Chain of Destiny♮彷徨える心
太陽が燦々と輝き、いよいよその身を丁度空の真上にまで至らせようという市街地の中を、しかしなるべく影を歩くようにして進む男が一人。
全てを照らすような陽の光をなるべく視界から外して俯き歩く男に、名乗る名前はない。
かつて紅渡として生を受けた彼は、しかし誇り高き先代の王からキングの称号を受け継ぎ、その名を名乗り続けるはずだった。
だがその称号も、今や彼には残されていない。
王にのみ従うとされる忠実なる僕が、彼はキングの器たり得ないとして彼の元から去ってしまったために。
故に、彼の足取りは今までのどの瞬間よりも重く、そして緩慢だった。
今までは徒歩で1時間もあれば十分に横断できたはずのこの会場の1エリアを、もう2時間ほど経つというのに満足に進めていないのが、その証拠。
特段進まなければならない目的もないのにそれでも彼が足を止めないのは、立ち止まれば今までの罪悪感が自分を押し潰すような気がするからだ。
紅渡として犯してきた数多の罪と、キングを名乗る為踏みにじってきた数え切れないほどの善良な人々。
もしここで足を止めてしまえばもう二度と動けなくなるような気がして、渡はただひたすらに歩き続ける。
罪の意識からも、それを受け止め考えることからも逃げたいという一心で。
まるで幽鬼のような足取りでアスファルトに靴を擦りつけ歩む彼は、ふと視線の先に広がる影が一層濃厚な黒に変化したのを受けて、その顔を見上げた。
そこにあったのは、以前自分が襲ったのとほぼ同じ白亜の塔……病院。
E-4エリアにあったものより幾分か小さく見えるそれに、しかし彼は以前自身が犯した所行を思い出して吐き気を覚えた。
違う建物と頭では分かっているはずなのに、自分が世界の為と銘打って病院にもたらした災禍が、どうしようもなく脳裏をちらつく。
あの時に至るまで、どうとでも引き返すことは出来たはずなのに、自分は紛れもなく己の意思で善良な仮面ライダーとの決別を意味する引き金を引いた。
放たれた弾丸とレーザーの雨によって崩れ落ちていく巨大な病院の姿を、無意識に目の前のものと重ねた彼は、しかし込み上げてきた胃の内容物を無理矢理飲み込む。
今の自分に、選べる道などあるはずがない。
もし自分に王足る資格がないのだとしても、それでも自分は決めたはずだ。
愛すべき人と世界を守る、その為には手段を選びはしないと。
他の世界が何だというのだ、この心が望まぬ殺戮だから何だというのだ。
自分の手は既に血に汚れている。
なれば今までに犯してきた罪や犠牲にしてしまった人々の無念を無駄にしないためにも、自分にはやり遂げる義務があるはずだ。
王としてではなく、ただ一人の名も無い孤独な男になったとしても、その責任からは決して逃れられるはずがなかった。
先ほどまでと一転して、彼の瞳に光が宿る。
今からこの病院を襲撃する。そう決めた彼は、以前と同じようにデイパックを開きその中からゼロノスのベルトを取りだした。
ゾルダのファイナルベントには遠く及ばないが、これを使えばあの時と同じく奇襲をかけられるはず。
そうしてベルトをそのまま腰に巻き付けようとして、しかしその動きはそこで止まった。
――もしあの中に、名護がいたら。
突如として心中から湧き出た躊躇が、非情に徹しようとする渡の決意を鈍らせる。
もしゼロノスによる奇襲で名護を殺してしまうようなことになれば、それは自分が望むところではない。
愛すべき存在を守る為に殺し合いに乗る決断をしたというのに、それを自分から犯すなどこれ以上の愚行はない。
なればサガークで以前と同じように名護の存在の有無を確かめれば、と考えて、しかし渡はその自身の考えに苦笑した。
キバットバットⅡ世に見捨てられた今、自分がまだサガークに認められているのか確認するのが怖かったのも一つだが、それ以上に。
果たして一体、自分は今更彼の存在の有無に何の意味を見出そうとしているのか、それが分からなくなってしまった為だ。
彼にはもう、自分に関する記憶は残されていない。
何故なら誰であろう他ならぬ自分が、望んでそれを消してしまったのだから。
なればもし病院に名護がいたとして、自分の使命に何の関係があるのだろう。
世界存亡をかけた殺し合いにおいて同郷の氏と戦う理由がないから?
