星奈ひかるが世間に表した姿『プリミホッシー』は、彼女が懸念していたように拡散の流れに乗る事はなかった。
エゴサーチという行為そのものを人数に任せてしらみつぶしに分業することが可能であった峰津院財閥のように、総当たりで抽出を行えばかろうじてキャッチできたかもしれない。
その程度の認知度に終わった。
それは、あまりに唐突な登場と退場に、画像を確保されなかった事も一因ではあった。
しかし、最大の要因は現場にいた人間も何が起こっていたのか、どういうニュースとして受け止めればいいのか理解できなかったという点にある。
もしもプリミホッシーが明確に
神戸あさひを連れて逃走したのであれば、『指名手配犯を逃がした共犯者』として叩くための素材になった。
もしも再現度の高いコスプレとして話題にすることが可能であればオタクたちの間で語り草にもなったが、『プリミホッシー』というキャラクターそのものは元ネタこそ明確であれオリジナルキャラクターであった。
もしもプリミホッシーと
神戸あさひの姿が消失したことに超常現象が絡んでいるとはっきりすればオカルトめいた噂になったかもしれないが、『目くらましをうけている間に見失った』という神隠しと言い切るにも曖昧な最後であった。
そうなれば、市民は犯罪の話題として盛り上がればいいのか、コスプレの話題として盛り上がればいいのか、都市伝説としてネタにすればいいのかが分からない。
いかに素材にインパクトがあったとしても、煽情(センセーション)と、扇動(アジテーション)が欠落しては宣伝の欲求を掻き立てられない。
知名度を広げるにあたって必要なのは、食いつきと、向かわせる方向性。
逆に言えば、それが丁寧に筋道を立てられている時、情報の流通経路は出来上がる。
◆
幽谷霧子は、皮下病院の病院寮で暮らしている。
この事実から、類推できる想定がある。
それは、『皮下病院の近隣では、未成年の就学環境が整っている』ということだ。
『いっそ子どもは家族ごと病院に住み込んで通学させた方が早い』と判断する者がいるのだから、つまりそう言うこと。
また、本格的な寮設備や入院設備を完備できるほどに大規模の病院施設であれば、近隣に『いつでも医療設備の手助けが必要となりえる児童――特別養護学級や支援学級を設けた学校も居を構えたくなる』という地勢も絡んでくるために、そうでなくとも『あるだろう』ことは想定内ではあった。
それは、皮下病院の近所といっていい立地にある、小学校だった。
そこは警戒心の行き届いたマスターが居座る施設のように、入館チェックが設けられているわけではない。
近年の小中学校の常として、子どもに手を出す不埒な大人のうかつな侵入を招かない為のセキュリティシステムこそあれど、決して蟻の入り込む隙間もない要警護施設というわけではない。
少年野球の見学者であるかのように振る舞う大人。
子どもの見守り役のように装って、遊具場へ出入りする大人。
そういった人物までも、すべてシャットダウンすることは不可能であり、世間的にも『いったん入り込んでしまえば、夏休みで人の出入りも減っているそこは格好の隠れ場所ではないか?』と思わせる余地のある建物。
『休日でもある程度の子どもが集まる』
『常駐する教職員も限られている時期』
『犯罪者が逃げ込んだと告げても信憑性のある』
そんな施設の名前を冠するハッシュタグを付けられて、その呟きはSNSの海に放流された。
ちょうど、『準備を整えてから、そういう呟きをしてくれ』と依頼した者が、そのまた依頼人(マスター)に事のあらましを語っているのと時刻を同じくして。
【見つけた!!これ、やばくね?
#拡散希望
#神戸あさひ
#〇〇小学校
#神戸あさひを許すな
#東京都新宿区
#不審者情報
#暴行犯
#薬物所持
】
最初に
神戸あさひという名前が冤罪を貼り付けられた時と同様に、それは転売アカウントからの呟きであったのだが、傍目にそれを知るすべはなく。
炎上させることを条件にアカウントの転売を買った者、というわけではない。
峰津院財閥に出入りさせるために仕込んだ
NPCには、それなりの人数がいた。
それらの全員に、身元のたどれぬような素性工作を仕掛けるのが可能な、そういう者を利用したのと同様に。
その中に、転売アカウントの利用者を、いつか使用する機会が来るやもしれぬと抱え込ませていただけのこと。
もはや常駐者には恒例となったハッシュタグを幾つもぶらさげて、その呟きには画像が添付されていた。
遊具置き場の隅を撮影していた。
まるで一時的に隠されたかのように、運動場と遊び場を仕切る背の高い垣根の死角から引きずり出されたという塩梅だった。
それは、廃棄された衣類と道具が詰められたスポーツバッグが、ジッパーを開けられて中身を露わにしたところだった。
フードのついた暗色のパーカー。
口元をすっぽりと覆えるような、水色のマフラー。
金属バット。
いずれも、人気のない土手などで草むらに隠れるよう寝過ごせばこうなるだろうか、と言った風な泥汚れ。
前提として、炎上が広がり続けている段階には、能動視聴者数(観劇者)が多く、強いインプレッションが期待できる状況がある。
つまり、新情報が放り込まれるなら、真偽を見極める前にまず飛びつくというユーザーが多数いる。
やがて、追随するようにいくつかの引用発言が付く
【小学校に逃げ込んだの?】
【ここ登校日いつだっけ? そろそろじゃね?】
