押し寄せるさざ波の音が、支柱に当たってちゃぷちゃぷと響く。
涼やかな夜風と重なって、穏やかな音色を奏で上げる。
自然の調和に混ざるのは、きゅらきゅらと鳴る車輪の音だ。
ぎこちないリズムは、死の証。錆ついた軸ががたがたと揺れ、車輪の回転を不安定にする。
「そうですか……それが、マルゴーさんの世界なんですね」
その音を傍らで聞きながら、銀色のスーツの女性が言った。
爽やかに切り揃えられた青髪は、
スバル・ナカジマのショートヘアだ。
瞳は前方へと向けながら、彼女は車輪の音を鳴らす、同行者の言葉に聞き入っていた。
「ここは、自然の綺麗な場所だ……『滅び』が広まるずっと前に、戻ったような気分だよ」
目を伏せ、風を味わうように。
口元に笑みを浮かべながら、きゅらきゅらと音を立てるのは、不思議な雰囲気を持った青年だった。
女性のような美貌の男だ。淡い紫色の長髪は、潮風にさらさらと揺れている。
それでも、右の目元に負った傷と、ところどころに浮いた錆とが、この美貌も長くはないのだと、言外に物語っていた。
マルゴー――人のような姿をした、人ならぬロボットの青年は、自らをそう名乗っていた。
「君の住んでいる世界にも、こんな場所があるんだろう?」
「ええ。開発が進んで、人の住む場所は広がっていますけど……でも、綺麗な場所はいくつもあります」
「羨ましいな。それだけは、僕にはどうしても望めないから」
マルゴーの下半身を形成する、車椅子のような車輪が揺れる。
がたがたと響く橋の上を、感触を噛み締めるようにして進んでいく。
「お見せできると、いいんですけどね」
ほんの少し、顔を曇らせながらスバルが言った。
マルゴーがいたという世界は、一度、大きな災いが起こって、滅びを迎えた世界だった。
自然物は異常を来たして暴走し、文明は自然の猛威を前に、虚しくも崩れ去ったというのだ。
不死身であったはずのロボット達も、「滅び」という得体の知れない劣化現象に、もがき苦しんでいるのだという。
「そうだね。ここでは美しいものも、落ち着いて見ることは出来なさそうだから」
瞳を開いたマルゴーの目には、この場所はどう映っているのだろう。
ふと、そんなことが気にかかる。
ここは、彼の暮らしていた世界よりも、恐らくは遥かに綺麗な場所だ。
海は青々と波打っているし、草原には草木が広がっている。動物の姿こそないが、自然の生命力に満ちている。
それでも、この海に浮かぶ島は、命を奪い合うデスゲームの舞台だ。
生命の気配に溢れながらも、死の穢れに染められることが、予め定められた矛盾の大地だ。
命を失い、死に近づいたマルゴーの目には、この土地はどのように見えるのだろうか。
「……君もまた、悩み多き人のようだね」
はっ、と。
マルゴーの言葉に、我に返った。
どうやら気付かれていたらしい。視線の向こうの美青年は、にこにこと笑みを浮かべている。
「あ……すいません」
「気にすることはない。君が僕の世界について、真剣に考えてくれているのなら、それは喜ぶべきことだ」
真摯な人は好きだからね、と。
あっけらかんと言いながら、マルゴーは先へと進んでいく。
しばらく、その背中を見送ると、スバルもまたそれに続いた。
紫の髪の隙間から、ちらちらと覗く首筋には、痛ましい錆の色が浮かんでいた。
「君とあの村で会った時から、気になっていたことがある」
マルゴーが言う。
あの村とは、自分達のスタート地点であった、G-6地点の村のことだ。
「君は人のようでありながら、僕がロボットだと言った時に、少し変わった目つきをした」
それはまるで、同郷の者か、あるいは同胞を見るようだったと。
世界においても人種においても、自分とスバルの間には、何の接点もないはずなのに、と。
「……君は、人ではないのかい?」
まっすぐと、目を覗きこんで。
足元の海のような瞳が、スバルの瞳に問い掛けた。
「………」
少しばかり、返事に迷う。
この身の上をどう話すべきか、語るべき言葉を組み立てる。
「……そうですね。あたしは、戦闘機人という身体を持って生まれました」
一つ一つを噛み締めるように、スバルの口が言葉を紡いだ。
戦闘機人――それは生まれながらにして、身体の一部を、機械化・改造されたサイボーグだ。
魔法技術とは異なる形で、優れた兵士を生み出すために、研究が進められていた技術である。