馬鹿を言え、自分は直接確認したはずだ。
彼は決してこの殺し合いに乗ることはなく、何よりも大ショッカーの打倒を目指しているのだと。
冷静に考えて、大ショッカーが宣う言葉に従い戦う自分にとって、そんな存在は敵の一人にしかなり得ない。
そうだ、自分はあの時言ったではないか。
彼は彼として、仮面ライダーの道を往けば良い。
自分は王としての道を往き、その二つは決して交わることはないと。
あの言葉には、決して嘘は含まれていない。
彼に自分の罪を背負う必要など微塵もないのだし、自分のような存在は彼にとって汚点にしかならないのだから。
そうして彼を解き放つ意味を込めて自身に関する記憶を消したのだから、裏を返せばそれは自分もまた彼と対等に敵として戦わなければならないことを意味していた。
確かにかつて一度は、彼を見逃した。
だが、もうそんな甘えが許されるはずがない。
あの病院に名護がいようとも、戦うほか道は残されていないのだから。
そんな迷いを捨て彼とただの敵になる為に記憶を消したのは、他ならぬ自分自身であるはずなのに。
それでもなおその可能性に怯えて引き金を引く決断に踏み切れない渡は、苦悩に顔を歪ませてベルトをデイパックへと仕舞い込む。
やはり奇襲は、行えない。
これまでの経緯がどうあってとして、そんな形で自分は名護を殺すことなど出来なかった。
どこまでも捨てきれない自分自身の甘さに唇を噛みしめながら、彼はそのまま病院へと進んでいく。
奇襲も偵察も一切行わない、無防備極まりないその歩みで以て彼が向かうのは、誰もが使うのだろう正面入り口だ。
裏口を使うだとか見つからない為の工夫を弄するだとか、そんなものは一切行おうともしない。
だがそれは決して、王ならばそんなことはしないからなどというプライドから来る誇り高い行動ではない。
寧ろそんな策を弄して敵の裏を掻く為の思考を割くことすら、今の彼には億劫だったのである。
誰がいようと、自分には戦うしか道がない。
そんな悲痛な覚悟が、今の彼からまともな思考力を奪っていた。
直後、依然として覚束ない足取りながら、彼はゆっくりと病院の正面入り口へその足を踏み入れた。
そして同時、すぐに一つの人影を見つける。
薄暗いエントランスの中心、まるで渡を待ちわびていたように立ち尽くす、見覚えのある男のシルエットを。
まさか。そんなはずはないと、渡は首を振る。
見間違えではないのか、そうして数度瞬きを繰り返した渡へ向けて、男は一つ声を発した。
「渡君」
聞き覚えのある声、聞き覚えのある呼び方。
一歩自身に向け足を進めた男の顔を、渡が忘れるはずがない。
何故なら彼は、まさしく数時間前にも同じように自分に呼びかけた男……
名護啓介その人だったのだから。
◆
「――大体わかった、じゃあその一条って刑事がユウスケの世話を見てたって訳だ」
彼らが病院に到着して大凡1時間ほどが経過した頃、名護からユウスケの情報を聞いた士は、得られた情報を簡単に纏める。
何でも先ほどまでこの病院にいたという一条薫という男は、ユウスケとずっと行動を共にしていたらしい。
それだけならともかく、彼はユウスケのそれとは違う『クウガの世界』から来たというのだから、運命とは全く以て数奇なものだ。
ユウスケではないクウガがいる世界。
そのクウガとは誰かを考えて、士はふとその表情に影を落とした。
(一条って奴はやはり五代の仲間だろう、なら俺は……)
彼の複雑な感情の理由は、一条が十中八九間違いなく
五代雄介の仲間だろうということに思い至った為だった。
地の石に支配され、心ない者によって殺戮を余儀なくされた五代。
本来罪などないはずの彼を、自分は殺している。
