誰だって幸せになる権利がある。
難しいのはその享受。

誰だって幸せになる権利がある。
難しいのはその履行。

誰だって幸せになる権利がある。
難しいのはその妥協。

             Frederica Bernkastel






―――ライダーのサーヴァントよ。貴女達が血眼になって仕留めようとしているサーヴァントは。



古手梨花にとって、ここからが本当の勝負。
その開戦の号砲を、歌うように彼女は口にした。


「大仰に何を言うかと思えば、それだけの情報でこっちが納得するとでも思ってるのか?
こっちが命令してるのは“洗いざらい全部話せ“だ」
「ご不満かしら。なら、もう一つ教えてあげる」


淡々と、言葉を紡ぐ少女の雰囲気は最早ただの子供ではない。
演技などという生易しい領域ではない、これは最早変身と言ってもいい豹変だ。
低い魔女のような声で、もう一つ、とっておきの情報を開示する。
それが彼女にとってどれだけ危ない橋かを理解しながら。
リップ達にとって、最大の爆弾となりうる情報を。


「そのライダーの持ってる宝具はね―――もう既に使えるのよ」


嘘である。
だが、全てが嘘ではない。
七草にちかのサーヴァント、アシュレイ・ホライゾンの有する宝具――界奏、スフィガブリンガー。
魔法のランプとも称されるそれの発動、および聖杯戦争の脱出に向けた行使はそう直ぐにできるものではない。
聖杯へのアクセス方法や座標、タイミング、魔力リソースなど、どれもシビアな行使が求められるのだから。
だが―――使用するだけなら、令呪が三画すべて揃っている現状ならばいつでもできるのだ。
少なくとも、にちかのライダー(アシュレイ・ホライゾン)からは梨花はそう聞いている。
それで脱出が叶うかどうかは別の話ではあるが。
その視点から言えば、梨花の今しがた宣言したことは嘘であり、嘘ではない。


「でも、あの子たちは今もこの聖杯戦争から脱出を果たしていない。何でだと思う?」


リップが返事を返すよりも早く。
梨花は答えを出した。
その唇の端は、弓矢の様に引き絞られていた。


「あの子たちが一人でも多くの人を助けようとしているからよ。可能な限りね」


これも、正確には嘘だ。
彼女達が未だにこの世界に留まっているのは単純に脱出準備が整っていないからだ。
だが、一人でも多くの脱出派を募っていることは嘘ではない。


「皮下に伝えなさい。彼女達の優しさに付け込んで、優位に立ってるつもりだった?って」


瞳が紅く煌めき、少女は嗤う。


「あの子たちが脱出したら界聖杯がこの世界を終わらせるのなら……
彼女達の優しさに生かされてるのは貴方たちの方よ。
けど、皮下がこれ以上攻撃を続ける様なら…彼女達の慈悲もそろそろ品切れかもね」


皮下の元に訪れたときは、交渉が決裂した時に自分を殺しても無意味で、見逃してくれたら直ぐにこの世界からお暇するという純然たる命乞いに近い発想だった。
けれど、脱出が叶った場合、界聖杯が下す裁定を知った今ではその意味合いは大きく変わってくる。
リップは理解した。
これはある種の脅迫だと。


「私が捕まった事であの子たちの危機感はさらに増すわ。
このまま旗色が悪化し続ければ、明日にでも脱出に踏み切るかもしれない」


脱出派の状況は極めて悪い。
脱出された場合の結果や、283プロダクションという旗印も既に有力な聖杯狙い達に露見してしまっているからだ。
正に四面楚歌。順当にいけば勝ち残るどころか生存すら絶望的だ。
だが、もし仮に、聖杯戦争を何時でも彼女達が降りられるとしたら。
それまで逃げ切ることが彼女達の勝利条件であるならば、話は変わってくる。
何しろ、戦う必要がないのだから。
逃げ回りつつ秘密裏に示し合わせて集合し、件の脱出宝具を使うだけでいいのだ。
それで彼女達は勝利条件を満たし、聖杯狙い達は可能性の藻屑と消え果てる。
脱出派にとって最大のアドバンテージは、脱出の具体的手段が既にある事と、勝利条件の前提がそもそも違う事だ。
それを最大限強調し、利用して、梨花はか細い論理を未来へつながる糸とする。


