758人。
それが何の数字かと問われれば、今しがた失われた命の数だ。
鬼ヶ島という死地に取り込まれ、覚醒という婉曲な死刑宣告を受け。
大看板という三体の怪物の糧となった無辜の市民達を示す数値。
「ま、医療の発展には犠牲はつきものだよな」
惨事を引き起こした張本人、
皮下真はこれまでと何も変わらない軽薄な笑みを浮かべた。
仮説は再現性を得て、経過は良好。
これまで固有結界の中でしか活動できなかった大看板達は霊基を向上させ、
結界の外でも自由に活動できるだけの魔力を蓄えた。
今後は、大看板達も駒の一つとして盤面に出せる。
これは従えるサーヴァントが一気に四体に増えたような物だ。
優勝に向けて大きく前進したと言ってもいいだろう。
更に、ここ一時間での成果はそれだけではない。
カイドウに念話を飛ばし、興味深い話をいくつか耳にした。
これについては後で調べる必要があるだろう。
そして極めつけは―――、
「君もそう思うかい?梨花ちゃん」
皮下は、同盟者の協力もあり脱出派のマスターを捕虜にする事に成功していた。
未だ気絶したまま目覚めない
古手梨花と名乗った少女。
界聖杯が手塩にかけて集めた可能性の器の本家本元。
それがどれだけ優秀な実験動物(モルモット)となるか…実に楽しみだった。
皮下は先ほど切り落とした梨花の腕を弄びながら、もう片方の手で支える少女の耳元で囁く。
「薬漬けにして色々吐いてもらった後、色々弄り回させてもらうわ。
未来の平和の礎になれるんだ、平和の使者の冥利に尽きるだろ?」
前提として。
古手梨花の状況は詰んでいる。
絶対の命令権たる令呪は右腕と共に失い、頼みの綱のセイバーは敗走し重症の身。
そして彼女を捕らえたのが生粋の人でなしたる皮下なのだから致命的だ。
三十分後には苛烈な拷問と梨花の体を用いた実験が始まるだろう。
仮に武蔵が数時間後に救出に来たとしても、その頃にはとうに廃人になっている。
それが奇跡を求めた少女の末路。彼女一人では変えようもない一つの結末。
「……そいつが件のマスターか」
早速皮下が診察室(ごうもんべや)に招待した時だった。
こつりと背後で足音が響いたのは。
上機嫌な笑顔そのままに振り返ると、同盟者である不治の否定者とその従僕がそこにいた。
憮然とした表情で自分を見やる
リップに、皮下は笑みを崩すことなく労う。
「おう、リップ。アーチャーちゃん、お疲れさん。二人のお陰で助かったよ」
皮下の労いの言葉にリップは答えない。
その視線はずっと彼に抱えられた少女の方に向けられていた。
そして、皮下の持つ切り落とした梨花の腕と、少女を交互に見ながら短く尋ねる。
「…そのガキの令呪はどうした」
「ん~御覧の通りだが」
皮下はそう答えながらちぎれた人形の腕を弄ぶように、ぷらぷらと切り離された少女の腕を揺らす。
切り離された上にさんざん踏み躙られたその腕は見るも無残な物だった。
令呪もこれでは使い物にならないだろう。
それを見てわざとらしく溜息を吐くと、リップは追及を開始する。
「残しておけばセイバーを傀儡にするなり自害させるなりできただろうが」
「えっ、いや、うん。確かにそうだけどさー…令呪で向こうのサーヴァント呼ばれたら
おっかないだろ?リスクヘッジって奴だよリスクヘッジ」
「何のために俺のアーチャーが骨を折ったと思ってる」
「あー…いやー…まぁ、その。正直すまんかった。埋め合わせはさせてもらうよ」
指摘から話を逸らすように、皮下はシュヴィの前にしゃがみ込む。
「今回のMVPはアーチャーちゃんだ。何か欲しいものがあったら用立てるさ。
頼まれてた例の薬の量産も取り掛かるし、パフェでも何でも食べたいものがあれば――」
「ううん…いらない、でも」
まるで優しい兄の様な声色で機械の少女の機嫌を取ろうとする。
しかし、シュヴィは皮下の提案には乗らず、静かに首を振った。
そして、その代わりとして、皮下が抱える少女を指さした。
「その子が……欲しい」
これには皮下も「は?」と疑問の声が漏れる。
自分にとって古手梨花の身体から得られる情報は正しく宝の山だ。
だが、目の前の少女がこんな令呪も失った無力なマスターを手に入れて如何するのか。
そのまま視線をスライドし、彼女の主へと移す。
主にも話は合わせているのか、リップの目にシュヴィの要求に対する驚きは無い様子だ。
そのまま自らのサーヴァントの要求を汲んで、皮下に重ねて告げる。
「聞いた通りだ。埋め合わせというなら、そのガキの身柄は俺達が預かる」
「貴重なサンプルだ。直ぐに頷く訳にはいかねーな。目的を聞こうか。
単にこの子を哀れに思ったってんなら、却下させてもらうぜ」
皮下にとっても梨花の体は貴重な資源であり戦利品だ。
すぐさま渡す決断はできない、そう考えての問いかけだった。
そんな彼の問いかけに、返された返事は早かった。
リップではなく、シュヴィが先んじてその返答を返す。
「貴女と…同じ。可能性の器の……調査。私の……『解析』の、精度は……
貴女よりも……ずっと精度が高い…合理的」
言ってくれるねぇと、苦笑いを禁じ得ない。
確かに皮下の調査よりも、シュヴィの解析の方がより早く、より精度の高い情報が得られるだろう。
悔しいが、そこは認めざるを得ない。
しかし、まだ反論の余地はあった。
「うーん、しかしなー…梨花ちゃんに対する尋問はどうする?