勿論ああするのが彼の望みであり、そうしなければ仲間の命が奪われていただろう事は確かだし、決断が遅れていればもっと被害が増えていたことは想像に難くない。
だが、それでも自分がもっと強ければ彼の命をあんな形で終わらせることもなかっただろうという悔いは、未だに士の心に残り続けていた。
というより、これは自分が生涯をかけて背負わなければならない罪なのだろう。
総司は自分を励ましてくれたが、それでも彼と違って自分の意思で五代の命を奪ったのは、紛れもない事実なのだから。
(一条って奴には、色々なことを伝えないとな)
ユウスケを立ち直らせてくれた礼、そして五代の命を奪ってしまった謝罪。
彼に対する感情は一言で言い表せないほど大きくなっていたが、それでも五代の件は自分が隠さず伝えなくてはならない。
もしその結果として、彼が激情しその罪を命で償えと詰められれば、士には反論することは出来ないだろう。
自分にとってのユウスケの存在と同じかそれ以上に、五代の笑顔を一番望んだのは、きっと彼だろうから。
一条という男への思いを新たにして沈黙に沈んだ士に対し、名護はしかしそれを内容を飲み込む為の沈黙と解釈して話を続ける。
「あぁ、それに一条は、ユウスケ君に数え切れないほど命を助けて貰ったと言っていた。彼への感謝は、どれだけ尽くしても足りないと」
「ユウスケが……?」
思わず漏れた困惑は、ユウスケという人物の人間性への懐疑心から来るものではない。
純粋に、この会場において彼の実力がそう何度も他者を窮地から救えるほどに逸脱したものではないと、士は知っていたからだ。
ガドルや牙王、それからキングに乃木など、参加者内外を問わずこの地には自分でさえ苦戦する強者が掃いて捨てるほどいる。
たまたま彼が出会ったのが大した実力者ではなかったということもあるまいし、そういった強豪を相手にもユウスケが他者を守り戦えるほど強くなったと考えるべきだろう。
なればその理由はと思考を巡らせて、士はすぐにその答えに辿り着いた。
(あいつが、凄まじき戦士って奴になったから……か)
ヒビキや橘たちから聞いていた、ユウスケがアルティメットフォームになりダグバと互角に戦ったという情報。
キバーラから、かつて自分が戦ったアルティメットクウガとは比べものにならない実力を持っていると釘を刺されてはいたが、実際に彼はその変身によって自分の想像以上の力を身につけたらしい。
最も、自分が懸念していたほどに彼は自暴自棄になっておらず、相変わらず誰かの笑顔を守る為にその力を使っていたのだという情報は、士にとっても喜ばしいものに違いなかったが。
ともかく、話を聞く限りでは彼を自分が改めてとっちめる必要もないだろうか、とそこまで考えて。
士は、今の話の中にあったとある違和感に気付いた。
「待て。何でそれだけずっと一緒にいて、病院には一条一人だけで来たんだ?ユウスケはどうした」
士が感じたのは、至極当然の疑問だった。
何度も命を救って貰った命の恩人であり、自分の代わりにユウスケを支えてくれた一条が、何故彼を置いて一人だけ病院に来たのか。
最初病院に来たときの一条の傷はかなり深刻だったとも聞いたし、そんな存在を差し置いてまでユウスケに何かやるべきことがあったのだろうか。
「それは……」
しかし士のそんな素朴な疑問に対し、名護は言葉を詰まらせる。
暫し思案し目を泳がせるその姿に何らかの事情を察した士は、顎で名護の言葉を促す。
それを受け、何かを覚悟するように一度俯いてから、名護はゆっくりと話しだした。
「一条は、俺がユウスケ君から引き取ったんだ。酷い傷で死んでしまうかも知れないから頼む、自分にはやるべきことがあるからと」
「やるべきことってのは?」
間髪入れず問うた士に、名護はしかしもう戸惑うことはしなかった。
