今日もまた、求めなくてはならない。

見上げた昏い漆黒の空には、清い月が漂っている。
細い身を震わす、五月にしては冷たい風。
夜を通して熱を放ち続ける情動の時代にあって、今見る場所はあまりに静かだ。辺りの人の気配の無さも物寂しさを助長している。
しかし騒ぐ。冷水のように醒めた顔に、炎熱の如し焦がれた想いを胸に秘めたままに夜を往く。
誰かの血を欲して。落とせる首を探して。
まるで町を彷徨い歩く辻斬りのよう。
そんな昂ぶりと今の自分は無縁の筈だが、何も知らない余人からしたら同じ事でしかないだろうと省みる。
始まりの夜から同じ事を繰り返しているこの行為は、どう繕おうともやはり殺人でしかないのだから。


聖杯戦争。黒鉄珠雫の愛(ねがい)を押し通す為の殺し合い。
その本戦の幕開けがついに始まった。不快を煽るばかりの、しゃがれた声で告げられた宣戦によって。
裁定者を名乗るサーヴァントの使いに似つかわしくないゆるい姿勢、なにより舐めきった態度に早速不満が募るが、今そこを気にしてもしょうがない。
やることは変わりないのだ。誰が相手であろうと、儀式を誰が仕組んだものだろうと。
戦い、勝つ。倒しては進み、頂に立つ。
試合と違うのは、その相手は自分で見つけ出す点。上が仕組むのではなく自らの足で対戦者を特定し、対峙しなければならない。

特別今までの予選段階からこの本戦で、ルールが新たに変更されるわけではない。
留意せておくべき事項は当然ある。ルーラー側からの通達。三組のマスターとサーヴァントの討伐令。報酬に与えられる令呪と謎の特典。
旨味のあるタスクであるのは確かだ。令呪という、サーヴァントを強制的に従え時には強化にも用いられる装備は珠雫にも有用だ。
自分のサーヴァントとの関係は険悪でもないしある程度協調し合えているが、良好かといえばそうでもない。
二人の目指す地平、聖杯に託す願いはまったく重ならないものだ。だからこそこうして足並みを揃えていられるわけだが。
配られた顔写真のマスター達を頭の片隅に留めつつ、そうした関係性を考慮しても今すぐ今回の指令に関わるべきものではないだろう。

『今夜は新都方面を回ります。それで構いませんね、ランサー』
『承知しているわ。鼠を追い立てるのは小物共に任せればよい。我らは餌に寄せ集まった輩を見つけ次第、餌諸共に踏み潰すのみよ』

実体の解かれた霊基状態のランサーの声は、珠雫だけに届いた。
木々も揺るがす迫力を持った一声だが、霊体化している今では聞こえるのはマスターのみだ。

珠雫はまだその手の令呪を一画たりとも消費してはいない。
ランサーを戦わせるだけの魔力も、今までの戦いでは支障が出るだけの問題はなかった。
つまり補給に急を要する必要はないのだ。今までの備蓄でも十分戦えていける。功を焦るだけの切迫した事情はこちらには存在しない。
無論、装備の重要性を理解していないわけではない。
追加された令呪の重ねがけや、特典とやらの効果次第ではランサーとの実力差を埋めてくる危惧もある。むざむざ有利を与えてやる義理は一切ない。
そもそも討伐令に乗りこそしないとはいえ、それは珠雫達は消極的な姿勢を取るという意味にはならない。
せっかく盤面が動いたのだ。積極的に利用していけばいい。
開幕と同時に命ぜられた討伐令。手配されたホシや、それを狙う相手の動きも活発化するに違いない。そこが付け目になる。
動き出した状況に浮き足立ち積極的に動いた陣営ならば補足も容易になる。追い回している背後から乗り込んで、各個叩いていけばいい。
そうした力押しの戦法も、今現在の手持ちの戦力には適ったやり方だ。珠雫のサーヴァント、ランサーの実力は既に証明済みだ。

豊臣秀吉。日本史上で轟く威名の大きさが、そのまま体躯の巨大さに表れたかのような英霊。
直接勝負でこのサーヴァントに並び立てる英霊など、果たしてこの聖杯戦争に存在し得るか。
およそ武の面においてのみなら、珠雫は自分のサーヴァントを信頼し始めていた。
ありとあらゆる障害、奸計を二の拳で粉砕し、己の覇道を邁進する。
自分の足跡を振り返らず、轍に踏み潰された花を一顧だにもせず。
今の珠雫にはそういう強さこそが相応しい、求める強さの形だった。
しかし如何に無敵のサーヴァントであろうと、肝心要のぶつける敵と相見えなければ話にならない。
業腹ながら珠雫に敵勢探索のあてはない。騎士と呼称される通り、代刀者(ブレイザー)として魔力の扱いこそ練達してるが、基本戦闘特化の能力だ。
ランサーも一国の主だけにそうした情報戦には知悉しているだろうが、生憎彼の手足となる兵は此処にはいない。
知識にある限りでこうした諜報に向いていそうなのは、影への潜行を可能とする黒き隠者(ダークネスハーミット)の代刀者だが……思考を止める。それは考える意味のない事だ。
とにかく、少なからず陣営が活発化するだろうこの討伐令は渡りに船なのだ。
キャスターなりが地盤を固めて行動が沈静化する前に踏み込んで仕留める。そうした速攻勢が、一番手持ちの札を活かせると理解している。


『ランサー、例の城についてですが―――』

そう―――陣地といえば、見過ごせない件がひとつあった。
今やこの地の誰もが知る怪現象。突如として街に突き出た天守閣を備えた名城。
魔術師ではない珠雫にも感じ取れた邪悪な波動。サーヴァントの宝具であるのは明白だ。

『無用だ』
『は?』

速攻で提案を切り伏せられた。珠雫の声に、自然と棘が立つ。

『……それはどういう意味ですか、きちんと説明してください』
『今は捨て置けという事だ。あれは暫くは動かぬ。
 あのうつけめは逃げも隠れもせず、ただ待ち受けるのみ。自ら参じるのは、総てを灰燼に帰さんとする段になった時であろうよ』

まるで城の主が誰であるか、その性質まで知っているかのような口ぶりだ。……しかし考えてみれば、それも当然だろう。
『豊臣秀吉』が『安土城』を見て、そこに座する者の事を何も思わないはずがないのだ。

『……あそこにいるのは、あなたが知っている織田信長なのですか』
『左様。あれこそは我のいた日の本を腐らせた根源にして具象。国を蝕む病魔の一匹、征天魔王よ。
 ……今一度、冥底より迷い出て来るとはな。黄金の盃を収めた祭壇が、根の国に続いていようとは笑い話にもならんわ』

それは珠雫でもすぐに思い当たる日本の英雄の名前。
尾張の大うつけ、あるいは第六天魔王。戦国三英傑の一人。
織田信長が、サーヴァントとしてこの地に顕現している。それも自分のランサー、豊臣秀吉と同一の世界の姿として。
宝具を隠匿もせず開放し、マスターどころか一般人にも視認させてしまうところなどは確かに大馬鹿者だ。
信長に見出され農民出から武将に成り上がり、後の本能寺の変で急死した信長の残した成果を継いで天下を収めた、というのが一般的な歴史での記述だ。
だがどうやらあちら側では、信長と秀吉は不倶戴天の敵として対立していたらしい。この分では残りの三英傑である徳川とも良い関係ではなさそうだ。

『城の優位など今の我なら容易く破れるが、あれ滅するにはこちらにも相応の準備がいる。
 暫くは手慰みに雑魚を蹴散らし、機が満ち次第に撃ち落とすとしよう』
『そうですか』

ランサーは自らの領土内で自身を強化し、逆に敵陣地の恩恵を無力化するスキルを持つ。
日本にいる限り常にランサーは戦闘力を高められ、逆に敵は丸裸にされるのだ。過去のサーヴァント戦でも無双を誇ってきた一因もそれにある。
その男がここまでの警戒を張るのを、珠雫は初めて目にした。
手を休めぬ前進制圧を至上としているランサーにしては、異例の慎重を期した方針。
生前に直接対決した相手への評価とあれば、珠雫にも異論はない。やはり単なる猪突猛進ではない、この先の戦いの展望をも見据えているのだ。


『それに夢幻を見るにはまだ早い。
 今はただ、目の前の敵を屠る事にのみ専心せよ』


その言葉に、心臓が鼓動を早め、体の熱が上がった。
何かされたものではない。一喝でもないただの声。
しかし念話で伝わった王の言葉は珠雫の意識を瞬く間に切り替えさせた。
まるで指揮官に出陣の号令をかけられた兵士のように、戦場に臨む際の精神に変化をもたらす。


