはナース服を着てビール掛けに参加して注目を集めている。
  • 日本ハムの入団会見では当時の監督・大島康徳氏の印象について「自分が小学校ぐらいの時には、ファミコンでチャンスに強いバッターとして使わせて頂いておりました」と答えて笑いを誘った。
  • 日本ハム、横浜と一緒にプレーした稲田直人と仲良し。登板後はベンチの端っこで一緒に反省会を開いていた。

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最終更新:2013年01月24日 00:41
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