「その時は詳しく聞かなかったが、後で一条に聞いたところによると、紅渡君を説得しに行ったらしい」
「紅渡を……?」
思いがけず放たれた名前に、士は思わず険しい表情を浮かべる。
病院を襲い、自分を破壊者として討伐しようとしてきた厄介な相手。
五代の死にも浅からぬ因縁がある渡と、『キバの世界』で王であるワタルに仕えていたユウスケ。
そんな二人が出会い言葉を交したというのは、不謹慎ではあっても奇妙な縁で結ばれていると思わざるを得ない。
一条が病院についたのは
第三回放送前だというので少なくとも両者共に無事に事を終えたらしいが、それが即ち渡との和解を意味する訳ではない。
願うことならばワタルと同じように渡もまたユウスケの優しさに触れて凶行を止まっていればいいが、果たしてそれで自分を破壊する事まで諦めるほど容易い相手だろうか。
結局はまた彼と戦わなければならないかもしれないと覚悟を新たにした士を前に、名護はなお言葉を紡ぐ。
「それから、彼は何か石のようなアイテムでユウスケ君を操ろうとしたと一条は言っていた」
「石のようなアイテム、だと!?」
名護の言葉によっていきなり話が急展開を迎えたことに、士は動揺を隠しきれない。
クウガを操る能力を持つ石のようなアイテムについて、士は嫌になるほど知っている。
まさか、あの病院大戦の後でそれを回収していたのが渡だったとは。
突如大声を上げた士に対し、名護はその驚愕を肯定するように一つ頷いた。
「あぁ、ほぼ間違いなく、それは君が言っていた地の石というものだろう。最もユウスケ君は自力でその支配から抜け出すことが出来たと、一条はそう言っていたが……」
そこまで言って、名護は士の顔色を伺うようにその顔を見上げる。
名護には既に、病院で地の石が巻き起こした惨劇を説明済みだ。
そんな代物を自分の意思で扱ってユウスケを操ろうとした事実は、もし仮にそれで犠牲が誰も出ていないのだとしても、大きすぎる罪には違いなかった。
「士くん、正直に言ってほしい。君は本当に……紅渡君と和解できると思うか?」
俯いた名護から放たれたのは、深い苦悩を伴う暗い声。
どうしようもない不安に囚われたその声音は、どこまでも真剣なもの。
きっと、これまで以上に渡について考えているからこそ至った懸念なのだろうと、士は彼の心中を察した。
「どうした?お前らしくないな。師匠としてあいつを救いたいんじゃなかったのか?」
だがその上で、士はあくまであっけらかんと名護の問いに答える。
それはまるで自分の真意を問うようで、自分が質問を投げかけたはずなのに名護は試されているような心地を覚えた。
それでもしかし、彼の言葉が澱むことはない。
例え士がどういう心づもりであれ、自分の考えを説くだけだと彼は口を開いた。
「勿論、その言葉に嘘はない。だが……彼の犯してきた罪を他者から聞くたびに、俺の中にはどうしても悪い考えが浮かんでしまう……。今の紅渡君は、かつての俺が信じた彼とは、全くの別人ではないかと」
漏らした声は、今にも消え入りそうな儚いもので。
いつもは溌剌とした喋り方をする名護がこんな弱音を吐くのは、まさしく彼の中にどうしても迷いが浮かんでしまっている為だろう。
病院の襲撃、仲間から奪取した地の石を用いてユウスケを操ろうとする――そのどれもが、今まで名護が対峙してきた中でも最上の邪悪の所業と言えた。
もし彼にどんな信条や使命があるとしても、誰かの自由意志を踏みにじっていい理由にはなり得ない。
少なくとも記憶をなくした今の自分にとって、名前しか知らない紅渡の善性を無垢に信じるのと、彼を誰かの自由を踏みにじろうとした邪悪と断ずるのとでは、後者の方が余程容易かった。
だからこそどうしても、聞いてみたかった。
実際に出会い戦ったという士の目から見て、その信念や思いは本当に仮面ライダーの正義と妥協しうるものなのかどうか。
