◆◆
桜の花びらが、散り急ぐその下で。
幽谷霧子は、教会のステンドグラスの絵を思い出していた。
そこが教会であれば、数多く見かける構図のそれは。
きらきらと輝く、聖母子像の硝子細工だった。
(女の人と一緒にいる……小さな子……)
それは決して、眼前の光景が喜ばしいものに見えたということではなく。
むしろその逆で、ただならぬ終わりの出来事を迎えた少女たちだったけれど。
(たくさん、たくさん……音がする……)
物音は、ひとつもなかった。
動かない二人の少女と、立ち尽くす一人の少年と、静寂ばかりがあった。
だから音になって響くのは、色と、痛みだ。
たくさんのそれらの、細かな接合。色に色が重なって見えるもの。
色が眼に刺さるように、まぶたを熱く、悲しくさせてしまうもの。
人影をぼうっと見下ろすような、木の幹の罅割れた茶色。
降り注ぐことを止めない、花びらの桜色。
流れ落ちる髪の、女の子を彩る桜色。
そんな桜色に翳された、脈打っていない面差しの白色。
女の子を覆い尽くす、包帯を巻く余地のない血の赤色。
乾いた赤も、濁った赤もあれば、濃き緋の鮮やかな赤も、入り混じる。
つまりそこに見えるのは、ペンキをぶち撒けたような単一色の、血糊ではない。
血糊の下に、その血を湧き出した『ざっくり』とした傷の赤色がある。
(…………っ)
一度、眼を逸らさない意志だけは固めていた。
仁科鳥子を手当した時に。
それでも直視して震えたのは、むごさというよりも痛さだった。
痛々しさだけではない、愛情の切なさのようなもの。
だって、この傷を負った上で最期に成したことが『笑顔で膝枕をする』という慈愛だったのだから。
その対象は、半身を起こして寄り添うのは。
服と印象とで、空の蒼を纏った女の子だった。
横髪のおさげ二つは差し色のように黒くて、霧子に顔を見せない向きで。
ぱちりと身を起こして、桃色の少女に向かって言葉をいくつか語り掛けて。
そのままじっと止まって、視線を逸らさなくなった。
命がいなくなった女の子に、身体を受け止められたまま。
生きている肌の色をした顔が、白皙の顔と向き合っている。
声をかけることを躊躇ったのは、それがまぎれもなく哀悼の時であるように見えたからだ。
きっとこれは霧子が知り得なくても、たとえ辛いことだったとしても、大事な時間。
邪魔をしてしまったら、きっと二度とは訪れない時間。
気まずそうな顔を見せた少年も、だから近くで立ち尽くすだけに徹していたのだろう。
しかし、何事かをもたらした危機は終わっていないのではないかと、懸念する者がいるのも無理からぬことでもあった。
「霧子、霧子。アイさん、危ない匂いが近づいてないか警戒するね! 」
しっぽをぶるんぶるんと意気軒高に揺らし。
髪の毛と判別つかぬ犬耳を、いわゆるイカ耳という警戒の形にして。
鼻をくんくんとさせながら、幼き犬姿の少女はぱたぱたと駆けていく。
接近者の探知であればセイバーがやってくれると、そう止めるのは避けた。
自衛のために匂いをかぎ取ろうとするのはアイ自身が安心するための行為であることも分かったし。
何より出会ったばかりの女の子たちをあまり大勢で囲んでも、緊張が大きくなるかもしれないから。
「うん、ありがとうアイさん」
「アイさん?」
友人にお礼を伝えただけのはずが、それは相手方に反応をもたらした。
霧子の立姿と、背後のセイバーの異相を代わる代わるに温度の違う顔で見比べていた少年が。
知り合いの名前でも持ち出されたように、怪訝そうな声を出したのだ。
そして、幼き少女の小さな背中もまたぴくりと揺れた。
初めて外界からの声に反応したその背中には、返り血があった。
膝枕に至る過程で身を預けて、もう一人からもらったのだろう。
肩甲骨がありそうなあたりに、二つ。
血が乾いて、腫れたかさぶたのように見えた。
千切れた羽が生えていた跡。
それが、くるりと身を回して見えなくなる。
「アイさん……?」
とても久しぶりにあった知己の名前を呼び返すように。
そう反復して細い首が、雫をたたえていた瞳が左右に動いて。
ぱっちりと、目と目が遭った。
であれば、霧子が次にすることは決まっている。
お辞儀だった。
「こんにちは」
「こんにちは」
銀色の月を湛えた蒼色の少女。
白色のお日さまを宿した水縹色の少女。
少女がふたり、はじめましてをした。
距離はそのままに、しかし少女と目線を合わせるために腰は落とす。
女の子の大きくてあどけない瞳に、今では涙はなかった。
「いきなりの、挨拶で……ごめんなさい……」
まずはお詫び。
そして自己紹介も大事だが、『お話ができるかどうか』を確かめるのも大事だ。
それは、お話どころではない怪我をしていないかどうか、でもあるし。
あなたが言葉を交わしたくない時なら、それを無理じいしないと伝えたいのもそう。
何より、わたしたちが警戒をさせてしまっていたなら、解きたいのが一番にある。
女の子のことを霧子はまだ何も知らないし、それは女の子の方も同じだから。
謝らなくていい、という仕草でふるふると首を横にふる女の子を、改めて見つめる。
返り血を除けば、これといった外傷は見受けられないように見えた。
ずっとそばにいた少年が手当などを焦っている風ではないから、その点は心配無用かもしれない。
そして、挨拶や受け答えは今のところしっかりしており、意識も明瞭。
大事そうに見つめていた人との、別れの後。
そして見知らぬ闖入者がいた今、という時にあって動揺したところはない。
それはショックを受けることがあったが故のぼんやり、という風でもなかった。
特にふらつきもなく立ち上がり、すっくと背筋を伸ばして目線もしっかりと霧子達に向けている。