――――――居る。


空気が痛む。
風が肌を刺していくと感じるほどに、触覚が鋭敏化している。
珠雫は覚えている。知っている。
この威圧。自分より遥かに格上の存在からの戦意を受けた、肉体の神経が軋む微細な反応を。
たったそれだけの事で珠雫は把握、いや確信してしまった。
これから挑む事になる相手。
それは苦もなく撃破してきた英霊達とは字義通り―――次元が違うのだと。



新都の郊外にある丘の上には教会が建っている。外来居留者も多い冬木に合わせて本場の西欧と遜色ない本格的で壮麗な造りになっているらしい。
そこに繋がる道の下側に立つ珠雫が見上げる先に浮かぶ、二人分の影。
ひとつは黄金。明けの空に昇る、夜にあるはずのない灼光の日輪。
ひとつは白銀。空けた上の視界に浮かぶ円と同じ、陽に寄り添う月の冷光。
対極し、されど常に隣り合う魂の色を背負って、彼等はいた。

「こんばんは。今夜はいい月ですね」

まだ年若い少年が、微笑みを浮かべながら柔和に語りかけてきた。
金の髪。真紅の服。成人も越えていない年の瀬。
けれどその表情、佇まいはあどけなさとは無縁の穏やかさ。
大人、というのとも違う。どれだけ年月を積み重ねてもあれと同じ格調には至れないだろう。
目にしただけで理解させられる。実感を強いられる。恐らくは年齢など関係なく……あれはもう、今の時点で完成しているのだと。

特別な存在、選ばれた者。そんな陳腐な表現も、彼には違和感なく当てはまってしまう。始めからそう設計されたパズルのピースらしく。
王、という単語が直感的に珠雫の脳内に浮かんだ。

「……いまの、殺し文句のつもりですか?別に全く何も感じませんけど。賛美が陳腐です、下手に過ぎます」

一切の要求も交渉も歓談も受け付けない、冷血の態度で対応する。
珠雫は今までの戦場でもそうしてきたし、実際和やかに談笑する必要性なんて感じていないのもあるが……今優先する理由は一つだ。
この男に気を許してはいけない。弱みを晒してはいけない。
柔らかな口調。敵意も嫌悪もない表情。殺し合いの場であることすら忘れさせてくる引力。
知らず気圧されている自分を叱咤する為に、常に神経を尖らせていなくてはならなかった。

「おや、これは手厳しい。では何か、他に言葉を贈らせてもらっても?」
「要りません。私達の間で交わされるものなんて、これだけで十分でしょう」

珠雫は片手を挙げ、その手の甲にある令呪の輝きをひけらかした。

「率直な人ですね、あなたは。けれど、うん……確かにこれ以上に僕らの自己紹介に相応しいものはない」

少年も同じように手を掲げ、珠雫と同じ色の光を顕にした。
彼我の距離はそれなりに離れているが、不思議と珠雫には王冠の形状がはっきりと視認できた。

「この場所で本来の姿を知る者は少ないでしょうが―――西欧財閥筆頭ハーウェイ家次期当主、レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイです。
 あなたと同様、今回の聖杯戦争に招かれたマスターの一人として此処にいます。
 そちらの名を伺っても?」
「これから倒される人に名乗っても、意味がないでしょう」
「なるほど、倒す相手の名を憶えるのは無駄な思考、ただの障害として見做すのみ。
 それもひとつの主義でしょうが……僕としては残念です。この手で奪う事になる命の名前を胸に刻めないのは」

なんでもないように紡がれた言葉を聞き、視界に熱がこもった。
自分の勝ちを疑っていない。勝利を前提のものとして戦いを捉えた上での話しぶり。有り体に言って、舐められている。
向こうはそうとは思っていなくとも、いや、そうであればなお腹立たしい態度だ。
珠雫も沸点が低い方ではない。膨らみかけていた敵意が先鋭化されていく。
ランサーに指示を下すまでもなく自ら固有霊装(デバイス)を手元に引き出そうとして―――頭の熱を冷やす氷血の声が周囲に伝播した。

「それはアナタには不要な感傷です、レオ。王でありながらアナタは他者を立てすぎだ」

レオナルド―――レオの傍らで彫像のように静止していた金髪の女だ。
格別着飾られてはいないが、高貴さを全身に纏わせるマスターといてもぴったりと違和感なく似合う荘厳さがある。
人間離れした美貌。隠しもせず漏れ出る、超越の魔力の波動。あれこそがレオのサーヴァントに間違いなかった。

「そうでしょうか?アルトリア、貴女も騎士達に対しては同じように在ったと思っていたのですが」
「それは誤認です。かつてはそうであったのでしょうが、今の私にはそのような感傷も、記憶も希薄です。
 そして私は今の在り方こそを王として相応しいとしていますので」

思考が一瞬、空白に呑まれた。耳に入ってきた音を脳が必要な情報に解体して、そこで表れた意味を理解して。
二人の会話の中で、あまりにもさらりと流されて出てきた言葉。
いま何を、何の名前を言ったのか。自分のサーヴァントに向けて、聖杯戦争の原則に触れる事を言わなかったか。

「……ああ、僕とした事が失念していました。アルトリア、彼らにも挨拶を」

主に促されて、感情を窺わせない声で麗人が応えた。

「契約者の命により、名乗らせてもらいましょう。
 ―――サーヴァント、ランサー。アルトリア。我が主の道を輝き照らし、これより貴女達を貫く槍として在る者です」

堂々とした名乗り。真っ向から下される死刑宣告。
物語に登場するそのものの、騎士と呼ぶに相応しい立ち振る舞い。だがここでは、そのどれもがあまりに場違いだった。

頼まれもしないのに、駆け引きでも何でもなく自らサーヴァントの真名を明らかにする。
本当に予選を勝ち抜いたマスターなのかと疑わざるをえない馬鹿げた行為。
ブラフ、虚言と受け止めるのが自然だろうに……珠雫は疑う事ができなかった。
こちらを惑わせる意図が一切感じられない。珠雫がそう思ってしまうほどに。
絶対の自信の表れ、明かすものはすべて明かした上で、当然のように勝利するのが自らの責務と課しているのだと。

「アルトリア……あるいはアーサー。
 南蛮より音の聞こえし王侯、円卓の騎士とやらの首魁の名か」

急速に背後に現れた大質量と声。
実体化した珠雫のランサー、秀吉は公開した真名を疑う様子もなく、その英霊の遍歴の一端を辿っていた。
アーサー王。それはイングランドに伝わる伝説の王の名だ。
円卓の騎士と呼ばれる、いずれも超常の戦士を束ねし、あの聖剣の使い手―――!

―――いや、それにしても……

成人は超えているとはいえ、見目麗しい女性の顔。
伝聞にあった英霊の実像が、まさか性別すらもが別のものだとは。
猿どころか象もかくやの巨体である珠雫のサーヴァントもそうだが、歴史というのは案外当てにならないものらしい。

「騎士共の王などと絆された英雄がどれほどのものかと思えば……かような小娘とはな。失望させてくれる。
 しかも件の聖剣も携えぬ槍兵として顕れるとは、夢心地のまま召喚されでもしたか」
「好きに言うといい。私も貴殿もサーヴァントとしてここに在る以上、言葉ではなく己が武を以て語るのみ。
 だが、我らの誇りに不躾にも触れたのだ。その巨躯に虚ろな孔が穿たれる程度の代償は覚悟の上とみるが」
「ふん……吠えるではないか。確かに問答など我には無用。是非もなしよ」

ランサー、アルトリアは眉一つ動かさず、憤りも見せない。
代わりに、その身の威圧が実体を以て膨張し颶風が発生する。全身を包んだ風が晴れれば、そこには白銀の鎧を纏う一体の騎士が現れていた。
獅子の鬣を模した飾りの豪奢な仮面を被り、麗しい容貌は覆い隠されている。
手にはかの英霊の代名詞ともいえる聖剣ではない。
英霊にあつらえられた器(クラス)の名前を見よとばかりに誇示する、一振りの騎乗槍(ランス)。
そして股にかけるは白毛の駿馬。どこまでも正道を往く、英霊の戦装束が展開されていた。

