雨が降る。

まるで自分を打ち付けるように、自分から何かを洗い流すように。
肌を伝い、逆らえない重力に沿い、雫がまっすぐ落ちていく。

足を進める。ぱしゃりと鳴る。水たまりに波紋が広がる。
無数の雨も、暗い夜道に無数の波紋を生んでゆく。

いくつもの波紋が絡み合ってその形を歪ませるように、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
いま、何を考えてたっけ。
それを思い出すのにも、少しばかり時間がかかる。
ーーああ、そうだ。

「ついてこないで」

美樹さやかは思い出した。思い出したくなかった。
自分を心配する親友に投げつけた言葉。
もう救いようがない自分。
ひとつずつ、少しずつ、明確に思い出していく。
魔法少女が、どんな存在なのかということも。



気付けば、雨は止んでいた。
見上げた先は相も変わらず真っ暗で、けれど先とは違い、空を覆っているのは雲ではなく天井だった。

(まさか……魔女の結界!?)

変身しようとソウルジェムを握り締めるも、ふと違和感に気付く。
魔女の力によるものにしては、周囲の人々はしっかりとした自我を持っているように見える。
姫神葵と名乗り殺し合いをしろという男に反抗の声を上げる少年など、その最たる例だ。

(魔女じゃない……殺し合い? 何が起こってるのよ?)

頭が追い付かない内に、ピピピピと無機質な音が鳴り響く。
自然と発生源に視線を遣ると、アラームは止み、代わりと言わんばかりの爆発音。

(あ……)

首のない死体。
嫌でも巴マミの死を思い出してしまう。
さやかの顔からは血の気が引き、姫神の話もほとんど頭に入ってこなかった。

「優勝者には、どんな願いでも叶えてあげる……というのはどうかな?」

たったひとつ、願いを叶えるというその言葉を除いて。






気付けば、ひとりで立っていた。
姫神という男の声も、周囲から感じていた怯え、嫌悪などの雰囲気も消えていた。
ここはどこかの工場だろうか、鉄でできた建物は特有の冷たい空気を醸している。

(願いを叶える……)

何度も何度も、それだけが頭の中に響く。
声に出していないのに、まるで鉄の壁に反響しているかのようだ。
そしてその度に考える。願いを叶えた結果、自分はどうなった?
魔法少女とは、どういった存在だった?

願いを叶えてもらえたとしてーー絶望から解き放たれるか?

「……もうたくさんよ。願いを叶える代わりにゾンビみたいな体になるのも、あいつが言うままに殺し合うような、人形みたいな奴になるのも……お断りだわ」

魔法少女となり変質してしまった魂を元に戻すことが叶うのだろうかと、考えないわけではない。
けれど、もう十分、さやかは沁みるほど痛感している。
願いを叶えてもらう代償がどれだけ大きいかということを。

(あそこにいた全員を殺して、あたしだけ元の普通の女の子に戻ったって……前みたいな普通の生活になんて、戻れるわけないもの)

あの空間にまどかがいたのが見えた。
人相の悪い者もいたが、人の好さそうな者だっていた。
そういった人々を殺して自分だけ普通を取り戻したとして。
それが幸せとは思えなかった。

大切な人の為に願いを叶え、その願いを理由にまた別の願いを叶える。
そんなのきっと、今よりももっと自己嫌悪に陥ってしまう。

「魔女ではないみたいだけど、あんな奴、あたしが倒してやるんだから」

姫神を倒し、みんなで元の日常へと帰る。
決意を込めて、今度こそ変身をしようと試みる。
が、風を切る音を耳に捉え、咄嗟に立っていた場所から飛び退く。
さやかが立っていた空間には、頭上から拳を叩き込もうとしていたらしい赤髪の少年の姿があった。
ガン!と重い着地音が響く。

「ちっ、避けられたかー……ん?」
「何すんのよいきなり……あんたまさか、殺し合いに乗ってるの!?」

「乗ってないよ」

驚いて声を上げるさやかとは対照的に、少年はあっけらかんと答えて近付いてくる。
武器を持っていないか、他に人はいないか、慎重に観察しながらさやかは少年から距離を取る。
年齢はあまり離れていないように見えるが、まだ変身していない今、迂闊に近寄りたくなかった。

