「念話でも言ったけど、改めてごめん……作戦を失敗させてきた」
 「そこはせめて、『でもにちかとの約束は守ったよ』ぐらいはかっこつけましょうよ……えい」
 「てっ……今のパンチ、サーヴァントじゃなかったらけっこう痛そうな音が出なかったか?」
 「痛くしてるので」


 ◆


 「お疲れ様でした。それに、ありがとうございます、ライダーさん」

 念話とにちかの出迎えでナビゲートされた学校の空き教室にたどり着くなり。
 発砲スチロールのパックが入った袋を提げる櫻木真乃が出迎えた。
 手元から煮物らしき湯気がまだあたたかく立ち昇る。
 全員で囲んで座れるようにと寄せて固められた机にはあと五つばかり未開封のそれらが置かれている。
 教室の椅子では男性にとって小さすぎると判断されたのか、挿げ替えられたパイプ椅子はどこから持ち出されたのか。

 「こちらこそ。皆の分まで用意してくれてありがとう」
 「新宿渋谷方面に入れなくて立ち止まってる救護車が、通行を諦めて近くで配ってくださってました……おひとり様2パックだったので」
 「霧子と迎えの人は、今こっちに向かってるところだそうですー。念話で、自分の食事は要らないから食べててほしいって」

 同時に配給されていたらしき500ミリペットボトルを、摩美々がそれぞれの席はここという風に並べている。
 自然体を意識しているような仕草だったけれど、視線はそれができていない。
 アシュレイ・ホライゾンと、その背後に影を落とす異彩を放つ男との双方を、見比べずにはいられないのだ。
 真乃も、にちかも、やはり緊張と注目をその男に集めてしまう。

 彼女たちが連想したものを、アシュレイ・ホライゾンは察する。
 それは、世田谷区に降り立った『絶望の魔人』の面影だ。
 美しいという以外に立姿は似ておらず、けれど支配者としての覇気だけは、敢えて似せるかのように纏う。
 存在するだけで刃向かえないと他者の心を拉ぎ折る、人の形をした上位者が小さな教室を睥睨していた。

 生物としての格という武威を、本気で晒しているわけでは無いのだろう。
 少女たちが帰還をねぎらう言葉を発せたのは、それが証拠だ。
 ともあれ、アシュレイにとって七草にちかは言うまでもなく、ここにいるマスターの全員が、手をとってくれた仲間たちから託された預かりものだ。
 何としても関係を繋いでみせると改めて腹を括り、にちかに向けて紹介の掌を示す。

 「じゃあ大和、改めて紹介する。まず彼女が俺のマス――」
 「知っている。私は貴様らの一切を認めていないが、世田谷の所在をつきとめるにあたって全員の顔と名前は記憶した」

 『世田谷』という固有名詞によって誰しもの顔が硬化する。
 確かに彼はあの絶望を齎す生命と契約したマスターなのだと、実感が走ったことは想像に難くない。

 「そう言わずに。光月おでんだって言ってただろ? 苦い思いをすることがあっても、その苦み渋みも出汁にしろって」
 「死人の言葉を都合よく使いまわすな」
 「でも、ここで東京タワー以外のことも含めた情報共有を図っておくことの価値は君にだって分かる。
 峰津院はもはや最強勢力ではなくなったと君は言った。なら、君も戦い方を変えなきゃいけないことは君自身がよく知っている」

 少なくとも彼はこの場でことを起こすほど気が短くないよと、マスターたちに聞かせて安心させる意図も込めてそう伝える。
 さらに、とアシュレイはこわばりを隠し切れない少女たちに向けても尋ねた。

 「君たちも、開戦前の電話で伝えたとおりだ。ぶつけるものがあれば言ってくれ。
 こういうのは、言いたいことを初めに言い合ってすっきりさせた方が後がスムーズだからさ」

 遺恨のない関係とは言えない以上、下手に『仲良くしましょう』から初めて途中で双方ともに爆発させるよりも。
 出会いがしらに幾らか発散させた方が、中途で逆鱗に触れることが起こった途端に噴出する、という事にはなりにくい。
 そう意図しての促しだったが、にちかは首を横に振った。

 「あの、ライダーさん……今けっこうやばい時なのは、さすがに分かりますんで。そっちの話し合いが先じゃないですか」
 「ああ、それに関しては恥ずかしながらその通りなんだが……けど、『お互いに向こうからの恨みつらみがあるんじゃないか』って抱え込みながら話すのも負担が大きいから」
 「すいません……そのへんはお二人がここに来る前に三人で話し合ったんですけど」

 と、摩美々が小さく挙手をして中断。
 そこに、真乃が続けた。

 「えっと。危害がどうこうって言うなら……私達も世田谷区の時は、峰津院さんのサーヴァントさんを倒すつもりが無かった、とは言えないので。
 ひかるちゃんもサーヴァントさんを攻撃したし、私はそこで死なせちゃだめ、とか手加減して、なんて言えなかったです。
 もちろん、峰津院さんとサーヴァントさんの関係をよく知らない私達が『貴方の大切なサーヴァントを』とか、分かったように言っちゃだめですけど。
 ……『聖杯戦争でサーヴァントをなくした人は、死んでしまいやすくなる』って分かってたけど、そういう風にしたので」

 迎撃のためとはいえ『峰津院大和がこの聖杯戦争において死亡する確率を上げる行為である』と自明だった上で、自らのサーヴァントを応援した。
 その事実を無視したように、『恨みつらみ』の話は、もうしたくないと。

 「不要な気遣いだな。それこそ被害を受ける受けないの話など、これからいくらでも予測されることだ」

 違和感。
 峰津院大和との間にある埋まらぬ溝という外的要因があるとはいえ。
 不在にしている間にずいぶんとマスターたちが静かというか、神妙にしようとしていないか。
 それでもアシュレイは、彼女らの言う通りに話を進めることを選んだ。
 決して明るくはないこの先の話題に、思考が費やされていたから。

