服を着た猿が、猫背で画面見て火をつける。
笑い話さ。私もその一人だ。


283プロダクションのアイドル達は、個人的に連絡先を交換し合う以外にも283プロ全体でメッセージアプリのグループ登録を行っている。
そこに、いきなりの事務所休業という非常事態に、現状で確定している最後の仕事が櫻木真乃の他プロダクション合同ライブという状態。
渦中の櫻木真乃がそこに定期的に書き込んだのは、皆を励ますための抱負のように見える言葉だった。

『事務所のことは本当に残念だったけど、せめて283プロのアイドルはとっても輝いてるって、届けられるライブにしたいです』

明日のライブがんばります……とあまり長文にならないよう書き込み、そこにP.Sを付けた。
純粋なメッセージだと思っている何も知らない仲間たちには申し訳ないが、実のところ追伸が本文だ。

『この間のお仕事で撮った写真も、そのうち事務所の皆で共有しますね』

その、たった一言を付け加えて送信。

いくら聖杯戦争のマスター同士で定期的に連絡を取り合うといったところで、真乃と摩美々はなにも『事務所では一番仲が良い』という密度の関係ではない。
むしろ、283プロは全体としては仲が良くとも、日常においてはユニットメンバー単位で行動することが多い間柄だ。
『イルミネーションスターズ』と『アンティーカ』というユニットを超えた二人が、ユニットメンバー同士が話し合うよりも濃い密度で通話やメッセージの応酬を交わしていれば、どちらかが悪意ある者にスマートフォンを盗み見られたとして不自然に思われる。
通話や発言の履歴を双方で削除したりといった対応を図るようにも摩美々から注意されたけれど、それ以上のアドバイスとして。
そもそも、メッセージをやり取りしていることが傍目に見て分からなければいい。

何も追伸に付け加えることがなければ『異常なし』。
例えば『渋谷区のどこそこでファンの子に挨拶されました』と書きこめば『渋谷区のそのあたりで襲撃されています』。
例えば『写真を共有します』と書きこめば『個別のメッセージを送りたいけどいいですか』。
例えば『〇〇について事務所の誰かに聞くかもしれません』と書きこめば『今すぐ通話してもいいですか』。
これで、高頻度で個別の通話をしなくとも無事の報告ができる。
そして基本的に、『今回ばかりは口で言わないとだめだ』というレベルの緊急時でなければ直接の通話には踏み切らない。
今回は283のメンバーが襲われたという非常時なので通話をしたかったけれど、あいにくとバスに乗っている最中の連絡なのでトークルームでのメッセージのやり取りを選択した。

一方で全体のトークルームには、襲われた被害者の一人である有栖川夏葉の書き込みもあった。
もっとも、その内容は『事務所が浮足だってマスコミもいるようだし、近ごろは物騒だから今はとにかく外出は避けましょう』という、無難な注意書きに留まるものだ。
これだけではとても小宮果穂の誘拐未遂までが起こったとは伝わらない。
しかし、書けない事情があっての判断であることは、夏葉や三峰たちの『頼れるお姉さん』ぶりを知っている真乃にとっては疑うべくもないことだった。
おそらく、身内同士の会話とはいえ救い主である光月おでんを語ることによるプライバシーの侵害(人間離れした身体能力をふれ回ることになりかねないし、彼自身も指名手配の少年を探すなど明らかに『訳アリ』に当たる人間のようだった)の問題。
さらに、いきなり攫われようとしたこと以外に何も分からないという不透明性、小宮果穂という誰もが愛する283の最年少アイドルが狙われたというショッキング性、なによりも起こったことの非現実性(不審者が穴を掘って逃げたってどういうこと?)を考えれば、チェインでありのままを伝えたところでアイドル達のパニックを呼ぶ以外の結果にはならなかっただろう。
三峰と夏葉も相当に言葉を選んで『これ以上のことは書けない』と判断したことが、裏側の事情を知っている真乃には文面から察せられた。

そして、283プロダクションのアイドルたちは基本的に付き合いやノリの良い子が多い。
真乃が送ったメッセージにも、ほどなくして応援のメッセージが次々に並ぶようになった。

『お心遣い、ありがたきこと』
『笑顔をいっぱい届けてきてね』
『おー、まかせたー』
『苺プロの人達も出るやつだよね? 写真撮ったら共有よろしくー』
などなど。

色々な返信が並べば、誰かが真乃と個別のやり取りをしているようには見えない。
そこに紛れるようにして、反応を求めていた摩美々のメッセージが並んだ。

『ふぁいとー』

レスポンスがあれば、向こうも遣り取りをする余裕はあるということ。
個別のトークルームに未読メッセージを貯め込んで痕跡を残さないためにも、『相手も対応できるかの確認』というワンクッションは必要だ。
ほっと一息ついて、個人宛てのトークルームに画面を映す。
なるべく簡潔に、そして襲われた子たちが無事だったことだけは絶対に第一報で伝えるように気を付けて、報告のメッセージを練った。

『今日の午後、果穂ちゃんと夏葉さん、三峰さんが不審者に誘拐されそうになったという話を聞きました。
三人ともちゃんと無事だったそうなので、安心してください』

すぐに『既読』が付き、メッセージ送信中のふきだしが点灯し、考えるまでもなく打ったという速さでレスポンスが来る。

『どういうこと?』

真乃の方もバスの揺れに指を邪魔されながらも、変換にかかる時間ももどかしいほどに急いで、スマホで文字を起こしていく。

『腕をドリルみたいに変身させられる、人間離れした大男だったそうです。
三人いっしょにいる時に、果穂ちゃんと夏葉さんを捕まえて、どこかに連れていこうとして。
『義侠の風来坊』でうわさになってる、光月おでんさんがたまたま通りかかって、剣術で二人の事を助けてくれました』

と、そこまでを送信したところで、真乃は気付く。
気付いてしまった。
この話は、全て恩人の光月おでんさん、当人から聴いたものだ。
しかし……その光月おでんと、どのように出会って、活躍譚を聴くことになったのか、どうやって説明する?
正確に言えば、『神戸あさひについて触れないようにしながら』説明するには、どうしたらいい?