「渚くんじゃなかったや。ごめんごめん、友達と間違えたよ」
「くんって……男の子と間違えたの!? 本当に人違いなの?」

明らかに敵意を持った攻撃を仕掛けてきた挙句、呼び方からするに自分を男と間違えたと宣う赤髪の少年を、さやかは信じることができなかった。
歩み寄られる毎に後退りながら、きっと少年を睨む。

「言い訳ならもっと上手く繕いなさいよ」
「言い訳じゃないんだけどなぁ。渚くんの性別が渚くんなばかりに俺が疑われちゃうなんて。名簿に顔写真載ってるから、それ見れば分かると思うよ」
(名簿……)

参加者名簿をぺらぺらと捲る少年を見て、初めてそんなものが配られていたことを知る。
手元を見れば、いつの間にやら持たされているザックに、地図、名簿などの支給品。
自分のことすら確認するのを忘れてしまうくらいに余裕がなかったのかと唇を噛む。

「あ、ほらほらこの子だよ。髪の色とか似てるじゃん?」
「……確かに、まあ。色は似てるわね」

さやかはふたつに結っていないにせよ、空色の髪は一見間違えてしまうのも分からなくはない。
加えて、写真の首の細さを見る限り、体格的にも女性と大差ないように思えた。

「……じゃあ、さっきのは何だったのよ。友達へのスキンシップにしては随分過激じゃない?」

人違いであったことは納得できなくもないが、最も腑に落ちないのがそこだ。
殺し合いをしろと言われたこのような場所で友達を攻撃するという行動を、怪しむなという方が無理な話だろう。

「だいじょーぶ、殺す気はないよ。ただ、一発くらいは入れてケジメつけないと気が済まないだけ」
「ケジメ? 喧嘩でもしてるの?」
「んー、まあそんなとこ、かな。安心してよ、俺が殺したいのはひとりだけだから」
「は!?」
「そのタコも、名簿を信用するならここにはいないっぽいしね」
「タコ!?」

少年の言うことがさっぱり理解できず、目が回りそうだった。
にやにやと口角を上げた表情を見るに、意図的に伝わらないであろう喋り方をしているように感じる。

(誰かを殺すつもりって言ってる人を野放しにするのは……でも、さっきの勘違い以降は敵意もなさそうだし……)

目の前の少年にどう対応すればいいのか、判断がつかない。
魔女のように分かりやすく人に仇なす存在とは違うため、ただ斬り捨てるということもできないのだから面倒だ。

「ところでさぁ、俺も気になるんだけど」
「な、何がよ」

笑みを浮かべた眼差しはそのままに、少年は軽く言葉を紡いだ。

「友達に攻撃しようとした俺を見るアンタの目、俺を責めてるようにもアンタ自身を責めてるようにも見えたよ。そっちも何かワケあり?」

言葉を詰まらせたさやかに、少年はまずは自己紹介といこうか、と距離を縮めてきた。
後退りしようにも、足は動かなかった。





「業って……変わった名前ね」
「俺もそう思うよ。気に入ってるけどね」

赤羽業(かるま)という少年の名前に、失礼だと思いながらも、ぽろっと正直な感想を零してしまう。
業本人は慣れているのか、特に気にした様子もなくけらけらと笑っていた。

「俺のクラス、他にも面白い名前の奴がいるんだよ」
「他にも?」
「うん。こう書いてさ」

支給されていた紙に“正義”と書き、さやかにそれを見せ、一息置いてその読み方を教える。

「ジャスティス」
「……た、確かに変わってる、わね」

予想外の英語の読みに驚きつつ、思わず紙から目を逸らす。
人を守りたい、正義の味方になりたい。
純粋にそういった想いを抱えていた頃の自分を思い出してしまう。

「まあそれはさておき。俺のこと、少し話しておくよ」
「あんたのこと?」
「事情が分かれば、さっきのことも納得してくれるだろうしね」
「……まあ確かに、もうあんたを疑ってないと言ったら嘘になるわ」
「でしょ?」

さやかの言葉に頷くと、業は廊下の手摺に片膝を立てて座った。
業の話すところによると、彼は椚ヶ丘という中学校の、3年E組の生徒らしい。
そのE組の担任教師は黄色くてヌルヌルしたタコのような生き物であり(正直どんな姿なのか想像できないし、語感的にしたくない)、3月までに自分を殺さなければ地球を爆発すると言ったそうだ。
E組の生徒たちはそんなタコのような教師ーー殺せんせーから学びを受けつつ、地球(を救った恩賞の100億円)の為に日々暗殺に励んでいた。

