【0】
ねぇ、好奇心で猫を殺せる?
【1】
うぃーんうぃーん。
どこからか現れる板きれと、
どこかに吸いこまれてく板きれ。
そのながれに身をまかせて、板きれに乗ったあたしたちは下へ下へとおりていく。
デパートの一番上の階にいたあたしとおじさんたちはいま、
エスカレーターに乗ってゆっくりと下におりているところだ。
なんでかって? えーと、ちょっと回想をはさむことになるんだけどだいたいこんな感じだ。
「よし、荷物はまとめた。そこのエレベーターで降りて、ここは出るかね?」
「……人も集まってくるだろうしなァ。序盤から目立つところにいるのは面倒かもしれねぇ。
とはいえ、おれが言うのもなんだがよ、酒くせぇおっさんと一緒にエレベーターってのはちと狭いな」
「ああ、そいつぁ俺もちょいと嫌だねぇ。体内環境に悪影響がでそうだ」
「ま、おれたちはその”悪影響”をこいつに与えようとしてるわけだが――」
「なに言ってるのかよくわかんないけど、ちょっといいか? あたしさ、デパートをたんけんしたい!」
「あ?」
「ほう」
そう、最初はエレベーターで下までおりて、すぐに出るつもりだったんだけど、
あたしがちょっと無理を言ってデパートをたんけんさせてもらうことになったんだ。
このデパートにはいろんなお店があって、ふだんじゃ見れないようなものがいっぱいある。
エスカレーターだって、こういうところじゃなきゃ乗れないだろ?
だったら乗りたいし、乗って感動をあじわいたいし、乗りながらいろいろかんがえてみたい。
見たことないものは見てみたい、やったことないことはやってみたい。
そうおもうのはあたしだけじゃない。
ひとみんだって誰だってあるていどは持ってるあたりまえのことだ。
ただ、あたしはそれが強い――――”死ぬほど強い”、だけなんだ。
もちろん今あたしのきょーみを一番ひいているのはおじさんたち、つまるところの悪人なんだけど、
目に見えるものすべてにどきどきするのがあたしのきほんてきな仕事でもある。
とーぜんエスカレーターにもあたしはきょーみしんしんだ。
あふれ出るこのきもちをとにかくいきおいまかせにしゃべりたいくらいだ。
ていうかうん、いまからやろう!
「ああ! エスカレーターってホントわくわくするよな!
だってうぃーんうぃーんってエンドレスに足場が出ては消えていくなんて、
ひとみんに仕組みをおしえてもらうまであたし魔法のたぐいだと思ってたもん。
ちょっと違うけどよーするにさこの裏にもうひとつエスカレーターがあって、
それがあたしたちとは逆向きに上に進んでて、それで上手くまわってるらしーじゃん?
エレベーターもそうだけどこれぞ先人のちえってやつだよ、すくなくともあたしじゃ思いつかない。
ほんとーにそんけいだ! だってさ、もしだれもエレベーターやエスカレーターをはつめいしなかったら、
あたしたちは高いところに行くのにかいだんをのぼったりおりたりしないといけなくてさ、
せかいじゅうのひとがその分だけつかれちゃうわけじゃん?
つまりエスカレーターのおかげでさ、せかいじゅうのひとが少しずつ元気になってるともいえるわけだよ!
見えないところでそんなすっごい装置がはたらいてる、
それをあたしたちはふかくかんがえずに使ってる、使うことができる!