【休日でも子どもは来るぞ。ここプール開放やってたっけ?】
【やばい。この近くに入院棟のある病院あるぞ。動けない患者がたくさんいる】
【そこ、さっき壊れたらしい】
【バットだけじゃなく、爆発物所持?】
【指名手配犯が、小学校付近に潜伏、やばい】
【【【【【学校や警察には連絡した?】】】】】
◆
「いくら流行りの事件だからって、たった1アカの呟きで炎上に対抗できるんですかぁ?」
「対抗することが目的ではない。『学校や警察に問い合わせて突撃をはかる市民』が一定数現れる程度の周知。それさえ稼げれば充分です」
大衆とは、知力にばらつきを持つ者たちの包括的集合体だ。
発言を見た時点で、『似たようなパーカーを使って撮影した悪質な自作自演の可能性がある』と冷静に相手にしない者は、間違いなく相当の割合でいる。
しかし、『せめて学校や警察に伝えるだけは伝えておかなければ』と焦った行動に出る者も、必ず一定の割合で出現する。
その、炎上全体に比べれば微々たる件数――せいぜい数十件程度の電話であっても、夏休みに学校にて待機する職員の電話対応を飽和させるには充分すぎる。
そして、学校に電話したところで埒が明かないと苛立った者は、追及の問い合わせを警察に向ける。
『でも、警察だって神戸さんの捜査をしてるって拡散されてますよー?』
『警察の捜査とは、犯罪の発生が前提にある。
咲耶さんの炎上について調べるにあたって『連続失踪事件』について捜査情報を探りましたが、
神戸あさひという少年が捜査線に浮上した事実は無かった』
加えて、指示の電話をかける前に記憶にある都内の刑事事件ニュースの情報を攫ったが、少年が捜査線上に挙がっている刑事事件は思い当たらなかった。
『また、不特定多数のアカウントから一斉に拡散されだした状況を見ても、少年が起こした『暴行事件』とは現実に存在しない虚言からできている。
つまり今回のケースにおいて、警察は
神戸あさひについて捜査のしようがない。
おそらく、警察の捜査が始まっているという情報の大本は、本質的には『捜査』ではなく『調査』です』
こんな少年を野放しにするなんて警察は何をやっているんだと、炎上を真に受けた市民が通報を行う。
対する警察署員は、いきなり見ず知らずの少年を『暴行犯ではないか』と問い詰められたところで、回答のしようがない。
本件については目下のところ調査中です、と答えるしかない。
それが『警察も動いているらしいぞ』という形で伝わり、炎上の拡大を招くという悪循環を生む。
だが、『管轄の小学校に危険人物が逃げ込んだ可能性があるのに、なぜ現場に行かないんだ』と詰められては別だ。
問い合わせを受けた小学校も、最終的には警察へと相談し、『
神戸あさひという少年はそんなに危険なのですか』と確認せざるを得ない。
その問いに対する答えは、二つに一つしかない。
神戸あさひという少年は容疑者なのか、そうでないのか。
事件が実在しないのだから、答えはおのずと出る。
【#拡散希望】
【#拡散希望】
【#拡散希望】
【
神戸あさひは無実。
警察に問い合わせたところ、現在、
神戸あさひという少年を指名手配している刑事事件はなし。
警察が少年の行方を追っているという事実はありません。
暴行犯、薬物中毒者というのはデマです】
ガリバー旅行記の時代から変わらない。
大衆とは、自分だけは猿(ヤフー)ではないと思い込みたがる集合体だ。
どうやら本当にクロらしいと広まっている段階では、いくらでも叩ける。
犯罪者を追い詰める行為は、正義だと信じられるのだから。
【#拡散希望】
【
神戸あさひに襲われたという被害届は無し】
しかし、警察発表という『真実』が明るみに出れば、それはたちまち『無実のいたいけな少年を叩く』という愚行に変貌する。
新薬の効能が信じられないといった虚実入り混じる噂ではない。
冤罪とは、あるのか無いのかの二つに一つでしか語れず、警察が冤罪だと言えば否定しようのない事実として扱うしかない。
インフルエンサーは必要ない。
大衆は、『明らかなデマをもとに動いている人間』を叩きたがる。
それまで、『拡散を知っていたが、
サイレントマジョリティーになることを選択していた大衆』が、訂正する側として参加する。
炎上が大規模であればあるほど、『こちらは真実を知っている賢い側だ』という義憤に燃える。
大衆の大半は、『明らかに間違ったことを宣言しながら怒りを表明していた』という羞恥に耐えられない。
間違っている者が逆転すれば、叩く矛先は変わる。
学校が『警察から確認しました』という事実認定を校区に対して発表すれば、それはよりゆるぎない事実として確定する。
【#拡散希望】
【#拡散希望】
【#拡散希望】
【家のない未成年を犯罪者扱いする恥ずかしいアカウントです】
子ども達の帰宅時間や大人の勤務時間が終わる頃合い。
日没を迎える頃になれば、一日の仕事を終えてスマートフォンやPCに眼を通る人間が増える時間帯になれば、その情報は確実に流れ始める。
ほどよく疲れた頭に、飛び込んでくる『大勢のデマ』と『少しずつ広がり始める真実』の対立。
無実の家なき子を、いわれのない罪で叩いていることを冷笑して、こんな奴になりたくないと自戒するのは、愉しくないわけがない。
『それで、炎上は止まるんですか?』
『噂を信じた人々を全て廃絶することはできない。しかし、噂を否定する噂を広めることはできる。