「ただ、最近になって事情が変わってきてね。殺せんせーの過去だとか、暗殺しなくても3月になれば死んじゃうこととかを知ってさ。クラスが分裂したんだよ」
「分裂?」
「殺すか、殺さないか」

殺せんせーを助ける方法があるならそれを探したい、もっと一緒にやりたいことがある、などの意見が出始めたそうだ。
そして最初に殺したくないと言い出したのが、先程業が言っていた“渚くん”なのだという。

「渚くんが一番暗殺の才能があるクセにさ、楽しかったじゃん、なんて言っちゃって。才能がない奴らだって、それでも必死こいて殺せんせーを殺そうとしてたのに、それをバカにしてんのかって感じだよね。
暗殺があったから、俺たちはやってこれた。暗殺が成り立たせてきたクラスだからこそ、殺意を鈍らせたらダメなのにさ」

どこか斜に構えたような喋り方をしていた業が、感情的な声を絞り出していた。
人を小馬鹿にした男という印象だったが、そうではない真剣な部分もあるらしい。
自分でも熱が籠ってると感じたのか、業はひとつ深呼吸をしてから続ける。

「もちろん俺は殺すつもりだよ。他にも同じ意見の奴はいる。でも、同じくらいそうじゃない奴だっている。
そんな俺たちに何故か話のど真ん中の殺せんせーが提案したのがサバイバルゲーム。勝った方の意見がクラスの総意ってね」
「どっちが勝ったの?」
「分かんない」
「え?」

予想外の返答に素っ頓狂な声を上げてしまう。
また茶化し始めたのかと思ったが、業の目は笑っていなかった。

「いざサバイバルゲームが開始したと思ったら、何故かあんなところにいたんだよ。どうしてくれるんだろうね」
「それは、なんというか……煮え切らないわね」
「そうなんだよ。いくら意見が対立してるとはいえ、殺したいとは思わない。だからといって、大人しく協力して帰るには心情がついて行かないワケ」
「それで、一発入れて一時休戦といこう、と」
「そういうこと」

業が嘘を吐いていたり、隠し事をしている可能性はゼロではないが、咄嗟の作り話にしては妙に凝っているし、スラスラと話していた。
一先ずは信じても大丈夫かもしれない。

「まあ気持ちは分からなくもないけど。とばっちりもいいとこだったわ」
「それで、美樹さんはどうする?」
「そりゃ、あの姫神って奴を倒して……」
「そうじゃなくて」

一通り口にしたことである程度気持ちが落ち着いたのか、業は再び目と口に弧を描いてさやかを見ていた。

「美樹さんは、今の内に何か吐き出したいこととかないの?」
「え? べ、別に……」
「何もないならいいけどさ。ここで本当に殺し合いが起きてて、俺たちも危険に巻き込まれた時、蟠りは少ない方が体だって動くでしょ」

表情に対して真面目な声色だった。
数度瞬きをして、話してしまうべきか悩む。

(椚ヶ丘、だっけ。全然知らないところの、全然知らない男の子)

きっと今この時以外では、ふたりの道が交差することもないだろう。
姫神を倒して巻き込まれた人々を助け、日常に帰ることができたとして、彼に話をしていてもしていなくても、きっと何が変わることもない。

(なら、ちょっとくらい……)

話しても話さなくても、同じこと。
選択肢が用意されていても結果は変わらないゲームと一緒だ。

「……あたしさ。魔法少女ってやつなの」
「竹林向きだなぁ」
「え?」
「なんでもない」

業は口を噤み、同じように手摺に座ったさやかを見る。
出てきた名前が気にならなくもないが、話を続けることにする。

「魔法少女はね、願いを叶えてもらうのと引き換えに、人々に禍をもたらす魔女と戦う使命を負うの」

一旦区切って、唇を噛む。
ただそれだけなら、どれだけ良かったことか。

「でもね、戦うことだけが代償じゃなかったのよ。ソウルジェムっていう……なんて言えばいいのかな、あたしたちが戦う為に必要なものがあって。願いを叶えて契約した時点で、あたしの魂はそっちに移し替えられてたらしいの」

業が微かに目を瞠る。
それがどういうことなのか、なんとなく察したのだろう。

「今あんたが思った、その通りのはずだよ。こうして普通に動いて、普通に会話もできるけど、この体は普通じゃない、抜け殻みたいなものなの」
「口振りからするに、知らなかったんだ」
「知らなかったわよ」
「悪徳商法だね」