そして、漏れてしまった不安は簡単には止まらない。
そのまま名護は、縋るようにして士の目を見つめた。
「それに、俺は既に一度彼の説得に失敗している。記憶があった俺にも出来なかったのに、記憶も消えてしまった今の俺ではなおさら、もう彼を止める事なんて……出来ないかもしれない」
告げた名護の瞳は、無力感に歪んでいる。
仲間たちの言葉から、記憶を失う前の自分が真に心から紅渡を信用していたのは理解している。
だがそれはあくまで、この殺し合いに来る前の彼ではないのか。
こんな極限状態にあれば、人が心根から変わってしまってもおかしくはないはずだ。
それこそ総司が全てを恨む純粋な悪から正義を志し仮面ライダーへ変わってくれたのと、ちょうど真逆を描くように。
詭弁に過ぎない身勝手な正義を宣い他者を踏みにじる許されざる邪悪へ、かつての弟子が変貌しているのではないか。
そんな思いが、彼の善性を信じようとする名護の心に住み着いて仕方ないのだ。
胸の中に潜む弱い自分、否定したい自分を吐き終えた名護に対し、士は相も変わらずふっと笑った。
まるでそんな疑問を、どう思うこともないように。
「……それでもお前は、紅渡を信じ、救いたいと感じているんだろ?なら、何度でも繰り返すしかない。その手があいつに届くまで、諦めずに」
「フッ、簡単に言ってくれるな……」
士から得られた返答は、どこまでも理想主義的なもの。
平素の名護であればそんな甘さを肯定し同意したのかもしれないが、しかし今の彼の声音には、確かに話をはぐらかされた事に起因する怒りが滲んでいた。
「確かに俺は紅渡君を救いたい。だがもう俺には彼の記憶は微塵も残されていない。彼にどう手を差し伸べればいいか、どう話しかけていいのか、それすら何一つ分からないんだ……」
言って己の手を見やった名護は、自嘲するように鼻で笑った。
最高の弟子と師匠。自分が発したのだろうそんな言葉すら、どこまでも薄っぺらく感じられてしまう。
かつて自身が彼の師匠だったという他者の言葉だけを頼りに説得をするには、あまりに自分は無力だった。
だがそうして絶望に暮れる名護の苦悩に対し、士はあくまでさも当然の事のように軽い調子で答えて見せた。
「一人じゃ駄目だって言うなら、次は誰かと一緒にやればいいだろ。一人じゃ出来ないことを助け合う為に、俺達は仲間って奴を作るんじゃないのか」
士が何気なく放った言葉に、名護はハッとしたように目を見開いた。
そうだ、仮に前の自分が為す術もなく説得に失敗したのだとしても、それは自分一人で渡と向き合おうとしたからだ。
きっと、一人で向かった時の自分の中には、驕りにも近い自信があったに違いない。
この名護啓介の手に掛かれば、一人でも渡を説得できると。
自分の言葉であれば、きっと渡の凶行を止められるに違いないと。
もしかすれば、そんな見通しの甘さを、渡は気付いていたのかも知れなかった。
もしそれが違うのだとしても、自分は彼と同じように間違いを犯し、しかしやり直すことが出来た総司と彼を語らせるべきだったのは間違いない。
恐らく記憶が消える前の自分は、渡に総司本人を会わせることもせずに言ったのだろう、罪を償い正義の仮面ライダーとして戦っている青年がいると。
迷い悩んでいる状態でそんな話を聞けば、渡本人に関する記憶が消えても自分は幸せにやれるはずだと判断されても可笑しくない。
事実、総司を救い他ならぬその渡本人を打ち抜いた自分は、罪悪感を覚えることもせずただ弟子を救えた達成感に打ち震えていたのだから。
結局のところ自分もまだ甘いな、と名護は嘆息する。
完璧だとか最高だとか周りが自分を評価してくれる声に、いつの間にかまた天狗になっていたのかもしれない。
