《うわぁ、奇遇だねえ!本当に奇遇だ!》


予選期間中―――23組の主従による聖杯戦争が幕を開ける数日前。
僅かな灯火が点々と光る、真夜中の市街地。
高層ビルの屋上で弾ける、眩い閃光。轟音。雷霆。
アーチャーのサーヴァント、ガンヴォルトは眉間に皺を寄せながら拳銃型のダートリーダーを構え続ける。


《俺も君と一緒だよ!》


次々に放たれる弾丸―――アーチャーの能力を誘導するための避雷針。
それらを扇の一振りで弾いていくのは、教祖のような姿をしたキャスター。
扇による一閃とともに、蓮の花の如し冷気が精製され、アーチャーへと襲い来る。


《――――そう、愛のために!》


屋上に存在していた微かな電気の灯りが、次々にショートした。
球状の電磁波が、冷気を瞬時に蒸発させたのだ。
雷撃鱗。アーチャーを中心に展開される、強力な電撃の膜。
実体を伴った飛び道具を防ぎ、更には避雷針によって誘導される電撃を放つ、攻防一体の力。
キャスターが散布する砂塵のような氷霧も、電撃によって遮断されている。


《彼女の声を聞きたい!彼女に触れたい!》


雷撃鱗から放たれる電撃を鉄扇で次々に凌ぐ―――それでもダメージは防ぎ切れず、肉体が雷の熱によって灼かれている。
しかし、それさえも意に介さず、キャスターは捲し立てる。
戦いの最中に、問答があった。
何のために戦うのか。何を願って聖杯を求めるのか。
キャスターの戯れとも取れる問いに、アーチャーは答えた。
その答えは、キャスターを高揚させた。


《俺もそうだよ!俺を満たしてくれる“温もり”を求めているんだ!》


――――血鬼術。散り蓮華。
無数の花弁の形状を取る冷気の刃が、アーチャーへと目掛けて殺到する。

雷撃鱗の連続使用によるチャージの隙を突いた攻撃だった。電撃の膜は、展開されていない。
電力の回復は僅かな時間で済む。それでも、戦闘ではその一瞬が命取りになる。
電磁結界(カゲロウ)―――自らを電子の揺らぎへと変換することで攻撃を回避する自動防衛機構。
多大な魔力を消費するこの能力は、決して乱発はできない。しかし迫り来る無数の刃を前に、発動は避けられない。


《素晴らしいね、愛というものは!甘くて、甘くて、堪らない!》


耳障りな声が、アーチャーの耳に響き続ける。
倒錯しているのか―――嫌悪感にも似た感情が脳裏をよぎる。
超低温を操る能力者。生前にも出会ったことはあった。
彼は、無能力者を憎み続けていた。その心を、憎悪で凍てつかせていた。
最後まで通じ合うことは出来なかった。弱肉強食による無能力者の淘汰。その理想を受け入れることも出来なかった。
それでも、彼の悲哀を理解することは出来た。迫害によって決起した彼の感情は、完全に否定できるものではなかった。


《ここは愛に溢れている!世界が!界聖杯が!俺の“目覚め”を祝福してくれているんだね!》


しかし、目の前の敵は違う。
享楽的。狂気的。それでいて虚無的。
あの『色惑う夢幻鏡(ラストミラージュ)』とも性質が異なる“愛”を説き、歓喜を繰り返す。
再び雷撃鱗を展開しながら、アーチャーは眼前の敵を見据える。
長期戦に持ち込ませても、決定的に不利になることはない。アーチャーは単独行動や自己回復のスキルによる強力な継戦能力を備える。
しかし、だからとってこれ以上戦闘を長引かせるのも得策ではない。
雷撃にも耐え得る敵の耐久力は油断できない。攻撃手段、手数もまたこちらと拮抗している。そして電磁結界を連続発動したことで、アーチャーは少なくない魔力を消費している。
未だ本戦ではないとはいえ、敵は古今東西の英傑。油断は命取りとなる。
故に、ここで勝負を決める。


