ゼロからの獣
生まれた時の記憶は、ない。
生き物であれば大概そうなのだろう。
まず物心がついていない。
ついた頃には世界があって、祝福してくれる両親が居て。
そう、学んだ。
誰に教わったか、いや、自分で知ったんだ。
暖かい家族、窓の向こう、硝子の向こう、隔たれた薄い透明の先にいた人間たち。
景色は、自我が生まれた時……ある意味、生まれて初めて見た景色に似ていた。
試験的に、俺が人間をきちんと襲える生き物であるかの確認のために利用された、人間の家族。
目に入りきらないほどの幸福を、いっぱいに浴びた。
眩しすぎて、振り払う。
薄い境界線にひびが入り粉々に砕け散る。
そこから、容易く幸せは崩壊した。
美味しかった、孤独な体に、幸福な家族は、とても美味しかった。
母と父と、愛されて育っていく赤子の肉は腹の中で一つになり、体に変わる。
こうすると、俺に愛情や幸せが蓄えられていくような気がして。
父も母も居ない、ゼロから造り出された俺の穴を埋めてくれるような気がして。
おかしいよなあ、俺は兵器として造られたヒグマ、モデルの穴持たずは元来孤独で当然で、自分以外は餌か敵なのに。
そんな思考を持った生物として作ってしまったなら俺は相当の失敗作だろう。
幸い、俺の欠陥は誰にも悟られること無く、今日に至った。
その代償は、知性のあるヒグマたちに歩み寄れなかったこと。
行き場がない、俺が生まれたこと。
……あの少女も、美味だった。
酷い状態だったが、味で分かる。
彼女は幸せに暮らしてきた人間だ。
此処に呼ばれなければ、きっと連綿と未来に幸せを繋いでいったに違いないな。
薄氷に似た膜が、俺には見えていた。
幸福と、共感と、愛情と、正方向の力を隔て弾く壁が。
だから食らう、食らう、食らえば、壁を通り抜けて俺の体になる。
……そんな俺の壁を、一瞬ですり抜けたのがお前だ。
「デ……デネデ?」
ヒグマが重苦しく語る内容に、詰まった声を
デデンネは出した。
人語に訳すと「マ……マジで?」に当る言葉である。
因みにヒグマが語っていたのはヒグマ語である。
日本語ではないので人間との意思疎通は出来ない。
デデンネとはできたが。
「言葉が通じぬのが惜しむべきところだが、お前は俺を仲間にしてくれた」
なりたくてもなれなかった、誰かと在って初めて確立できる状態。
「仲間は守ろう、俺の抱えるべき、抱えていい幸せがお前だ」
「デネンネ……」
感極まったようなデデンネの鳴き声。
人語に訳すと「マジかよ……」に当る言葉である。
ヒグマには、孤独から解き放たれたヒグマには大変申し訳無いのだが。
デデンネはヒグマの語る孤独を一寸たりとも理解していなかった。
空気を読んで真顔にならず悲しげな面持ちを作っているが内心ぽかーんである。
分からないのに慈愛の眼差しと熱い抱負をぶつけられて、正直ちょっと引いている。
デデンネに難しいことを言わないで欲しい、さっきのこともイマイチ覚えていないのだから。
ごわごわした毛皮は非常に居心地が悪く、デデンネは随時もぞもぞしている。
ヒグマはそんなデデンネが愛らしく感じるのか、鋭い爪を持つ大きな手で撫でた。
ちくちくしてデデンネはまたもぞもぞする。
命の危機を野生の本能で感じてなければ気合一発十万ボルトなのだが。
ここで余計なことをするのは悪手……それだけはデデンネのコンパクトな頭脳でもしっかりと理解できた。
「デデーネ!」
「む……?」
ぼふぼふ頭をぼふられていたデデンネが跳ねる。
痛くしてしまったのかと、ヒグマは手を止め、跳ねるデデンネが見据える方向に視界を移した。
森の木々を踏みにじり、堂々と歩む気配。
ばきり、ばきりと、蹂躙の咆哮。
「デデンネ……デネデネンネー!!」
毛皮を掴み、揺さぶるように引っ張るデデンネ。
実際ヒグマはびくともせず、毛先がちょっぴりデデンネのキュートなお手手に食い込んだ。
因みに先の発言を人語に訳すと「逃げよう……マジありえねー!!」に当る言葉である。
嫌な臭いがする、生臭くどす黒い、呼吸器から侵入して中身を掴んでずるりと地獄に引きずり込みそうな臭いだ。