「……仮に、その話が本当だったとして、だ」


だが、リップが動じる気配はない。
これまで通りの冷淡な態度で、梨花の束ねた糸を断ち切ろうとする。


「それで俺達がお前ら攻撃をやめると思うか?むしろ攻撃の手を強めて、
ここでお前を即座に殺すと何故思わない」

「思わないわ。だって、このまま順当にいけば貴女達はほぼ確実に勝てる勝負だもの。
それを焦って負ける可能性をわざわざ増やすとも思えない。
………貴女が私を殺すとも思ってない。私を助けようと彼女達が動けば、
その分あの子達の足を止めることができるから」


もし梨花の話が本当であるならば。
一人でも多くの脱出派を救うために危険な戦場に残り続ける彼女達の優しさが本当だとするならば。
ここで梨花を殺したり、薬物で壊すのは悪手でしかない。
生きているのなら助けようとしても、既に死んだり救出が不可能になっていると悟られれば、彼女達のサーヴァントの方が救出に納得しないだろう。
むしろ自分たちのマスターが同じ末路を辿るかもしれないと考え、脱出を早める恐れすらある。
純粋な兵力差で言えば99.9%勝てる相手であるのは間違いないだろう。
だが、脱出派が破れかぶれの賭けに出られれば向こうにも何割かの勝算が出てくるかもしれない。
件の宝具の詳細を知らない以上、それがいか程のモノかはリップ達に走る由もない。
しかし、だからと言って。


「詭弁だな。放って置いたところで、お前たちが脱出を諦めるわけじゃないだろう。
むしろ俺達が手を止めてる間にせっせと準備をして、逃げる腹積もりじゃないのか?」


リップがその言葉を吐いた時、梨花はかかった、と思った。
自分自身の生存のためには、彼女はその言葉が欲しかったのだ。


「だから、そのために私がいるんでしょう?ちゃんと情報は渡すわ。
その情報をもとに件のサーヴァントに当たりをつければ……」
「お前を助けようと283が動いてる間に、そいつを潰してゲームセット、か」
「私も命は惜しいから、直ぐに用済みにならない様に情報は小出しにさせてもらうけどね」


協力的な態度を見せたうえで、私情報を吟味し最大限絞る。
それが梨花の選んだ選択だった。
そして、その選択を受けたリップもまた、梨花の狙いが何なのか合点がいった気がした。


「…なる程な、お前の狙いは時間稼ぎか」
「貴女だって、皮下を倒すために私のセイバーの力を借りたいんでしょう?
それならその時迄私の利用価値が少しでもある方が、生かしておく理由付けが簡単よ。
あと、皮下に引き渡されたりした時はさっきの令呪の内容全部喋るから
その後皮下を倒すチャンスが回ってくるといいわね」


そう、これは大いなる時間稼ぎだ。
つくづく見た目通りの年齢なのかと瞑目する少女だった。
絶対的に命を握られている相手に、此処まで堂々と出られるとは大したものだ。
此方に屈従することなく、カウンターパンチすら叩き込んできたのは完全にリップとしても想定外だった。
話も一応の筋は通っている。それはつまり。
少女はこんな状況に至ってなお、しぶとく諦めず知恵を巡らせた証明に他ならない。
この期に及んでも、運命のサイコロを、他人の手に委ねようとしていない。


「……時間を稼いで、それで助かると思ってるのか?」


何処まで行っても、少女の状況は絶望的であることに変わりはない。
全ての令呪を失って、敵陣に一人取り残されている。
283が助けに来てくれるとも限らない。
リップの庇護を失えば、物の一時間で凄惨な最期を迎えるだろう。
何より、例え彼女のセイバーが助けに来て此処を脱出できたとしても。
リップの不治の呪いが消える訳ではないのだから、以前命は他人に握られたままだ。
それは彼女にも分かっているだろう。
しかしそれでも少女は迷うことなく宣言した。
自分のセイバーは必ず助けに来てくれる。
それまで生きているのが自分の役目なのだと。


「……希望を語るか、こんな世界の、こんな状況で」
「生憎、絶望には慣れてるの。百年来の友達よ。
でも、まだ私は生きてるし、セイバーもきっと私を助けるために動いてくれている。
それならなにも終わってないし、終わらせない」