《ああ、死後の世界どころか―――神仏さえも信じたくなる程だよ!》


そして、キャスターが迫る。
狂喜をその顔に貼り付けながら。
自身を襲う電撃さえも振り切りながら。
両手の扇を、振りかざす。
アーチャーもまた、構える。
雷霆を切り裂くように突撃する敵を前に、詠唱する。
自らのを魔力を、第七波動(セブンス)を、研ぎ澄ませる。


《迸れ、蒼き雷霆よ(アームドブルー)!》


――――天体の如く揺蕩え雷。
――――是に到る総てを、打ち払わん。


《ライトニング、スフィア―――ッ!!》
《“血鬼術”――――“枯園垂り”!!》


眩い閃光。凍てつく冷気。
二つの熱量が、激突した。



◆◇◆◇


聖杯戦争というものも、もう本戦に入って。
だけど、街の景色は何も変わらない。

池袋駅の地下構内は、いつも溢れ返るほどに人が多い。
お洒落な女の子達とか、仲良さげなカップルとか、和やかな親子とか、夏服のスーツを着たおじさん達とか、友達連れの学生達とか。
色んな人たちが、行き交う。幾つもの人生が混ぜこぜになって、すれ違っていく。
まるで川の流れみたい―――なんて、少しお年寄りみたいなことを考えてしまう。
沢山の人達がいて。沢山の心があって。
その中に、私―――“飛騨しょうこ”も居る。

お母様の顔が、ふと頭に浮かんだ。
いつも私を躾けて、私を口煩く縛ろうとしてくる、あの人の表情。
嫌だったな。辛かったなあ。
まるで思い出を振り返るように、考えてしまう。
一度死んでしまった今になって振り返ると、少し寂しさを感じてしまうところもある。

でも、あのまま型に嵌められていたら。
私はきっと、この群衆の中で色を失って。押し潰されてしまうような気がしたから。
だからずっと、反発していた。男漁りばっかり繰り返して、奔放に毎日を過ごしていた。
満たされてたかどうかと言うと、まあそれなりには楽しかったけれど。理想の王子様とは、結局最後まで結ばれなかったなぁ。

そんな日々の中で、いつも独りぼっちで背負い込んでいる“あの子”と出会って。
最後まで向き合うことができた、大好きな親友の“あの娘”と出会って。
私は―――――――――。

人々の隙間を縫うように。
私は、無我夢中になって走っていた。
どいて。みんな、どいて。
お願いだから。邪魔だから。
頼むから、私を通してよ。
そんな身勝手な思いを抱きながら、私は東口近辺の構内を必死になって進む。

追いかけた。
その娘の背中を。
その娘の姿を。
その娘の影を。

改札の側で、偶然見かけた。
彼女は、私の存在に気付かなかったけれど。
私はその姿を見た途端、迷わず踵を返した。
人混みの中に紛れていくその娘を、必死になって探し続けた。
何分も、走って、走って、追いかけて。
桜色の綺麗な髪へと目掛けて、一直線に向かっていって。

そして。
包帯を巻いた、右手で。
彼女の左手を、掴んだ。


「さとう……」


私はその娘の名前を呼んだ。
彼女は立ち止まって、ゆっくりと振り返った。


「さとう、だよね」


さらさらした髪も、整った顔も。
綺麗な睫毛も、自然に彩られたメイクも。
全部、記憶に残っている。
たった一人の親友が、そこにいた。


「……しょーこちゃん」


その娘は。
松坂さとうは、驚いていた。
少なくとも、私の目から見た印象では。
まるで“いるはずのない人”と出会ったかのような、そんな表情を浮かべていた。
人混みが次々に行き交う狭間。
お互いに立ち止まって、私とさとうは見つめ合う。


「その」


次の言葉が、うまく出てこない。
だって、ここにいるなんて考えてもいなかったから。
無我夢中で追いかけて、やっと掴まえて。
その後のことなんて、何も考えていなかった。


