「また派手にやったな〜、総督の奴」
院長室のテレビでニュース速報が流れている。
板橋区の住宅街が原因不明の爆発で半壊状態、というテロップ。
現場では避難措置が取られ、死傷者も少なくない数出ている。
早口でそう伝えるアナウンサーを見ながら
皮下真は肩を竦めた。
“この聖杯戦争に民間人殺しのペナルティはないし、モブを巻き添えにしてド派手に戦うの自体は構わないんだが……”
流石に不謹慎と判断されたのかまだ民放で放送されてはいない。
しかしSNSでは既に住宅街上空に陣取って破壊を振り撒く青龍の姿を収めた写真が相当数出回ってしまっていた。
世間的には集団ヒステリーとそれに付け込んだ悪質なコラ写真という解釈で片付くかもしれない。
だが見る者が見れば確実に聖杯戦争絡みの事件だと分かるに違いなかった。
“言って聞く相手でもねぇしな。はぁあ、胃が痛いぜまったく”
とはいえ
カイドウの姿や形が割れるだけなら然程不利益がないのも事実だった。
一度酔いどれれば手のつけられないアル中だが、奴はその分とんでもなく便利な宝具を持っている。
固有結界の鬼ヶ島だ。
真名解放をして現世(こっち)に現出させるのにはかなりの消費を要求してくるが、この宝具にはもう一つ使い道がある。
二十四時間常に此処ではない異空間に展開しておくことだ。
そうしている分には魔力消費は驚くほど少ないし、何より鬼ヶ島は人材や道具の格納にも使える。
カイドウも巡遊の時以外は鬼ヶ島で大人しくしている。
あれが原因でこっちに火の粉が飛んでくることはまずないだろう。
それこそ彼と縁ある人間があの映像を見でもしない限り。
“まぁ、鬼ヶ島にはマジで助かってるから多少の胃痛は税金と思っとくしかねえか”
皮下が鬼ヶ島に格納している人材には大きく分けて二種類ある。
まずは葉桜を投与し、経過観察中の被検体達だ。
数も多いし、何より現世で保管しておくと足が付いた時が怖い。
本職のスパイとまではいかないが、百年間も社会の闇に隠れていた皮下だ。
彼もまた、この東京の裏で知恵者達の陰謀合戦が繰り広げられ始めていることを察知していた。
そんな状況で被検体達を現世に置いておくのは危険すぎる。
そしてもう一つは……葉桜に100パーセント適合した皮下直属の手駒達だ。
「さてと、そんじゃ俺もそろそろ可能性の器らしいことをしますかね」
両目に開花の光を灯らせる。
院長室の中で異界へと繋がるポータルが口を開けた。
その中にもはや慣れた様子で入り込み、皮下は再現された部下達の格納先へと足を運ぶ。
「いたいた。おーい、ミズキ〜、アイ〜!」
「あ……皮下さんだ!」
貼り付けた笑顔で手を振る皮下。
すると鞠のようなものを追いかけていた獣耳の童女がぶんぶん手を振り返した。
ミズキ、と呼ばれたインテリ風の男性の傍らに戻ってちょんと裾を掴んでいる様はひどく小動物的だ。
というより犬っぽい。
彼女がとある希少動物の遺伝子を後天的に移植された被検体であることを踏まえて考えれば、それにも納得がいくだろう。
「ずいぶんこちらにはご無沙汰でしたね。戦況の方は?」
「本戦始まってまだ半日そこそこだ。まだ何とも言えねーな」
「先程ライダーがまた出て行ったと聞きました。貴方も大変ですね」
「本当だよ。あのオッサン、人の目とか気にせず暴れ散らかすからさぁ……」
この世界で皮下が従えている兵士達の多くは世界の理屈に合わない存在だ。
例えば葉桜で命を救われた過去のあるハクジャ。
彼女が初めて葉桜を投与されたのは今から何年も前のことである。
皮下がやって来た時期を考えると辻褄が合わない。
そして目の前の二人……アイとミズキも同じだった。