 這いずって這いずって、取りこぼして。
 それでも飛び立てない今日の終わりが、否応にも予感される。
 そういう話になることは、間違いないからだ。



 ◆


 ――優勝者を出すことは覚悟しないといけない。


 そう、言葉は出ている。
 だが、それを『どう伝えるか』となれば『まだだ』と幾ら言葉を探しても、上手くない。
 思い浮かぶ言葉のどれを選んでも、『パーフェクトコミュニケーション』には絶対にならないと予感させる行き詰まり。

 見渡せば、割りばしを動かし終えてアシュレイの言葉を深刻そうに待つ、三人の少女がいて。
 壁際には、座ることを良しとせずに『次にライダーが言い放つ言葉しだいでは、この場で容赦を捨てる』という居住まいの大和がいる。

 簡素な話し合いの卓につくことを良しとせず、にちか達が遅い朝食の合間に報告をするだけは耳に容れていた。
 敵連合から三度の電話があった事、三度目の通話において同盟は断たれた事が告げられた際には、『それは必然だろう』という一声がアッシュに向けられた。

 そして、彼女らの遣り取りに対しての労いを終えれば、あとはアッシュの側から今後の指針を提示する手番が回ってくる。

 霊地は失われたが、やるべきことはこれまでと変わらない。
 他の主従に接触して妥協点を見出し、協力をとりつけながら、人質二人を救うすべについて考えよう。

 それは嘘ではなかったが、しかし優しいその場しのぎであることもアシュレイは否定できない。
 何よりも、峰津院大和はそういった丸い回答を『現実の先延ばし』だと唾棄するだろう。

 彼が方舟の食卓へと座らないまま立ち合いをしているのは、ある意味、渋谷区で光月おでんと結果的に共闘していた延長だ。
 サーヴァントを失った現状で、これまでのように力一辺倒を覇道とするわけにいかないことは理解しており。
 今の峰津院大和独力では、『残り全員』は殺せない。

 だから『命を救われた』という『今はまだ率先して殺すほどではない借り』があるうちは眼を瞑る。
 だが、恩義の貯蓄が尽きるほどのものを見せればその天秤の左右は逆転する、と。

 「それで……ライダーさんの方も、言わなきゃってことがあるんじゃないですか? いつもの、現状はこうだ、みたいな」

 七草にちかから問われ、「そうだな」とアシュレイは間をもたせながら『優しいその場しのぎ』について思う。

 もともと、本戦の始まりに界奏を利用しようと提言したときは『龍脈』という因子はまるで計画になかった。
 『足りないものだらけを補える協力者がいるかどうかの博打である』ところから始まった以上、振り出しに戻っただけに偽りはない。
 だが、未だ23組の主従は確実に残存していた、本戦開始時にそう語るのと。
 このままでは東京全土がいつ焦土になるかという佳境において。
 『どこかにいる未知の主従の協力を得られさえすれば十全になるやもしれない』と、語るのとでは。
 夢と現実の境界をあまりにも無視している。

 まして、敵連合から同盟の解体という通達があった直後で。
 ――そして、つい先刻もはるか東から強者顕在を示す覇気の余波が響いたばかり。
 これまでに志が合った『知り合い(ともだち)』以外は、聖杯を狙うことに妥協の余地などないのではないか、と。
 昨晩の世田谷区のような喫緊の危機感とは別種の、このままでは詰みに向かうという焦燥は蔓延する。

 「東京タワーで、俺が大和に話したことは覚えているか?」

 頷く三人。
 もし、航界記の開帳に成功したところで、界聖杯と対峙した結果が芳しくないようであれば。
 あるいは、『優勝者を出す前の界聖杯に働きかけて望んだ結果を出す』ことが難しいようであれば。
 『界聖杯に願いを叶えさせることで、優勝者以外を生還させる』という手段を容認すると、公言している。

 だが、いざ『それを見据えよう』とマスター側に提言することは苦渋の決断だ。

 『誰かを見捨てて己たちだけ脱出することはない』という公約を振りかざしたところで。
 すべての主従に願いを諦めさせたあげく、『優勝者が生まれるまでの犠牲者には目をつぶります』と言っているようなものなのだから。
 優勝者が生まれるまではマスターの生存も容認される、ということは。
 裏を返せば、『願いが叶えられる頃にはほとんどのサーヴァントはまず退場しているし、マスターの犠牲もどれほど連鎖しているか』ということでもある。
 『サーヴァントだけを退場させる。できればあなたを殺す真似はしたくないし、願いに対しても歩み寄りをしたい』というだけでは。
 誰しもの要望には寄り添えず、戦いを辞めない者もいる。
 それは東京タワー周囲一帯ではぐれマスター単騎によって作られた白い更地が証明している。

 そして何も、願いを諦められないという想いは悪意によるものだけではない。
 あなたたちを死なせるのは悪いことだと知っているけど、それでも叶えたい願いがあり、命を懸けます。
 どう譲歩しても妥協しても、相手側の答えが『死んでください』にしかならないならば、応じることは倫理的には正当防衛かもしれず。
 そして、少なくとも『相手側の意志を最大限に尊重した結果』ではあるのだとしても。
 結局のところ、お前たちも他者の犠牲を容認する偽善者になったのだと。
 そういう断罪と、自認とに至ることは避けられない。
 今まで直接的な言葉にはしてこなかった『犠牲者を出す』という一語を、告げてしまうことになる。

 ひとたび全員の総力をあげた聖杯戦線による『いったんの全員休戦』を成すことが叶わなかった以上。
 残存マスターを誰も死なせずに優勝者を決定する、という一縷の望みもついえたばかりだ。