息をするのも嫌になって、デデンネはヒグマの毛皮にもぐりこもうとする。
「大丈夫だ」
ぎゅうと抱きしめて、ヒグマは安心感を与える台詞を寄越す。
この温もりは、決して失ってはいけない温もり。
喰らっても喰らっても手に入らなかったもの。
奪い続けてきて、漸く手に入ったもの。
「デデンネ~~~デネッ……」
苦しそうに呻くデデンネ。
「むう、加減が難しいな」
苦笑を浮かべ、そしてヒグマは目つきを鋭くした。
ピリリ、緊張感、死の気配。
視界を遮る若木が、側面から異常な力を受けてひしゃげ、敵の姿を現させた。
隻眼のヒグマ、人を嫌う、強者のヒグマだ。
「見たところ野生のヒグマ……か?ならば俺達が争う理由はないぞ」
油断なく、言葉を投げる。
「俺達の目的は参加者を喰らい、殺し合いを助長させること、圧倒的絶望であること」
「ヒグマ同士で潰し合ってるのが見られでもしたら参加者に希望を持たせてしまうだろう」
造物主の魂胆は知らぬが、自分はそう命令された。
ならば従おう、自分の意志でデデンネを守りながら役目は果たそう。
野生でも、改造されたものでもない、0から生み出された人造ヒグマとしての役割を。
「人間みてえな考え方をしやがるやつだ……気に入らねェ……」
地の底から響く唸り声。
なお現在の文章ではヒグマ語は全面的に和訳されている。
あくまで彼らはヒグマ語で会話しているのだ。
人間が聞いても基本的には「がうううう」とか「がああああ」とかにしか聞こえない。
「人が嫌いなのか、ヒグマらしくもない」
好き嫌いを抱くのも人間じみた思考ではないのか?
そう嘲りを込めて問うた瞬間交渉は断絶される。
大柄なニホンザルを轢き殺した速度の突撃、ヒグマはデデンネを下ろして受け止める。
巨体のぶつかり合い、中心に衝撃波が生まれ、互いの足元に砂埃が舞う。
ギリギリと拮抗して睨み合う。
隻眼の、片方だけの瞳は飢えよりも怒りをひたひたと満たしていた。
「イラつく、イラつく、てめぇはなぜだか、死ぬほどイラつくぞォオ……!!!」
「俺に似た奴に蜂蜜でも盗られたか?」
怒りの正体は目の前に立ちはだかるものが人間に造られた存在だから。
本能でそれを、真実は見えずとも、人間に憎しみを抱き人間の造るものにヒグマ一倍警戒を置く隻眼は理解する。
がむしゃらに押し切り、潰してしまえと力を込めた隻眼の体が前のめりに地面に叩きつけられた。
ヒグマは力をいなし、そのまま相手の力を利用して体をひねる。
背中に鋭い一撃、それは体を回転させた隻眼に阻まれ、腕を掴まれる。
「グアアアアア!!!」
「むう……っ」
野生の、分析力に長けた隻眼はヒグマの技を瞬時に吸収した。
力を利用する、刹那に起こった遣り取りの末ヒグマの体は宙空に放り投げられた。
地面に背をつけた体勢から腕だけで相手を投げ飛ばす力は野生の獣ならでは、羆ならではのものだ。
風を切り裂き、音を置き去りにしてなお、ヒグマは隻眼と対照的に冷静であった。
感情に支配されては、力に支配されては、自分のポテンシャルを活かしきることは不可能だ。
頭に血が上れば負け、いつでも冷静に、人造、人が造りし理想の通りに。
迫り来る大木に両の脚をしっかと踏み込んで、地面への帰投を果たす。
どう闘うか、冷やしに冷やした脳内演算器を働かせようと、隻眼に視界を移した。
「デ、デデンネーーーっ!!」
「なっ、貴様ぁ!!!」
隻眼は、デデンネに襲いかからんとしていた。
理由はわからない。
ただ、ヒグマが大事そうに抱えていて気に入らなかった、その程度。
このままではデデンネは隻眼の豪腕でミンチ。
まるでミキサーにでもかけられたような無残な光景がヒグマの脳裏に過っていく。
させるか、させてたまるか。
激高して、熱くなる心、塞がらなかった孤独の繋ぎ目が痛いくらいに燃え上がる。
初速から最高速度に変わるまで1秒もかけず、殺す腕に力を、計算する能力も犠牲にして力を。
「デデーネ……!!」
ブレーキを掛けなければ、人造の頭が警鐘を鳴らす。
あろうことか、隻眼はデデンネを盾にしているではないか!