皮下がこの世界に召喚されたその時から、彼らは葉桜の超過適合者として。
虹花のメンバーとして元の世界と全く同じように皮下の元にいた。
“そう考えると界聖杯も色々突貫工事だよな。俺としては助かるからいいんだが……他にもこういう運のいい奴がいるのかね”
とはいえそこら辺の辻褄について考え出すとキリがない。
界聖杯などという人智を超えた現象の意図など推測したところで無駄だ。
別に自分にとって不利に働くことでもないのだしと皮下は思考をそこまでで留める。
「それで? 貴方がわざわざ足を運んできたということは、何か私に任せたい仕事があるのでしょう」
「ん。ちょっと現世に出て、この資料にある顔のアイドルを一人か二人攫ってきてほしい」
「…アイドル。それはまた……奇怪な任務ですね」
「あいどる? テレビの中のひと……??」
渡した資料を眺めるミズキ。
アイはその横でぴょんぴょん跳ねてどうにか自分も見ようとしている。
「
幽谷霧子って子の話、したことあったよな」
「えぇ。聞くだに怪しい少女で……ああなるほど。そういうことですか」
「それもあるけどそれだけじゃない。霧子ちゃんのことを抜きにしても、その事務所はちょっとキナ臭いんだ」
ハクジャからの報告を要約すると以下になる。
田中摩美々、七草にちかなるアイドルとの遭遇。
交渉沙汰に持ち込みたい気配を感じたが、霧子がそれを断った。
その理由は何ともあの娘らしいものだったが、此処では割愛する。
皮下に言わせればそれは、ただの非生産的な感傷でしかなかったからだ。
「白瀬咲耶、幽谷霧子。候補ってだけなら田中摩美々、七草にちか……」
実際に摩美々とにちかがクロなのかどうかはまだ分からない。
しかしハクジャも只者ではないのだ。
彼女が抱いた疑いの念を考えすぎだと一蹴しない程度には皮下は彼女のことを信用していた。
その上で摩美々とにちかを一旦マスター候補として置く。
現時点で三人。暫定死人の咲耶を含めれば四人ものマスターが、283プロダクションの周囲で確認されたことになるわけだ。
「こんなに固まられるとさぁ。ちょ〜っと偶然とは片付けにくくなってくるよな」
「ふむ……。では貴方の見立てでは、まだこの事務所の中に関係者が紛れ込んでいると」
「咲耶ちゃんのニュースだってそうだろ。言っちゃ悪いが騒がれすぎだ」
確かに昨今の東京には女性連続失踪事件という不気味な話題がある。
そのタイミングに合わせての失踪となれば騒がれること自体はまあ不思議じゃないが、それにしたって程度というものがある筈だ。
皮下の知る裏社会でもこういう根回しをする輩がごまんといた。
だがそれも自然なことだ。
マスコミを使って世論をコントロールするのは現代社会を掌握する一番の最短ルートなのだから。
「だからアイドルを拉致して探りを入れたいと」
「いや、そういうわけじゃない。むしろアンティーカと……あ〜、なんだったっけな。七草にちかのユニット」
「……"SHHis(シーズ)"、と書いてありますが」
「そうだそうだ、そんな名前だったわ確か。とにかく、アンティーカとシーズ?のアイドルは見かけてもスルーでいい」
意図を測りかねているのか黙るミズキ。
皮下は自分の顎を指先で擦りながらそんな彼に説明する。
「いきなり縁者を襲うのはあからさまに直球の攻撃だろ? 藪蛇になりかねない」
カイドウは規格外のサーヴァントだ。
大半の無茶は彼の力を借りれば押し通せる。
だが、それにしたって見え透いた地雷を踏むこともない。
安全第一だよ、安全第一……皮下が呟く。
「だから敢えてまず外側だ。捕まえて葉桜をぶち込んで、クイーンの野郎に改造させて自我もロクにない使い捨ての怪人にする」
