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 この講義は大学で行われているものであり、受講している人たちは学校に所属する学生である。学生はこれまで12年間の学校教育を受けた後、大学に入学してきた。つまり、これまでの人生の大部分を学校に通うことが、最も大きな、そして一日の重要な時間帯を占めてきた。従って、「学校とは何か」を学生は熟知しているだろう。しかし、日本だけで見ても学校は多様であるし、また世界的に見れば、我々が通常思っているような「学校」とはまったく違う学校も少なくない。

{学校以前の教育手法}

 学校という教育システムは、5000年の歴史をもっているが、近年までは一部の特権階級の子弟のみが、学校に通って学んでいた。ほとんどの人々は、実生活の中で、つまり、自分が生まれた家族が行なっている労働形態を継ぐ形で、その労働を手伝いながら、口頭による説明や実施の技術訓練を受けることで、一人前の大人に育って行った。もちろん、そこで受ける教育は、技術訓練だけではなく、その労働集団に求められる規範を学ぶことも、同時に行なわれてきた。もちろん、すべてが親の労働を引き継ぐわけではなく、一部は農民から職人に転換するような形で、別の労働集団に属して学ぶ人々もいた。これら、労働集団に属して、職業上の技術や生活上の規範や倫理を学んでいくシステムを、広い意味での「徒弟制」という。現在学校教育に期待されている社会への準備教育は、多くが徒弟制の中で果たされてきたのであり、決して、「学校教育」ではなかった。そして、今でも「徒弟制」は滅びたわけではなく、職業訓練のひとつの形態として残っている。日本ではさすがにかなり珍しくなったが、例えば「落語家」に弟子入りして、内弟子として師匠の家に住み込む場合、徒弟制の中で訓練される形と言ってよい。また、伝統工芸などを学ぶ場合も、徒弟制は残っている。もっとも、伝統工芸を学ぶ学科を設置している高校や大学もあるので、現在は徒弟制から学校への移行が、伝統工芸にすら生じているともいえる。\footnote{伝統的工芸品産業の振興に関する法律が、昭和49年に制定され、伝統工芸が保護されるようになっていたが、後継者難が長い間続いてきた。しかし、近年インターネットの普及による、伝統工芸の情報が広く地域を超えて普及したこと、生きがい探しの風潮に伝統工芸がフィットしている面があることなどから、伝統工芸を学ぶ若者が増え、また伝統工芸の側も学びの場を提供している。これが、「学びの形態」に影響を与えていると考えられるが、教育学がこの面に十分に着目できているとは言い難い。興味のある人はぜひ研究してみるといいだろう。}
 では徒弟制と学校との違いは何だろうか。第一に、親方が少数の弟子をとり、通常家に住み込みで無給の修行をさせ、職住一体の中で技術指導をしていく、第二に一定の技術を修得したと認定すると、資格を与えて独立していく、というスタイルが徒弟制といえるが(名称はさまざまであるが)、これらは、近代的工業興隆の中で、大量の技術指導が必要となり、知識を媒介として学ぶスタイルが一般化し、資格も国家や大きな団体が与えるようになること、そして、大量訓練である以上、職住一体は不可能となり、訓練所に通うスタイルが一般化する。それが当初は「技術学校」(戦前日本に、「徒弟学校」という学校の種類が一時的に成立していた時期があった。)となり、職業教育を行なう一般的な学校に変化していくのである。
 つまり、学校は、大勢の生徒に、専門に教え-学ぶ場が設定された形で訓練を行なう場である。近代大工場制の中で、徒弟的訓練は学校の教育に吸収されていくのである。

{近代的学校の誕生}

 このように、近代的工場制の発生が、徒弟制による技術伝達ではなく、学校という大量に教育できるシステムを要請したわけであるが、更に、工場制の発展は、別の側面で学校を普及させた。それは、商品経済の発展が要請したものである。封建制度が、自給自足経済の土台に成立していたが、次第に商品経済が発展し、物や人の流動性が高まると、特に商人を初めとして、「文字」を扱う必要がでてきたわけである。それまで文字は支配層の独占物であったが、生活の中で商取引が盛んになると、文字は誰もでも必要なものとなり、そこで、安定した社会であった江戸時代では、多くの人たちが、何らかの形で「学校」やそれに近い教育施設に通って、読書算を学んだのである。特に、日本は江戸時代にこうした学校文化が発展し、当時世界で最も識字率の高い人々であったと言われている。
 しかし、これらは、近代的な学校制度ではなかった。近代的な学校制度は、もうひとつの要因、市民革命を伴う市民社会の到来が必要だったのである。フランス革命を契機として成立した「国民国家」である。
 フランス革命は、人権宣言を行い、教育権もその中に含めたが、そうした革命思想と、フランス革命を契機として起こった「国民戦争」の中で、主に軍事的な必要から、まず義務教育制度をいくつかの国が設置したのである。また、それは「愛国心」の涵養とも結びついていた。\footnote{有名なフィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』はその典型的な例である。}
 しかし、こうした義務教育制度は、実はそれほど普及しなかった。日本も明治維新後、直ちに教育の普及を目指して義務教育を施行したが、当初の義務教育が授業料を徴集したために、就学率は伸びず、義務教育に反対する暴動なども起きたことは、よく知られている。日本で義務教育が実質的なものになり、ほぼ100%に近い就学率を達成するのは、日露戦争後である。同様に、欧米でも各国が実質的な義務教育制度を成立させ、ほとんどの学齢児童が就学するようになるのは、19世紀末のことだった。それは何を契機としていたのか。
 その最大の要因は、産業革命後、児童労働が広まり、子どもの健康問題や犯罪・非行問題が深刻化し、それが社会不安となることを恐れた人々、また子どもを守る立場の人々が、「工場法」を成立させ、その中で、児童労働を制限し、児童を雇用するためには、学校に通学させる義務を課したことだった。そうした工場法を成立させるために、大きな貢献をし、また、自分の経営する工場の労働者の子弟に自ら学校を設置して、教育を受けさせ、結果として、大きな労働生産性をあげたのが、イギリスのロバート・オーウェンである。
 こうした動向は、市民社会が「職業選択の自由」のような基本的人権を認める社会であることから、子どもは自動的に親の職業を継ぐわけではなく、自分の個性や能力に合わせて、職業を選択していく社会に転換したこととマッチしていた。これは、単に個々人にとっての有用性だけではなく、社会や国家にとっても、幅広い層から人材を選抜していく方が狭い身分的な範囲から人材を補充していくより、ずっと社会の安定性を増すという理由もある。実際に、工業社会になるとはるかに職業の種類は多様になり、また、機械を扱う職業などに典型的なように、口伝えによる教育よりは、知識を媒介とした教育の方がより有効かつ必要な職業が増加してきたことも、徒弟制から学校教育への移行を促進したと考えられる。
 19世紀の後半になると、先進工業国は植民地をもつようになり、また、植民地争奪のための戦争を頻繁に引き起こすようになる。その中で、フランス革命期の「愛国心」は、すべての植民地国家の課題となり、国民の統合のために、学校制度が利用されるようになったのである。
 そして、「学校」が近代社会の主要な教育システムの要素となったのである。