 よって、峰津院大和の眼光が『ここが偶像たちのみならず、ライダーに失望するか否かの際だ』と険を増しているのは気のせいではない。

 「俺が提示するものの大枠は、あそこで語ったことと変わらない。
 ただ、改めてマスターたちの気持ちを確認しておきたいんだ」

 そうであればこそ、まずは改めて意思の所在について確認を。
 せめて、『彼女たちも同じように考えている』ことを寄りしろに、『その気持ちをサポートする』意識だけは揺らがないように。

 「今でも、立場を問わず全員と話をしたいと思っているか?」

 肯定が返ってくると思っていた。
 三人の少女たちの視線が、三方向から見合わせるように噛み合って。
 それはやがてうなずき合いに変わった。
 まるで自分から切り出すことを打ち合わせしていたかのように、にちかが単独で口を開く。

 「ライダーさん、そういう回りくどいのはもう無しでいいです。
 昨日からプロデューサーさんのことばっかり考えてるうちに、ふわっとした話し方が移ったんじゃないですか?」

 後半で、『いや自分たちはそこまでは言ってない』という風に、他の二人がわずか狼狽したのはともかく。

 「……と、言うと?」

 すぅ、と息を吸う音。
 まるで、さぁこれから思い切った空気を読めないことを言うぞと観念したような顔で。
 しかし顔色は悪くとも眼差しは極めて頑なに、他の二人も同調するようにうんうんと頷くのを横目に。


 「優勝者を出すことになるかもって言うんでしょ? いいですよ、それでも界聖杯に会いに行きましょ」



 やけっぱち――ではなかった。
 失礼ながらも、初めに浮かんだのはその可能性で。
 なぜなら七草にちかは、あまりにも自分を傷つけやすい子だったからとこれまでを思い返して。

 しかしにちかの瞳は、これまでに見たどれでもない想いが宿っていた。
 対面に座るアシュレイは、発言に対する驚きと同時に、その瞳に対する衝撃に飲まれる。

 そこに宿されているものは何なのか、語るとすれば――


 「言いたいことは、それで仕舞いか」


 予告。


 「揃いも揃って、『崩壊』のマスターに出し抜かれたと白状した揚げ句に、露になった本性がそれか」



 殺意。
 挙動。
 火花。


 そして、七草にちかの座席上でアメジスト色の炎弾が燃え上がった。

 「――――ッ!!」

 この局面において近隣の者に露呈しない程に加減されたそれは、簡易に作られた円卓一帯を盛大に焼け焦がし。
 即断によってメギドの貫手を振りぬいた峰津院大和が、青紫の鱗粉を発散させながら教室の中央で炎とは対極の冷徹さを放っていた。

 避けたというよりも、ほぼ風圧に押しのけられたような櫻木真乃田中摩美々は左右に呆然と転倒して。
 何が起こったのかと目を見開くばかりの七草にちかは、直前で机を乗り越えて退き倒したアシュレイ・ホライゾンから庇われている。

 「――念のため聞いておくけど、にちかを殺せば俺も消えることになるのは、分かってたよな?」

 峰津院大和の逆鱗を撫でたことは理解して。
 ただ、マスターを害そうとしたことに怒りはすれど全く警戒していなかったものではなく。
 故に、まず『お前はカイドウの復活を察知した上で、今この場にいる者を皆殺しにする判断をするヤツだったのか』の観点から問うた。

 「口上は伝えた。殺意も開示した。その上で回避もできんなら貴様らの瑕疵だ」

 なるほどその殺気は地平の戦線で開示されていた圧と等しいものがあり。
 アイドルたちは、ただただ竦むしかできない。

 「さらに貴様に限って言えば、よもや夢想に取り憑かれたのみならず。
 神輿の薄っぺらさに気付かなかったほど落ちぶれていたのは私にも予測不可能だった」

 お前は、一度同盟を現実的観点から切り捨てられただけで鞍替えを図るような連中に奉仕していたのかと。
 元より方舟の思想に同調するつもりはなかったが、『ライダーがマスターたちの考え方を見誤っていた』ということであれば、矛先はライダーにも向く。

 「交渉で提示された『全員の同意による堅い決意だ』という前提さえ虚偽だったとなれば、これは茶番だったか」
 「ちょ、ちょっと……!」

 自分たちに失望されるだけなら、良くはないけど、まだ良い。
 けれど、ライダーが渾身の交渉においてぶつけた心まで否定されかければ反論が出る。

 「言いたいことはそれだけかって、全然それだけじゃないです!
 ……ってゆーかそもそも、これ私とライダーさんとの話ですから!!」

 この場を圧倒する覇気の中でも言葉を紡げなければ、全てが終わる。
 心底からそう悟って、他の二人もまた口火を切った。

 「ライダーさんにも……思ったよりずっと意外そうな顔、させましたよね」
 「は、はい。私達の言い方が悪かったなら、それはお二人とも、ごめんなさい」

 言葉を間違えたのは申し訳ないと謝罪して、にちかにそう言わせた真意を分担する。



 「私は………さっきの通話で、死柄木さんに、負けました。色んな意味で」



 先ほどの戦線を動かした側にいるという、責任の一端を肯定して。
 その一言で苛烈な眼光が向けられ、身を震わせながらも。

 「死柄木さんを方舟に乗せることが叶ったとして。
 それで死柄木さんが世界を滅ぼしたらどうするのか。
 あの時に答えられないまま、峰津院さんがここに来ることになって」

 ライダーはその責任を、自分が取ると言ってくれたけれど。

 「私の選択が、どこかの世界を滅ぼしていたのかもしれない。
 ……そう思った時に、峰津院さんが『本当に世界の滅びを背負ってる』ことを、思い出したんです」

 摩美々は、『仮定としてお前は世界を背負えるのか』というだけで、あれほどの『重み』を感じたのに。
 まさに大和は、『その重みそのもの』を背負った上で理想を語っていることに、本当の意味で気付いたのだ。