何より容疑をかけられたところで『警察発表』という根拠にもとづいた事実を持ち出して否定ができる――少なくとも、社会的な致死は免れられる』
最初のいたずら投稿については、完全犯罪である必要さえない。
もとより不特定多数の中には、『特定班』と呼ばれる、わずかな画像からもメーカーや服のくたびれ方を特定し、完全に同じ衣類かどうかを鑑定する余力のある人々もいる。
『いたずらじゃん』と晒されることになっても、『
神戸あさひは容疑者ではない』という一言を聞いた人々の反応が始まれば、噂はそちらにとって代わる。
犯したリスクは、『このいたずらの仕掛け人は実はお前ではないか』と聞かれたところで、知らぬ存ぜぬを決めればいいだけ。
『いい事をしたように聞こえますケド。どうして隠すんですか?』
『善意による手助けではなく、悪意による利用ですから』
『炎上から助けてるんですよねぇ?』
『本当に善意ある者であれば、まっさきに
神戸あさひ少年を心配して当人のもとへ駆け付けています。
それに、この方法にしたってまったく犠牲の出ないやり方ではない。仮にこれが小学校ではなく、マスターや霧子さんの通っている高校であればどう思います?』
『学校の皆が危ないんじゃないかって、見に行くかもしれませんねぇ。もちろん、有名なアイドルなんかが駆け付けたりしたら逆効果なんで自重しますケド』
『そういうマスターがいないとは限らない。何より、もしも
神戸あさひを心から心配する者がいれば、最初の第一報を見て小学校に駆け付けるかもしれません。
そうなれば、様子見にやって来た主従同士の要らぬ激突を招くリスクもある。何事も、裏目にでない策はない。
少なくとも、少年を心配して探し回ったりする者がいれば間違いなくこう思う。なんてはた迷惑なことをするんだ、と』
『……じゃあ、どうしてそれが私達のための利用に繋がるんですか?』
『理由は複数あります』
『順番にどーぞ』
一つ目の理由は、結果的には空回りになった。
それは
幽谷霧子を、皮下病院に帰宅させないための方便作り。
変形したという不審者の属する先は、タイミングだけで見れば皮下病院の手の者という線が強い。
それとなく追及をかわした直後に襲撃があったというのは、いささか以上に露骨ではあったが。
摩美々が
幽谷霧子という少女を妹のように可愛がっていることは、当人が表に出さない風にしていてもはたからマスターを見ていれば自明だった。
彼女をマスターであると疑われた上で病院内部に留めさせるのは、自分が弟を敵の本拠地に残していた場合どうなるのかに置き換えてみれば、理屈で考えるまでもなくマスターにとって深刻だ。
霧子とハクジャが二人で向かったというその場所に着いたなら、きっと夕刻の遅い時間までは離れられないと思う、というのは摩美々の見立てだった。
なぜなら自分もそうだし、アンティーカである限り皆がそうだから、と。
そこで、『病院近辺の治安が悪化している』という状況を作り、その上で『咲耶のこともあるし今夜は別の所に泊まってはどうか』と誘う。
そして同行するハクジャが病院外に止まる事に懸念を示すようであれば、どこかに指示を仰いでいないかどうかを確認してもらった上でより直截的な危険を暴露し、駆け引きに持ち込む。
だが、『皮下病院が破壊された』という一報がSNSにも流れたことによって、こちらで状況を作るまでもなくなった。
むしろ、災害跡地に知名度のあるアイドルが向かったところで余計にパニックが加速するだけだと。
霧子にはそう説いて聞かせやすくなり、結果的にありがたかったぐらいだ。
二つ目は、『アイドルに危害を加えた者は他の主従にも認知させて有名にする』という一線だけはまだ維持する事。
神戸あさひの炎上は、よくも悪くも『燃えすぎて』いる。
平和な住宅街の一角がテロでさえあり得ないような跡地と化し、多数の避難民が産まれ、犯行現場上空で多数の人間が『雷と炎を伴う巨大な龍』を目撃したという情報よりも、『複数の犯罪に関わっているバットを持った少年が指名手配された』という情報の方が有名になるのは、明らかに常識感覚を超えている。人間の危機意識に反している。
ここまで炎上が過熱すると、他にどんなニュースが取り沙汰されようとも埋もれることが懸念されるし、実際に本来ならばニュースのトレンドを一色に染めてもおかしくない『龍』については、埋もれるには至らないまでもSNSから目に飛び込んでくる頻度で劣っている。
ここまで有名になってしまえば、『犯罪卿と炎上の扇動者は別人説』と合わさって、炎上劇そのものが避雷針となりかねない。
『どれだけ芸能事務所に蛮行を働いたところで、それ以上に認知されるネタが幾らでもあるのだから致命的な被害は受けないだろう』という状況が成立すれば、283の関係者を裏社会の組織力を用いて片端から殲滅し、マスターを総浚いするといったもっとも極端な手段がまかり通るようになる。
よって、ここに来ての炎上は潰す。
避雷針の成立を阻止するだけでなく、『扇動者を体よく利用して別件の炎上にかぶせれば、殺し放題になる』という無法地帯の成立を阻止する為にも。
『炎上は食らえば危険だが、仕掛ける側が完全に頼みにすることはできない』という実例を作る。
その為にも、『炎上は当面収まらないのではないかと思われるタイミングを待って』から、阻止に動く必要があった。
電話をかけてから実際の行動開始までにタイムラグがあったのは、そういった思惑と、夏場に長袖の偽装衣類を用意することに時間を要したことが原因だった。