「久しぶり、さとう」


だから、そんな月並みな言葉を吐いてしまう。
それは、さとうにとっても同じことだったのかもしれない。


「うん……久しぶり」


さとうも、あの頃と同じように。
私に微笑みかけながら、そう返してくれた。


「あのさ」


矢継ぎ早に、私が言葉を紡ぐ。
何をしたいかなんて、何をするかなんて、ちゃんと考えていなかったけれど。
それでも、ここでさとうと別れたら。
大事な機会を喪ってしまうような、そんな気がしたから。


「時間、ある?」


私は一言、そう問いかけた。
僅かな沈黙。さとうの表情は、変わらない。
人混み。人の流れ。全て、背景へと変わる。
私とさとうは、互いに向き合っている。


「うん。大丈夫だよ」


そして、さとうはただ一言、そう頷いた。


◆◇◆◇


駅前の賑やかな繁華街から、少し離れた場所。
何処か古風で、落ち着いた雰囲気の喫茶店。
目立たない奥の席にひっそりと隠れるように、私とさとうが向かい合って座る。
他に客はいない。私達だけが、そこにいる。

ストローを咥えて、アイスティーを飲みながら、目の前のさとうを見る。
何も言わず、目も合わせず。ミルクとシロップたっぷりのコーヒーを傍らに、上の空のような様子で手元を見下ろしていた。
さとうの左手へと、視線を動かした。
ナチュラルな桜色のネイルが目に入る。綺麗に塗られているそれを見て、さとうは相変わらず上手だなあ―――なんてことを呑気に考えてしまう。
白くて細い手も、記憶と全く変わらない。
この界聖杯で何週間も過ごしていたけれど、さとうのことは忘れもしなかった。

会話は、無かった。
お互いの間に、なんとなく気まずさが流れていた。
たまに飲み物をちびちびと飲んで、なんとか場の空気を流している。

――――さとうと、会えたのに。
――――こんなにも早く、再会できたのに。
――――いざ面と向かうと、緊張してしまう。

この世界に来る前の記憶が、走馬灯のように蘇る。
大事な人が出来たから。そう言って、突然男漁りをやめてしまったさとう。
違和感を察する中で、公園であの子と出会って、一歩を踏み込む勇気をもらって。
そうしてさとうの心に一歩近づいて。彼女の家庭の事情を知って――――私は、目を逸らしてしまって。
深く、深く、後悔して。
さとうを信じてあげられなかった私が、悲しくて。悔しくて。
一度は塞ぎ込みかけたけれど。
でも。それでも私は、後悔するのはもう嫌だったから。
あの子は、私なんかよりもずっと苦しんでいて。それでも、頑張っていたから。
だから私も、また踏み出して――――そして。
あの女の子の存在に、行き着いた。

私は、思う。
目の前の“松坂さとう”は、何者なんだろう。
私の知っている、さとうなのだろうか。
界聖杯っていうものは、色んな世界の可能性を掻き集めているらしくて。私みたいに死んだ人間でさえ、こうして招かれる。
アーチャーによれば、サーヴァントは世界や時間軸の壁を超えて召喚されている。原理は異なるけど、それはマスターや界聖杯内の住人も同じ―――らしい。
じゃあ、このさとうは?
私があの日向き合ったさとう本人か、あるいは私の知らない別のさとうなのか。
そんな疑問を胸に抱きつつ、沈黙に耐えかねて私は口を開く。

「さとうは、元気?」
「うん。元気だよ」

さとうは、顔を上げて。
なんてこともなしに、微笑む。
何の蟠りもないみたいに、穏やかに。

「いつぶり、だっけ」

続けて私は問いかけた。
“この街”でもさとうとは知り合いだったのか、正直言ってよくわからない。
少なくとも界聖杯に呼ばれてからさとうと交流したことは無かったし、さとうがいることだって知らなかった。
でも、今目の前にいるさとうの様子を見る限り、私のことを知っているのは間違いないと思う。

