山本省吾


山本 省吾【やまもと しょうご】

【役職】選手
【生年月日】1978年5月28日【投/打】左/ 左【ポジション】投手【プロ入り】2000年 1位【在籍期間】2011 - 2012
【経歴】星稜高 - 慶應義塾大 - 大阪近鉄 - オリックスBs - 横浜DeNA - ソフトバンク

ゴロマニア

愛称は「山省」。年々その数を減らしている現役近鉄戦士の生き残り。
球種の多い変化球を低めに集めて打ち取る技巧派左腕。内野ゴロに打ち取る技術には本人も相当な自身を持っていて「ゴロマニア」を自称している。先発・リリーフのどちらにも対応できる柔軟性もある。
調子が良い時は十分に先発ローテを任せられるレベルの投手である反面、球威自体は大した事がないため制球が甘くなると滅多打ちにあう欠点もある。残念ながら横浜在籍時には後者の方が色濃く出てしまった・・・

近鉄・オリックス時代

2002年に台頭して以降は貴重な左腕として無難に活躍。
2002年にはリリーフとして56試合に登板、2008年には先発として二桁勝利を挙げるなど使いかってが良く、決してエース格ではないものの長年1軍の戦力としてチームの台所事情を助けてきた存在。若干隔年型投手としての傾向がある。
2008年には監督推薦でオールスターにも出場している。

2010年オフシーズンに交換トレードで横浜に移籍。
よく寺原早人との1対1のトレードと勘違いされ易いが、実際には山本省吾・喜田剛寺原早人高宮和也の2対2トレードである。

横浜時代

2011年シーズン前に、清水直行が故障で離脱、B.リーチの震災による帰国、 三浦大輔大家友和が不調続きとローテの軸を期待していた投手が全滅した事もあり、移籍初登板でまさかの開幕投手を務める、当然自身初。
実力は確かなのだが痛い痛いと言って中々投げてくれない寺原に代わり、一年間ローテを守ってくれる事を期待しての獲得だったが、不調続きで早々にKOされる日々。2軍に落としたくても他がいないので晒し投げの状態は結局前半戦一杯続いた。
対してトレード相手の寺原はオリックスで二桁勝利を挙げる活躍、これにははませんを含めた全横浜ファンが発狂した。

ボロクソ言われ再起をかけた2012年はOP戦から好調を維持、開幕ローテを掴む。4月11日のヤクルト戦では親がDeNAとなった新球団初となる完封を記録(5回無失点雨天コールド)。しかしその後は序盤こそ無難に抑えるも中盤以降につかまるもの足りない投球が続き2軍落ちとなる。
脅威の雨男っぷりを見せ、この年はOP戦含めて半数以上が雨天での登板となった。

オフには多村仁志神内靖吉川輝昭との交換トレードで吉村裕基江尻慎太郎と共にソフトバンクへの移籍が決まる。
このトレードにより多村仁志寺原早人 ⇔山本省吾の逆わらしべは結局一周して元の形に落ち着く事となった。


その他エピソード

  • お笑い芸人のオードリー・若林正恭にそっくりな事から「若林」とも呼ばれる。
  • 学業面でも優秀で慶応を一般入試で受かっている秀才。ブログや会話からも頭の良さが窺える。
  • オリックス時代には代走として出場した事がある。
  • オリックスファンからはひらがなキャラとして知られる、オリックス・近藤一樹と仲良し。彼をひらがなキャラにした犯人で山本曰く「えいえんのらいばる」。
  • ユーモア溢れる性格で彼のヒーローインタビューは面白いと評判。横浜でももっと見せてほしかった・・・
  • 交流戦の選手会企画である「交流戦ライバル宣言」でもユニークなコメントを多数残している。

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最終更新:2012年11月29日 02:24
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