そして、三つ目の理由。
こちらが他の主従と対峙している間に好き放題するであろう、蜘蛛の陣営が打てる手数を削る。
『マスターを不安にさせることを承知の上で、忌憚のない評価をつけます。
扇動者の陣営は、社会という分野に的を絞った破壊力であれば、間違いなく界聖杯で最強です』
『最強……』
社会に及ぼし得る影響力という点でみれば、他にも有力者は存在する。
しかし、社会の頂点に立つ強さではなく、社会を狂わせて破壊する病原菌(ウイルス)の力としては、最凶の性能を持つ魔弾だ。
『蜘蛛』と呼びならわす男――おそらく『推測どおりの真名』を持つその巨悪を、ウィリアムは過小評価することができない。
そして、ここまで急激かつ過激な炎上が立て続けに起これば、他にも蜘蛛の脅威について認知し始めた主従が出現する頃合いだろう。
神戸あさひの一件によって、ある程度は現状を冷静に観れるマスターであれば『東京に扇動者がいる』ことには気づけているかもしれない。
だが、その扇動者の大本を辿れる能力とアテとなると、皆無であるのが実情だった。影をつかませずに暗躍していた。
しかし、ここまで大きく騒動を広げた上で、それがデマだったと明らかになれば。
『情報を作り上げた者がいる』と、SNSを監視する全ての陣営が勘付くことになる――それは当然、東京で一番の権力者にも。
炎上を行うために協力させた企業、団体、監視カメラの映像を流出させた警察組織内部の間諜など、証人は数多くいる。
犯罪の王とて、協力させている
NPCは万能ではない。洗い出しを受けて、それらの全員がボロを出さないでいられるか。
Mから始まる悪名を持つのだろうその悪魔は、社会の頂点としてではなく社会の病原菌としては頭抜けている。
しかし、裏を返せば、社会の頂点は存在する。
界聖杯の東京にあるすべての企業と自治体と官公庁は、たったひとつの財閥が『その気』になれば掌握される立場にある。
その財閥の長が聖杯を狙う有力マスターであることを、蜘蛛の二匹ともが知っている。
理解した上で、それを刺激しない範囲でもう一匹は社会を我が物として遊んでいる。
ならば、『今、この世界の権力代表そのものと正面から喧嘩したくはないだろう』とふっかける。
実際にその財閥が動かなかったとしても、Mの側には『追及されるかもしれない』という懸念が刻まれる。
いくら版図を広げたところで、それらを大きく動かすことが制限される。
また、
神戸あさひや彼と共にいるサーヴァントも、こうも露骨に嵌められてしまえば、『アイツの仕業か』と心当たりのある者がいてもおかしくはない。
それが、蜘蛛にとってはごく間接的な間柄の陣営だったとしても。
そして、やり口としては確実に殺す意志を感じさせる追い込みでありながら、内実としては『嫌がらせをして様子を見る』という食い違った対応に迫られているのはどういうわけか。
実力を試して味方に誘うなり利用するなりしたい、といった手口でないことは明白。
いずれ利用するために、今のうちに社会的生命を断つというのはあまりに度が過ぎる。
つまり、『取り込むことを想定した嫌がらせ』ではなく『敵としての実力を測るための嫌がらせ』。
確実に追い込むことを目的としている一方で、それでも生き延びたら都合の良い競合相手になるやもしれぬという一縷の期待。
あるいは、『
神戸あさひに眼をつけた者』と『炎上の実行者』は別人。
『
神戸あさひに殺意を抱いた者』と『
神戸あさひを実際に追い込むことになった者』の着眼点が異なっているからこそ、ずれが出た。
どちらにせよ共通して言えるのは、この少年が反抗の意思を持ったまま生き延びた場合、どんなスタンスであれ『蜘蛛陣営の前に敵として立つ』という道を選ぶだろうということ。
であれば、人手はいくらあっても足りず、ガムテへの対応に注力せねばならない現状。
『蜘蛛陣営の敵』に生きていてもらうことに意義はある。
そして、それ以外の全マスターにとっても、『
神戸あさひ』と関わることへの意味は変わってくる。
関わることを避けたい厄ネタから、確実に脅威となる陣営に対して、手がかりを持っているかもしれない主従へと変わる。
地位と権力を持った者には、『炎上に協力させた人員を辿れば道筋がつくぞ』と教唆する。
地位と権力を持たざる者には、『
神戸あさひからの縁をたどればたどり着くかもしれないぞ』と感づかせる余地を残す。
何度も善意の救済ではないと断定したのは、これが理由だ。
裏目にでない攻勢はない。
そのままでは潰されそうな立場の者に、さも味方の顔をして交渉材料を与えたところで、その人物が攻勢に出たために結果的に命を落とすこともある。
炎上の意味合いを変えたことは、やがて
神戸あさひという少年を切りつける逆効果になるかもしれなかった。
それは、彼を追い詰めた悪意ある大人たちど、どう違うのか。
前世紀の英国の比ではないほどに福祉の行き届いた当代の社会で『戸籍の無い浮浪児』という役割(ロール)を敢えて割振られることが何を意味するのか、想像できないわけではない。
これほど個人情報が露わにされているのに、この年頃の子どもなら必ず調べあげられた上で追及を受けるはずの『通っていた学校』に類する情報が皆無だった。
つまり、少年は不登校であるどころか高校にも、それ以前の中学校にさえも通っていなかった――住民票など持っておらず、戸籍についても怪しいとは察せられる。