 偶像達は、滅びの魔王にあれ以上の時間を与えることができなかった。
 だが魔王は、それとは知らずに偶像たちに『気付き』を与えていた。


 峰津院大和の眼光は変わらない。
 弱者からおもねりを持って褒めそやされること自体は、既知のものだから。
 だから摩美々にできるのは、おべっかではなく、心から凄いと思ったのだと伝えることだけだ。

 「峰津院さんの言ったことぜんぶが正しいとは、思わないけど。
 その覚悟は本当にすごいことだし、ライダーさんが東京タワーでたくさん褒めてたのも分かります。
 報われない人を助けたくて、世界を今よりもきれいにしたくて、理想のためなら悪になってもかまわない。
 それを抱えて戦って、苦しんでた人を、私は知ってるから」

 いざ味わってみた魂の重さは、やはり21グラムじゃなかった。
 目に見える世界そのものを変えてしまうことは、想像もつかないほど重たくて。
 きっと、『彼』も重たくて、しんどくて、顔は笑ってるけど心は泣いてるよ? みたいな感じだったんだろうな、と。
 彼の感性が、行動の苛烈さに相反して人間臭いことは知っていたけれど、それでもやっぱり凄いと思った上で。

 もう、重ねすぎることはしない。
 似てないところもたくさんあると分かっている。
 あくまで平等主義だった彼と、実力主義の大和。
 この世界ではあくまで狡知に頼る弱者であった彼と、そういう戦い方をもっと嫌悪し、もっともかけ離れた大和。
 たぶん彼が目指していた世界こそが、大和に『この世界を腐らせた』と言える根本には違いなく。
 大和からしてみれば、引き合いに出されるのも不快だろうけど。

 「一人でもたくさんの人と一緒に帰りたい。
 そうでなくても一緒に歩ける間は、とりこぼしたくない。そう考えてるのは、変わり無いです。
 最後はああいうことになっても、死柄木さんの言葉で気付けたのはほんとだから。
 だから、もし分かり会えなくても何か遺すために、話を聞くのはやりたいです」

 たくさんの人を殺したことに対する考え方だって、彼と大和ではきっとぜんぜん異なるのだろう。
 だが異なっていても、どんな心境だったとしても、理想に殉じる道は孤独と切り離せないものだから。
 ライダーはその孤独に寄り添おうとしてくれた。
 もういない彼に対しても。
 眼の前の峰津院大和に対しても、同じように。

 「ただ、私達がそう生きようって望むだけで、願いが叶わない人達がいる。
 だから、どうしても一緒にやっていけない時に、私達も『奪う人』になるのは本当だと思う」

 寄り添うのではなく命を寄越せと、それを必要とする人達はいる。
 だから、新たに決めなければいけないのは、認めることだ。
 とりこぼさないよう気を付けたところで、『最大多数の生還』は、『気の合う人だけ救う』と紙一重で。
 この先、どうあっても相いれない人とどちらかが死ぬまで対立した時、こちらが生き残っていた時は『人殺し』だと。


 「君たちは、知っていたのか……?」


 生存競争と言えば聞こえはいいけれど。
 誰かにとっての『人殺し』と呼ばれる対象になる。
 そういう、これまで彼女たちが絶対に言ってこなかった言葉が。
 ずっと心の底にあったかのように出てきたから、アシュレイは尋ねた。

 「ライダーさん」

 今度は自らの番だというように、櫻木真乃が替わった。

 「アイさんの決意も、きっと同じ舟には乗れないものでした。
 でもアイさんは、私の背中を押してくれたんだと思います」

 ――汚れても、私は立ち続ける

 あの言葉は、強靭さだけではない、強がりのようなものがあって。
 だから二度目に電話した時には、仲直りがしたかった。
 すごいめぐるちゃんが好きなんじゃなくて、めぐるちゃんが好きだと言った時と同じように。
 『すごくて最強で無敵のアイさん』じゃなくて、本音で話してくれた『アイさん』のことが今では嫌いではないと、届けたかった。

 「ライダーさんは私達よりずっと長く交渉をしてきた人だから。
 全員の説得は難しいって、ご存じだったんですよね……?
 それでも、私たちのために、もしもの時の責任を取るつもりだったんですよね」
 「それは……」

 アシュレイからすれば、それをマスターたちが背負うものという認識はなかった。
 戦場に立つのは、マスターではなくサーヴァントなのだから。
 どうしても分かり合えないと定めた相手を斬り伏せることになるとすれば、それはサーヴァントの役目だと。

 「その責任は、一緒に背負います。
 私は、誰かの隣に寄り添うぐらいしかできませんけど。
 誰かの隣にいるためなら、戦えますから」

 《せめて、戦う覚悟くらいはした方がいいと思う。 
 ……そうじゃなきゃ、どんどん取り零していくと思うから》

 アイさん、背中を押してくれてありがとう。
 次に会った時は、そう伝えたいと思った。

 そして、それらは『お祈り』でしかないものだから。
 どうしたって、現実の前には裁断される。

 「――くだらん。ただの命乞いに美徳を付与しようとしているようにしか聞こえん。
 なるべく大勢に寄り添いたいというなら、自分たちより大勢救える者がいれば生還枠を譲るとでも言うのか?」
 「その時は、分かりませんよ!」

 だから、初めに祈った少女が立ち上がった。
 七草にちかが初めてアシュレイの前に出るように起立し、一時は誇張なく最強のマスターだった男に向かい合う。

 「これ以上迷惑をかけるなら、消えた方がいいのかもしれない。
 でも、私がアイドルになるのをずっと見てる奴がいるんです。
 私なんかよりずっと大人で、誰かの為に動ける子で……あんたにとっての、生活保護を受けてるような奴の中に」