霧子のすぐそばに
黒死牟がいた上で、なおそうだった。
これまで多くのマスターが、子どもか大人かを問わず驚いたり恐怖してきた、その人を。
(アビーちゃんの時みたいに……セイバーさんは大丈夫だよって、言わなきゃと思ってたけど……)
それはその子の世界の見え方によるのか、心に起因するのか、それとも無理をさせていないか。
ぱっと思い浮かんだ色んな考えは、しかしもっと微笑ましい理由がすぐに取って替わった。
女の子が立ち上がって最初にしたのは、かたわらにいた少年の服の裾をちょんと掴むことだったから。
……サーヴァントさんへの信頼、かな。
ふふっと、笑いそうになるのを今はだめと抑える。
頼られた少年の方は「お前、こういう時ぐらい……」と、まごまご言いかけていたけれど。
少年の二本の脚は、いつでも女の子を庇えるような立ち位置だったのを霧子は見ていたから。
ふたりの信頼は双方向のもので。
この人がいるならひとまず大丈夫、という事なのだろうと霧子はいったん受け止める。
「はじめまして。それに……お返事をしてくれて、ありがとう」
何を想っているのと『声』を聴きたい気持ちはあるけれど。
霧子が近づいてもいい時なのか、心配はあるけれど。
まずはその様子から読みとれる心配を、優先しよう。
大きな災禍を経験したらしい様子。
さっきまでは泣いていた子。
そう、泣いていたなら。
こういう時は心と身体の怪我の心配だけでなく、生きるための営みも頭から抜けがちになる。
また炎天下で、昨晩のような動乱の渦中にいたなら、汗もすごく流しているはず。
そして、この酷暑の元で、給水施設も販売もない街で。
そして齢十にも満たぬ子どもという、極めて脱水しやすい条件。
「もし、大事な時間なら……近づかない方がいいなら、少し、離れてるから」
あなたの悲しみに、想いに、邪魔をしたいわけではないと前置いて。
荷物から、ピンク色の水筒を取り出した。
甘くはないけど、苦くもない。
恋鐘はしっかり、おにぎりに合う飲み物がいいと気遣いをしてくれた。
「怪しい人じゃ、ないよって……そういう話も、要るかもしれないけど」
彼女の口にあうかどうかは分からない。
そもそも何か口にしようとする気持ちでさえないかもれない。
けれど、このままでは乾いてしまう人を、放ってはおけないから。
「まずはお茶を、飲みませんか……?」
とくとくと、苦くない麦茶だと分かるようにコップを傾けてその色を見せながら。
気持ちが雫になって溢れてしまった時に、枯れぬよう注ぎ足すものを。
流した涙のぶんだけ、いつかの涙になってくれるものを。
麦茶の注がれた水筒のコップを、そっと差し出した。
◆◆
神戸しおは、『
松坂さとうの死』をその眼で見るのは初めてだった。
一度目に彼女がそうなった時、瞳に移っていたのは暗闇だったから。
ぱりんとビンが割れる音がしたと思ったら。
あなたが私を助けたんだと分かったら。
二人で歩いていた道のりだったのに、あなたが消えて。
夜道に投げ出された時には、もう私は一人きりになっていて。
あたりを見回して、『さとちゃーん!』と大きな声で呼んだ。
それなのに返事はかえってこなかった。
どうしようって、うつむいていたら。
ふわりと舞い降りて後ろから抱きしめるように。
あなたの愛が、私のところに降ってきてくれた。
私の愛は私の中にあることを教えてくれた。
だから寂しくないよ、ずっと一緒だよって。
いつか再会するその時まで、この甘さと生きていくんだと思った。
それが、一度目のさとうとしおの別離だったから。
思わず抱きしめたくなる、キスしたくなるピンク色の女の子は、血は赤かった。
神戸しおに全てをくれた少女を目にした時に。
初めて見る、美しい姿と、ずるい笑顔に。
しおの世界は、時間を止めた。
あなたという気持ちは本当に――。
(不思議だね、どんどん形が変わっていく)
甘くて痛い、毒を帯びた蜜のような狂おしさも、熱も、明るさも変わらない。
死がふたりを分かつものではないという確信も、同じまま。
だから寂しくないよと、笑顔はまた教えてくれる。
でも。
(あの時のお別れは、こんな気持ちじゃなかった)
白くて四角い病室で、しおはこんな風に泣かなかったはずだ。
甘さに融かされる熱い痛みとはまったく別にある、こんな。
こんな、冷たくて真っ赤な痛みは初めてだった。
寂しくないよ。
初めてじゃないもの、大丈夫。
でもどうしてこんなに、哀しいんだろう。
理由が分からなくても、望みははっきりと分かる。
もっと生きているあなたに触れたかった。
まだまだたくさんのことを話したかった。
ごめんねとありがとうの二つよりたくさんのことを、本当は伝えたかった。
私の中にある、あなたという気持ちがワガママを言う。
いちばん正直な気持ちを叫ぶ。
――これからもずっと、一緒にいたい。
その、望みは。
――ずーっと一緒だよ。さとちゃん、だいすき。
かつて生まれ変わった時に誓った言葉と、違っているような。
どっちも違わず真実なのだと、心ではよく分かっているけれど。
なんだか言葉だけは矛盾したことを言うような望みで。
(だって、二度も助けてくれるなんて、さとちゃんの方がずるをしたんだから)
それも元はと言えば、最愛のあなたがずるいせい。
だって、今度は私が守る番だと思っていたのに、二度も助けてくれるんだから。
そんな風に言い返したくなって。
おかげで、しおは思い出した。
(…………そっか、私、あの時も哀しかったんだ)
愛って何なの、私にはわかんないよ、と。
あなたを夢の中で問い詰めた時に、涙はなかったけれど。