両親についてもそれは同様だ。これほど炎上を起こしながら『親はどうした』という話が浮上しないならば、少年は孤児だということ。
おそらく、少年の視界には、犯罪卿もまた己をその立場に追いやった大人の『悪魔』たちと同類にしか映らないだろう。
少年の立場を救うことはできても、少年の心を開かせることはかなわない。
聖杯を狙う立場の違う者であろうとも、裏の無い優しさで歩み寄ることを選んだという
櫻木真乃の選択は、尊い。結果としてどう転んだとしても。
そして、最後の理由。
『私は先刻、他の主従に伝えるつもりは無いと言いましたが……一人、彼なら気付けるのではないかと思えるサーヴァントに心当たりがあります』
『その言い方だと、敵じゃなさそうですねぇ』
『もう一人の七草にちかさんの連絡先が繋がったことは伝えましたね? そのサーヴァントのライダーですよ』
『え、あの人なら分かるかもって……たった一回話しただけの人、ですよね?』
『私が電話した時点で、彼は白瀬咲耶さんの炎上の不審に気付いていました。おそらく、神戸少年の炎上についても同様でしょう。
そして、彼は私のことを『マスターの存在を盾にして見捨てないよう促した嫌な奴』だと思っているはず。その頭の回転をもってすれば気付けてもおかしくない』
もともと、Hのことは『裏側に潜む悪を釣り出すための正義漢』として利用できないか検討していた。
しかし、とてもそんな接し方はできない反骨精神と誠実さを感じさせる人物だと分かった。
であれば今は、その役割を逆転させるべきではないかと考えている。
もともと己の目標は、聖杯を欲しがらない脱出派たちの希望となりえる善なる者を探すことだった。
であれば、ちょうど『283プロの黒幕』として標的になっている現状、窮地に飛び込んで暗躍する役割をこそ己が引き受け、万が一の時にせめてマスターの命を託す相手としてHを選択する。
マスター達の護衛の役割は、これまで七草にちかのアーチャーに受け持ってもらった。
しかし、アーチャーには最初に知り合った七草にちか一人を護ることを一義に置いているし、『犯罪卿が悪意を集めている間に、背後を撃ってもらう』という別の役割もある。
その点、知り合ったばかりのHは、あるいは『無辜の少女を託せるヒーロー』として、信頼に値する存在なのかもしれない。
もちろん、実際に出会ってみてからでなければ結論は出せないが。
『そんなにすごい人だったんですか?ドルにちのサーヴァント』
『その呼び名はなんですか?』
『そろそろ、にちかって呼んでもどっちか分からなくなりそうじゃないですか。代案は受付けますよー。で、そんなにすごかったんですか?』
『優秀な話術。慎重な判断力。手段を選ぼうとする善心。それに、勝ち負けでもなく支配と被支配でもなく、私に向かって対等であることを譲らなかった。そういう姿勢には好感が持てます』
『アサシンさんがそんなに嬉しそうに褒めるなんて珍しいですねぇ』
『櫻木さん達に対してもこんなものでしたよ? 問題は、そんな彼らにこれから、我々が導火線に火のついた爆弾を抱えていると知らせなければならない』
283プロに通っていなかった存在Nにとって、283プロが複数の敵性主従から囲まれているという状況はどう足掻いても寝耳に水。
白瀬咲耶の炎上騒動については勘付いていたが、そこまで状況が悪いとは聞いてなかったと憤慨されること待ったなしの状況だ。
七草はづきが283プロダクションに勤務している現状では、『こちらは283プロダクションで活動していなかったのに、お姉ちゃんも含めて一方的に危険に巻き込んできた』と信用が崩れ落ちてもおかしくない。
そうでなくとも。
いきなり、もしもの時はマスターの命も預かる守護者をやってくださいと言われたところで『重すぎる。勘弁してくれ』という感想になるのが普通だ。
なので、『さっきも暗躍してきたところです』と察してもらうことは、『今まで企んでいたのは全て私一人であり、こちらのマスターをはじめとして他の皆に責任はないから信用してほしい』と責任を己に押し付けるための布石になる。
最後の理由は、そんなところだった。
『長い、一行で』
摩美々はばっさりと、そう言った。
『いい人の役をやってくれそうな人がいて、いい人ぶらなくてよくなったから、どんどん悪い人に戻ろうする準備だってことですよねー』
本当に数センテンスにまとまってしまった。
『それ、そんな駆け引きじゃなくて、頼る方向で行っていいんじゃないですかねー、とまみみは思いました』
『つまり、はっきり助けを求めろと?』
『今は大変で、お互いに探り合いしてる場合じゃないんでしょう?』
さすがに直に会わなければ人間性を確かめられないことに対して、他人の善意を信用しすぎではないかと思った。
善意に敬意を払うことと、過度の期待をすることは違うのだが。
『マスター命令。もう一人友達を作りなさい』
状況に似つかわしくない、のんきとも聞こえる命令だった。
『もう一人』呼ばわりされたからには間接的に友達が一人しかいない奴だろうと断定された気がするが、実際その通りだからそこはいい。
サーヴァントの友達が増えたからといって、283プロダクションへの攻撃が止まるわけでは一切ない。
だが、それでも彼女は優しかったのだろう。
己の助けに応じてくれたサーヴァントがそのために苦悩しているなら、痛みは取り除かないではいられないぐらいに。