『ひかるちゃん……『たまたまおでんさんに会って話しこみました』って書いても、やっぱり変だよね』
『うーん、おでんさんの恰好がきらやば〜だったから、サインを欲しがりました、とか……』
『ほわっ……でも私、お仕事以外で人に話しかけるの、あんまり得意じゃないよ……』

念話で相談をしている間に、摩美々の方は返事を送ってきた。

『三人とも怪我は無かったんだね?
義侠の、って商店街の紹介番組でも言われてた人だよね。
真乃はどこからそれを聞いたの?』

『手当てが必要な怪我は無かったそうです』とまで打ち込み、その先が答えられなくなる。
神戸あさひのことを抜きにして光月おでんと出会って、詳しい話をするまで持ち込めた言い訳を、どうにか作れたとしても。
きっと、その後に摩美々とアサシンは『そんな頼もしいマスターがいるのならぜひ会ってみたい』と言いたくなる。
ましておでんが助けた三人の中には、摩美々の大切なユニットメンバーもいるのだから恩人としての期待も大きくなって当然だ。
しかし、現在の光月おでんを探して会いたがるということは。
そのまま、おでんたちと一緒にいる神戸あさひと遭遇してしまうことを意味する。

『どうしよう……あさひ君のことを黙ってたら、おでんさんと協力できなくなっちゃうよね?
黙ってる約束だけど……アヴェンジャーさんに連絡して、許可を取るのはダメかな?
摩美々ちゃんは、聖杯を欲しがってるあさひ君に会ったら怒っちゃうかもしれないけど、それは、おでんさんに取りなしてもらえたら……』
『私は摩美々さんのことは、真乃さんほど詳しくないですけど……でも』

考えながら念話を発しているのか、ひかるの言葉はいつもよりゆっくりと届いた。
やがてそれは、いつになく実体験をともなった迫真で、きっぱりと。

『アサシンさんがあさひさんのことを知ったら、もしかすると、敵同士になっちゃうかもと思うんです。
アサシンさんはいい人だったと思うけど、それでも大人で、自分のマスターを守るのが仕事だから』

星奈ひかるが、サーヴァントになる前の体験として思い出したのは、キュアセレーネこと香久矢まどかの父親、香久矢局長が率いる内閣府の捜査局から宇宙人であるララやプルンス、フワたちをかくまっていた時期のことだ。
プリキュアの仲間であり守るべき友達だったとしても、国家機関の仕事をする大人達にとっては、地球にトラブルを持ち込んだ宇宙人であり、政府の管理下におくべき未確認生命体だ。
それは友達を守りたいというひかるたちの願いとは別個にある、大人達にとっての正義であることも理解した上で、ひかる達は守るべき友人のことを秘密にするという抵抗をした。
それがあったからこそ、ひかるは『大人のサーヴァントであるアサシンは、必ずしも自分達のように神戸あさひに接しないのではないか』という予想を、アサシンの人柄への信用とは別問題として視野に入れてしまえていた。
神戸あさひに好意的だった光月おでんもまた大人ではあったのだが、それはそれとして。

『私は、秘密にするのも一つの守り方だって思います』
『そっか……』

年下の女の子だと思っていたサーヴァントの、子ども目線ではあれど大人びた見解が、真乃にとっては意外であり、説得力を伴って聞こえた。
やっぱり、『あさひ達と出会ったことを誰にも言わない』という当初からの約束ごとは守ろう。
改めてそう決めたけれど、それならどう答えればいいんだろうという当初の疑問に立ち戻ってしまう。
すると、摩美々から反応の遅さに焦れたのか、さらにメッセージが届いた。

『もしかして、三峰から聴いた? まみみも今、同じ話を聴いたんだけど』

それは事実とは違っていたけれど、タイミングのいい質問だった。

『うん、そうなんです。それで、マスターさんかサーヴァントが襲ってきたなら、また283が事務所ごと狙われてるのかもと思って』

光月おでんから聴いたのではなく、襲われた側である三峰たちから聴いたことにすれば。
おでんとあさひに会ったことには触れずに襲撃のことを相談できる。

『報告ありがと。ちょっと待って。相談する』

そしてアサシンのサーヴァントにスマートフォンを見せているのか、あるいは念話を送っているのか、しばらく時間がたつ。

『相談終わった。こっちの結論だけど』

改行を挟んで、そこに書かれていたのは。



『今すぐ家に帰って、早めに就寝して明日のライブに備えましょう』



とても平和的な注意書き。
アイドルの皆を守るために、何とかしようと相談をする時なんじゃ、と。
困惑してそう返事を打つ前に、さらに追加の言葉が来た。

『真面目な話』

と一言が置かれてから。

『いくら協力者がいても、283のアイドルや関係者全員にボディーガードを付けるなんて多すぎて無理。
そうなると、皆を守るよりも、襲った奴の正体を突き止めて根っこから解決するしかないんだって』

『だって』が付くということは、おおむねアサシンの意見でもあるらしい。

『三峰たちを襲った連中の居場所を突き止めないと、どうしよーもないってこと。
それを調べるのはこっちと、こっちの知り合いでやる。
今、真乃が外に出ちゃうと、明日のイベントにも響きかねないし、補導されかねないし。
危険なことして、イベントを辞退することになったらまた炎上ネタが増えちゃうから』

補導されかねないというのは、ひかるの外見年齢を含めての発言なのだろう。
犯人を突き止めないとという言葉から、思いついたことをとっさに書き込んでいた。

『昼間、事務所に来た人達の仲間の人だったりしませんか?』

事務所をあれだけ荒らすほど怒って帰ったのなら、その矛先としてアイドルに手を出したのかもしれない。
それに対する返事待ちの時間で気を落ち着かせるために車窓を眺めてみたけれど、スマートフォンばかり見ている間に景色はぐっと黄昏時の色に翳りはじめていた。