そこで、一緒に死のうって二人で決めたのにと、泣きわめくことはしなかったけれど。
愛する少女と共に墜落し、助けられたことで、しおは確かに生まれ変わった。
生まれ変わったということは、一度死んだということだから。
死ぬほどの、致命傷を心に受けたということだから。
かつて、まだ友達ではなく武器だった少年が、少女をイカレていると評したように。
敵として立ちはだかった狂童の王子が、『もう塞がってる』と割れたこと自体は否定しなかったように。
共に死のうとしたはずの松坂さとうから助けられた時、神戸しおは心の亀裂を受けていた。
あの時、今この時みたいにいかないでと、ワガママを言わなかったのは。
哀しいなんて言葉でも表せないぐらい、心を占めるあなたが大きかったせいでもあるけど。
(どうしてなのか、分からなかったから)
さとうがどうして、しおを助けたのか分からなかった。
ただ、それが愛だったとは分かるから、ずっと考え続けて。
それでも『どうして』が分からないということは。
もらった献身が、意味することを受け取れないということだから。
『さとうが何をしたのか』と、『しおが何をしてもらったのか』ということが。
いちばん大事なところがぽっかりと空白になっていて、そこに向けるべき感情の向かう先がなかった。
でも、今は違っているから。
あなたは、愛するために生きて死んだんだと、しおは真実にたどり着いていたから。
だから。
神戸しおは。
しおを愛するがために死んださとうを、初めて見た。
それが、目を覚ました神戸しおに、訪れた未知の源泉。
松坂さとうの、ラストライフの証明。
神戸しおが、真実の先に見つけたもの。
ここは物語の終わりで、ここは物語の始まり。
あなたの名前を付けた気持ちを、また知った瞬間。
時間が止まっていたのも。
大事な友達が、ただそっとしてくれたのも。
あなたと見つめ合うために歩みを止めていたのも。
全てはただ、その時間を噛み締めるために費やされた。
(ごめんね、ありがとう――は、もう言わなくていいよね)
それは既に、伝えていたから。
さとうももう一度そう言ったと、しおには確信があるから。
「――――」
その上でなんて囁いたのかは、内緒。
たとえ
デンジにだって、これは教えてあげられない。
そのために、他の人には聴こえないぐらい小さな声で、耳元に言い残した。
ただいまとおかえりも、ごめんねも、ありがとうも、愛の言葉も、ぜんぶ言った。
そして『いってきます』をする為に、少女は玄関を立ち上がる。
「アイさん?」
かたわらにいてくれたデンジが、もっと前にお別れした人の名前を呼んだ。
どうしてらいだー君から、今その名前が呼ばれたんだろう。
アイさんに関係する誰かが、やって来たのかな。
「アイさん……?」
デンジにつられるように、呼ぶ。
ラストライフを見届けて振り向く。
しおは再び、界聖杯がくれた世界と繋がった。
◆◆
麻酔の香りがするお姉さんだ、としおは思った。
真っ白で、清潔そうで、よく干されて現れたシーツみたいな、病室の香り。
もしかしたらしおが覚えているそれは、麻酔だけでなく往来する看護師さんの匂いなども混ざっていたのかもしれないけれど。
幽谷霧子が携えている医療行為に携わる者の香りを、神戸しおは『麻酔の香り』のようだと見なした。
「ありがとう。落ち着きました」
「どういたしまして……おそまつさま、でした」
ふふっと控えめな笑顔。
演技の上手いアイさんを見た後とはいえ毒を盛るような余白は感じさせなかった。
何より、もし心配ならと先回りで毒見まで申し出られてしまった。
結局おかわりして二杯もいただいてしまったのは、この人の飲む分を考えれば図々しかったかもしれない。
心は区切りをつけても、体は消耗していたことを知る。
こういうところは大人になれないんだなと実感する。
「わたしは、幽谷、霧子っていいます。こっちはわたしのセイバーさん。
ちょっとこわく見える、かもしれないけど……こわがらなくていい、頼もしい、サーヴァントさんだよ」
わたしの、という時だけ気恥ずかしそうな、はにかんだ様子があった。
なんだか最近契約したばかりのような照れ方をするお姉さんだな、としおは首をかしげる。
デンジは「ちょっとか……?」とぼやいていたけど、たぶん自分のサーヴァントを「見た目は怖いけど」と断じたくない優しさなのだとはしおにも分かる。
その優しさは、しおにお姉さんの名前よりももう一歩くわしい手掛かりをもたらした。
今さら同盟相手を探すような暇もない戦いに次ぐ戦いの真っ最中に、そんな事情関係なく優しさで声をかけてまわる人。
そういうことをする集団がいるとこれまでMが、アイが、弔が、たびたび話題にしてきた。
そういう集団がいる、としか知らない。
その人達が何をしているだの、脱出がどうだこうだの話をしている時。
しおはしおでデンジと過去の話をしたり、デンジが鼻の下をのばすのを叱っていたから。
しおが覚えているのはひとつだ。
聖杯戦争をやろうとしない人達がいるらしい、と。
ともあれ、名乗り返すことにいやはない。
「わたしの名前はしお」
下の名前だけを名乗ったのは、たぶん『しおちゃん』という声の音が鼓膜に残っているから。
「わたしの大好きな人が呼んでくれた、大切な名前」
そう付け加えたくなったのは、しばらくその声が呼ぶ『しおちゃん』は聴けないんだと、しお自身に言い聞かせるのに似ていた。
『大好きな人』と言ったところで、デンジがそわそわと彼女の眠る木に視線を向ける。
そんなに心配しなくても大丈夫だよと説明する代わりに、彼の服を握った手を元気そうに揺らしておく。