『もし移動中暇だったらー、うちの曲をアサシンさんのブックマークに入れておいたので、ダウンロードするといいですよ』
『え、いつの間にこちらのパスコードを……』
『手間と機会を惜しまないのが、いたずらのコツですのでー』
アサシンが暇を持て余すタチではないことを摩美々も把握していないはずはない。
遠回しに気分転換を勧められたらしい。
そろそろタクシーはアパートの近隣にたどり着いてしまうのだが。
さすがにアパートに乗り付けるのは近隣住民視点でも目立つので、目的地の手前で降車し、携帯端末を確かめるとたしかに幾つか曲名の名前で登録があった。
一か月共にいたのだ。
それらは初めて耳にする曲ではないし、歌詞も頭に残っている。
むしろ陽の下が似合う少女達だろうに、存外に荒々しく勇ましい歌ばかり歌うのだなぁと感嘆していたのだが。
この曲が一曲目の順番で並べてあったのは、共犯者(マスター)でありたがる少女の、明確な意図があってのことなのかもしれない。
言葉では上手く励ませないから、せめて歌でもと。
私と違って、優しい人だと心から思う。
これからあなたのサーヴァントは、あなたに対して優しくない言葉を発するかもしれないのに。
たてつづけに知らされる、嫌がらせの気配。
嫌がらせの対応には、もとを断つ以外にもう一つ、避けられないことがある。
耐えることだ。
眼前で悲劇を見せられても、焦って飛び出さず、非情に徹すること。
己はそれをこれから、己と違って非情にはなれない少女に突きつけるかもしれない。
己は何も怖くはない。
孤独を隠すのが、時おり痛いだけ。
彼が隣にいないから、寂しい。
彼が心に住んでいるから、戦える。
私が愛するものまで奪うな壊すな消してしまうなと、声をあげられる。
聖杯などに頼るまでもない。
何億何兆、那由他の先だろうと、生き死にも宇宙も通り越して、私の魂は彼に捕まったままだ。
だが、彼女は己と違って、恐ろしいだろうに。
そして、己と違って、寂しいことを隠せていないのに。
――つくづく、似ていない依頼人(マスター)から呼ばれたものだ。
【アサシン(
ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)@憂国のモリアーティ】
[状態]:健康
[装備]:現代服(拠出金:マスターの自費)、ステッキ(仕込み杖)
[道具]:ヘルズ・クーポン(少量)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)→限定スイーツ購入でやや浪費
[思考・状況]基本方針:聖杯の悪用をもくろむ主従を討伐しつつ、聖杯戦争を望まない主従が複数組残存している状況に持って行く。
1:『彼(ヒーロー)』が残した現代という時代を守り、マスターを望む世界に生還させる。その為に盤面を整える。
2:283プロダクションの包囲網について対策を取る。その為に存在Nのライダーと接触を図りたい。
3:いざとなればマスターを信頼できるサーヴァントに預けて、手段を選ばない汚れ仕事に徹する。マスターには復讐にも悪事にも関与させない。
4:『
光月おでん』を味方にできればいいのだが
5:"もう一匹の蜘蛛(
ジェームズ・モリアーティ)"に対する警戒と嫌悪。『善なる者』なら蜘蛛を制するのではないかという読み。
[備考]ライダー(
アシュレイ・ホライゾン)とコンタクトを取りました。以後、定期的に情報交換を試みます。
七草にちか(弓)と
七草にちか(騎)の会談をセッティングする予定です。
【
田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:健康、赤い怒りと青い憂欝
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わなくなっちゃった……どうしよう。
1:アイドルをやっていた方の七草にちかとそのサーヴァントに窮状を伝えたい
2:霧子、
プロデューサーさんと改めて話がしたい。
3:アサシンさんの方針を支持する。
4:咲耶を殺した奴を絶対に許さない。
[備考]
プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています
幽谷霧子に対して、皮下病院の現況のSNS情報と、今夜は病院に戻らない方がいいのではないかというメッセージを送りました
◆
アサシンのサーヴァント、
伏黒甚爾が同盟者『M』からの依頼を果たすにあたって、どうしても釘を刺さねばならない存在がいた。
依頼人(マスター)、
紙越空魚である。
283プロダクションの更なる追及が確定した時点で、考慮に入れなければならないのは
星野アイおよびそのライダーが『収獲をせしめていく』展開になることだ。
まず、
星野アイとライダーの主従は、やや無軌道なきらいこそあれ、決して愚かではない。
その決して愚かではない主従が、
神戸あさひの炎上を通して『協力者“M”の実力』――指定したマスターをいつでも社会的に潰すことが可能――を目の当たりにすることになった。
そして、こちらのマスターである
紙越空魚が必ずしも同盟にとっての利益優先で動かなくなったことも、既に露呈した。
あの二人ならば、『伏黒を介して間接的にMの恩恵に預かるより、いざとなれば伏黒を切ってMと直接に同盟した方がメリットが大きい』という算段には既にしてたどり着いていることだろう。
もしも
紙越空魚と星野アイの関係がおかしくなるのが