そう言って、少女は再び笑った。
先ほどまでの笑みとは違う、引き攣りきった不格好な笑いだった。
今にも崩れそうで、ありったけの虚勢をかき集めていることは一目で伺えた。
だが…その笑みを見ていると、心中がひどくざわついた。


「―――生き残る事だけは、諦めるつもりは無いの。
私が生きて、この土地を去ることを願ってくれた人がいるから」


――最後に一つ。約束してもいいかな?
――どうか…生きてほしい。これからもきっと、辛い事はあるかもしれない。
――だけど、私は…白瀬咲耶は、梨花。君が生きて元の世界に帰れることを祈っているから。


私は私をそんなに強くない人間であることは知っている。
身体は勿論。精神的な意味でもだ。
百年の魔女を自称したところで。
たった一人では、繰り返される惨劇の輪廻に耐える事なんてできない。
事実、以前のカケラ渡りでも、此処へ来る原因となったカケラ渡りでも。
私は諦める寸前だった。
そのカケラの巡る旅路と同じくらい、状況は絶望的。
逆転は望み薄で、緊張の今を僅かな希望で凌いでも、数時間後には死んでるかもしれない。
……では、もう駄目なのか。
もう、古手梨花は戦えないのか。
……それは違う。
まだ私には、果たすと誓った約束と。
私を全力で助けようとしてくれている人がいる。
だから、俯かない。
例え、借り物の勇気と決意でも。
それでも胸の中に抱いたこの気持ちは本物だと思えるから。
だから、やせ我慢をかき集めて、まだ運命に挑むことができる。



「―――そうか」



何処までも不格好で、頑固で、弱いくせに諦めの悪い事は伝わってくる笑みだった。
敗者で、チェスや将棋で言う詰み(チェック)に嵌まった人間で、
どうしようもなく無力な少女の浮かべる笑みだった。
それでも否定者の男は、その笑みを直視できなかった。
眩しい光源から瞳を逸らすように、俯き、噛み締めるように一言呟いて。
この場に勝者がいるのならば、それはリップだ。
自らの能力と令呪により、少女らを完全に支配下に置いた。
状況は依然リップの圧倒的優位。梨花の命は彼の胸三寸。
それでも彼は、逃げる様に踵を返した。
そのままそそくさと、逃げる様に部屋を後にしようとする。
傍らの機械の少女も、何度か梨花と主の間で視線を彷徨わせてから、それに続いた。
去っていく背中に、梨花は穏やかな口調で問いかける。


「……また、話せるかしら」
「肝心な事はまだ何も聞けていない。皮下が今の話に納得すれば、嫌でも話すことになる」
「そう、ありがたいわね。もし283の子たちに見捨てられちゃったら…貴女を頼る事になるかもしれないし」
「脱出を諦めないんじゃなかったのか」
「冗談よ。………でも、現実を見ないと見えてこないこともあるのですよ。にぱー」


梨花の方へは振り返らず、けれど律義に返される声。
それを聞いて、フッと安心するように梨花は息を吐いた。
余り考えたくない事態ではあるけれど。
情報を漏らした自分に対して、283がどう出るかは分からない。
もし裏切り者として放逐されてしまえば、リップを頼ることになるかもしれない。
とどのつまり、古手梨花という少女は。
最善の奇跡を求める理想主義者(ロマンチスト)で。
何処までも残酷な現実を知っている現実主義者(リアリスト)でもあった。


「………大したガキだよ、お前は」


梨花には届かない程小さな声で、不治の否定者は短い賛辞を贈った。
彼女を見ていると、一人の知り合いの顔が脳裏を過る。
知り合い、と言っても殺しあった仲で。
きっと今でもその娘との関係を一言で言うなら『敵』なのだろう。
その敵であるはずの自分と、それでも協力できるといった否定者の少女。
不運(アンラック)という最低の呪いを神に刻まれ、不死と共に神に挑むと宣言した少女。
あの娘なら、古手梨花と同じことを言って、同じ笑みを浮かべるのだろうか。
そんな事を考えつつ、不治の否定者はその場を後にした。




独りとなった部屋で、何度か拘束を外そうと試みる。
だが、鋼鉄製の手錠はどれだけ力を籠めてもびくともしない。
数分試してすべてが無駄だと悟ってから、手錠を外すことを諦めた。


