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 日本では学習指導要領や教科書検定が行われているので、教室での教育内容をめぐるトラブルは非常に少ないと言える。アメリカでは、有名な進化論に関する授業など、大きなトラブルがいくつかある。また、アメリカでは検定制度がないために、教科書は民間企業が作成するが、差別問題に関わって様々な団体からの抗議があり、実際にトラブルに発展することが少なくない。人権団体などが、教科書の記述を問題として、抗議行動をとることが多い。団体が、教科書不適切リストなどを作成して配布し、教科書として採用しないように、学校に働きかけるという行動である。
 そのために、教科書選択が、チェックリストに掲載されていないかの検討が不可欠となる。日本では、筒井康隆の「無人警察」で似たようなことがおきた。
 教科書をめぐるトラブルを紹介しておく。

 ■教科書をめぐる半世紀の動き
 1945年 9月 文部省が戦時教科書の墨ぬりを指示
      12月 GHQが修身、国史などの授業停止を指令
   49年 4月 検定教科書の使用開始
   55年 8月 日本民主党が「うれうべき教科書の問題」パンフレットで社会科教科書を批判
   65年 6月 家永三郎氏が第1次教科書訴訟を起こす
   67年 6月 家永氏が第2次訴訟を起こす
   69年 4月 小中学校の全学年で教科書が無償供与となる
   80年 1月 自民党機関紙が連載「いま教科書は」で社会科、国語教科書を批判
   82年 6月 高校歴史教科書の「侵略」削除などが問題化
     7~8月 中国、韓国が抗議し、日本政府が是正を表明
      11月 文部省が検定基準に近隣諸国条項を盛る
   84年 1月 家永氏が第3次訴訟を起こす
   86年 7月 「日本を守る国民会議」の高校教科書「新編日本史」の検定をめぐり、中国、         韓国などが批判し、異例の修正を重ねて最終合格
   89年 4月 臨時教育審議会答申を受け、検定制度を全面改定
   93年 8月 従軍慰安婦問題で河野洋平官房長官が軍関与を認める談話を発表
   96年 6月 全部の中学校歴史教科書に従軍慰安婦の記述が登場するという検定結果を文部         省が公表
   97年 1月 慰安婦記述削除を求める学者らが中心になって「新しい歴史教科書をつくる会」         を結成。中学教科書づくりに乗り出す
   98年11月 文部省が、教科書検定基準の近隣諸国条項などを雑誌座談会で批判した教科書         調査官を厳重注意処分
      11月 教科用図書検定調査審議会が、教科書改善の一環で、検定意見の文書化などを         文相に建議*19)朝日新聞 2001.1.13

(ア)1982年の教科書問題
 1982年に、日本の歴史教科書が、アジア諸国から批判を受け、外交問題になった。日本とアジアの戦争について「進出」という記述が問題になったものである。結局、アジアとの協調を重視する外務省と、国内問題であるとする文部省が対立し、外務省の意向にそった決着となった。以後、検定基準の公開など、情報開示が若干進むことになった。
 しかし、自由主義史観などの運動が、これに対する反発として以後活発になってくる。(自由主義史観そのものは、南京事件等の評価から現れるが、最初のきっかけはこの教科書問題であった。)

(イ)ドイツの教科書政策
 ドイツは、ポーランドをはじめとして、国毎に協議を進め、教科書の叙述を相互理解の下で訂正していく取り組みを10年以上に渡って続けた。ドイツは日本と同様近隣諸国を侵略し、そこで被占領地域の住民に大きな損害を与えたという共通の歴史がある。そうした歴史をどう学校で教えるかという問題について、近隣諸国との意見交換を行い、それを教科書に反映させる試みをしたわけである。当初は第二次大戦の記述が主であったが、次第に当該国の歴史の叙述全体にわたって検討することになった。例えばポーランドについては、コペルニクスは何人であったかという問題であったり、あるいは18世紀から19世紀にかけて、ポーランドはプロシャ、オーストリア、ロシアに分割されていたが、その時期におけるポーランド人民の主体的な活動についての記述をするかなど、問題は多岐にわたった。そうした検討の主体は、民間の研究団体であった。そこが勧告を出して、それに沿って、教科書会社が叙述を訂正するという形をとった。日本では教科書訴訟という形をとり、アジア諸国との対話によって教科書を作成していくという試みは当初なかったが、このドイツの取り組みに学んで、交流が始まっている。
 これと直接の関係はないが、ヨーロッパ連合各国の協力者がひとつの歴史教科書を作成した。(日本でも翻訳されている。)

(ウ)教科書訴訟
 歴史学者で当時東京教育大学教授であった家永三郎氏が、自分の執筆した教科書が検定不合格になったことを不服として、検定処分の取り消しを求めた行政訴訟と、損害賠償を求めた民事訴訟が3次に渡って提起された。家永氏の主張を大幅に認めたのは、第一次行政訴訟の東京地裁判決(杉本判決として有名である。)だけであるが、実質的に検定の緩和と公開の度合いを高めたことは、家永氏の主張が反映されたものと見ることができる。最大の争点は、教える内容を権力が決めることができるのかという点である。

(エ)教科書採用制度
 教科書は、作成だけではなく、採用制度も大きく影響する。
 現在、私立学校や公立も高校は、「学校単位」の採択になっているが、公立の義務教育学校では、採択区方式をとっていて、全国が500程度の採択区に分かれており、同一区内では、同じ教科書が使われている。(最近東京では区単位の採択になり、採択区が縮小した。)
 このために、教科書の種類が著しく減少、一方ではコストが下がって安くなっている。

Q 中学の教科書に「従軍慰安婦」を載せるべきか否か、大きな論争になっていた。この点について、自分の考えをまとめてみよう。

 最後に、「新しい歴史教科書」をめぐる問題について、少し触れておこう。
 いわゆる「新自由主義史観」と称する歴史認識が示されたのは、数年前からであり、中心的な存在である藤岡信勝氏や西尾幹二氏は、さかんにこれまでの日本の歴史教育を「自虐史観」と批判・非難して、日本人の誇りを喚起する歴史教育を行うべきだとして、多くの出版物を発行し、また集会を開催してきた。そして、その主張にそった「歴史教科書」を編纂し、新学習指導要領の出発に合わせて、教科書検定に申請した。しかし、戦争肯定的な記述に対して、国内国外からの批判があいつぎ、文部省の検定に対する注文なども寄せられた。
 検定の中で多くの修正がなされたが、正式に合格し、次の段階として「採用」問題が発生した。
 いくつかの採択区の協議会では、この「新しい歴史教科書」の採択を勧告したが、すべての教育委員会はその勧告を否定し、別の教科書を採択した。そして、都道府県教育委員会が採択権限をもっている都府県立養護学校の教科書として、2、3採択を決めただけに終わった。(なお2005年度の採択に関して、東京都は再び養護学校の「新しい歴史教科書」の採択を決めたほか、6年一貫の中等学校の教科書として採択した。
 これが経過であるが、ここには、歴史観の問題だけではなく、検定や採択の問題も集約的に現象したと言える。
 単独の学校での教科書採択を東京都の教育委員会が決めるという、制度の建前と矛盾するような現象が起きている点も見逃すことはできない。
最終更新:2008年08月04日 21:20