『違うっぽい。アイドルに手を出すと他の主従にも特定されるって話をして帰らせたところだからって。
他にも手口に脈絡が無いとか、色々言ってる』

『言ってる』ということは現在進行形で会話か念話の真っ最中なんだな、と少しだけほっこりする。

でも、それだと283プロは今、少なくとも2組以上の主従から目を付けられてるということにならないだろうか。
283プロやこれから帰り着く自宅を、怪しい人が何人も見張っているところを想像してしまって怖くなった。
どんどん追い込まれていくような、じくじくとした不安に胸をおさえる。
たしかに、今夜の真乃がじっとしているしかないという文面は、読んでみるとその通りだという風に感じられる。
けれど、他の協力してくれる人達に任せきりにして、真乃やひかるはただ休んでいることしかできないなんて。
あまりにもどかしく、がんばっている皆に申し訳が無い。
真乃が逡巡していると、やや遅れて摩美々からの更なる言葉が届いた。

『もし、真乃がそれでも心配なら、まみみからの『ていあーん!』だけど』

今日おでんさんに助けられたうちの一人が口にする、ごく軽いノリの『ていあーん!』を真似するような書き方をして。

『今夜は『お泊り会』ってことで都心に住んでる仲の良い子達を呼んで、真乃の家に泊まってもらうのはー?
例えばイルミネの二人とか……メンバーの家に泊まるならたぶん『不用意な外出』ってことにはならないし、真乃が呼べる範囲の子達の安全は守れるよ』
『そうですね! 二人にチェインを送ってみます』

お泊り会にかこつけて守る。
それはとても素敵な試みのように思われて、つい即レスを返していた。
ここ最近、ずっと会えていなかった灯織とめぐるのことを持ち出されて、こんな時でも懐かしさと恋しさが湧き出してしまう。

『じゃあそっちは任せたー。ライブを無事に終わらせることも火消しの一環になるんだから、くれぐれもよろしくね』

後半は圧をかけているようで、その実『真乃にもやれることがある』という励ましのつもりなのだろう。
摩美々ちゃんはそういうことする、というほど理解者顔はできないまでも。根本は悪い人どころかその逆であることは283の皆が知っている。
ともあれ、あさひ君のことを明かさないままの報告だけはちゃんとやり遂げたと一息ついたところで、さらにスマートフォンが震えた。

『P.Sまみみ達にできないことは、よろしく。でも、できることがあったら、投げてね』

その敢えて付け加えられたような追伸は、どうしても通話したときに言われた事を思い出させた。

――きっと真乃は、今の私達にできないことをやろうとしてるんだね。

摩美々が発言した『自分達にできないこと』とは、聖杯を狙う主従に歩み寄ることを意味していた。
つまり、それを『よろしく』と、敢えて追伸にしてまで送ってきたということは。

『これ、あさひ君と会ったことが、ばれたりしてないよね……?』

用心のために発言やトークルームを削除しながらも、ひかるに削除前の発言をかざして見せた。

『うーん、アサシンさんならプリミホッシーのニュースを見て、私があさひさんと一緒にいたってばれちゃうかも……って思いましたけど。
でも、真乃さんがさっき見てた炎上だと、プリミホッシーはそこまで広がって無いんですよね?』
『うん。名前でじかに検索すればヒットはするけど、この感じだと、すぐに埋もれちゃいそう』

そう、かなりの人数に目撃されたと思ったのに。
SNS上で検索をかけても『神戸あさひ』と『プリミホッシー』の組み合わせによるコメントは意外なほど見当たらなかった。
撮影ができなかった状況下での噂などたかが知れていると言われたらそういうものかもしれないし、そもそも『神戸あさひ』というワード単体によって比較にもならないほど燃えているので目に留まらないこともあるのかもしれないが。

『渋谷で会ってた事がばれてないなら、考えすぎかな……でも、“よろしく”ってことは、もしばれてても止められたりはしないってことだよね』
『だったら、今までどおりあさひさんとは秘密のお付き合いにしましょう! それがあさひさんの望みでもありますから』

とはいえ、あさひを支援する上で真乃たちができるこれ以上のことは、今はまだ思いつかないのだけれど。

『男の子だし、お家にかくまうのは難しすぎるからね……あれ、それに今夜は灯織ちゃん達を呼ぶんだっけ』
『そういえば、今夜はお泊り会、ですね! わたしは霊体化してなきゃだけど、いいと思います』

パジャマパーティーだー、とひかるは我がことのようにはしゃいだ声を出した。
ああ、本当にこの子は中学生なんだなぁと改めて微笑ましくなる。

『じゃあ二人にチェインを送るね。あれ……でも、そろそろアイさんとライダーさん達の用事だって終わってる、はずだよね?』

星野アイの方にも、ずいぶんと時間がたつのに連絡を送っていない。
そのことを思い出して、真乃のタップ先は親友の二人ではなく星野アイの登録へと向かっていた。
まだ昼下がりといっていいうちに、アイのライダーが『同盟を組みたいサーヴァントがいる』『いい結果があったら連絡する』と言い残して別々になり、それっきりになっている。
その交渉の結果がどうなったのかを全く聞けていないし、いや、それ以前に。

『アイさんたちも、あさひ君の炎上を見たらびっくりする、よね?』
『はい、もともと、私達とあさひさんとアイさんの三組で協力するはずでしたもんね!』

神戸あさひを襲ったグラス・チルドレンを率いているマスターや、そのサーヴァントを倒すための同盟。
もともと神戸あさひ櫻木真乃達が知り合ったのは、星野アイのライダーのそういう発案から始まったことだった。

『ライダーさん達も、私達みたいに身バレが怖くて駆け付けられないのかもしれませんね。
私のプリンセスみたいに変装できるキャラクターもいないし……』
『アイさんはリスク管理もしっかりしてそうだもんね……でも、それなら私に連絡して聴いてくるんじゃないのかな?』