アーチャーちゃん、そういうのに向いてないだろ?だから代わりに俺が―――」
「尋問は俺がする、不治の能力を使ってでもな
腕を切り落としたお前が相手じゃ話すものも話さないだろう」
僅かな反論の余地だったが、すぐさま潰された。
確かに、リップの“不治“の能力は尋問に向いている。
その力を持つ彼が直々に尋問を行うと言われれば、断るにも苦しい。
「……他意は無いんだな?」
「当たり前だ。生憎こっちを消しに来る可能性のある相手に慈悲をかける趣味は無い」
「いやそうじゃなくて、アーチャーちゃんと言い梨花ちゃんと言いおまえひょっとしてロリコ―――うおおおっ!?」
言い終わる前に皮下の顔面に磨き上げられたメスが飛来する。
刺されば再生の開花を有する皮下ですら決して癒えない傷をつける刃が。
それも一本だけ、ではない。
ダーツの的に投げる様に、避けた先へと二本三本と次々に飛来してくる。
「ちょちょちょ、お前のは洒落にならな―――待て待て待て話せばわかる!
ほんとに待てって!!分かった分かった俺が悪かった!
幾つか条件はあるが、それさえ飲めるなら梨花ちゃんは好きにしろ!」
「…条件を出せる立場か。何ならこっちはお前を殺して奪ったっていいんだ」
「まぁ焦らず聞けって。どれもそう大した話じゃない」
白衣にメスが何本か刺さり、冷や汗を垂らして、皮下はリップの要求に折れた。
三本指を立てて、目の前の天敵を宥める様に条件を提示していく。
「一つ、尋問で得た情報は俺に共有してくれる事。
二つ、尋問が上手くいかない様であれば俺と変わる事。これはまぁ、当たり前だな」
前述の通り、皮下の出した条件は当然と言ってもいい容易な物だった。
リップが皮下の立場でも同じ要求をしただろう。
今提示された条件については彼もまた、異論はなかった。
それを確認した後、皮下の白衣の下から一台のタブレット端末が取り出される。
それとともに、最後の条件が提示された。
「最後に、またアーチャーちゃんに仕事を一つ頼みたい」
「見ての通りアーチャーはお前を守って療養中だ。荒事なら自分の手足を動かせ」
「そんなんじゃないって、ただちょーっと、デトネラットの社長について調べてほしいだけさ」
デトネラットと言えば、このひと月でリップも耳にしたことがある程の大企業だ。
調べろ、という事はその会社の関係者がマスターなのか?
リップはそう予想したが、続く皮下の返事は予想外のモノだった。
「さっき念話で聞かされたんだが、総督たちがそのデトラネットの本社に襲撃をかけてな、
ビルは焼き払ったが、そこにいたサーヴァント達に追い返されたみたいだぜ」
「…それが本当なら、お前が頼りにしてるあのライダーも存外大したことなかったようだな」
「総督はほとんど無傷みたいだけどな。で、だ。そのデトネラットを根城にしていたサーヴァントの集団の中に、どうも社長室に居た奴がいるらしい。
どうだ?ここまで話したらお前も気になって来ないか?」
「……」
確かに、あの皮下のライダーすら退けたサーヴァント達の連合ともいうべき集団がいるなら気になる所だ。
そんな戦力を抱えている集団のバックに大企業の社会力が付いている可能性は無視できない。
戦闘力と権力の完璧さで言えば大和が遥かに勝っているだろうが、根本的には孤軍であるリップにとって厄介なことには変わりない。
「敵は大和や283だけじゃない。厄介な連中の尻尾は早いうちに掴んでおく、合理的だろ?」
「……それで、アーチャーに何をさせるつもりだ」
「デトネラットのバックアップサーバーにハックして、社長周辺の情報を洗ってくれ。
通話記録やら、メールの履歴、周辺の監視カメラの情報とかも欲しいな
アーチャーちゃんなら朝飯前の仕事だろ?」
その要請に、無言で自らの弓兵へと視線を動かす。
瞳だけで「できるか?」と問いかけられたアーチャーの少女は無言でコクリと頷いた。
そして、皮下から手渡された彼女からしてみれば骨董品どころか化石に等しいレベルの端末を中継してハッキングが始動する。
結果は直ぐに出た。
ここひと月のデトネラットの社長へと向けた通話記録やメールの履歴に、怪しい物がないか抽出するだけの簡単な仕事だ。
世界的有名企業(らしい)デトネラットのセキュリティは現代における最高峰のモノだ。
だが、電子戦の女王たるシュヴィにとって現代の最高峰など子供の手慰みにも等しい。
どれだけのセキュリティや暗号化で防衛しようと、たかが21世紀の科学技術で機凱種の解析体(プリューファ)たるシュヴィの目を誤魔化せるはずもない。
「おー…こりゃすげえ、デトネラットのハゲ社長だけじゃなくて大手ITから出版社。
果ては政治団体まで抱き込んでるのか、手広くやってんなー」
そうして出た解析結果は、まず間違いなくクロだという事。
それもただの黒ではない、敵手は想定以上に手広くこの社会に巣を張っている様だった。
通話記録やメール履歴から推定マスターと“覚醒者“容疑者を割り出していくと、
名だたる大手企業の取締役や役員がぞろぞろと羅列された。
峰津院が表社会の支配者ならば、この連合の元締めは裏の支配者と言えるだろう。
社会戦という土壌で言えば、皮下ですら及ばない。
まさしく峰津院と並ぶ最強と呼べる主従だろう。
