鬼としての再生能力。
主君たる狛犬の覚悟に応じて獲得した、修羅としての異能。
それらの全てを剥ぎ取られた従者としての狛犬が、最後の決め手として選択したのは己の原点だった。
素流――鈴割り。
ふり抜かれる真剣の側面を捉え、真っ向から拳で叩き折って継戦手段を奪う。
その後、直ちに胴を貫く。
あと数撃も交戦ができるかという崩壊もすぐ眼前にある現状では、『先刻のように何をするかしれない炎刀を叩き折り、すぐさまとどめを刺す』というのが最短手であると踏む。
加えて二度にわたる交戦によって、青年の闘法に対して『尋常の剣士よりさらに刀を手放すことへの忌避感が強い』ものがあることを見抜いていた。
おそらく、術理としては鬼狩りの剣士と似通ったものがあるのだ。
得物そのものが特殊な成分からできており、炎刀の威力を生むにあたって貢献している。
通常の日本刀より硬質と視えるあの刀剣を用いなければ、悪鬼滅殺の力を十全に振るえない。
故に、二手で確殺する。
もはやあちこちが空洞だらけになった身体で、最後の羅針を高らかに踏み抜く。
なけなしの闘気探知が、同じくガタガタに不安定になった青年の生態反応をとらえる。
地を蹴った青年の一撃が到達するまでを目測する。
萎びた手足。止まらない出血。
それでも通すべき意地が二人分。
男と男が、心を燃やすために叫ぶ。
「「オオオオオオオオオォォォッ!!!!」」
青年の刀身はすでに血も乾いており、元の銀炎刀の剣尖のみとなっていた。
爆血による火力上限を超えた燃焼で刀剣が灼熱の高温と化し、新たな血を付与してもすぐに乾くような有り様。
もはや雌雄を決するのは、剣戟と鈴割の一騎打ちのみ。
――必ず、捉える。
それが単なる拳士と剣士の決戦であるがゆえに、
猗窩座の矜持は奮い立つ。
相手の剣には炎という異能の付与こそあれ、猗窩座にもまた雪の結晶という羅針盤が最期に残された。
その結晶を形作る惜別の懐古を、噛み締める。
劣化した現在の反応速度では、足腰も癒えきらぬような青年の走駆さえ颶風のごとく感じられるからこそ。
この雪が、ともにあってくれて本当に良かった。
おかげで、座したような有り様に戻った窩(あな)だらけの猗(いぬ)は、最後まで鬼滅の刃に追いつける。
己の拳は、銀刀を穿てるように動く。
闘気を辿る糸は吸い込まれるよう青年の攻撃の先端へと向かう予測線を描き、勝利を確信する。
だからこそ。
青年は、その予測線ごと覆す蛮行に出た。
「……何!?」
猗窩座の集中が向かう矛先、己の銀刀を投げ捨てたのだ。
なんの未練も無さげに、さっと。
代わりに即で持ち替えたのは、背負っていたもう一振りの日本刀。
白く塗られた拵え。直刃。天をも斬り落としそうな切っ先。
刀そのものが、宝具の位階に達しうる名刀。大業物21工。
光月おでんの愛刀の片割れ、天羽々斬。
(至高の領域にある強者の力か……!)
もう一振りの反抗刀ほど露骨な気配ではないにせよ。
その刀にたしかに宿る『痣者に至った強者』の気配に猗窩座は既視感とともに驚愕する。
同時に。
星の媒介たる特殊合金(アダマンタイト)を失ったことで、即消失にかかっていたアシュレイの星辰光が。
光月おでんの気配に繋ぎ止められるように、天羽々斬に対して、もらい火のようにわずかだけ灯った。
偉大なる海の刀鍛冶に打たれた刀には、使い手の神秘の一部が乗る。
赫色か、黒色かという力の質の違いこそあれど。
持ち手が籠める力の質に呼応して、『色変わりの刀』と成る。
発動体という星辰奏者が力を奮うために常とする鉱石の力はなくとも。
アシュレイが振るう星を、それこそ英霊を斬るために必要な最低限の『神秘』だけが、刀身に乗る。
銀炎は既に無い。
ただ英霊を斬るに要るだけの神秘を残し、あとは刀そのものの斬れ味を信じて、頼ればいい。
選ぶべき型は一つ。
かつてこの世界の最上位、
ベルゼバブに対しても。
隻腕、助勢ありとはいえ条件が噛み合い、十全の態勢で振るわれれば正しく奥義として機能した。
心技体、三相合一……駆け寄り、ただ真っ直ぐに胴を両断する為の一刀。
――絶刀・叢雨
その構えを動体視力と羅針の働く限り視界に追いつかせていた猗窩座は。
しかし刹那が万倍にもなる走馬灯のごとき世界において、信じられぬと驚愕した。
(闘気が、消える――!?)