「うん……大好きな人からの名前を、大事にしているしおちゃん……そう呼ばせてくれてありがとう」
まるでしおが発言する一言一句が得難いもののように、霧子はうんうんと頷いていた。
改まっての自己紹介をするなんて田中さんが来た時以来だな、と懐かしく思い出す。
……とむら君たちにまた会った時に、さとちゃんを紹介して自慢できなくなっちゃったな。
そんな未練にかられたしおが、心にちょっとだけ顔を出した。
「こっちはライダーくん」
「どうも……いちおう、こいつの保護者みたいなことやってます」
片手で後ろ髪をぼりぼりとかきながら、へこりと自己紹介をするデンジ。
ここで保護者の顔を出さないわけにはいかない責任感と心配と、でも鼻の下はのびる正直さと、全部が顔に出ていた。
ちょっと釘を刺したくなって、付け加えた。
「さっきわたしの大事な人を口説こうとしてたの」
「えっ」
「色魔か」
「俺はさすがに厳粛に臨むつもりはあったんだからお前も空気読もうな!?」
キン、と鯉口が切られるか否かの瀬戸際でデンジが絶叫する。
べつにデンジがさとう以外の女の子にもいい顔をするのは全然かまわないのだけど。
さとうを簡単に目移りが効くように扱われるのはかなりむかっとくるのだ。
一方で霧子の眼線は、うろうろとあたりを動いていた。
他にも紹介したい人がいるのかな。
そう閃いたことで、しおもまた思い出した。
もともと同じ戦場で戦っていたのは、四人だったことを。
「ライダーくん。さとちゃんのアーチャーくんは、どうなったの?」
それは、霧子と会話しながら片手間に念話で聴けることではなく。
だからしおは、声に出して尋ねた。
アーチャーのクラスならば単独行動スキルによって現界し続けられるはず。
……と、すぐ導き出せるほどしおは
ルールを隅から隅まで暗記しているわけではなかったけれど。
あれだけ強い敵がたくさんいて、デンジ一人だけで切り抜けられたと思えない状況となれば。
彼はなにかをしてくれたのでは、という話になる。
「お前の安全を絶対に確保するって……別れ際にそう言ってたよ」
デンジはためらいの後に、そう教えてくれた。
寂しさ悲しさよりも、やや後ろめたさが勝っていそうな雰囲気。
アイさんを終わらせた時よりは、叔母さんを失った後にしおを見る時の感じに近いだろうか。
「そっか」
だから、経緯は分からないなりに。
アーチャーがその意志でこの場にいない選択をしたことは分かった。
それなら、もう会えないままになってもいいかというと良くなかったけれど。
「……まだお礼が言えてないや」
あの時さとうがしおを助けてくれたなら、アーチャーはその為に動いてくれたのだろうというお礼。
そもそも、さとうをあの場に連れてきてくれたお礼。
アーチャーはしおの為にではなく、さとうのサーヴァントだからそうしてくれたのだとしても。
デンジがあの場までしおを連れてきてくれたように、あの巡り合わせは彼のおかげでもあるのだから。
さとうだけでなく、彼に言いたい感謝の想いだってある。
それに、しおと再会を果たすまでのさとうの話だって、彼の口から聞きたかった。
「アーチャーくん……そう呼ばれてる人が、しおちゃんの為に、戦っているんですか?」
「敵は各地で暴れまわったという新宿での“青龍”……百獣の
カイドウと見受けられるが」
霧子とそのサーヴァントが、一拍遅れて話題を追いかけてきた。
霧子はしおのことを心配した風にデンジに尋ねて、サーヴァントの方は戦況確認をするかのような温度差はあったけれど。
「なんで名前まで分かんの?……いや、あんだけ目立つならそりゃ有名にもなってるか」
「それは……おでんさんが、会いに行くって……言ってたひと、ですよね」
どうやらこの人達は、今アーチャーが戦っている人達と関わりがあるらしい。
もしかして、ここで彼らに事情を話すことは、悪い方に転ばないんじゃないかなと。
どうなるというはっきりした計算はできない、ただばくぜんとした予感でしおは口を開いた。
「二組いたうちの一組は、そういうサーヴァントだったよ。
アーチャーくんは、さとちゃんのサーヴァントさん。
さとちゃんから、私を守るように命令されて戦ってくれてるんだと思う」
アーチャーを助けたい気持ちはある。
けれど、ただ引き返してはその覚悟が無駄になることも分かっている。
そんな儘ならなさが、しおに口を開かせたと言った方が正確かもしれない。
「主を守れなかった償いに、遺命を果たし主の知己だけでも生かそうという心算か?」
六つ眼のセイバーは、古めかしく難しい言葉でそう言った。
そしてそれは、ただの事実確認だったのかもしれないが。
しおにとって、さとうのサーヴァントが仕事をしなかったように言われるのは愉快ではない。
「アーチャーくんは、さとちゃんの命令をちゃんと守ったんだよ。
さとちゃんは、自分よりわたしのことを守るように言ってくれた。
アーチャーくんは、そのとおりの仕事をしてくれたんだから」
「そう……わたしのサーヴァントさんが、知らずに……失礼なことを言って、ごめんなさい」
しゅん、という音が聴こえてきそうなほどにかしこまって。
眉尻をさげた霧子が、左手を胸にあてる仕草で謝ってきた。
しおの語る物語に、本当に感じるものがあったかのように悲しそうにしている。
このお姉さんには、わたし達が愛し合っていることがどこまで伝わっているのかな。
見下すでもなく、ただ疑問としてしおは思う。
そういえばデンジに会うまでのしおは、自らの愛を打ち明けて自慢するほど周りに心を開いてなかった気がする。
「その、二組って言うけどよ。もう片方の眼帯のマスターの方は、もういねぇからな?