その上、皮下の召喚した大海賊のライダーと並ぶ女海賊を撃退するだけの暴力をも有している。
楽観視できる相手では当然なかった。
「割り出したのはいいが、これだけ広範囲に巣を張ってる奴を相手にどうするつもりだ」
上機嫌そうにシュヴィより転送された音声データや通話履歴に目を通す皮下に冷ややかな声をかけるリップ。
兎角連合の盟主がこの一月で構築したであろうネットワークは広範囲に過ぎる。
葉桜の兵隊にでも襲撃をかけさせてもいいが、一つ一つ襲撃していたらキリがない。
また自分が聖杯戦争に関わっていると知らないデコイ役の
NPCも相当数用意されていることを考えれば、鼬ごっこになるのがオチだ。
かといって、放置するには危険すぎる戦力でもある。
大企業の複合体を裏で支配し、四皇すら退ける戦力の持ち主を相手取るにはリップや皮下単騎では余りにも心もとない。
しかし、そんな難敵を相手にしているというのに、皮下の態度は涼し気だった。
「俺達は所詮日陰者だからな。餅は餅屋って奴だ。
東京中に巣を張った蜘蛛を退治するのに相応しい白の騎士(ホワイトナイト)様はもういるだろ?」
ひらひらとその手の端末を振りながら、皮下は軽薄に笑った。
画面に映っているのは、彼にとって怨敵ともいえる相手。
この街の表の支配者にして、裏の支配者である連合の盟主ですら及ばない権力者。
峰津院大和が動画をアップロードしたSNSのアカウント。
そこのダイレクトメッセージ欄に、今しがた手に入れたデータを纏めてぶちまける。
―――『煮るなり焼くなりお好きなように』そう綴って、投稿ボタンをタップした。
無論の事、DOCTOR.Kのアカウントを介して、だ。
「……大和の奴はお前の仕業だって気づくだろ、乗ってくると思うか?」
「大和が感情よりも利を獲れる男ならな。峰津院の権力を使うだけで厄介な陣営の社会的戦力を根こそぎ崩せるんだ。ローリスクハイリターンでどう考えても旨い話だろ?」
これがもし大和本人を誘導しようものなら即座に彼の男はその狙いを看破し、皮下の思惑を上回ろうと動くだろう。
だが、覚醒したNPCを潰すだけならば大和本人が動く必要はない。
デトネラットも巨大企業ではあるが、峰津院財閥に比べれば赤子と大人だ。
その権力を以て踏み込むなり監視なりしてくれれば、周辺の蜘蛛の巣を一気に封じ込めることができる。
その上でデトネラットに巣食う勢力を始末してくれれば万々歳だが、流石にそこまでは期待しない。
あくまで情報をリークするだけで大和に決定権(キャスティングボード)を委ねる。
例え大和が乗って来なくとも、皮下とリップに損はない。
「………仕事は終わりだ。古手梨花の身柄は俺が預かるぞ」
リップの表情は晴れない。
また一つアドバンテージを積み重ねたはずなのにも関わらずだ。
シュヴィの情報収集能力は圧倒的だが、彼女の解析能力でも東京中の通信回線を一つ一つ検分していくのは骨が折れる。
というより、かかる時間を考慮して決してしなかっただろう。
リップだけなら辿り着くことができなかった情報に、皮下の協力で辿り着いた。
けれどそれは。
結局のところ、皮下の舗装した道を走っているのではないか。
そんな危機感が募っていくのだ。
「腕も寄越せ。繋げてみて令呪が使い物になるかどうか試す、お前の設備も借りるぞ」
「注文が多いなぁおい。令呪使われてあの怖い女侍が出てきたらお前が責任とれよ?」
「そうなる前に不治を使う。いいからお前はさっさと俺の要求するものを渡せ。
交換条件で先に要求に応えたのは此方だろうが」
「へいへい。サービスで貸しといてやるよ。その代わり尋問はしっかり頼むぜ」
やれやれと肩を竦めて、皮下は梨花の体を乱雑に投げ渡す。
それを受け止めながら、リップはあらかじめ調べておいた皮下の研究設備のある部屋へと向かう。
それを見送りながら、皮下は出来の悪い教え子を見る様な笑みで独り言ちた。
「甘い奴だねぇ、つくづく。ま、お陰で制御しやすいけどな」
◆
意識がうっすらと覚醒して。
まず最初に感じたのは、右腕に走る強烈な違和感だった。
痛みは無いけれどそれでも強烈な疼きは強制的に少女の意識を眠りから呼び覚ます。
そうして、古手梨花が目を覚ますと。
金の髪に眼帯の男と、長い黒髪の自分と同じくらいの年齢の少女が立っていた。
「……ッ。此処、は……」
脳に鞭を打つようにお
ぼろげな意識を覚醒させ、周囲を伺う。
目の前の男と少女の背後の景色は、どう考えても自分の知る自宅ではない。
それを認識すると同時に、意識を失う前の記憶が蘇ってきた。
そうだ、私は皮下に捕まり、右腕を切り落とされて―――と。
「目が覚めたか、右腕の調子はどうだ」
眼帯の男の問いに、意識が斬り落とされた方へと向く。
ゆっくりと視線を傾けると、喪われたはずの腕がそこにあった。
二度、三度、握りこぶしを作ってみる。
軽い痺れのような疼きはあるものの、動かすのに支障はなかった。
踏み躙られぐちゃぐちゃになった筈の令呪の刻印も復元していた。
一画、消費されている様だったが。
「……貴女は?」
「聖杯戦争の参加者だよ。お前と同じな」
「そうじゃないわ。名前よ名前。この腕を繋げてくれたのは貴方でしょう?