ほんとにときめく話だよ。うずうずしちゃうよ。おじさんたちもそう思わない?」
「さすがにペットショップは無いねえ。でも1Fに熱帯魚の店がある」
「熱帯魚? あぁ、あのファインディングなんちゃらみてーなやつか。つまらんかったなァあの映画」
「ってあれースルーされてる!?」
セリフをかまずにしゃべりきったあたしがにんまり顔で後ろをふりむくと、
なんと二人のおじさん……
白崎ミュートンと洒々落々はあたしのことなんか”かやのそと”にして、
フードコートの出口で見つけたパンフレットを見ながらざつだんをしていた。
「ちょっとおじさんたちー、」
「ん? 1Fにはゲーセンもあるってよ、白崎。おいおい、おれのポップンゲームのテクが光っちまうぞ」
「いいねえ。俺も学生時代、格ゲーにハマってたよ。
格ゲーってのはあれで、いかに相手の動き(ムーブ)を乱すのかって軸もあるからねぇ」
「えーと、おーい?」
「ああ、お前そういうのがすげぇ好きそうな顔してるぜ白崎。
徒競走で前の奴のうしろにずーっと張り付いてプレッシャーかけつづけんのとか一度はやっただろ?」
「おお、よく分かったねぇ。俺にとって徒競走はそれだけのために存在してたよ」
「おれは一周遅れのやつの隣についてわざと励ましてやるのが趣味だったなァ。
今は肥えちまったけど昔はそれなりに動けたんだぜ。深くは”思い出せない”けどな」
「あっははは、そりゃ傑作だ。金メダルものだね」
「なぁってば! ……す、すげー。ぜんぜん聞いてない」
あたしのこんしんのトークが、みずのあわ。
びっくりした、びっくりしてそのあと、あたしはあるいみ感動した。
ちからまかせのはやくちトークは、いうなればあたしにとってのてっぱんネタだ。
なんかいもあたしの”これ”を聞いているあのひとみんでさえ、
いきおいにのまれてなんらかのリアクションをとってしまうくらい、ひとのきょーみを引けるトークのはず。
でもそれがこのおじさんたちにはきかない。つうじない。
初めてのけいけんだ。――これが、これも、「悪人」だからなのかな?
あたしはおちこんだりかなしんだりするまもなく、またきょーみしんしんモードになった。
「てーことでここにしようや、
酒々落々。やはり分かりやすさが大事だろ」
白崎ミュートン。
お酒くさくないほうのおじさんは、テレビにでも出てきそうなきりっとした顔をしている。
でもその口はずいぶんゆがんでつりあがってる。誰かに何かをしたくて、うずうずしてるみたいに。
「ああ、そうだなァ……いいんじゃねーか。悪かねぇ」
洒々落々。
どうにもお酒くさいほうのおじさんはふといからだつきで、かみのけはだるーんとのびてだらしない。
でも、のみすぎであかくなってる顔とは逆に、くぼんだ目の底だけはこおりみたいに冷えている。
エスカレーターの、裏がわとおなじ。
パンフレットをながめて笑いあってるおじさんたちは、あたしの知らないところで会話をしてる。
それはきっとえげつなくて、あまりにもひどくて、あたしのことなんかぜんぜん考えてないもので。
のぞく前から、見たくもない。
聞かされる前から聞きたくもない。
きっと「悪人」は、その内面は、ふつうならそういうものなんだとおもう。
だけど。
だけどのだけどのだけれども、だからこそあたしは。
あたし、
愛崎一美は。
そのあたまのなかを、こころのなかを、
のぞいてさわってきいてかいでたべつくしてみたい。
どんな形なのか、どんな肌ざわりなのか、
どんな音がして、どんな匂いがして、どんな味がするのか、知りたいんだ。
ちしきよくとかじゃない。好奇心で。たんじゅんなきょーみだけであたしはかんたんに道をふみはずす。
エスカレーターの裏がわにすすんで入って、そのからだをすりつぶして。
もう一回おもてにでてくるころには、別の愛崎一美になってしまう。
「さぁて、一美ちゃん。これから俺と酒々落々で、君にちょっとした授業を行ってあげよう」
「喜べよぉ一美。おれと白崎に手取り足取り”心取り”レクチャーしてもらえるのはお前くらいだぜ」
「……授業? なんだっ!? 何をするんだ?」
「そりゃあお前」
「”悪人”の授業だよ」
パンフレットを閉じた二人がようやくあたしを見て、にやにやと笑いながら授業のはじまりを告げた。
せすじのこおる”悪意”に満ちた二人の目に見られたあたしはいっしゅん後ろにたおれそうになったけど、
その先にある未知へのきょーみをふりしぼってなんとかふんばった。
だけど同時にエスカレーターが終点にとうちゃくして、後ろを向いてたあたしはバランスをくずす。
ぺたん。
音をたてて床にしりもちをついたあたしにおじさん二人は手をさしのべることなく、
「ぎゃはは、バカかお前」
「うーん、最高だねぇ、くくく」
と、げひんな笑いをたてる。
――きっともうすぐ、あたしもこんな笑い方をするようになってしまうのかもなァ。
でも、しょうがないよねぇ、ひとみん?
