キョンの病欠からの続きです
…部室の様子からもっと物が溢れ返ってる部屋を想像したんだが…。
初めて入ったハルヒの部屋はあまり女の子らしさがしないシンプルな内装だった。それでも微かに感じられるその独特の香りは、ここが疑いようもなく女の子の部屋なのだと俺に認識させてくれた。
「よう、調子はどうだ?」
「……だいぶ良くなったけど…最悪よ」
…どっちだよ。
ハルヒは少し不機嫌な表情でベッドに横になっていて、いつもの覇気が感じられなかった。いつぞやもそう思ったが、弱っているハルヒというのはなかなか新鮮だな。
「ほら、コンビニので申し訳ないが、見舞いの品のプリンだ。風邪にはプリンなんだろ?」
サイドテーブルに見舞いの品を置くと、ハルヒはそれと俺の顔を交互に見つめて訝しげにこんなことを言ってきた。
「……あんた、本当にキョン?中身は宇宙人じゃないでしょうね?あたしの知ってるキョンはこんなに気が利かないわよ?」
弱っていても失礼な奴だな、お前は。俺にだってこの程度の気遣いは出来る。
「…ま、昨日は世話になったからな」
実際、熱にうなされ苦しんでる時にハルヒの存在にどれだけ救われたことか。あと、その風邪を移したのはほぼ間違いなく俺だろうしな。
そう思うと俺は何かせずにはいられない気持ちになってしまい、その素直な感謝の気持ちが俺に自分らしくない台詞を口に出させていた。
「何かして欲しいことあるか?宇宙人を連れてこいとかいう難題以外なら、今日は素直に言うことを聞いてやろう」
俺がそう言うとハルヒは黙ってしまった。時計の秒針の音だけがカチカチと部屋に流れる。
そろそろ沈黙が痛くなってきて、俺が自分の台詞を後悔し始めた頃、ハルヒは絞り出すように少し震えた声でお願いを口にした。
「…………手」
「ん?」
「……昨日みたいに手を握りなさい」
「ああ…」
差し出された右手に俺も右手を重ねる。……素面でやると結構恥ずかしいもんだな。
ハルヒの熱が伝わったのだろうか?俺の顔も熱くなってきた。きっとハルヒの手が熱いからだ。うん、そういうことにしておいてくれ。
「……あと、頭撫でなさい」
……そんなことを命令口調で言っても威厳はないぞ?
「……早くしなさいよ」
恐る恐る手を伸ばし髪に触ると、ハルヒは一度ビクッと強張ったが、その後はおとなしく髪を撫でられていた。
そうしてさわさわと撫で続けていると、ハルヒはくすぐったそうに目を細めていたが、少し無理をして起きていたのか、1分もしない内に眠りの世界へと落ちていった。
どのくらいそうしていただろうか?目の前のハルヒからはスゥスゥと規則正しい寝息が聞こえてくる。
黙っている時のハルヒは反則的なまでに可愛く、それがまたあどけない寝顔なのだから、じぃっと見ていると妙な気分になってくる。
いかんいかんと頭を振りながらも、俺はどうしてもハルヒの寝顔から目を離せずにいた。
今までこんなに穏やかに、じっくりと、しかも本人の目の前でハルヒについて考えたことはなかった。
だからだろうか?その事実に気が付いてしまい、そして驚くほどすんなりとそれを受け入れることが出来たのは。
俺はなんだかんだでハルヒのことを憎からず思って…いや、むしろ積極的な好意を持っている。
「……そうか、俺はハルヒのこと好きだったんだな」
それを言葉にして口に出してみると、急に落ち着かなくなり恥ずかしさが込み上げてきて、俺はハルヒが起きる前に帰ってしまうことにした。
椅子から立ち上がり鞄を手に取ろうとした時、俺はハルヒの額に浮かんでいる汗の存在に気が付いた。
…クソ、気になっちまった。
ハルヒの穏やかな寝顔に似合わないその汗がどうしても許せず、気が付くと俺は枕元のタオルを手に取っていた。
ハルヒの額の汗を丁寧に拭うと、シミひとつない白い肌が露になる。純粋に綺麗だな…と思っていると、ハルヒは不意に俺の名前を呟いた。
「……ん…キョン…」
「…………」
チュッ
…………待て、俺は今何をした?
俺の唇に残るほのかな温もりは間違いなくハルヒのそれであり、ハルヒの額に残る微かな赤みは間違いなく俺が付けたそれだった。
要するにキスだ。キス?額にとはいえ俺がハルヒにキスをしたのか?
ぶわっと今度は俺の額に汗が浮かんでいくのを感じる。ハルヒの寝息が聞こえなくなるほど心臓の音は大きくなっていった。
俺の頭に窓から逃げようという意味不明な選択肢が浮かんだ瞬間、ハルヒは静かに目を覚ました。
「……ん」
ゆっくりと、ハルヒの目が開いた。
ヤバイ、怒鳴られる。いや、むしろ殺される。
上がりっぱなしの心臓の回転数は今にも限界値を突破しそうだった。
宇宙人でも未来人でも超能力者でもいい、自業自得なことも分かってる、それでもお願いだ。時間を1分前に戻してくれ!
「……あ…今少し眠ってた?」
…気が付いてないのか?
「…え?あ、そうだな、10分くらいかな?」
…気付かれなかったことにほっとした反面で、少し残念に感じるこれはどういった感情なのだろうか?
こちらの動揺をよそにハルヒは俺をじっと見つめ、なにげない一言で止めを刺した。
「今日はありがと、キョン」
「…ッ…」
その素直な感謝の言葉が胸に刺さり、心臓が止まりそうなほどの罪悪感が俺を責める。こんな気持ちになるのなら、いっそのこと気付かれて公開処刑されたほうがまだマシだ。
脳内裁判にて裁判長・長門が俺に有罪を言い渡したところで、目の前に予期せぬ逃げ道が現れた。
「…ふゎ…まだ眠いからもう少し眠るわ」
「あ、あぁ、眠いなら寝たほうがいいぞ、うん。なんせ風邪だからなっ」
自分でも不自然だと思える早口に俺の動揺は更に深刻なものになっていき、それがとんでもなく卑怯な行為だと理解しつつも、俺には真実を語らずに逃げ帰るしか、自らを落ち着かせる術はなかった。
「じゃ、じゃあ、俺は帰るな!また明日っ」
バタン!
転がるようにハルヒの家から出ていくと、外は既に暗くなり空には綺麗な月が浮かんでいる。
ふとハルヒの部屋を見上げると、まだ眠ると言ったはずのハルヒがこちらを見下ろしていた。
何か言っているような気がしたが聞き取れるはずもなく、俺は明日からどんな顔でハルヒに会えばいいんだろう?と思いつつ、逃げるように家路に着いたのだった。
「……どうせなら口にしなさいよ、馬鹿キョン」
End