{法律上の学校}
 かくして、「学校」は国家の事項となり、国家が学校について詳細に決めるようになる。現在の日本では、国家制度における正規の学校とは、学校教育一条に規定されている学校のことである。

学校教育法
第一条  この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする。

 これ以外の学校は、通称であったり、あるいは社会的通年上の学校であっても、制度的な学校ではない。しかも、日本では、学校を設立することができるのは、以下に定められているているように、国と地方公共団体と学校法人のみである。

学校教育法
第二条  学校は、国(国立大学法人法 (平成十五年法律第百十二号)第二条第一項 に規定する国立大学法人及び独立行政法人国立高等専門学校機構を含む。以下同じ。)、地方公共団体(地方独立行政法人法 (平成十五年法律第百十八号)第六十八条第一項 に規定する公立大学法人を含む。次項において同じ。)及び私立学校法第三条 に規定する学校法人(以下学校法人と称する。)のみが、これを設置することができる。
○2  この法律で、国立学校とは、国の設置する学校を、公立学校とは、地方公共団体の設置する学校を、私立学校とは、学校法人の設置する学校をいう。

 そして、日本では、学校に対して法令で「必要なもの」を定めている。

学校教育法
第三条  学校を設置しようとする者は、学校の種類に応じ、文部科学大臣の定める設備、編制その他に関する設置基準に従い、これを設置しなければならない。

 教師はもちろんのこと、校舎、体育施設、図書館等々の様々な設備が必要であるとされている。これらの規定は決して、国際的に同質のものではなく、国によっては、学校に必要とするものをもっと限定している場合もある。

{学校に必要な要素は何か}
 こうした法律的規定とはまた別の次元で、社会的に認められた「学校」があるし、また、それぞれ学校に必要な要素に対する通年がある。
 通常「学校」には、「教えるべき内容(カリキュラム)」と、教える人(教師)、そして、学ぶ人(生徒・学生)、そして校舎がある。しかし、そうした常識が通用しない学校が世の中はたくさんある。国連大学は「大学」であるが、学生もいないし入学試験もない。教師もいない。行っていることは「研究」であるが、「大学」と名称が付けられている。度々とりあげるサドベリ・バレイ学校は、カリキュラムも授業もなく、通常の意味での教師もいない。通信教育を行っている学校はたくさんあるが、これも普通の校舎は存在しない。逆に放送大学は正規の大学であり、正規の学生や教授がいるが、その授業を実質的に受けている人たち(それを学生と呼ぶなら)は、無数に存在している。
 教師と生徒・学生は画然と分かれているのが普通だが、古代ギリシャの学校や中世の大学はあまり判然とした区別は存在しなかった。
 フリースクールやインターネットスクールの中には、常識的な意味での学校のイメージと相当異なる形態をとった学校が少なくない。
 これは日本の法律でいう「学校」に近い存在であるが、「学校」という言葉を学ぶところという抽象的に使うこともある。「労働組合は民主主義の学校」とか、「刑務所は犯罪の学校」などと言われる。また多くの人が通ったと思われる「塾」は学校ではないが、学校に近い教育機関であり、学校よりも塾、あるいは予備校で学校よりもたくさんのことを学んだという人たちも多いのではないだろうか。このように考えてみると、「学校」とは何か、法律的な意味ではなく、何かを学ぶ場所というゆるやかな意味から、また、制度的な学校も含めて、本当に必要なの要素何かを少し吟味してみる必要があるといえる。

Q 「学校」に不可欠と思われる「要素」を列挙してみよう。そして、それは本当に必要なのなのか考えてみよう。
最終更新:2008年09月01日 19:32