「―――では、レオ」
「ええ、悔いなき戦いを」

レオの一言に、アルトリアが馬の蹄を鳴らして進軍する。王の号令に淀みはない。騎士の英霊を信じ、彼女が切り拓いた道を歩むのみ。

「下がれ、マスター。奴の言う通り、ここより先は闘争の時間よ」
「……わかりました。お任せします」

珠雫はマスターの持つ透視能力で相手のステータスをとうに把握している。
総ての能力値が一流の水準を越えている。総合値でいえば秀吉をも上回る。
難なく撃破してきた過去のサーヴァントとは比べ物にならない、極めて強敵だ。
しかしそれはこちらの不利を意味しない。拳の届く近距離戦であれば勝利を得るのは秀吉だと眼前の戦いを見てきた珠雫は自信を持って言える。
その為の土壌を整えるのが、マスターとしての役割だ。伐刀者(ブレイザー)の技は戦いの中でこそ光る。呑気に観戦に興じる気はない。
サーヴァントを従えるマスターであり、相手を屠る立場である以上は、怠慢に浸らず戦いを見据えるのが最低限の責任だ。
いざという時の援護の為にも、戦場をうつぶさに観察しなくてはならない。

「下がれ、と言ったのだ」

既に十分な距離と判断して立ち止まった珠雫に、更なる声がかかった。

「この戦いに、貴様の出る幕は無いと弁えよ」

蚊帳の外に追い出されたような感覚に憮然としながら、珠雫は黙って止めた足を再び後ろに下げた。
……彼女とて理解している。対峙する二人のサーヴァントが発する闘気と、その緊張に張り詰めた大気の唸りを。
既に秀吉は珠雫を見ていない。破壊槌さながらの腕(かいな)の拳を握りしめて、突撃の合図をいまかと待ち受ける騎馬の上の獅子面の騎士にのみ注力している。
爆発寸前の火薬庫を目にしている危機感は根源的な畏れとなって部外者を押し出させていく。

何歩目かの後退で鋼の巨躯も遠ざかってきた距離にまでなって、そこで―――――――導火線は零になった。



聖杯戦争本戦、本来の意味での始まり。

希望の開闢。絶望の開門。

奪い合い、踏み躙り合い、殺し合う最悪の奇跡を求めた儀式が――――ここに。





先に駆け出したのは騎乗のランサー、アルトリア。
アーサ王の愛馬が一騎ドゥン・スタリオン。騎士王の伝説を共に駆け抜けた英馬は主を乗せて猛然と疾走する。
アスファルトの道路を砕き、草原と変わらぬ速度を保ち、馬上の騎士槍の威力を存分に発揮せしめる。

対して出遅れた巨漢のランサー、豊臣秀吉は変わらず不動のまま。
地に足を着け、右の拳を下げ、迫り来る槍撃を迎え撃たんと構える。
そう、これは出遅れでなどではない。機先を制そうと後に繰り出す圧倒的な力で打ち砕かんとする覇王の絶対的な自信。

瞬きの間に距離は縮む。
進行の変化は有り得ず。槍と拳の衝突は不可避の相克となって――――――



「――――――オォォッ!」
「ハァ―――――!」



咆哮は激震となって世界を揺るがす。
埒外の魔力が熱量を生み、暴風を生み出して地表を弾き破砕する。

散る火花。巻き上がる、街を構成している破片。
たった一合で世界がめくれ上がり、僅か一撃が雌雄を決さんと激震させる。
一秒経つ毎に路面の抉れる範囲が増していく。流れる余波だけで街頭の電灯が割れていく。
軋むような壊音は、人間の世界に固着した物理法則が悲鳴を上げている音だ。
世界に敷かれた薄い織物(テクスチャ)を剥がれ、神秘あふるる人知未踏の現象が起きていた。

成熟したアルトリアの肉体を包む魔力の波濤は、彼女が保有する魔力放出スキルの賜物だ。
ブリテンを守護する赤き竜の血を継ぐアルトリアは体内に竜の炉心を備える。
その膨大な魔力をエンジンとして、自らの身体能力の総てを飛躍的に引き上げているのだ。
そしてその恩恵は彼女が装備する全てに与えられる。身を固める甲冑。握られる聖槍。そして颯爽と跨る騎馬にもだ。
馬の持ち前の突進力に魔力放出をかけ合わせた突撃(チャージ)。これを全力で行えばそれだけで並のサーヴァントは蹴散らされるだけの威力を誇る。
その必殺の槍を真っ向から受け止めているのが、戦国を統べる烈界武帝、豊臣秀吉である。

確かに星の神秘を一身に受け取ったアルトリアと違い、秀吉にはそうした背景はない。
あるのは生来の体躯と、それを極限まで磨き上げた武力により日本を統一したという偉業だ。
偉業は功績として後世に称賛され、英霊と昇華された今や宝具という一個の奇跡という形で秀吉の内にある。
聖剣魔槍の如き物質ではない。身一つで並み居る武将を打ち払った伝説は、肉体そのものを宝具とし改めたのだ。
巨大にして頑強たる秀吉の拳は、肉体や武器という枠を飛び越えて一個の戦略兵器だ。
ひとたび『射出』されれば、それは大砲の砲撃にも匹敵する破壊をもたらす。

人馬と合わせて繰り出される槍の突撃と拮抗する拳か。
居並ぶ英霊達を粉砕してのけた拳に些かも折れぬ槍か。
永遠にぶつかり続けるかに思えた矛と矛の均衡。
それが余人の誤りと知るのは、衝突の最中にあるサーヴァントのみだった。


異変を察知したのは騎乗の槍者、アルトリアの方だ。
結果だけが先に出た、なんら根拠に基づいたものではない直感。
だがその直感が未来予知にも等しい精度となれば疑う余地もあろう筈がない。

秀吉が、巨大化している。
衝突の火花と暴風で視界も利かない中、目の錯覚と捉えるのが自然の反応だ。
しかし直接拳を受けている槍から伝わる手応えの変化は、騎士に視覚より如実に起きている事態を教えていた。
増していく重み。突き出した槍が徐々に押し戻されていく。そして、輪郭を増していく影。
只でさえ雲を突かんとする巨漢が、目の前で文字通り山の如く屹立している光景が霞んで見える。
まさか本当に、肉体が拡大してるとでもいうのか。それこそ錯覚と捉えたくもなるが、今更何の意味もないと平静に受け止める。
英霊の身はあらゆる超常を実現せしめる。起こる現象にいちいち取り合ってはきりがない。
現に敵の筋力は確実に増しているのだ。騎馬と合わせた刺突の質量を上回る程に。

迫る脅威に対し、アルトリアは冷静に対処する。
継続していた魔力放出の方向を変更。敵の筋力向上に伴い崩れた力の均衡に沿って、穂先をうねるようにして回し拳をいなす。
百を越えた樹齢の巨木さながらの腕の太さと重量だ。槍は耐え切れず砕け、そもそも女の細腕では一秒とて支え切れもしないのが常理。
その不可逆を可たらしめてこその英霊だ。
世界を縫い止める柱は軋みの音すら立てずに剛拳の進行を押し留めている。
そこに注力された魔力のジェット噴射が、アルトリアの胴へ向かう拳の軌道を強引に逸らした。流れた巨拳は騎士を通過し、不可視の怪物の足跡じみた破壊を地面に齎す。
いなし切った勢いのまま騎馬が脇をすり抜ける。横目で殺気孕む視線が重ね合う。

身を翻し、振り向きざまに槍が脇を薙ぎ払う。秀吉も同じく反転して裏拳で応じる。
弾き返されるのはやはり騎士王。僅かであるものの、繰り出した槍は武帝の拳に押し戻されていた。
騎乗しているアルトリアが見上げてしまうほどの巨体。槍のリーチを素手が上回るという非理論。馬上の優位をものともしない規格外の膂力だった。
すかさず放たれる秀吉の二撃目。本来であれば態勢が崩れた隙に撃ちこまれ銀の鎧を散らしていた筈だが、その終幕は訪れない。
振り下ろされる拳に重ねるように槍を置くと同時に、半身を預ける馬が地から四肢を離した。
接触した瞬間、弾かれた空気と共に騎兵が吹き飛んだ。大きく後方へ遠ざかっていく騎士を眺める秀吉は、しかし勝者の面持ちとは到底言い難い憮然な顔でいる。
拳のあまりの手応えの無さから、敵はわざと打たれたと見抜いたのだ。
秀吉自身の力をまんまと利用して飛び退き、再突撃に最適な距離を稼いでいた。

危なげなく着地した槍の騎士を睨む。
あの一瞬の間に、凄まじい密度のつまった攻防が繰り広げられていた。
英霊にとって、振るう一撃一撃全てが既に必殺の領域にある。だが相手も英霊である限り当然のようにそれを捌く。
凡百な兵士が相手では即座に決着の一撃も、両者にとってはなんでもない、相手の力量を計る一刺しに過ぎない。
故に、決め手は決め手にならず不発に終わり、必殺は必殺足り得ない。

