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 このように事態が変化して、「地域の教育力」が低下したことは間違いない。
 さて、地域の教育力の低下という事態を迎えて、どうすればいいか、という課題に対して、二つの考え方がある。
 第一の考え方は、都市化した社会においても、人間の本質的な属性として、「社会的・協同的」資質があるので、新しい都市型の「コミュニティ」を創造していくことで、地域を復活させ、そこに教育力も再生しなければならないという考えである。祭や消費者運動などで、人のつながりを形成して、新たな人間関係を作りだすことによって、教育力をもった地域を再生できる、という発想である。
 第二の考えは、人間が成長していく際に、「協同性」に代るものを探るべきだというものである。
 学校は、家庭が規範伝承機能を喪失する中で、その代替機関として役割をずっと増大させてきた。しかし、学校は子どもにとっての、労働機関ではないので、規律形成はどうしても他律的になる。学校という場所が管理的になってきたというのは、家庭の他に、企業の期待を担ってきたことも原因である。学校は時間と場所について厳格に決めることによって成立している組織である。
 学校があまりに多くの課題を背負うことは、学校本来の知的教育を十分果すことができなくなるので、学校機能の相対化が必要だという意見と、規範形成が可能なのは、学校しかないので、学校が担う他ないという意見がある。

9-6 親に必要なこと
9-6 親に必要なこと

 子育てが困難になっただけ、親は責任が重くなった。親はどうしたらよいのか、原則的なことを考えておこう。
 昔は「子どもは親の背中を見て育つ」と言われた。親の生きかたが子どもの生きかたの将来像を表しており、親はモデルとなりえていた。しかし、現代では親とは異なる生きかたを既に子どもはしているし、また将来もするだろうという視点が必要であろう。
(この点について以前学生から異論があった。親の生きかたは自分の生きかたの参考になっている、というのである。しかし、学生の指摘は人間関係のモラルとかのレベルであったが、ここで言っていることは職業とか社会のなかで求められる資質や能力というレベルのことである。)
 子どもにとって重要な安全や食生活にしても、親が生きた時代とは相当の違いがある。子どもだけで外で遊ぶことは何ら危険なことではなかったが、現在や未来はそうではない。今の学生の親の世代は必ずしも受験勉強に駆り立てられなかったが、今の学生は受験勉強が勉強の主な目的であったかも知れない。かつては女子学生は卒業するとかなりの人たちがそのまま結婚したが、今は職業生活に入る学生がほとんどである。職業の形態もかなり違ってきている。
 このように、家庭や子どもが置かれている状況に対する「柔軟」でリアルが感覚が必要であるように思われる。
 しかし、社会の変化によっても変わらない人間として大切なこともあるだろう。そうしたことに対して自信をもって子どもに接することができる力が必要だろう。
 子育てがいかに難しいかを具体的に知るために、神戸の事件をおこした少年Aの母親の手記を材料にしてみよう。手記を読むと、母親は子どもの実像をほとんど理解していなかったように感じられる。
 少年が警察に逮捕されてから、数カ月の間、絶対に自分の子どもが犯人ではない、本人に直接聞くまでは信じないという態度をとって、被害者の家族を怒らせてしまう。少年Aは親と会うことをずっと拒否していたために、母親は確認をすることができなかったのだが、それでも被害者への対応をしなければならないということが、理解できていなかった。
 母親が息子が犯人であると信じられないというのは、息子がそんなことができるような人間ではなく、おとなしく優しい人だという「信念」をもっていたからのようだ。
 しかし、具体的に母親の手記に登場する少年Aは、十分に犯行を行う可能性を示唆するような行動を、長期間に渡って行っているのである。手記の最初に出てくる不気味な行動は、小学校6年生のときに粘土で脳を作ったときのことである。脳とつもりの粘土の固まりに剃刀をいくつも刺した作品だった。教師は脳を粘土で作る行為に気になるものを感じて、わざわざ教師が家までもってきたのだった。それに対して、母親は剃刀が気になったので、子どもに質問している。少年Aの回答は、「ぼくの友達がいじめられとって、その子に仕返しするために刃をつけたんや」というものだった。そしてその年、夜7時半に帰宅したので事情を聞くと、友達がエアガンで空き缶を撃っていて、叱られていたのを待っていた、という説明を聞いている。事件後の報道で撃たれていたのは女の子であり、Aも加わっていたとされているが、母親は真実はわからないと書いている。
 6年の1月に阪神大震災があり、その2月に後に殺害することになる淳君をなぐる事件を起こしている。そして、中学に入学すると、ほとんどたてつづけというに相応しい程に、さまざまな事件が起きているのである。
 4月にナイフで他の校区の小学生の自転車のタイヤを切り刻んだ。
 6月に部活のとき、ラケットで仲間をたたいた。
 女生徒のシューズに火をつけ、鞄を男子トイレに捨てた。
 万引きは小学生以来ずっと続けていたらしい。
 脳の検査につれていくが、とくに異常はないと言われるが、IQが70くらいなので、普通です、と言われて安心している。
 2年生になるといじめで呼び出しをうけている。
 軒下から斧が見つかったり、床下から猫の死骸が見つかっている。そしてホラービデオの万引き、たばこの吸殻、等々。
 親はこのような状況をどのように把握するものだろうか。決して、この母親は、子どもが普通だとは思っておらず、悩んでいる。児童相談所にもつれていって、カウンセリングをうけさせようとしていた。
 しかし、「ヒトラーの野望」というドキュメントをみて、少年Aはヒトラーの「我が闘争」を読みたいといって、母親に買ってもらう。子どもに買ってあげた本は唯一これだったと母親は書いている。そして、二人で、「ヒトラーは善人でない独裁者やけど、下からはい上がってあそこまでできた。人間の能力ってすごいな」と二人で話したという。
 ホラービデオの万引きをし、斧を使う少年が、ヒトラーの「我が闘争」を読みふけるのをみて、何も感じなかったことをどのように解釈したらいいのだろうか。
 インターネットなど今の大人が子どもだった頃には存在しなかったことが、子どもにとって身近になっており、そこから好ましくない情報がどんどん入ってくるし、またコミュニケーション、つまり人間関係のあり方も大きな変化があると言われている。そういう中で、子どものなかに生じたことがらの意味を理解し、必要な場合に適切な対応をとることは、子どもがつまづきかけたときに対応するために不可欠であろう。
最終更新:2008年08月06日 00:05