「うーん……」

さとうは、ほんの少し考えて。
そして思い出した様子で口を開く。

「『キュア・ア・キュート』でバイトしてたとき以来じゃない?」

それを聞いて、私の中で記憶が急に浮かび上がってきた。
元いた世界でも働いていたメイドカフェだけど、界聖杯ではどういう訳か都内にもある―――2号店か3号店か、忘れちゃったけど。
今の私もそこでアルバイトをしていて、さとうも一時期そこで働いていた。
だけど、ある日急にバイトを辞めてしまった。そんな感じ、だったと思う。
この界聖杯でロールするに当たって植え付けられた記憶なのだろう。思えばそうだ。
この街で社会生活を送っていることになっているのだから、私達が覚醒する以前の過去があることになってても不思議ではない。ような気がする。
体験の実感はないのに、エピソードだけがぼんやりと存在している。まるでアルバムに収められた記憶の曖昧な写真を見ているような気分だった。

「しょーこちゃんは?元気?」
「私は……」

さとうからも投げ掛けられて、私は言葉を詰まらせる。
元気か、と言われると。ちょっと難しい。
でも、落ち込んでいるかと言うと。そうでもない。
そんな、曖昧な気持ちだけど。

「まあまあ、かな」
「まあまあなんだ」
「だって、さとうがいなくて寂しかったから」

でも。さとうとは会いたかったし、会えなかったのは寂しかったから。
だから、今は悪くもない。そんな気がした。
私の一言を聞いて、さとうが照れ臭そうに微笑む。
嬉しそうな顔。私と喋れて良かったって思ってくれそうな、暖かな表情。
でも、さとうは。

――――私、しょーこちゃんに何も感じない。
――――その他大勢でしかないんだよ。

あの時のさとうはそう言って、私を突き放した。

テーブルの下。緊張を飲み込むように、膝の上で拳を軽く握り締める。
この世界で生き返って、アーチャーが支えてくれて、私はまた前へ踏み出すことを選んで。
そうして、ここでさとうと再会してしまった。なんというか、運命みたいに。

なんで駅で、さとうを引き止めたんだろう。
一瞬だけ浮かんだ疑問。
その答えは、明白だった。
目の前にいるさとうが、何者なのか。
まずはそれを確かめたいし、もしも私の知っているさとうだったら―――。

「さとう」

私は、意を決して口を開いて。


「あのさ……」
「怖いよね、最近」


―――さとうの一言に、遮られた。

「ニュース、見てる?」

あ、と私は声を上げようとしたけど。
さとうは気にせず、窓の外を見つめながら黙々と呟く。

「女の人が何人も殺されちゃってたりとかさ」

例の行方不明事件、のことだろうか。確かにそれはニュースで見ている。
何人もの若い女性が忽然と行方不明になっている、なんて話を聞いた。
アーチャーも言っていた。あれは、サーヴァントによる犯行の可能性も否定できないって。
これほどの人数が界聖杯内で連続して姿を消すことなど、自然には有り得ないと。
恐らくは魂喰いなどに躊躇を持たない主従によるものか―――そんな推測をしていた。
怖いと思うけれど、いまいち実感が沸かないのは、現実と一緒であり。
それを語るさとうの眼差しは、どこか遠くを見つめているようだった。

「アイドルの女の子も、いなくなっちゃったんだっけ」

―――白瀬咲耶、だっけ。
うちのバイト仲間にも、ファンがいた。
その娘さえも行方知れずになっている。
SNSでも話題になっていた。

「しょーこちゃんも気をつけてね」

そして、さとうはそう言って。

「しょーこちゃん、かわいいんだから」

にこりと、微笑みかけてくれた。
そんなさとうの顔を見て、少し驚いてしまうけど。
私も思わず、口元が綻んでしまった。

「……アンタには敵わないって、さとう」

ほんの僅かな時間でしかないけれど。
こういう風に話していると、なんだか昔に戻ったような気がして、悪くはなかった。

「じゃ、しょーこちゃん」

それから、いつの間にかコーヒーを飲み終えていたさとうが、その場から立ち上がった。

「私、そろそろ行かなきゃ」

そう言って彼女は、手を振る。
荷物を手に取って、足早に去ろうと―――。


「ねえ、さとう」


思わず私は、呼び止めた。
咄嗟に口が開いていた。
さとうとは、まだ話したいことがあって。
本当に大事なことで。確かめなきゃいけないことがあって。

「あの後さ、大丈夫だった?」

うまく踏ん切りが付かなかったけれど。
それでも、言わなきゃいけなくて。
さとうと向き合うために、ちゃんと踏み込まなきゃいけなくて。
だから。


「―――神戸しおちゃん」


私は、その名前を出した。
それを聞いたさとうは、固まった。
表情をぴくりとも動かさず。
仏頂面のまま、私を見下ろしていた。
先程までの穏やかなさとうとは、雰囲気が全然違う。
このとき、私は確信してしまった。
ああ、目の前にいるこの娘は。