またとない強者との邂逅。生粋の英霊であれば己が武練を誇る好機と心躍らせ闘志滾らせる状況でも、二人の王の精神には些かの漣も起こさない。
戦士たる者、武器を打ち重ね合い、披露された技巧を観察すれば、相手の力量は自然と推し量れる。
まして歴戦の英雄であれば、一度の接触でその"底"までもが把握できる。
器に溜まった水に小石を投げ込むのと同じだ。水面に広がる波紋は、器の大きさと深さを如実に語る。

万軍無双の槍拳をいなしてみせた名槍と、それを完全に操る技量。
幻想の極地にありし聖槍を真っ向から打ち合ってみせた豪腕と、底を感じさせぬ膂力。
秀吉もアルトリアも共に理解していた。
今見えている相手こそ、聖杯戦争での至上の強者。
予選にて屠ってきた英霊達を歯牙にもかけぬ、己の大望を塞ぐ障害に他ならないと。


そう、障害。
脅威の程に因らず、強さの大小に関わらず、二人にとって対峙する者は全て聖杯の獲得を阻む狼藉者でしかない。
共に我欲を捨て去り、己が完全と信ずる考えを持つ者同士。抱くのは戦いの喜悦などではなく、その終局に願望器を手にする結果のみ。
その意味では、二人の姿はどこか相通じていた。
覇王の夢を実現した未来のみを見据えている秀吉。
その身を理想の執行装置として完成させているアルトリア。
共に祖国の衰亡を憂いし王。秘めた志こそ対極であれ、起こした行動は同じだったのだ。

だからこそ、この王達は相容れない。
自らの理想の為に、向こうの理想を否定しなければならない。国が、王が道を貫くとはそういう事だ。そこに慚愧も憐憫もない。
屍山を築きその上を踏みしめて昇る事を覚悟の上で両者は戦っている。
我らの王道の妨げになる存在に容赦はない。ただ前進し、制圧するのみで終始する因縁だ。

何事もなく互いの槍を構え、すぐさま二度目の相克を開始する。
たかだか一度きりの交錯で萎縮するような英霊はここには存在しない。武器を置くのはどちらか一方が倒れた時にのみ。
王は畏れず、将は驕らず、ただ闘気と魔力を凶器に乗せて、目の前の標的を粉砕すべく――――――。




            ×      ×




自分の目の前で巻き起こる二体のサーヴァントの対決を、珠雫は立ち尽くして見守っている。
周囲は崩落の一途を辿っていた。暴力的な魔力で岩盤は局所的な大地震幾多もの亀裂を作りやがて奈落の穴に広がっていく。
昭和という時代に産まれた文明が砂になっていく。まるで時の流れを逆しまに回しているかのように塵に帰る。
英霊達の戦いが続く程に、この一帯すらもが過去の戦場に巻き戻る。殺人が日常だった時代。大戦よりも更に昔。
生きる為、敵ごと未来を切り開いていく群雄割拠の頃に。
この時代にいてはいけない筈の存在が、逆に世界を我が物に侵食していく様にも見えた。

時折、英霊の衝突の余波に破壊された木々やコンクリートの破片が風に舞って傍を掠めていく。
いつ流れ弾が当たっても不思議ではない危険域だ。マスターであるという身の上を鑑みればすぐにでも避難をしていなければならない。
それでも珠雫は、怖気づいて引き下がろうとは思わない。と言うより退くわけにはいかなかった。
ここで足を下げてしまえば、これ以後、もう前に進み出せなくなる気がしたから。


聖杯戦争が如何なる領域で繰り広げられる戦いであるかは何度もこの目で直に確かめた。
人類史に刻まれた英霊の具現化という、サーヴァントの強さ。魔力の質量の絶対の違い。残像を追う事も許さない身体能力。伝説を象徴する宝具。
代刀者(ブレイザー)として稀有なる才能を持つと褒めそやされた珠雫が―――いや、珠雫が知るほぼ全ての騎士が指をかけるのも叶わない高みに座した戦技。
畏敬を抱いた。これから挑みにかかる全ての敵は、油断も慢心も捨てねばならないと腹を決めていた。
契約した己のサーヴァントの、敗けはおろか苦戦の色も見せない、傷一つ負わず屠り続ける覇王の強さを間近にしていても、気を緩みはしなかった。
所詮、今までは予選の段階。掃討してきた相手と違い、本戦には自分達と同じように勝ち抜いてきた猛者でひしめきあっている。
強力無比なサーヴァントを得たからこそ、その強さを傘に着てはならない。虎の威を借る狐、それでは珠雫が軽蔑してきた大人達と同じだ。
繰り返しそう言い聞かせて、決死の覚悟を貫くと志したのだ。


それすらも、英霊同士の戦いの真髄を知らぬ女の浅はかな驕慢に過ぎなかったのか。

一挙動の度に迸る熱量が違う。桁が、次元が、過去の記憶、見識とは比べ物にならない。
槍と拳の応酬で散逸する魔力の波だけで卒倒しそうになる。
これはもう社会への蹂躙だ。
昭和の世の者にとっては、かつての大戦で目の当たりにした兵器の再現にした見えないだろう。
街を覆い尽くした爆撃と同等の破壊が、ふたつの人間大の存在によって引き起こされてるものと、どうして思おうか。
その吹き荒ぶ爆発的奔流の発生地点で、未だ二体のサーヴァントは互いを譲らずに獲物を突き付け合っていた。

一刻も早く逃げ出したいと喚く本能をうるさいと一喝して黙らせる。
理性とプライドでギチギチに緊縛して、震える体を押さえ込む。
震えは恥辱の念だ。戦場で何も出来ず痴呆のように立ち尽くす自身への怒りだ。
戦いとは別種の感情が、珠雫を今もこの鉄火場に留まらせている……。




残像すら目で追えない絶影の速度で、烈風が廻る。
眼前に台風が停まっているとしか感じられない威圧と迫力。
道を舗装する煉瓦がひとりでに弾け飛ぶ。次の瞬間には別の地点で同規模の爆発が起こった。残されるのは地面を踏み抜いた不可視の足跡だけだ。
中心に立つ秀吉を取り囲む配置で打たれていく蹄。
それでかろうじて、これが人の目には映らぬ速さで駆け抜ける槍騎兵が生み出している風の檻だと判断できた。

嵐に飲み込まれその只中にいる秀吉は、涼風でも受け流して、不動明王の如き泰然さで佇んでいる。
耳を抜ける風切音も意に介していない。嵐などこの腕ひとつを振りかざせば吹き飛ぶ木枯らしに過ぎぬ。
自然の猛威すら恐るるに足らない覇王が注視しているのは、ただ一つ。
逆巻く天変においても見失いようのない、一点の銀の光のみだ。

「ぬん!」

襲いかかる風斬の穂先。
嵐を手繰る騎士王の風圧を纏った刺突を、裂帛と共に拳にて打ち払う。
槍は方向を逸れて秀吉を掠めて行き……だがすぐに先程とはまるで違う方角から槍が飛び込んで来た。
伏兵が潜んでいたわけもない。輝きの槍を得物に持つはやはり同じ獅子面の騎士。
理屈は単純極まりない。狙いを通り過ぎた後に音速の壁を取り払って突き進み、回り込んで再動しただけの話。
死角からの穿ちも秀吉は難なく弾く。三度四度の矢継ぎ早に続く乱気流の如き勢いにも同様だ。
下位の英霊の武具をも砕く剛拳は怒涛の連撃にも揺らがずに全てを叩き返していく。
……それは同時に、四方八方から囲み撃つ騎士が健在である状況も意味する。


初撃の時点で、アルトリアは既に戦法を切り替えていた。
敵は巨大にして強大。特筆すべきは拳の攻撃。そして最初の激突で見た体躯の拡大変容。
如何なる逸話に因む能力によるものなのか、その筋力上昇率は今でも底を測れない。
得物を持たないランサー。その所以を知る。
あれは人の腕(かいな)の延長などではなく、腕に備え付けられた長大な攻城兵器と捉えるべきだ。
取得した情報を値踏みし、戦闘を継続しながらもアルトリアは瞬時に纏めあげる。
一発一発の破壊力は相手が上回っている。
ならばこちらの最大の利点―――乗馬による機動力の差を活かして俊敏に立ち回る。
当たれば必殺を約束する剛掌も、当たらなければ無駄打ちの大砲だ。
必要なのは技巧だ。簡単に押し負けないだけの威力を保持しつつ、針の穴に糸を通す精密性を両立させた槍捌き。
不可能ではない。一瞬の気の緩みが許されないなど前提条件。見出した勝機に飛び込む大胆さは無謀に非ず。
鎧も、槍も、彼女の誇りの総算だ。己の心に一点の曇りもない限り敗北はあり得ないという貴き信仰。
故に自らの誇りが砕かれる幻想など微塵も抱かない。
これこそが先の交錯で見えし必勝の策であると直感し、攻めの手を絶えず繰り返していく。

