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第3部 序章-第一幕- アンノウン・ベビー






ここは修復がほぼ終了し、更なる改修工事の途中のアーム城研究室。
勇者軍研究部の本部となっている地下施設である。
その一角である培養カプセルの中には一匹の大きな虫らしき生物。
その目の前に一人の少女――シルヴィア=スターリィフィールドがいた。
蜘蛛のような体格と、貝のような外殻を保持しているにも関わらず、
羽ばたきによって飛ぶことが出来るような見た目である。
可愛らしい、とはお世辞にも言えないが、
まあそれほど有害な生物にも見えなかった。
「最近はその子の世話ばかりですね。興味があるのですか?」
と、シルヴィアの傍らに部下の姿――リゼル=ジョルダだ。
「ええ、そりゃあもう。こんな生き物の幼虫みたことないです。
 興味全開ですよ。是非とも学会に発表したいぐらいです」
「僕はあまり好きにはなれませんかね……」
「そうですか?」
シルヴィアが培養液を空にすると、謎の虫は
軽い羽音を立てて飛び、シルヴィアに近付こうとする。
刷り込みに近い現象が起こっていると見て間違いなかった。
「私を親だと思って擦り寄ろうとしてくるんですよ。
 こういうのって、母性本能くすぐられていいですよね」
「またそうやって得体の知れないのを育てて……
 危険な生物でない保証は何も無いんですよ?」
「残念ですがその時は、私達で処分しましょう。
 幸い私達には、それだけの能力があるはずです」
「……分かっているのならいいんですけどねぇ」
「キュイーッ」
いきなり泣き始める謎の虫。
「さあ、食事の時間ですよ、ベビー」
カプセルのシーリングを解除すると、ベビーと呼ばれた謎の虫は
シルヴィアの肩に乗っかり、そのままジッとしている。
餌が出るのを大人しく待っているように見えた。

がさごそ、シルヴィアは朽木の欠片を取り出し、
それをベビーに与えた。
「はい、ごはんですよー」
「キュイーッ」
許可が下りたと見るや否や、シルヴィアから離れ、
朽木を豪快に丸かじりという方法で食事を始めたベビー。
「なんでベビーなので?」
「どう見ても赤ちゃんですからねぇ。
 一応コードネームとして付けてみました。
 正式にはアンノウン・ベビーです」
「またそうやって猫可愛がりする……」
と、リゼルは諦めつつも嘆息する。
「あ、猫可愛がりってすごい言葉ですよね。
 猫を可愛がっても猫可愛がりって言うんですかね?」
「……さあ?」
とてつもなく噛み合っていない会話を打ち切るリゼル。
まあこれも含めていつもの事ではあるので、
何を言っても無駄だろうと思い、自分の仕事に入ったようだ。

こん、こん、こん、こん。
軽い音を立てて誰かが地下研究室に入ってきた。
ユイナ王女である。
「あ、話に聞いていたのはその虫ですね?」
「はいはい、そうですよー」
と、あくまで気楽に答えてくるシルヴィア。
その後ろで朽木を噛み砕くエグめの音が聞こえて、
あまりフレンドリーな雰囲気は無いが、
まあこの際、気にしない事にユイナ王女は決めた。
「……何やら物騒な音が聞こえてますが、大丈夫ですか?」
「もう、皆さん心配性ですねぇ。
 ちょっと虫が朽木を丸かじりしてるだけじゃないですか。
 そんなのそこらの虫だってしますよ、たぶん」
「いや、しないんじゃないですかね」
一応無駄だと知りつつ、リゼルはツッコんでくる。
「ところで、ユイナ王女、わざわざ何の御用で?」
「ああ、そうそう。お二方にこの書類にサインをお願いします」
「今時紙の資料ですか。レトロですねー」
と、リゼルは丁寧にサインを書く。
「ネットワークに繋いでいない方が安心な事もあるもので。
 特にその事項は当分の間、重要機密になりますから。
 たぶん一回使ったら機密ごと大破すると思いますけど」
「物騒な機密もあったものですねっと」
シルヴィアが続けてサインを書き、書類を返した。
「そうは言いますけれど、この計画の立案者は
 あなたのお母様とお祖母様ですよ、シルヴィアさん」
「みたいですねー。まあ私はどうでもいいですけど、
 早いところミームってのをこっちに下さいって言っといて下さい。
 ライナスさんやテディさんばっかりズルいです」
ふくれっ面をしてみせるシルヴィア。
「あはは、まあ伝えておきます。それでは」

かん、かん、かん、かん。
再度階段から退出しようとするユイナ王女。
かん、かん、かん、かん。
と、また降りてきた。
「ああ、そうそう。もう一個の用事を忘れていました。
 バスクさんが、そっちに来ていませんか?」
ユイナ王女が問うと、リゼルが簡潔に情報を確認した。
「バスク君はユイナ王女が構ってくれるもんだから甘えて
 しばらく常駐してましたけど、先程帰ったみたいです。
 未成年が長々と帰らないのはよろしくないですからね」
「そうなの。また遊びに来てくれるかしら?」
「ええ、伝言も残してありましたよ。
 また遊びに来るから、今度ゆっくり、って」
「それは楽しみですね。じゃあ、私はこれで♪」
いくらか上機嫌なまま、ユイナ王女は退出した。

そんな事をやっている間にアンノウン・ベビーの食事は終了し、
シルヴィアの手で培養カプセルに戻されていた。
どうも生息環境をあまり選ばないタイプの生物らしく、
液体に漬けられていても平気で活動している。
もしこれが有害な生物だとしたら冗談にもならないだろう。
その危惧を、リゼルはそっと胸の内にしまっておいた。
正体も分からないうちに、貴重な生物かもしれない存在を
殲滅するような迂闊な事をするわけにはいかないからだった。
だが、リゼルは不安を拭えなかった。
その当事者が恋人のシルヴィアであるからだろうか――?

全てはまだ、謎のままである。
アンノウン・ベビーが勇者軍の運命に何をもたらすかを、
回収した本人のギース=リバーズも、そして育てるシルヴィアも
知る由も無いのは、むしろ必然であっただろう。




最終更新:2011年06月11日 13:46