戦前日本は、教育の基本事項をほとんど全て「勅令」で定め、国会で議論する形をとった「法律」で決めることがなかった。このことを「勅令主義」という。大日本帝国憲法を制定し、国会が開設されたとき、当然、
義務教育制度等も国会で審議し、決定していくものと考えられたはずである。しかし、特に「民法」論争で敗れた保守派が、教育で自らの立場を守るために、国会ではなく、枢密院等の限定されたメンバーで教育の基本を形成し、そこで道徳や価値観を教え込んでいくことを目指したために撮られた政策であると言われている。教育勅語がその代表例であるが、小学校令、中学校令、大学令等、こうした基本的学校制度の仕組みを規定した規則は、国会での審議を経なかったのである。
戦後は、アメリカ流の民主主義的政治が行われるようになり、「法律主義」に転換したとされるが、正確には、勅令主義の色彩が残っているとみるべきだろう。
2008年に大きな話題となった「竹島」を教育上どう扱うかについての問題は、「竹島」の扱いについて、「学習指導要領」で規定するのではなく、その解説書において規定した点にも存在する。学習指導要領自体が、国会の審議を経たものではなく、
文部科学省が独自に制定し、官報で公表するものだから、「勅令主義」に似たものであるが、教科書検定をより直接的に支配するといわれている「解説書」はまさしく、文部科学省の著作物にすぎない。これが大きな国際問題となることは、「法律主義」とかけ離れた「法現象」があることを意味している。
最終更新:2008年07月23日 19:04