あの後、俺らがきっちり倒しといたよ」
デンジがしおの顔を覗くようにして言う。
その言葉に、最後に見た三日月の形をした風雨を思い出して、胸はちくりと痛んだけれど。
「そう……ありがとう」
デンジがそれを、すぐさま教えようとしてくれたことが嬉しかった。
仇を取ってくれたこと自体よりも、デンジが「仇を取る」という熱意で動いてくれたことが嬉しかった。
「ならば、前線にいるのは実質カイドウのみか……」
「いや、相手のサーヴァントもアーチャーだったからまだ動いてたし、もう一組のマスターもばりばりに戦える奴っぽかったよ。
それに、なんかやたら強い
NPCの兵隊みたいなのもうじゃうじゃいたし」
NPCの兵隊、という言葉に何かの覚えでもあったのか、霧子は顔をこわばらせる。
「さとちゃんはそのおじさんを、皮下先生って呼んでた」
もしかして知り合いなのかな、と思って言ってみたことだったけれど。
そういえばさとちゃんも、あの人と知り合いみたいだったなと、記憶が揺り戻された。
『踏み潰してあげる、皮下先生』
『吸い尽くしてやるよ、砂糖菓子』
砂糖の匂いと、桜の匂いが入り混じる宣誓。
お互いに愛する人がいて、その為に戦うことを確認するかのような会話。
ふたりとも、笑っていた。
どちらも胸に抱くものは、同じであるかのように。
それは、別離の痛みとはまた違う苦しみを生み出していた。
どうしようもなく胸をツンとつかれるような、初めての気持ち。
さとうを失わせた皮下たちが憎い、という感情とは少し違う。
もともと彼らの射線上にいたのはしおであり、しおはその結末そのものは受け入れていて。
誰でもないさとう当人が、それを捻じ曲げたのだから。
ただ顔がうつむいてしまうのは、男もまた『愛』を知る者だったということ。
……私と、さとちゃんが、一緒にいたのに。
彼らの『愛』から、しおはさとうを守ることができなかった。
これで二人の戦いの勝敗が決した、とは思わない。
夜桜の男達がもたらしたさとうの死では、二人は分かたれないけれど。
砂糖菓子の甘さは、吸い尽くされずに胸にあるけれど。
さとうとしおの愛は、彼を踏み潰すことができなかった。
苦いとも、辛いとも、痛いとも違うそのしこりを言葉にするなら。
………………くやしいよ、とっても。
さとうを守れず、守られたことが悔しい。
あの人達の『愛』の力が、二人を追い詰めたことが口惜しい。
さとうが敗北した、とは思わない。
己の矜持を賭けて愛する人を生かし遂げたこと。
デンジがその為に刃をとり、彼らの一人を倒した事。
それを、ただの敗北だと切り捨てられていいはずがない。
けれど、愛(それ)があれば負けないと信じるのがしお達だけでなかったことも、また確かだった。
世界を知り、他者を知り、強固な自我(つよさ)を持った人達を目の当たりにしてきた。
その強さには、『彼らにも愛する人がいる』という重みだって含まれるのだ。
それを、しおは悔いて見直す。
侮っていたつもりはなかったけれど、それでも。
外の世界を生きる人達もまた愛を抱えていて、その強さをもうしおは見ていたのだから。
『……よくね、こんな風にアクアとルビーを抱き締めてあげたの』
『さとちゃんが、私を見つけてくれたみたいに』
『アイさんも、“その子たち”を見つけたんだね』
子どもたちを愛し、しおにも仲間でファンとして向き合ってくれたアイさん。
皮下先生と、一緒にいたアーチャーの主従。
あの人達の愛は、強かった。
最後にはみんな、終わらせるのべきものだとしても。
――だから、せめて
――愛だけは、終わらせたくない
その愛はしおだけの特別なものだけれど。
同じ願いは、誰しも抱くのだろうか。
人が全て失っていくとき、最期に残るのは愛だけになるのなら。
誰かとともにいたいから、聖杯を求める。
誰かを失いたくないから、聖杯を求めない。
今まで戦ってきた人達も、そうだったのかもしれない。
これから戦う人達も、みんなそうなるのかもしれない。
愛を願いにしていないという
死柄木弔だって、友情を感じさせてくれることはある。
彼を導いたおじいちゃんが、彼を大切に想った結果として今の彼があることも知っている。
取り戻したい、報われてほしい、生きていきたい、あるいは一緒に死にたい。
最愛の人のために聖杯に懸ける願い。
あるいはマスターとサーヴァントが、お互いの為と望む願い。
もしくはしおの中にもある、お別れするのは寂しいなという飲み込むべき葛藤。
……そういう愛と、私はこれからもぶつかっていくんだ。
そんな実感と畏れとを、胸のうちに燻らせていた時間。
それはそのまま、沈黙となって表れていたらしい。
デンジと霧子がしゃがみこんで名前を呼んでいることに気付いて、しおは我に返った。
いけない、ずいぶんと一人で沈んでしまっていたと反省。
あなた達が心配するようなショックは受けてないから、大丈夫だよと答えようとしたところで。
「ごめん……なさい……!!」
ほとんど叫ぶような謝罪が、全員の注意を引いた。
木陰からいたたまれないように飛び出してきた女の子が、がたがた震えながらしおへと歩み寄る。
しおよりもさらに二つ三つは年下なんじゃないかと思える、大きな犬耳を生やした幼い子だった。
これまでの話から己の大罪を掘り当ててしまったかのように、大きな眼を凍り付かせて真っ青になっている。
「アイさんがっ……さっき皮下さんを助けたから……皮下さんがあなた達を襲って……それで……」
しどろもどろに紡がれるのは、どうやら告解のようだった。
彼女は以前に皮下の命を助けたことがある。
それがなければ、皮下が木陰で眠る女の子の命を奪うことは無かったと。
その因果関係を彼女なりに理解して、まっとうな良い子の呵責によって飛び出してきたらしい。
デンジは「つーか、この子何者?」としおよりも幼い闖入者がいた狼狽が先行して。
六つ眼のセイバーは、正直に暴露しなくともと思ったのか「話を煩雑に……」とぼやく。
「あの、しおちゃん……アイさん、まず一人ずつ、お話を――」
霧子は何か仲裁めいたことを始めようとしていた。
それを遮って、しおは口を開く。
どうにも、心のこもらない声が出た。
「いいよ、気にしてないし。そういうの欲しくないから」
なぜなら、謝られても特に心が動くところはなかったから。
少なくとも、当の『皮下さん』にだって純粋な憎しみは向かっていないというのに。
それをこの子のせいだと怒れというのはもっとピンと来ない話ではあったし。
かといって、『あなたは悪くないよ』なんて言葉を返すような優しさを向けるには。
『さとうの死因を自称する』という形で、さとうとしおの別れに割って入られるのは、愉快ではなかった。
「え…………でも……アイさんといっしょにいる人、みんな不幸になって……」
「さとちゃんが決めたことを、自分がやったみたいに言わないでほしいんだけど」
小さな女の子の大きな瞳が、ぱっちりと見開かれたまま凍り付く。
デンジがとっさに、「いやすんませんね…! こいつオブラートに包むってことができないヤツで」と霧子にぺこぺこし始める。
なるほど、確かに乱戦冷めやらぬ中で、親切にしてくれた人にまで事を荒立てて、良いことは一つもないのだろう。
口から出した言葉は引っ込められず、しかし誤解は避けようとしおはつづけた。
「気にしてないのは本当。だって私達も、お互い様だから」
「お互い、様……?」
意図をつかみかねるように立ち竦む幼い少女に向かって。
しおは、ごまかすつもりは無いと告げる。
何故なら、さとうと別離したことはもう誰の眼にも見えているのだから。
愛する人とお別れして、その次に願うことなら、予想されてしかるべきだから。
「私達も聖杯を目指してたから。最後にはあなた達みんなを殺すつもり」
憎しみはなく、許しもなく。
ただ愛のためにあなた達を殺す。
幽谷霧子からの優しさは受け取り、それに対して感謝もある。
傷心のときにもらった慈しさを、あたたかく、好ましく思うぐらいには、しおは『ただのガキ』だから。
けれど、これまで感謝を抱いた人達もそうしてきたように、あなた達も終わらせる。
その発言は、幼き少女のみならず、その場自体に緊張感を生んだ。
六つ眼のセイバーは開戦の布告かと問い詰めるようにデンジを睨む。
デンジは「え、今ここで言う?」と、しおに意志の真偽を問う眼を向ける。
この場を穏当につなぐだけなら、傷心した少女として振舞い、助力を引き出した方が益はあったのかもしれない。
例えば、しおの慕っていた敵連合の別のアイドルであれば、実際にそうしたのかもしれないけれど。
(この人達がとむらくんの敵なら……曖昧に仲良くしても、とむらくんから見て、ややこしいかもしれないし)
敵連合としての神戸しおを思い出し、『慣れ合いの結果として一緒に行動する』のは良くないんじゃないかな、と線を引いた。
自ら『アイさん』と名乗った少女は、ただ茫然と潤んだ眼を揺らし、おそるおそると尋ねる。
「大好きな人と一緒にいたんじゃないの……?