かつて音也と出会い、遊び心と共に自分の足るを知ったはずなのに、こんな調子では彼にまた笑われてしまうと、名護は気を引き締めた。
「……そうだな士くん、君の言うとおりだ。今の俺では力不足だとしても、今は君もいる。彼を救うことを諦めない限り、きっと可能性は0じゃないはずだ」
迷いを振り切った名護に対し、士も一つ頷きを返す。
音也はもう死んでしまったが、渡の善性を信じ仮面ライダーとして共に戦えるはずだと説得を試みる存在が居る以上、諦めるのはまだ早い。
もしディケイドの破壊を彼が目指しているのだとしても、言葉ではなく拳でしか語り合えないなど悲しすぎる。
音也の思いも抱いた自分には、きっとこれまでの彼の戦いの意味もしっかり理解した上で結論を出す義務があるはずだった。
「はろろ~ん、二人とも深刻なお話してるとこ悪いんだけど、大事なお知らせよん」
「君は……?」
士と名護が互いへの信頼を深めたその瞬間、女性の声を響かせて窓際から小さな白い蝙蝠が飛来する。
見た目からすればそれは名護もよく知るキバット族によく似ていたが、しかし彼らより一回り以上小さい。
突如現れた新顔に困惑を示す名護に、蝙蝠はあら、と向き直る。
「そう言えば貴方にはまだ自己紹介してなかったわね、啓介。私はキバーラ、高貴なるキバット族の血を引く者にして、偉大なるキバットバットⅡ世の実の娘よ」
「キバット君の……?」
胸を張って自己紹介したキバーラと名乗る蝙蝠に、名護はしかし抱いた困惑がより深まる心地だった。
キバットバットⅡ世にもう一人子供がいたなど、聞いたこともない。
太牙に仕えているⅡ世とは交友がまだ浅いからともかくとして、息子であるⅢ世があの性格で妹の存在をひた隠しにするものだろうか。
それとも或いは、Ⅲ世すらその存在を元から知らされていないのか……?
「あら啓介、そんな怖い顔しちゃって。レディに秘密は付きものよん?」
だから詮索しないでね♡と締めくくったキバーラの声は、茶化すような口調の一方で確かな牽制が含まれている。
少なくともこれ以上複雑な彼女の家庭事情について考えるのは誰も得しないかと、名護はそこで思考を切り上げた。
「……それで、大事な知らせってのは何だ」
「あ、そうだった忘れるとこだったわ。参加者が一人、病院に向かってきてるわよ。……それも、恐らく二人にとっては最悪の、ね」
「最悪の……?キングか?」
「フフ、そうね、それも半分正解ってとこかしら」
思わず忌むべき宿敵の名を吐いた士に、キバーラはクスリと笑いつつ身体を揺すって否定する。
困惑の色を示した士に対して、彼女はそのまま声のトーンを先ほどより低くして続けた。
「……紅渡よ」
その名を聞いて、名護と士は目を見合わせる。
実際に会ったときどう対処すべきかを今の今まで話し合っていた男が、ここに辿り着こうとしている。
一気に二人の間に走る緊張感が高まるのを感じて、彼らはそれまでとは一転してキバーラを真剣な瞳で見上げた。
「渡は一人か?」
「えぇ、それに今度は生身で歩いてくるわ。以前のようにいきなり病院を蜂の巣にされることはないんじゃないかしら」
「蜂の巣……」
キバーラから放たれた恨み節を、名護はもう一度復唱する。
以前E-4エリアの病院を襲った際、渡はゾルダという仮面ライダーに変身して遠距離から病院に大砲やレーザーを打ち込んだらしい。
幸いそれによる直接的な死者は出なかったものの、そうなるように手加減をしたわけではあるまい。
下手をすれば病院全体が崩壊して彼らが皆生き埋めになる、という可能性があったことも考えると、決して死者の有無だけで判断して良い案件ではなかった。
再び渡の罪について思考を巡らせて難しい顔を浮かべた名護に対し、キバーラは彼に聞こえないよう、士にだけ小さく耳打ちする。