神戸あさひを排除しろと依頼する『前』だったならば、ここまでMの実力を派手にアピールするようなやり方は避けるように指定したところだったのだが……実際の順番が逆であった以上は仕方ない。
こうなれば、こちらは『アサシン(伏黒)を仲介せずにMを利用することはできない』という状況を維持する必要がある。
だが、
櫻木真乃はすでにして
星野アイとライダーが己の利用対象だとほぼ所有権を宣言しているようなものだ。
ここで『283プロについて調査、攻撃を行いたい』とでも星野たち側に伝えれば、『そういうことなら攻め手は
櫻木真乃と同盟している自分達が行う』と前に出てくることは火を見るより明らか。
また、ライダーからも情報提供を受けた『殺し屋の子供達』が283プロダクションを標的に定めたらしいというネタはMから受け取っている。
これを利用しようとしても、『
星野アイのライダーが子供達に詳しかった――どころか、おそらく関係者である』という一点が厄介になる。
協力関係は不可能だとしても、子供達を利用して283プロへの再襲を誘発する、ないし283プロ洗い出しのための情報提供をしようとしたところで、ライダーを通さずに事を勧めればライダー側からも子ども達側からも必要以上の反抗を受けかねないということだ。
アヴェンジャーに情報を露呈した時は判断力を疑ったものだが、今になって見ればライダーの立ち回りはバカにできたものではない。
アヴェンジャーに敢えて同盟相手をちらつかせたこと。
子供達の危険性を、関わった全ての主従に対してアピールしたこと。
櫻木真乃を管理下に置きたがった事。
行動を通して見れば、『自分を介さなければお前達の必要な行動はとれない』という状況作りに対して、常に余念がないのだ。
生前に中堅管理職でもやっていた経験があるのか、と勘繰りたくなるところだが、さておき。
先に挙げたどちらの場合であっても、ライダーたちは283プロに対してあげた功績を手土産として『自分たちの方が有益に働くことができる』と同盟の席に連なることを希望するだろう。
そのパターンは、旨くない。
いざという時に
星野アイたちのMに対する発言力が増すばかりでなく、状況の手綱を、こちら側ではなくライダー側が握ることになる。
勝ち残るにあたって必要不可欠となる、『いずれMたちの裏をかいて同盟相手をも殺しつくす』という好機が転がり込みにくくなる。
よって、現状『協力者が283プロの調査、攻撃を要望している』という情報は
星野アイたちには伝えない。
これは大前提に置く。
だが、この大前提にもほころびはある。
星野アイのライダーが根城としている業界は、おそらく裏社会の中でも『ヤクザ』に相当するジャンルだろう。
彼らに伏黒以外のパイプがあるかどうかが確定していない現状、伏黒がコネクションを繋がなくとも彼らの方から『企業とヤクザの繋がり』を介してMに触れる可能性は無きにしもあらずということ。
もしもMの陣容と接触すれば、彼らは『283プロダクションを調査、攻撃するなら任せてくれ』と申し出るだろう。そうなれば、結局は危惧していた通りのことになる。
故に、
星野アイたちを絶対にこれ以上Mと関わらせないまま事を進める為の方策は存在しない。
であれば、逆に利用する。
櫻木真乃と関わるであろう
星野アイ、283プロダクションそのものと対立するだろう子供達。
彼らをプロダクションへの『削り』として標的を消耗させ、彼らを乗り切るようであれば背後からの一撃として自ら黒幕の特定、攻撃を行う。
そして、ただ『削り』の期間に指をくわえて静観するのみである事もない。
直接的に関わってくる連中を283の黒幕が『偽の目標(ゴール)』として対応している間に、他の脆い箇所を穿っておく。
その手段として望ましいのは、具体的な功績を手土産として、『Mの陣営へと足で乗り込む』ことだ。
デトラネット本社にいるであろうMと直接に対面し、そこにいるのであればMのマスターや他の同盟者の存在を確認する。
Mの抱えている陣容の内訳次第で、どこまでの局面で利用できるのか、どこまでで相手から切られる前に切ればいいのかについてアテがつけられる。見たいのはそれだ。
故に、プロダクション内部の人間の誘拐して、『使い方はMに任せる』と引き渡すという形が望ましい。
もし誘拐するにはサーヴァントが強すぎるようであれば、偽装を凝らし情報だけでも引き抜くか、弱みを握る。
その標的は、
櫻木真乃以外から選び抜く。
元より、明日にイベントを控えているアイドルを誘拐など仕様ものなら
星野アイまでも騒動の渦中に置かれるため、『それ以外にするしかない』というのが実情ではある。
どこから選ぶかと言えば、デトラネットから手渡された『怪しむべき芸能関係者』のリストには
星野アイと
櫻木真乃をのぞいても十人前後ほどの名前と写真があった。
その写真のうちの一枚を、伏黒は
紙越空魚に提示する。
櫻木真乃に
紙越空魚本人が近づくべき理由は、もう何もないことを解いて聞かせるための説明として。
「いやいや、いくら何でもこれはあからさま過ぎて逆にないでしょ」
写真を見た、空魚の第一声はそれだった。
写真を指差す空魚の人差し指は、写り込んだ少女の肌部分にまかれた包帯を示している。
仮にこのアイドルの手の甲の下に令呪があるとしたら、予選の期間ずっと包帯を腕に巻いたままで、世間の目に触れるようなことを続けてきたというのか?
