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いじめ


いじめをめぐる動向


 2006年から2007年にかけての数カ月は教育界は「いじめ」に明け暮れた感がある。もちろん、もっと重要なことは「教育基本法」の改正問題であったり、「教育再生会議」の議論であったが、「いじめ」の問題はそれに政治的に利用された感もある。教育再生会議の議論が、教育を国家がより強力に管理することであることは明白であったから、最初に北海道のある教育委員会がいじめによって自殺する旨が書かれていた遺書を残した生徒の自殺の原因を、いじめによると1年間に渡って認めなかったことが発端であったことが、象徴的な意味をもっている。
 文部科学省は、1997年から全国でいじめによる自殺はなかったという統計を毎年発表していたが、実際には新聞報道でも、毎年のようにいじめによる自殺が報道されていたのである。実際に報道されなかった事例もあるだろうから、いじめによる自殺は少なからずあったし、また、そのことはメディアを通じて知らされていた。しかし、教育委員会と文部科学省はそうした事実を黙殺してきたのである。
 これは、教育委員会や文部科学省の「情報」収集の経路を見れば、それほど不思議なことではない。教育委員会は基本的に校長のあげる情報をもとに、現場のことを知り、それを文部科学省に報告する。従って、校長があげない報告は「事実」としては教育委員会に届かない仕組みになっている。いじめによる自殺が起こったというようなことは、学校の最高管理者としての校長の力量をもっとも厳しく評価させる事態であるから、校長がそれを隠そうとすることは別に驚くにあたらない。それは地域の教育に対して責任を負う教育委員会が文部科学省に対して行う報告の性格にも当てはまる。
 それを教育再生会議や、あわよくば文部科学省も、上の管理権限を強めることで教育改革を押し進めようとしたのが、200年から2007年のいじめ報道の背景にあるだろう。その更に背景としては、1990年代に進んだ地方分権政策の中で、文部科学省の教育委員会に対するいくつかの権限が削除され、形式的には「指導助言」権限しかなかった文部科学省が、実質的に監督できるいくつかの権限を喪失したことがあった。それは、文部科学省による教育委員会への是正措置要求と、都道府県教育長の承認権限の削除であった。教育再生会議では、義家委員がこうした削除された権限の復活を主張して、「生徒の立場」にたっていると思われていた義家氏の違う側面に多くの人が驚いたのであった。
 北海道の事例のすぐ後に、今度は岐阜県でいじめによる自殺が起こってしまった。今度は校長がなかなかそれを認めないという事態となり、それに対する社会批判の中で、連鎖的な自殺が起きてしまった。
 この連鎖はここでは深く考察することはできないが、いずれにせよ、いじめによる自殺はこの10年間、文部科学省の「ない」という発表にもかかわらず、少なからずあったことが明白になったのである。
最終更新:2007年02月12日 17:30