たとえどんなじょーきょーだろうとあたしはあたしだから、これはしょうがない。
てっとーてつびさいごまで、じぶんのスタイルをつらぬくよ。
先に言っとくね。
さよなら。
たぶんつぎにひとみんが会うのは、ひとみんの知ってる愛崎一美じゃない。
だから煮てもいいし、焼いてもいいし、何をしたって全然いいよ。
そうしてあたしを終わらせていい。
だけどね、こんなあたしのことをもし、ひとみんがまた、”あたしに戻して”くれるなら。
あたしを生き返らせてくれるなら。
あたしはすごく、すっごくうれしいから――そこだけは、間違えないでくれよな。
【2】
見上げれば垂直にそびえる威容な姿に、まとわりつくように貼られたたくさんの広告看板。
その中でも最上部に掲げられたひときわ大きな看板には、
殺し合いの場には皮肉でしかない6文字の英単語が掲げられている。
入口付近の壁にもこの英単語がロゴプリントされているところから見るに、どうやらこれがこの施設の名前らしい。
C-3で恐ろしい刀を持った人から命からがら逃げてきた僕、《四字熟語》の
紆余曲折は今、
とりあえず近くにある大きな建物に行ってみようということで北に一路、C-2にあるデパートに来てみていた。
「けっこう歩いたなあ……」
ういぃんと開いた自動ドアから見るに、電気は通っているらしい。
――地図には発電所みたいなところはなかったけど、どっから電線を引っ張ってきたんだろう?
なんて、わりとどうでもいい疑問を頭に浮かべる僕にはまだ、多少の心の余裕はあるようだ。
自分で自分に安心して、まずは一歩、中に入ってみる。
どうやら冷暖房が完備されているらしく、涼しい風が皮膚をなでた。
外も別に熱くはなかったけど快適なのは嬉しい。
と、入ってすぐのところにデパートの見取り図が掲示されてるのに気付く。
「どれどれ」
見ると、1Fからすでにゲームセンターと、食料品売り場、靴売り場・……色んなテナントが入っている。
他の階のテナントも簡単に説明されていた。
5階がスポーツ用品売り場、14階が家具売り場など、
上の階に行くにつれて専門性が増しているような形になっている気がする(なんとなく)。
最上階はフードコートだ。まあ、これだけ覚えておけば当面は困らないだろう。
僕は掲示をざっと見て、そのあと中央奥のエスカレーターと、視界の左右遠くにあるエレベーターに目をやる。
――実のところ、少しお腹が空いてきていた。
今回の殺し合いは長丁場になるだろうし、エレベーターかエスカレーターに乗って上に行って、
最上階のフードコートでジャンクフードでも食べておきたいところではある。
ではあるけれど。
「
一刀両断さんほどじゃないけど……僕も僕で、”紆余曲折”だからなぁ」
頭をポリポリと掻いて、僕は自嘲気味に笑う。
誰にも知られていないことだけど、
1人で歩くと、僕――紆余曲折はその名前通り、なんとなく回り道をしてしまうのだ。
例えばここに来る前の殺し合い、3×3の狭いマップでさえそうだ。
スタート地点からそのまま建物の中に入ればいいものを、わざわざ僕は一度屋上まで上がっていた。
人に遭わないように~とか理屈はつけていたけれど、
そもそもあの時点でどこに誰がいるかなんて推測のしようもない。
屋上まで行ったのは、なんとなく。ホントにくだらない理由での遠回りだったのだ。
……おかげで一刀両断さんと戦う羽目になったのは、思えば恥ずかしい話だよなあ。
まあ結果オーライになったからそれはよしとしても、
一刀両断さん(あ、リョーコさんと呼べと言われたっけ)やタクマさんの前ではあまり言いたくない秘密だ。
オフレコ、オフレコ。
「っというわけで。ちょっと気になるお店に行ってみよう」
デパートは20階建てなだけあって、1フロアだけでもかなりの広さがある。
回り道ばかりして目的を見失ったら元も子もない。寄り道だけれど、足早にいこう。
そう思って僕は、まんま文字通りの早歩きでスタスタと、デパートの商品棚をかき分けるように歩く。
しばらくすると――そのお店が見えてきた。
デパートの中にあって、そこは嫌でも目を引くような作りになっていた。
店には壁が存在しない。
代わりに、沢山の中型水槽を網棚に並べて作った壁が、ジャングルのように店の内部を仕切っている。
水槽の中には赤や黄色、オレンジにピンクなど、色とりどりの魚たちが静かに泳いでいて。
さらに近づけば、水槽内を照らすライトの鈍い光と、魚の餌が放つ自然っぽい匂いに気付く。
そして。
「ん?」
「お?」
1Fの奥、熱帯魚のお店に着いた僕は、透明な水槽の壁ごしに、少女の姿を見た。
「……君は?」
「おにーさん、参加者?」
水槽で出来た壁を挟んで、声は同時。
僕があいまいな回りくどい問いかけをしたのに対して、
水の向こう側に立っている女の子は具体的な質問を投げてきた。
黒髪をちょこんと両側で結んだ、ちょっと短いツインテールの、小さな女の子。
脚立の上に立っているらしく、顔は僕の背と同じくらいの位置にある。
ただ、光の加減で水槽のちょうど目線のあたりに白線が出来てしまっていて、
僕目線では彼女の表情までは分からない。
女の子は、両手に抱えるようにして大きなビニール袋を持っている。あれは、何だろう?