 かつて大和に対して抱いた怒りが、七草にちかのもとに戻ってきて。
 恐ろしいだけでなく、自分よりもずっと頭が良くて才覚を持っている人に、エゴで喋っていると分かった上で。

 「……でも、あなたの世界だって、ぎりぎりまで助けるための協力はします。
 嫌いだから助けたくないなんて、もう言いません」

 その上で、子どもっぽい駄々はできるだけ乗り越えよう。
 ライダーからも、『発散の仕方は考えろ』と言われたように。

 炎熱がまだ燻るような緊張感の中でアシュレイには納得が落ちた。
 帰還先の世界に補償ができるなら永遠の旅をしてもいいと思っていたのは、エゴだったけれど。
 【それで彼女たちに負債を背負わせずに済む】と安心したつもりになっていたのも確かで。

 「帰ってきて良かったよ……なんだか、立派になったにちかに会えた」
 「恥ずかしいこと言うのやめてもらえますか?  あの魔王様のおかげなのが、だいぶ悔しいんですよ」

 死柄木弔の言いようには七草にちかも怒りを抱いた。
 方舟に乗るつもりが無いと分かり切っているのに、乗せてくれたら世界を壊すけどいいかと聞くなんて、と。
 でも、それは裏を返せば。
 もしも『元の世界に帰ったらたくさんの人間を殺そう』という企みを、誰にも知られず密かに抱いている者が舟に乗っていたなら。
 そうなった仮定に、また即答できなかったということでもある。

 永遠の旅までして願いを補填しようとするライダーがいたから。
 『願いを諦めて舟に乗れ』という願いから生まれる残酷さを、見ずにすんでいた。

 「ライダーさんがなりたいのは『辛い時、苦しい時、悲しい時に何処からともなく現れて、助けてくれる無敵のヒーロー』なんですか?」

 もうとっくに答えを知っていることを尋ねる。

 「いいや……共存共栄でいたい、万人に門戸を開きたいのは間違いなく本心だ。
 でも その上でなりたいのは、もっと地に足のついた、皆(だれか)の為のヒーローさ」

 かつては、理想の英雄を見て、ああなりたいと思っていた。
 でも、今ではなれないと知っている。
 それと同じように。
 彼女たちも普通の女の子であるがゆえに、現実を知っていた。
 全員を助けられることは、きっとない。

 「そうですよ。どんなに強がっても、なりたい姿はこんな私達でしょ?」

 その上で足りなかったのは、覚悟だ。
 自分たちだって奪う側にはなり得るのだという、覚悟。
 守ってくれたサーヴァントたちの不在において、彼女らはそれを理解した。

 「すまない、大和。確かに移動中の俺は、過保護だったみたいだ」

 ――逆だろう。悲惨な現実など早く知っておくに越したことはあるまい

 少なくとも、あの言葉に限ってはぐうの音も出ないほど大和が正しかった。
 彼女を脅かすものを、全部排除したかった。
 彼女の望む場所に連れていってあげたかった。
 でも、危ないものを全部とりあげるだけでもいけないのだ。

 「料理で包丁に触らせないのと、包丁を触るときに手を添えて見守るのは、違うよな……」

 ようやく違和感の正体に、気付く。
 それは、『優勝者を出そう』と言葉にする時に、わずかだけ宿った新たな表情。
 七草にちかは、笑おうとしていたのだ。
 作り笑いで、ぎこちないけれど。
 残りの聖杯戦争を、アイドルとして生きようとしている。

 だから、大和にも告げる。

 「お前が言う『現実』の見解だって、きっと必要なんだよ。
 だから、お前が生き残れるように尽力するから、この子たちにも現実的な意見ってやつをくれないか?
 おでんさんだって、俺たちのこういう所には、死った上で手を貸してくれたんだと思うから」

 メギドの残滓は、もはや燻りだけが残されていて。
 峰津院大和の存在感はやはり規格外の魔人だったけれど、場の全員が彼の外面ではなく心を見ようとしていて。

 「詭弁だな」

 けれど、やはり力のない言葉だけでは頷けないのが峰津院大和でもあった。
 拒否を示す言葉には、それまでの主張を通してもやはり心は靡かなかったという他愛なさだけがある。

 言い捨て、場の退去を選択する。
 カイドウが健在である今、『それの当て馬として今だけは殺さない』と判断するだけの理性は働いた上で。
 それでも、彼らと陣営を同じくすることは無いのだと。

 「どこに行くんだ?」
 「本社の被害状況を確かめる。どうぜハイエナか連合に荒らされているだろうが、事実確認は必要だろう」
 「だったら俺たちも手分けして――」
 「人質の餌をちらつかされたら、眼前の用事を捨てて右往左往するような輩に何を任せる」

 次に会うまでは敵同士にならないのが、貴様らにかける最後の報恩だ、と告げて。
 力をなくし、それでも理想は手放せない覇王の器は、どんな引きとめの声にも構わず背中を向けた。


 ◆


 くたびれはて、精魂も文字通りに削り取られていた。

 ランサーとの感覚共有によって東京タワー地下の崩落、正体の分からぬ現象を数々目の当たりにして。
 海賊同盟の片割れが喪失し、霊地の恩恵は手の届かぬところに行った。
 未だに、視界の端では少女の姿をした呪詛が己を問い詰める。
 そう言った、直接的な状況の手詰まりを差し引いても。

