これまでの学校教育は、次のような要素・前提をもっていた。
一、一定の場所に校舎があり、そこに人が集まって「教育」という営みが行われる。
二、教師という通常「資格」をもった人が「教える」役割を独占的に担う。
三、生徒という多くの、年齢の低い人たちがいる。
四、
教科書という、学ぶべき内容が整理して書かれた書物を初めとして、予め用意された教材が使用される。
五、生徒は年齢によって集団に分けられる。
六、時間割がある。
つまり、一定の場所に教師と集団に分けられた生徒たちが、決められた時間割に従って学ぶ制度として、近代的な学校制度が成立しているのである。国民全員が通うことを義務付けられた教育においては、通学の便利を考慮して学校が設立されるから、同じような環境を保持するために、通学すべき学校を指定することがごく当然のように考えられ、受け入れられてきた。しかし、インターネットを中心とするコンピュータ・ネットワークは、人と人のコミュニケーションを成立させる上で、時間と場所その他様々な制限を取り払ってしまう。したがって、教育に対して計り知れない影響力を及ぼす可能性がある。
もちろん、時間や場所の制限を緩和した教育形態はこれまでもあった。
隣の家が数キロ先というような地域のあるオーストラリアでは、古くからラジオによる教育を行う
小学校があった。放送メディアは日本でもNHK学園や放送大学など、正規の学校として利用されてきた。通信教育は郵便を利用した教育形態である。
だが放送メディアや郵便を使用した形態は、決して「教師-生徒」関係や定められた教育内容に基づく方式を改革したわけではない。従って、通うことが難しい生徒の救済策として位置付けられ、異なる質の教育を提供してきたわけではない。
それに対してインターネットは教育の質を大きく変化させる可能性をもっており、そのために学校選択にも重要な関連がある。他の章でも触れられているように、学校選択とは学校や教育の質が多様であることを前提にしている。従って、教育のあり方を変化させ、学校選択の幅を広げる力がインターネットはもっているのである。その具体的な側面を考察しよう。
10-2-1 インターネットと教材
10-2-1 インターネットと教材
さて、インターネットは時間と空間の制限を取り払うと前に書いた。しかし、インターネットが取り払う制限はそれだけではない。学習者にとって、最新の知識の集成としての情報だけではなく、学習者が理解しやすいように体系的に叙述された解説書、つまり教科書の双方が必要である。アメリカのホームスクーラーのホームページを見ると、そこには教材がたくさん並んでいる。現在のホームスクーラーは家庭で孤立した状態で学習しているわけではなく、相互に連絡をとり、ネットワークをつくって学習している場合が多い。そして援助者たちは、たくさんの電子書籍をホームページに載せ、ホームスクーラーたちはそれを利用している。もちろんインターネット上には膨大なデータが蓄積されており、それも教材として利用できる。
日本のホームスクール支援協会のホームページにも、「世界中のホームページで学習しよう」という題のついたページがある。様々な分野が項目に分類され、それぞれがまさしく世界中の有益な知識を提供するホームページに
リンクされている。
例えば「フラクタル画像」の項目を選択すると、数理科学美術館のサイトにつながり、フラクタルやクラインの壺などが美しい映像で紹介されており、非常にきれいな画像が出てくる。
また「文科系高校生のための相対性理論」という項目には、次のような解説が並ぶ。図・写真、イラストのまじったとても分かりやすい説明が続く。
1、光の速さ
1-1、光の速さの値
1-2、光速はどこから見ても変わらない!?
1-3、光速がどこから見ても一定だと・・・
1-4、光速は超えられるか? その1
1-5、光と質量 (難)
2、相対性・対称性
2-1、相対性・・・って何?
2-2、ガリレイとニュートンの相対性理論
2-3、ローレンツ変換 (やや難)
2-4、走ると肥る!? (計算が難)
ここでは学習用の解説書と専門的な情報の双方を、連続的に利用可能になっている。
こうした傾向は、昨年2000年に世界で最も評価の高い百科事典エンサイクロ・ブリタニカがインターネット上に無料で全内容を公開したことで一層顕著になった。ブリタニカのサイトは単に事典の内容が掲載されているだけではなく、関連項目や新しい内容がリンクされており、このサイトだけでも知識の一大宝庫であり、教材となっている。(ただし現在では有料になっている。)
インターネットのこうした教材が、通常の教科書と異なるのは、作者たちに問い合わせを容易にすることができるという点である。教師は教える内容に関する専門家ではないし、小中学校の教科書の執筆者も多くは専門家ではない。つまり、学校とは非専門家が非専門家の作成した教科書によって、分かりやすくはあるが無味乾燥な知識を教える場所と言わざるをえない。学校での学習によって、小さいころにもっていた知識好奇心が次第に薄れていく理由の一つがここにある。
しかし、インターネット上にある情報は、第一線の専門家が書いたものが豊富にあるし、また、直接その執筆者とコミュニケーションをすることも不可能ではない。それは研究者にてとっも同じことである。専門分野以外のことを知りたくて、専門家にメールを書き、丁寧に教えてもらったことは、私自身にもある。
インターネット教材が実物ではないという批判もありえよう。最終的には、理科実験や観察を実際に行うことはできない。しかし現実の教育過程の中で、実物に触れる機会は極めて限られており、多くは教科書というこれも仮想の世界で学んできたのが実際であろう。インターネットは教材の分野では、学校教育の内容を大きく変え、かつ豊富にすることは間違いない。
10-2-2 インターネット・スクール
10-2-2 インターネット・スクール