「さとうにとって、私は“その他大勢”なんだろうけど。何も感じないんだろうけど」

だから私は、言葉を続けた。
あの時さとうに告げられた本心を、反復して。

「でも、私は。やっぱり、あんたが大事だから―――」
「ねえ、しょーこちゃん。あのとき踏み込んできたよね」

私の言葉を遮って、さとうは口を開く。
先程までとは、まるで違う。
冷たい声色で、目を細めている。


「私達の、愛のお城に」


そう言いながら、さとうは再び目の前の席へと腰掛ける。
冷淡に告げられる言葉。だけど、さとうは真っ直ぐにこちらを見据えている。
そんな彼女を、私もまた見つめ返す。
一筋の汗が、頬を流れる。

神戸しおちゃん。
あの子が探していた家族。
そして、さとうにとっての大事な人。
あの子の言うことが正しいのならば。
さとうは、誘拐犯だ。
しおちゃんを拐った、張本人だ。
でも、それでも。

―――さとうの気持ちは、間違いなく愛だと思う。

だって。“大事な人”が出来たあの日を経てから、さとうの顔はキラキラ甘く輝いて見えたから。
男漁りを繰り返していた頃よりも。時折寂しげな横顔を見せていた頃よりも、ずっと。
例えその愛が、自分の為のものだったとしても。エゴとか、独り善がりとか、そういう感情が根っこにあったとしても。
「その子を愛したい」って気持ちは。「その子と一緒にいたい」っていう祈りは。「その子と寄り添えるように頑張りたい」っていう願いは。
それ自体は間違いなく、“唯一人しかいないその子”と出会えたからこそ芽生えるものだから。
私だって、一緒だから。―――さとう。

しおちゃんだって、さとうのことを愛しているのは一目で分かった。
あの部屋からしおちゃんが出てきて、さとうに抱きついた時の表情。脅されてる訳でも、無理強いをされている訳でもない。ましてや暴力か何かで従わされてる訳でもない。
紛れもなく、愛されているし。紛れもなく、さとうが大好きなんだと。直感のように理解してしまった。
それを分かったうえで、言わなきゃいけない。

「さとうの気持ちは、愛だよ」
「うん」
「でもね」

さとうの気持ちは本物の愛だけど。
これは、言わないと駄目だって。
私は、そう思っていた。


「さとうの愛は、間違ってる」
「正しい。間違ってなんかいない」


神戸あさひくん。
あの子の顔が、ずっと浮かんでいた。
あの子の苦しむ姿を、想起した。
優しくて、真っ直ぐで。
誰かのことを、あんなに想える。
闇はきっと晴れるって信じてる。
いつかあの子が光の下で笑ってくれるって、信じてる。
でも。“しおちゃん”がいない限り。
きっとあの子は、身も心も擦り減らせて歩き続ける。


「しょーこちゃんは、愛を知ってるの?本当に誰かを愛せたこと、ある?」
「あるよ。だって私、あんたのことが好き。それだけは絶対に言える」
「自分の善意を都合良く押し付けたいだけでしょ?私の気持ちなんて考えてない」
「考えたい!でも、さとうだって闇雲に自分のことばかり考えてる。それじゃ、あんたは―――」


このままじゃ、さとうは。

さとうに信じてほしい。
向き合いたいし、寄り添いたい。
さとうを、何とかしてあげたい。
だけど、上手く言葉を紡げなくて。
気が付けば、私は声を荒らげてて。
私の理性とは無関係に、言葉が吐き出されていた。