聖杯を取ったら、一人しか生きて帰れないよ?」
それは、スタンスの不備を説くつもりはなく、ただ分からないという聞き方で。
だからしおは、『他の子から見ると分からないものなんだな』と変な発見をした。
私達と繋がりのない人達には、そういう風に見えるんだな、と。
「私達は初めから、二人の未来のために戦ってた」
それは、私達がいつか裏切る前提で結びつくはずがないという当たり前の表明。
そして、今はそれだけでは無いのだと友達(デンジ)にも聞いてもらうための発露。
甘い砂糖菓子の時間を取り戻し、愛する人の真意を確かめること。
その夢は一度だけ叶い、叶ったときにはもう真意を理解できるようになっていた。
これまでの旅路は、『愛するために生きたから』という答えをくれた。
さとうは再び、その在り方を貫いて物語を終えた。
ならば、しおが貫くべき愛もまた決まっている。
しおもまた、生きるために愛するのではなく。
「これからは、愛するために生きるの」
火照る頬、早さを増していく脈拍。
その病気に、お薬やお手当ては効かない。
「そっか……」
そして、だからこそ。
彼女は、パンを求めていない。
自分の救い方を、知っている。
聖杯があれば、ハッピーエンドに到達する。
方舟からの慈しさが、介入する余地はない。
「それが、しおちゃんの……心からの『声』で……界聖杯さんに、言いたいことなんだね……」
幽谷霧子は、手を差し伸べる余地なしと告げられて。
神戸しおの旅路を制止するのではなく、理解しきるでもなく。
一緒に歩くことができないという悲しみの心は、たしかに宿した上で。
敵対を宣されたことも含めて、それをありのままに受容した。
◆◆
初対面で思ったのは、とても大切な人を想う時間を覗いてしまったということだった。
ひとつの絵画のように一緒にいる二人から伝わる、融けてしまいそうなほどに熱い想いの音がした。
視線というものに熱があることを、誰かに『視線』を向ける立場である霧子はよく知っていたけれど。
桃色の女の子を見つめる小さな子の眼差しは、霧子が見てきたどの『子どもの視線』とも異なっていた。
与えられるものをただ享受する子どものように幼くはない。
むしろ、慈愛を纏ったままに眠りにつく少女に、同じ温度で応え返すように慈しみに満ちている。
ただの幼子であれば、ちらと視線を向けただけでも血の気が引いてしまうような。
そんな血の海にある斬殺の痕も、すべて大事に愛おしむように。
二人の間にあるものを、その光景だけで知ったつもりになることはできなかったけれど。
小さな彼女が、眠りにつく彼女のことを、生きる糧のごとく想っていること。
その熱さと、大きさと、未知の輝きは、にじみでるカケラであってもよく伝わった。
それは幽谷霧子がたくさんの視線と声とを受け止めて生きてきたというだけではなく。
少女たちの心が露わになるところに居合わせた偶然によって、彼女たちから伝えられたものだった。
「しおちゃんの声……たくさんじゃないけど、聞かせてもらったから。
それが、『さとちゃん』って呼ぶ人を……どうしたら幸せにできるか、分かってるお祈りだって、分かるから」
アイにおいでおいでをして、落ち着かせるように喉元を撫でる。
この子は頭を撫でるよりこっちの方がいいらしいと、長くない付き合いではあれ分かってきた。
これは絵本の読み聞かせ会などでは、ままあることだけれど。
誰か一人の感想だけを、それが正しいように褒めるのはなるべくしない方がいい。
『あっちが肯定されているなら、私は違う想いだけれど間違ってるのか』と傷つく子どももいるから。
だから、しおちゃんに向き合いたいからと言って、アイさんを蔑ろにしたいのではないと示した上で。
「霧子さんは……私と、さとちゃんのことを、分かってるの?」
それは、『方舟』なる人達の一員として、とむら君から何か聞いてるのかな、ぐらいの意味だったけれど。
霧子は言葉どおりに、『この短時間でどれほどのことが理解できるのか』という風に受け止めて。
けれど問答としては成立するように、首をゆっくりと横に振った。
「もしわたしが分かるよって言ったら、しおちゃんは……短い時間で、大好きな人を、言い尽くせることになっちゃうから」
二人の関係を、すぐ理解できるもののように扱うつもりはなく。
けれど、『あなたみたいに小さな子が、好きな人のために手を汚すことはない』という常識で測れないことも分かる。
「そのお祈りは……しおちゃんの胸の中にあることを道標にして、待つやり方は、無理なのかなって……聞いても、いい?」
「そうしたら、私はさとちゃんより、ほかの人たちの命を優先したことになるから」
黒曜石みたいに透き通った漆黒の瞳が二つ、前だけを見ている。
この子は、霧子の、誰かの、つくったパンだけでは満たされないのだ。
この子を生かし続けられるのは、きっと甘い甘いおさとうだけ。
それは、世界でたった一人にしかつくれないもの。
たとえそれが、客観的には『もっと幾らでも他の幸せがある』と大人から言われることでも。
この子にとっての真実が、絶対にそうでないことは分かった。
霧子はもうすでに、『他のみんなの
プロデューサーにはなれない』と言った人を見ているから。
「でも、もし私達の気持ちが分かっていても……霧子さんは止めるんでしょう?」
聖杯戦争をしないんだからと、そう問われる。
それもまた、いずれぶつかる問いかけだったのだろう。
いつかは訣別する不安を、やはり無垢な子どもから、一度は体感していたけれど。
ほんとうに『絶対に相容れません』と言われたのは初めてだから、震えはごまかせなかった。
――アビーちゃんが持ってるものが……危なくても……。
――怖いことが起きちゃうのも……なんとなくだけど、わかっていて……。
――けど、そうじゃないのも……アビーちゃんの願いも、ちゃんと……届いてるから……
あの時にそう言ったのは、定まっていた答えだった。
たとえ結果として、哀しいことを齎すのだとしても。
誰かに対して『好き』になることを、動機としての大切な想いを、否定したくはない。
――鳥子さんが大好きなこと……そのためにすっごく頑張れること……ぜんぶ、知れたから……。
――ここが……アビーちゃんにとって……帰りたい場所なんだって……思えるなら……。