正気の沙汰とは思えない所業だ。
『手の甲に何かありますよ』というアピールをしながら多数の人眼に触れ続けるなんて、マスターだとしたら自殺志願者の類としか思えないし、『サーヴァントの方もちゃんと止めろよ』と第三者ながらツッコまずにはいられない。
まして一か月以上もの間怪我をした振りを装うなんて、聖杯戦争の関係者でなくとも指摘の嵐になりそうなものだろう、が。
「俺だって見た時はそう思ったさ。だが、当人は『こういう売り方をしています』と仰ってるんだそうだ」
「はぁ?」
事実はさにあらず。
その少女、
幽谷霧子はアイドルデビューして間もない頃から『包帯はトレードマークです』と主張しながら写真やカメラに写っていたというのだ。
もちろんそれは予選期間中の一か月に留まる期間ではなく、界聖杯の設定(ロール)として『そういうことになっていた』ものとして世間でも公認の事実となっている。
手の甲やそれ以外のところに包帯を巻いてガーゼで覆っているのが当たり前。
故に、誰も『その下はどうなっているんだ』と言い出さない。
ロールである以上、疑うことはできないが、ロールであるが故に看過されてしまっていたという一点で、彼女はリストに名前を連ねていた。
「でもこの子も、それなりに売れてるんでしょ? 誘拐したら世間的な捜索とか、面倒なんじゃないですか?」
「ところがだ、283にいるアイドルの中で、この娘だけは世間の注目を集める心配がない。絶対にない」
リストから彼女に眼をつけた理由は、それだった。
「なんでまた」
「居住地が皮下病院なんだよ。で、そこの院長もマスターじゃないかってネタが協力者から上がってる。
そこにタイミングよく病院が襲撃されたってニュースだ。もう確定だろ。
保護者が被害届を出さないんなら、誘拐事件に発展しようがない」
寮監としての監督不行き届きを世間から咎められないためにも、病院施設の破壊を受けて対応の余裕がないだろうという意味でも、皮下病院は誘拐されたことを明るみにしない。
もし病院の方でも283プロダクションを疑っていたならば、283が
幽谷霧子を病院から匿っていると誤認してくれる可能性もある。
そうなったときは、皮下病院の方から勝手に、283プロへの追及の手を厳しくしてくれるというわけだ。
「だから、今夜はしばらく出る。
幽谷霧子を本命にするか、削りに使ってる連中が本命に回ってくるかはその時しだいだが、一つ言っておくぞ」
立ち上がり、見下ろす。
当初の用件であり、そしてここまで長々と語った目的である『釘』を刺しこむ。
「もし283プロダクションにお前からアプローチするような事があれば、同盟者経由でもそれ以外でも、
仁科鳥子について手に入った情報はお前に教えない」
天与呪縛は、聖杯戦争の絶対的
ルールである『令呪』についても適用される。
それは、
伏黒甚爾が表立ってマスターに逆らったところで、マスターは命令で縛ることができないという結果をもたらす。
「……なんでですか。あなたに自分の願いは無くて、私の依頼のために戦うって言ってたのに」
「暗殺者に、護衛の依頼なんて専門外だ。ついでに、ころころ依頼の中身をすり替えられても対応する余地なんて無いだろうが」
今までで最も感情的な――どうにかして否定したいという意地の宿った眼光に見上げられた。
そんな眼を向けられたところで、存在を否定されることについては慣れを通り越している。
だが。
「殺すだけの男として、一つ忠告するぞ」
こいつは、『誰かを否定できる』程度には自分を上等な存在だと思えているんだな、と理解したので。
「生き延びたかったら、自分も、他人も、尊ぶな」
仮に
仁科鳥子とやらがいなければ、その自己肯定も無いのだろうと思いながら言い切った。
紙越空魚は、ひるまずに答えた。
「鳥子が尊くないなら、生き延びたって私の人生は零点だ」
正解。
この女をイカレきれてない存在にさせたのが何者なのか、それが当たった。
その人間がいなければ零点だったと断言するような、つまらない人生が先にあり。
無い無い尽くしだった掃きだめの中から、あるものだけで組み上げた部品によってつくられた人でなしと自己認識して。
他人は要らず、己を満たそうという欲なんてもっと要らない、一人だけで完結するはずだった人生。
――これまでたいそうさんざんな目に遭ったけれど、この女に会えたのだから自分の人生を肯定してやってもいい。
そんな想いをとっくの遠くに廃棄してきたのが
伏黒甚爾で、現在進行形でそう思っているのが
紙越空魚だ。
――つくづく、似てない依頼人(マスター)から呼ばれたもんだ。
【世田谷区・空魚のアパート/一日目・夕方】
【
紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:健康、憤慨
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ@現実
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を探す。
0:どうするか―――。
1:『善意で鳥子探しをしてくれる』協定を結ぶために、アイ達の介在しない場で
櫻木真乃と接触したかったけど、ダメになった。
2:アイ達とは当分協力……したかったけど、どう転ぶか分からない。
【アサシン(
伏黒甚爾)@呪術廻戦】
[状態]:健康
[装備]:武器庫呪霊(体内に格納)
[道具]:拳銃等
[所持金]:数十万円
[思考・状況]基本方針:サーヴァントとしての仕事をする
1:マスターであってもそうでなくとも
幽谷霧子を誘拐し、Mの元へ引き渡す。それによってMの陣容確認を行う。
2:
仁科鳥子の捜索はデトネラットに任せる……筈だったんだがな。
3:ライダー(
殺島飛露鬼)やグラス・チルドレンは283プロおよび
櫻木真乃の『偽のゴール』として活用する。漁夫の利が見込めるようであれば調査を中断し介入する。
4:ライダー(
殺島飛露鬼)への若干の不信。
5:
神戸あさひは混乱が広がるまで様子見。
[備考]※
櫻木真乃がマスターであることを把握しました。
※甚爾の協力者はデトネラット社長"四ツ橋力也@僕のヒーローアカデミア"です。彼にはモリアーティの息がかかっています。
※
櫻木真乃、
幽谷霧子を始めとするアイドル周辺の情報はデトネラットからの情報提供と自前の調査によって掴んでいました。
[全体備考]
①【一日目・夕方】に、
神戸あさひは新宿区・皮下病院の近隣小学校に出現したのではないかと思わせる書き込みが投稿されています。
②新宿区の住民から通報を受けて、【一日目・日没】の開始前後頃に、警察の公式アカウントより『
神戸あさひ少年が手配されるべき事件はない』との公表および拡散があります。
時系列順
投下順
最終更新:2022年01月08日 19:06