「考えてるよ、しおちゃんとのこと。しおちゃんがいたから、今の私はいるもの。しおちゃんが一番大事」
「だったらッ!しおちゃんのこと探してる“あの子”とも、ちゃんと向き合ってよ!しおちゃんが大事ならっ!しおちゃんの家族のことも考えて!」
「あのさ、しょーこちゃん――――なんでしおちゃんが独りぼっちだったのか、分かってる!?」


感情が、うまく纏まらない。
どうしたいんだろ、私。
なんで私、こんなに取り乱しているんだろう。
私は、さとうと言い争いたいんじゃなくて。
さとうのことを、否定したいんじゃなくて。
でも、あさひくんの苦悩も、放っておけなくて。

「そうじゃなくて、さとう……っ」
「しょーこちゃん。私としおちゃんの幸せに、割り込まないで」
「……そういうとこ、だよ」
「誰だって、勝手に踏み込まれるのは嫌でしょ?」
「さとうはそうやって、自分だけで……」

色んな気持ちがあべこべになって、言葉を詰まらせて。
堰き止めていた感情が、崩れ落ちて。
目元から、涙が溢れていた。

「ねえ、さとう。お願いだから」

あの子だって、苦しんでいる。
妹さんを探して、ずっとずっと彷徨い続けている。
暖かな日常を、独りぼっちで求めている。
あの日、私はあの子に問いかけた。
“あなたが幸せになれる道はないの?”。
今でも、その気持ちは残っている。
例えそれしか幸せのカタチが見えなかったとしても。
どうか、自分を苦しめることのない、優しい日々の中にいてほしい。
そして、何より。さとう。
さとうにだって、そういう世界にいてほしい。
私を籠の外から連れ出してくれるさとうも、穏やかな光の下で生きててほしい。

「お願いだから……」

だって。
しおちゃんとの日常は、“正しくないもの”だから。
いつ崩れてもおかしくはない、ガラスのような日々だと思うから。
そのせいで、さとうが悲しみを背負うことになるかもしれないから。
さとうは、間違いなく私の親友。
だからこそ、想う。


「閉じ込もらないでよ……」


正しくないものは、いつか必ず否定される。
否定されて、崩れ落ちれば、さとう達が苦しむことになる。

“自分”を傷つける愛なんて、絶対に良くない。
あの子だって―――あさひくんだって、そうやって自分を犠牲にしていた。
それだけが拠り所だったから、あの子は苦しみ続けていた。

さとうは、無意識のまま“自分”を傷つけようとしている。
そして。“他の誰か”さえも傷つけることを、自分の意思で選んでいる。
ぜんぶ、愛という想いのために。
しおちゃんと過ごすために、他のあらゆるものを踏み躙ろうとしている。
自分自身の、将来さえも。

そんな愛は、間違ってると思う。

だからさ、さとう。
お願いだから、やめて。
周りを傷つけて、自分も苦しめるかもしれない道を歩んで。
悲しみだけが残るかもしれない未来なんて、あってほしくないから。

「……ごめんね、しょーこちゃん」

暫く沈黙して、何かを考えていたさとうだったけれど。

「ちょっと頭に血が上っちゃったみたい」

ふいにさっきまでのように微笑んで、私に謝ってきた。
そうして私の目元の涙を、優しく拭ってくれる。
今の私は周りの目も気にせず、きっと酷い顔をしているのだろう。


「連絡先、交換しない?」


そして、さとうは。
微笑んだ顔のまま、そう提案してきた。

「話の結論は、もっと後にしよっか。しょーこちゃんや私が、生き残ってたらの話だけど」

―――ああ、そっか。
お互いに大体、察しは付いていたんだと思う。
さとうに殺された私と、同じ経験を共有しているさとう。
私達は、私達が何者なのかを分かっている。

「そうならないように、暫くはまた“友達”でいない?」

さとうが顔を近づけて、囁くように言う。
つまり、それは。
暫くは組もう。そういうことなのだろう。
今のさとうが、何を思っているのか。
どうしてそうする気になったのかは、分からないけれど。
私は、この場でのさとうとの接点を作りたかった。
だから私は、さとうの提案に応じてスマートフォンを取り出した。