283プロダクションについて軽く調べた皮下が最初に思ったこと。
それは、ずいぶんムチャクチャな経営体制で回してるんだなということだ。
これで成り立ってるというのだから驚いたし、よほど優秀な人材が揃っているのだろうとも思った。
いや……いい人材ばかり揃えても環境が腐っていればすぐにこんな経営は立ち行かなくなる。
だから283プロはきっと、たくさんの"いい子、いい人"達とその頑張りで成り立っているに違いない。
アイドルも、それを支えている周りの人間もだ。
善性と煌きで満ちた、少女が夢へ一歩踏み出すのに相応しい環境なのだろう。
そして皮下はそういう場所に腐乱死体や焼死体を放り込んでケラケラ笑える人間だ。
「話は分かりましたが」
ミズキもそのことはよく知っている。
皮下は天下無敵の人でなしだ。
葉桜を投与した人間には不幸な生い立ち、波乱万丈の人生を辿ってきた者が多い。
ミズキもアイもそうだ。
その中には彼を救世主のように崇拝する者もいるが、そもそもその不幸からして皮下の仕組んだものだったというケースも少なくない。
「そこまで重要なこととお考えですか。まだマスターという確証もない相手を削ることが」
「ん? いやぁ、まあ。別に?」
あっけらかんとそう答える皮下に閉口するミズキ。
「地味だけど意外と効くんだよ。こういう嫌がらせ」
「嫌がらせ……ですか。貴方らしいですね」
「ダメージがでかけりゃ動揺して勝手に潰れてくれるかもしれない。けど不発なら不発で構わねーよ。その時は「あ〜。やっぱ人間魚雷とか流行んねえか〜」ってガッカリするだけだ」
「相変わらずの悪辣さで何よりです」
「霧子ちゃんだけは目に見えて動揺してくれそうだけどな。すげーぞあの子、まさにお日さまだ。俺もファンになりそうだった」
なんて言う皮下をよそに、ミズキは傍らの小さな少女を見た。
話の内容があまり分からなかったのか小首をかしげてミズキの顔を見上げている。
一瞬黙って、それから視線を皮下に戻す。
「行くにしても私一人でいいのでは。アイさんは普通に歩かせれば目立ちますよ」
「俺はいいけどお前が嫌だろ? 鬼ヶ島(ここ)にアイを置いとくのは」
「……」
皮下は人の心が分からないわけではない。
彼にだって人間として生きていた時代がある。
ミズキの心も、霧子の心も。
ちゃんと理解して彼らと向き合っている。
その上で何とも思っていないだけなのだ。
「ミズキさん、アイさんとお出かけするの……いや?」
「……まさか。そんなことはありませんよ、アイさん。一緒に久方ぶりの現世を楽しんできましょうか」
「……うんっ! アイさん、お仕事がんばる!」
馬鹿と鋏は使いよう。
この世に使えない人間など、ごく一部の化物を除けば存在しない。
そして人の心が分かる真っ当な感受性は他人を使う上でとても役に立つ。
その人物が何を欲しがっているか、何を失いたくないかが分かるからだ。
“そろそろ総督も戻ってくるだろうし、そしたら一度話し合っておくか”
カイドウの巡遊は非常に迷惑なイベントだったが、幸い巡遊帰りは酔いが冷めていることが多い。
そのタイミングを突いて今後のことを話し合っておくのが利口だろう。
流石に本戦というだけあって、まだ一日目だというのに街の動きが目まぐるしい。
最強の矛を持つ皮下ではあったが、それに驕って惰眠を貪る気にはなれなかった。
「さ〜てと。被験体達のところに顔でも出して時間潰すか〜……」
伸びをして歩いていく。
彼が今出した命令で生まれるかもしれない涙の存在など、その頭の中にはなかった。
皮下真という化物の世界にいる人間はあの時からずっとたった一人だ。
美しい……とても美しい、桜のような――