「百年の魔女が聞いて呆れるわね。一人になったとたん…虚勢を張る事しかできないなんて」


聖杯戦争が幕を開けてから、ここまで孤立無援になったことは初めてだった。
この世界に招かれてからは、騒がしく優しい女侍が常に傍らにいてくれたから。
その庇護から一度離れてみればこの体たらく。
身体からこみ上げる不安と震えを抑え込むので精いっぱいだ。
自分はここでも無力で無能な箱の中の猫でしかないのだと思い知らされる。


「いた……!見つけた……!」


と、打ちひしがれていた時だった。
梨花しかいない筈の部屋に、声が響いたのは。
梨花のモノではもちろんない。かといって幼い少女の声はリップのモノでもない。
声の方へと視線を移してみれば、見覚えのある顔がそこにいた。
幼い梨花の容姿と比べてもさらに幼い、アイと呼ばれていた獣耳の少女。
虹花の裏切者の三人のうち、皮下の処分を免れた最後の生き残りだ。
逃亡者となり果て、鬼ヶ島の中を必死に隠れ回りながら梨花を探して此処までやってきたらしい。


「待ってて…アイさんなら外せるかも……」


とととと、と駆け寄って獣の手に力を籠める。
すると梨花がどれだけ力を籠めても動かなかった縛めが、軋み始めるではないか。


「待って!」


もう少しで外れそうになったタイミングで。
顔が真っ赤になるほど力を籠めて自分を助けようとしている少女に、梨花は制止の声を上げた。


「ありがとう、でもセイバーが来るまではどの道逃げきれないわ」


拘束を外してこの部屋を出た所で、以前梨花の所在地は鬼ヶ島の真っただ中。
いうなれば皮下の腹の中。逃げてもすぐにつかまるのがオチでしかない。
そして、逃亡を図ったとなれば今度こそ皮下は容赦しないだろう。
自分も、アイも、酸鼻極まる最期を迎えることとなる。
奇跡的に逃げ切れたとしても、逃亡先でリップの不治を発動されれば意味がない。
せめて彼に話を通さなければ、逃げるわけにはいかなかった。


「で…でも、このままじゃ……」
「大丈夫よ、アイ。貴女が来てくれただけで、最悪じゃない」


べそをかいてうつむくアイを優しく抱きしめる。
梨花は知っている。
アイが、父の様に慕っていた男は梨花を助けるために殺されたことを。
梨花に賭けたせいで、アイが逃亡者の身へと堕ちたことを。
それでも彼女は、怖い思いをしながらここまで来てくれた。
ならば、その献身に応えたかった。
抱きしめた体から伝わる暖かな体温は、梨花の意思に力を与える。
状況は依然最悪。だが光明がない訳でもない。
令呪で回復させたことで今頃セイバーは息を吹き返しているだろう。
自分の命を握るリップは皮下よりも交渉の余地がある男だった。
そして何より、アイが来てくれたことで梨花は一人ではなくなった。
なら、まだ戦える。
まだ、諦められない。
その理由も、皮肉にも皮下の言葉でより強くなった所だ。


――――沙都子ちゃんと言い君と言い、最近の幼女は人間離れが著しいな。


「沙都子が此処にいるなら、会うまで死ぬわけにはいかないもの、絶対に」


【二日目・未明/異空間・鬼ヶ島】
【古手梨花@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:疲労及び失血(大)、右腕に不治(アンリペア)
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:生還を目指す。もし無ければ…
0:セイバー達が助けに来るまで時間を稼ぐ。
1:沙都子が此処に、いる…?
2:白瀬咲耶との最後の約束を果たす。
3:ライダー(アシュレイ・ホライゾン)達と組む。
4:咲耶を襲ったかもしれない主従を警戒、もし好戦的な相手なら打倒しておきたい。
5:彼女のいた事務所に足を運んで見ようかしら…話せる事なんて無いけど。
6:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
7:戦う事を、恐れはしないわ。



古手梨花という少女を手駒にしようと思ったのは、シュヴィの解析ゆえだ。
彼女の連れていた女剣士。その宝具、その剣の腕は。
―――あの、鬼のライダーや鋼翼のランサーに届く。
それが、実際に交戦したシュヴィの解析結果だった。
もし彼女のサーヴァントが凡百のサーヴァントであったならば。
リップも彼女を引き込もうとは思わなかっただろう。
その場合、今頃梨花は皮下のおもちゃとなっていたに違いない。
梨花自身が無力な少女というのも都合がよかった。
いざとなれば不治の力で何時でも始末が付けられるからだ。
もっとも、シュヴィの解析の結果では、肉体の構造は年相応の少女と変わらないだけで、
そのマスターとしての素質や魔力の貯蔵量は常人ではありえない物らしい。


