「
いじめは犯罪である」と言われることがある。しかし、教育法規を扱うときには、厳格に意味を限定する必要があるから、この言葉をまず吟味するところから始めよう。
もちろん、いじめのすべてが犯罪であるわけではない。極めて良くないことであるという意味で、「犯罪」という言葉を安易に使用すべきではないだろう。しかし、もちろん、犯罪であるいじめも多数存在するし、実際に刑事罰の対象になるいじめも存在する。それは、「罪刑法定主義」で規定される法律で犯罪とされる行為を、いじめとして行なった場合に適用される。「恐喝」「暴行」「傷害」「名誉毀損」などが代表的なものである。このような行為は「犯罪」であり、刑法で処罰される対象であることを、教師はきちんと生徒に教える必要がある。
しかし、犯罪とはいえない「いじめ行為」もある。「無視」などはその代表的な例だろう。誰でも、ある特定の人と話したり、何か一緒にしなければならない「法的義務」などは存在しないのだから、無視することは、いじめであっても、犯罪とはいえない。しかし、教育的にみれば、いじめとして行なわれる「無視」は、解決が必要なことがらである。
したがって、いじめとは犯罪や犯罪とはいかないが、人としての規範や価値に反する行為と考えると、法律問題と教育問題の両方の解決課題として存在しているといえるのである。
では、実際にいじめに対応する法的問題および、いじめによる不幸な事態が起きた場合の責任問題はどのようなものか。
ここでは学校で起きるいじめを対象にする。学校とは全く無関係に起きるいじめは、法的関係が異なるからである。
学校で起きることは、学校が管理責任を負っている状況でいじめが起きていることを意味する。
義務教育の場合には、義務として学校に在籍し、勉学しているのであり、自由意思によるわけではない。従って、学校には安全配慮義務があり、児童・生徒は安全に学校生活を送ることを期待してもよい。いじめは、安全な学校生活を脅かすものだから、学校の管理が不十分であることを意味する。従って、学校でのいじめは、まずなにりよも学校の管理責任が問われるといえる。
しかし、いじめは教師の見えるところで行うことは稀であり、たとえ教師が気づいたとしても、被害者生徒自身がいじめを否定することすらある。従って、教師がいじめを認識することは、それほどやさしくなく、知ることが極めて困難な状況で起きたいじめをなくすことは、事実上不可能だろう。その場合、法的責任があるのか。
加害者の責任
最終更新:2008年11月20日 12:36