アルトリアの連撃は秀吉に届いていない。
白熱する魔力と物理法則の作用で竜巻を生み出すほどの超加速に撹乱される事無く、的確に捉えて迎撃している。
秒を刻むより速く駆る穂先が胸板に届くより先に拳が阻む。
劣っているのは総合的な敏捷性の話。身体のこなし、振りかざす拳は鈍重とは程遠い砲弾の発射口だ。
そしてその繰り手が戦いに膂力にのみ身を任す愚物であるはずもなく。生死を競り合う闘技で培った動体視力と洞察力は、常人では目にも映らぬ銀の機影をも見逃さない。
対手に巨大化したと錯覚させる闘気は、武器の差位程度の間合いを零に埋める。

だがそれが幾百幾千と続けば、如何な牙城とて罅割れ崩される。
例えるならば、巨岩が流れる河水に打たれ丸くなり、吹き荒ぶ風に擦り削られる光景だ。
延々と続く自然の猛威は容易く地形を変形させる。物質が悠久の時を不変のまま過ごす事は地球の環境では難しい。
これが人工物なら尚更だ。積み上げた石垣、天を貫くほどの王城だろうとも、百年も野晒しにされれば元の原型を留めまい。
膨大な年月の後に訪れるそれを、アルトリアは身一つで具現しようとしていた。
今の彼女は嵐の化身。彷徨える亡霊達の王であるワイルドハントの首領だ。馬が駆けた後に残る衝撃で舞い上がる砂埃すら、彼女に引き連れられる霊魂の群列であるかのように彩られる。
一迅の風が爪となって剛体を引き裂いていく。それらが絡まり連なれば牙となって噛み砕く。
意志持つ嵐が渦巻き刃で構成された喉元で獲物を嚥下する。
大渦を巣にして住まう一匹の竜は、暴虐の荒波となって王城を蹂躙していた。

かつて栄華を極めた古代の都市が、天の怒りを受けて一夜にして滅んだとされる逸話がある。
波にさらわれる砂の城も同然に、灼熱の一滴で溶ける泥の玉座。そんな焼け爛れた幻想が、一個の存在に対して放たれている。
人の心を滅した騎士王の攻撃は徹底して容赦がない。肉を削ぎ、骨を削り、臓腑を燃やし尽くすまで止まることはない。
天を支える巨人のごとき身が徐々に縮み、最後に脳と心臓が粒子の一片まで消えて失せたのを確かめてやっと槍を下ろす。
そこに残虐的な意味はなく、この場で相対して敵というただ一点のため。放つ意志はシンプルに冷たく恐ろしい。だからこそ振るわれる槍に微塵の鈍りも混ざる余地はない。


「下らぬ児戯を使うものだ。ただ埃を巻き上げるだけの技か?」


全身を刺し貫かれるだけの殺気に当てられていても、その声は翳ることなく厳粛に響いた。
状況にそぐわない硬い声。竜鱗の嵐に飲まれ姿は見えずとも、そこにいるという存在感に疑いはない。
豊臣秀吉の覇気は荒波に消えることなくいまだ戦場に健在していた。

槍を受ける度に篭手が軋む。だが知らぬ。効かぬと頑健に耐え忍ぶ。
国を平定し強兵を配下に収めた伝説、英霊にとっては身に揃える具足ひとつまでもが、覇王の偉業の一端として統合されている。

「元寇を追い返した神風にも劣るわ。斯様な下策が、我に通く夢でも見たか」

巨大が轟く。不動であった脚を上げ勢いを以て真下に落とすだけで、岩盤を突き破る衝撃が走る。
これまで槍の的に甘んじていた腕が、何もない虚空を掴む。五指には本当に空間を握り潰しているかのように力が込められており、

「その甘き夢ごと、塵となれィ!」

そしてそのまま、紙を引き裂くかのような動作で思い切り振り払った。
瞬間、真実"握力で千切られた"大気が信じ難い痛みに泣き叫んだ。周囲を囲む竜巻を凌駕する勢いの烈風が突然発生し、辺りの全てが吹き飛ばされていく。
風の檻で凶獣を収められるはずがない。日本という島全てを領土にする男の前には木の柵にすらなりもしなかった。
渦を巻いていた風向きが、一方向に転化される。今まさに数百度目の突撃を敢行するべく駆け走っていたアルトリアに向けてだ。
向かってくるのは風だけではない。コンクリート、岩石、木材……戦闘の余波で破壊され尽くした大小様々な破片も巻き上げられて飛来してきていた。
ただの街を構成する一部とはいえそのスピードは銃弾と同等。さらに弾き出された欠片ひとつに秀吉の覇気が込められている。
乱れ散り騎兵を穿つ散弾の群れ。逃げ場なき死の洗礼に、騎士王は減速を選ばず更なる前進に打って出た。

「風よ―――!」

背面からの噴流。現行のあらゆるバイクマシンを凌駕する魔力が騎馬を押し出す。
それを受けたドゥン・スタリオンもまた、躯を押す魔力の圧力に身を任せた。
英霊に随伴した騎乗物がただの馬であるはずもなし。命を待たずして主の判断を野性で悟った人馬一体の境地を以て全身を踊らせる。
額の前に表れる透明の鏃。野を駆けてきた『彼』にとっては懐かしい古代に浴びた風。
これこそアーサー王のもうひとつの宝具。収束した風が光の屈折率を変え武具を包む不可視の鞘となる『風王結界(インビジブル・エア)』。その変化系。
圧縮した空気を解き放ち、再加速を可たらしめる物理法則の限界を突破した絶技だ。
生み出された風の笠が向かい風を切り裂く。飛び跳ねて追突してくる瓦礫の雨の起動は捻じ曲がり、一片たりとて鎧に触れることなく虚しく流されていく。
敵の手中に収まった暴風を再び味方に引き戻し、手綱を取られることもなく秀吉へと肉薄する。

しかし、さしものランサーとて今の風害には加速の伸びを失った。風王結界の加護でも完全に防ぐには至らない。
せいぜいがコンマ数秒、一足踏みしめるタイミングが狂うのみの誤差。だがその僅かな減速がこの戦では生死の分け目となる。

地平の果てまで届くほどに、広げられし両の腕(かいな)。
金剛すらも滅ぼす剛腕が唸りを上げる。
アルトリアは見た。今度こそは、見間違えようがなかった。
両脇を覆う二つの掌。アルトリアをゆうに超える、列島そのものを掴み上げてしまう程巨大で、圧倒的というイメージ。
目前に立つ秀吉の体が、以前にも増して膨れ上がっているのを。
実際に巨大化しているわけではない。
魔力の吸収、放出。それらの見せかけの類ではない。
理由なく、理屈なく、この男と敵対する者は皆すべからくこの光景を目の当たりにすることになる。
裂界武帝、その威名の根源。
群雄割拠、魑魅魍魎渦巻く戦国を強きを持ちて平伏させた、天地をも睥睨する威風万丈の肉体を――――――!。

「潰れるがいい。我が治める地に、貴様らが如き蛮族が住まう場所は無い!」

合わされる掌と掌。
かつて聖者に連れられた流浪の民は奇跡に導かれて新天地へと渡った。
今起こる光景は、割断された海原の壁が閉じられていく様にも似ていた。あるいは、小蝿を叩き殺す動作か。
その中心に残されていた者がいたら、結末はひとつしかない。左右から襲い来る壁に挟まれ、最早原型を留めず圧壊させられる。
例外があるとすれば。
その者もまた、奇跡を起こす伝説の担い手である場合だ。

秀吉は上空を仰いだ。
夜天に煌々と広がる月を背にして映る騎影。掌圧に潰されたと思えたアルトリアの姿を双眼に然と捉えていた。
左右から迫り、前後にも長く広がる障壁より逃れるならば上しかない。予め当たりをつけていればこそ苦もなく発見できたのだ。
元から、攻めの用を為していた魔力放出と風王結界の重ね合わせで十分に加速がついていた。
そこからすんでの判断で急速に方向を修正し、ドゥン・スタリオンの跳躍に乗せて秀吉の頭上を跳び越えたのだろう。
絶命の場面乗り越えた機転。しかし、窮地を越えた訳ではない。
重力に従って落下するアルトリアを秀吉は睨めつける。平手から握りに拳を戻し後ろに引かれ、残る片手は前に突き出される。
意図するところは明白歴然。千騎万軍蹴散らす王の拳気、その二撃目が振るわれようとしている。
彼我の距離の差などという問題が全く無意味なのは既に証明済みだ。そして遮蔽物のない中空は、存分に威力を発揮出来る絶好の位置でもある。