最後に別れた時に、神戸あさひ櫻木真乃は一緒にいた。
それが数時間のうちに、神戸あさひだけが指名手配犯扱いになっていたとしたら。
星野アイの視点では、さぞ訳が分からないことになっている。
『数時間の間に2人に何かがあったのかもしれない』というハテナマークで頭がいっぱいになるのが普通だ。

――これって、『あの後いったい何があったっていうの?』と尋ねるメッセージがあってもいいんじゃないのかな。

真乃の不安は、もやもやと、疑問の形を取り始めていた。

『アイさん…………もしかして、炎上について、何か知ってる?』
『あ、アイさんたちを疑ってるんですか?』

ひかるのまっすぐな問い返しの言葉は、かえって『疑ってる』という状態を、真乃に実感としてもたらした。

『その……別に、アイさんが炎上させたと思ってるわけじゃないの。
そもそも、アイさん達はこんな炎上を起こすような力なんて持ってないもんね。
でも、アイさん、あんまりあさひ君を心配してないのかな、って思っちゃって……』
『うーん……会いに行くって言ってた人達との話が、長引いてるのかも、しれませんよ?』
『でも、何時間も話しこまないと、今ぐらいの時間にはならないよね?』

神戸あさひは、アイとライダーの主従に喧嘩を売るかのような態度を取ってはいた。
しかしライダーたちはそれを余裕ある風にいなしていたし、あの二人が急に手のひらを返すような理由なんて真乃たちには思いつかない。
アイさんとライダーは、聖杯を狙っているけど悪意のある人ではない。
そう信じたい気持ちは、まだしっかりと心に居座っている。けれど。

――だからこそ、気を付けな。その真っ直ぐな善意を食い物にする野郎ってのは、こういう場には絶対いる。

親切なアヴェンジャーはそういう忠告をくれたし、古手梨花のセイバーにせよ摩美々にせよ、『甘さへの忠告』は繰り返してくれた。
『食い物にする』というのは、今回あさひを陥れたようなやり方のことを言うのだろう。
裏返せば、あさひを陥れるような人間は、意外とそのあたりにいる、ということでもある。

『アイさんの長話……その話し相手さん、もしかして私達やあさひさんのことも紹介されたのかな?』

ひかるの言葉は、半ば話を繋ぐための思いつきだったのかもしれない。
しかし、真乃にとある想像をもたらす、キーワードにはなった。

『アイには人を炎上させる力も動機もなく、何よりアイを信じたい』という思いと、それらには矛盾しない一つの疑い。

(もしかして、アイさんと同盟の話をした人が、アイさんの知り合いを陥れるために、あさひ君を炎上させたり……もしかして、果穂ちゃん達を襲ったのも……?)

同盟を組みたいという人には悪意があって、アイ経由であさひや真乃たちの話を聴き、『自分達にとっては邪魔だな』と見なして、あさひを追い込んだり『283のアイドル』を襲った。
それなら、283全体を襲う人達が他にも現れたという不気味さと、神戸あさひの炎上とタイミングを同じくしている事にも説明がついてしまうし……果穂たちが襲われたのは、真乃が招き寄せたことになってしまう。

(ひかるちゃんも言ってた『責任』だ……)

人を疑いの眼で見る事はやりたくない事で、しかしやりたくない事で片づけるには、真乃以外の人達が巻き込まれすぎている。
どっちにしても、星野アイさんには改めて連絡をしないといけない。
信じるにせよ疑うにせよ、真乃やあさひと別れた後に何があったのかを、聞けていないのは本当なのだから。

『あのね、秘密にしておくって約束したのは私たちだから……だから私達が、アイさんの隣で、しっかり見つめないとって思うの』
『真乃さんの隣。それって、私から見て反対隣ってことですね』
『そうだね……私は、真ん中で両方の間に立つ役目だね』

アイとの対話と見極めは、摩美々たちに連絡を取らずに事を進める。
少なくとも、摩美々たちも真乃が明日に備えて英気を養っているはずだと安心している今夜のうちは。
『疑っているけど信じたい人がいて、その人は聖杯を狙っています』なんて、伝えられることじゃない。
今夜繋がりたい相手が、増えた。

むんっと、隣席の邪魔にならないよう小さくポーズを作った時だった。
さきほどからメッセージを送り合っていたのに紛れてしまっていたのだろう。
未読のメッセージが2件見つかった。
宛名に書かれていたのは、ちょうど会いたかった灯織とめぐるの名前だった。

『真乃! 私、めぐると一緒にいるから……会いに行くよ!』
『わたしも真乃に会いたいんだ! 灯織と一緒に、真乃の所に行くからね!』

ここしばらく疎遠になっていたのが嘘のように、直球でぐいぐいと誘いの言葉が並んでいた。
2人も同じタイミングで、会いたいと思ってくれていた。
そのことが嬉しくなり、確かにこっちも大事だったと思い出す。

『ど、どうしようかな……? 誘われたのは嬉しいけど、二人のいる前でアイさんと聖杯戦争の話はできないし』
『うーん、こういう時って、アイさんの方の都合もあると思います。アイさんとは電話なのか、じかに会うのかでも予定が変わっちゃうし』
『そうだね。めぐるちゃん達がどこにいるかもわからないし、まずは両方の都合を聞いてみようか』

めぐると灯織の二人で一緒にいるということは外出の真っ最中かもしれないし、アイ達との話し合いが長丁場になりそうなら、先に2人と短く会って入れ違いでアイたちと待ち合わせることにもなるかもしれない。
そんな風に考えつつ、真乃はイルミネーションスターズのトークルームにメッセージを送った。

『気持ちはとっても嬉しいよ。ただ、今夜は明日共演する星野アイさんからもお話に誘われたの。
お仕事の話もあるから二人に同席してもらうわけにはいかなくて、あんまり長い事は話せないかもしれない。それでもいいかな?』

二人に誘われているのに別の人を誘うつもりだと送信すれば戸惑わせるかもしれないので、アイさんから誘われたと小さく嘘をついて、送信。
そうして改めて二人に誘われた文言を読み返していたら、あれっと呟きがこぼれていた。

(灯織ちゃんもめぐるちゃんも、なんだか、いつもより押しが強い……?)

