*1 1978年に起きた落語協会分裂騒動で六代目三遊亭圓生が当時の会長五代目柳家小さんらが行った真打大量昇進に対して、反発する形で落語協会を脱退して設立した団体。
*2 2016年3月に群馬県の釈迦尊寺の住職に師事し、得度式を行って出家している。円楽の墓所もこの寺であり、生前の時点ですでに建てていたという。
*3 加入当時は二ツ目(東京落語の中間の地位)。最高位である真打に昇進したのは1981年3月のことである。
*4 実際はむしろ仲が良く、歌丸本人からも「私の事をネタにしてもいい。」とアドバイスをもらっている。円楽本人も「自分には3人の父親がいる。1人目は実父。2人目は先代の圓楽師匠。そして3人目は桂歌丸師匠」とコメントしている。
*5 当初は日和見キャラであり、歌丸との喧嘩ネタは四代目三遊亭小圓遊の担当だった。だが小圓遊は笑点での立ち位置などでストレスを抱えた末に身体を壊し、1980年10月5日に43歳の若さで逝去してしまった。
*6 歌丸の四十九日にあたる日に肺がんが見つかり、百箇日の日がその手術日だったとのこと。
*7 五代目圓楽も肺がんが見つかった後で脳梗塞を発症し、既往症の肺がんで70代(五代目圓楽は享年76)で死去している。
*8 落語家としては「三遊亭一太郎」を名乗っている。