空間と時間の制限を取り除くインターネットは、当然インターネット上に学校を設立し、遠くて通えない人や、仕事などで通常の時間帯に通学できない人々のために、教育を提供することができる。営利的な目的も含めて、インターネット上の学校は確実に増えている。
2000年度に開設された、日本で初の通信制大学である埼玉県岩槻の「人間総合科学大学」は、インターネットを大幅に取り入れている。
バーチャルユニバーシティと呼ばれる部分では、以下のように説明されている。
「 大学内のサーバーにホームページを設置。インターネットを介して、人間総合科学大学の情報にいつでもアクセスできます。また、学生がパソコンとモデムなどの通信環境を整えることにより、インターネットメールを通じて、教職員や大学事務担当者、他の学生と相互コミュニケーションがとれます。具体的には、授業の質問や答えをメールで送受信することができ、また、大学の掲示板や自由書き込みボードが用意されますので、実際に大学にいる感覚で伝達事項をみたり、学生のコミュニケーションの場としての活用も可能です。」
純粋にインターネット上にある大学とは言えないが、インターネット機能を最大限に使った公認の大学である。
部分的にインターネットを教育手段とする傾向は今後ますます増えるだろう。
経団連は政府にネット取引の規制緩和を求めるなかで、高等教育機関での学位取得に関し、
(1) 大学で、相対型の授業を20単位以上、取得する必要がある
(2) 大学院では通信教育で博士号を取得できない――
の規制を撤廃し、インターネットによる学位取得に道をひらくよう要望しており、博士号までインターネット上で取得できるような要望も現れている。*29)
アメリカのバージニア州に本社を置く、コンピュータ・ソフト企業、マイクロストラテジー社の最高経営責任者、マイケル・セイヤー氏(35)が、世界最高水準のインターネット大学を創設する計画を明らかにした。1億ドルのポケットマネーを提供し、ネット上に「開学」するもので、全世界に無料で開放するという。
専用のレクチャー・スタジオをワシントン近郊に建設し、世界的な知性による講義をビデオに収録、インターネット上に開学する「非営利大学」を通じ、無料で流すというものである。*30)
こうした「大学」は、インターネットの特質をよく示している。無料の大学は、世界中の人々がアクセスし、学ぶ場となるだろう。
一方、小学校から高校まで含むインターネットスクールも登場している。
米国の教育企業、ノレッジ・ユニバース・ラーニング・グループ(KULG)が、元連邦教育長官のウイリアム・ベネット氏とともに設立した「K-12」である。バージニア州マクレーンに本部を置いている。
ホームページによる説明によれば、「K-12は、時の試練を経た学習方法、伝統的なアカデミックな内容、そして強力な技術を融合した、インターネットを基礎とした新しい初等・中等学校である。」
カリキュラムは伝統的かつ成果が確かめられたものをベースに、グラフィッスなど最新のテクノロジーを駆使した最高級のものとし、世界中どこからでもアクセスし、受講できるようにする。
生徒の中心は、ホームスクーリングの子どもたちになるとみられるが、K-12ではチャータースクールとの連携も視野に入れているという。また、教材の販売も重要な事業として含まれているようだ。*31)
10-2-3 インターネットスクールの問題と学校選択
10-2-3 インターネットスクールの問題と学校選択
日本におけるインターネットスクールは、「インターネット・ハイスクール風」を初めとして、いくつか設立されたが、必ずしも順調に運営されているとは言えない。
インターネットは基本的にボランティアの世界である。一九九二、三年にインターネットが商業利用を許可され、世界中に爆発的に広まってきたが、それまでは非営利的な研究を中心とするコンピュータ・ネットワークであった。その性格は現在でも太い柱として残っている。インターネット上に提供される情報の圧倒的な部分は「無料」であり、自由意志によって公開されている。著作権も放棄されていることが多い。それがインターネットの情報世界を豊かにしている要因の一つであるが、逆にインターネットを組織的な「学校」として利用する際に大きな障害ともなる。
インターネットは、実は非効率な組織なのである。それに対して、学校は教育的にみて「効率的」な組織である。
したがって、インターネットスクールは、営業的に成立しにくい。日本のインターネットスクールが困難に直面している場合が多いのは、ここに原因の一つがあると考えられる。
インターネットと教育がうまく結合するためには、強力な人的・資金的な土台があるか、あるいは、部分的に利用するかのどちらかであると考えられる。
インターネットは学校及び教育の多様性を確実に拡大する。更にインターネットは生涯学習の協力なツールとなる。つまり「特色ある学校」づくりに、インターネットは最も強力な手段のひとつとなるのである。したがって、インターネットは「学校選択の自由化」の実質的な意味を提供する手段である。
更に、インターネット上に「学校」が設立されると、それ自体が学校選択の対象校にもる。フリースクールが不登校の生徒の学習の場として認定されつつあるように、不登校の生徒がインターネットで実質的に学ぶ場面も増えてくる。そして、初めからインターネットスクールやインターネットを利用しつつホームスクールで学ぶことを「選択する」生徒も出てくるだろう。しかし、インターネットはボランティアを核とする自由な情報提供の場であって、組織的な学習形態となるためには、更に進んだ努力が必要である。そういう意味で、インターネットの限界を無視して、インターネットに過大な期待をすると、子どもたちに被害をもたらす場面もでてくるに違いない。学校という「同じ場所に同じ時間に集まって、組織的な教育・学習をする形態」は今後も主要な教育形態として存在するはずである。その中で教育を豊かにする手段として、インターネットが利用されるべきであろう。
最終更新:2008年08月06日 00:26