いかに超人的な身体能力を有するとはいえ、サーヴァント単体に浮遊能力は付与されていない。風を操作し魔力によるジェット噴射を行うアルトリアもそれは同様だ。
砲塔の照準が合わせられる。装填されるのは一握りの拳。城門はおろか支柱にまで届いて城の形そのものを崩落させてしまう破壊槌。
正真正銘の逃げ場なし。退避を優先して上方へ跳んだ分、滞空時間も伸びてしまっていた。空にいるのにも関わらず袋小路に追い詰められている。



そして、この段になって、彼女にとっての光明が遂にここに機した。



予測は結果に収束する。
この瞬間、この槍が解き放たれる未来を現在は待っていた。
過程を無視した直感、未来予知にも等しい超感覚が導き出した解答。この敵を討つに能う方法。
彼女の今までの戦舞、舞闘は全て、この場面を現実に引き降ろす為にあった。

「■■■■■■■■■、第一段階限定展開」

手の内に輝きが増す。月光よりなお眩しく、神々しさをも伴って空を染め上げていく。
夜の帳を焼き焦がし、満天を背負い、蒼銀の女神はそれを掲げる。
地に作る柱。空を裂く独角。海を割る錨。
世界の最果てから人の営みを眺むべく佇む塔。

「解き放て、爆ぜ散らせ、嵐の錨」

それは、槍の形状をしていた。
それは聖槍だ。聖なるもの。清らかなるもの。
アーサー王物語。騎士道の在りし日の伝説を紡ぐ証明。
星の内海で鍛えられ人の王に渡された聖剣と同様の、神代の香り残る神秘の結晶。
だがこの形は仮初の影に過ぎない。本体たる『塔』は、今も地球の何処かに突き刺さっている。
何故ならば、この槍は敵を穿つ武器ではなく、表層を縫い止める為のもの。
表と裏。現実と幻想。物理と神秘。人と神。
同じ世界を共存できぬふたつが別れ隔てられた薄皮の境界線を維持する、そのが役目を負う一こそが、この槍の形状をした柱に他ならない。

文字通り世界が覆るこの大宝具には、厳重な封印が掛けられている。
アーサー王に仕えた騎士。円卓に座る栄誉を許された騎士の数になぞらえられた、十三の拘束。
解かれた拘束の数は少ない。ただ強大な敵を倒すだけでは聖槍は真の力を顕さない。
真名解放にすら至らない、紐解かれるは片鱗のみ。全開のそれに比ぶれば残滓に過ぎないもの。
それでも――――たかが一国の王相手には十分過ぎる、神霊魔術の領域に届く暴威である。

馬上に身を委ねていた躰が、跨る倉からずり落ちる。
姿勢を崩し馬に振り落とされて泣き別れになったか。それは違う。手綱を離し両手で握られた槍の穂先は、眼下の秀吉の心臓を指し示している。
膝を屈めた具足の足裏が硬質なものに触れる。踏みしめる地のなき宙で具足が足場にしたのは、背を降りた主の意に阿吽の呼吸で合わせたドゥン・スタリオンの蹄だった。
人間の頭蓋骨を砕き、繋がる首まで千切り飛ばす筋力の馬の後ろ脚が、墜ちるだけの定めであった王の台座へと変わる。


『――――――――――――ッッッ!』


耳をつんざく嘶きは号砲の合図か。
蹄から撃ち出された槍は持ち主ごと灼熱の魔力を纏い、燃え尽きるない流星と化して空を裂いた。




光が廻る。
星が螺旋を描いて燃えながら墜ちる。
この瞬間、珠雫は死を意識した。
自分が標的にされてないという認識も無関係に、肉体と精神への滅びが概念的に叩きつけられていた。
人はおろか神すら定義があやふやで形が固まらなかった白亜、その時代の覇者たる竜を滅ぼした終わりとは、このような様だったのではないか。
英霊とは過去の再現。宝具とは伝説の再現だ。
ならばこの墜落こそは過去の情景。遥かな太古、原始の星に打ち込まれた、"終わり"を有り示す火の矢に他ならない。

かつて、人類の祖たる哺乳類は、隕石の衝突による滅びを免れ、繰り上がる形で生態系の上位に昇った。
しかしそれは必然の生存ではなく、幾つもの環境と要因の堆積が生み出した偶然に過ぎない。
生き延びた彼らの子孫の遺伝子には刻まれている。地を焼き、森を抉り、生命を吹き飛ばした衝撃波。
ひとつ歯車が違えば自分達も迎えただろう。生命種にとって最大の恐怖である絶滅の感情を。

人も兵も軍も国も、万象を燃やし滅ぼす光の炎。
ならば、今それに臆せず立ち向かう巨大なる影の持ち主は、果たして何者であるのか。
問うまでもない。
絶望をねじ伏せる、希望を謳う勇姿。泡沫の幻想を現実に変える力。
人を統べ、兵士を率い、軍を纏め上げ、国の全てを両肩に背負う。
古今東西人外神魔に関わらずして、その責を負う者は皆等しくこう呼ばれているのだ。



王と。



「――――かァァァァァッ!!!」

眼が見開かれる。
溜めに入っていた拳の覇気を更に高め膨らませる。
墜ちる聖槍の轟音に劣らぬ雄叫びと共に、堕つる巨星を掴まんとする一極巨拳が天へと衝き上げられた。

蹂躙には蹂躙を。星の聖槍に王の槍腕が対抗する。
互いを食らわんと広がり合う光と光。
そのふたつに挟まれた世界は超質量の魔力に圧縮され、反発する力の行き場を無くし―――――――――




            ×      ×




世界が滅び、生まれ変わった。
夜の闇をかき消す太陽にも等しい光量に、珠雫も思わず顔を伏せる。
誇張でも何でもなく空間が捻じれる破滅的な音を、耳鳴りがする中で用を為す耳が拾っている。
やがて光も風も止み、覆った腕を下げて再び視界が開ければ、広がる痕にただ愕然とした。

大きく陥没した地面は隕石の落下跡と疑われても仕方あるまい。旧大戦における戦車の砲弾、爆撃機の空爆でもこうなるものなのか。
事実今しがた目にしたそれは、紛れもなく天よりの災いだ。
地下の水道管にまで被害は及んでしまったのか、崩落跡から勢いよく水流が噴出している。
これまでの戦闘跡を丸ごと塗り潰してしまうほどの、圧倒的な破壊。
その発生点。爆心地の中心に、彼女のサーヴァントは立っていた。
天災の後であろうとも、その姿、変わらず威風万丈。剛体の四肢が損なわれる事なく豊臣秀吉はここに在る。

しかし―――

「……ランサー!?」

珠雫が叫ぶ。驚愕の色と感情をありありと乗せて。
彼女は見つけてしまったのだ。背後からでも分かってしまうその変化に。幾ら信じられずとも目に入ってくる色は誤魔化しが効かなかった。
秀吉の足下は水気にぬかるんでいた。破裂した水道管のせいではない。
身に着けた鎧より鮮烈な、男の掌から今も滂沱と流れ落ちるアカイロによってだ。

「狼狽えるな、掠り傷だ」

一言で切って捨てた秀吉は、痛みに顔を歪めもせず血濡れの我が手をまじまじと眺めた。
宝具の一端である篭手は粉々に砕けていた。鋼鉄を超える硬度の皮膚は光の槍に貫かれ、焦熱の魔力で爛れている。
骨にまでは届いていない。肉の何層かを融かされながらも表面までで侵攻を遮っていた。神経はまだ繋がっており、拳は握れる。戦闘続行そのものには何の支障もない。
だがそれでも、自らの肉体(宝具)を疵つけられた憤怒は隠せずに露わにされていた。

「貫いたな―――我が拳を」



「防いだか―――我が聖槍を」

清涼な声がした。
渓谷に流れる澄み渡った冷水のように淀みなき声だった。
奇しくも初めて見えた際と同じ、教会に続く坂道の上。
マスターである少年を守護するように前に出る槍騎士、アルトリアもまた健在であった。

二極の槍の衝突。振り上げた腕は傷つけられたものの、最終的な力勝負は秀吉に軍配が上がっていた。
穂先が身に食い込み肉が断裂しておりながらダメージに頓着する間もなく、天をも支えんばかりの筋力で落ちてきた槍を吹き飛ばしたのだ。
押し上げられたアルトリアも、先んじて着地していたドゥン・スタリオンが主の落下場所に馳せ参じ危なげなく背に乗せた。
追い返しながらも手傷を負った秀吉。ならば騎士王の損害は皆無か。これもまた否だ。
風にたなびく金砂の髪と、夜に映える翠色の瞳が物語っている。