「シュヴィ、確認するがあの梨花って子供は―――」
「うん…肉体的には…ただの人類種(イマニティ)……ただ……普通の、人類種じゃ……
色々…ありえない……何らかの……異種との…混血の……可能性、高い」
「確かに、あのガキが特別って事は伺えた。おいおい探ってみる必要が出てくるかもな」


解析の結果、梨花が生まれからして特別な子供であるという事は伺えた。
ともすれば、先ほどの令呪も十全に効果を発揮しているかもしれないな、とリップは思案する。
梨花が目覚める前、実験的に彼女の令呪を一画奪い、シュヴィに使用したがその時の命令も単なる回復ではなく、自己修復機能の大幅な向上を命じる様に忠告された。
シュヴィの言によると、如何な令呪であっても霊基の修復は非常に高度な技能であるらしい。
本来治癒能力のないサーヴァントに回復効果を目的とした令呪の使用を行っても不発に終わることが大半だという。
しかし、高い素養のマスターが令呪を使用した場合、本来ならば命令不可能な行使も可能となるのもまた令呪の特性の一つだそうだ。
また実際に使用した結果をもとに行った解析では、令呪を用いた霊基の修復は可能であるという解析結果が出た。
ただし、修復できるのは霊基のみ。
英霊の核たる霊核にまで損傷が及ぶほどの致命傷は治せず、
また霊基の修復を行うにしてもマスターの高い素養が要求されるらしい。
それこそ、これまで出会ってきたマスターの中では梨花と大和しか該当者がいない程狭き門である様だ。
果たして彼女の令呪が命令通りの効果を発揮したかは定かではないが、最低でも戦闘が可能になるほどは回復していてほしいとも思う。


「あの……マスター……」


令呪について思考を裂いていた所に、シュヴィがおずおずと話しかけてくる。
様々な理由から沈んでいた先ほどまでとは違い、その表情は少し和らいでいた。


「あり…がと……あの子に、酷い事、しないでくれて……」
「…皮下や大和を刺す隠し玉にするつもりだったし、酷い事なら不治を使って脅しただろ」
「それでも…シュヴィが…あの子を……殺したって…ならない様にしてくれた……
マスターが、力を使ったのも……皮下を納得させるため、でしょ?」
「――残念だが違う。皮下や大和を刺すための駒にしようとした以上の考えはない」



リップが梨花を手駒にしようとしたのは、純粋な皮下への危機感ゆえだ。
これまでは何とか対等な同盟関係を保ててはいるが、これからもそうとは限らない。
何しろただでさえ勝ち目の乏しかった鬼のライダーが強化されるのだ。安穏とはしていられない。
いずれ来る皮下との決別の時のために、独自の伏兵を擁しておく必要があった。
でなければ…対等な関係を築いているつもりで、その実皮下の舗装したレールの上を走らされるような、そんな危機感があったのだ。
幸いなことに、駒として選んだ少女はアイドルなどよりもよほど使いでがありそうだ。
本人の戦闘力以外はサーヴァントの強さも肝の座り方も申し分ない。
不治の力と令呪により反抗も封じているため、幾らか安心して懐においておける。
仮に皮下や大和を討つ家庭で梨花が死亡したとしても、収支で言えばプラスに傾くと踏んでいた。
だから、詰み切った少女の辿る運命に介入したのは純粋な打算でしかない。


「うん…これは勝手に…シュヴィが…感謝してる、だけ……」


それでも。
それでもなお、血の通わぬはずの機械の少女は感謝の言葉を述べる。
どれだけリップ本人が、自分は少女の言葉に相応しい人間ではないと否定しても。
それでも彼女は否定しない。ゆるぎない信頼を胸に、リップに接する。
その言葉が届くたびに、その信頼を向けられるたびに。
リップの心は、狂おしくかき乱される。