お礼くらいは、言わせて頂戴」
「…リップだ。礼は必要ない。その腕を繋げたのもお前を利用するためだからな」
リップ、と名乗った男の声は、感情を一切感じさせない冷淡な物だった。
本能的に危機感を感じ、体を起こそうとした梨花の耳朶に金属の鎖の音が響く。
音の方を見てみれば、自分の片腕と片足は頑丈そうな鎖で拘束されていた。
それを見て、助かったのではなく、やはり虜囚の身であることを彼女は理解した。
「状況が飲み込めてきた所で―――令呪を使ってもらうぞ」
少女が事態を飲み込んできたのを察すると、リップは静かにしゃがみ込み。
梨花の首筋に、鋭利なメスを添えながら令呪を使えと静かに命じる。
それが脅迫であることは、誰の目から見ても明らかだった。
「………」
「行っておくが、もしサーヴァントを呼ぼうと考えているならやめておくことだ。
この状況ならお前が言い終わる前に、俺がお前の首を掻き切る方が早い」
「……ッ!!」
リップの制止は的確な物だった。
事態が飲み込めてきた梨花がまず考えたのは、蘇った令呪による離脱だったのだから。
だが、首筋に刃物を当てられた現状では既に難しい。
更に、リップは容赦なく脅迫時の切り札を彼女に提示した。
即ち不治の否定能力。
決して消えない傷をその身に刻み付ける、アンリペアの呪いを。
「腕を繋げるときに仕込みはさせてもらった。
もし令呪を使って逃げおおせたとしても俺は不治を発動する。
そうなれば右腕から大出血。お前の命は保って一時間程度だな」
切り落とされた右腕を繋げるのはそう難しい事ではなかった。
元外科医であるリップと、機凱種のシュヴィの知識。
皮下の有する医療・研究設備と地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)
これだけ揃えば切り落とされた右腕を繋げ、元通り動かせる程度に回復させるのは訳はなかった。
丁度、時を同じくして。
破壊の魔王が損傷の激しい片腕を見事に復活させたように。
だが、それは梨花にとって決して朗報であるとは限らない。
代償として、その身に決して消せない否定の理を刻まれたのだから。
「信じないならそれでもいいが、俺の要求を飲まないのなら…お前を皮下に引き渡す」
梨花の脳裏に、ついさっき自分の腕を切り落とした男の顔が浮かび上がる。
にこやかな笑みを浮かべて、自分の仲間をごみの様に殺した皮下真という男。
あの男に引き渡されれば、間違いなく凄惨な最期を迎えることになるだろう。
「奴は一切の容赦をしない。一時間もすれば薬漬けにされて何もかも奪われるぞ。
皮下の話じゃ多少痛みに耐性はある様だが、特殊な訓練を受けていなければ薬物と拷問には人の体は耐えられない。そういう風にできてるんだよ」
どれだけ良識や精神力を有していようと。
特殊な訓練を受けていない常人では薬物と拷問には耐えられない。
人の体とはそういう風にできている。
道を踏み外してから、嫌というほどそんな光景を見てきた。
そして、皮下の手に渡れば梨花を待っているのはそんな悲惨な末路だ。
セイバーが救助に来ても、その頃にはとうに廃人になっているだろう。
「……それで、引き渡されたくなければ貴女の命令に従えってこと?」
「選ぶのはお前だ。皮下の実験動物にされても、正気を保つ自信があるならそうしろ」
どこまでも冷酷に、冷淡に。
努めて声色から感情を消し去り、リップは梨花の目の前にスマホを突き出す。
そこに映っていたのは、実験動物(モルモット)にされた二人の少女の末路だ。
金と黒の髪の少女が獣のような声を上げて壊れていく阿鼻叫喚の実験記録。
梨花が目覚める前に、リップが生き残った皮下の研究設備からサルベージした代物だった。
主に園崎詩音の手によって拷問には慣れているはずの梨花ですら、心胆を凍り付かせるに十分な光景だった。
「……私に、どうしろと?」
青ざめた顔で、冷や汗をとめどなく流しながら。
気づかぬうちに、縋るような声で尋ねていた。
要求をつっぱねる気力はとうにどこかに行ってしまっている。
此処で逆らった所で死ぬか、死より辛い地獄を味合わされるのは明らかで。
最早自分に選択肢は無いのだと、少女は悟らずにはいられなかった。
そんなおびえた様子の少女に対して、それでも男は冷酷に命じる。
「先ずは取り戻した令呪でこう命じろ、『リップとそのサーヴァント…アーチャーの指示に従え』ってな」
リップの要求は、梨花主従の隷属だった。
不治の権能により梨花がリップに危害を加えることは最早できない。
それすらも治療行為と判断されるためである。
それに加えて、支持という形でサーヴァントからの攻撃さえ封じてしまえば完全に少女と女侍の主従はリップ達への対抗手段を失う。
それは梨花にも直ぐに理解できる事実で、言葉に詰まる。
だが、リップはそんな彼女の逡巡を許さない。
「どうした。元々俺がいなければ喪っていた令呪だろ。それともやっぱり皮下を呼ぶか?」
「……ッ!!分かった…わよ。使えば良いんでしょう。使えば!!」
殆ど自暴自棄といった様相で、梨花はリップの要求に屈した。
その選択は、少なくとも現状の彼女が生き残る唯一の選択肢だった。
皮下に引き渡されれば、どう転んでも脱落が確定してしまう。
それならば、目の前の眼帯男に与する方が望みはわずかにだが残る。