灯織は、サプライズでプレゼントを渡すことにさえ余計なお世話ではないだろうかと座り込んで悩んでしまうぐらいに慎重で遠慮がちな子だ。
めぐるは、天真爛漫で人懐っこい少女ではあっても、相手の都合や現在地を確認せずに押しかけるような、デリカシーの無いことはしない。
悪意ある者がいることが気がかりでさえなければ、もっと大きく危惧していたかもしれない違和感を、真乃はいったんしまい込んだ。


【新宿区・バスの中(283の事務所近辺に向かうはずだったところを乗り過ごした結果)/一日目・夕方】

櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:ひかるちゃんと一緒に、アイドルとして頑張りたい。
0:アイさん達に連絡をして『同盟を持ち掛けてきた相手』のことを聞き出すか、先にめぐるちゃん灯織ちゃんに会うかの都合を確認
1:アイさんのことを話せない以上、今夜はもうこちらから摩美々ちゃん達には連絡しない。
2:アイさんやあさひくん達と協力する。しばらく、みんなのことは不用意に喋ったりしない。
3:あさひ君たちから283プロについて聞かれたら、摩美々ちゃんに言われた通りにする。
[備考]※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
プロデューサー田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。

【アーチャー(星奈ひかる)@スター☆トゥインクルプリキュア】
[状態]:健康
[装備]:スターカラーペン(おうし座、おひつじ座、うお座)&スターカラーペンダント@スター☆トゥインクルプリキュア
[道具]:プリミホッシーの変装セット(ワンピース、ウサギ耳のカチューシャ、ウィッグ、プリンセスのお面@忍者と極道)
[所持金]:約3千円(真乃からのおこづかい)
[思考・状況]基本方針:真乃さんといっしょに、この聖杯戦争を止める方法を見つけたい。
0:真乃さんと一緒に聖杯戦争を止めるアイディアを考える。
1:アイさんやあさひさんのことも守りたい。しばらく、みんなのことは不用意に喋ったりしない。
2:ライダーさんと戦うときが来たら、全力を出す。
3:おでんさんと戦った不審者(クロサワ)については注意する。
[備考]※プリンセスのお面@忍者と極道を持っていますが、具体的にどのプリンセスなのかは現状不明です。




『今の所、いつ状況が動くか分からない用事がある。
予定が空くのはそれ以降になる from.H』

『存在Nの元にいるライダー』との通話を切った後に伝えたメールアドレスには、直後にその二行のみが書かれたメールが返送されていた。
今しばらくは情報交換ができないというだけの返事にわざわざイニシャルを付けてきたのは、こちらが『W』と名乗ったことに対するリターンも兼ねているのか。

どちらにせよ、そろそろ対外的に『ライダー』と呼称するたびに『ガムテのライダー』と『七草にちか(存在N)のライダー』のどちらを指すのか紛らわしくなりそうだったので、七草にちかのライダーを『H君』と呼称できるようになったのは助かる。
それに。
……彼の名前も、Hから始まるのか、と。
そんな事を想うと、受肉されていない仮初の心臓がじわじわと熱を持ち、鼓動を加速させるような心地がした。
『彼』に似た印象を抱いたサーヴァントの名前がHから始まるからといって何になるのだと理性が冷ややかに歯止めをかけて、感傷を打ち切る。

櫻木真乃たちを見送った後、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティは協力者である警官たちにまず連絡をした。
カバーストーリーを聴いた天井社長の様子や、避難させたアイドル達の内訳の確認など、把握すべきところには報告をもらい、その上で警察内部から追求する者が現れた時など、いくつかの『もしも』のときの対応についても調整をする。
それらを進める中途で、気落ちした様子の感じられるマスターから『櫻木真乃への私信は終わった』という念話もあった。
今後の不安、改めて芽生えた仲間への心配、プロデューサーの今後……マスターの心境が悪化する心当たりなど、幾らでも芽生えかねない現況だ。
それが精神衰弱へと悪化する前に、相談は設けたい。
事務所の片付けにまつわる諸々をすべて終わらせた上で、タクシーを呼んだ。
もともと渋谷区から283プロダクションに向かう為に利用したのと同じタクシー運転手で、協力者の一人だ。
悪質な美人局に引っ掛かって闇金と半グレに追い詰められていた友人を救ったことで関係を作り、こちらが呼べば事情に立ち入らずに乗車予約を優待してくれる約束ごとを交わしている。
スマートフォンを利用して世間の動向を調べながら移動できる都合もあり、また、霊体化による急ぎの移動ではそもそもスマートフォンをはじめとする小道具を持ち運べないという不便さもあり、予選の間からたびたび貸し切りにしては正当な報酬で雇用していた。
乗車するや渋谷区の合流ポイント付近まで向かおうとする運転手への指示は、しかし幾らも移動しないうちに停車の指示へと変わった。
情報端末において……気になるニュースを、幾つか見とがめたので。
人目や監視カメラの死角が得られるポイントで降車し、運転手を待機させておく。
『運転手にはさすがに聞かせられない電話』をする前に、合流を待つマスターの摩美々を介してにちか達にも連絡を入れた。
所用で合流が遅れますので、先に今後の拠点に向かっていてください、と。
それは正確には、指示ではなく頼み事だった。

今夜の拠点として、そちらの七草にちかさんのご自宅を利用させてください、と。
元々それは、283プロダクションで『H』と連絡先を交換していた時点で思案していたことだった。
1人目の同盟者である七草にちかおよびアーチャーの主従とは、どうしても改めての相談が必要になる。
その会場に、田中摩美々の自宅ではなく、七草にちかの自宅を選んだ理由は、『H』の一連の言動を受けてのものだった。