―――叶えたいなら夢だけは見るな。俺らは理想(そっち)には行けねぇんだ。


頭の中で、皮下からかけられた言葉が残響のように響く。
何人も殺しておいて、何百人も怪物の腹の中に誘っておいて。
血に塗れた掌で受け取るには、少女の信頼はどうしようもなく重かった。


「…感謝なんてするな。状況の推移によっては結局殺すことになる。
あいつらが、何も傷つけずに生きようとどれだけ願っても―――」


だから、彼にしては珍しく突き放すようなことを言う。
それを聞いたアーチャーの少女が悲しい顔をするのも承知の上で。
自分を悪足らしめんと言葉を吐く。
ポケットの中でこぶしを握り締め、奥歯をかみしめて、耐える様に歩を進める。



「俺の不治(ねがい)は、奴らを否定する」



そんな背中を見て、後ろに続くシュヴィは考える。
リクの。
愛しいあの人の。
あと何人殺して、何人死なせなきゃいけないと嘆いていた、あの時の気持ちが、
今ならより深く理解できるような気がした。





「んだよそれ……」


頭を抱えていた。
秘密組織タンポポ、虹花の首領である皮下真は、頭を抱えていた。
理由は明白、リップが梨花から聞き出した情報のためだ。


「要は追い詰め過ぎたらさっさと風呂敷畳んで夜逃げするぞって話だろ?め、面倒臭ぇ…」


つい数時間前、自分が行った暴露によって、見方に依れば峰津院大和すら超える危険因子だった脱出派を孤立させることができた。
そこから更に脱出派の一人を捕虜とすることにさえ成功した。
此処までは紛れもなく順調だったと言えるだろう。
だが、順調すぎた。
それによって発生するリスクがある事を、失念していた。


「リップ……梨花ちゃんの話、何処まで本当だと思う?」
「全部が全部本当って訳じゃないだろうな。でも、出鱈目を言ってる風にも見えなかった。
もしそうなら、アーチャーの奴が気づくからな」
「となると…だ。尋問は俺に変わってもらう必要がありそうだな。三十分で吐かせる」
「お前にしては短絡的な発想だな。薬漬けにした後奴のセイバーが念話でコンタクトを取ってきたらどう誤魔化すつもりだ」


本当に、皮下にとっては頭の痛い話だった。
リスクの排除のためにはどうにかして梨花の口を割らせなければならないが、薬物や拷問などで割らせた場合最悪のババを引く恐れがある。
その結果を受けた脱出派が臆病風に吹かれて逃げに徹されればいよいよ脱出に踏み切られるかもしれないからだ。
故に最も手っ取り早い方法である薬物や拷問は使えない。


「はー…こうなると梨花ちゃんだけじゃなくてもう一枚、
あの子たちにかませるカードがあればいいんだけどな。
こいつを見捨てて脱出しないってカードが………」


ぼりぼりと頭を掻きながら呟くものの、それがない物ねだりであることは皮下も理解していた。
そうそうそんなカードが此方に用意できるとは思えなかったからだ。
となれば、正攻法で聞き出すほかないが…


「安心しろ、ちゃんと聞きだすさ。そこについては俺とお前の利害は一致してる」
「本当頼むぜ、取り合えず、283の対処については“向こうさん”とも相談しなくちゃなぁ……」



珍しく協力的な言葉を吐く同盟者だが、皮下はまるで安心できなかった。
一応梨花が情報を提供しているのは本当の様だが、明らかに小出しにしている。
前提として余り時間はかけたくはないのだ。
今こうしている間にも、脱出派は準備を整えているかもしれないのだから。
陣営規模での攻撃は控える必要があるかもしれないが、どの道件の宝具を持っているサーヴァントは早々に脱落してもらう必要がある。
その辺りも、今しがた自分のサーヴァントが同盟を結んだ陣営とすり合わせを行っておく必要があるかもしれない。


「頭の痛い話はそれだけじゃねーしさー」


皮下が頭を悩める事案はその一つだけではない。
先ほど、カイドウから念話で聞かされた一つの計画。
窮極の地獄界曼荼羅。
領域外のサーヴァントであるフォーリナーを意図的に暴走させ全てを薙ぎ払うのだという。


「マスター…多分、そのサーヴァント……」
「お?アーチャーちゃんもそのサーヴァント知ってんの?」
「あぁ、金毛に12歳ごろのガキのサーヴァントなら昼間に逢った所だ」