梨花とセイバーでは決してリップに対抗できなくなるが、他の主従が彼を倒す可能性や戦うことなく脱出が叶う可能性も無い訳ではない。
問題は、それまでに梨花達が使いつぶされていなければ、だが。
「セイバー…令呪を以て命じるわ…『リップと、そのサーヴァントの命令に従いなさい』」
言い終わると同時に、少女の手の甲から令呪の紋様が一画分消費される。
此処にはいないセイバーがどんな反応をしているかは分からない。
だが、最低でも自分が生きている事と、令呪が使用できる状態である事は伝わっただろう。
それを考えれば決して無駄ではない。後者の状況はどれだけ維持できるかは分からないが。
「……私とセイバーに何をさせるつもり?」
せめて視線だけは気丈にリップを睨みつけ。
指示に従えなんて命令を行った真意を少女は問う。
令呪は内容の具体性が上がるほどにその効力も向上する。
単に攻撃されたくないなら攻撃の禁止だけを命じた方が効果は高いはずだ。
そんな彼女の疑問に、リップは簡潔に答えた。
「簡単だ。皮下真か峰津院大和…こいつらの主従を刺す時にお前達には無条件で協力してもらう」
その言葉に、訝しむ様に眉を顰める梨花。
「貴女と皮下は仲間というわけではないの?」
梨花からすればリップという男は、皮下の仲間だと思っていた。
いや、同じ聖杯戦争の参加者であることを考慮すれば競争相手ではあるのだろうが。
それでも密かに暗殺を目論むほど剣呑な間柄であるとも思っていなかった。
そんな思考故の問いかけだったが、変わらぬ簡潔さでリップは語る。
『今は奴と同じ方向を向いているが一時的な物。好機が訪れ次第始末する予定だと』
(………みー。つまり、このリップという男は…)
自分を皮下に対する伏兵として使いたいのだろう。
隠し玉と言ってもいい。
その時梨花は、皮下の会談の際現れた少女のサーヴァントを想起した。
もし、リップのサーヴァントがあの機械の少女のマスターであるならば。
セイバーと交戦したであろう彼女が、セイバーの剣の腕を報告し、
マスターである彼が目を付けたのだろう。
だからいずれ来る皮下との決戦に備えて自分を引き込もうとしているのだ。
(それなら……)
まだ、命運は尽きてはいない。
恐怖と絶望に光彩を失いかけていた瞳に、再び焔が灯される。
「皮下の脱落はお前達にとっても損は無いはずだ」
「分かったから、刃物を降ろして頂戴。今更逃げたりなんてしないわ」
先ほどよりもいくらか冷静になった声で、首筋のメスを降ろすように乞う。
ともすれば己の立場が分かっていない受け取られかねない要求だった。
だが既に令呪は使用させたため、リップは特に異を挟まずメスを降ろした。
そして、最後の要求を迫る。
「よし、次だ。次はお前のセイバーを令呪で回復させろ、今回に限り、な」
その命令は、梨花にとって予想外のもので。
先ほどの要求はリップにとって利になる物だったが、これは違う。
何方かと言えば、梨花の方が得るものが大きい命令だった。
「勘違いするなよ、いざという時に使い物にならないんじゃ意味がない。
お前のセイバーは俺のアーチャーに惨敗で逃げるのがやっとの体だったらしいからな」
アーチャーの報告では、交戦したセイバーは間違いなく重症を負っているとの事だった。
核攻撃も核やの火力と、霊骸と呼ばれる霊基すら犯す毒を受けたのだから当然だ。
幾ら腕が立っても、青息吐息のサーヴァントではあの怪物のライダーには鉄砲玉にすらならない。
肉壁程度ではリスクを冒して手駒にする意味がない。
それ故にいったん復調させておく必要があった。
無論、効果は単発にしておく。
その方が回復し続ける命令よりも効果が期待できるというのがシュヴィの言だった。
「分かったわ…セイバー、令呪を以て命じるわ。『一度だけ、体を回復させなさい』」
命令と共に、梨花に宿った最後の令呪の紋様が消えて失せる。
切り札たる令呪が全て消えた右手の甲を眺め忸怩たる思いを抱くものの、
出し惜しんだところで抱え落ちするだけだったと無理やり自分を納得させる。
「……それで、次は歌でも歌えばいいのかしら?」
紋様の消えた握りこぶしを作りながら、リップに尋ねる。
令呪を失った彼女に対して、リップの次の要求は至極予想通りのモノだった。
即ち、脱出派の情報を吐け、という尋問。
特に、件の脱出宝具を有しているサーヴァントとそのマスターについては絶対に吐いてもらうと、男は低い声で宣言した。
「―――仲間を売れっていうの」
「義理立てするのは結構だが、それなら折角繋げた右腕にお別れするんだな。
残念ながら皮下も俺がただで腕を繋げてやる慈善家じゃないのは知ってる。
『情報を渡す代わりに右腕を繋いだ』…筋書きには従ってもらうぞ」
食ってかかる梨花に対して、リップの態度はあくまで冷淡なままだ。
一切の感情を排除した瞳で「それに」と続く言葉を紡ぐ。
「喋らないなら聖杯を目指す連中全員、合意の上での283狩りが始まるぞ。
放って置いたら全員死ぬかもしれないんだ。誰もお前たちの味方はしない」
実際は割れた子供達の暴虐によりNPCのアイドル達は殆どが命を散らしているのだが。
当然二人には知る由もない。
ないからこそ、梨花は苦渋の決断を迫られる。
令呪の使用はどう転ぼうと影響は梨花個人で完結している。
だが今回は違う。
彼女の選如何では、死人の数が一気に跳ね上がる。
―――どうする……!!