王としてだけでなく、美の領分まで人を域を超すほどに成長した、女神の如き麗貌。
その顔が夜気に晒されてる。先程まで覆われていた獅子の造詣をした兜が割れているという事である。
直撃こそしなくとも、至近で浴びた豪腕の衝撃波は甲冑を震わせ、額から落ちるだけの亀裂を与えていた。


「よくぞ―――それだけの域まで高めたものだ。 
 神代の魔力も用いず、幻想の血を受けずにおりながら、ただ人の身のままで超常を貫いた。
 貴殿の肉体は、既に伝説の具象たる宝具と合一している。それこそが徒手にして槍兵として顕現した証左か」

面が割れても、頬には破片が掠った傷すらも見受けられず今なお美しさを保っていた。
滔々と覇王の強さの秘密を看破して語る。

「成る程。蛮族とはいえ英霊、小蟻ではないという事か」

並み居る英霊を相手取っても欠片ひとつ毀れなかった絶対不壊の肉体。
その無敵の伝説に一片泥をつけられても、豊臣秀吉の自信の根本が折られはしない。

「聖剣ならぬ聖槍、星の槍ロンゴミニアド。騎士王という大層な称号も、名前負けしてはおらぬらしい。
 その力、認めよう。時代が違えば恭順を証に我が軍に迎え入れもしただろう。だが許されぬ。此れは聖杯戦争であり貴様は国敵であるが故に」

傲岸不遜なる態度は虚勢ではない。
天下統一を為した宝具そのものである肉体には筋力の上限というものがない。意気を漲らせればまだまだ奥底から力が溢れ出る。
雲を割る巨拳も、引き出せる全開に比べれば程遠い、虫をはたくのも同様の児戯に等しい。

アルトリアにとっても、そこは同様の事が言えた。
山を切り崩す魔力の奔流も、限界はおろか真名解放すらしていない末端の威力だ。魔力放出と風王結界の展開で叶う範疇でしかない。
十三拘束が解かれずとも。更に倍する力で拳が振るわれようとも。常勝の王には敗北への怯えなどない。

「我が前に立ち塞がる以上は、どれほどの力があろうと路傍に敷かれた石と同様でしかない。
 次はその纏う威光ごと、木っ端の如く微塵に砕き尽くしてくれようぞ」
「それは不可能な話だ。散るのはそちらだ、護国の王」



つまりは、ここまでの戦いはただの前座でしかなく。
周囲が裂け散り、削り落とされる街の残骸もついでの余興のような彩りであり。
二人にとっては本気の殺り合いの準備が整った段階だった。
体の"慣らし"でこれならば、全力を投じた際に訪れる破壊はどれほどの爪痕となるのか。
今でも一区画が廃墟同然の有様なのに、これ以上の戦闘が続行されれば、新都方面全土が呑み込まれかねない。
ここから始まる相克の規模は、推し量るだけで寒気立つ光景だ。

水流がスプリンクラーのように舞って、荒れ果てた地面を柔く濡らしてく。
局所的な雨が降る中。水煙を隔てて二者は動かず対峙する。
静寂などすぐの内に終わる。極限の緊張。余人を卒倒させる濃密過ぎる闘気。
一秒、いやそれより短い、人間が知覚できる限界を超えた時間の後に来るかもしれない爆発に今かと構え、



「―――時間ですね」



薄氷の上での静寂が、真の意味で静けさを取り戻す。
王の勅命にも等しい声が、充満していた殺伐な空気を一瞬で別のものへ変えていた。
敬虔に祈りを捧げる信者が乱れのない列をなしている、神聖にして荘厳なる聖堂の中にいるような錯覚をもたらした。

「どうかしましたか、レオ」

アルトリアもまた振り返り背後のマスター―――レオに疑問を投げかける。

「言葉の通りです、アルトリア。今宵の戦いはここまでです」
「怖気づいたか、小僧」

侮蔑と怒りの混じった秀吉の声にもまるで恐れを見せずに、レオは両者を宥めるように言葉を続けた。

「お二人の気持ちはごもっともですが……どうか槍を収めて下さい。これ以上長引くようであれば、被害はこの区画ひとつでは済まないでしょう。
 これほど戦いが続く事は今までなかったものだから、サーヴァントが及ぼす市街への被害の規模を考慮していませんでした。僕にとってもこれは失態です」

挙げられた片手の示す先に広がるのは、ほんの数分の時間で破壊され尽くした、閑散たる平野となった街の一部だ。
レオの言う通り、この規模の戦いが続いていけば更地になる範囲は住宅街にまで及ぶだろう。
……珠雫にとっては、それがどうしたと思うしかない事柄だが。

「……ここは聖杯戦争の為の舞台でしょう。そこの街や市民をいちいち気にする意味があるとでも?」

この冬木は聖杯戦争を進行するだけのフィールドに過ぎない。
架空の街に架空の住人。元来異なる世界から聖杯戦争の為に招かれた珠雫にしてみれば、彼らの平穏も安寧も気に留めるに値しない。
理由もなく直接手にかけるとなれば気も咎めるかもしれない。兄と一部の親交ある者以外には酷薄という自覚はあるが、猟奇趣味があるでもない。
逆に言うなら、偶然『事故』に巻き込まれてしまったであるのならば、簡単に割り切れた。
これでは秀吉の言う通り怖気づいたと言えばまだ納得できる分の言い訳だ。
そして……それが本心だと理解せざるを得ないほど裏表の差を感じられないのが、益々珠雫の頭を混乱させるのだ。

「あなた方も、この戦争の異常性は既に理解しているでしょう?
 情報統制も戦いを管理する気も感じさせない、放置にも等しい措置。それどころか参加者を追い立てる真似までして状況の加熱を招かせる。
 底の見えぬ悪意を仄めかす、裁定者という名の玩弄者を」

レオが話したのは、思ってもない切り口から来た内容だった。

「この聖杯戦争には異常がある。何かが致命的に捻れ狂っている。
 主催する側に信が置けず、それでいて奇蹟の存在だけが強く主張されて、聖杯という光で奇蹟を望む者の目を眩ませている。
 これらから彼らの望む儀式の形態が推測できます。
 徒に戦火を拡大し、混沌にかき乱された中で犯される戦争。一点の希望を、無数の血で濡らしていくコロシアイ。
 それこそが、ルーラーが管理する形態での聖杯戦争です」

不徳。不精。監督不届き。
それは聖杯戦争を主催する相手への糾弾であり、盲になって奇蹟に飛びつく参加者への戒めの諫言だった。

「ですが、それは僕の王道ではありません。自らの信ずる道に反する行いで得た勝利では、進みに迷いが生じる。いずれ足を踏み外すでしょう。
 上が管理しないのであれば、当事者である僕達が自制を持って行動するのみ。聖杯戦争の本戦は今宵始まったばかり。
 今回の戦いが全てではないのですから、住民への配慮は当然の対応です」

正気を疑う発言に、聞き取った脳が不意にぐらついた。
今彼は自らを招いた主催者へと、不信と叛意をはっきりと表明した。

「馬鹿、じゃないですかあなた、本気で」

心の底からの本音だった。正直過ぎて罵倒というより感想みたいになってしまった。
ルーラーが信用できないのは分かる。あんな不出来な即興劇を見せられて真面目に言葉を受ける者がいるとは思えない。
だがかといってこうも真っ向から逆らう意思を見せていけるものなのか。
聖杯戦争ではなく自分の規範(ルール)に則って戦う。
即ち、自らの行いの方が正しく、誇れると信じているからこその迷いの無さ。

「戦いの結果で誰かが命を落とすのは当然の事。それは理解してます。ですがそれを最小に抑え、死を無意味なものと終わらせないのも王の務めというものです」
「だったら、聖杯はどうするつもりですか。支配者気取りがやりたければ好きにやればいいですけど、」
「もちろん聖杯は手にします。想定とは違いますが僕にとってもこの儀式は見過ごせない。
 僕がこれまで倒してきた相手、これから倒すことになる相手。全てが得難い好敵手です。妥協なく敵を討ち、最後まで勝ち残ります。
 たとえ、その性質が悪に浸っているとしても―――纏う穢れごと払う光となることが、僕に課せられた役目なのですから」

珠雫とて名家である黒鉄に生を受けた女。幼少の頃から他家の長や権力者と会った機会も多くある。
才媛である自分を褒めそやし、何をしても許すだけの大人達。強者に如何に媚びへつらい、欠片も抱いてない賛辞を舌に乗せるかしか考えない、くだらない人間。
それらと比して見ても……あの少年とは圧倒的に隔てた格の差が実感できた。
組織の掟に固執して兄を切り捨てた父とも隔たり過ぎている。いや記憶にある全員を揃えて並べても二割に届くまい。

無差別な破壊をよしとせず、勝利より被害の拡大を防ぐ方を優先する。
管理者の手際が杜撰で信用できないのならば、代わりに役目を取って代わる。
いや、先の発言からすれば、そうしたやり方でなければ本人にとって勝利と受け止められないのか。
それは世を治める者、王の考えだ。混沌渦巻く闘争の中でもその考えを遵守する。
誰にも毀損される事のない正道を突き進む、生まれながらの君臨者の思想が描かれていた。

心の中にささくれだったものが立つ。
不快ではない。恐れ怒りとも、きっと違う。
口にするほど感情が湧くほどでもなく、言葉にできるほど固まっているわけではない。
水と油が決して混じらないような、磁石のN極とS極が決して繋がらないような、根源的なレオへの反発だ。
その清廉潔白さに、燦然さに、何故だか自分は許せないと思っている。
それは、何故――――――?