皮下から伝えられたフォーリナーの特徴は、シュヴィが昼間に会敵した少女と合致していた。
であれば、聖杯戦争を揺るがす可能性を持っている事には信ぴょう性がある。
もし彼女が暴走すれば確かにと途轍もない災禍(カタストロフ)が待っているだろう。
だが――、


「そいつを暴走させた後、肝心の制御方法についてはどうするつもりなのか全く見えてこないぞ…というか、本当に考えてるのか?」
「だよなー…いや、戦力はいくらあっても困らねーけどさ。
いざという時俺達まで纏めて吹き飛ばす核弾頭はお呼びじゃねーのよ」


制御は自分が受け持つと発案者らしいリンボは豪語したそうだが。
あの胡散臭い陰陽師にそんな大役任せていいとは思えなかった。
それこそ馬鹿に核弾頭のスイッチを持たせるようなものだ。
せめて皮下達も共同管理できる様な具体的な制御方法が無ければ論外も甚だしい。
戦力的にも困っている訳ではないので、そんな博打に興じる必要性はまるで感じられなかった。


「総督たちはでかい話に目がない上に腕っぷしに自信があるからいざとなりゃ何とでもなるって思ってんだろうけどなぁ。
ありゃ詐欺に引っかかるタイプだよ」



生半可なペテン師なら騙された後でも暴力に物を言わせて彼らは解決してしまう。
だが、これは聖杯戦争。あらゆる可能性の坩堝たる戦場だ。
実際にリンボの計画が成功すれば何が起きるか分からない。


「大和も283もリンボの奴も、どいつもこいつもゲーム盤ひっくり返す真似しやがって。
俺のNPCの魂食いとかやるけど、あいつらそう言うのじゃないじゃん。
決まれば勝ちってインチキばっかりじゃん。これからは大看板も動かせるなって浮かれて倒れがバカみたいじゃねーかよー……」


愚痴りながら座り込み、天を仰ぐ皮下。
そして、この上なく深い溜息を吐く。
情けないことこの上ない姿だが、リップもそろそろこの男の事を理解してきていた。
軽薄そうな態度の裏で、思案を巡らせている男であると。


「腐ってる場合か、さっさと知恵を出せ」
「あー…俺としては取り合えず大和の霊地を奪う事を優先したいと思う」


それは、当初の皮下の予定通りの計画だった。
受け取り方によっては今さっきまで悩んでいた問題の棚上げの様に感じられる。


「取り合えずリンボの奴の計画はもう少し深堀して聞き出して、
乗るかどうかは霊地奪還計画の功績で決めるよう伝える。283については梨花ちゃんの望み通り、一旦追跡程度にとどめるってところだな」
「……それならそれで構わんが、具体的にどう奪うつもりだ?」


簡単さ、と皮下は肩を竦めながら応えた。


「二手に分かれる。大和が現れた方の場所に総督に派手に暴れてもらって
奴がいない方の霊地を奪う予定だ」


大和がどれほど強かろうと体は一つ。
カードの量では此方が大きく上回っている。
そのアドバンテージを最大限発揮し、霊地を奪う計画だった。
単純だが、単純故に手数で劣る大和には抗しずらい計画だ。
あえて先手を大和に譲り、現れた地点を確定させたうえで叩く。


「取り合えず、向こうの陣営とのすり合わせをやらねーとな
色々、話さないといけないことはありそうだ」


すり合わせをしなければならない事はいくつかある。
作戦前に行っておかなければ様々な支障が発生するだろう。
その為、皮下は自身のライダーが同盟を組んだサーヴァントのマスターとコンタクトを取ることに決めた。
峰津院大和が東京タワーに現れる、一時間ほど前の出来事だった。