もし喋ってしまえば、脱出派への合流は最早絶望的だ。
客観的に見れば梨花は命惜しさに情報を売り飛ばした裏切者でしかない。
だが、もし黙秘を続ければリップは容赦しないだろう。
殺されるか、それとも皮下に引き渡され拷問の末情報を結局引き出されるか……
いずれにしても、待っているのは確実な破滅だ。
行くも地獄、退くも地獄。
岐路に立たされた彼女に、否定者の青年は選択を迫る。
「もし喋るなら目標以外の283関係者への攻撃は控えさせたり、
何なら保護するように皮下に持ち掛けてもいい。これなら283にとっても悪い条件じゃない筈だ」
実際は体のいい人質になるだろうがな、という言葉は飲み込む。
だが、その提案の効果は絶大だと、言葉にしなくとも彼女の反応だけで分かった。
正しく、地獄にたらされた蜘蛛の糸だ。
追い詰められた少女にとって縋りたくなる一縷の希望。
それが虚構でしかないことを承知の上で、それでも迷わず不治の否定者は持ち掛けた。
「…………」
静寂が場を支配する。
文字通り古手梨花という少女の運命を決する決断だ。
直ぐには答えられない。
だが、リップはそれでも答えを求めた。
皮下を討つ話を聞かせた以上、彼女の選択を聞かなければ安心できないから。
「……一つだけ、聞かせてちょうだい」
絞り出すような声だった。
焦燥をと緊張を露わにした、僅かな光彩を湛えた瞳で少女は問う。
「貴女は皮下のやっている事に…いいえ、この世界に納得しているの?」
凛と、鈴のなるような清涼な声が静寂を破った。
焦燥と、絶望と、逡巡と、不運や不条理に対する嘆きを顔に浮かべて。
問いかける少女の瞳には、それでも諦観は宿っていなかった。
「その質問と俺の命令に何の因果がある」
「命を握っている相手の事を知っておきたいのは人情ってものじゃないかしら」
ふっと、どこか自嘲するように。
梨花はニヒルにほほ笑んだ。
彼の言う通り、これから彼女が下す決断と直接的な因果関係は無いのだ。
それでも問わずにいられないのは、きっと選んだ選択に対するささやかな納得のため。
「―――知って何になる。俺の心変わりを期待しているならやめておけ
目指す場所が違う以上、俺達の道が交わることは無い。知っても虚しいだけだ」
「虚しい、と思ってくれるのね」
この男は皮下とは違う。
返答が帰ってきたとき、梨花は感覚的にそう思うことができた。
自分の腕を切り落としたあの桜の魔人は虚しいなどとは思わないだろうから。
ただ事実を受け止めて、その上で軽薄な笑みを浮かべるのだろう。
だけど目の前の男は、リップは、虚しいといった。
分かり合えないことは、理解しあえない事は虚しいと。
都合のいい解釈であることは分かっている。けれど、そう思いたかった。
勿論、それだけで一緒に歩めるだとか、味方に引き込めると思うほど己惚れてはいない。
だけど少なくとも会話はできる相手だと、抱いたのはそんな印象だった。
「下らない揚げ足を取るな、俺は―――」
「貴女、何だか知り合いに似ているわ。本当は一番この世界に納得できていないのに。
それでも歯を食いしばって、無理やり鬼になろうとしてる」
リップを上目遣いに見つめて、そう告げる少女の雰囲気は。
彼にとって本当に先ほどまでの少女と同一なのかと思うほどの変化だった。
纏うモノが明らかに違う。
ただの子供の雰囲気でないことは明らかだ。
子供の姿はそのままに、まったく別種の生物に変わった様な、そんな錯覚を覚えた。
「……それ以上囀る様なら、皮下に引き渡すぞ」
「分かってるわ。知りたいことはもう知れたもの」
返事こそ帰っていないものの。
今のやり取りだけで、梨花には十分だった。
そして、腹を括る。
リップの人となりを僅かなりでも知った今、賭けに出る覚悟を決める。
自分の失敗で窮地に追い込んでしまった彼女達のために。
少しでも時間を作ることが、今の自分の役目だと、彼女はそう考えていた。
思案していたのは皮下の拠点にたどりつく前。
もし交渉が決裂し、自分が下手を打った時のために練っていた論理(ロジック)。
文字通り一世一代の大芝居。失敗すればリップは自分を容赦なく始末するだろう。
だが、彼が私とセイバーの主従を手駒にする価値はあると認めてくれているのなら。
勝算は僅かながらあると、彼女は踏んでいた。
「………貴女達が一番知りたがってる情報について教えてあげる」
少女の瞳が、紅く煌めいた。
◆
時間は、僅かに巻き戻る。
少女が、最後の令呪を使用したのと、同時刻に。
彼女にとっての一縷の希望が目覚める。
「……つ、梨花ちゃんッ!!!」
古手梨花のサーヴァント。
宮本武蔵は目覚めて直ぐに、自分の状態を確認した。
此処は何処だ?
自分はどれだけ気を失っていた?
疑問に突き動かされるように周囲を確認すると、そこは現代人ではない武蔵には馴染のない、仮設の医療用テントの中だった。
新宿で行き倒れていた所を、被災民と誤認され、此処まで連れてこられたらしい。
「アナタ!だめですよ勝手に起き上がっちゃ!!」
医師と思わしきNPCの制止の声も無視して、脇目もふらずにテントの外へと飛び出す。
気を失ったときには血に塗れていない部分を探す方が難しかった五体が動いた。
体中を覆っていた火傷もなく、撃ち抜かれた傷跡も修復されている。
ダメージ自体は残っているが、ある程度緩和されているし、これならば戦闘も可能だ。
明らかに自然な時間経過ではありえぬ快癒。
ここまでくれば、間違いない。
自分の現在の主は、令呪を使用したのだ。
(けど、私がまだ呼ばれてないって事は…!)