正しくは、消失ではなく薄くなった。
羅針の示した先からふっと身を潜めるように。
その刹那だけ、かつて馬鹿正直に真正面から頚を斬った少年剣士の眼差しを重ねて。
しかし別の生き物になったというほどの異常性は、青年からは発散されていない。
彼自身は、闘気を消せない。
なぜならアシュレイに剣士としての才覚は無いから。
修羅場において呼吸に、痣に、透き通る世界に目覚める余地など持ち合わせていない。
だからそれは、第一に猗窩座の消耗、術の衰えによる反射の鈍化を前提においた上で。
闘気の有無ではなく、量と質による話だった。
得物を入れ替え、星辰光を限りなく発動値(ドライブ)から基準値(アベレージ)に近づけたことで。
星辰奏者としてのアシュレイの強さの桁は低下。一気に身の丈が縮んだかのように闘気が縮小する。
そこに加わる、闘気までは透けずとも無我の境地、限りなく明鏡止水において放たれる一刀。
剣士としては永遠の未熟者であるアシュレイも、その型を放つに限っては理想的なゾーンに入れる。
(この期に及んで……殺気も憎悪も無いと言うか――!)
元よりアシュレイは、その敵に対して愛する女を侮辱され怒りこそすれ、慈しさを向けているのだから。
戦いに向かう意思の中に、殺意が全く見受けられないただ静かな境地において放たれる一刀は。
今からお前の頚を斬る、と言う意思ひとつだけで己を斬り伏せた、かつての一刀とここに来て面影が一致した。
猗窩座の羅針盤が、針先を狂わせる。
加えて、流れるような捌きの鈴割りをアシュレイはこれまた『透かし』によって潜り抜けた。
剣先をくるりといなし、攻撃の手をすり抜けたようにしか見えない絶技を手首の返しだけで実現する。
何度見せれば覚えるのだと体に叩き込まれた、クロウ・ムラサメの十八番。
恩師からの直伝の拳を、恩師からの直伝の秘剣が、上回る。
白刃、一閃。
剣の極みが、忠義の狛犬たらんとした鬼の胴を裂き、両断。
「鬼が……人から、学ばないと思うな!」
――しなかった。
アシュレイの手首に伝わる、壁。食い止められた感触と同時。
ガキンと鉄塊に当たったように、絶刀が男の腹の真ん中に埋まったまま止まる。
「抜けない――!?」
己を攻勢する魔力を残り一滴まで絞り出して武装色の部分硬化を行使し、一撃を体内で止めた。
だけでなく、その硬化を利用することで身体を貫いた得物をそのまま固定し、アシュレイをその場に縫い止める。
鈴割りが破られた時点で、猗窩座はすぐさま不屈の一手に備えていた。
再生しない身体で致命傷を受けた上で、なおできること。
生身の身体しか持たない者が、己の命を燃やして戦うということ。
そういうことをする時、猗窩座の前に立ちはだかった只の人間たちは。
己の身を投げ出してでも、鬼を道連れにしようと。
肉を斬らせてでも猗窩座の動きを封じる狂気で、掴みかかってきたではないか。
「獲ったぞ! 七草にちかのライダーッ……!」
故に、猗窩座は命と引き換えの一手であっても一切躊躇しない。
俺は俺の命令(責務)をまっとうすると閃光のように残る全てを燃やし、一手を稼ぐ。
愕然とするアシュレイの顔色に、今度こそ替えの得物、猗窩座を斃すための武器はないことを確信して。
『…獲ったぞ、アーチャー』
ああ。
あの時と同様に、紙一重だったと。
奇しくもいつかの勝利と、初めに偶像たちの従者の一人目を、仕留めた時と同じ言葉が口から出て。
「いいや、獲られない」
――ドクンと、その鼓動がひときわ強く跳ねる。
そう。
かつての勝敗と同じだったからこそ。
かつてと同じ決着には至らない。そこに決意は新生する。
「伸ばす手は、まだあるんだ」
確信とともに、右手だけを刀から手放した。
その右手を伸ばす。同時に右眼の眼光が、その魂を見つけてきたように煌めく。
アシュレイの世界に、新たな星の光が差し込む。
さぁ。
消えない傷を抱いた星々/宿命よ。
憧れの私(じぶん)を描く星の詩を。
どうか今ひとたび、奏でさせてはくれないか。
「今なら分かる!