スバルはその最初の成功例――2人のタイプゼロの片割れであった。
戦うことを宿命づけられ、戦う力を備えられた、半人半機の修羅だった。
「君にとって、その生まれが負い目だったと?」
そしてどうやら、このロボットは、何もかもお見通しのようだ。
気になっていたこととは、そのことなのだろう。
初めて会った時に覚えた、微かな揺らぎを捉えていたのだ。
「少し」
全肯定するつもりはない。
それでも、手離しに否定はできない。
故に、少しだ。少しの苦笑を浮かべながら、スバルはそう短く答えた。
「機械の身体を、嫌っているわけじゃないんです……
それでも、この身体が、戦うために作られたってことには、少し堪えたこともありました」
少女であった頃の、影の差した記憶だ。
元来スバル・ナカジマは、優しく気の弱い性格だった。
誰かを傷つけてしまうことを、自分が傷つくことよりも、恐ろしく感じていた少女だった。
それでもこの身体には、人を傷つけるための力がある。
少しでも使いどころを誤れば、たちまちに人を殺めてしまう、凶暴な力が与えられている。
戦士となるべく生まれた自分と、戦うことを恐れる自分。
今でも胸を締め付け続ける、呪いのような矛盾だった。
「マルゴーさんは、自分がロボットに生まれたことを、どう思っているんですか?」
だからこそ、スバルも問い掛けてみる。
自分の同胞でありながら、自分よりも人から遠い、完全なる機械の存在へと。
人の手によって作り出された、人ならぬ鉄の人形は、自らをどう捉えているのかと。
「……君には、友達はいるかい?」
返事が返ってくるまでに、さほど時間はかからなかった。
そして、返ってきた言葉は、そんな奇妙な問い掛けだった。
「え? あ、はい……確かに、友達はたくさんいますけど」
「僕にはいないんだ」
そう答えると分かっていたのか。
スバルの返答に対して、間髪入れずにマルゴーが言う。
「面白い矛盾だと思わないか? 僕は別に、戦うために作られたわけじゃない。
だけど僕は、人と親しくなることにおいて、君に遅れを取っている。
君がむしろ、人を傷つけるために作られたにもかかわらずね」
「あ……」
「要はそんなものなのさ。何のために生まれたかなんて、さして重要なことじゃない。
大事なのは、生まれた後に、何をどうしたのかということだよ、君」
身体ごとスバルに向き直りながら、足を止めて、マルゴーは言った。
「君は、人を殺めることが嫌だと言った。それでも別に構わないじゃないか。
君は多くの友に恵まれている。彼らが君に対して、戦うことを、強要しなかったこともよく分かる」
「どうして、そうだと?」
「君は僕を殺さなかった」
君が君の言う通りの人間だったならば、自分の命はとうになかったと。
「それは君が、そうでない生き方を、しっかりと選び取っていた証だ。
君はそれでいい。自分でそうありたいと願ったように、生きていけばいいんだよ」
そこまで言い終えて、数瞬の後。
何かを思い出したように、マルゴーが背中へと手を伸ばした。
デイパックを身体の正面に持ってくると、蓋を開けて中を探る。
鞄の中から取り出したのは、1本の細い画筆だった。
「落ち着いたら、一緒に絵を描いてみないか?」
「絵……ですか?」
「設計段階にはなかった、僕が自分で選んだ趣味だ。君の世界の、絵になりそうな風景に、連れていってくれると嬉しいな」
屈託のない笑顔で、マルゴーが言った。
ああ、そうか。
自分はそれでもよいのだと。
この道を選んで進んだ自分は、間違ってはいなかったのだと、改めて理解させられる。
答えの出ていた疑問ではあった。要はその答えに対して、納得を得たいだけだった。
壊すために与えられた力を、守るために使いたかった。
恩師・高町なのはに助けられた時、自分もこういう風になりたいと、心から強く憧れた。
だからこそ、この力を鍛え上げ、管理局のレスキューへと志願し、今も災害の現場で戦っている。
それでよかったのだ、自分は。
遠い世界の壁を隔て、巡り合った同胞の言葉だからこそ、一層の説得力をもって、実感させられた。
「……分かりました。これが終わったら、ご一緒します」
ありがとう、と言うように。
柔らかな微笑みを顔に浮かべて。
スバルは静かに頷きながら、マルゴーの申し出を受け入れた。