白い粉が入っているみたいだけど。
「ええと、僕は紆余曲折。参加者だけど……君は何をしてるんだ?」
「紆余曲折? 酒のおじさんみたいな名前だねぇ。
あたしは愛崎一美だ。何をしてるかって、そりゃあさ、見たらわからない?」
言うと彼女――愛崎ちゃんは袋を持ち上げて、中に入っている白い粉をざぁっと水槽にぶちこんだ。
ぶちこんだ、といってもさすがに全部ではなかったけれど、すごい量だ。
空から降ってきた白粉の雨に、水槽の中の熱帯魚が明らかに驚いている。
と、持ち上げたことで袋のラベルが見えた。そこには「食塩」の文字。
ビニール袋の正体は、1Fの食料品売り場で売っているような食塩の大袋だったようだ。
「な、分かるだろ。食塩を水槽に入れてるのさ。
熱帯魚が弱ってる時はこうするといいんだって、白崎が言ってた」
「……そ、そうなんだ。ええと、白崎っていうのは君の仲間?」
「ああ。あいつはひとみんほどじゃないけど、けっこう色々知ってるんだ。
ずっと変な所に閉じ込められてたせいでやることなくて、無駄知識を調べた時期があったんだってさ」
食塩はぶわっと水槽の中を舞って、愛崎ちゃんと僕の間の水槽空間に吹雪いていく。
ふともう一度辺りに目を向けてみると、彼女がいる地点の近くの水槽は、
ほとんど全てが今のと同じことをされたようで、砂利の表面に白い粉が積もっている。
その中で泳いでいる魚は軒並み水槽の隅に体を寄せてぐったりとしていた。
確かに熱帯魚は弱っている、らしい。
でも……いや、愛崎ちゃんが塩を入れる前から弱ってたのかどうかは知らないから何とも言えないけれど、
環境の変化に弱い熱帯魚が泳いでる水槽に塩分をぶっこむって、
……どっちかというと悪影響しか与えない行動な気がする、のだけれど。
「あー、塩はもうなくなっちゃったか。じゃあ、次はどうしようかなあ」
袋に残っていた塩を隣の水槽に全部ぶち込んだあと、愛崎ちゃんは残念そうに呟くと脚立から降りた。
黒髪がぴょこんと跳ねて視界から消えていき、その後すぐ一つ下の水槽越しにまた現れた。
僕は愛崎ちゃんの姿を視界から外さないまま、水槽越しに熱帯魚店の中を見回す。
他に人影は見当たらない。小さな女の子を置いて、愛崎ちゃんの仲間はどこに行っているのだろう。
謎だった。
むしろ謎というよりかは、気味が悪かった。
だってそうだ、曲がりなりにもこの島はいま殺し合いの真っ最中であって、
僕だってポケットに小さな拳銃を入れている。愛崎ちゃんを今ここで撃つことだって、不可能ではないのだ。
なのに目の前の少女は――愛崎ちゃんは、僕に対して全く警戒心を抱いていない。
これは普通の小さな女の子の反応とはちょっと違う。少し、不気味さすら感じるくらいだ。
「……君は」
「ん? なぁに、おにーさん」
突き動かされるようにして、水槽の向こうの愛崎ちゃんに僕は問いかけた。
僕に背を向けデイパックをごそごそやっていた愛崎ちゃんは振り返って応える。
「いや、その……何て言ったらいいのか分からないんだけど。怖くないのかな?」
「怖い?」
「……だって、ほら。ここ、殺し合いの場なんだよ」
「うん」
「それで今、君は、愛崎ちゃんは、一人なんだよね。誰かに襲われたりしたら、とか考えないの?」
「うん? ……? あー、例えばおにーさんとかに」
「そう、僕とかに」
「おにーさんはそういう人じゃないとおもうけどなあ」
愛崎ちゃんはうーん、とリラックスした背伸びをする。
その両手に何かが握られているが、水草が邪魔で見えない。