――もし……一緒に行けなくても………………わたしは、ふたりのこと……応援したい、です…………
一緒に行けなくても、『大好きなこと』を知れた人のことは応援する。
そう言ったのは、今でも本当だった。
けれど霧子達のやりたい事が叶えば、しおの祈りがおそらく潰えるのも真実だった。
「そうだね……わたしはアイさんにも、他の友達にも……『ここにいていい』って、言いたい。
でもそれは…………しおちゃんの、帰りたい場所とは…………違ってくる、ことだよね」
「うん。今までに会った聖杯を目指してる人は、私の『好き』を認めてくれたよ。
でも、それは同じやり方を選んだ友達の言葉だから、嬉しかった」
でもあなた達は、聖杯を目指すやり方に頷かないんでしょう、と。
……わたしだって、あなたの『好き』を応援したいから、わたしの命を差し出します。
そう答えるのは、きっと違う。
もしも彼女に殺されることがあっても、きっと応援したい気持ちは変わらないけれど。
殺されることを前提にすることは、今はできない。
霧子も友達との間で、託されたこと、送り出されたこと、一緒にやり遂げたいことがある。
――私を、見ていろ
まだ終わっていない契約も、交わしている。
「しおちゃんの命は助けたいって……わたしのサーヴァントさんにお願いは、できるけど。
それだけだと……しおちゃんの心は…………満たされない、から」
方舟という集団として、いったい神戸しおにどれほどの提案ができるのかは、ここでは言えない。
その話をするなら、にちかのライダーをはじめ、みんなに諮らねばならないから。
だから霧子に答えられるのは、願いと願いが対立した時に霧子がどう区切るのかということ。
幽谷霧子の中にある答えで。
仲間たちの在り方まで誤解されぬよう、方舟としての指針には則った上で。
霧子ならこうするという選択肢は、一つだけ頭に残っている。
口に出して言うのは、とても勇気が要ることだった。
結局、自らを危険に晒しているではないかと反対されたら、否定しきれないから。
このやり方でも、すべてを拾うことはできないから。
笑顔にするどころか、泣かせてしまうことだから。
「もし本当に、しおちゃんのお祈りを……わたし達が、閉め出す時が来たなら……」
けれど、あなた達の『好き』を肯定することまで、嘘にしたくはないから。
みんな同じ舟には乗れないのだとしても。
みんな乗せたかった人達のことが、霧子は好きだから。
だから救えなくても、寄り添うことだけは挑みたい。
「わたしは…………しおちゃんが、願いを諦めないで戦う気持ちの全部を受ける」
この子は、わたしに牙を剥く権利がある。
ただの生存競争であれば、どっちが勝っても恨みっこなしかもしれないけれど。
彼女の『声』を肯定したというなら、願いを閉ざす時に生まれる怒り、嘆き、反抗、殺意、ううん、もっとそれだけじゃない。
『そうはさせない』と叫ぶ心の全ては、願いを聴いてしまった霧子が受け止めるべきものになる。
アイドルは、自らの幸せを放棄するお仕事ではないけれど。
自ら望んで、分かってもらおうとすることを選んだなら、その選択には覚悟がともなうものだから。
「それが力ずくになるなら……セイバーさんたちにも、納得して………一緒に頑張ってもらわなきゃ、いけないけど」
無抵抗で、ただ殺されるために攻撃を受ける、ということはしない。
そして霧子に気力が尽きるまでぶつけたところで、解決することではないし。
あれほどの想いを秘めた女の子のぶつけるものが、霧子を殺せないとは思わない。
けれど、女の子が救われるための唯一の方法を、自分が阻止するかもしれないのなら。
その感情をすべてぶつけられた上でなければ、彼女に生きてほしいというその先の話ができない。
「もちろん、そうなるまでに……わたしが生きてられるかどうかも、分からない場所だけど」
そうなったとして、受け止められなければ、霧子がいなくなるか、しおがいなくなる結末が待っている。
霧子の自己満足(エゴ)で、愛し合う二人が未来を阻まれるかもしれない。
イルミネーション・スターズなら、それでも関わり続けることで、思い出として残りたいと言うだろうか。
放課後クライマックスガールズなら、『それなら、なおのこと全力で迎え撃たなければ失礼だ』と苦渋の決断をするだろうか。
アルストロメリアも、『好きっていう気持ちはどうにもならないから』と、エゴとエゴのぶつかりあいだけは肯定したかもしれない。
ストレイライトであれば、ノクチルであれば、シーズであれば……。
「あなたを殺せなかったら、諦めると思ってるの?」
「思ってない。しおちゃんには……願いを叶えるだけの、熱があって。
だからどっちかが、立てなくなって倒れるまで…………ずっと続くと思ってる……」
倒れるまでステージに立つなんて、どんなユニットであっても論外だけれど。
だから倒れない覚悟で、声であっても暴力(こえ)であっても聴き終える。
アンティーカの、幽谷霧子としては。
彼女の救い方を霧子が阻んでしまうなら、せめて彼女を愛した人の願いは。
神戸しおに生きてほしいという願いだけは、捨てたくないけれど。
彼女たちの『愛』そのものは肯定したいという意志は、その愛がもたらす痛みも知った上でなければ、説得力がないから。
「私の願いを受け止められるのは、界聖杯さんだけだよ」
できないと思われていることは分かったし、それは無理もないことだ。
霧子への侮りではなく、胸に抱くものへの矜持によって。
そして、比翼を結んでくれた奇跡への感謝によって。
「界聖杯さんが……好きなんだね」
「私とさとちゃんを、巡り合わせてくれたから」
この子にとっては、愛する二人を分かとうとする方舟の方が残酷で。
束の間とはいえ、再会を齎してくれた界聖杯の方がはるかに慈しい。
それはその通りだと、受け入れる。
霧子たちのしていることは、聖杯戦争への叛逆なのだからなおのこと。
けれど、霧子たちにとっても界聖杯は、単一の感情では括れない『相手』になっていた。
「わたしたちはきっと、界聖杯さんにとって敵だけど……今は、訊きたいこともあるから」
可能性がないと見なされしだい刈り取られる、残酷なシステムだと思ったのは本当のこと。
けれど縁壱が笑っていたのは、覚えている。
その笑顔は、兄弟の再会がなければ生まれなかったことも理解している。
――界聖杯さん。
――あなたの願いは、なんですか?