いや、当然だろう、殺すのにも食すのにもコダワリがないものなのだから。
衝撃緩和材に使うくらい造作もないことだ。
「ああああああ!!!!!!!」
止まらない、止まらない、精一杯制動をかける。
止まらないならば、穿けばいい。
人造ヒグマに願われた殺戮兵器としての答え。
嫌だ、ヒグマは、穴持たず――ルーツのないゼロの獣は慟哭する。
欠陥があるのに、穴があるのに、穴持たずとは。
皮肉めいた自分のルーツであって決して辿りつけない姿。
地面に、轟音が広がる。
波打つ湖面のように、土が隆起し隻眼の足元をすくう。
すんでのところで、ヒグマは力を地面に逃したのだ。
しかし隻眼はその無防備なヒグマの隙を見逃しはしない。
血生臭い流線型の軌跡、鋭い爪がヒグマの頭部を襲う。
「グオァアアアアアアアア!!!……ッ!!??」
甘い痺れ。
温もり、他者からもたらされる麻痺。
擦り寄る生き物は視界の外、隻眼の見えざる瞳の方向。
ほっぺを、隻眼に死ぬ気でほっぺをすり寄せるデデンネがそこにはいた。
ほっぺすりすり、それは相手に打撃と確実な麻痺をもたらす技。
「デネ!デネンネーーーーッ!!!!!」
「分かっているさ、分かっているとも!!」
「しゃらくせええええ!!!!!」
麻痺した神経ごと死ねと隻眼は吠える。
止まっていた時間と腕がヒグマの頭部にめり込んだ。
「なっ……!?」
「不味いな……お前は、不味いな……」
隻眼の腕を、牙で受け止め、口に含み、ヒグマは語る。
引き抜こうにもびくともせず、瞬きする間に隻眼は隻腕にされた。
咀嚼もろくに行わず、腕を吐き出すヒグマ。
「不味い……孤独だ……孤独の味がする」
「お前は俺を穴持たず――ルーツのないゼロの獣――にもできないし」
流れ出る血液も厭わず、痺れが回りきった体を知らずあの豪速を求めて隻眼は走る。
「俺から穴持たず――孤独のゼロを知らぬ獣――を奪うことも出来ない!!!」
【隻眼1@穴持たず 死亡】
麻痺は、体の不自由さ以外に素早さを著しく奪う。
クロスカウンターにも及ばず、減速した隻眼は憎むべき人間の造った同族に打ち倒された。
失うことを躊躇わない、気づかなかったのが彼の敗因。
「大丈夫か……ああ、お前の名前をまだ聞いていなかったな」
「デデンネ!」
歩みを取り戻して、仲間を確かめる。
暫し思案して、ヒグマはぽふとデデンネの頭に、今度は優しくてのひらを乗せた。
「フェルナンデス、お前のとことはそう呼ぼう」
「デ……デデネ……??デデネデンデッネンネ??」
余りに絶望的で意味不明なニックネーム授与にデデンネは首を傾けまくった。
人語に訳すと「マ……マジで……?マジでそれ言ってんの??」に当る言葉である。
最近六文字ニックネームは解禁されたが七文字だし、どこからきたんだフェルナンデス。
「俺は……なんと名乗ろうかな、ふふ」
楽しげに、孤独を無くした穴持たずは笑う。
使命を果たしたら、ここを出てフェルナンデスと暮らそう。
人間は仕事をするものに褒章をくれるのだ。
夜空に空いた金色の歪は、これから緩やかに薄まり消えていく。
【H-3森/黎明】
【デデンネ@ポケットモンスター】
状態: 健康
装備:無し
道具:気合のタスキ、オボンの実、ランダム
支給品0~1
基本思考:デデンネ!!
【デデンネと仲良くなったヒグマ@穴持たず】
状態:健康
装備:無し
道具:無し
※デデンネの仲間になりました。
デデンネと仲良くなったヒグマは人造ヒグマでした。
最終更新:2015年02月07日 16:24