梨花とのレイラインは未だ切れていない。
加えて、令呪を使ったという事は少なくとも令呪を使用できる状態という事だ。
だが、決して楽観視はできない。
今自分が彼女の元へ呼び出されていないという事は。
以前梨花は捕らえられた猫箱の中という事なのだから。
しかも、漲る魔力とは別種の強制力が働いていることも感じる。
令呪によって違う命令が下されていると見るべきだろう。
そんな中、今自分が動くべきは―――、
(……あの、灰のライダー君と合流するべきかしらね。
悔しいけど今の体の状態で、私ひとりじゃ梨花ちゃんを取り戻すのは難しい。
何よりにちかちゃんが危ないわ)
思考を巡らせながら、ごふ、と。
鮮血を掌へと吐き出す。
令呪ですら、彼女の霊基を完全回復させるには至らなかったのだ。
ダメージは緩和されているとは言え残っているし、何より霊骸の爪痕は深かった。
壊れた精霊――霊骸はサーヴァントの霊基すら乱し、犯し、汚染する。
直撃こそ免れたとは言え全身に浴びたのだ、今、武蔵の体に全身腐り堕ちる様な激痛が走る。
しかし、霊核には及んでいない。あくまで霊基の表面だけだ。
身体に常に激痛が走ることを除けば欠損もなく、五体満足。
幸運だった。
霊基と切り離される欠損や霊核に損傷を受ければ、まず令呪であっても修復は不可能だろうと武蔵は踏んでいたからだ。
刀は握れる、戦うには問題はない。痛みさえ無視すれば軽症なり。
しかしそれで梨花を取りもどせるかどうかは別問題。
故に彼女が選んだ選択肢は灰のライダー、
アシュレイ・ホライゾンとの合流だった。
脱出派の計画が成功した時に待ち受ける未来が発覚した以上、
要の脱出宝具を有したライダーとそのマスターであるにちかが真っ先に狙われる。
彼らに迫る危機を伝えなくては。
だが、連絡手段がない。
連絡先は武蔵も把握しているが、携帯電話はマスターである梨花すら持っていないのだ。
当然、彼女が持っているはずもなかった。
「仕方ない、誰かに借りて……!」
周囲には自身や知り合いの安否確認のために熱心に電話をかける被災民であふれている。
その表情はそのどれもが深刻であり、NPCと言えど無理やり電話を奪うのは気が引けたし、揉め事になっては面倒だ。
何しろ、現状は本当に一刻を争う。
誰か丁度いい人を見つけて電話を半ば無理やりにでも借りることを決意。
眼鏡に叶う人間を探すために周囲を鋭く睥睨し――それを発見した。
(何、あの子たち…?)
武蔵が発見したのはパーカーを目深に被った少年少女の一団だった。
年若く美しい子供に目がない彼女の性癖によって視線が誘われたわけではない。
注目した理由、それは彼の子供達に殺気を感じたからだ。
武蔵に向けられている訳ではない。
魔力は感じない。であればマスターでもサーヴァントでもない筈だ。
では、あれだけ剣呑な殺意で全身を満たす子供達は何者なのか。
何をするつもりなのか。
(ダメ、ダメよ私。今は梨花ちゃん達が最優先。それ以外の事には構って―――)
今は兎も角、自分の不徳で窮地に追いやってしまった主をこそ最優先するべき時だ。
そうこうしている内に、子供達が医療用テントの一つに入っていく。
だが、関係ない。
今は一刻を争う事態だ。
関係ない。関係ない。関係ない――――、
「あぁ、もうッ!!」
脳裏を過るのは橙色の髪をした、最初の主。
あの子のお節介な所がどうやら少し私にも移ったらしいと歯噛みして疾走を開始する。
何故NPCと思わしき彼らがあんなに殺気だっているのかは知らない。
しかし、あんなに殺気に満ちたものが何を仕出かすかなんて決まっている。
痛む体に鞭を討ち、豹を思わせる俊敏さを見せて地を駆ける。
そして、二秒かからずテントへと押し入った。
「貴女達!何してるのッ!!」
テントの中では、足に怪我をしたと見られる若草色の髪の女性を顔にガムテープをした子供達が押さえつけ、運び出そうとしていた。
口に猿轡をかまされ、身動きが取れない女性の顔は恐怖に歪んでいて。
そんな彼女の表情は、武蔵にとって見覚えがあった。
(この人、もしかして―――)
脳裏の記憶を手繰り寄せながら、今は女性を助けることを優先する。
即座に臨戦態勢に移行し、鬨の声を上げた。
張り上げられたその声に少年少女の方がビクリと震え、バッと此方に振り向いてくる。
「迂闊(ヤベッ)!見つかった!!」
「真実(マ?)殺せッ!!」
その場を見咎められたと理解した瞬間、女性を放り出して子供達が飛び掛かってくる。
やはり、ただの子供の身のこなしではない。
何十人という人間を殺してこなければ、此処まで的確に首を狙う動きは出来ない。
未だ元服も迎えていないであろう彼らがなぜこんな動きを身に着けたのか。
そんな疑問を抱きながら、刀の鞘で一蹴する。
幾ら常人ではありえぬ技巧と殺意を有しているとは言え、所詮はNPC
霊骸汚染を受けているとは言え英霊たる武蔵には太刀打ちできず、テントの外へと放り出された。
「不運(チッ)サーヴァントだぞこのアマ!!」
「撤退(ひ)けッ!!撤退(ひ)けッ!!」
何処から情報を仕入れたのか、サーヴァントの事も既知らしい。
此方がそのサーヴァントであると理解すると、蜘蛛の子を散らす様に人ごみ紛れ逃げ去っていった。
その速度も迅速で無駄は一切なく。
彼らが何なのか捕らえて聞き出しいた所ではあったが、今は女性の身が優先される。
襲われていた女性に視線を移し、生存を検めた。