「そりゃ、僕は確かに、君を襲うつもりはないけれど」
「うん。そうだろ? あたし、何となく分かるもん。おにーさんはあたしがきょーみを持つまでもない、普通の人だ。
普通に生きて普通に悩んで普通に死ぬことが出来る、あたしがひっくりかえっても絶対に成れない人だよ」
「……え?」
「でも、これでもね、あたしはあたしに誇りを持ってるんだ。こんな自分も、けっこう好きなのさ。
ホント、ひとみんからちょっと離れただけですぐこーなっちゃうあたしは最っ低だと思うけど――」
すると突然、愛崎ちゃんがブン、と腕を振った。
いきなりのことで僕は身構えることすらできなかった。
握られていたのは大きな石。大型水槽に入れるようなぎざぎざしたそれを愛崎ちゃんが勢いづいて投げると、
ゆるやかな放物線を描いて網棚に、そこに置かれた先の水槽に激突し、
水槽に取り返しのつかないヒビを入れながら、なおも水槽を押し込み――こちらへと押し出して、
「”お”ちるの、きょーみあったんだよね」
「――!!」
水槽が、落ちていく。
幸い落ちる瞬間にはまだ水槽が原型をとどめていたため、僕がのガラスの破片を浴びることはなかった。
しかし水槽から勢いよくこぼれ放たれる水は《迂回》させようもなく、僕は全身にまともにそれを浴びてしまう。
塩辛い味を舌が舐める。予想以上に濃い塩水。
……がしゃん!
音を立てて水槽、遅れて石が床に落ちると、床に残りの塩水が広がっていく。
じわじわと広がっていく塩水の湖。散らばるガラス片。
「愛崎、ちゃん?」
僕はそれら全てに驚きながら――水槽の壁にぽっかりとあいた穴の向こうに、初めて愛崎ちゃんの表情を見た。
それは紛れもない、”悪人”の顔だった。
三日月に歪んだ目と口は、今から僕をどうしようか考えてうずうずしている、小さく立派な”悪人”の顔だった。
愛崎ちゃんが、僕に対して全く警戒心を抱いていないのはなぜなのか、紆余曲折を経てようやく僕は理解する。
彼女は僕に狙われるだなんて、最初から考えていなかったのだ。
逆だった……! 僕に出会ったその瞬間から、愛崎ちゃんは僕を襲おうと隙を伺っていた!
「ああ。ああ、悪いことするのって本当にわくわくするなァ。
これ何か分かる? あたしが今左手に持ってるの。引き裂いたコードだよこの店の水槽の、
水の温度管理とかしてた機械からぶっこ抜いてきてさ、非常に取扱いちゅういな代物なんだけど、
あ、うごかないで変な名前のおにーさん。うごくな。うごくなっつってんだろ?
お前頭良さそうだから分かるよなァ、今お前が踏んでる塩水にこのコードを浸したらどうなるか。
理科の実験であたしもやったから分かるんだよねぇ、死ぬかは知らないけどタダじゃすまないよ?
あたしは靴屋で取ったゴム長靴履いてるからいいけど……え、なに拳銃? あたしにそれを向けるの?
やっぱ前言撤回しよっかな、おにーさんちょっと普通じゃないかもね。慣れてるっていうか、
まるで他の殺し合いで絶賛殺し合い最中から連れてこられたみたいじゃんすっごい気になるー。
でもまあゴメンね、おじさんたちから言われてんだよね。”悪人は他人の話をまともに聞かない”んだって。
だからすっごい気になるけどそれはおあずけ。今はおじさんたちから出された課題を遂行するのがあたしだ。
聞く? いや聞かせるけどさ、あの極悪人ども、あたしに一通り授業した後こんなこと言ったんだぜぇ、
”おれたちが戻ってくるまでに適当にここの魚をじわじわ苦しめとけ。誰か来たらまあ、好きにしとけ”って!