「ばいばい、しょーこちゃん。用があったら、“連絡”するから」

連絡先の交換を終えて、さとうは今度こそ席を立つ。
そしてそのまま足早に出口へと向かい、外へと去っていった。

一人取り残された私は、その場で俯いた。
結局、涙は止まらないままだった。
――――せっかく、さとうと会えたのに。
――――さとうと、この場で向き合えたのに。
人生は、思うように進んでくれない。
友達と思いがけず、再び顔を合わせられたのに。

『……マスター』
『ごめん、ごめんね……アーチャー』
『分かってるよ。よく頑張ったと思う』

すぐ近くで霊体化していたアーチャーが、念話で私を労ってくれた。
私が戦うことを選んだ動機。たった一人の親友。
さとうがいたから。さとうと話したいから。
だから、私に任せてほしい。私だけで話をさせてほしい。
そう頼んだから、アーチャーは何も言わずにずっと見守ってくれていた。

『誰かと向き合うのが、こんなに怖いってこと。私、忘れてたみたい』
『そうだね……誰かと分かり合おうとするのは、本当に難しいことだから。
 袂を分かつことだって、幾度となくあった……かつての恩人とも、ボクは……』

涙を流しながら零す私の言葉を、アーチャーは受け止めてくれる。
過去に思いを馳せるように、語りながら。

『それでも』

そうして、僅かな間を置いて。
アーチャーは、言葉を紡いだ。


『歩み寄ろうとする意思は、決して無意味なんかじゃない。あなたは、強い人だ』


真っ直ぐな一言。
それが、私の心に寄り添ってくれた。
脳裏に再び浮かぶ、あさひくんの姿。
あの子も、こんな風に弱っていた私を支えてくれた。
それを思うと、アーチャーもまたいじらしくて。暖かくて。
だから私は、涙を拭った。

『……ありがと、アーチャー』

ここから先、どうなるのかは分からないけれど。
それでも今は、アーチャーにお礼を言いたかった。


◆◇◆◇


『キャスター』

数十分前。
私―――松坂さとうが、しょーこちゃんと一緒に喫茶店へと向かっている最中。

『死んだ人間も、マスターになれる?』

“鬼の力”の応用とやらで感覚を共有したキャスターに、念話で問いかけた。
あいつと意識を共にすることは、はっきり言って腹立たしいことだったけれど。
日中に出歩けないあいつのサーヴァントとしての魔力探知能力を少しでも利用するべく、渋々受け入れている。

『界聖杯は正真正銘の“奇跡”だよ。“可能性の器”足り得る者たちを拒んだりはしない』

いつものように、ニヤついた声でキャスターは応えてくる。
心底腹立たしい。苦々しい。でも私は、耳を傾ける。

『それが例え、死者であろうと』

その一言を、聞いて。
私は、すぐ隣を歩くしょーこちゃんを横目で見た。
私としょーこちゃん。昔と同じように、こうして一緒に歩いている。
違うことが、あるとすれば――――。




『いいのかな?あの娘とつるむなんて』
『別にいい』
『君を裏切るかもしれないよ?』
『大丈夫。今のしょーこちゃんは、そういうことしないと思うから』

そして、時間は現在へと戻る。
喫茶店を去り、サンシャイン通りの人混みに紛れるように、私は駅へと向かって歩き続ける。
キャスターの小言を適当にあしらいながら、私は交換した連絡先を確認する。

『キャスターが動けるようになったら、すぐ消そうかなって思ったけど』

喫茶店では、ニュースの話で鎌をかけた。
女性の連続失踪事件。報道では「殺された」等という表現が使われたことはない。
遺体どころか証拠も何も存在しないらしいのだから当然だ。
でも、私が「女の人が何人も殺された」と言っても、しょーこちゃんは当然のように受け入れていた。まるで殺人者が存在することを前提にしているように。
聖杯戦争の関係者ならば、あの件をサーヴァントなどの仕業と疑うのも自然だ。
右手の包帯も含めて、私はしょーこちゃんに当たりをつけた。