【二日目・未明/異空間・鬼ヶ島】

【皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:疲労(小)
[令呪]:残り二画
[装備]:?
[道具]:?
[所持金]:纏まった金額を所持(『葉桜』流通によっては更に利益を得ている可能性も有)
[思考・状況]
基本方針:医者として動きつつ、あらゆる手段を講じて勝利する。
0:ひとまずライダーが同盟を結んだサーヴァントのマスターとコンタクトを取る。
1:大和から霊地を奪う、283プロの脱出を妨害する。両方やらなきゃいけないのが聖杯狙いの辛い所だな。
2:覚醒者に対する実験の準備を進める。
3:戦力を増やしつつ敵主従を減らす。
4:沙都子ちゃんとは仲良くしたいけど……あのサーヴァントはなー。怪しすぎだよなー。
5:峰津院財閥の対処もしておきたいけどよ……どうすっかなー? 一応、ICカードはあるけどこれもうダメだろ
6:梨花ちゃんのことは有効活用したい。…てか沙都子ちゃんと知り合いってマジ?
7:逃げたアイの捜索をさせる。とはいえ優先度は低め。
[備考]
※咲耶の行方不明報道と霧子の態度から、咲耶がマスターであったことを推測しています。
※会場の各所に、協力者と彼等が用意した隠れ家を配備しています。掌握している設備としては皮下医院が最大です。
 虹花の主要メンバーや葉桜の被験体のような足がつくとまずい人間はカイドウの鬼ヶ島の中に格納しているようです。
※ハクジャから田中摩美々、七草にちかについての情報と所感を受け取りました。
※峰津院財閥のICカード@デビルサバイバー2、風野灯織と八宮めぐるのスマートフォンを所持しています。
※虹花@夜桜さんちの大作戦 のメンバーの「アオヌマ」は皮下医院付近を監視しています。「アカイ」は星野アイの調査で現世に出ました
※皮下医院の崩壊に伴い「チャチャ」が死亡しました。「アオヌマ」の行方は後続の書き手様にお任せします
※ドクロドームの角の落下により、皮下医院が崩壊しました。カイドウのせいです。あーあ
皮下「何やってんだお前ェっ!!!!!!!!!!!!」
※複数の可能性の器の中途喪失とともに聖杯戦争が破綻する情報を得ました。


【リップ@アンデッドアンラック】
[状態]:健康、魔力消費(小)
[令呪]:残り3画
[装備]:走刃脚、医療用メス数本、峰津院大和の名刺
[道具]:ヘルズクーポン(紙片)
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:聖杯の力で“あの日”をやり直す。
1:皮下と組むことに決定。ただしシュヴィに魂喰いをさせる気はない。
2:283プロを警戒。もし本当に聖杯戦争を破綻させかねない勢力なら皮下や大和と連携して殲滅に動く。
3:古手梨花を利用する。いざとなれば使いつぶす。
4:敵主従の排除。同盟などは状況を鑑みて判断。
5:地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)の量産について皮下の意見を伺う。
6:ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)は様子見。追撃が激しければ攻勢に出るが、今は他主従との潰し合いによる疲弊を待ちたい。
[備考]
※『ヘルズ・クーポン@忍者と極道』の製造方法を知りましたが、物資の都合から大量生産や完璧な再現は難しいと判断しました。
また『ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)』が一定の規模を持った集団であり、ヘルズ・クーポンの確保において同様の状況に置かれていることを推測しました。
※ロールは非合法の薬物を売る元医者となっています。医者時代は“記憶”として知覚しています。皮下医院も何度か訪れていたことになっていますが、皮下真とは殆ど交流していないようです。

【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:健康
[装備]:機凱種としての武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:叶うなら、もう一度リクに会いたい。
0:…マスター。シュヴィが、守るからね。
1:マスター(リップ)に従う。いざとなったら戦う。
2:マスターが心配。殺しはしたくないけと、彼が裏で暗躍していることにも薄々気づいている。
3:フォーリナー(アビゲイル)への恐怖。
4:皮下真とそのサーヴァント(カイドウ)達に警戒。
5:峰津院大和とそのサーヴァント(ベルゼバブ)を警戒。特に、大和の方が危険かも知れない
6:セイバー(宮本武蔵)を逃してしまったことに負い目。
※聖杯へのアクセスは現在干渉不可能となっています。
※梨花から奪った令呪一画分の魔力により、修復機能の向上させ損傷を治癒しました。



時系列順


投下順


←Back Character name Next→
102:日蝕/Nyx 古手梨花 127:Pleasure of the Certainty Witch
セイバー(宮本武蔵) 117:prismatic Fate
102:日蝕/Nyx 皮下真 127:Pleasure of the Certainty Witch
102:日蝕/Nyx リップ 127:Pleasure of the Certainty Witch
アーチャー(シュヴィ・ドーラ)

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最終更新:2022年09月04日 16:36