あの人たち、いたいけな少女一人残してどっか行った上で、あたしが死ぬかどうかで遊び始めたんだ。
最高に極悪でシビれちゃうよね。もっと学びたいっておもっちゃうよね? ねえ、おにーさんもそう思わない?」
僕は答えない。答える余裕さえなかった。
もし一歩でも動けば愛崎ちゃんはコードを塩水の湖に浸す。
するとそこを通って、一瞬にして僕はコードから漏電してきた電撃を浴びるだろう。
電撃が《迂回》できるかどうかは微妙な所だ。攻撃を攻撃と”認識”しなければ《迂回》は出来ない。
”認識”より早く電撃が体に通電したら、もういくら《迂回》させようと意味が無くなる。
いちおうM1908ベストポケットを愛崎ちゃんに向けては見たものの――銃弾と雷撃なら、おそらく雷撃のほうが速いだろう。
つまり膠着状態に見えてその実、僕は愛崎ちゃんに命を握られているも同然だ。
悪あがきに銃を打って相打ちに持ち込めるかどうか、ってところ。それもかなり、分が悪い。
「…………」
「あれ、なんだいおにーさんも無言スルー?
うーん、やっぱひとみんが律儀にはんのーしてくれてただけだったのかなァ。
まいいや。あはあは、さーてどうしよっかなー。あたしこのおにーさんをどうしちゃおっかなー。
やっぱまだ授業途中だからか、あんまり思いつかないんだよねぇ。
この仕組みも白崎と酒々落々に教わった奴の流用だし……おじさんたちが帰ってきてから決めよっかな?」
さらに時間制限つきだ。
膠着状態を続けていたら、愛崎ちゃんの仲間――つまりはさらなる悪人がここを訪れる。
そうなったらもはや僕の命は風前の灯。
先の長台詞から判断するに、おおかた僕の存在は彼女の”授業”の”教材”として使われて……考えたくもない。
とにかく時間を稼ぎつつ遠まわしに隙を伺う必要がある。
良心に訴えかけるようなセリフでも何でも言って、一瞬でもコードを水につけるのをためらわせれば、あるいは。
「あ、愛崎ちゃん。……ひとつ聞きたいんだけど」
「ん?」
「君が三回くらい話題に出した”ひとみん”って子。
もしかして、名簿に載ってる”
榎本瞳”って子じゃないかな」
僕は賭けを行った。
デパートへ入る前の道のり、名簿とにらめっこしながらぐだぐだ歩いていた時の僅かな記憶をたぐって、
愛崎ちゃんのセリフにたびたび出ていた友達らしき”ひとみん”なる子に似た名前が名簿になかったか探ったのだ。
確か、確か、ひとみんに該当するだろう名前があった。榎本瞳しかなかったはずだ。自信はないが、
ともかく、その名前を上げることで、彼女が少しでも動揺すれば――そう思ったのだが。
ここで事態はさらに複雑混迷を極める。
愛崎ちゃんは僕の言葉を聞いて少し眉をひそめた。
「……? あれ?」
そして。
次に放たれた言葉は、僕の想像の斜め上をいく、訳の分からない言葉だった。
「”ひとみん”って誰だったっけ?」
【C-2/デパート1階熱帯魚店/一日目/午前】
【愛崎一美@数だけロワ】
[状態]:健康
[服装]:特筆事項無し
[装備]:ゴム長靴、電気コード
[所持品]:基本支給品一式、ランダム支給品(3)
[思考]
基本:悪人になりたい。
1:酒々楽々とミュートンについて行く。
2:”ひとみん”って誰だっけ?