すると、ある事に気が付く。
「貴女……もしかして……!」
片足に包帯が巻かれ処置されたと思わしき若草色の髪の女性。
その顔には面影があった。
昼間に出会った、七草にちかという少女の面影が。
傍らを見てみれば、暴れた彼女のポケットから滑り落ちたとみられる財布や社員証が転がっている。
財布からはみ出した写真や、社員証の『七草はづき』という名前を確認した時、
もしやという予感は確信へと変わる。
「貴女……もしかして、七草にちかちゃんのお姉さん?」
「え…な、何でにちかの名前を……貴女、一体…」
今しがた誘拐されかけ。
ここに来る前も相当怖い目に逢ったのか、にちかの姉と思わしきはづきという女性が怯えた表情で武蔵を見上げる。
その顔を見たとき、武蔵はもしこの世界に神がいるのなら、と思わずにはいられなかった。
この世界に神がいるのなら、今すぐににちかの元へと馳せ参じろと言われているような、そんな確信めいた思いを禁じ得なかった。
事実、新宿の避難民受け入れがパンク寸前で、中野区の避難区域に武蔵が移送されなければ。
峰津院大和が283のアイドルの捜索に部下を裂いていなければ。
割れた子供達の一派が、ケガをしているという情報から警察署の唯一の生き残りである、
七草はづきの追撃に、現場に一番近い避難区域に赴いていなければ。
この出会いはきっとなかっただろう。
ともあれ、彼女にコンタクトを取れれば、
幽谷霧子や
櫻木真乃とも協力体制を築けるかもしれない。
(にちかちゃん…ごめんなさい。
怒ってくれていい。恨んでくれてもいいわ)
連絡を取るためだけに彼女に助力を仰げば。
どう説明しても聖杯戦争に触れることになる。
それはつまり彼女が大切に思っているであろう姉を巻き込むという事で。
だが…今手段を選んでいれば、にちかと何より梨花の命に係わる。
更に、先ほどの子供達や彼女が足に負った怪我。
既に女性が聖杯戦争にまつわる何某かにっ補足され、襲われたことは想像に難くない。
はづき本人の命すら、このままここに留まっていては危険なのだ。
だから、怯えた視線でこちらを見つめてくる少女の姉へ、話を切り出すことに迷いはなく。
「今は信じられえないかもしれないけど…どうか聞いてください。
貴女の妹さんに…にちかちゃんに危険が迫っているの。
その事を彼女に伝えなきゃいけない。だから、あの子に連絡を取りたいの」
肩に手を添えて、宥める様に優しく言い聞かせる。
はづきは未だ混乱の極みにあるような表情をしていた。
何が起きているのか分からない。だが、何かとてつもない事態になっているのは分かる。
目尻には痛みと恐怖で涙すら浮かんで。
それでも“にちか”の名前が出た瞬間、絞り出すような声で武蔵に尋ねた。
「……信じて、いいんですか?」
「えぇ、彼女と連絡が取れて合流するまで…貴女を護衛させてもらうわ。
此処も、もう危ないから」
本当にごめんなさい、と。
もう一度心中で武蔵はにちかに謝罪の言葉を述べる。
理由は二つある。
合流するまで護衛すると言っても、合流した先が安全であるとは限らない空手形の約束である事。
もう一つははづきを巻き込むことで否応なくにちかに助力を仰ごうとしている自分の打算だ。
シュヴィ・ドーラというサーヴァントがいなければ分からなかったこととはいえ。
自分と梨花は脱出派を窮地に追い込んでしまった。
そんな武蔵が梨花救出のために助力を仰いだところで頷いてもらえるかは分からない。
最悪の想定に備え、にちかにとって決して無視できない存在であろうはづきを交渉のカードにしようとしている。
だが、繰り返すが事態は本当に一刻を争うのだ。
手段は最早選んではいられない。
梨花を救うためならば、何だって使って見せる。
それが宮本武蔵という人でなしが選んだ選択だった。
(その代わり、埋め合わせは戦働きでさせてもらうわ)
梨花のただ一度きりの後方支援、無駄にはしない。
自分は所詮人斬りの戦包丁。
犯した失態の挽回は剣で為すほかに方法を知らず。
状況は依然絶望的。
それでも過去を思い、後悔に足を止める事だけはしない。
敵も、未来も、前進した先にしか存在しないのだから。
退路は既に断たれた、背後は断崖。
ならば覚悟を決めて。
―――いざや推して参らん、屍山血河の死合舞台!
【二日目・未明/中野区・路上】
【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:ダメージ(中)、霊骸汚染(中)、魔力充実、 令呪『リップと、そのサーヴァントの命令に従いなさい』
[装備]:計5振りの刀
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:梨花を助ける。先ずは灰のライダー(アシュレイ・ホライゾン)と合流する。
1:おでんのサーヴァント(
継国縁壱)に対しての非常に強い興味。
2:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。
武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」
3:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
4:あの鬼侍殿の宿業、はてさてどうしてくれようか。
最終更新:2022年05月02日 23:50