言い得て妙だが、笑えない。

「ショックよね。こんなの、人間とは言えないし。それでも、魔女との戦いは続けたわ。もうそれくらいしか意味のない体なんだもの。いくら傷付いても治せるし、その気になれば痛みだって消せた」

話しながら名簿を捲る。
五十音順に並んでいるらしく、目当てのページは比較的すぐに見つかった。

「でもね、この子、鹿目まどか。この友達に言われたの。そんな戦い方したらダメだって、そんなのあたしの為にならないって」

思い出すだけで、黒くモヤモヤした感情が押し寄せてくる。
それと同じだけ、自分のことも嫌になる。

「そんなまどかにさ、あたし言っちゃったの。だったらあんたが戦ってよって。才能あるのにあんたが戦わないからあたしがこんな目にあってるって」

バカだよね。
力なく呟く。なんてこと言ってんだろうね。
返ってくる言葉はなかった。

「まどかは本気で心配してくれてたんだろうにさ。まどかにぶつけた言葉は本心かもしれない、でもそんな自分が嫌になるのも本心なの。そんな時に、こんなことに巻き込まれたわけ」
「ぐちゃぐちゃだね」
「ぐちゃぐちゃよ」

たった一言で、抽象的にまとめられた。
けれど、どの本心が一番強い想いなのかも、あんな言葉をぶつけたばかりのまどかと再会したらどうすべきなのかも、何もはっきり分からないのだ。
ぐちゃぐちゃ。それくらいの言葉がちょうどいいのかもしれない。

「難しいもんだね、友達って。才能あるクセに使わないようなことしておいて、ムカつくのにさ」
「どんな顔して会えばいいのかすら分かんないのに、殺したいとも思わなくて。ケジメに殴ってやろうとも思わないけど」
「言ってくれるじゃん」
「仕返しくらい、いいでしょ」

お互い話したことに、肯定も否定もしない。
友達でもなんでもない、赤の他人だ。どちらもするべきではないだろうと、ふたりともが思っていた。

「改めて、どうする?」
「言われるままに殺し合うのは嫌」
「同じく。気に入らないよね」
「一緒に行く?」
「その方が安全だろうしね」

ふたり同時に床に降りる。
カツンと、鉄でできた床が小気味良い音を立てた。

「そうだ、あのシロみたいな奴をぶっ飛ばす前に、首輪をなんとかしなきゃマズいよね」
「そっか、首輪……」

あの時の機械音、爆発音が鮮明に頭に浮かぶ。
さやかのような魔法少女なら問題ないかもしれないが、業のような普通の人間では刃向かおうとした瞬間に首を撥ねられることだって十分に有り得る。
姫神葵を倒すのなら、首輪の解除は避けては通れない道だろう。

「イトナならこういうのもバラせたかな。いやでも、爆発物なら竹林か……」
「イトナ、竹林?」
「イトナは機械いじりが得意なクラスメイト。竹林は……まあ、メガネ(爆)。連れて来られてないなら、そっちの方が断然良いことだけどね」
「待って、メガネ(爆)って何、メガネ(爆)って」

殺せんせーを殺すべきか、殺さないべきか。
抜け殻のような体で何をするべきか、どこが自分の本心なのか。
まだ答が出ないことは多いけれど、やるべきことは分かる。

首輪を外し、姫神葵を倒す。
友達より、因果より、単純で明確な答え。

歩きながら地図を広げて、どう動くかを相談する。
カツン、カツン、カツンーー。
ふたり分の足音が、鉄でできた建物特有の冷たい空気を震わせていく。
この空気が水たまりだったなら、重なり合いそうで重なり合わない、ふたつの波紋が広がっていたことだろう。





【D-6/工場内/1日目 深夜】


【美樹さやか@魔法少女まどか☆マギカ】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:不明支給品1~3
[思考・状況]
基本行動方針:姫神葵を倒し、元の日常に帰る
1.まずは首輪の解除方法を探す
2.もしまどかを見つけたら……どうしよう

※第8話、雨の中まどかと別れた直後からの参戦です。半ば放心状態だったため、ルールを全て把握できていません。

【赤羽業@暗殺教室】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:不明支給品1~3
[思考・状況]
基本行動方針:元の日常に帰って殺せんせーを殺す
1.まずは首輪の解除方法を探す
2.渚くんを見つけたら一発入れとかないと気が済まないかな

※サバイバルゲーム開始直後からの参戦です。

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最終更新:2020年09月20日 12:09