「答えを、ください」
発表会後。楽器片づけ。古泉一樹は横で切れた弦を取り替えている。
血の付いたバイオリン。全てを言い終えたという、すっきりした顔。
彼に言わなければならない。
「あなたの想いに答えることはできない」
と。
あなたは空気だった。いて、当たり前、だった。
ちょうど、涼宮ハルヒからみた朝比奈みくるがそうであるように。 水のように当たり前の存在。
あなたは最初から当然のようにこの団に存在していた。
『全ての音に意味があるように、全てのことには必ず理由がある。当たり前など、この世界に存在しない』
全ての音に、意味がある。夏合宿の時。崖から落ちた彼に対して何もできない、不安、に答えてくれた。
すべてのことに意味がある。自分で、自分に、矛盾していた。揺れる意味なんて。
「…」
ない。
もう何も話せない。ただ、事実だけを言おう。
「わたしはフランスへ…親友のためにも、彼のためにも」
期待してくれる、彼らのためにも。
わたしを試した佐々木さんのためにも、変な谷口くんの応援のためにも。
そして、わたし自身の心のためにも。わたしは揺れない。
あなたひとりの勝手にはさせない。わたしはもう迷わない。
…ごめんなさい。
そう、言いかけた、ちょうどそのとき、古泉一樹は指揮者に呼ばれる。
ある晴れた日のこと
春休みが終わった登校日最初の短縮授業。俺は古泉と歩く。前には女子三人組。いつもの光景。
「僕だって永遠にこのままでいられるとは思ってなかったのです。例えば、もしもKKK団に入らなかったら、と、そう思うときも、たまにあるんですよ」
俺を安心させるつもりか、古泉はこっちを見て微笑んだ。
「たまにです。どちらか選べと言われたなら、僕は今の立場を選択します。世界的ミュージシャンや天才フルートと日常的に対話できるなんて、これ以上に物珍しい体験はちょっとやそっとでは思いつきませんね。舞台上で共演したあなたには敵わないでしょうが」
俺ときたら、お前の挙げたその二人にお前が加わる珍しさだからな。知識がないだけで、古泉も神から与えられた才能があった。夏合宿の時、長門と違和感なく共演してた時点で気づくべきだったのかもしれん。んでそんなこんなで、お前は「悪魔のバイオリン」を再現したわけだ…ああ、それに比べて、俺ときたら…劣等感で悲しくなってくる。※
「その例えなら、あなたこそその、与えた神です…楽しんでバイオリンができたからでこそ、今の僕がいます」
俺はけたたましく過ぎていった今年度の日々を思い返す。
「…どちらにしろ、どうあがいたって僕たちの属性から高校生という一文が削除される日は必ず来るんです。留年でもしないかぎりね。だとしたら今しかない高校生という立場をそれなりに謳歌しておかないと」
出会った春。悩んだ夏。長門を送り出そうと見切り発車でみんながじたばたした秋。そして、冬の、白い闇。揺れまくる心と、すれ違いと、矛盾だらけの日々。
「現在のあなたが、自分の音楽に対して答えを見つけたように、僕もまた涼宮さんやあなたがた団員の皆さんに初対面時には考えられないほどの好意を抱いています。楽器で分類するならコンマスでもありますし……いえ、そんな肩書きを理由にすることもないですね」
ジャズならトランペットの俺がバンドマスターだぜ。そう言うと古泉は微笑み、緩やかに白い息を吐いた。
三月には、長門は、フランスへ旅立つ。G線だけでジャズを弾いた古泉は、新川さんからオケ付属の音楽教育機関、ル・シャ音楽院の特別聴講のための推薦状を受け取った。
めでたく古泉は機関の末端。お二人は共にフランスへ。お前には、おめでとうと言ってやるべきか。
「…恋敵におめでとうとは…」
少し笑い
「長門さんはしっかりと成長しました。口数も増え、精神的にも昔と比べ物にならないくらい強くなりました。なのでプロとしての長門さんがあっさりと窮地に立つなど、あとそう何度もあるとは思いたくありませんが、万一そのとき、僕にできることなら何でもしますよ」
朝比奈さんとハルヒは引退。科学研究会に残るのは俺だけ。これからバラバラになるKKK団員。不安も多くあるが、希望の総量を打ち負かすほどではない。
「よし」
と、俺は言った。
「未来を変えよう。今の、この時から」
矛盾・終
※悪魔のバイオリン:イタリアのバイオリニスト、ニコロ・パガニーニのこと。
演奏会にて、弾いている最中に次々とヴァイオリンの弦が切れていき、最後にはG線しか残らなくなってしまったが、それ一本で曲を弾ききったと言われる。
その演奏はあまりに人々の心をかき乱したため、悪魔の声とまで言われた。
光
一面のブドウ畑。円形の小さな街。
チャーチオルガンの音が教会に響く。
鐘が鳴る。教会に群衆が集まる。
歌を、歌をください。
毎日を営む、私たちの幸せのために。
あなたたちの歌を、幸せをください。
わたしはフルートを構え、それに答える。後ろでバイオリンが弓を引く。
発表会
曲目:サルバティオ(救い)
今、世界は私たちのもの。
さあ聞いて。私たちの揺れを。
フルートから聞こえる、光の精霊。
バイオリンから聞こえる、暗い世界。
明るい光は、暗い闇を切り裂く。
輝光、暗闇が対立する。揺れる。
二つはやがて和解し、調和する。
光り輝く世界。空のような、淡い青色。
さあ、復活のときが来た。
歌え、喜びのコラールを。
全てを受け入る、優しい伴奏。
暖かい舞を踊る、強い主旋律。
しかし、この世界は終わらなければならない。
だから、その前に伝わってほしい。
たたきつける弓。輝くフルート。
強く、強く。響孔から響く、街に伝えるおと。
この揺れよ、伝われ。伝われ…
彼と佐々木さんが共演したときは、こんな感じだったのだろうか。
今となってはもう分からない。
ただ、佐々木さんの交換日記には記そうと思う。
わたしがここにいたことを、
ここで喜びを歌ったことを。
青い空が見える。あの時の大豪邸ではない。
明らかに昼で、透明な空気がどこまでもどこまでも続いている。
先ほどまで音楽だった、普通で、幸せで、そして美しい音が山をこだましていく。
まるで、"音楽からの自由"を祝福するように。
『この物語はフィクションであり実在する人物、団体、事件、その他の固有名詞や現象などとは何の関係もありません。嘘っぱちです。どっか似ていたとしてもそれはたまたま偶然です。他人のそら似です。ちなみにル・シャ(猫)の音楽院はないし、ジロンド県に国立オケはありません。あ、ワインとかは別よ。ボルドーワインをよろしく! じゃんじゃん買いに行ってあげなさい。え? もう一度言うの? この物語はフィクションであり実在する人物、団体…………。ねえ、キョン。何でこんなこと言わないといけないのよ。あたりまえじゃないの』
ありがとうございました。