――現在は渋谷区の283プロダクション事務所にてあなた方に電話をかけています。
――……驚いたな。そこまで言い切ってしまうあたり、余程自分に自信があるのか。それとも既に数を揃えているのか。

会話を始めたばかりの時点で交わされたそのやり取りには、言葉に表れていない手がかりも含まれていた。
おそらく、Hは事務所からそう離れていない地点にいる。
何故なら、もしも『すぐに283プロダクション事務所に駆け付けられないほど遠く』にいたのだとしたら、Hの言葉は違ったものになっていたはずだからだ。

――余程自分に自信があるのか、それとも既に数を揃えているのか。『あるいはこちらの動向を把握しているのか』と。

それは、すぐには283プロダクション事務所に駆け付けられそうにない者が、一方的に連絡を送られ、『我々はいま事務所にいるぞ』と名乗られた場合に抱いてしかるべき、当然の疑問だ。
何より、こちらは存在Nの連絡先を一方的に把握した上で唐突かつ不躾なメールを送った立場だ。
むしろ、兵力が充実しているから余裕あることを言ったのではなく、彼らの動向に密かに目を付けていたからこその余裕かと疑う方が自然なところ。
また、『自分たちの動向について匂わせたくなかったから敢えて尋ねなかった』という可能性も検討したが、言葉を重ねるうちにやはりそれも無いと分かった。
仮に『こちらは常に監視されていたのかもしれない』という可能性を念頭に置きながら会話していたのだとすれば、Hの発言はあまりにも歩み寄りが強すぎた。
少なくとも、ずっと見張っていた不審者ともしれぬ相手に、『俺達もお前を信用したいと思っている』という言葉を、あれだけ本心であるかのように軽々しく口にすることはできまい。
たとえウィリアムが似ていると評した『彼』と同じように、『人を信じすぎる』手合いだったとしても、だ。
つまり、Hに『現在地を把握されているのかもしれない』という警戒心は無かった。
彼らは『すぐには駆け付けられないほど離れた地点にいるわけではない』と結論が出る。

その上で、『いつ状況が動くか分からない用事がある』と断りを入れてきた。
状況を主体的に動かせない上に、具体的な用事の内容を明かせないとなれば、『いつ来るか不透明な第三者を待っている』といった類の用事だろう。
櫻木真乃たちが新宿区まで同乗させた主従がいる』という話を思い出し、しかし、それだけでは判断材料にならないと決めつけを外す。

まとめると。
8月1日の日中の時点でH達は283プロダクション事務所からそう離れていない場所で待機しており。
そこで到着時間未定の第三者と接触を控えている可能性があり。
その用件が終わるまでは新たな情報交換などを待ってほしいと連絡してきた。

一方でこちらは、H達の用件終了を待って『七草にちか同士の対面』をセッティング可能な位置に留まりたい。
つまり、中野区、新宿区近辺からそう離れない方が望ましい。
となれば今夜の拠点は、新宿にほど近い世田谷区にある七草にちかの自宅に置かせて欲しいということになる。
七草家に何も準備が無いところに泊めてくれと願い出る申し訳なさはあれど、二人の七草にちかを会談させる計画の優先度は高いため、仕方がない。
依然として283プロダクションが多数の主従から仮想標的扱いされているだろう緊張状態は継続している。
こちらの不備となりかねない要素――七草にちか複数人問題は、性急にでも着地させる必要が生じていた。

これについて、七草にちかは急に言われても困るという反応をしたももの、摩美々が『私も人が多い方が寂しくないなー(シュン)』と猫をかぶれば、あっさりと了解が取れた、らしい。
摩美々の方は、急な外泊の予定を告げられたことに関しては動揺を見せなかったし、『親も怪しまないと思います』とのこと。
『裕福な家の娘であるにも関わらず、そしてユニットメンバーの失踪中にも関わらず、無断の夜間外出をまったく問題視されない上に両親の不在が常態化している』という家庭環境は、聖杯戦争の佳境という局面に限って言えば不幸中の幸いだった。

かくてマスター達に動いてもらった後に、計画の修正の段組みと、そのための電話をひとつ。
それなりの時間を話し込んだ後に、待機させていたタクシーに再乗車をした。
行き先を渋谷区から教えられたばかりの世田谷区の住所に変更するよう指示をして、あとは合流後の説明にと意識をとばす。

しかし、相談事はふたたび持ち込まれた。
田中摩美々の通話アプリに届いた、櫻木真乃からの連絡』という形で。




『やっぱり真乃たち、何か隠してるみたいですねー。
三峰はユニットメンバーにも話さないことを、別の子に真っ先に打ち明けたりはしないですから』

櫻木真乃との連絡を終えた摩美々は、そのように印象をまとめた念話を送ってきた。
『ひと足さきにオフに突入していた283のアイドルたちが襲撃され、光月おでんなる人物に助けられた』という情報のリソース公開を、櫻木真乃はしぶった。
それを見てウィリアムのマスターは、『襲われたユニットメンバーから聴いた』と嘘をついてカマをかけたらしい。
もともといたずら好きな少女だったとはいえ、仲間に対して躊躇なくフェイクを使った。
もしや自分が悪影響を与えすぎているのではないかと、聖杯戦争の趨勢とは別の意味で不安になる事案だった。
こういう教育方針の心配は弟のときを思い出すなぁと、生前の既視感があるのがまた冗談で済まされない。
彼女と弟とでは性別、性格も違っているし、そもそも重ねるのが失礼なぐらいにはどちらも濃い密度で関わってしまっているのだが。

『隠してることを言いなさいって、もうちょっと詰めた方が良かったですか?』
『いえ、マスターはできる限りベストの手を打った。『友達を家に呼べ』と言ったのは、真乃さんを不用意に外出させないためでしょう?』
『はいー。それに、もし良くない人に口止めされてるなら、聖杯戦争の話ができない子を呼んじゃえば、今夜は連絡を取りにくくなるかなーって』
『そこまで見据えてのことでしたら、訂正することはありません。ちなみに、マスターは今どのように?』
『にちかのお茶の間で、くつろがせてもらってまーす。にちかとアーチャーさんは、お夕飯の準備が無かったって買い出しに行きましたぁ』