 寿命の九割を差し出して欠落した気力の中で、昨日から安眠もできなかった無理が一気に祟っていた。
 本来のプロデューサー業をやっていた頃も、過労を案じられることはたびたびあったけれど。
 路地裏に座り込み、さしあたりの疲労感を逃がすことに時間を費やしている。
 ランサーに対する魔力供給も極力までカットしたため、霊体がそば近くに感じられるのみ。
 そのために気配探知の哨戒力さえも、最低限にまで落とすことになってはいたが。
 傍目に見てもまずマスターの休息が第一と思える様相だったのか、猗窩座も警告は述べなかった。


 ――方法を、間違えるな。そいつの幸せとやらが気になるなら、そいつに直接聞くなりしてみればいい

 ――その後どうするか、ちゃんと話しておくことだな

 ――聞かせてくれた……プロデューサーさんの言葉……お祈りを……届けられれば……。


 アイドルたちは、己と違って鏡面世界を移動できなかった上で杉並区の激戦から退避している。
 であれば、未だに杉並区の近辺にいるのではないか。
 己を運び出しながら撤退するランサーに西へと行き先を告げたのは、以前からそんな思い付きがあったから。

 だが、何を祈ればいいというのか。
 彼女はどうしたら幸せになれるのか。
 その答えをもたらし得る少女が、この世界に一人しかいないことは分かっている。
 そして、ただ会って尋ねるわけにはいかないという思念もある。
 光のもとに連れ戻されるわけにはいかない。
 七草にちかの為に聖杯を捧げることがただの形骸なのだとしても、心臓が最後のひと打ちを告げるまでは燃えなければ。
 ではどうやって、ただ求めるべき『祈り(こたえ)』だけを聴き取りだせばよいのか。

 己を呪ってくる七草にちかの幻影が、耳元で囁くように。
 この身は、あたたかく迎え入れられるのではなく、滑稽がられて糾弾され嘲笑されるべきだと。

 故に、中野区にほど近い杉並区の北に不穏な騒動らしきざわめきがあると告げられた時も。
 ランサーを向かわせたことに、まずは偵察、以上の意図はなかった。
 その少女、七草にちかがいるかもしれないという緊張感によって、鬼としての感覚共有は再びつなげていたけれど。

 ならばどうしよう、という算段はつかなかったから。

 無防備な心に『歌声』が聴こえてきたのも、空耳かと思われた。

 元より猗窩座の血鬼術にて強化されるのは身体性能であって、感覚器ではなかったが。
 上弦の参としての探知はもともと、『生物の動きを掴む』ことに特化したものだ。
 優れた歌唱力を持った者が、精一杯に声をあげていることは知らされて。

 そこに既視感が、男をくすぐっていた。
 共有した聴覚には、鳥の羽音もまた聴こえてきて。
 視覚共有に写る燦燦とした街なみは、公園が近いことが察せられて。
 だからそれは、半分は記憶から聴こえてきたものだ。

 なぜこんな時に、という疑念さえもとばして。
 やさしく、やわらかく、寄り添うような声がたしかに耳に入った。
 とても懐かしく、久方ぶりに聴く歌声。



 【遠い空の果て】



 にちか以外の偶像を正視できない苦さとは、切り離された懐古だった。
 聖杯戦争という舞台に身を投じるよりも、七草にちかという女の子に出会うよりも。
 もっとそれ以前の、23人のアイドルの輝きをプロデュースするより、さらに昔のことだったから。

 ――スポットライトが当たって、カメラが回って、それでコンデンサーマイクが拾うみたいに、聞こえてきたんだって、声が。

 それなのになぜ、いつかの七草にちかの言葉が、重なってしまうのか。
 ああ、けれど。
 その話を聞いた時は、少しだけ思い出すものがあった。

 ――その、特別な女の子の声が。

 はるか過去、その男が『本来のプロデューサー』という形になった日の。
 その男の思想の根幹となる、『特別で普通の女の子』が心に刻まれた日。
 それは、全てが始まった日の歌。

 【星はそっと 流れてく】

 アイドルとの出会い。
 公園の歌声。

 それはヒカリの音楽。
 または、クロノスタシス(いつかのおもいで)。


 ◆


 「え……わざわざそれを渡しに追いかけるんですか?『そんな庶民的なものは口に合わん』とか言い出しそうじゃないですか?」
 「だめかな……霧子ちゃんたちの分と重ね置きしてたから、まだあったかいんだけど」
 「それなら、俺が一緒に行こうか? この状況で理に合わない対立をするヤツじゃないけど、さっきの一触即発のようなこともあるかもしれない」
 「ありがとうございます……でも、私達が峰津院さんを怖がってるところばかり見せても、峰津院さんもこっちを信用しにくいんじゃないかって思うので」
 「いや……でも、あなたがそこまで……」

 七草にちかもライダーも、真乃が一人で大和を追いかけることに懸念は示してくれた。
 おそらく、世田谷のことだけでなく、櫻木真乃が新宿事変に立ち会ったことを慮ってくれたのだろう。
 真乃とひかるが目の当たりにした『特別な友達ふたりをはじめとした病人たち』の、発端は皮下医院にあったことは後々に分かったことだけれど。
 ああいう遭遇を引き起こし、ああいう結末になった原因の一端に峰津院大和が関係している以上、『櫻木真乃にやらせるのはどうなのか』という遠慮を、二人が抱いてくれるのは気持ちとしては優しいと思う。

 でも、だからこそ。

 「灯織ちゃん、めぐるちゃんとは、ずっと一緒にいられませんでした……ここだけじゃなくて、元の世界でも」

 人間関係に、『ずっと』や『絶対』はきっと無い。
 283プロダクションが閉鎖し、プロデューサーも孤独にしてしまったのみならず。
 イルミネーション・スターズは、三人でおばあちゃんになるまでずっと一緒にいようといっていた。
 事務所が閉鎖されるようになったころ、櫻木真乃は二人と離れてめったに会わないようになっていた。