3:おにーちゃん(紆余曲折)で遊ぶ
[備考]
※数だけロワ参加前からの参加です
※
古川正人、
カインツ・アルフォードの名前と容姿を記憶しました。
※悪人化が進行中です。榎本瞳のことを忘れつつあります。
【紆余曲折@四字熟語バトルロワイアル】
[状態]:健康、ずぶぬれ
[服装]:特筆事項無し
[装備]:コルトM1908ベストポケット(6/6)
[道具]:基本支給品一式、コルトM1908ベストポケット弾倉(1)、お徳用ストロー
[思考]
基本:生き残る。進んで殺し合いをするつもりは無い。
1:愛崎ちゃんからどうにかして逃げる。
2:タクマさんを捜す。
3:刀の男(
野村和也)には要注意。
[備考]
※四字熟語バトルロワイアル18話「取捨選択」直後からの参戦です。
※ルール能力に規制はありません。
※野村和也の外見のみ記憶しました。
【3】
「いやしかし、かなり面白いことになったな、酒々落々よぉ」
「だなァ。一美は将来性があると思ってたが、ありゃー予想以上の怪物だぜ。
下手に完成されちまったらおれたちですら殺されちまうかもしれねぇな。吸収速度が速すぎる」
その頃、デパート2階のエレベーター前では元凶たる二人の男、
白崎ミュートンと酒々落々の二名がベンチに座り、煙草を吸いながら雑談をしていた。
ライターは酒々落々に支給されていたもので、煙草はデパート二階の自販機を壊して確保したものだ。
仕事合間の一服。
娯楽と混沌をつかさどる二人の悪魔にも、休息を取りたい時はある。
しかしそのとき、純粋好奇心の塊である愛崎一美がそばにいては静かなひとときを楽しめない……。
たったそれだけの理由で彼らは愛崎一美を”教室”に置き去りにし、こうして二階で煙を吸っているのである。
「本当に一美ちゃんは化けもんみてぇな子だよねぇ。
俺らが教えたことはなんでも信じっちゃうし、言ったとおりの性格になっちゃうし、
そしてそれらを一切後悔しない。アイデンティティの変貌。悪人もだが、タレントにもなれる器だねぇ」
「親友だっていう”ひとみん”だっけか? そのガキのこともおれらが『悪人にトモダチなんていらねえよ、
忘れちまえ』って言ったら本当に忘れやがったからなあいつ。がはは。面白れぇ奴だぜ、まったく」
「それについちゃ、俺の《蠢く怪異》もちょいと手助けさせてもらったんだけどね、実は。
どうもあの子にとって、”ひとみん”って子との絆みてーなもんが最大のストッパーになってるっぽかったからさ」
「壊したのか?」
「いいや、それ自体は壊してねぇよ。そんな完璧にやっても面白くないじゃない。
ただまあ、そこにダイレクトに繋がる心ん中の橋を削ったから、思い出しにくくはなってるはずだ」
「さすがは白崎、分かってるじゃねぇか。完璧は面白くねぇよなぁ。ああ、そうだ」
にやり、と小さく笑うと、
くすり、と口の端を釣り上げて笑みを返す。
下品な笑いだ。ただ、下の階で邪悪な笑顔を振りまいている愛崎一美と違って、彼らの笑顔は質素で地味だ。
しかしそれは必ずしも愛崎一美のほうが邪悪だから、というわけではなく、むしろ逆。
小さな笑みでさえ下種さがにじみでる……そちらのほうが本当は恐ろしいのだ。
――それから白崎と酒々落々は煙草をたしなみながら、愛崎一美の今後の教育方針について少し語り合うことにした。
熱帯魚店で生命のいじめかたなど基本的なことは教えることが出来たが、次はどんな方向性を彼女に与えるべきか。
二人の悪人は単純娯楽としてその雑談を楽しむ。
煙草の火が消えるまでには、もう少し時間がかかりそうだった。
【C-2/デパート二階エレベーター前/一日目/午前】
【悪人同盟】
【白崎ミュートン@才能ロワイアル】
[状態]:健康
[服装]:特筆事項なし
[装備]:煙草
[道具]:基本支給品一式、コーヒー、ランダム支給品(2)
[思考]
基本:悪人として酒々楽々と行動し、悪人のみで主催打倒。
1:愛崎一美を悪人に染める。
[備考]
※才能ロワイアル死亡後からの参加です
※≪蠢く怪異≫は制限されていません
※古川正人、カインツ・アルフォードの名前と容姿を記憶しました。
【酒々楽々@四字熟語バトルロワイヤル】
[状態]:健康
[服装]:特筆事項無し
[装備]:煙草
[所持品]:基本支給品一式、酒瓶、ライター、ランダム支給品(1)
[思考]
基本:白崎の作戦に従って生き残る。
1:愛崎一美を白崎と共に《染める》。
2:
勇気凛々には会いたくない。
[備考]
※四字熟語バトルロワイヤル死亡後からの参加です。
※ルール能力の二つに規制はありません。
※古川正人、カインツ・アルフォードの名前と容姿を記憶しました。
≪支給品紹介≫
【ライター】
酒々落々に支給。変哲もない100円ライター。
【ゴム長靴】
靴屋より愛崎一美が拝借。電気を通さない。
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最終更新:2012年10月11日 03:05