念話でのトーンは、櫻木真乃と電話をした直後に比べれば落ち着いているようには聞こえた。
NPCとはいえ、仲間が襲撃されたと聞いて無理にでも奮い立っているのかもしれないが。

『ソースを明かせないってことは、言えないような人とお付き合いしてるのかな……』
『悪意ある主従から『糸』を付けられている可能性。消極的な聖杯狙いの主従と接点を持ってしまい、打ち明けられないでいる可能性。
現状ではどちらもありますが、咲耶さんの知り合いの情報についても秘匿を選んだ彼女達のことです。
その点、『我々に明かせば問題はより悪化する』と判断したことについては信用すると、別れ際に誓約している。
そして厳しい言い方になりますが、今、その問題を根本的に解きほぐそうと思えばおそらく他の危険に対処している猶予はない』

むしろ、今夜は我々の方こそ忙しくなりそうですから、と言い切る。
七草にちかと、プロデューサーに纏わる問題だけではない。
283プロダクションのアイドルが、とても場当たり的とは思えないタイミングで他の勢力から襲撃を受けたこと。
『犯罪卿』としてはガムテに追われる身となった立場のこと。
現状では櫻木真乃と密に繋がるほど、火の粉に巻き込むリスクがある。

『でも、283にやって来た……『ガムテ』って名乗ったマスター?
帰ったばっかりなのに、そんなすぐにまた来ますかねー』
『場面は選ぶでしょう。しかし、ここ数十分で、状況は変わりました。マスターはあの後、SNSはご覧になりましたか?』
『見ましたよ。咲耶に代わる人が燃やされてましたねぇ……』
『まさにそれが、状況を変えました。今の彼は、我々と283プロの繋がりを再び確信していてもおかしくない。いや、その確率の方が高い』

摩美々にとっては、話が飛躍して聞こえたのだろう。
それはそうだ。神戸あさひという少年の炎上は、ガムテというマスターが事務所に襲来した一件とはまったく別の事件なのだから。
しかし、それは今日一日で起こった出来事の裏側を知っている者だからこその視点である。

『私は彼の眼前で、『白瀬咲耶の失踪を炎上させたのは私だ』と名乗った。
そこに来て、今度はさらに別のマスターと思しき存在が、より急激かつ先鋭化された報道を受けている。
白瀬咲耶の炎上は意図的に起こされたものだ』と知っているマスターなら、同一犯だと見なすのが自然でしょう。
そしてこの報道が始まったのは、彼らが283プロダクションを退去してしばらくのことです』
『あー。“俺たちに正面から喧嘩売ったのに、同時進行で他の主従の相手をするなんて、ずいぶん余裕があるじゃねぇかこの野郎”って思いますね』
『挑発的な行動だと受け止められるだけなら、まだいい。しかし相手方には白瀬咲耶さんのニュースを観ただけで『何かおかしい』と察せられるほどの思考力、直観力があります。“犯罪卿”と“炎上を操っている者”は別人ではないかと察してもおかしくはない』
『でもー、こっちは組織的に動いてることを示唆してるんですよね。それなら、一度に複数の敵を作っててもおかしく思われないんじゃないですか?』
『“立て続けに別の人物が炎上している”というだけなら、相手方だってその可能性も考慮する。しかし問題は、この少年が『女性連続失踪事件の真犯人』として広まっていることです』
『連続失踪事件……たしか咲耶も、もともと被害者じゃないかって広まってましたね』
『はい、咲耶さんの拡散が午前中より下火になりつつあるのは、神戸少年の炎上がとって変わっただけでなく、世間が冷静になり始めたという事もあるのでしょう。
『最後に姿を見せてから二日と経過していないなら、家出や小旅行の可能性もあるのに騒ぎ立てても仕方がない』と」

実際に、チェインでつながっている他のアイドル達も、神戸あさひのニュースに対して『咲耶の失踪に関わっているのではないか』と邪推などはしていなかった。

「しかし噂とは水物です。少年の情報がSNSに流れ始めた時点では、『この少年が白瀬咲耶を含めた女性たちを襲った』と認知されかねない状況だった。
これは、全て犯罪卿の企みであれば明らかな矛盾です。今日の日中にはいずれ挨拶をすると宣言しておきながら、その直後に『白瀬咲耶を襲った犯人は別にいる』と犯行の隠滅に繋がりかねないニュースを流している』

そして仮に、その違和感を相手方が見とがめなかったとしても。
いざガムテおよびライダー陣営と再度の邂逅を行ったときに、『この炎上もお前の仕業なのか?』という話題を振られた場合。
こちらは、『それに関しては全く覚えがありません』と正直にしか答えられないのだ。
そこで、『ええ、それらも全て我々が企てたことなのです』と更なる詐称を重ねた場合。
グラス・チルドレンが『神戸あさひも炎上を起こした者=犯罪卿を敵に回しているのではないか』と考慮に入れた上で少年と接触を図っていることがあれば、はっきりと嘘が露呈してしまうのだから。

『つまり総合的に考えて、『283プロを炎上させた黒幕』というカバーのみにはもう頼れないということです』
『283プロを守ろうとしてますーって、認めちゃうんですかぁ?』
『馬鹿正直に前言撤回をすることもありません。いざ問われたらのらりくらりとしますよ。
黒幕を名乗ったことこそ詐称ですが、昼間の交渉の肝心な点は『アイドルに手を出せば他の主従を呼び寄せる』という一点に関しては事実だということ。
ただ、その上で283プロダクションに対して再接触を仕掛けてくる恐れはある』
『立て続けに燃やした【蜘蛛】さん? こうなる事まで計算してたんでしょうか』
『アーチャーの話によれば、283での話し合いにおいて、露骨な監視の目や耳は見受けられなかったと。
おそらく、我々の話し合いまで聞き届けた上で狙って炎上させたわけではない。それなら他のもっと直接的な危害を幾らでも起こせますから』
『なら、この、あさひ……まぎらわしくてやだな。神戸さんは私達を追い詰めるための囮とかじゃなくて、フツーに蜘蛛の被害者なんですね?』