君はまだ、俺の中にもいるんだろう!!」
――トゥインクル・イマジネーション(なりたいじぶん)、発動条件確認。
――
アシュレイ・ホライゾンに譲渡先を指定。
――コード『プリキュア』、承認。
かつて、大宇宙を創造した女神たちから星の戦士に譲渡され、サーヴァントの霊基に再現された力(イマジネーション)。
英霊の規格の中で扱うようにオミットされ、しかし力の質そのものは星辰光と、ごく類似したそれ。
その力は、かつて女神から戦士に渡されたように。戦士の決戦で、彼女たちから全宇宙に伝播したように。
人から人へと伝わり、元の担い手が消滅しても残留するという性質を持っている。
スターパレスという外宇宙ではないために誰から誰にでも万能の行き来をすることはできないが。
かつて心を通わせて共闘し、混沌の覇王をともに相手取り深い交錯を果たしている、彼女とアシュレイの間であれば。
ともに星を燃やす者がいるほど強くなるプリキュアと、『誰かの力の付属』だけに一点特化した星辰を持つ抑止力くずれの歯車であれば。
『元抑止力』という【己の在り方】を知り、己のやりたいことを悟ったことで『イマジネーションの覚醒条件』を満たし。
この戦闘における最終目標をかつての『彼女』と完全に同じくして、星辰光の出し入れ(スイッチ)の為の相互同意は通じ合い。
――やっぱり、一発ひっぱたかないと気が収まりませんから!
ここに、想いは一致した。
「どうして、貴様が此処にいる――!?」
猗窩座はここに、最大の驚愕を露にする。
アシュレイの闘気が、その性質を別人のものに替えたから。
彼もよく知る別の英霊の星が、満を持したように現れたから。
その拳に宿っていたのは、炎ではなく強烈な光輝だったから。
きらきらという形容がふさわしい桃色の五芒星が拳の先から生まれ。
力場となって、猗窩座の拳をぴたりと止めていたから。
アシュレイは高らかに、その英雄の名前を呼びあげる。
「アーチャー・キュアスター!!」
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このビールケース、踏み台に使うにはこんなに小さかったんだ。
黄色いプラスチックの底板に体重を預けて、にちかは不思議な切なさを抱いた。
同じものを畳の上に置いて即席のステージを作り上げた、幼いころの思い出がよみがえったから。
点いていたテレビをリモコンでぶちりと消して『にちかちゃんのステージをやりま~す!』と言えば。
家族のだれもがわっと目を輝かせて、本物のアイドルに向けるようにエールを送ってくれた。
幼いあの頃、アイドルになることはあんなにも簡単だった。
いつから、簡単じゃなくなったんだろう。
大人になるって、なんだか悲しい。
簡単じゃなくなったと言えば、言葉をぶつけるのだってそうだった。
あなたは役立たずなんかじゃない。
そう伝えようと決意するまでに、迷わなかったと言えばうそになる。
だって、それが本当に救いになるかどうかなんてわからないじゃないか。
アシュレイにも作戦会議の時に、そう言ったことだけれど。
七草にちかを幸せにする必要なんてない。なぜなら貴方がかけてきた言葉は無意味な妄言だったから。
七草にちかを幸せにする必要なんてない。なぜなら貴方がかけてきた言葉は実を結ぶはずだったから。
その二つのどっちがより救いになるかなんて、にちかには分からないのだから。
何一つ成し遂げられずに無駄だったのだから止めるべきだったと言われるのと。
そんなことをしなくても貴方は全てを持っていたのだから止めるべきだったと言われるのと。
絶望感としてはどっちも変わらないじゃないかと、感じる人だっているかもしれない。
なら決め手は何だと言われたら……きっとアシュレイは、伝えることを選択してくれたからだ。
それが時に残酷な回答だとしても。
――マスターは間違いなく特別に思われているよ。
『あなたはとてもとても大きな愛を向けられていたんだよ』という言葉がにちかに伝えるべきことだと、信じていたからだ。
そんな彼の視線が、七草にちかへと今向けられている。
あくまで歌をうたいにステージに上がった以上、歌い始めまで目は合わせないつもりだけど。
らーらーらー、と。
発声練習にさえ足りない、あどけないイメージトレーニングで少しだけ音を踏んで。
そう言えば私(あいつ)も、この歌を見てるのかなと想いを馳せる。
いや、今肝心なここで観てないとか言われたら、もう色々と台無しだけど。
めちゃくちゃ緊張はある。
笑顔もあるかは分からない。
練習はしてきたけど、他人から見ても笑顔にみえるのかどうか。
だけど、今日のありったけの輝きもある。
踏み出す自分を好きになろうって、やわらかい声で。
なみちゃんとは違う女の子の手が、『むんっ』という掛け声とともに、背中を押している。
