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 高校までの教育では、基本的なふたつのタイプが支配的な学習形態であった。
 第一は、教科書に覚えるべき「知識」が提示、説明されており、それを生徒は覚えるというタイプである。国語や社会、理科、英語などがこのタイプであり、正確に覚えたかどうかが「試験」される。
 第二は、覚えるべき知識は極めて限定されたものだが、その応用の問題が提示され、それを「解く」というタイプの学習である。これは数学であり、部分的に理科であった。
 いずれのタイプにせよ、覚えるべき内容が「教科書」において示され、「試験」には正解が存在するという点で共通する性質をもっている。覚えるべき「知識内容」と「試験における正解」が存在することは、高校までの教育のもっとも大きな特質であろう。もちろん、そうではない学習形態があったかも知れないが、大学受験を前提にして高校が成り立っている場合、ほとんどこの形態に規定されていたはずである。
 しかし、これは社会において何か「課題」を解く形態と基本的に異なっている。
 社会に出てからも「課題」は容赦なく我々に課せられる。
 営業担当の社員であれば、毎月製品を売るノルマが課せられ、どのようにそれを達成するか自らの頭を絞って考えなければならない。企画担当であれば、どのような新製品であれば消費者に喜ばれるかを考えながら、製品の開発を進める必要がある。
 そして、これらには通常「正解答」などは存在せず、その場合与えられた条件の中で可能な選択のうち、最も適切であると考えるものを「実践」することになり、そしてそれに対して「結果」が現れるだけである。もちろん、社員にとって、それは「好ましい結果」であったか、そうでなかったかは、かなり明確に意識・評価されるが、仕事によっては、その結果が望ましいものであるかどうかが、はっきりしないものである場合も少なくない。
 人間科学部の学生が最も希望している職業であるカウンセラーを考えてみよう。
 日々のカウセンリングはもちろん、だいぶよくなったと考えられる状況になったとしても、これで「おしまい」にするか、まだ少し「継続」するかは、正解による行動というよりは、根拠があるにせよ、ひとつの「決断」であるとしかいいようがないものだろう。そして、どちらがよかったかはわからない。
 最近自動虐待で、児童相談所の対応が批判されることが多い。
 しかし、それはあくまでも結果論であって、そのひとつの事例がたまたま不幸な結果になっただけであって、ほとんど同じような状況で、同じような対応をしても、まったく異なった結果、つまり「事件にはならなかった」事例もたくさんあるのが現実なのである。
 勢田恭一君事件というのがあった。出産してすぐに離婚。子どもは夫が引き取って、夫の母親が育てていた。小学校入学をきっかけにして自分で育てようとして引き取ったが、すぐに育児に自信がなく、施設に入れた。既に妻は再婚し、新しい夫との間に子どももできていた。施設に入れた後、一時帰宅の機会があったが、施設側は母親の状況に不安を感じていたが、結局一時帰宅させ、2度目の一時帰宅のときに子どもは怖いと言っていたにもかかわらず、母親の強い希望を認めた。そして、母親は子どもを虐待で死なせてしまったのである。
 児童相談所ではかなり帰宅に対する危惧があり、どうするか議論した。さまざまな選択肢があっただろう。しかし、「正解」がないことは間違いない。結局どのやり方をとってもいい結果が出たかどうかはわからない。事実としては母親の要求を、不安を持ちながらも認めたために、最も不幸な結果になってしまったが、不安があったために子どもを帰宅させなければ可能性としては100%よかったとは言えないだろう。帰宅させれば、徐々になれて最終的に親の元に帰れる可能性も高まるのであるから、そちらの期待にかけたともいえる。
 もうひとつ事例をあげてみよう。
 保護者が子どもをつれてカウンセリングにやってきた。問題をもった子どもをカウンセラーに託し、内容や経過について知らせてほしいと要望した。ところが、子ども自身は話す内容を保護者に知らせないでほしいと強く要望した。カウンセラーは内容を保護者に知らせるべきなのか。一般的な手法はあったとしても、相談の内容や親子関係、親や子どもの性質などさまざまな状況を考慮して、この場合何が問題となっており、知らせる場合の結果に関する洞察等をへてどちらかを選択することになるだろう。こうすればよいという定型的な対応は存在しないと考えられる。
 では、結局のところすべてが「結果論」であって、適切なやり方はまったく知り得ないと結論するのが正しいのだろうか。もちろんそれでは、教訓をえるとか、できるだけ適切な選択をするということを否定してしまうことになる。
 ここでは大学での学びかたとして、これからの勉強には決まった正解答はなく、いくつかの選択肢があるのであり、どのような選択肢があるのか、それぞれの選択肢をとった場合、どのような経過、結果をとる可能性があり、それが当事者にとってどのような意味をもつかを、できるだけ適切に判断できる能力を培うことを確認しておこう。
 この概論もそうした観点で学ぶことをめざす。
最終更新:2008年07月26日 14:03