下の名前で呼ぶことに抵抗するのは、283プロダクションの芹沢あさひというアイドルに浅からぬ交友があるためだろう。

『間接的な敵対者、といったところでしょう。想定される蜘蛛の人物像(プロファイリング)から言っても、直接に正体を知られた可能性のあるマスターへの対応としては悠長に過ぎます』
『悠長? けっこー、えげつない燃え方してるような』
『炎上という搦め手を行使している間に、陥れた者の風評を他の主従に告げるリスクもあるのですから、充分に悠長ですよ。
おそらく、蜘蛛の伸ばした糸に引っ掛かった存在、蜘蛛と直接に対面したことはない関係でしょう』

そう、第一の炎上を、『既に退場したマスターの身辺を炙り出す実験』だとすれば。
第二の炎上は、『まだ生存しているマスターがボロを出すかどうかを見極める嫌がらせ』に相当する行為。
そしておそらく……渋谷区公園でのアイドルたちへの襲撃もまた、同様の『嫌がらせ』を目的とした行為だ。
仮にマスターがいると見定めて事を起こしたのだとしたら、大雑把にもほどがある。
誘拐の中途で半端に失敗しているのは、その『嫌がらせ』にしても蜘蛛の痕跡を残さない手口とはかけ離れているため、おそらくまた別の陣営による攻撃。
つまり、283プロそのものに刺激を与えて、焦ったマスターがしっぽを出さないかどうかを見極めたい、いくらでも残忍になれる陣営の所業だ。

『どちらにせよ、スタンスの不鮮明なマスターに対応している余裕は、今は我々の方にもありません。
合流してからアーチャーたちも交えて今後の献策(プランニング)を出すので、いったん少年のことは忘れましょう』
『嘘ですね』

嘘だった。

だが、嘘だと気取られるようなヘマはしたくなかった。
マスターはいたずら好きだ。
唐突な断言でさえ、あてずっぽうを元にしたハッタリに過ぎないという線もある。

『どうして、そんなことを?』
『アサシンさん、無実の罪で人を陥れて笑ってるのとか嫌いでしょ? 『シャーリー』さんも、そういうの嫌いだから』

予選の間に、暇を見てホームズの物語を読んでいたのは知っていた。
だが、過去夢もひっくるめて『彼』についてそこまで知悉していることと、己がそこまで善人だと思われていたことは想定外だった。
救世主扱いされることには慣れていても、立場を明かした上でまっとうな善人扱いされるのは、身内(ファミリー)からのひいき目を除けば慣れていない。

『同情すべき境遇ではある。しかし対応する余裕はありません』
『だとしても、そこは、同情したり怒ったりするじゃないですか。咲耶の時みたいに』
『私はもともと悪人ですよ。しかし、ここで嘘つきだと思われるほどマスターからの信用はありませんか?』
『まみみの言葉じゃないですよー。にちかの所のアーチャーさんが言ってました。
ああいう“隊長”は、いい悪い以前に、大事なことを一人で勝手に決めちゃうから。
だから、もし状況がどんどん悪くなってる時に、『今はこっちの指示に従え』って風に、会話を急いで終わらせるようだったら気を付けろって』

まーアサシンさんはたいていお任せをってきっぱり言いますケドー、と棒読みめいた付言がつく。
そう言えば、これまでに推定したアーチャーの来歴を考えると『上官の裏切り』の経験には慣れていてもおかしくはなかった。
そしてその忠告を踏まえての発言ということは、『お前がここで否定して田中摩美々を納得させようとしても、少なくともにちかのアーチャーは疑い続けるだろうから言えることは全て話してしまえ』という意味を持ってしまう。

『殺し屋がまた来るかもしれなくて、蜘蛛がいて、にちかとプロデューサーは揉めてて、うちの皆が襲われるようになった。
今、とっても、とっても大変じゃないですかぁ』
『はい、我が身が至らないばかりに、マスターを不安にさせている』
『アサシンさん。うちのリーダーは、こういう時に『考えとることがあったら言わんばよ』って言うんですよ』

そして彼女は、優秀なリーダーに恵まれていたらしい。
話さないで済ませるという選択肢は、アーチャーとそのリーダーによって潰されている。

神戸あさひという少年に何も対応しなかったと言えば嘘になります。
しかし、行為としては大掛かりな仕掛けは何もありません。そして、他の主従には打ち明けるつもりもない』

マスターには無知でいてもらうつもりだった、嘘の裏側を語る。
アーチャーの経歴による直観や、今日一日で獲得した不測の信頼を考慮から外していた、己の甘さに内心で苛立って。

――煙草が欲しいな。

そんな、運転手から叱られそうなことを考える。
煙草が嫌いだとマスターに答えたのは事実だ。
味も理解できたものではないし、みずから肺を汚しに向かっているようで気分の悪さしか残らない。
だが、自分を痛めつけるぐらいのことをしないと気を紛らわすことはできない。
相変わらず矛盾だらけなことをしていると自虐して、切り替える為に強く舌を噛んだ。
同じ痛みならそもそも目の前の現実に対処すべきだろうにと己を戒めて、ばかばかしい欲求を打ち切る。

重ねて思い知るが、状況は悪い。
それが証拠に、例えば話に挙がった『光月おでん』のような者ならば認めないであろう手段を一つ、先ほど解禁した。
それなのに、その悪業をマスターに関知させて、連帯責任を生じさせてしまったミスは、こちらの迂闊によるものだ。

『私のとった行動は、一つ電話をかけただけですから』

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最終更新:2021年10月25日 02:19