――あなたの物語は、そこにありますか。
「色んな人の願いを訊いたから……全部の願いを抱えて、会いに行きたいの」
「霧子さん……ううん、霧ちゃんでいっか。我が儘だね」
「うん。アイドルは……とっても我が儘だから」
我が儘なまま、ここまで来たよ。
必ずしも良い子じゃなかったし、これからもそうだよ。
そう言ったら「それはこっちの専売特許なんですケドー」と反対されそうだけれど。
「それは知ってる」
アイドルがそういうものだとは、知っていると。
誰かを思い出すように、しおの右眼だけがちょっと動いた。
「……互いに言うことは言ったと見えるが」
すっと、会話を終わらせるように。
物語の項に栞でも挟むように、無造作に。
セイバー、黒死牟が仕切り直しを齎した。
今これ以上、主張のぶつけ合いに時間を浪費することはできないと。
「そこの卑しい小僧。貴様の先決事項が主の安全確保だというなら、早急に退去するが良い」
「卑しいって何だよ。別に公序良俗ってやつを乱したわけでもねぇだろうが」
「ライダーくん、ライダーくん。これ、もしかしてアーチャーくん達とも関係あることだから」
正確には、アーチャーなるサーヴァントが敵対していたという者達についてだ。
遠当てを放ったカイドウは、それからすぐさま進路を南方へ――ここに来る途上の標識が『目黒区』を指していた方角へ向けた。
黒死牟を誘っていると言うには渋るような――やや離れた路上で動いていた前線が移動したため、それを追って動いたという風な進行だった。
つまりカイドウは、黒死牟を放置しても逃げはしないだろうと半ば見込んでいる。
それはおそらく、
光月おでんの縁者――刀を受け継いだことから後継者と見なしたが故の認識であったとすれば、面白くない信用であったが。
いずれにせよ、義侠の風来坊の縁者であるというだけで、そこまでの執心を傾ける輩だというのならば。
遠からず、対立の構図が成ることは見えた。
「私は既に、百獣のカイドウから敵と見定められた」
◆◆
生きていることは物語ではないけれど。
生きていれば物語は始まる。
世界を終わらせる為に。
ふたたび戦争の時間が始まる。
【渋谷区(南西)・戦場外部/二日目・午前】
【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(小)、決意
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:私も、愛するために生きる
1:とむらくんについても今は着いていく。
2:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
3:ばいばい、お兄ちゃん。おつかれさま、えむさん。
[備考]
【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:健康、やるせなさ
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:しおと共に往く。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
0:……え、あのデカブツたち、戻ってくんの?
1:今は敵連合に身を置くけど、死柄木はいけ好かない。
2:コブ付き……いや、違うよな。頭から眼を六つ生やした奴と付き合いたい女なんているわけねぇよな……
[備考]※令呪一画で命令することで霊基を変質させ、チェンソーマンに代わることが可能です。
※元のデンジに戻るタイミングはしおの一存ですが、一度の令呪で一時間程の変身が可能なようです。
【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま、『バベルシティ・グレイス』、アイさんといっしょ
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書、携帯(破損)、包帯・医薬品(おでん縁壱から分けて貰った)、手作りの笛、恋鐘印のおにぎりとお茶(方舟メンバー分、二杯分消費)
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
0:皮下さん達が、来る……?
1:梨花ちゃんに、会いに行きます。
2:プロデューサーさんの、お祈りを……聞きたい……
3:セイバーさんのこと……見ています……。
4:一緒に歩けない願いは、せめて受け止めたい……
5:界聖杯さんの……願いは……。
[備考]※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。
※メロウリンクが把握している限りの本戦一日目から二日目朝までの話を聞きました。
【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:武装色習得、融陽、陽光克服、疲労(大)、誓い
[装備]:虚哭神去、『閻魔』@ONE PIECE
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:勝利を、見せる。
0:罪は見据えた。然らば戦うのみ。
1:お前達が嫌いだ。それは変わらぬ。
2:死んだ後になって……余計な世話を……。
3:刀とともに、因縁までも遺して逝ったか……
[備考]※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。
※武装色の覇気を習得しました。
※陽光を克服しました。感覚器が常態より鋭敏になっています。他にも変化が現れている可能性があります。
※宝具『月蝕日焦』が使用不可能になりました。
※おでんの刀の気配をカイドウに認識されています。感情が重いね……
時系列順
投下順
最終更新:2023年10月18日 23:37