櫻木真乃から七草にちかに、イマジネーション(なりたいわたし)は伝播した。
歌うべき曲は、決まっていた。
『ひんやりして ね ぴったりじゃない
今夜 わたしを つれていく靴
そうだよ 赤いじゅうたん駆けて
そうだよ 月までだって行けるわ』
本来の歌い手は、『そうなの?』と首をかしげながら歌っていたのかもしれなくても。
それでも聴く人には『そうだよ』と呼びかけようとしてくれたことは、感じているつもりだから。
靴を履かせてくれてありがとうという感謝の気持ちが。
少しでもこの歌で表現できていたら嬉しい。
だから、『私は間違いなく、あなたにプロデュースされたにちかの続きなんですよ』と証明するためには。
絶対にこの歌でなくちゃいけないのだ。
だから、アイドルになろう。
ただ、アイドルが好きな平凡な女の子が八雲なみの歌を模倣するんじゃない。
この歌に込められた心を表現するためにステージに立つ、アイドルでなくちゃダメなのだ。
七草にちかは、胸を張って、望む天(ソラ)へと飛ぶ(落ちる)ための星になろう。
七草にちかは、顔をあげる。
すぅと息を吸い、自分の声が伸びて、響いていくための第一声を謳いだした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「どうしても何も、見たままさ」
猗窩座の拳を防ぎ、アシュレイは答える。
これは彼女の星の光、そのままだと。
だからそれは、聖杯戦争の頂点にして極点(ハイエンド)たる魔神でさえ、一度は殴り倒した拳。
たとえ未熟でも、『誰か』とともにあることで強くなるという、どこにでもある特別な輝き。
『さぁ――やっちゃってください』
アシュレイはその星辰(ヒカリ)の中に、確かに幻聴でない声を聴いた。
なぜならプリキュアは、彼のような者が現われる時にこう叫ぶものなのだから。
『――――英雄(ヒーロー)の、出番です!!』
今度こそが青年を殺すための最後の一撃だと全てを乗せた拳を止められた猗窩座は、動けない。
否、それ以前の問題として。
『その光がいま一度己を引っ叩きにやって来た』ことに立ち竦む。
むしろ、『やはり』と思った自分自身がいることに気付く。
これまでの戦いで猗窩座を打ち倒し、窮地に追いやった者なら何名もいた。
天与の暴君、偉大なる海の皇帝、太陽と融け合った鬼滅の月刃。
しかし。
『あなたは』
『…やさしい人なんですね』
猗窩座から『鬼』としての顔を引き剥がさせた者は、たった一人しかいなかった。
そしてあの戦場に嘲笑する獣の介入さえなければ。
少女はその鬼ならぬ狛犬を打ち倒し、狛犬の主を引きずり出したやもという『もしも』は、猗窩座とて思い描いた。
故に悪鬼の慣れの果ては、宿命が巡ってきたことを悟る。
あの時の借りを、返される時が来たのだと。
「「星辰(スタアアアアアアアアアアァァァァァ)流転之拳(パアァァァァーーーンチ)!!!!」」
だから、この光(やさしさ)からは絶対に眼を逸らせない。
両眼を見開いた猗窩座の顔へと、格闘技ですらないただの喧嘩殺法の拳が。
それでも波濤のような勢いを伴って、もう絶対に立ち上がれない流星群(ラッシュ)を降り注がせた。
――生まれ変われ、少年
いつかと同じ声を、人間の時、鬼の時、英霊の今と、みたび聴いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
狂い哭くように。
いきなり最重要のフレーズから。
たった一声、にちかは歌い始めた。
『そうだよ』
それは、かつて自分はアイドルにはなれないと思っていた少女が。
それでも自分はアイドルになれたなら、と口ずさんでいた歌で。
彼もまた飽きるほどににちかの口から聴いた歌。
「あ――」
だから男には、その歌を聴いただけで分かってしまう。
以前の彼女にはなく、今の彼女にあるもの。
ただ背中を押してくれたアイドル歌を『聴いて聴いて』と模倣するだけでなく。
その歌の意味を彼女なりに寄り添って、理解しようとして。
その上で、自分のメッセージとして、男になんと語り掛けているのか。
【そうだよ、あなたは私のプロデューサーだよ】と。
そういう意味がはっきり伝わり、男の聴覚と心とを揺さぶった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
アシュレイ・ホライゾンの星の輝きが、修羅であろうとした男の『鬼』の面を殴り倒し。
七草にちかのありったけの輝きが、その男の脳髄を『色彩』として貫いて。
その輝きが、狛犬の主と狛犬の従者を灼いたのは同時だった。
此処に、聖杯戦争でもっとも 慈しい鬼退治/慈しい鬼、退治 は、終幕を迎える。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
最終更新:2023年10月10日 23:53