 この世界には、事務所を続けてくれた人達がいたから、また三人一緒の時間が持てたけど。
 ふたたび再会した二人は、やはり当たり前のように『ずっと一緒にいようね』と言っていて。
 どんなに本気で『ずっと』だと思っていても、現実はそうならないのが答えだと悟った。

 「だから……届けられるかもしれない間は、なんでもやってみたいんです。
 私は、誰かの隣にいるアイドルですから」

 そういう私を、ひかるちゃんが『きらやば』だと言ってくれたから。

 「だれかの隣にいてほしいって……あの人が、思うのかな?」
 「えっと……すごい人が報われる世の中にしたいって、峰津院さんは言ってたよね」

 櫻木真乃は、思う。
 報われてほしい、特別な人を好きになる時は。
 たしかにその人のすごいところも好きになるけれど。
 でも、それだけなのだろうかということを。

 「私は、めぐるちゃん達のすごくないところも好きだったけど。
 峰津院さんはそういう風に……どこにでもあるものや、誰かのすごくないもののことを。
 好きになったことが少ないのかもしれないって……そう思って」

 だから庶民的な味も知ってもらおうとするのは、安直すぎる考えかもしれないが。

 「それに、あの人はさっき、おでんさんがいなくなって、私達が生きてることに怒ってたみたいだったから……。
 おでんさんの為に怒ってくれていたことだけは、なんだか嬉しくて。だから、大丈夫です」

 あの人もまた、光月おでんの喪失をどうにもできずに持て余しているのだとしたら。
 せめて、『あなたの隣で、あなたを助けたい人がいるのはおかしなことじゃないんだ』と。
 それだけでも伝えたいと思った。

 だから言ってきますね、と片手にはビニール袋を提げていたので。
 右手を握りこぶしにして、胸の前でぎゅっとさせて、いつもの『むんっ』という仕草をした。
 それを見たにちかの瞳が、驚いたように揺れる。
 なんだか見覚えのある、懐かしいものを見たかのように。

 何かを想ったのかなと気になって、もう少しだけ言葉を足したくなった。

 「えっと、さっきにちかちゃんが、ライダーさんを元気づけてたのも、とっても『アイドル』だったと思うよ?」
 「私……アイドル、近づいてますか?」
 「そうだよ」

 一言で返事をする。
 もう急がなきゃと峰津院大和を追いかけはじめたから、にちかがどんな顔になったのかは見ていない。


 ◆


 また、狡知を弄して小細工をした者がいるらしい。
 校舎を出た直後に、峰津院大和は悟った。

 なぜなら、人が異様な数で歩いていたからだった。
 スーツをくたびれさせ、こけた頬と細い首筋からだらりとネクタイを垂らした、会社員らしき男。
 フードを被った、小柄で着弱そうな少年。
 亜麻色の頭髪を手入れもそこそこに力なく垂らした、スーツ姿の女性。
 金色に染めた頭髪を奇妙な形に盛り上げた、サングラスの不良者。
 そういった老若男女を問わない、ただ強引に覚醒させられたNPCだとは知れる人の群れ。

 それらが本来ならばただの通学路であるはずの路地を、東から西へと、ぞろぞろと。
 それらに加えて、『異様な行列』に驚きや畏怖を抱いたのか、近隣の集合住宅からも人は顔を出している。
 どこからかやって来たNPCが、付近のNPCを呼ぶという一過性の人溜まり。
 意図はおそらく、世界の崩壊を悟って『東京の外にでる』という無駄な足掻きに走ろうとしてのもの。
 戦う権利さえ持たない落伍者たちの群れだった。

 見苦しいが、いささか面倒だというのが公園の敷地内にいる大和の所感だった。
 とりたてて、その群れをあしらうことは何ら面倒ではない。
 もし彼らが峰津院に眼を留めれば即座に『新宿の災害の関わっていたあの男だ』と察知した上で。
 ではマスターとして大量虐殺を行い、今もこの世界を消そうとしている男かと、憎悪ぐらいは向けられもする。
 しかし、それだけだ。
 魔術の行使に制限が加えられているとはいえ、一般人をあしらう程度であればいくらでもやりようはある。
 広範囲魔術で虐殺するなり、身体強化術を行使して即座に離脱するなり、数々の手立てはある。
 むしろ、先刻放った殺気を周囲に放つだけで、たいていの一般人は腰を抜かすか逃げるか、そうしなくとも悟るだろう。
 敵意を持って接すれば、命脈を絶たれるのはどちらかと。

 だが、校舎に入った時点では見受けられなかった人口密度の急増。
 杉並区に意図して集まったような脱出難民の群れという作為性が大和に苛立ちを生じさせていた。
 要するに、この人込みが何らかの騒動誘発を目的とした、言わば『釣り』である可能性を否定できないのだ。

 魔術を行使して一般人に対処すれば、その気配を探知してサーヴァントがことを起こすという二段構えかもしれず。
 人の多いところで一般人を装うには、峰津院大和は認知度が高すぎる。

 さらに『崩壊』の浸食を経ていたことが、大和の判断をやや慎重に寄せていた。
 先刻の教室でも、身体の損傷を回復することに少しずつ魔力を回してはいた。
 七草にちかに見切りをつけて火球をとばした時点でも、『予告して回避の猶予は与えた』上で。
 『他のマスターに令呪を使われる前に収める』と全面対決には持ち込まれないよう見極めはした。
 だが、最大限でどこまでの戦闘性能を発揮できるか確証がない段階で、罠かもしれない魔術行使をすることに一拍、ためらいが生じて。