『もう少し、泳がせてみる』

でも、気が変わった。
キャスターは弱点が多い。日中は全く動けないというのは特に致命的だ。
普段ならまだしも、この聖杯戦争において私にできることも限られている。
だったら、“少しでも信用できる存在”と繋がりを持っておいた方がいいと判断した。

私にとって、しょーこちゃんは“その他大勢”。何も感じない相手。
それは、あのとき確かに云った言葉。
彼女に突きつけた、決別の表明。
あの喫茶店で対面したしょーこちゃんは、それを“覚えていた”。


――――さとうにとって、私は“その他大勢”なんだろうけど。何も感じないんだろうけど。
――――でも、私は。あんたが大事だから。


私達の甘いお城が崩れた、あの日。
しょーこちゃんが、私達の世界に踏み込んできた。
私は、心の底から思った。
ああ。少しでも気を許すんじゃなかった。
ここまで言ってくれるこの娘なら、少しは話しても良い。
一度はそんなことを考えた自分が馬鹿だった。愚かだった。
だから、しょーこちゃんが私達の写真を撮影したとき。彼女を排除することを、迷わず選んだ。

それでも、あの娘は。
自分の危機を目前にしても。
囀って、囀って、囀って、囀って。
小鳥が歌うように、囀り続けた。

あの時も少し驚いたけど、結局始末することには変わりなかった。
警察に話さないなんて信じるつもりはなかったし、あの子の言葉を受け入れる気もなかった。

それでも。
さっきは、ちょっとビックリしちゃった。
少しだけ、あの子を見直してしまった。
だってしょーこちゃん。
今日は目、全然逸らさなかったから。
“あの言葉”を覚えていたしょーこちゃん。
つまり、死を体験したはずのしょーこちゃん。
私に刺されたことも、きっと覚えている筈なのに。
それでも、しょーこちゃんは―――。

『そうだ――さとうちゃん、忠告をひとつ』
『……なに?』
『俺が予選期間中に交戦した“雷霆の弓兵”。
 その気配をさっき微かに感じたんだ!
 あの時は結局撤退してしまったけど、嬉しいなぁ。
 同じ感情を持つ“彼”とまた相見えることが出来るなんて―――』

キャスターのぼやきを適当に聞き流しながら、私は人混みの中を進んでいく。
サーヴァントの気配。これから敵対していく存在。
いつかは彼らと対峙することになるだろう。
しおちゃんとの、幸福の為に。

【豊島区・池袋/1日目・午後】

【松坂さとう@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:鞄
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:しおちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
1:どんな手を使ってでも勝ち残る。
2:しょーこちゃんとは、必要があれば連絡を取る。
[備考]
※飛騨しょうこと連絡先を交換しました。

【飛騨しょうこ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:鞄
[所持金]:1万円程度
[思考・状況]
基本方針:さとうを信じたい。あさひくんにお礼を言いたい。そのためにも、諦められない。
1:さとう―――。
[備考]
※松坂さとうと連絡先を交換しました。

【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:健康、クードス蓄積(現在2騎分)
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:彼女“シアン”の声を、もう一度聞きたい。
1:マスターを支え続ける。
[備考]
※予選期間中にキャスター(童磨)と交戦しています。また予選期間中に童磨を含む2騎との交戦(OP『SWEET HURT』参照)を経験したことでクードスが蓄積されています。


【北区・松坂さとうの住むマンション/1日目・午後】

【キャスター(童磨)@鬼滅の刃】
[状態]:健康
[装備]:ニ対の鉄扇
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:もう一度“しのぶちゃん”に会いたい。
1:日没を待つ。それまではさとうの“感覚”を通して高みの見物。
2:雷霆の弓兵(ガンヴォルト)との再会が楽しみ。
[備考]
※予選期間中にアーチャー(ガンヴォルト(オルタ))と交戦しています。さとうの目を通して、彼の魔力の気配を察知しました。
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要ですが、さとうは索敵のために渋々受け入れています。


時系列順


投下順



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OP:SWEET HURT 飛騨しょうこ 025:深海のリトルクライ
アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))
松坂さとう
キャスター(童磨)

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最終更新:2021年08月18日 23:18