「あと、これは一応良い知らせよ。士、アンタの予想通り、紅渡はゼロノスのベルトを持ってたわ」
「やっぱりか」
キバーラの言葉に、士は名護の記憶が消されたロジックを見抜く。
『電王の世界』に存在する仮面ライダー、ゼロノス。
記憶を消費し戦うというその性質によって、渡は名護から自分に関する記憶を消したに違いない。
それが故意か偶然かはともかく、少なくとも自分の知る“紅渡”のような超常の力を今病院に向かっている彼が持っていないのは確からしい。
最も名護本人にそれを説明しても一から話すべき内容が多すぎる上、無駄に混乱させるだけだろう。
その考えはキバーラも同じ故にこうして耳打ちで済ませたのだろうが、士からすればこの情報は彼が自分の知る“紅渡”と明確に異なる存在だと断ずるのに重要な情報だった。
なればあの渡に対して、自身の知る彼と重ねて無駄な感慨を抱く必要もない。
気持ちを切り替えた士は、もう一刻の猶予もないとそのまま立ち上がり正面玄関の方へ足を向けた。
「啓介、まずは俺が対処する。その上でまだ対話が可能そうだったら出てきてくれ」
「待ちなさい士君」
だが、ディケイドライバーを携えて歩き出そうとした彼の肩を、名護が引き留める。
その腕の力はあまりにも強く、士でさえ容易には振り払えないほどだった。
思わず振り返れば、先ほどまで苦悩していた表情はどこへやら、そこにあったのはいつもと同じ強い意志を抱いた名護の瞳だった。
「もし彼がまだディケイドを目の敵にしている場合、君が安易に出て行くのは彼を刺激するだけだろう。まずは俺が彼と話す」
「いいのか?今の自分には渡にどう話しかけていいかも分からない。そう言ったのはお前だぞ?」
士の問いに、名護は僅かに俯く。
きっと、まだ彼の中にも確かな渡との会話の筋道は出来ていないのだろう。
どうすれば改心してもらえるかは勿論、どう話しかければ心を開いてくれるのか、それすらもまだ手探りなはずだ。
だがそんな先行き不透明な状態であっても、なお名護は渡と言葉を交したいという思いだけは萎えることを知らぬようだった。
少しばかり沈黙して、再び彼はその口を開く。
「今の俺では力不足なのは分かっている。だが聞いてみたいんだ、彼に。彼がどういう青年なのか、まだ殺し合いに乗っているのか、そして……何故俺の記憶を消したのか」
一つ一つ確かめるように呟く名護の瞳には、絶対に譲れないという強い意志が見て取れる。
恐らくここで自分が張り合ったとしても、彼は渡を諦めようとはしないだろう。
なるほどこれは総司も良い師匠を持ったものだと一つ溜息をついて、士は道を譲るようにして一歩退いた。
「分かった、なら最初はお前に任せる。だがもしお前だけじゃどうしようもないと判断したら――」
「――分かっている」
名護の頷きには、やはり迷いは見られない。
最初から彼と敵対する可能性は百も承知で、しかしそれでも自分の納得の為に赴くのだとそう割り切っているのだろう。
いや、実際にそうなったとして、名護がすんなりと退くかはまた別の話かも知れないが。
ともかく、催促するキバーラの声に伴って病院一階のエントランスへと降りた名護は、その中心地で真っ直ぐに立ち尽くす。
まるで隠れる気が微塵もないそれは、まさしく今の名護からの渡への気持ちの表れだ。
何も後ろめたいことはないのだから、君も正面から自分に向かってこい。
そんな暑苦しいメッセージを込めたその仁王立ちは、果たして今の渡に響くのか。
少し離れた場所から彼を見守る士が漏らした呆れを含んだ溜息は、しかしすぐに沈黙に溶けていった。
重苦しい無言の中、立ち尽くす名護の元へ待ち人が現れたのは、それから間もなくのことだった。
最終更新:2020年01月24日 15:50