 その一拍で、場が動いた。
 公園を通って人込みを避けようかと横目を配っていた一人が、大和を見とがめて狼狽した声を出す。
 声をあげた側が次の瞬間には悪魔でも見たようにへたり込み絶望の顔をしたことが野次馬現象としては特異だったが、周囲もそれに倣う驚愕をした。
 『峰津院だ』という固有名詞は波及すれども、大量殺人者に対しては大衆は動けず。
 憎悪は持たれていても大和から発される覇気を浴びた恐怖によって、誰も怒声を出せず口を稚魚のようにパクパクと動かすばかり。
 その反応に心は動じなかったが、対処は必要になった。
 こうなっては仕方ないが、相応の注目は避けられない。
 広範囲魔術で邪魔者は掃いながらカジャを付与した身体性能で即時離脱を図ることを判断して。



 ――お も い  ね が い



 一音、一音。

 音程を取った声が公園へと高らかに、だがやわらかく届いた。。
 あまりにも場違いなやわらかさに、大勢の注目が歌う者へと向く。
 たしかにそれは歌だった。

 公園の敷地へと歩み入ったのは、偶像が一人。
 やわらかな要望に、配給食の入ったビニール袋を提げた少女。
 櫻木真乃

 ――よ ぞ ら を  か け る

 まさか、『配給食に手をつけなかったから、せめて持たせようと追いかけてきた』とでもいうのか。
 その発想は愉快ではなかったが、さらに理解不能なのは歌い始めたことだ。
 とっさの判断で、『峰津院大和にかかる注目を少しでも分散させる』と心がけたように。
 公園の敷地に、しかし峰津院大和の立ち位置とは違う方向へと、歌い歩みを進めている。

 ――き も ち  と ど き

 助けられた、と感じてしまう己が癪であり、不可解だった。
 厄介に感じていたのは注目を集めることで事態が悪化するリスクだが、少女は囮になろうとしている。
 この声量であれば遠からずライダーたちも場に現れる。
 敵の企みがあったところで、マスターを三人擁する『方舟』が釣りだされれば標的の変更なり撤退なりも浮上する。
 罠という可能性まで少女が見越しているとは思えないが、『囮』がいることで離脱する労力も少なく済む。
 その矛先は『明らかに相手が大和だと知った上で騒動を収めるために出てきた』櫻木真乃へと向かいやすい。

 だがそれは、替わりに場に残る彼女らが引き受ける厄介ごとを度外視した場合の話だ。

 ――こ こ ろ は  ひ と つ

 光月おでんが、なぜ大和を生かしたのかが理解できなかった。
 交渉人のライダーが、なぜ的になることを承知で大和を抱え込んだのか理解できなかった。
 それと同様の不可解さで、櫻木真乃のやっていることが分からない。
 聴衆とて、第一印象はよく通る歌声に圧倒されたが、それを通過すれば不信の念は向けられる。

 ――ほ し は  ひ か り

 くるくると注目を集めるようにステップを踏む彼女も、話に聞く『マスター』ではないかと。
 それでは彼女もまた、東京に災厄と終わりをもたらす悪魔の一人ではないかと。
 NPCからの、むき出しの感情を、化け物を見るような憎悪がやどった視線と、少女の目線が合い。
 その刹那だけ、既視感を覚えたかのようにアイドルが遠い目になって。

 ――み ん な を  て ら す

 しかし、すぐさま舞台の真ん中で笑顔を浮かべた。
 アイドルは、眼をそらさない。
 ひとつの歌が終わり、さらに場を途切れさせぬよう別の歌を始めた。

 ――遠い空の果て

 敢えてゆっくりした曲を選んでいるのは、歌詞を深読みされまいとする配慮だろうか。
 明るく希望を讃えるような歌は、余命宣告をされた者たちにとってかえって残酷かもしれないからと。

 『私は、誰かの隣に寄り添うぐらいしかできませんけど。
 誰かの隣にいるためなら、戦えますから』

 愚直に、字義通りにその言葉を守ろうとするかのように。

 ――星はそっと 流れてく

 魔力反応に、来た方を振り返れば。
 校舎から出てきたばかりらしきライダーが、星辰光なる力を振るおうとしていた。
 銀炎をパフォーマンスに用い、群衆の意識を真乃からさらに拡散させようという意図か。

 その背後にいるマスター二人が櫻木真乃に向かって頷いているのを見るに。
 『行動は驚きだったけれど、判断は肯定する』という意思表示らしい。

 ――小さな光が 咲く一瞬が

 いずれにせよ、理解できないとはいえ離脱する機には違いなかった。
 こうなっては場に留まり続ける方が愚かであることにはどんな考えなしだろうとも自明だ。
 己に向いた憎悪を引き受けさせる結果にはなるが、それがどう転んだとて連中が自ら選んだ結末だと己に言い聞かせた上で。
 速度に重きを置いた身体強化の用意は既に、


 ――とても ま『タン!!』「ぶっ」



 歌がただの『声』に一瞬だけ戻り、そして途切れた。
 撃ち抜かれた風見鳥がそうなるように、偶像の胴体がくるりと舞う。
 顔に笑みを張り付けたまま、胸と背中から血の華がぱっと咲く。

 地面にどさりと倒れた時点で、もうそれ以上は動かない。
 銃声の余韻は、そう長くは続かない。

 一般人NPCから構成された人の群れ。
 結果的には、そちらに対処せざるを得ないというサーヴァントらに対する陽動であると同時に。
 魔力、呪力という観点からは一切サーヴァントに悟らせることなく接近できる『一般人にしか見えない』男にとっては。
 それは、いざという時に紛れられる遮蔽物代わりであると同時に。
 『呪具さえ出さなければ集まってきた野次馬の一人と一切判別をつかずに接近される』というチャフとして機能する。

 大衆に驚愕の小波が走り抜け。
 一瞬で血に塗れて倒れたという事実が伝わることで、それは恐慌の騒乱に変わり。


 田中摩美々が、のども裂けるような悲鳴をあげた。


 【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ 脱落】


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最終更新:2023年06月20日 19:35