歓楽街の雑居ビルが軒を連ねる猥雑な路地の隙間に、無理やり押し込められたような佇まいのホテルが一棟建っていた。
消防法を遵守しているのかも怪しげな造りのその一室では、主の帰りを待つ少女が膝を抱えてすやすやと寝息を立てている。
少女はアーチャーのサーヴァントクラスを冠する【機凱種(エクスマキナ)】。真名を"
シュヴィ・ドーラ"という。
つい数時間前に外の空気を吸いに出かけたマスターと離れ、ついぞ叶わぬ想いにひとり胸を焦がしていた彼女だったが、とうとう疲れてしまったようだった。
ほどなくして部屋のドアがノックされ、金髪の青年が現れた。
彼こそがシュヴィのマスターにして、不治の否定者"
リップ"である。
「シュヴィ、無事だったか」
「……、」
リップの問いかけにぱちりと目を覚ましたシュヴィは、無言の首肯でそれに応える。
「すまないがこの場所が他の参加者にバレたようだ。すぐに発つ。準備をしてくれ。それから……」
リップは右目の眼帯から垂れる血をいつものように舐め取ると、一枚の紙片を取り出した。
「これを」
紙片をシュヴィに手渡す。そこには禍々しい書体で『HELLS COUPON』と記されていた。
「……紙。これ、なに?」
「路地裏でオレを襲ってきたヤツらが持ってた。紙製麻薬の一種みたいなんだが組成が知りたい。できるか?」
「マスター、は……殺した? 敵だから」
「ああ。だが聖杯によって作られた存在だ。他の参加者じゃない」
リップは一瞬表情を強張らせると、平静を装ってそう応えた。
「……ん」
紙片を受け取ったシュヴィは、迷う様子も見せずにそれを小さな口の中に放り込んだ。
しばらく二人の間に静寂が流れ、数秒後、シュヴィがカッと目を見開く。
「アミノ酸0.2%、マカエキス0.5%、インドメタシン0.1%…………」
『解析』を終えたシュヴィは、立て板に水を流すように次々に成分名と配合割合を読み上げていった。
リップは時たま頷きながら、メモにそれらを記録していく。
「…………精製水5%、コデインリン酸塩0.1%。……終了、以上」
「なるほど。普通にここら辺で手に入るモンで作れるんだな」
リップは顎に手を当て、笑みを浮かべた。
「……ダメ、マスター。……この薬……危ない。……異常活性。……身体……でも、壊れる」
「ああ、オレも元医者だ。何となくはわかるさ。このヤクは『治す』ためのモンじゃない、『壊す』ために作られてるってことくらいな」
「……、」
シュヴィは不安げな面持ちでリップを見つめる。
「……とにかく。一刻も早くここを出るぞ」
その視線に耐えきれず、リップは目を逸らすと医療用トランクに荷物をまとめ始めた。
数分後、準備を終えた二人はホテルの玄関口に立っていた。
「……ある? 行くあて」
シュヴィが遠慮がちに尋ねる。
「いや、だが幸いこの辺りにはゲストハウスが多い。それらを転々としよう。『試したいこと』もあるし」
「……?」
不安そうなシュヴィをよそにリップは考えを巡らせる。
恐らくこれは"否定者の解釈"の問題だ。
今、リップは最凶最悪のドラッグ『ヘルズ・クーポン』の製造方法を手に入れた。
ヘルズ・クーポンの薬効は『身体を壊しながら異常活性を得る』というもの。
――ならば。
"不治"の否定者たるリップの製造したヘルズ・クーポンを服用すれば、『通常以上の効力を永久に得ることができる』のではないか……?
医学の道に精通している彼はそう考えていた。
(実験が必要だ)
不確定な切り札を自分で試してみるほどリップは無謀ではない。
(シュヴィには……知られたくない。他の参加者で試すのも無理がある。
……仕方ないが、『検体』は聖杯内界の人間から調達するか)
眼帯から垂れる血にも気づかず、否定者は冷徹にただ勝ち残るための道筋を組み立てていく。
その計算にシュヴィのサーヴァントとしての力は入っていない。
正直、リップはシュヴィの真の力――機凱種の『解析』を甘く見ているフシがあった。
この並行世界には不可思議な力が溢れている。
喰らえば悪魔の力を得る禁断の果実。
摂取すれば桜の咲くが如く身体強化される薬品。
神より下された、
ルールを否定し、器となる罰。
天から与えられた呪いの縛り。
平安時代から連綿と闇に潜む鬼の血。
英雄(ヒーロー)と敵(ヴィラン)を形作る先天性の超常能力。
想像力を糧に発動する奇跡。
『傍に立つ』を意味する精神の具現化。
人類に混乱をもたらす波動。
それらの使い方を知る、ということはそれらを『壊す』方法も理解できるということだ。
全てを吸い込み無効化する闇人間のように。
伝説の暗殺者一家の末弟が開発した除去機構のように。
否定と相反する存在のUMAのように。
存在するだけで縛りを失わせる双子のように。
陽の当たる時間にだけ咲く青い彼岸花のように。
個性因子を破壊する弾丸のように。
人々の悲観に満ちた想像で歪む宇宙のように。
精神をDISCにして抜き取る神父のように。
因子の摘出によって成されるその場しのぎのように。
そして、もしリップが本気で英霊を"武器"と思い込めたのであれば――
治癒を否定する力はアーチャーの攻撃にも発生するであろう。
だが、少なくとも今は、否定者はその思考には至っていない。
リップは、いつも悪でいなければ、悪にならなければと思っている。
ポケットに無造作に突っ込んだ拳を握りしめ、耐えている。
仲間を見捨て、同族を狩り、両脚を落とし、そして、自分を殺した。
そんな彼が悪者をやめ、ヒーローになるということは、秋の木漏れ日の中で笑っていたあの娘を諦めるということだから。
【新宿区・ホテル街/1日目・午前】
【リップ@アンデッドアンラック】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:走刃脚、医療用メス数本
[道具]:ヘルズクーポン(紙片)
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:サーヴァントの排除。
1:拠点を移動させる。外国人がいても怪しまれないゲストハウスに泊まる予定。
2:ヘルズ・クーポンを製造し、効力を試したい。
[備考]
『ヘルズ・クーポン@忍者と極道』の製造方法を知りました。
【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:健康
[装備]:武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスター(リップ)に従う。いざとなったら戦う。
1:マスターが心配。
時系列順
投下順
最終更新:2021年08月16日 20:59