「我の前で王道を語るか、小僧」

王、という名乗りに聞き捨てならぬものがあったのか。秀吉が割り込んできた。
そういえば、相手方のランサーも王族であったのを思い出す。
レオとアルトリアには明かされずとも同質な気を感じるが、相対する秀吉は同じ王でもその在り方について大きく違っていた。

「はい。僕は既に王として在り、斯く在るべき行いをしています。あなたも一角の、恐らくはこの国に根ざした名のある王なのでしょうが……」

レオはそこで一端言葉を切り、

「それでもここで告げましょう。あなたの掲げる王の強さでは僕に―――いえ、僕達には勝てません」

先程までと何も変わらぬ口調。なのに今までと違いレオの言葉には力が満ちていた。
増上慢なる物言いにも関わらず不快感が混じらないのは、清浄な雰囲気を携えた少年故なのか。

「人々が望むものは常に秩序と安寧。資源が行き届き、飢餓もそれに誘発される争いもない、理不尽な死が訪れない世界です。
 あなたの覇はひたすらに戦禍を招き寄せるもの。乱世の時代を切り開けても、その先の平和を続く術にはなり得ません」

「――――――」

噴水の流れ落ちる音しかしない静けさが痛い。
返答はない。激昂するでも反論するでもなく秀吉は黙っている。
時間の経過毎に周囲に剣呑さが充満する。このまま穏便に済むはずもない、筋力と魔力との爆発に晒されると空気が怯えている。
いつ均衡が破れて雪崩かかってもおかしくない緊張が肌を刺していく状況で。

「よかろう。此度に限り貴様らを見逃してやる。早々に背を見せて立ち去るがいい」

ややあってから申し出を了承する声が上がった。

「ランサー、何を勝手に」
「だが―――」

自分を置いて話を進める秀吉に珠雫は異を唱えた。戦闘を専門であるサーヴァントに任せるのはともかく、交渉事でならマスターの意も通すのが自然ではないかと。
だが抗議の声は途中で遮られた。挟まれた秀吉の声に秘められた溶岩の噴流にも等しい感情が、それ以上の続きを許さなかった。
あるいは言葉としては出ていたが、男の声の重みに押し潰されて音としては聞こえなくなったのかもしれない。

「"ここ"からは逃さん。貴様らだけは、決して。
 忌まわしき英国(ブリテン)の象徴。国土を焼き払い、我が民に地獄の苦悶を負わせた悪魔の同類共。
 そして小さき王。民の牙を抜き首輪を繋ぎ餌を撒いて、飼い慣らす……人を家畜に貶めても管理するその思想こそ、国を弱らせる病の根源よ。
 外海からの夷狄に、この肉身は砕ける道理は嵌まらぬ。焼かれた大地の怒りを代行して、必ずや誅を下す」

白銀の騎士王と黄金の少年王に向け、覇王はレオと同じ静かな―――だが温かみとは断絶した永久凍土の殺気で告げた。
その言葉だけで骨肉を凍りつかせて、氷海の深き底に沈めさせてしまう。そんな響きだった。

豊臣秀吉の人生とは富国強兵を為さんとした道程であり、人々もまたそうして彼を評価した。
諸外国からの植民地支配に備え、内乱に明け暮れる戦国の世を平定した英傑。
その彼が今、この地に降り立っている。大戦に敗れ大国の差配を享受した、この昭和の日本に。
敗戦の記憶薄れぬ民衆にとって、これ以上の『希望の象徴』があろうか。
強き国を。負けぬ兵を。陸の外の脅威に対抗する力を。
彼はこの聖杯戦争の舞台である日本、その全てに期待されている。歴史にて叶わなかった欧米諸国への勝利という、熱狂的なほどの信仰が後押ししている。

秀吉はそれに応える。
この国には、声なき怨嗟が溢れている。
祖国を蹂躙され弄ばれる屈辱の叫び。強き力を、豊かな実りを、古来より紡がれてきた誇りを奪われた、この国そのものの嘆きを聞いた。
立ち上がらねばならぬと憤った。今こそ捲土重来の時来たれり。日ノ本の在るべき姿を取り戻せという天命を見た。
故に、ここに召喚された彼こそは護国の鬼将。
御旗の下で戦い、無念に散った英霊の魂が呼び寄せた、救国の荒御魂に他ならない。

「ハーウェイは日本の難民も受け入れているのですがね……ですがそれもあなたからすれば侵略ですか。
 世界は違えど、その強靭な愛国心には素直に敬意を評します」

物質的な重みすら伴う凄烈な殺気を浴びても、柳に風かのごとくレオは揺るぎない。
傍らのアルトリアは何も言わない。主と理想を同一としている以上、語るべきものはないとでもいうように、ただ槍に徹していた。

「それでは、また。次の聖杯戦争の夜にお会いしましょう。
 その時には、あなたの名前を教えてくれることを願っていますよ」

最後まで、晴れやかな笑顔を消さないまま。
まるで逢引きの別れ際に残すような文句を残し、レオは踵を返した。
背を向け、鮮やかに去りゆく後ろ姿はどう見ても臆病な敗走者ではない。騎士を伴って凱旋する様はまさしく王そのものの堂々さだ。
まるで、取り残されるこちらが負けた気分になるぐらいに。そしてそれは違ってもいない。
いま珠雫の胸を焦がす苦い思いは、目につくもの全てに八つ当たりしたくなる衝動は、間違いなく敗北感と呼ばれる、悔しさから来るものだから。


やがて二人の後ろ姿が完全に見えなくなるまで、珠雫は遠ざかる影を見続けていた。


【一日目・未明/C-9】


レオ・B・ハーウェイ@Fate/EXTRA】
[令呪] 残り三画
[状態] 魔力消耗(小)
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] 大富豪並
[思考・状況]
基本:聖杯の確保
1:暫くは、周囲の街の被害に配慮して行動する。
2:ルーラーに不信感。
3:聖杯が悪しきものであるならば破壊も検討。
【備考】
ランサー( 豊臣秀吉 )のステータスを確認しました。

【ランサー(アルトリア・ペンドラゴン)@Fate/Grand Order】
[状態] ダメージ(極めて軽微)
[装備] 『最果てにて輝ける槍』
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本:レオ従い、その願いを叶える。
1:主の命のまま、立ち塞がる敵を討つ。




【黒鉄珠雫@落第騎士の英雄譚】
[令呪] 残り三画
[状態]
[装備] なし
[道具] なし
[所持金]
[思考・状況]
基本:聖杯を手にし、兄が幸福になれる世界を
1:討伐令を利用して敵主従を見つけて叩く。
2:レオに対し、理由の分からない反発。
【備考】
ランサー(アルトリア・ペンドラゴン)のステータスと真名を把握しました。

【ランサー( 豊臣秀吉 )@ 戦国BASARA 】
[状態] 右掌に損傷(戦闘に支障なし)
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本:聖杯を手にし、日ノ本を救う
1:覇王に後退はない。あるのは前進制圧のみ。
2:レオとアルトリアに対し、強い敵愾心。
3:魔王(信長)を討滅する備えをする。
【備考】
ランサー(アルトリア・ペンドラゴン)の真名を把握しました。
安土城のサーヴァントを自身の世界の織田信長だと確信しています。



※C-9教会に続く道周辺が大きく破壊されています。住民への被害は確認されてません。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2017年04月23日 00:28